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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
46/88

啼くダンジョン

「お前、なんか人間っぽいなぁ。ハーフじゃないよな。なんか変わってんな」

 ヒュウガがじっと顔を覗き込んでくる。わざと挑発的な行動を取るタイプのようだが、姉で慣れているシオンはさして気にならなかった。若くして群れのリーダーになる者には、こういう奴が多い気がする。人間でも亜人でも。

 小柄で細身のヒュウガとは対照的に、周囲のメンバーは大柄な人間ばかりだ。いかにもな強面の男たちがシオンと紅子を取り囲んでいる。

 地元で恐れられているだけあって、たしかに人間のチンピラにしてはどいつも強そうだ。街中で見てきた不良たちとは一線を画している。一様に雰囲気が鋭く、常に気を張っているように隙が無い。全員が格闘技でもやっているのだろう。首や手足が分厚い筋肉で覆われたレスラー体型の男や、服の上からでも分かるほど全身の筋肉が張り出している者、鋼のように引き締まった体つきをしているのはボクサーだろうか。

 中でも特に強そうな、まるでオーガのようだと思ったスキンヘッドの二人の男は、二メートルはありそうな長身に筋骨隆々とした体躯で、ミノタウロスにも引けを取らない。重量のある剣やハンマーでも軽々と扱えそうだ。こんなことしてないで冒険者にでもなればいいのに、と思った。

 そういえば、なんとか兄弟とかいう強いのがいるとリノが言っていたなぁ、と思い出した。強いと言ってもただ体が大きく、少々ケンカが強い程度だろうと思っていたが、あながち大げさでもなかったようだ。恵まれた体躯を本気で鍛え上げた肉体だというのは見ただけで分かる。

 自分だったら、とシオンは思った。ナイフ無しでこの男たちを倒せるだろうか。殺すか殺されるかの戦い以外では、姉に痛めつけられたことしかない。ケンカはしたことが無いのだ。

 屈強な男たちは群れのボス――ヒュウガに忠実なようで、彼の前で殺気をなんとか押し殺しているという様子である。だがヒュウガがひとたび命じれば、一斉に襲いかかってくるだろう。それこそ獲物に殺到するモンスターのように。

 ヒュウガはシオンの顔を覗き込んだまま、小さく舌を出して自分の唇を舐めた。今から捕食する獲物を前にして、舌なめずりするように。

「ああ、それに、目が腐ってねぇや」

 マニキュアを塗った黒い爪がシオンの眼前に伸び、爪先が眼窩に触れた。

「わっ、小野原くんっ」

 紅子が慌てて声を上げた。素直に怯えたり驚いたりする紅子の存在は、こういうときかえって怪しまれずにすむ。だがシオンは黙ってヒュウガを見返した。

「いいなぁ。同じワーキャットなのに。汚れたことなんて無いってツラだ」

 尖った爪をシオンの目の前に突きつけるヒュウガは、特に理由も無く昆虫を捕まえて翅や肢をもぐ残酷な子供のような笑みを浮かべ、玩具を取り出すようにそのままシオンの目を抉り出しそうにも思えた。

 武器のように尖らせた爪は、黒いマニキュアでコーティングしてある。ワーキャットの爪は人間よりも強く鋭いが、伸ばせば生活するのに不便だ。だから人間社会で暮らすほとんどのワーキャットは人と同じように短く爪を整える。冒険者であっても同じだ。伸ばしたところでただ邪魔なだけで、爪を武器にするくらいならナイフを使ったほうが強度も高く使い勝手も良いのだから。

 わざわざこんなふうに伸ばすのは、同種に対し誇示したいからだと感じた。

 こいつは、自分たち冒険者とはまた違う世界で生きている。

「ははっ、不良ごときにビビるかってツラだな!」

 ヒュウガは指を引くと、にっと人懐こい笑みを浮かべた。

「お前、たしかに冒険者っぽいや」

 銀毛の交じった黒い耳がピクピクと動く。

「セイヤやソウジュより強いのかな」

 知った名が出ても、シオンと紅子は素知らぬ顔をした。

 馴れ馴れしい男だが、不思議と不快にならない。子供のような顔だちのせいだろうか。いきなり爪を突き立てられても敵意らしい敵意も感じなかった。そのまま笑って目を抉りだされたとしても、しばらくは彼の仕業だと気付かないのではないだろうか。

「でもさ、危ないよ? ほんとに突いてきたらどうすんの?」

「頭を後ろに引けばいい」

「あはは、すっげえ。彼女の前でカッコつけてんのかと思って、ちょっと脅かしてやろーかと思ったんだよ。ごめんね」

 愉快そうに笑うヒュウガは、落ち着きはらったシオンの態度が気に入ったようだった。

「でも、マジで強そうだな、お前。オレ、強い奴は好きだぜ」

「オレはたいして強くない。オレの仲間のほうがずっと強いよ」

「へぇ、謙虚な奴だな」

 ヒュウガが目を細める。

「でもさ、その仲間を手に入れた自分は強いと、思ったりしない?」

「手に入れたなんて思ったことない」

「カッコいいこと言うじゃん。良かったらメシでも食う? こう見えてもオレけっこう稼いでるから金持ってるよ。ご馳走するからさ」

 どういう稼ぎで得た金なのかシオンには想像も出来なかったが、きっと良い手段ではないだろう。

 紅子がぐっと腕を掴んできた。

「いや、もうここに来る前に食ったんだ。腹ごなしにブラブラしてて、ここの廃墟を見に来たんだ。冒険者だから、そういうの気になって」

「ああ、モンスターもお宝もないけど、たまにそういう奴いるよね。じゃあ、こっち」

 ヒュウガがにこりと笑って手招きする。

「案内してやるよ。ここらはオレの昔からの遊び場みたいな場所だから」

 笑った顔は、こんな姿で不良を率いてなければ、ただの人懐こそうな好青年と誰もが思うだろう。

 高価そうな光沢のレザーのジャケットとパンツにわざと引き裂いたようなTシャツ、首や腕を飾るシルバーアクセサリーといういでたちだが、化粧を落とし、ごく普通の恰好でこんなふうに微笑んでこられたら、たいていの者は心を許してしまいそうだ。男のシオンから見ても、魅力的な雰囲気を持っている。

