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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
39/88

別離とスランプ

「……シ、シリン……」

「ソウちゃん……やっと、会えた……」

 蒼兵衛の無骨な手を、細い手がぎゅっと力強く掴む。

 振りほどけば簡単に解けるか弱い拘束に、蒼兵衛はあっさりと捕らえられ、立ち尽くした。

「急にいなくなったから、ずっと探してたんだよ?」

 大きな瞳を潤ませ、シリンが微笑む。

 蒼兵衛に会えたことが、心底嬉しいのだ。そういう女だ。そこに嘘は無いと分かっている。それが、辛い。

「シリン……。離してくれ。公衆の面前だ」

「だめ。ソウちゃん、逃げるもの」

 コートを着た男も、美貌のワーキャットも、人目を引く。しかし、他人の興味の視線など意に介さず、シリンは首を振った。

「絶対離さないから。離したら、ソウちゃん逃げるんでしょう? 逃げたら、わたし泣くからね。すっごい大声で泣くから」

 濡れた目で蒼兵衛を睨みつけるシリンの手に、きゅっと力がこもった。

 その左手の薬指には、安っぽい指輪が輝いている。いかにも貧乏な幼馴染たちが選びそうな誓いの証は、指輪の値段なんてどうでもいいと、かえって二人の仲睦まじさを象徴しているようだ。

「……離してくれ。逃げないから」

 目を逸らしながら、蒼兵衛は言った。

「ほんと?」

「ああ」

 まだ少し疑っているように、シリンの手がゆっくりと離れていく。安堵と同時に言いようの無い寂しさが蒼兵衛を苛んだ。

 彼女は以前なら動きやすい格好を好んでいた。少年のようにショートパンツから細い肢を惜しげもなく晒していたのに、今は女性らしく、ゆったりとしたワンピースを着ている。腹はまだ少しも膨れていなかったが、見たことのない服装が、彼女の体が以前と違うことを嫌でも思わせた。

 忘れたふりをしていても、片時も忘れたことはない。

 亜麻色の髪。雪兎のように真っ白な耳。長い睫毛に飾られた綺麗なアーモンド型の目。宝石のように煌く瞳。雪が泥に見えるほど白い肌。甘く優しく響く声。そしてこの世の穢れなど知らないような聖女の微笑み……。

「誰よ? このぶりっこ女」

 蒼兵衛のコートの端をぐいぐいと掴み、キキが尋ねる。チッと蒼兵衛が舌打ちする。

「空気を読めよ、クソガキ」

「クソガキじゃねえええっ! ……って、あっ? ああー!」

 怒りかけたところで、キキは、ポン! と手を叩いた。

「この女ね! アンタがフラれた……ムグッ」

「少し黙っていろ」

 素早くキキの口を塞ぐと、そのままひょいと小脇に抱える。

「まあ、ソウちゃんのお友達?」

 シリンが可愛らしく小首を傾げた。

「ソウちゃんがいつもお世話になってます。わたしも、ソウちゃんのお友達なの。四ノ原志鈴……あ、いまは三崎志鈴っていうの。よろしくね」

 にこにこと微笑んで、蒼兵衛の脇に抱えられてぶらりと両手と両足を垂らしたキキの前にしゃがみ込む。

「み、みさき、しりん……」

 その名の響きに地味に大ダメージを受け、蒼兵衛はよろめいた。が、なんとか踏ん張った。

「ずいぶん……可愛い名前になったな……」

「そお?」

「え、そこかよ?」

 キキが顔をしかめる。

「あのさ、誤解しないでよね。こんなエセサムライを友達だなんて言ったら、あたしの人生に早々に傷が付いちゃう。あたしはリザードマン最強のプリンセス、妹尾黄々ちゃんなんだからねっ!」

「あら……リザードマン?」

「突然変異種の獰猛なワニ娘だ。これに、あまり近づかないほうがいい。噛み付くぞ」

「えっ、そうなの?」

 シリンは驚いた顔をし、耳をピクピクと動かした。

「んなわけあるかぁ!」

 キキがジタバタと手足を動かし、暴れる。

「おいっ! ブリブリワーキャット女! あたしたちは仕事探しに来てるんだから、べらべら立ち話してるヒマ無いの! 昔の仲間だがなんだかしんないけど、このサムはどうしてもキキちゃんパーティーに入りたいって言ったから、入れてやったんだから!」

