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迷宮のドールズ  作者: オグリ
一章
4/88

冒険者志願の少女

 故郷がどこかと言われれば、生まれた場所の記憶は無い。


 シオンが生まれたのは、関東のどこかにあるダンジョンだという。

 どのダンジョンなのかまで父は言わなかったし、シオンも知りたいとは思わなかった。これからも思わないだろう。


 シオンはダンジョンで、魔物の子として生まれた。

 自分が魔物だったときのことを、シオンは知らない。

 赤ん坊のとき、冒険者のパーティーに連れ出されたのだ。


 地上で人とともに生きれば《亜人》と呼ばれ、迷宮に巣食う魔物に墜ちれば《魔獣》となる。

 同じものなのに、生きる場所とその生き方が違うというだけで、彼らはただ生きる権利を失うのだ。

 人間が支配するこの世界ではそれが道理と、多くの亜人たちは受け止めている。

 そうして人の世界で生きる亜人は、ダンジョンで人を喰らって生きる同族を《獣墜ち》と呼び、蔑んでいる。同じ種族であっても、同族とは見なしていない。


 シオンの本当の親は、魔獣に墜ちたワーキャットだった。ダンジョンにやって来た冒険者を襲い、喰らう。そんな《獣墜ち》の群れの中で、シオンは生み落とされたようだ。

 そしてとうとう、群れは冒険者に討伐された。

 討伐隊としてやってきたパーティーの中に、シオンを育てた父がいた。

 小野原竜胆おのはらりんどうというのが、父の名だ。


 赤ん坊とはいえ、《獣墜ち》のワーキャットを助けようと、全員が思ったわけではないだろう。

 親と一緒に殺してしまおうという選択肢もあったはずだ。

 だが、シオンは殺されなかった。その辺りの経緯を、父はほとんど語らなかった。それきり冒険者を辞め、シオンを自分の子として引き取り、育て始めた。


 シオンはそうした自分の生い立ちを、物心ついたときには父に教えられていた。

 父も姉も人間なのに、どうして自分だけが亜人なのか、シオンが初めて疑問に持ち、父に尋ねたとき、すべて教えてくれたのだ。

 父の話が本当なら、シオンの両親は人間に殺され、その人間の中に父が居たということだ。

 そして実の両親は、人間を殺して喰っていたモンスターだった。

 幼いシオンは、ひどくショックを受けたような気もするし、まだ深く理解できなかったような気もする。

 あまり憶えがないほど、その後の長い時間を、父と姉に愛してもらった。

 それだけで、生まれてきて良かったと思う。



 昔の夢を見た。


紫苑しおん、おいで)

 父の大きな手が、小さな自分の手をきゅっと優しく握る。

 ひどく幼いときは、よく抱いて歩いてもらっていた。自分で走り回れるほどになると、シオンは手を伸ばし、父は多少かがんで、いつも手を繋ぎ、歩いていた。

(あんたなんかが迷子になったら、もう、もどってこれないからね)

 二歳年上の姉が、そう脅かすように言いながら、反対の手を握った。

 シオンより大きな、大勢の人間たち。

 多分、春祭りの記憶だ。


 桜の季節、満開に咲き誇る花を観に、大勢の人が押し寄せ、花火まで上がるというので、まともに歩くことも出来ないほどだった。

 会場前で幼いシオンがまごつき、大きな公園の入り口で、家族は立ち往生をしてしまった。


(これじゃあ、お祭りじゃなくて、人間すし詰め会場だなあ)

 なおも会場内に押し寄せる人間を眺めながら、父はのん気に、不穏なことを言った。

(おお。すごいな。人が掃除機でバキュームされるみたいに入ってく)

(もー、ぜったいたのしいっていったの、おとーさんだよ!)