「ほら、こっち」

 彼が歩き出すと、いかつい男たちもぞろぞろとついてきた。巨漢の男たちに囲まれていると小柄な彼は子供のように見える。子供がモンスターを引きつれて歩いているような、不可思議な光景だ。

「行こう」

 シオンは紅子を振り返り、小声で告げた。彼女はしっかりと頷いた。

「うん」

 もっと怯えているかと思ったが、平気そうだ。彼女も多くのモンスターと対峙してきて、その精神は着実に強くなっているのだろう。

「さっき言ってた、セイヤとソウジュって誰なんだ?」

 歩きながら、知らないふりをして尋ねた。前を歩いていたヒュウガが振り向き、歩く速度を落としてシオンの横についた。

「セイヤはこの町で知らないガキはいねえ、〈斬牙〉ってチームのリーダー。ソウジュは連中のなかで最強だった奴だ。オレたちみたいな奴の中で、憧れない奴はいなかったよ」

 敵対相手のことを、まるで尊敬する者の話をするように、ヒュウガは微笑んでいた。

 それはとても嘘とは思えない、羨望のまなざしだった。その彼らを執拗に潰そうとしているなんて、知らなければ信じられなかっただろう。

「だってよ、男なら誰だって、強くなりてぇと思って当然だろ? ま、セイヤはともかく、ソウジュはマジで化け物みてえな奴だったから、はなからあんなふうになろうなんて思わなかったけどな」

「強くなりたいって気持ちは分かる」

「だろ?」

 素直にシオンが言うと、ヒュウガは嬉しげに頷いた。

 話に聞く限りではシオンより年上なはずだが、彼が笑うたび、懐いてくる後輩のような親しみを覚えてしまう。

 不躾なくせに、人の懐に入るのが異常に巧い奴はいる。ヒュウガはそのタイプなのだろう。

「短い付き合いだったけど、アイツらに教えてもらったこともあるよ。強さってのは単純な腕っぷしだけじゃないって。オレはさ、ワーキャットハーフなんだ。人間にもワーキャットにもなりきれない。ライトワーキャットの親父のせいでこの通りチビだし、力も弱い。そこに母親の血が入ったから、ワーキャットの特性も純粋種より薄い。どっちつかずでさ、チビんときはよくイジメられた。人間の中でもワーキャットの中でも、弱いオスは強いオスの顔色うかがってなきゃいけねえんだ」

 この男も、生まれたときから決められた境遇の中で苦しんだのだろうか。セイヤやシリンやリノ、この街のワーキャットたちと同じように。

「でも、力だけが武器じゃないって、アイツらが教えてくれた。一人ぼっちで弱いのなら、セイヤみたいにオレもたくさん仲間を作ればいいと思ったんだ」

 その顔と口調はまるで、心から純粋にそう思っているようだった。実際に、この男も自分の仲間だけは大事にしているのかもしれない。やり方は間違っていても、ストライブというチームを作り、斬牙のように寄り添い合おうとしているのかもしれない。一瞬、シオンはそう思ってしまった。

 想像と違っていたヒュウガの性格に戸惑ったからだ。しかしすぐに、足を壊された少年や、駅で蒼兵衛に倒された男たちのことを思い出す。

 どんな生い立ちがあろうとも、彼らの所業は許せることではない。自分が不幸だから、他の奴も不幸にするなんてことは、間違っている。

 そう思い直し、彼の後をついて歩いた。

 旧ラブホテル街は、本当にただの廃墟群だった。その手のマニアにはたまらないのかもしれないが、シオンは廃墟そのものに興味は無い。

「……遊び場って言ってたけど、廃墟しかないじゃないか。いつもこのあたりにいるのか? チームとか言ってたけど」

 シオンが尋ねると、ストライブのメンバーから一斉にギロリと睨みつけられたが、ヒュウガはあっけらかんと答えた。

「遊び場つっても、別にかくれんぼや鬼ごっとしてるわけじゃないさ。居心地のいい場所があるんだよ」

 とだけヒュウガは言った。

「ダンジョンが不良の根城にされてるって聞いたけど」

「あはは、それオレらじゃん」

 ストライブのメンバーはいっそう敵意と警戒心を剥き出しにしたが、ヒュウガは笑っている。

「ダンジョンつっても、ほんとなんもないよ。ゴーストがたまに出るかな。けど、オレは嫌いじゃないんだよね」

「ゴーストが?」

「そ」

 シオンは怪訝な顔をした。ワーキャットなら相性の悪いゴーストを毛嫌いするものだが、ハーフだから恐怖心が薄いのだろうか。

 心底愉しげに、ヒュウガが言う。

「アイツさ、生きてる奴を、恨みがましい目で見てくるだろ。何も出来ねえくせに、こっちを殺してやりたい、同じ地獄へ引きずり落としてやりてぇって目でさ。なんかあれ、面白いんだよなー。バカじゃねえの死んでるくせにって。笑っちまうんだよ」

 子供のように無邪気な笑顔に、ようやく不気味さを覚えた。紅子が再びシオンの腕を強く掴んできた。警戒するように。

 こういう奴は、たしかに存在する。笑いながら誰かを傷つけることが出来る者。他者の痛みを感じることが出来ない者。そういう者が大きな力を持つと厄介だということも。

 でも少しシオンはほっとしていた。相手が嫌な奴のほうが、思いきり叩ける。それが分かっただけでも良かった。




《ピンクシャトー》は、想像していたよりも奇抜な外観をしていた。

 想像出来るほどラブホテルというものを知らないというのもある――。

 西洋の城をイメージしたような見た目に、屋根には小さな塔がいくつも突き出している。

 外壁は二階部分あたりまでが茶色いレンガ風、その上は一面ピンクに塗られていた。持ち主の悪趣味が知れる壁のピンク色はすっかりくすんでいたが、営業当時は目に痛い色だったに違いない。いまは煤けたピンクグレーがかえって城の外観と妙にマッチしていた。

