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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
40/88

過去

「それはお前が、自身の魔道士としてのあり方に向き合っている証だ」

 スランプになった紅子に、草間は特に驚くでも失望するでもなく、そう告げた。

「し、師匠……」

 ここに来る道中、どれほどシオンが慰めようと暗い顔をしていた紅子が、潤んだ目を上げた。

 草間は先週と同じように、ジャージの上下に剃った頭にはタオルを巻き、スリッパを履いてソファに足を組んで座っている。

 片手には教鞭のような細く短い杖を持っていた。

 その向かいで、紅子が縋るような目を向けている。

「わ、私……また、魔法が使えるようになりますか?」

「それはお前次第だ」

「は、はい……」

 草間は特に慰めはしなかったが、やはりソーサラーはソーサラー同士、話を聞いてもらうだけでほっとしたのだろう。紅子もやや落ち着きを取り戻したようだ。

 今日も心配で一緒に来てしまったが、シオンに出来ることは無い。黙ってまぐろと遊んでやることにした。

「光くらいは出せるのなら、スランプというほどでもない。ちょっとしたパニックだな。自身の成長を望む魔道士なら誰でもぶつかる壁だ」

「師匠も……ぶつかったんですか?」

「俺はその壁にぶつかる前に、方向転換をした。自身が憧れていた魔道士ではなく、探索冒険者としての魔道士を目指した」

「冒険者としての……?」

「使う魔法の数を絞っただけだ。具体的に言うと、照光、衝撃、炎熱、凍結、電撃、送風、退魔、治癒、催眠、肉体強化、魔法付与。どの系統もそこそこのレベルにまで引き上げ、極めはしなかった。その必要も無かった。それは、何故だと思う?」

 草間が、手にした細く短い杖で、カン! とテーブルの端を叩いた。

「えーと……あくまで補助に徹するスタイルを取った、ってことですか?」

「自信を持って答えろ。間違いであれば俺が正す」

「は、はい」

「おおむね正解だ。俺の魔力量は並より少しマシくらいだったが、性格が探索型の冒険者に向いていた。パーティーを組めばそれなりの結果は出せるだろうと考えた。それで、そこそこ稼いでとっとと辞めた」

「でも、数を絞っても、それだけの魔法を状況で使い分けてたんですよね。私に、出来るかな……?」

 紅子が不安げに呟くと、草間は短杖で強く机を叩いた。

 カコン! と乾いた音が響き、紅子が肩を竦ませた。

「これは俺の話だ。お前の話ではない」

「は、はい! すみません!」

 紅子が慌てて背筋を正す。

「お前にはお前の目指す道があるはずだ」

「は……はい!」

 そこで草間は、ゴホゴホと咳き込んだ。

「師匠、大丈夫ですか?」

 紅子が心配したように草間を見つめる。

「喘息だ。大事は無い。たまに咳が出るが、いちいち反応しなくていい。話を続けるぞ」

「はい……」

「俺は元々、モンスター討伐を専門にやろうと思っていた。戦局を覆すような強力な攻撃魔法にも憧れた。そういう魔道士になりたいというビジョンを持ち、修行に励んだこともある。しかしそのビジョンが明確であればあるほど、俺の才能では自分が目指す魔道士にはなれないと気づいた。それを受け止め、方向性を変えたまでだ」

 そんな草間の話は、シオンも聞いたことが無かった。聞き耳を立てつつ、邪魔にはならないように部屋の隅でまぐろと遊んでやっていたのだが、彼はいきなり部屋を出て行ったかと思うと、フリスビーを咥え戻って来た。

「……これで遊ぶのか?」

 小声で尋ねると、まぐろは言葉を理解しているかのように、尻尾を激しく振った。

 オレも話を聞きたいんだけどなぁ……とシオンは思いつつ、そばで犬と猫が遊んでいては邪魔だろうと、フリスビーを手に外に出て行った。




 シオンとまぐろが部屋を出て行くのを、紅子は少しだけ心細げに見送り、残された部屋で草間の目をおずおずと見た。

 草間も真っ直ぐに紅子を見ている。

 見た目はぶっきらぼうで、口調は怖いが、押しかけ弟子に真剣に向き合ってくれている。

 冒険者になってから出会った人たちは、みんな優しくて、紅子に親切にしてくれた。

 特に、シオンには頼りきりだ。

 草間を紹介してもらっただけでも充分なのに、今日だって紅子を心配して、一緒について来てくれたのだ。

 彼は優しい。その優しさに自分も応えなければと焦れば焦るほど、魔法が上手く出てこない。体の中に馴染んだ魔力の存在ははっきりと知覚しているのに、どうやってそれを表に出せないいのかが分からなくなった。また失敗して、自分の魔法でシオンを――誰かを傷つけるのは嫌だ。