 はりきって浴衣を着ていた姉は、せっかく近所の人に頼んで綺麗にしてもらったのに、髪も着物もめちゃくちゃだと不機嫌だった。

 身なりにあまり構わない父は、家にいるのと変わらないTシャツとジーンズ姿に、ぞうりを履いている。床屋にもたまにしか行かず、髪はいつも無造作で、前髪やえり足が鬱陶しく伸びていた。黒ぶち眼鏡をかけた父は、見た目はかなり若く見えるようで、よく大学生に間違われていた。

 シオンも最初は普通に服を着ていたのだが、それじゃダメだと姉が言い出し、彼女が去年着ていたお下がりの甚平を、タンスから引っ張り出されて着せられた。しかもお下がりなのでピンク色だった。

 祭りの日にそうした格好でいると、人とは違う猫の耳や尻尾もアクセサリーのようで、違和感が無いようだった。

 会場から出てきてすれ違った子供がシオンを指差し、自分の親に「あの耳とシッポほしい!」とねだっているのを見た姉は、何故か得意げだった。

(よかったね、あんた。みんながもってないもの、もってて)

 そうなのだろうか? 父や姉にない尻尾よりも、その子供が頭にかぶっている屋台で買ったのだろう子供番組のキャラクターのお面のほうが、シオンは羨ましかった。


 初めての祭りに、楽しみに出かけて行ったのに、いざやって来ると、自分より大きな人間たちに踏み潰されるんじゃないかとシオンは気が気でなかった。

 そのうえ、迷子になったら戻って来られない、という姉の言葉を間に受け、シオンは半べそをかいていた。

 周りは人間ばかりだ。時折亜人も見かけたが、人間以上に見慣れないその姿形に、人間よりずっと得体の知れないものに見えた。

(いい? ちゃんとにぎってないと、だめだからね)

 あの頃は自分より少し大きかった姉の手が、力強くシオンを引っ張る。

 ピンクのリボンで結んだポニーテールが、ふわりと揺れた。

(だいじょうぶよ。おねえちゃんといっしょにいたら、なんにもこわくないんだからね!)

 姉の言うとおり、この手が離れると、知らない人間たちの波に飲み込まれ、どこか怖いところに行ってしまうのだ。そうして家族とは二度と会えなくなるのだと思って、シオンは恐ろしかった。だから命綱のように、シオンは二人の手をしっかりと握った。

 それでも、よく姉に泣き虫と言われるように、シオンは臆病な子供だった。慣れない人混みに圧倒され、足はすっかりすくんで、一歩も動けなかった。


(そうだね。紫苑、さくらお姉ちゃんの手と、お父さんの手を、しっかり握ってるんだよ。大丈夫、お父さんが、ちゃんと守ってやるからな)

 父の言葉は、姉よりさらに力強かった。

(僕たちはパーティーだから、離れちゃダメだぞ)

(……それ、なに?)

 鼻を啜りながら、シオンは尋ねた。

(なかまってことよ)

 姉が答える。

(そう。今回のダンジョンは、この、人間すし詰め公園だ!)

(やめてよ、おとうーさん。なんかこわいし、シオンがまたなくから)

(あ、そうかい? ごめんよ。じゃあ、今回のクエストの内容は、このたくさんの人の中で、無事にお花見を楽しんで、屋台でご飯食べて、花火を見て帰ることだ。無事クリアしたら、おもちゃ屋さんの屋台で、なんでもおもちゃ買ってあげよう)

(じゃーあたし、プリナイのおもちゃかう! ぶきがいいなー)

(おー、『魔女っこ☆剣士プリティーナイト』かー。あのアニメ始まったばかりなのに、そんなに面白かったかい?)

(おもしろかった! ダンジョンからよみがえったダークモンスターをね、ボッコボコにすんの!)

(ボッコボコかー。女の子に使ってほしくない言葉だなー。紫苑も、好きなもの買っていいからね。なにがいいかな?)

 シオンは涙目を上げ、つまる声で答えた。

(おめん)

(よーし、買ってあげよう。ただし、クエストをクリアしたら、だよ。ほら、ベソかいてないで)

(うん)

 父は繋いでいないほうの手にハンカチを持つと、シオンの目許をぬぐった。

(あっちの、人が少ないほうから回ろう。いいかい? お父さんがリーダーだ。お父さんは道をよく知ってるし、薬草にも詳しいし、トラップなんかも解除出来るぞ。紫苑はファイターかな?)