「お城……だね……」

「うん……」

 紅子の呟きに、シオンはそれだけ頷いた。

 小さな遊園地にでもありそうな、はりぼての城を思わせる。

 五階建てらしく、それほど高層でなくて安心した。当たり前だが広ければ広いほど探し物は困難になる。

 近づくにつれ、腕を掴んでいる紅子がじっと食い入るようにピンクの建物を見ていることに気付いた。まさかこんなところが彼女の目的のダンジョンではないだろうが、シオンは気遣うように尋ねた。

「怖いか?」

「ううん。平気だよ」

 紅子は落ち着いた声で答えた。

「思ってたより怖くない。もっと不気味な場所だと思ってたんだけど」

 なんていうか、と紅子は口ごもりながら呟いた。

「……悲しいかんじ」

「悲しい?」

「なんとなく。根拠はないけど」

「ここには、泣くゴーストがいるからな」

 耳を動かしながら、ヒュウガが言った。

「シャーマンが何度祓っても、そいつだけは除霊されずにしばらくしたらまた泣き出す。それにつられてまたゴーストが集まる。そいつがどこにいるか突き止めたシャーマンもいない。今度雇われたシャーマンは腕利きみてえだから、今度こそ消されちまうかもしれねえけどな」

「気味が悪くないのか?」

「別に? ただの赤ん坊の泣き声だよ。可愛いモンじゃん」

 紅子が眉をしかめる。ヒュウガの得体の知れなさを不気味に思っているのだろう。

「《夜鳴きホテル》って呼ぶ奴もいるぜ。《ピンクシャトー》なんて名前じゃ廃墟マニアやオカルト好きには物足りねぇのかな」

「思ってたよりでかいな」

「ここのオーナーが相当羽振りの良いときに建てたんだよ。いまよりずっと自由な時代だったって言ってたぜ。おかげで業者が手を抜いて欠陥工事だらけだってな。廃墟になってからはもうボロボロだよ。傾いてるし、床は抜けるし、埃はすげえし、入っただけで咳が止まらねえ奴もいるよ」

「そのうち崩れそうだな」

「崩れてもいい建物しかねえよ、このあたりには。だから行政もヌルいのさ」

「オーナーっていうのは?」

「オレの母親」

 特に隠そうともせず、ヒュウガはそう答えた。

 入り口には巨大なアーチがかけられ、城門をイメージしたような扉。裏口もあるだろうが、一階からやすやすと入れないだろう。外壁に埋め込まれたレンガに手足をかけて、自分ならよじ登っていけるなとシオンは考えた。侵入は容易そうだ。

 都市型ダンジョンは、侵入自体は楽な建物であることが多い。元は学校や病院やホテルといった人工物であるからだ。裏口や非常口、入り込む場所はいくらでもある。だが侵入者対策をしてないわけじゃないだろうな、とも思う。

「写真撮っていいかな」

 取り巻きたちの表情が変わる。調子に乗るなという顔だ。だがヒュウガだけは変わりなく、気さくに返した。

「いいよー」

 携帯電話で何枚か写真を撮った。

「ネットにアップとかすんの? アドレスやID教えてよ。見にいくから」

「そういうのはやってない。ただの記念だよ」

 建物の裏も見たいと言うと見せてくれた。そこでも写真を撮ったが、ヒュウガは相変わらず笑っているだけだった。

 こうまで堂々としていると、彼らにケンカ以上のやましいことはないのではとも、ここに犯罪の証拠はないのではとも思えてくる。

「個人の所有物なんだよな。こんなに簡単に写真撮っていいのか?」

「んー? ダンジョン見たくて来る奴は、みんな撮ってるよ。中に入りたい奴は入れてやってるし」

「えっ、そうなのか……」

「中はボロいとこもあるから、奥までは無理だけどね」

 いまのはちょっと動揺し過ぎたかもしれない。ストライブの連中はずっと不審そうにシオンを見ている。中にまで入るのは危険だろう。これまでずっと親切だったヒュウガだが、だからといって信用出来るわけもない。

「ゴーストの泣き声、聴こえないな」

「寝てんじゃねえの。昼だし」

 シオンの問いに、ヒュウガがさらっと答える。それから気安く言った。

「中まで入る?」

「いや、やめとくよ。なんか怖いし」

 シオンは笑いを作りながらそう答えたが、本気で怖がっているとは思われていないだろう。

「とか言って、ほんとは興味あるんじゃない? 冒険者なら。ラブホ型のダンジョンに入る機会ってそう無いだろ?」

「そうだな、都市型ダンジョンにはあんまり入ったことない」

「だろ?」

 中の構造を見ておきたい気持ちもあるが、ヒュウガはあまりに得体が知れない。気安い笑みを浮かべているが、入った途端にいきなり襲われるかもしれない。

「でも、外から見れたし、いいよ」

「遠慮すんなって」

 そのとき紅子がシオンの腕を強く引いた。

「私、行きたくない。オバケ出るんでしょ? 怖い……」

「……連れがこう言ってるし」

 ヒュウガは紅子をじっと見つめ、ふうんと鼻を鳴らした。目が合って、紅子はぱっと顔を伏せ、シオンの腕にしがみついた。

「ね、やだよ。帰ろうよ。オバケの声なんて聴きたくない」

「そんなに怖いかなぁ。死んでる奴に何が出来んの?」

 笑うヒュウガから隠れるように、紅子はシオンの腕を掴んだまま背中に隠れる。

「……帰ろうよ」

 本当に帰ったほうがいいな、とシオンは思い、ヒュウガに告げた。

「オレたち、帰るよ。案内してくれてありがとう」

「残念だな、仲良くなれそうだと思ったのに。オレ、ワーキャットの友達少ないから」

「オレもだよ」

 そう答えると、ヒュウガはぱっと表情を明るくした。

「気が向いたらまた来いよ。このあたりで絡まれたら、ストライブのヒュウガって奴のダチだって言えば大丈夫だからさ」

 残念だと言ったヒュウガの表情は、本当に寂しげだった。何も知らなければ斬牙の連中が言うほど悪い奴には思えなかっただろう。

 善人に見えてもその腹の底は分からない。人好きのする笑顔で油断させ、息を吐くように嘘をつく、そんな奴には知らなうちに絡め取られてしまう。そうならないためには結局、誰にも近寄らないのが一番だ。そう思ったシオンはこれまで必要以上に知り合いを作ってこなかったし、ソロの冒険者でいることを選んだ。