「ビジョンを持てと、俺はお前に言ったな。どういう魔道士になりたいか、この一週間で考えてみたか?」

「私は……」

「難しく答える必要は無い。思うままでいいし、後で考えが変わってもいい。今のお前が持つビジョンを明確にしろ。俺もそれが知りたい」

 紅子はかすかに頷いたが、それきり黙りこくってしまった。


 魔道士になりたいと思ったことは、ただの一度も無い。

 ダンジョンもモンスターも怖いし、戦うのも怖い。自分の手でモンスターを殺すことは未だに慣れないし、モンスターによって仲間が傷つけられるのも嫌だ。

 冒険者になるのが怖かった。だが、シオンと再会し、仕事を少しずつこなせるようになって、キキや蒼兵衛という仲間も出来た。冒険者が好きになってきた。

 そうすると、自分の目的をそっちのけで、ずっとこうして冒険をしていたいなぁ、と思うようになった。

 家族のことも魔石のことも忘れて、彼と一緒にいられる。そんなことばかり考えている。

 魔石のことはいいから、普通の冒険者になれと透哉が言うのも、多分紅子のそんな気持ちを見抜いているからだ。

 真剣さが足りないから、魔法が使えなくなったんだ。

 

「紅子。取り繕わなくていい」

 俯いて、言葉を探している紅子に、草間はその心を見抜くように告げた。

「俺はまだお前に肩入れをしていない。お前の事情を知っても同情はせんし、本心に触れても軽蔑もしない」

 草間の話し方は淡々としていて、優しさは感じられなかった。だが、紅子の言葉を、いつまでも辛抱強く待ってくれる。そんな気がした。

「……師匠は、お兄ちゃんと正反対です」

「兄?」

 こくりと、紅子が頷いた。

「私には、死んだお兄ちゃんがいて……でも、そのお兄ちゃんのことじゃないです。従兄のお兄ちゃん……透哉お兄ちゃん。毎日仕事で疲れてるのに、今日もここまで車で送ってくれたんです。昔から、本当のお兄ちゃんより優しかった。意地悪なお兄ちゃんよりも、透哉お兄ちゃんのほうが、こっこの本当のお兄ちゃんなんだって、ずっと思ってた……」

 紅子は目を伏せ、小さく笑った。

「でも、お兄ちゃんは、優しいけれど、本当は私には何も教えてくれないんです。にこにこ笑って、傍に居てくれて、時々厳しいことも言うけど、それはいつも正しいことで……昔からそうでした。優しさで、私を本当のことから遠ざけてるみたい。兄妹のように仲良しでも、お兄ちゃんの本当の気持ち、私は知らない……」

「浅羽の魔道士か。一週間の間に、俺も少し調べた。お前の一族が、どんな一族なのか」

 短い杖を手の中で弄びながら、草間が言った。

「その歴史の中で有力な魔道士を数名輩出した、本家を中心に幾つかの分家があったが、いずれも魔道士としての能力は衰えていった。今では忘れられた、かつての名家の一つというところか」

「はい。昔は、もっとたくさんの魔道士がいて、偉い人に仕えた人もいたみたいだけど……力の強い魔道士は、みんな短命だったって。もう、本家しか残っていません」

「血統を重んじる魔道士の家にありがちな末路だ。無茶な近親交配に手を出し、多くの伝統ある血が失われていった」

「そんなの全部、昔の話だって、お兄ちゃんは言っていました。でも、昔の話だったら、どうして私の家族は死んだり、心を壊したりしちゃうんだろう……」

 紅子は顔を伏せた。

「……私だって、本当はおかしいんです。きっとたくさん、大事なことを忘れてる……」


 本当は、強い魔法使いになりたいわけじゃない。

 自分の母がそうだったように、普通の女性らしい生活を送りたい。将来のビジョンというものが、思い描く未来のことであるのなら、心から誰かを好きになって、その人も自分を好きになってくれて、結婚して、子供を作って、幸せな家庭を作るという、平凡な夢が紅子が一番叶えたい夢だ。

 でも、それは、いつから抱いた夢だっただろう?

 覚えていない。だって、昔の記憶は曖昧だ。


 草間は突然立ち上がったかと思うと、香を焚いた。

 甘い草を焼くような匂いが部屋に立ち込め、彼は全てのカーテンを引いた。

「師匠?」

「興奮しているようだからな。こうすると、気分が落ち着く」

「はい……」

 薄暗い部屋で、紅子は素直に頷いた。

 魔道士にしてはすれていない。こうして部屋を暗くし、リラックス効果のある香を焚けば、たしかに心は安らぐ。だが、こういう状況に置かれることに、魔道士なら抵抗感を覚えるのが普通だ。精神魔法をかけられやすい状況であり、自身も術者であるゆえに、それを見抜いてしまうからだ。

 いや、もしくは。草間はふと思った。紅子本人も、自分を深く知りたいと思っている。

「まぐろはしつこいから、シオンもしばらくは戻って来ないだろう。ここには、俺とお前しかいない。この部屋で聞いたことを、俺は誰にも語らないから、安心して話せ」

 再びソファに腰かけ、草間は紅子を見た。

 ごく普通の少女だ。

 どんな強力な魔道士も、そんなものだ。戦争中、華奢な子供が何十人もの人間を同時に焼き殺した。虫も殺さないような顔をして、残酷な魔法実験をしていた者もいる。

「お前さえ良ければ、お前の話を聞かせてほしい。嫌なことは話さなくていいし、俺も質問はするかもしれんが、無理に答えなくていい」

 紅子は頷き、話し始めた。




 紅子はゆっくりと、自身の記憶を確かめるように、草間の自分とその家族の話をした。

 とうの昔に死んだ母親。魔石を探し求めたすえに命を落とした父親。目の前で死んだ兄。

「……魔法は、子供のときから使えました。でも、茜お兄ちゃん……本当のお兄ちゃんです。お兄ちゃんは、私が魔法を使うのを嫌がった。下手くそだって、才能が無いって、何回も言うから、私はお兄ちゃんが嫌いになって、魔法も嫌いになった」