(あたし、まほうけんし!)

(よし。お姉ちゃんはルーンファイターだ。中々バランスがいいパーティーだぞ)

(ぼく、なにするの?)

(ファイターは、頼りになるぞ。敵をやっつけて、味方を守るんだ)

(このなか、もんすたーがいるの?)

 拭いてもらったそばから再び涙が滲み出し、父はしまったという顔をした。

 美しい桜が咲き誇り、大勢の人で賑わう公園が、本当に得体の知れないダンジョンのように、シオンには見えてきた。

 ややあって、シオンの泣き声があたりに響いた。

(ああ、やぶへびだったか……)

(もー、おとーさんのばか! ばか!)

 下駄を履いた姉が地団太を踏み、カラコロと可愛い音を立てた。




 目を醒ますと、カーテン越しに外が白んでいるのが分かった。

 まだ少し早い。こんな時間に起きてもすることは無いし、腹も空いていない。

 シオンは布団の中で、目を擦った。

 起きようと思えば起きられる。

 けれど、早く起きると一日が妙に長く感じる。

 ダンジョンに潜らない日は、他にやることが無い。

 今日は冒険者センターに行って、仕事を探そうと思っている。とはいえ窓口が開くのは午前十時からだ。いまは多分五時くらいだろう。早過ぎる。

 どうしようか悩んで、結局、布団の中で背中を丸めた。


 眠れないのにむりやり瞼を閉じると、昔のことばかり思い出す。

 今日は、そんなに嫌な夢を見なかった。

 父と、姉と、三人で過ごした、幼い頃の夢。

 このまま目覚めなければ、懐かしくて、優しい夢ばかり見ていられるのだろうか。

 昔は、早く大人になりたいと思っていたのに。

 いまは、大人になっていく自分が、自分ではないように思える。

 自分はいまもずっと、弱虫で臆病なのだろう。


(バカね)


 と姉が笑ったような気がした。







 ポーン。

 短い電子音に、居並ぶ者が一斉に顔を上げる。

 ずらりと並んだ受付カウンターの上で、『25』の数字のランプが光った。


「番号札、二十五番でお待ちの方。お待たせしました」

 ブルーのベストに首元のスカーフが特徴的な制服を着た受付嬢が、機械的な声で告げる。

 顔を上げた者達は、手の中の番号札の数字を確認し、小さく息をついた。

 長い順番待ちに、あからさまな苛立ちを浮かべている者も居る。

「二十五番の方ー、いらっしゃいませんか?」

 いなくていい、とその場の者たちは思う。いなければ、一つ番号が飛ぶ。

 二十六番以降の番号札を手にしている者たちはそう期待したのだが、すぐに可憐な声が上がった。

「あ、私です」

 屈強な男達の間からひょっこりと、セーラー服の少女が顔を出した。

 少女であることも珍しいが、もっと目を引くのが、彼女が人間の少女である、ということだった。


 ここは、新宿冒険者センター。

 居合わせるのは当然、センターに登録している冒険者たちである。


 ダンジョン探索を生業とする冒険者には、危険がつきものだ。

 種族ごとに特性を持ち、体力も身体能力も人間に比べて格段に高い亜人とは違い、人間は体力も攻撃力も低く、打たれ弱い。せめて魔力が高ければ良いが、魔力保有量も乏しい者が多い。