「じゃあまたな」

「ああ。ありがとう」

 ヒュウガがひらひらと手を振る。屈託の無い笑顔を浮かべながら。

「またおいで。――待ってるから」

 取り巻きたちは最後まで睨みつけていたが、あっさりとその場を離れることが出来た。一度だけ振り返るとヒュウガは微笑みながらまだ手を振っていた。

 ラブホテル街を抜けると、紅子がぱっとシオンから離れた。

「ごごごごごめんね! ベタベタして!」

 顔が真っ赤だ。

「別にいいけど……」

「ダダダダダダダダンジョン見れたね!」

「え? あ、うん……お前、大丈夫なのか? さっき調子悪そうだったけど」

「あ、あれね! あのまま中に入っちゃったらマズいかなぁって思って、演技、演技!」

「なんだ、演技だったのか。おかげですんなり帰れた」

「小野原くん中に入りたいかなと思ったんだけど、入っちゃったら襲われるんじゃないかと思って、帰りたいフリしちゃった」

「うん。引いて良かった。外観だけだけどダンジョンも見たし、写真も撮れたしな。相手の顔も覚えたし」

「そっか。良かった。でも、あんまり強そうに見えなかったね、あの、ヒュウガって人」

「そうだな」

「あの中に魔法使いはいなかったみたい。みんなあんまり魔力感じなかった」

「そっか。ソーサラーがいなくて良かった。まあ、ソーサラーになれるんなら不良なんかになんないか」

 魔力を感知する能力も種族差や個人差がある。紅子は魔力の強さ同様、それなりに鋭いようだ。

「ダンジョンはどうだった?」

「街の中のダンジョンって、いつも行くようなダンジョンとちょっと違うよね。雰囲気がねっとりしてるっていうか。あのへんの廃墟ビルからゴーストの気配もいっぱいしたけど、お昼だから大人しかったね」

「街中のゴーストはあまり騒ぐとすぐ始末されるからな。ゴーストは年々増えてくから行政の駆除はなかなか追いつかないみたいだけど、心霊スポットになった場所は、見習いシャーマンが修業ついでに退治しに来たりするとかいうし……」

「ゴーストも大変なんだ……」

「でもここはストライブの縄張りだから、そういう奴らも近寄らないのかもな」

「魔法使えても、戦いが強いわけじゃないもん。詠唱してる間に殴られちゃう。ああいう人たちは怖いよ……」

「浅羽は詠唱しなくても魔法を出せるじゃないか」

「だめだよ、集中しないで咄嗟に魔法なんて使ったら、加減間違ってまた燃やしちゃうよ……あの人たちモンスターじゃないし……」

「それもそうだ」

「悪い人でも、モンスターじゃないからモンスターみたいに倒せないよね……」

「蒼兵衛たちは戦うことが目的だけど、オレたちは奴らが悪いことしてるって証拠になるものを探すのが目的だ」

「う、うん」

「でも、浅羽が付き合うことないよ。これは依頼でも仕事でもなんでもないし、下手うったらオレたちも警察に連れて行かれるかもしれないし。冒険者の仕事に支障が出るかもしれない」

「小野原くんはそれでいいの?」

 紅子が尋ねてきた。

「いや、浅羽がいいのか? もうこれで帰ってもいいんだぞ」

「私は小野原くんに従うよ。小野原くんはいつも私のこと助けてくれるし、私たちのリーダーだもん。斬牙の人たちのこと、ほっとけないんでしょ?」

「それもあるけど……」

「あるけど?」

「オレは、蒼兵衛を仲間にしたい。戦闘専門のメンバーが欲しいんだ。これから先、きっと必要になるから」

「……うん」

 それは自分の探し物のためだと分かっている紅子は、神妙に頷いた。

「オレたちはそういう奴を大金で雇えないから、こっちが頼むしかない。こっちが助けてもらいたいんなら、こっちも助けないと。ケンカのほうは任せるけど、ダンジョン探索や探し物なら慣れてるからな」

「だったらなおさら、私も行くよ。小野原くんも私に気を遣わなくていいよ。パーティーだもん。スランプになっちゃって、かえって迷惑かけてるけど……でも、私、一緒に行きたい。行かせてほしい。魔法使いに出来ることって戦いじゃなくてもあると思うの」

「うん。頼りにしてる」

「うん」

 紅子は力強く頷いた。その表情を見て、迷いは少し晴れたのかなとシオンは思った。




 柊道場に帰ったシオンたちは、撮ってきたダンジョンの写真を見せながら、パーティーで打ち合わせをした。

「ダンジョンの周りにはストライブがうろうろしてたし、昼に侵入するのはたぶん無理だ。オレはもう顔も割れたしな。夜はやっぱり幽鬼ゴーストが出る。ただ、あいつらはゴーストのことはあまり気にしてないみたいだから、悪霊じゃないのかもな」

「ゴーストぐらいしゃらくせえ。キキちゃんの轟声バジング一発で追い払ってやるよっ! でも退魔弾も持ってくけど……」

「バンバン使え。ケチるなよ。またおじいちゃんが買ってくれる」

「任せとけっ!」

 蒼兵衛の言葉に小さい胸を張りつつ、キキはせっせと魔銃の手入れをしている。シオンと紅子がダンジョンの偵察に行っている間に、妹尾組に連絡して届けてもらったらしい。申請していないダンジョン探索はもちろん、街中で魔銃を使うのも禁止なので、おそらく静音には内緒で国重がこっそり運ばせたに違いない。甘いにも程があるが、今回は正直助かる。実際、高価な退魔弾を惜しみなく使ってくれるというのはありがたい。対ゴースト戦は今後もキキに(というより妹尾家の援助に)頼るしかない。

轟声バジングってゴーストも追い払えるの? リザードマンってすごいんだね」

「まあね。最強の種族だからね」

 紅子が感心したように言うと、キキは得意げに鼻を鳴らした。武器の手入れをする手つきは雑だが意外と真面目に準備している。時々チラチラとシオンを見るのは、真剣に仕事をしているアピールなのだろう。仕事中に寝てクビになりかけたことをいまだに気にしているらしい。