「兄は、お前の能力を否定した」

 草間の言葉に、紅子が頷く。

「では、父は?」

「お父さんは……よく覚えてないけど、たぶん、喜んでくれてたと思います。でも私は、魔法が使えることを喜んでほしいわけじゃなかった。ただ、一緒に居てほしかった。ダンジョンも魔石もどうでもいいから、私と遊んでほしかった。お父さんが居なくて、寂しかった」

 子供の頃の曖昧な記憶を手繰り寄せながら、紅子は父の顔を思い出そうとした。けれど、思い出せない。

「……私に魔法を使わせないお兄ちゃんと、私が魔法を使うとすごく喜ぶお父さん。私は、どっちも嫌だった。けど、叔父さんと叔母さん、それに透哉お兄ちゃんがいつも居てくれた……大事な……大事な人たち……」

 でも、壊れてしまった。叔母さんは体調を崩しがちになり、起きているときはいつも苛々している。叔父さんは家に帰らず仕事場にこもり、たまに帰って来ても酷く疲れている。

 どんなに明るく振舞っていても、薄暗い感情が芽生える。その本心を、紅子は唇から漏らした。

「……こんなことになったのは、お父さんとお兄ちゃんのせい……」

 紅子が顔を上げる。その目は暗く濁りかけ、また輝きを取り戻し、また濁る。黒い瞳が、だんだんと淡く輝く。瞳孔が不自然に開き、紅い光を灯し始めた。

「人間は……魔道士は、勝手……自分たちの手で魔石をバラバラにして、隠しておいて、また探す……だから、二人は死んじゃったんだ」

 一種の催眠トランス状態に入っている。本心をぶちまけたいが、正気のままでは口に出来ない。自分を守るための、自己暗示だ。

「……お兄ちゃんが死ぬとき、私はお兄ちゃんを助けられなかった。きっと、心から助けたいって、思わなかったからだ……。嫌いだったから、がんばって治癒できなかったんだ……。でも、私のせいじゃないよ……こっこを置いて、魔石ばっかり探してた二人が悪いんだもん……」

 紅子がぶつぶつと呟き続けているのを、草間は黙って見守り、話したいだけ話をさせた。

「でも……そんなこと、小野原くんには言えない……言いたくない……私は、自分が嫌いな人なら、見殺しにしちゃうんだって、小野原くんやみんなに思われたくないよ……」

 自己暗示は、能力だけは高く、精神の未熟な魔道士が陥ることがある。精神の不調、記憶の欠落、自己認識の欠如を引き起こす。

 彼女の場合は、非常に根深いものがあるようだ。それは彼女の生い立ちや、経験に基づくものだろう。そして、彼女自身の魔力の強さ、思い込みの深さもある。

 この娘は散漫なタイプではない。逆に、集中力があり過ぎるのだと、草間は分析した。それゆえに自分を暗示にかけやすい。女性魔道士によく見られるケースだ。

 男性魔道士の場合、魔力という特別な能力を持つことで、高い自尊心が芽生え、それは良い意味でも悪い意味でもポジティブな思い込みを生み、従来以上の力を発揮することもままある。自己認識が低いと、ただ傲慢になってしまうが。

 これが人間の女性になると、元々の気質が戦闘に向かないため、大きな力がそのままプレッシャーとなってしまい、ネガティブに陥ることが少なくない。

 感情で魔力を爆発させるタイプは、思考して魔法を使うタイプよりも、潜在的には大きなポテンシャルを秘めている。

 自身の壁を打ち破れれば、紅子も強い魔道士になれる可能性がある。

「私……私……また……誰かのことを助けられなかったら、どうしよう……私、その人を、助けたくないってことなのかな……力があるのに……助けないのは、私のせいなのかな……」

 紅子は両手で顔を覆い、指の間から覗いた目から、涙が一筋、零れ落ちた。

「……お兄ちゃんを殺したのは、私……だから、私は……お兄ちゃんの出来なかったことを、する……だって、お兄ちゃんが見てるもの……自分の代わりに、ちゃんとやれって、こっこのことをいつも見てる……」

 大きく嗚咽を漏らし、泣きじゃくり始める。

 これ以上の告白は限界だろう。

 草間はテーブルの上に短い杖を置き、立ち上がる。紅子の傍らで、その肩に優しく手を置いた。

「お前は、罪を犯したわけではない。魔法とて万能では無い。救えなかったことを罪悪とするのなら、一切の罪を犯していない者は赤子だけだ。この世界では誰もが誰かの命を見捨てている」

 涙を流す紅子の呼吸がだんだんと乱れ、喉が震える。嗚咽が漏れ出し、震える肩や背中を、草間はゆっくりと撫でた。

「赤子……赤ちゃん……?」

 赤く染まった瞳が揺れる。彼女を知る対話の中で、草間は思いがけず、その深層に眠るキーワードに触れたようだった。

 終えるつもりだった対話を引き伸ばすか、少し悩んだが、紅子は自分から話し始めた。

「……こっこ、しってる……」

 ぽつりと呟き、紅子が顔を上げる。長い黒髪が汗の掻いた首筋に貼り付いていた。

「……あれ、ころさなきゃ……」

 草間の背筋にも、冷たい汗が流れた。紅子から、明確な殺意を感じたからだ。それが自分に向けられていなかったから、声を上げずにいられた。そうほっとしたとき、草間はかえって底知れない不気味さを感じた。俺は、モンスター相手にも声なんて上げたことは無い。それほどの恐怖を一瞬、この少女に感じたのだろうか。それほどの殺意を、この娘はどうして持っている? 殺す? 何を? 赤ん坊を? 