 か弱い人間は、冒険者に向いていない。

 実際、死亡率の高さで人間の冒険者は群を抜いている。

 人間自体の数が多いので、人間の冒険者が極端に少ないというわけでもない。

 ただ、何年もやっているベテラン冒険者となると、かなり減ってくる。

 全国で登録された冒険者数は、人間と亜人の割合は大雑把に言って半々とだ言われているが、年間生存者数は八割以上が亜人の冒険者だという。


 そもそも、冒険者なんて危険な職業に就かずとも、人間には働き口がある。

 亜人の中には、その人口の多さ、知能の高さで世界を掌握している人間が、興味本位で冒険者になり、数少ない亜人の仕事を奪うなと、人間の冒険者を嫌う者も居る。

 もちろん実力があれば、相応に認められるのだが。

 駆け出し冒険者は、ただでさえ肩身が狭いというのに、人間であればなおさらだった。

 しかし最近は、人間の若者の間で、冒険者を目指す者が急激に増えているらしい。


「すみません、すみませーん。通ります」

 長いまっすぐな黒髪を肩下まで伸ばした少女は、奇異の目を向けられながら、カウンターに向かった。

 少女の容姿をひとことで言うと、可愛らしい。

 色白で、くりっとした大きな瞳が特徴的だ。

 テレビの企画か? と何人かは思った。この少女がアイドルで、一日冒険者体験、なんてバラエティ番組を撮っているんじゃないかと、つい隠しカメラを探してしまう者もいた。


「大変お待たせしました。本日は、どのようなご用件で?」

 カウンターに並ぶ受付嬢は、すべて人間である。

 お決まりのセリフを口にする受付嬢に、少女は緊張した面持ちで答えた。

「ええと、新規登録を。それから、パーティーの募集をしたいんです」

「冒険者志願の方ですね」

「はい!」

 少女の強張った声が響く。自分でも大きな声に驚いたのか、少女ははっと周囲を見回し、恥ずかしげに顔を伏せた。

 受付嬢は特に気にするふうもなく、淡々と告げる。

「かしこまりました。人間の方の登録は十五歳以上から認められますが、成人以下の場合、保護者の承認が必要となりますが」

「あ、はい!」

 少女が学生鞄を胸に抱える。

「申込書、書いてきました。保護者の同意書もあります」

「それから、なにか身分を証明出来るものを」

「あ、じゃあ。学生証と、保険証で」

 学生鞄の中から、あらかじめ用意していたのだろう書類と、身分証を出す。

 受付嬢はそれを受け取った。

「身分証の情報を記憶させていただきます」

 淡々と事務作業を勧めていく。少女が提出した申込書に目を通し、身分証のコピーを取る。

「クラスは、魔道士ソーサラーでよろしいですか?」

「あ、はい。……あの、ダメですか? 資格とか、証明が要るとか……?」

「いえ、登録申請に資格は必要ありません。パーティー募集の際に、得意な魔法などご記入されてください」

「あ、はいっ」

 事務的なやり取りに、少女はいちいち真剣に頷く。


 一般的に、人間は魔力保有量が低いとされている。

 そんな人間の中にも、そこそこの魔力を持つ者はいる。

 彼らは人間魔道士とも呼ばれる。

 数は少ないものの、人間魔道士には高い能力を持つ者が多い。

 人間の勤勉さ、探究心の高さ、集中力の高さ、魔力制御の精緻さなど、その性質がむしろ魔道士に向くのである。


 人間の、ましてや初心者の冒険者と組みたがる亜人冒険者は少ない。

 体力が低く、か弱い。身体能力も生命力も、亜人に見劣りする。はっきり言って、足手まといになりやすい。亜人の冒険者がわざわざ人間とパーティーを組むメリットは少ない。

 だが、ソーサラーであれば話は違ってくる。

 先人の人間魔道士たちが残した功績のたまものといえるだろう。

 ただでさえ需要に対して供給の少ないソーサラーが、パーティーであぶれることは無い。


 と言ってもそれは本当にソーサラーであった場合だ。〈ファイター〉〈ソーサラー〉といったクラスに、資格や制度はない。あくまで自己申告制で、登録時の審査も存在しない。

 冒険者登録申請書の〈クラス〉の項目に、自分がやりたいクラスを書き込めばよいというだけである。

 つまり、名乗るだけならいくらでもソーサラーを名乗れるのだ。

 実際、ライターで点けるよりも小さな火しか出せないのに、自分はソーサラーだと思い込んでいる者もいる。

 微々たる魔力があったところで、その技術や威力が実践的でなければ、冒険者のクラスとしてのソーサラーにはなりえないのだ。