「ゴーストというのは、ようはビビらせたもん勝ちなところがあるからな」

 他人事のように言う蒼兵衛を、キキがジロリと睨みつける。

「てめえこそゴーストぶった斬る技ねーのかよ。いちおうエンチャントファイターでしょ」

「あるにはあるが、魔法の発動に三十分かかるうえ、上手く発動するかも分からん」

「使えねえ! むむ、ここはやはりキキちゃんしか……」

「〈退魔エクスターミネート〉だけは練習して出来る魔法じゃないからな。ゴースト対策は仕方ない、キキに任せよう」

「おう! やっぱり頼りになるのはキキちゃんだね!」

 キキが魔銃をチャキッと構える。

「建物は五階建てで、二階以上がかつてのバカップルイチャイチャ部屋だ」

「もうスッキリフラれたんだから見苦しい嫉妬やめなよ」

「うるさい傷なんて早々癒えるか。フラれたって好きなものは好きだ。フラれたと自覚した瞬間に断ち切れる程度の想いなら最初からこんなに苦しんでいない。私の傷が完全に癒えきるまで私のバカップルアレルギーが治まると思うなよ」

「バカップル通り魔の間違いだろうが。手を繋いでるカップルの間を割って歩ける神経持ってる奴なんてバカップルのほうがアレルギー起こすわい」

「その話はまた今度にしよう」

 ほっとくといつまでも続くので、シオンは口を挟んだ。

「侵入なんだけど、オレなら建物の外壁を登れそうだ。二階までに上がったら梯子を下ろすよ。縄梯子あるか?」

「探索の道具ならうちの納屋になんでも揃ってるし、なんならセイの会社から拝借すればいい。お前たちは侵入したら奴らの尻尾を掴んでくれ。それがないとただの不法侵入だからな」

「蒼兵衛は?」

「正面から行く」

「襲撃するのか?」

「いや、堂々と正面から話をしにいく。奴らの隙をついていきなり襲いかかっては、いままでセイヤたちが通してきた筋が通らんからな。と言っても戦いになるだろう。お前たちは私たちが戦っている間に、上手く潜入しろ。手早くな」

「私たちって?」

 紅子が首を傾げた。

「斬牙の連中だ。今日、シリンに辞表を出していた。会社を辞めてでもストライブを潰したいと言ってな」

「いいのか? セイヤさんがいないときにそんなことして」

「だからいいんだろ。奴が帰ってきたら煩いからな。私は奴ほど過保護じゃないから知らん。好きにすればいい。ま、私は一人でも平気だけどな。アイツらがどうしても『ソウジュさん一人を戦わせるわけにはいかない』と聞かないから仕方ない……」

「露骨に嬉しがってるじゃん。どんだけ寂しがりなんだよ」

 口許が緩んでいる蒼兵衛に、キキが顔を引きつらせる。

「セイだけじゃなくて私だって人望あったんだ……家をたまり場にさせてやってたし……」

「それはアンタの親が甘いからじゃん」

「いいだろ、キキ。それより話の続きだ」

 呆れ顔のキキをたしなめ、作戦の続きを促す。

「あのあたりには地元の人間は元々近づかない。戦いが始まってもしばらくは気づかれることもないだろう。サツに気づかれる前に奴らの尻尾を掴んでくれ。奴らの所業さえ表に出れば、小競り合いくらいちょっと説教されて終わりだ」

「分かった」

「君は強いかもしれんが、気をつけろよ。敵はモンスターと違って、考える頭がある。それに殺さないように加減しての戦いというのは、難しいからな」

「ああ。気をつけるよ」

 蒼兵衛の言う通りだった。

 冒険者といっても色々だ。戦うことが好きで得意だった桜はモンスター討伐を主な専門にしていたが、シオンは戦うことを生業としていない。これまでダンジョンで遭遇した強敵からは極力逃げてきた。

 殺さず、倒す。そんな芸当は実力差が大きく開いていなければ出来ない。殺さなければ殺される、モンスター相手にはそんな状況でばかり戦ってきた。殺すための武器を取り上げられて、どこまで戦えるだろうか。 

「無理はしなくていい。特に、ヒュウガとは戦うな。あそこは奴の縄張りで、奴はズル賢い。どんな手でも使ってくるだろう。何を考えているか分からん奴だが、頭は悪くない。もちろん私の敵ではないがな。私なら殺さずに倒せる」

「分かった」

「あ、でも間違えて殺してしまいそうになったら、約束通り止めてくれ」

「分かった」

「頼むぞ。まだ刑務所には入りたくない」

 がっしと肩を掴まれた。けっこう真剣な目だった。

「それはオレたちも困る」

「マジで頼む。……とにかく、戦いは私たちに任せて、お前たちは潜入と探索に集中してくれ。戦闘は避けろよ」

「ああ」

「うっかり遭遇エンカウントした場合は……まあやむを得んが」

「そのときは腹をくくるよ」

「任せときな。銃も槍もハンマーも使っちゃダメでも、キキちゃんにはこの歯があるかんね。噛み千切ってやんよ」

 ガチガチと歯を鳴らすキキは無視して、シオンは頷いた。

「なんとかするよ。ケンカなんて姉弟ゲンカくらいしかやったことないけど」

「あの女とか……」

 ふむ、と蒼兵衛は呟いた。姉の手段を選ばない、悪く言えば卑怯な手を使ってでも相手を倒す戦い方を、そういえば彼も知っているのだった。

「じゃあ充分だな」

 このあたりの不良たちが恐れてやまない男にまで太鼓判を押されてしまった。つくづく偉大な姉だったのだと思う。色んな意味で。






「なんで俺まで……」

 そうぶつくさ言っているのは、蒼兵衛の弟の蒼星だ。シオンたちは斬牙のメンバーの車に乗せてもらい、《ピンクシャトー》に向かっているのだが、リノが強引について来た。

「護衛でしょ。あたしの」

「なった覚えないよ。なんで不良の抗争に付き合わなきゃなんないんだよ。何も出来ないからね、俺。こんなことに関わってるってだけで受験にさしつかえたらやだし」

 はぁ、と蒼星がため息をつく。嫌がりながらも兄の命令には逆らいがたいらしく、シオンはいたく同情した。弟の立場の弱さは痛いほど分かる。

 辞表を出してきたという斬牙のメンバーは、何組かに分かれワゴンに乗り込んだ。シオン、紅子、キキもそのうちの一台に乗せてもらっている。

 お洒落好きのリノも、斬牙のメンバーも、今は作業着を着ている。彼らが仕事で使っているダンジョン用装備だ。シオンたちもいつもの装備を持って来ていなかったので、余っている装備を貸してもらっている。キキだけは魔銃と一緒に届けてもらった妹尾組のつなぎと、相変わらず大きなバッグを背負っている。