 草間は少し迷ってから、前にシオンが尋ねた言葉を、口にした。口にした瞬間、何かのスイッチを押してしまうかもしれない。そのとき、自分は死ぬかもしれないと、はっきり感じながら。

「それは、〈ドール〉?」

 恐れていたような事態は起きず、紅子はただ静かに、涙に濡れた目を、遠い過去に向けるように、ぼんやりと揺らし、頷いた。

「……うん……それが、おにいちゃんを、ころしたから……。わたしの、おにいちゃんを……」

 そう言って涙を流す紅子の、瞳に宿った怪しい光は失せ、普通のか弱い少女に戻っていた。

「……おにいちゃん……」

「そうか……すまなかった」

 草間はそれ以上の言葉を遮るように、紅子の頭を撫でた。

「辛い話をさせた。疲れただろう。少し休め」

 穏やかな声で、草間は紅子に囁いた。しかし、紅子は首を振って反発した。

「……目を閉じたら、お兄ちゃんの夢を見るの。お兄ちゃんの夢、見たくない……」

 彼女は死んだ兄を恐れながら、深く愛している。そこに矛盾を感じたが、草間はこれ以上の追及を避けた。優しく告げる。

「どうしたら、眠れる? 何か温かいものでも飲むか?」

「……疲れてたら大丈夫……学校行って、バイトして、冒険して、毎日くたくたになっちゃえば、夢は見ないから……」

「そうか。今も、疲れているだろう? 大丈夫だよ、怖い夢は見ない。紅子、痛みに耐えることは無い。立ち上がることも無い。傷ついた身も心も横たえ、安らぐといい」

 詠唱を織り交ぜ、草間は紅子に語りかけた。精神が不安定な、家族愛に飢えた娘。その父親役を演じることで、彼女は素直に沈静の魔法を受け入れるだろう。魔道士相手の精神魔法は、さほど効果が無い。無意識にでも抵抗レジストするからだ。これは不安がる子供を寝つかせる、おまじない程度の暗示だ。

 実際の父親がどうかは知らない。だが、彼女のような娘が思い描く家族像は、分かりやすいほど、ただ温かく、優しいものだ。その理想の父になり、草間は紅子を慰めた。

「紅子。傍にいるから、少し眠りなさい」

「……おとう、さん……?」

 紅子はぼんやりした目を、宙に向けた。安堵したように、うっすらと瞼を閉じていく。そして、他愛の無い悩み事を打ち明けるように、言った。

「……冒険した日はね、小野原くんの夢ばっかり見るんだ。だから、もっと一緒にいたいけど……小野原くんは、私のこと、見てない……。だって、誰にでも優しいんだもん……こっこじゃなくても、いいの……」

 小さな子供がわがままを言うように、紅子は拗ねた口調で言う。

「……どうしたら、いいのかなぁ?」

「そ、それは分からん……」

 子供を持ったことの無い独身なのに、いきなり娘の恋の悩みを聞かされてしまい、困ったように草間は答えた。




 シオンが家の中に戻って来ると、紅子はソファに横たわり、ぐうぐうと寝息を立てていた。

 涙の痕は草間によって綺麗に拭われ、体には掛け布をかけてもらっている。

「……あれ? 浅羽、寝てるのか?」

 尻尾を狙って足にまとわりつくまぐろを追い払いながら、フリスビーを手にしたシオンが、寝ている紅子の顔を覗き込む。

「浅羽って、よく寝るなぁ……」

 ダンジョンに行った帰りも、大抵寝ているし、魔法を使うのはそれほど疲れるのだろうとは思うが。きっと今も、草間と一緒に修行をしていたのだろう。

 向かいで、草間が足を組み、シオンをじっと見ていた。その視線に気づき、シオンも草間を見やった。

 やがて、ため息交じりに言った。

「お前……無責任なことはするなよ」

「え? 何が?」

「その気が無いなら、思わせぶりな態度や、気を持たせる行為は控えろ。女魔道士ソーサレスというのは、大体思い込みが激しいんだ。情念の強い奴が多いしな……怖いぞ」

「な……何の話?」

「みなまで言わん。こういうことは自分で気づけ」

「へ……?」

 心底分かっていないように、耳と尻尾を動かしながら、シオンは首を傾げた。




 草間に尋ねられ、シオンは紅子が探し求める魔石の話をした。

「紅子からの話と、あまり違いは無いな」

 草間は足と腕を組んだまま、ふむと頷いた。

「失われた魔石の伝承。古い魔道士の家系によくある話だ。没落した一族が、あやふやな伝承に縋り、再興を目指すというのも、まあ珍しくはない」

 顎に手を当て、寝息を立てて眠っている紅子を見やる。

「人間の場合、魔力は遺伝的な部分に大きく左右される。つまり、代々魔道士の家系であることが多い。この娘の家も、調べれば少しばかりの情報が得られる程度には、その血を長く守ってきたのだ。ましてや近親に浅羽光悦という力を持った魔道士がありながら、この娘を魔道士として養育しなかった理由は、父と兄の死が関係しているというわけか」