 それでも冒険者協会に登録されたソーサラーの数は、最多数であるファイターに比べて格段に少ない。

 攻撃にしろ治癒にしろ、魔法の威力は絶大なもので、パーティーに一人は欲しい人材ではあるが、その需要と供給がつり合っていないのだ。

 ソーサラーからパーティー募集をすれば、多くのパーティーから申し出がある。

 結果、それが勘違いソーサラーで、受け入れたパーティーと揉めるというケースが後を絶たない。


 そんな勘違いソーサラーが堂々と登録申請してこようが、それで揉めるパーティーがいくらあろうが、冒険者協会は冒険者同士の揉め事にはいっさい関知しない。

 冒険者になるための許可は出すが、その後は自分達で勝手にやっていろ、ということである。


 そういうこともあり、初心者を見る熟練者の目は厳しい。ソーサラーを名乗る者には、特にだ。

 世間知らずそうな人間の若者であればなおさらだ。


 冒険者志願の少女を、周囲で面白がって眺めている冒険者たちも、彼女が自分で言うとおりの、本物の人間魔道士だなどと思ってはいない。

 どうせ、ちょっと魔力があるていどの娘だ。

 そう思っている。

 きっと冒険小説の読み過ぎだろう。

 ダンジョンはちょっと入ってみたいと思って入るような場所ではない。

 だというのに、テーマパークにでも行くような感覚で、冒険者を目指す人間の若者が訪れることも、そう珍しくはない。

 だが、本当にソーサラーの資質を持っているなら。

 パーティーに誘っておいて、使えるなら掘り出し物だし、使えないと判断すれば放り出せばいい、と考える者もいるだろう。


 相手が将来の大魔道士であろうと、ミーハーな若者であろうと、わけへだてなく、冒険者になるための案内を懇切丁寧な説明するのは、窓口の役目である。

 才能の有無はさておき、はやる若者の気持ちを抑えるように、受付嬢は淡々とした口調で続ける。

「人間で未成年の方の場合ですと、申請後、登録までの審査に少々お時間かかりますので、ご了承ください。審査にも少々お時間がかかります」

「あの、どのくらい……」

「早くても二、三週間ですね。特に、いまは登録者が多い時期なので、場合によってはひと月はかかりますので、ご了承ください」

「そんなにかかるんですね」

 少女は残念そうだ。形の良い眉が困ったように下がる。

「ご在学中でしたら、冒険者訓練専門コースのある学校への編入も勧めておりますよ」

「そんなの、あるんですか」

 大きな瞳がさらに大きく見開かれる。

「ええ。人間の冒険者志望の方は、そういった学校を卒業されてから、冒険者になられることが多いですね」

「そうなんだぁ」

 少女は知らなかったようで、感心したように頷いた。


 彼女の無知さに周囲の冒険者達が苦笑を漏らした。

 ミーハーな人間の子供かと思ったら、それ以下だというように。

「んな学校行ったって、人間なんか死ぬもんは死ぬぜ」

「ガキに甘い人間のバカ親が、坊ちゃん嬢ちゃんにねだられて、何年もかけて高い授業料をふんだくられてるだけだろ。やっと卒業して最初のダンジョンで死んじまって、訴えるだなんだって騒ぐから、パーティー組みたがる奴なんていねーけどな」

 冒険者たちは声をひそめることもなく、好き勝手言い合っている。

 耳にしているかもしれないが、そんな声を少女は意に介した様子もない。

「あの、パーティーの募集もいま出来るんですか?」

「登録完了後にされることをお勧めいたします。審査に通れば、案内が来ますので、それから登録という形になります。登録の際には、再度当センターへお越しいただく必要がありますので、その際に募集されてはいかがでしょうか」

 変わらない無表情で、受付嬢が諭す。

「どちらにせよ、パーティー募集を急がれても、登録が完了しなければ、ダンジョン探索の許可は下りませんよ」

「そうですか……。登録出来たら、すぐにダンジョンに行きたいんです。あの、先に募集だけというのは、難しいですか?」

「というより、不可能です。当センターでは、パーティー募集は原則的に登録後のみ、となっております。そういった手順をわずらわしいと感じ、インターネット掲示板などを利用し、個人でパーティー募集される方もおられます。ですが、センターを通すよりもトラブルが多く、犯罪に巻き込まれるケースが多発しておりますので、絶対におやめください。特に、初心者の方は慎重に、保護者様とじっくりご相談なさってください」 