「なぁ、キキ。今回はそんなに大荷物要らないぞ。車に置いておいてもらえよ」

 シオンはキキに言った。

「いるもん。ピンチのときのおじいちゃん人形とか入ってるし……」

「なんだ、ピンチのときのおじいちゃん人形って……」

 不吉な響きにシオンは顔を引きつらせた。キキはゴソゴソとバッグを開け、中からそこそこ大きなリザードマンを模したぬいぐるみを取り出し、ぎゅっと抱きしめた。

「どうしてもピンチのときに敵に向かって投げろって、おじいちゃんがさぁ」

「爆弾とかじゃないだろうな……」

「まさか。そんな硬いもん入ってないし」

 確かめるように、ぬいぐるみをぎゅっぎゅっと抱きしめる。まあ、いくら国重でもそんな危険なことはしないだろう。

「あんたのおじいちゃんって、過保護なのね」

 リノの言葉には皮肉というより、少し羨むような響きが含まれていた。

「まぁ立場がね。キキちゃんは妹尾組のお姫様だから仕方ない」

「なんでお前はいちいちそんなに偉そうなんだ」

「大事にされてんだ。リザードマンはいいね。仲良さそう」

「斬牙だって仲いいじゃないか。家族なんだろ」

 シオンの言葉に、リノは耳を少し動かしただけで、答えなかった。

「もう機嫌直したら。無視は感じ悪いよ。されたら怒るくせに」

 蒼星が嘆息交じりに言った。

 蒼兵衛は相変わらず背中に『斬牙』の文字が入ったコートを着て、弟の蒼星はTシャツにジーンズという普段着だ。彼は戦う気は毛頭無いらしい。億劫そうなため息を何度もついている。

「リノちゃんがピンチになっても俺、責任取れないよ。ある程度自分で身は守ってくれよ。知らないよ、シリンさんに黙って勝手なことしてさぁ」

「あの人は関係無いでしょ」

「あるだろ、姉さんだろ」

「義理の姉なんて他人も同じよ」

 妊娠中のシリンはまだ体調がよくないようで、柊家で休んでいる。彼女に黙って同行しようとしたリノをシオンは止めたが、蒼兵衛が「好きにさせたらいい」と言った。

 一人かやの外にされて、問題が収束したとしても彼女は納得出来ない。そう考えたのだろうか。代わりに自分の弟を呼んできて、「お前も来い。クッソ弱いが、盾くらいになるだろ」とその肩を叩いた。「明日、英語の小テストあるのに」と蒼星はぶつくさ言いながらもついてきた。

 なんだか昔の桜と自分を見ているようで、シオンには懐かしく、羨ましかった。彼女が生きていたとき、引っ張りまわされて文句ばかり言っていた。あのときは嫌だったのに、いまはすべてが楽しかった思い出に変わっている。

「リノちゃんはさぁ、まだシリンさんがスパイだとか思っちゃってるわけ?」

「思っちゃってるわよ」

 蒼星の言葉に、リノはむすっとした顔で答えた。窓には黒い遮光シートが張ってあり、景色なんて見えない外をきっと睨みつけている。

「えっ、スパイなの?」

 キキが少しわくわくしたような顔で言った。蒼星が首を横に振る。彼は腕に木刀でも入ってるのか、長い包みを手にしている。

「リノちゃんの思い込みだよ」

「だとしても、紛らわしい行動したことは許さない」

 蒼兵衛から、ヒュウガはかつて斬牙のメンバーで、セイヤとシリンは彼にも仲間として良く接していたとシオンも聞いている。リノはそれを知らなかったらしく、今頃になって蒼兵衛から知らされたときは呆然とし、それからはずっと不機嫌だ。シリンだけでなくセイヤにも隠し事をされていたことがショックだったのだろう。怒っているように見えるのは、傷ついているのだ。

「シリンさんにセイヤさんを取られて、やきもち焼いてんのは分かるけどさぁ」

「違うわよ!」

 兄に似てズケズケと物を言う蒼星に、リノは声を張り上げた。

「シリンさんに限って、無いよ、そんなこと」

 運転をしていたヒロが苦笑まじりに言った。

斬牙うちも一時期は色んな奴が入ったり出たりしてたけど、どんな奴だって受け入れてた。合わない奴は結局出て行ったけど、いま残ってるメンバーは信頼出来るよ。でも……ここだけの話にしてくれよ」

 この場にいるのは、シオンと紅子とキキ、それからリノと蒼星だ。ほとんどが斬牙のメンバーではないから、口にしたのだろう。

「どんなに信頼出来ると思ってた奴だって、変わるかもしれないよな。ヒュウガだって昔は人懐こい、いい奴だと思ってたよ。でもあっさり裏切った。スパイはいるんじゃないかって、俺だって思うよ」

「はー、これだからワーキャットは。仲間を裏切るなんて獣堕ちのすることだってのに。だから三下なんだよ!」

「キキ」

 ふんぞり返るキキをシオンはたしなめる。リノもヒロも特に何も言わなかった。リザードマンだけではない、他の種族から見たワーキャットと人間は利己的な種族なのだ。

「……リザードマンは強いから」

 黙っていたリノが、しばらくして呟いた。

「あたしたちの気持ちなんて、分かんないよ」

「まぁね。たしかに最強の種族には小動物の気持ちなんて分かんないけどさぁ」

「さっきから気になってたんだけどさ、リザードマンなの? この誰よりも小動物っぽい子が?」

「誰が小動物だコラァッ! 兄弟揃って見る目ねぇなっ!」

 目を見張る蒼星に、キキがガァッと吠える。

「静かにしろ、キキ。つまみ出すぞ」

「あいっ!」

 低い声を出して注意すると、キキがぴしっと姿勢を正す。一度強く突き放したからか扱いやすくなった。

 それより気になるのは、いつもよく喋る紅子が、まったく会話に入ってこないことだ。

 俯き、じっと黙っている。

 気分が悪いのかと思い、「大丈夫か?」とさっき尋ねたが、「えっと、精神統一してるの!」と返ってきたので、それ以後はシオンもそっとしている。

 いつも使っている長杖スタッフではなく、今日は短杖ショートロッドを持参してきたらしく、布のケースに入れて腰から下げている。

 時折唇を小さく動かし、声にならない声で、何やら呟いている。詠唱のおさらいだろうか。周りの喧噪も気にしていない。ソーサラーと接することは今まで少なかったから、こういうときどう気を遣えばいいのか分からない。