 外に出て汚れたまぐろの毛並みを撫でながら、シオンは尋ねた。

「浅羽のおじいさんって、そんなに凄かったのか?」

「功績はあまり残っていないが、非常に優れた魔道士であったと言う者もいる。あまり記録の無い人物だ。そもそも術士の情報はあまり残らんのだ。歴史に残るのはあくまで魔道研究に貢献した研究者だからな」

 草間は足を組み替え、短杖でシオンを差した。

「復唱しろ。浅羽家の魔石の言い伝えだ」

「えーと、ご先祖が殿様だか王様だかに仕えてて、勝手に持ち出してバラバラに割って隠したっていう、浅羽んちに伝わるお伽話に出てくる石」

「……いまどき、遊園地のアトラクションでもそんな設定の甘い宝探しゲームは無いぞ。お前、よくそれで一緒に探す気になったな」

「や、別に魔石はどうでもいいんだ。正直なところ。ただ、浅羽がそうしたいっていうなら、付き合おうと思って。こいつ、危なっかしいし。それに、オレもちょうど、色んなダンジョン行ってみたかったし」

 尻尾にじゃれてくるまぐろに好きにさせながら、シオンは答えた。草間は納得したように言った。

「桜か」

「……うん」

「お前も、諦めきれないか」

「多分。……諦めてるつもりだったんだ。なんとか仕事して、時間が経って、少しは立ち直ってきたつもりだったけど、違った。サクラが死んで、悲しくて、辛かっただけのときより、今のほうがもっと、サクラに会いたい」

 正直な気持ちを草間に話しながら、シオンは微笑んだ。

「父さんとか、サクラの仲間とか……今でもサクラのこと忘れずに、探してる人たちがいてさ、それが分かって……オレもさ、いっそ吹っ切れるまで、サクラのこと追いかけようって思ったんだ。立ち直らねーとってばかり思ってたけど、別にいいのかなって。オレはサクラのこと、まだ全然忘れられないし、諦められない。アイツが死ぬわけない。墓参りとかしといて、おかしいけど。オレも父さんも」

 笑うシオンに、草間は真面目な顔で返した。

「お前の父が言っていた。桜が生きているという可能性はゼロに近いかもしれないが、ゼロに近いということは、まったくゼロでは無いと。だがそれを、お前にまで背負わせたくないと」

「うん。父さんの気持ちも分かったよ。オレももう、サクラのことにばかり拘ってるわけじゃない。今は仲間も出来たし、仕事も楽しくなってきてる。その上で、サクラのことも諦められない。だから、浅羽と一緒に魔石を探すのは、オレにとっても都合がいいんだ。もしサクラが生きてたとして、家に戻れない事情があったとしても、アイツは絶対どこかで戦ってるだろうから」

「そうか」

 草間は頷き、しばらく考えるそぶりをした後、口を開いた。

「ダンジョン……それに、バラバラになった魔石か。名はあるのか?」

「六柱石って言ってたけど」

「それもありふれた名だ。ネットで検索してみろ。どこぞに伝わる六柱石だの八柱石だの、ゴロゴロ出てくるぞ。嘘くさい伝説付きでな」

「ああ、うん。それはオレも少し調べたけど、ほんとにお伽話なんだなって思った。浅羽家の話と似たような話、いっぱいあったし」

 とシオンは苦笑した。だが、草間はあくまで真顔だった。

「しかし、木を隠すなら森の中ということもある。嘘くさいお伽話だからこそ、そこに真実が紛れ込んでいたとしても、真に受ける者は少ない。そうして伝承してきたとも考えられるがな」

 紅子から感じた強い殺意のことは、草間はシオンに伏せた。

 彼女は他人に触れてほしくない闇を、心の奥底に押し隠している。それを多分一番知られたくないのは、シオンにだろう。

「浅羽家は歴史のある一族かもしれんが、名門というほどでもない。現代では没落していると言っていい。だが、歴史に触られたくない何かを隠して伝えるために、あえてそうしたという考え方も出来る」