「あ、はい……そうですね」

 少女の顔にはっきりと落胆の色が浮かんだ。

「ありがとうございます。あの、じゃあ、もう一つだけ」

「どうぞ」

「冒険者登録って、人間の未成年者の場合だと、やっぱり審査に通りにくいんでしょうか?」

「いまの段階ではなんとも言えません。審査係が、保護者様と面談をさせていただきます。そのときのお話次第ですね」

「分かりました。よろしくお願いします」

 少女が丁寧に頭を下げる。

 受付嬢は、やはり機械的に答える。

「またのお越しをお待ちしております」


 彼女達にとっては冒険者志望の夢見る少年少女など、珍しくもない。

 これは危険な仕事なのだと優しく諭すつもりもないし、面白がって眺めている冒険者たちのように、愚かしいと嘲るつもりもない。まだまだ後に並ぶ冒険者を、事務的にさばいていかなければならないのだ。ここもある意味、戦いの場である。

 少女がカウンターを離れると、受付嬢は次の番号を案内した。



「お待たせいたしました。番号札、二十六番でお待ちの方、どうぞ」


 ようやく自分の番号を呼ばれたシオンは、もたれていた壁から背を離した。

 体と壁の間で窮屈に挟まれていた尻尾が、解放されてぱたぱたと動く。


 ワーキャットは、亜人十二族に分類される亜人種の中で、ワーウルフと並び、数が多い。

 といっても、亜人全種族を合わせても、人口の二割程度だ。

 外を歩けばそれなりに目を引く亜人の外見も、このセンター内では違和感なく溶け込む。

 どちらかというと人間のほうが目立つくらいだ。


 亜人はどうして誕生したのか、いまでも学者たちは議論を繰り広げているが、一般的に認知されているのが、人間の魔道士が生み出したという人造説だ。

 いにしえの魔道士が、使い魔とした動物と融合させた生物で、その子孫が今日では亜人と呼ばれている。

 あくまで人一部の人間が唱えたこの説を嫌う亜人もいるが、彼らにしても自分たちのルーツなど知らず、何故自分たちが亜人なのかと問われても、答えようがない。

 また、人間ほどの探究心を持って解明しようとも思わない。

 当の亜人たちも飽きている論争を、未だに多くの人間が繰り広げ、真実を究明しようとしているのだから驚く。

 一生をかけてそんな研究をしても、自分たちの腹の足しにもならないだろうに、と思ってしまうのだ。

 人間の知識欲の高さ、探究心の強さは、亜人たちも認めるところではある。

 魔力を持つ者はそう多くなくても、優秀な魔道士ソーサラー賢者ワイズマンは、たいてい人間から生まれるのである。 


 シオンは生まれたときからワーキャットで、今もこれからもそうで、しかも中学校中退という輝かしい経歴を持ち、もちろん仕事は無く、かといって再び学校に通う気も無くて、こうして週に一、二度は仕事を求め、冒険者センターに通っている。