 だがきっと、周りにしてやれることはないのだろう。そう思うからシオンは何も声をかけない。

 紅子には才能があると、魔法に詳しくないシオンでも分かる。蒼兵衛や国重や草間のように強く経験のある者たちが、彼女の才に素直に驚き、敬意を払ってきたのを見てきた。その力も目の当たりにしてきた。彼女は魔法の天才なのかもしれない。だが、経験には乏しい。精神も普通の少女だ。だからこそぶつかった壁を自力で一つ一つクリアしていくしかないのだ。かつて自分がそうだったように。




 車はラブホテル街とは離れた場所に停め、ヒロだけが車に残った。

「何かあったらすぐに連絡してください。くれぐれも気をつけて。それからシオンさん、これ」

 と、魔石の編み込まれた紐をいくつか手渡してくれた。

護符アミュレット。安物だけど無いよりマシかも。アンデッドスクリーム対策。シオンさんとリノちゃんは多めに付けて」

 そう言って全員に配ろうとしたが、紅子とキキと蒼星からは遠慮された。

「魔石は小野原くんとリノちゃんで分けて。安物でも重ねて付けたら少し効果が上乗せされるから」

「俺も結構です。戦うつもりもないし」

「キキちゃんはおばあちゃんが特製腹巻の中に魔石編み込んでくれるから、そんなはした魔石無くても大丈夫!」

「なに、アンタ腹巻きしてんの? やだ可愛いー」

 腰に両手を当て、自慢げなキキを見て、リノが久々に笑った。シオンは少しほっとした。

「リノ、腕出せよ。付けるから」

「あ、うん……あ、ありがと」

 アミュレットを腕に結んでやる。その間、リノはやたらと尻尾を動かしていた。交代でシオンも結んでもらった。

 通りは真っ暗だったが、ピンクシャトーだけはいくつかのガラス窓から灯りが漏れていた。

「……いる」

 紅子がいつになく厳しく顔をしかめ、呟いた。

「空気もお昼とはぜんぜん違う。いつも行くダンジョンと同じ雰囲気。ううん、もっといびつな感じがする」

「たしかに、そうだな。昼とは違う。ダンジョンの臭いだ」

 昼はただの廃墟群だった場所が、夜が更けてダンジョンという響きに似つかわしい雰囲気になった。

「これが都市型ダンジョンなんだね」

「何か感じるのか?」

「うん、ゴーストの気配があちこちに」

 紅子の言葉に応えるように、城を模したホテルの看板やいたるところに、電球が灯った。まだ営業していたありし日の姿のように、煌びやかな電飾を輝かせ始めたのだが、それが人の手によるものでないことはすぐに分かった。灯った電球がすべて、血の色のように真っ赤だったからだ。チカチカと不安定に点いたり消えたりを繰り返す。

「気持ちわる」

 蒼星が眼鏡の奥の目をしかめた。

「アンデッドのやることらしいっていうか」

「ゴーストが出来ることなんて脅かすでしょ。実際に手ぇ出してこれないんだから」

 リノが鼻を鳴らす。

「でも、戦闘中に脅かされたら致命的じゃない? 俺は戦わないけど」

「またそう言って……」

 そのとき、激しい悲鳴のような不死者の叫びアンデッドスクリームが響いた。シオンの耳と尻尾は反射的にピンと立ち、見ればリノも同じだった。

 蒼星は馬鹿にするでもなく、耳の下がったリノを見て淡々と告げた。

「ほら。やっぱ怖いんだろ」

「怖くないけど、仕方ないでしょ! 勝手に反応するんだからっ」

 リノが小声で怒鳴る。

「あれがアイツらゴーストの手口だ。気をつけよう。リノはストライブに遭遇しても、絶対に戦いに参加するなよ。蒼星に守ってもらってくれ。頼んだぞ」

「はぁ……まあ、ここまで来ちゃった以上、リノちゃんの面倒くらいみますけど」

「なによそれっ」

「……キキちゃん、なんも聴こえないんだけど。なんかクッソ弱そうなモンスターがピーピー鳴いてるようにしか……」

 キキがムムムと顔をしかめた。腹巻きに仕込んだ高価な魔石のお陰なのか、リザードマンにはアンデッドスクリームが通用しないともいうので、そのせいかもしれない。さすが一パーティーに一人は欲しいと人気のリザードマン族。コイツもそれなりにリザードマンなんだなと、こういうときは思わずにいられない。

 紅子も怖い話やホラー映画は苦手だと言っていたので、もっと怖がるかと思ったが、あんがい冷静だった。黙ってホテルの方向を見つめている。《夜啼きホテル》の異名どおり、叫び声のような泣き声や、啜り泣き、時折か細い赤ん坊の泣き声も聴こえる気がした。

「こんな場所なら、ストライブの連中も夜は留守にしてるんじゃないか」

「どうかしら」

「猫って夜行性なんでしょう?」

 リノと蒼星がほぼ同時に言った。奴らはそこにいる、少なくともヒュウガはいると、確信しているようだ。彼らにとってはそれが――ヒュウガという男の行動として、まったく異質ではないのだ。

 廃ホテルのいくつかの窓には灯りがついていたが、昼はまだしも夜のこの雰囲気で、平然と過ごせるとは思えない。アンデッドが啼いているこんな場所で、何を好き好んで夜を過ごすのか、シオンには理解できない。