「それが、魔石?」

「分からん。別の何かかもしれん。ただ言えることは、この娘は強い力を持っているだろうということは、私にも分かった」

 だが、それをすぐに解放することは危険だ。

 紅子の能力と未熟な精神を危惧する草間とは裏腹に、シオンが嬉しげに尋ねる。

「じゃあ、浅羽を正式に弟子にしてくれるのか?」

「逆に、私でいいのか? と言いたいが……まあ、その辺りは今度、私のほうからこの娘の家族に会って話そう」

「浅羽の家族と? 草間さんが?」

「弟子を取るのだから、そのぐらいは当然だろう」

 大丈夫かな、とシオンは少し不安に思った。草間はぱっと見で、けっこう威圧感があるタイプだ。

「今日、浅羽のイトコの兄さんが迎えに来てくれてるけど」

「いや、今日はもういい。紅子も疲れているし、私も疲れた。約束ではあと一回、仮弟子期間があったな。今度は魔力を見せてもらおう」

「そっか……」

 話をしただけなのに、草間はずいぶんと疲れた様子だ。草間は痩せた顔を上げ、鋭い目つきをシオンに向けた。

「シオン、お前は素直で、はっきり言って頭はあまり良くない」

「え……う、うん……」

「少しは疑うことも覚えたか? 新人の頃に手酷い目に遭ってから」

「う……多分」

 シオンの耳が下がっていく。

「ありふれた魔石の伝説。珍しくもない魔道士の一族。そのまま受け取れば、ただそれだけの真実でしかない。それを、あえて疑ってみろ。探求するとはそういうことだ」

「うん……分かった」

「一つ言っておくと、この娘の心の奥底には、冒険者やダンジョン、それに魔石というものを忌避する気持ちがある。それが家族の為や、魔道士一族としての義務感で突き動かされている」

「うん……それは、何となく分かる」

 それから、好きな少年と一緒に居たいという恋心もあるが、それは口にしなかった。せっかく才能があるのなら、恋をする前に詠唱の一つでも覚えろと言いたいところだが、誰しもが熱心に魔道を極めるわけではない。この娘も、魔道士である前にただの少女なのだろう。

「だが、過去に捉われているばかりではない。お前たちと一緒に、冒険者として成長していきたいという気持ちも、たしかにある」

「うん」

「焦ることは無い。俺も師匠として、じっくり向き合ってみるつもりだ」

 そんな草間を、シオンはやや意外そうに見つめた。

「草間さん……」

「何だ」

「いや、けっこう浅羽のこと、気にかけてくれてるんだなって」

 草間はそれには答えず、小さく咳払いをした。あまり言うなという意味だろうと、シオンはそれ以上は言わず、内心で彼に感謝した。

 桜が死んだ後、弱っていた自分と父を見かねて、シオンを引き取ってくれたのも、処分寸前だったまぐろと、アレルギー持ちなのに一緒に暮らしているのも、結局は人が良いからだ。

 見せかけではない優しさは、きっと紅子にも伝わっている。ああ見えて、人の気持ちに敏感なところがある彼女は、草間の本質も見抜いているはずだ。信頼出来る人間のもとで、再び魔法が使えるようになるだろう。




 帰りの車の中、紅子はいやにすっきりした顔をしていた。

 話した内容は、眠ったら忘れてしまったという。催眠療法のようなものを試したと、草間は言っていた。

 先週、キキと蒼兵衛がセンターに行ったときのことを、シオンは話した。

「そっかぁ……蒼兵衛さん、シリンさんと会ったんだね。シリンさん、また新宿センターに来るって言ってたし」

「センターがバレてんだから、そりゃいつか見つかるよな」

「セイヤさんは来てなかったんだ?」

「みたいだな。シリンさん一人で講演会に来てたらしいけど」

 キキから聞いた話を思い出しながら、シオンは言った。

「ああいうの、行く人いるんだな」

「講演会? たまにちょっと気になるやつあるよ。私も平日の昼間じゃなかったら行きたかったんだけど、前にやってた『レベル1から三年で年収一千万になった冒険者が教える、一攫千金のコツ』っていうのに、すごく興味が……」

「何それ、胡散臭い」

 それまで黙って運転をしていた透哉が、鼻で笑った。

 ああ、とシオンは思い当たって言った。

「その人、知ってる。冒険者時代に書いた本が売れたんだよ。冒険者の仕事で稼いだっていうのとはちょっと違う気もする。すごいとは思うけど」

「小野原くん、知ってる人?」

「本人は知らないけど、元々新宿センターの人で、しょっちゅう講演会してるから有名だな」

「そうなんだぁ。小野原くん、その人の本読んだことある?」

「オレは本は読まないけど、でも父さんが昔、そういう仕事してたな」

「えっ、小野原くんのお父さん、作家さんだったの? すごい」

「どうなんだろ。知り合いのコネでコラム書いてただけだから」

「ペンネームとかあるの?」

 透哉が尋ねる。

「あったかなぁ……」

「知らないの?」

 首を傾げるシオンに、紅子が驚いた顔で振り返った。

「そういや、一回も読んだことないな」

「えー、どうして? 興味無い?」

「別に……。うちの父さんって、お喋りだからな……変なこと書いてたら恥ずかしいと思ってた」

「一回読んでみたら? おうちにあるんじゃない?」

「……うーん……いいや……」

 調子の良い父親のことだ。絶対にろくなことは書いていないだろう。

 この話題を続けたくないシオンの気持ちを読んだように、紅子が話題を戻した。

「でも、キキちゃんと蒼兵衛さん、なんで二人でセンターに行ったのかな?」

「さあ……。あの二人のことだから、どうせろくなことしようとしてなかったんだろうけど」

 言いながら、シオンは顔をしかめた。ワガママなキキと、マイペースな蒼兵衛。一人だけでも何をするか分からないのに、二人を抑えられるだろうか。

「キキは子供だけど、蒼兵衛も蒼兵衛だろ。キキがバカなことしてたら止めてくれればいいのに。一緒になってやってるんだもんな……」

 ため息を吐きながら、思わず愚痴を零した。

「でもその子も、十八、九くらいだろ? 僕にしてみれば子供だけどね」

 透哉が口を挟んだ。

「ずっと仲の良かった幼馴染と決別したんだよね。それは辛いよ。それでも小野原くんのパーティーに入ったことは、前向きな気持ちの表われだよ。彼なりに立ち直ろうとはしてるんじゃないかな」