 そんなよくいる亜人の一人だ。

 自分の前に受付に並んでいた少女と違い、亜人の場合は子供のような年齢であっても、保護者が認めれば審査無しで冒険者になれる。

 成人に対する認識が、種族ごとに異なるからだ。

 人間からすれば子供の年齢でも、種族によっては立派な成人とする場合もある。

 シオンも父親の許を離れてから、十四歳で冒険者になった。

 亜人とはいえ年齢も見かけも子供そのものだったので、保護者の承認は必要だった。そのときは父に代わり、父の友人が後見人となって後押ししてくれた。

 人に混じって教育を受けていれば、いまごろは高校二年になっている。

 しかしこれはこれで、冒険者という少々不安定な職業ながらも、社会人としてそれなりにやっているので、いまさら学校なんて行かなくてもいいだろう。

 ちゃんと税金だって払っているし。


「二十六番の方、ご案内いたします」

 再び番号が呼ばれた。

 混んでいる中でもたもたして、順番を飛ばされてはかなわない。

 窓口に向かうとき、セーラー服の少女とすれ違った。

 自分の前に並んだこの人間の少女は、シオンの目にも目立っていた。

 どうも見たことのある制服だと思っていたら、以前住んでいた地元の高校の制服だとシオンは気がついた。

 自分と同じ歳くらいの人間は、苦手だ。

 亜人は体臭や口臭がキツいとか、人間はそういう迷信を結構信じていて、若いうちは特に、そういったことを平然と口にする。

 人間にだって体や口が臭い奴だっているだろうに。

 結局、《人間》というグループに入り込んだ《亜人》というマイノリティは、自分たちの優位性を確認するのに、格好の標的になるというだけなのだ。

 子供のときは、特にそうだ。

 誰かが誰かに持った嫌悪感が、病気のように周囲に伝染する。

 人間社会の中で生きてきた亜人は、感性も人間と近い、と思う。シオンの場合は、人間に育てられ、見かけも人間にほぼ近いので、余計に。

 自分は人間じゃないのだと思い知らされることに、昔は傷ついたものだ。


 それでも幼い頃は、同じように人間の子供達と遊んでいた。

 小学校までは楽しかったし、父親もシオンが望むなら、人間の学校に通わせるつもりだったようだ。

 だから中学も、当然のように人間の学校に通った。

 だが、それくらいの年頃になると、子供もただ無邪気なだけではなくなる。親がそうなのか、亜人に対して明らかな差別を持つ者もいた。始末の悪いことは、そういう者にかぎって、やたらと声が大きいことだった。

 そして、本心ではたいした主張はなくても、ただ仲間外れになりたくないからというだけで、同調する者もいる。

 人間はことに集団生活を重んじる種だ。

 人間の多くは、個になると弱い。そういう者たちは、強者の許に身を寄せ合う。強いリーダーを中心とした群れに属することで己を守ろうとする。

 そうして出来たコミュニティは非常に排他的で、自分達の主義主張にそぐわないものに対して、冷徹である。

 幼い子供の集団においても、同じだ。

 シオンの通った中学校では、いじめが横行していた。

 人間より身体能力で勝るシオンは、殴る蹴るというような暴力こそ受けなかったものの、陰湿な嫌がらせを受けた。彼らに不快な思いをさせた覚えはない。亜人というだけで馬鹿にされ、阻害された。

 楽しかった小学校までとは違い、だんだんと馴染めなくなり、結局、途中で辞めることになった。


 ワーキャットでありながら人間に育てられ、人間の中で生きてきた。

 優しい人間たちを知っている。だから、彼らのすべてが亜人への偏見に満ちているわけじゃないことも知っている。

 それでも中学時代をきっかけに、自分から積極的に人と仲良くしようと思うことはなくなった。


 実力だけがものをいう冒険者は、その点では気楽だ。

 年齢や見た目であなどられることはもちろんある。けれど、力があると分かれば、すぐにその評価は変わる。

 そこには、子供か大人か、亜人か人間かなど、関係ない。

 ただ、強いか弱いか。生きるか死ぬかだ。


「あれ? 小野原くん?」

「え?」

 セーラー服の少女とすれ違った直後、背中に声がかかった。猫の耳がピクリと動き、声のほうを向く。

「小野原紫苑くん、でしょう?」

 振り返って見た少女の顔を、すぐには思い出せなかった。

 見たらしばらくは忘れそうにもない美少女である。

 大きく人懐こそうな瞳が印象的だ。

 最近会った奴なら、憶えていそうな気もする。

 じゃないなら、昔の知り合いか。

 学校の?

 そう思うと、少し嫌な気分がした。

 少女にではなく、学校から連想される、あまり思い出したくない記憶が蘇ってきたのだ。

 亜人というだけで馬鹿にされたこと。

 退学にいたるまでの経緯。

 そんなことを思い巡らせていると、少女のほうから名乗った。


「私、浅羽紅子あさばこうこです」


 丁寧な挨拶と共に、少女はにこりと微笑んだ。

「お久しぶりです。元気だった?」



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