 だが、ヒュウガがゴーストに怯えている様子も想像出来なかった。この叫びを聴きながらあの穏やかな笑みを浮かべ過ごしているのだとしたら、それはもう狂気としか思えない。それなのに、そうしている姿のほうが容易く想像出来る。そういう得体の知れない気味悪さを、ずっとあの男に感じていたのだ。またおいで、と去り際に笑っていた、顔に貼り付けたような微笑み。


 ――待ってるから。


 人懐こそうに動く大きな瞳は、光の無い黒い石の塊のようだった。まるで彼自身がダンジョンに引き込もうとするゴーストのように。




「あの、上手くかかるか分かんないけど、一人ずつ精神魔法をかけるね」

 乗り込む前に、紅子が言った。

「大丈夫なのか? コントロールが上手く出来ないから魔法は使わないって言ってたじゃないか。無理してるんじゃないか?」

 昼に話したことを思い出し、シオンは紅子が無理をしているのではないかと思い、そう尋ねた。

「うん、精神魔法はコントロール関係ないから。失敗してもかからないだけだし……あ、不安ならいいよ!」

「いや、不安ってことはないけど。浅羽がいいなら、いいんだ」

「うん。でも、精神魔法はもともと苦手で、効果時間もそんなに長くないけど、成功すればしばらくの間、アンデッドスクリームには耐えられると思う」

 紅子が腰に下げた袋から短杖ロッドを取り出し、言った。三十センチくらいの長さだが、更に半分の長さに分解出来る組立てタイプのようだった。先端にちょこんと魔石が付いている。

「組立てタイプは持ち歩き便利なんだけど、魔力の伝達が鈍くて……んしょ」

「伸び縮みする突っ張り棒みたい。色々あるのね」

 杖を連結させると、普段ソーサラーには縁遠いリノが物珍しげに言った。

 いざ魔法をかけようというときに、キキが言った。

「あ、キキちゃんはいいや。持病あるから」

「病気なの? ダンジョン大丈夫?」

 リノが尋ねる。

「う、まぁね。ちょっと精神魔法がかかりにくいだけだよ……」

 狂戦士バーサーカー症ですとはさすがのキキも胸を張って言いにくいようだ。もごもごと口を動かす。狂戦士症持ちは、精神魔法のかかりも悪いとシオンも聞いている。さっきもアンデッドスクリームをものともしていなかったから、大丈夫だろう。

 蒼星も片手を上げた。

「俺もせっかくの申し出ですが、道場の理念的理由により辞退します。己の身と刀一つで戦うべしが我が流派の古臭い考えなんで」

「戦う気ないくせに」

 リノがじと目で睨む。蒼星が兄とよく似た無表情な顔と声で答えた。

「精神魔法に拒否感がある人間にはどうせ上手くかからないんだよ。よっぽど強制力のあるソーサラーじゃないとさ。俺も少しは魔力があるし、あんな道場に産まれてしまった不幸な生い立ち上、鍛錬も受けてるから」

 結局、シオンとリノだけが魔法をかけてもらうことにした。

「では、失礼します」

 と紅子は言い、片手に杖を持ち、もう片手伸ばし、シオンの胸の真ん中にとん、と指を当てた。

「魔石外したほうがいいか?」

「大丈夫、そのままで。アミュレットは悪いものだけ弾いてくれるから。逆に《勇猛ブレイブリィ》増幅してくれるといいんだけど……力抜いててね、魔法をかける、私を信じて。じゃないと、精神魔法は上手くかからないの」

「分かってる。信頼してるよ」

 紅子がふう、と長く細く息を吸う。

「――強靭な器に宿る迷いなき魂よ。迷いはもはや去りゆき、決意は折れることはない。歩みはとどまらず、阻むものは打ち払え。いまこそ誓いを思い起こし、奮い立て。進み、戦え。その行く手に恐れるものはなく、揺るぎなき信念に敵は屈し、拓かない道は無い。心よ、強くあれ」

 耳で聴いていた紅子の詠唱が、やがて声ではなく魔力そのものになって体の隅々に入り込んでくるようだった。精神魔法独特の感覚だ。少しでも抵抗感を持つと、十二分に力が発揮されない。精神不安を引き起こす魔法よりも鼓舞の魔法のほうが遥かに難しいのだ。術者とかけられる側に、ある程度の信頼関係が必要になってくる。シオンは種族的なかかりやすさもあるが、紅子を信頼している。彼女の言葉通り、恐れるのものは何もないという気になり、高揚感がわき立ってくる。

 リノは精神魔法に少し抵抗感があったようだが、こちらもちゃんとかかったようだ。ダンジョンから響くアンデッドスクリームにも平然としている。

「ほんとに、小動物がピーピー泣いてるみたい。強い種族の感覚って、こうなんだぁ」

 リノの声もいつもより興奮して弾んでいる。魔法で高揚している所為だろう。

「長時間は持続しないから、中で出来る限りかけ直すね。でも詠唱に時間かかるから戦闘中はかけられないのと、恐怖心が和らぐぶん、無茶し過ぎないように気をつけてね」

 紅子が忠告しながら、短杖をまた折り畳んで仕舞う。シオンは礼を言った。

「ありがとう。魔法、使えて良かったな」

 紅子が小さく頷く。

「うん。照光ライトは杖についている媒介の魔石に魔力を込めてるから、ほとんどコントロールしなくていいし。攻撃魔法は扱える自信がないし、いままでみたいな魔法はいまの私には使えないけど」

「いいよ。戦うのはオレとキキの仕事だ」

「おうっ!」

 キキが威勢の良い声を上げる。

「大声出すな」

「……あい」

紅子が小さく笑った。

「ありがとう。やっぱり二人は頼りになるね。蒼兵衛さんも、みんなもいるし。私はそのサポートが出来るようにがんばる。強い魔法を使わなくたってソーサラーには戦い方があるって、お兄ちゃんに教えてもらったから」

「そっか」

「攻撃魔法は使えなくても、やれるだけのことはやるから」

 そう言う紅子が、いつものように気負い過ぎてはいないかとシオンは心配になったが、顔を上げた彼女に少しも不安げな様子はない。

「だから、私、がんばる。大きな魔法が使えなくても、工夫してがんばるから」

 紅子が胸の前で両拳をぐっと握る。

 向けられた強い目に、シオンは頷いて返した。

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