「そうなのかな……」

「小野原くんは、どんなことからも逃げない子だよね。今まで、辛いことがあっても、自分でなんとか向き合って処理しようとしてきたんだろう?」

「そんなことないけど……」

 真正面から褒められると気恥ずかしい。シオンは落ち着き無く耳を動かし、目を伏せた。

「君が思っているより、人には駄目なところが多いよ。僕も君くらいのときは、もっと自分勝手だったしね」

「そうだっけ?」

 紅子がきょとんとした顔で言う。

「そりゃ、小さかったお前から見れば、大人びてたかもしれないけど。でも、そうだね、小野原くんはしっかりしてるけど、もう一人くらい経験を積んだ大人がパーティーに居れば、心強いね」

「そうだな……難しいけど、ソーサラーがもう一人いれば、仕事の幅が広がるんだけど」

 ソーサラーはどこのパーティーでも一人いればいいほうだ。贅沢だと分かっていても、欲は限り無く出てしまう。

「……ごめんね。私が、もっと頼りになれば……」

 紅子が肩を落とす。焦らせるつもりはなかったので、シオンは慌ててフォローした。

「浅羽には助けられてるよ。ソーサラーが一人いるだけで本当に違うんだ。ただ、今行っているようなダンジョンより、もう少しレベルが上のダンジョンに行くとなると、アンデッド対策はしないとな」

退魔エクスターミネートはこっこの苦手な魔法だね。あれの魔弾は高いんだよねえ。物理攻撃が通用しない敵というのは、厄介だね」

「蒼兵衛は斬れないことも無いって言ってたけど……あの人ってルーンファイターなのに魔法全然なんだよな。詠唱するのに、一回動きを止めて集中しないと発動させられないって言ってたし……。でも、混戦になったらそんな詠唱してるヒマないんじゃないかな」

「まあ、魔法ばっかりは才能だからね。エンチャントは難しいし、対象に触れていないといけないからね、他人がかけてもすぐ効果が薄れるし」

 シオンは自分の手を見つめ、小さく息をついた。

「オレに魔力があったらな……。ゴースト相手じゃオレが一番役に立たないから」

 努力して手に入れられるのものなら、辛い修行でも喜んでやる。けれど、こればかりはどうしようもない。

「仕方ないよ。やっぱり、こっこが頑張らないとね。ゴースト苦手だろうけど」

「う、うん……頑張る……」

「浅羽、ゴースト苦手なのか……」

「す、少し」

 少し、という顔の強張り方ではない。これは、本当にアンデッド対策が必要かもしれない。

「まあ、ゴースト対策は考えておくよ。どっちみち全員のレベルを上げなきゃ、入れるダンジョンの数も限られるんだ。まずはオレがレベル15を目指さないとな」

 蒼兵衛がレベルダウンをしていなければ、と悔やまれる。あの腕ならレベル15以上の仕事も、協会のほうから振ってくるだろう。

 レベルの高い、退魔を得意とするソーサラーかルーンファイター、もしくはシャーマンが仲間になってくれればいっぺんに解決する問題だが、もちろんそんな夢みたいなことは考えていない。今いるメンバーで何とかするか、助っ人を雇うかだ。

「ゴーストが怖くなくなるコツとか、講習してくれないかな……」

「それはもう、慣れしか無いだろうね」

 紅子の呟きに、透哉が冷静に返す。

「ホラー映画でも借りて帰る?」

「え……い、いいよ……。あ、そ、そうだ。シリンさんは、何の講演会に来てたのかな?」

「下手な話の逸らし方だな」

「何だったかな。たしか、シングルマザー冒険者がどうとか……」

「え? なんで?」

 紅子がきょとんとした目を向ける。

「さあ。興味あったんじゃないか」

「変じゃない? 結婚して子供も出来て、一番幸せなときに、なんでシングルマザーの講座行くの?」

「……勉強のため?」

「勉強や、講演会に行くこと自体が好きだとか、講師のファンということは考えられるけど、不自然だね」

 透哉も言った。そう言われてみれば、たしかにそうだ。

「妊娠中は楽しい気持ちになるばかりでもないし、何か思いつめてることがあるのかもしれないね」

「そうか……たしかに気になるな。でも、今の蒼兵衛にシリンさんのことを話すのは可哀相だし」

「私、シリンさんの連絡先聞いてるよ? 電話してみようか?」

「よしなよ。昨日今日知り合った女の子に、悩みなんて話すわけないだろ。デリケートなことかもしれないし、こっこがでしゃばることじゃないよ」

「うーん。そっかぁ」

 シオンは少し考え、言った。

「……オレが、セイヤさんに会ってみるよ。蒼兵衛やシリンさんに訊かなくても、地元まで行けば多分見つけられると思う」

「大体の地元が分かってれば、同じワーキャットに訊くと早いかもしれないね。亜人のコミュニティはけっこう狭いしね」

「でも、大丈夫? あっちのほうってガラの悪いワーキャットがいっぱいいるんでしょ? 絡まれたりしないかな……」

 本気で心配している紅子に、シオンは軽く笑って答えた。

「大丈夫だって。絡んでくるって言っても、ワーキャットだろ。リザードマンやミノタウロスに絡まれたら怖いけどさ」






 翌日、シオンは埼玉に赴いた。蒼兵衛の地元は、彼との会話の中で簡単に聞きだせた。

 賑やかな場所からは離れ、田んぼも畑もある、かと言って田舎というほどでもない町だった。

 降りた駅の傍には古い商店街があり、何十年もそこにありそうな店が並んでいる中に、比較的新しいコンビニエンスストアがあり、その前に大勢の若者が我が物顔でたむろっていた。

 蒼兵衛はよく若いワーキャットのことを小馬鹿にしている。「弱いくせに大勢でつるんだときだけ大きな顔をする」とよく言っているが、こういう様子を見ていると、否定は出来ない。もちろん全員がそうではないが。

 こういう連中は、大勢でいるときだけ笑い声がやたらと大きい。シオンは騒いでいる若者たちに近づき、彼らに声をかけた。

「なあ、ちょっと聞きたいんだけど」

 彼らは話すのを止め、顔をしかめてシオンを見た。

「人を探してるんだ。セイヤさんっていうワーキャットなんだけど」

 五、六人の男女は、シオンと同じライトミックスで、顔も体つきも幼かった。同じ歳くらいか、中学生かもしれない。

「セイヤ?」

 そのうちの一人がそう言い、ふかしていた煙草を足許に捨てた。

 あんな臭いもの、よく吸えるなぁ、とシオンは変に感心した。ワーキャットのくせに鼻が悪いのだろうか。

 無邪気に騒いでいた若者たちは、突然縄張りにやってきた見知らぬワーキャットに対し、敵愾心を隠そうともせず、険しい目を向けた。

 シオンは警戒心を与えないよう、笑みを浮かべながら尋ねた。

「仕事で知り合って、近くまで来たから訪ねたんだ。このへんじゃちょっと有名な人みたいなんだけど、知らないか?」

 もっともらしい理由を付けた。

 煙草を捨てた少年が、すれた目つきでシオンを見やり、答えた。

「セイヤって名前のは何人かいる。一番有名なのは、〈斬牙ざんが〉のボスだった三崎誠也だ」

「え? 雑貨屋?」

「雑貨屋じゃねえ。〈斬牙〉ってチームだよ」

「チーム……ああ……」

 思わず吹き出してしまった。蒼兵衛は昔のことをあまり語りたがらないが、いわゆる若気の至りというか、やんちゃな青春時代を過ごしていたわけだ。

 ついウケてしまったシオンの肩を、少年がドンと押した。

「なにニヤついてんだ。ぶっ殺すぞ」

「ああ、悪い」

 凄んでくる少年に、シオンは軽く返した。それが気に食わない様子で、いきなりTシャツの胸倉を掴んできた。

「ヨソモンが、調子こいてっとぶっ殺すぞ。セイヤの仲間かよ?」

「アンタらは違うのか?」

「はぁ? 斬牙みてーなフヌけた連中と一緒にすんなよ。ぶっ殺すぞ」

 短い会話の中で、三回もぶっ殺されかけてしまった。どうやら訊き方を間違えたらしい。これ以上、気の短い少年と話していても、何も教えてくれなさそうだ。

「テメーどこのモンだよ。一人でケンカ売りに来たのか?」

「そういうわけじゃなかったんだけど、気に障ったなら謝るよ」

「それが謝ってる態度かよ」

 胸倉を掴む手は、シオンより華奢だった。シオンの鼻先に、同じような金がかった髪がちらついた。毛並みは酷く悪く、根元に濃い茶色が混ざってまだらになっていた。何度も脱色した所為で傷んでいるのだろう。

「やべー、ジュンヤくんキレてるじゃん」

「土下座しろや、土下座」

 別の少年たちが笑いながら煽っている。少女までが土下座をしろとはやしたてている。キキでもここまで口は悪くない。噛みついてはくるが。

「へえ。土下座しろなんて、ホントに言うんだな」

 シオンがしみじみと呟くと、ジュンヤと呼ばれた少年は、右手でしっかりとシオンの胸倉を掴んだまま、左の拳を脇腹に突き差そうとした。

 それより早く、シオンは小さく体を動かすだけで避けた。

「うわっ」

 驚いたジュンヤが、急に少年らしい幼い声を上げる。

 何かを言う前に黙って殴ってくるあたり、けっこうケンカ慣れしてるな、と思いながら、シオンの脇腹を捉え損ねたジュンヤの左手を掴んだ。けれど、体重が軽いくせに自分から掴みかかるのは愚かだ。腕を引っ張ると、体重の軽い少年はバランスを崩し、前につんのめった。その足をシオンはすかさず払い、ジュンヤは顔からアスファルトに突っ込んだ。

「あちっ!」

 そこには自分で捨てた、まだ火のついた煙草があった。

「ゴミはちゃんと捨てとけよ。話、ありがとな」

 慌てて顔を上げたジュンヤと、呆気にとられている仲間たちにそう告げ、絡まれては面倒なので、さっさと走って逃げた。

 それにしても、子供の頃はもっと自分以外にもワーキャットがいればいいのに、と思ったものだが、いなくて良かったかもしれない、と今になって思った。

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