「言ってねえし」

「うちは、友達なんて生温かい関係じゃないの! 馴れ合いでやってるパーティーとは違うんだからね!」

「え……パーティーって……」

 シリンがきょとんとした顔で、蒼兵衛を見上げる。

「……ソウちゃん、新しいパーティーにいるの?」

「そうだよっ!」

 脇に抱えられたままのキキが、ブンブンと拳を振った。

「いいか、ソーベエっ! ここで会ったが恨み晴らすとき! この女に、ガツンと言ったれっ!」

「ガツン……」

「そうだっ! さあ、見ろっ! あの憎い女の顔を!」

「……憎い……」

 きょとんとした顔をしたシリンを、蒼兵衛はぼんやりと見つめた。

 可愛らしく首を傾げ、この状況でも何も分かっていない、鈍感な女。

 長年、蒼兵衛の気持ちに気づきもせず、笑顔と優しさ、そして気安いボディータッチを振りまき、多感な少年時代にはあまりに重い試練を与え続けた女。

 そして、親友の女。――いや、親友だと信じていた男の……。

「……はは……」

 思わず、乾いた笑いが漏れた。涙は堪えた。

「そうだっ! 思い出せ、積年の恨み! 裏切られた痛み! 彼女居ない歴・十八年のねたみ! ひがみ! そねみ!」

 どこかうきうきとした様子で、キキが拳を振り上げる。

「……恨み……痛み……妬み……僻み……嫉み……」

「その童貞パワーを結集させて、この女にぶつけてやるのよっ!」

「童貞はいいだろ……別に……」

「ふふ、可愛いなぁ。元気な子だね。いつもこうして遊んでるの?」

 シリンが微笑ましげに二人を見つめる。

「いや、まあ……そうだな。なんだっけな、これ……ダンジョンで拾ったんだったかな……懐かれて困っているんだ」

「おいっ、テメエぇぇっ!」

「ソウちゃんって、たまにそういうことあるもんね。モンスターの子供が寄って来たり……」

「いま、モンスターって言ったな!? この女!」

「そうだな、小動物は好きだし、殺気を消すのも、得意だからな……」

「さすが、柊魔刀流の十一代目だね!」

 シリンが両手を合わせ、笑みを向ける。

「シオンくんって子に聞いたよ。襲名したんだって。もう、蒼樹くんじゃなくて、蒼兵衛さんなんだね。遅くなっちゃったけど、おめでとう」

「ああ……ありがとう」

「ブッ、アンタ、ほんとはソウジュって言うの? ぜんぜん似合わない」

 抱えられたまま、キキがクスクスと笑う。

「でも、あんなにおうちを継ぐの、嫌がってたのに、びっくりしちゃった。何かあったの?」

「ああ……それは……」

 シリンの問いに、蒼兵衛は力無く、ぼそぼそと答えた。

「柊魔刀流と蒼兵衛の名を継ぐ者は、魔刀一体の血を継承するため、少なからず魔力を持つ女性を娶ることが義務付けられている。蒼兵衛を継ぐのなら、魔力の乏しい娘とは結婚出来ないんだ……」

「へー、そうだったんだぁ」

「魔力の無いワーキャットの娘など論外……。だが、なんかもう、どうでも良くなったんだ……そういうの」

 遠い目をして、蒼兵衛が息をついた。

「ソウちゃん……もしかして、好きな子がいたの?」

「昔の話さ……」

「そう……なにか、相談事とかあったら、言ってね。あれ? どうしたの? なんだか、目がうるうるしてるよ?」

「アンタが攻撃してんだよ」

 キキがぼそっと突っ込む。

「シリン、君も泣いてる」

 蒼兵衛が言うと、シリンは照れくさそうに頷いた。

「ん……ごめんね。ソウちゃんにやっと会えて、こうしてお話が出来て、嬉しくって……」

 と、涙が浮かんできた目尻を、細い指でそっと拭う。

「ほんとに、ずっと探してたんだよ。急に居なくなっちゃって、わたしたち、とっても寂しかったよ。すごく、すごく、心配してた。セイちゃんだって……」

「セイが……」

 親友だった男の名を呟き、蒼兵衛は暗い目を伏せた。

「……あいつなら、大丈夫だろ。仲間もいるし」

「ううん。セイちゃん、すっごく落ち込んでる。あの人はわたしにだって話してくれないこと、いっぱいあるの。チームのことも、若い子たちのことも、ソウちゃんが居なくなってから、一人で全部抱え込んでるの。でも、ソウちゃんのことだけは、認めてるから。大好きだから。強がってるけど、ほんとは一番ソウちゃんに会いたいのは、セイちゃんなんだよ」

 それは、ずっと想いを寄せていた女性から、一番されたくない頼みごとだった。

「だから、お願い。セイちゃんに会ってあげて」

 結局、彼女が一番心配しているのは、セイヤのことだ。自分じゃない。

「シリン……俺は……」

 蒼兵衛の腕が、ぱたりと力無く落ちる。

「ぶべっ!」

 ドサッと音がして、キキがセンターの床に落ちた。

「あっ、だ、だいじょうぶ? えーと……ピピちゃん?」

「鳥かよっ!」

 驚いたシリンがキキを助け起こそうとしたが、キキは叫びながら、自分で起き上がった。

「キキちゃん! あたしはキキちゃんだよっ! スーパーアイドル冒険者でっ」

「ワニの」

「そう! ワニのプリンセス……って誰がワニじゃああああ!」

 キキが蒼兵衛の腰に飛びつき、ガジガジと噛み付く。

 シリンが涙を拭いながら、くすりと笑った。

「キキちゃんだね。わたしは四ノ原……じゃなかった。三崎志鈴って言うの。シリンって呼んでね。よろしくね」

「……ずいぶん、可愛い名前になったな……」

「そお? でも慣れないよ。婚姻届も書いたけど、実はまだ出してないの」

「んなことはさっきも聞いたんじゃあ! お前ら、なんで同じシーンも何回もやり直すんじゃい!」

 思わず口調がおじいちゃんになりながら、キキが怒鳴り散らす。

「ぐあぁぁぁあっ! なんかこの女、イライラするぅ! 男の涙をなんじゃと思っとるんじゃ! 生き別れの兄妹じゃあるまいし、ほんのちょっと会ってなかったぐらいで泣くかぁ! 男と女の間でもつれるモンっちゅーたら、一つしか無いじゃろ!?」

「えっと……なんだろう? 男と女の間でもつれるもの……」

「なぞなぞしてんじゃねえぇぇぇっ! お前バカかっ!? お前らはバカだけでパーティー組んでたのか!?」

 シリンがこくりと頷く。

「うん。テスト、三十点以上取ったことない」

「知るかぁぁぁ! 頭スッカスカか! この女は!」

「――ええ、本当に、お馬鹿な方ばかりでいらっしゃいますね」

 カツ、と軽やかなヒールの音と共がセンターに響く。

 知性を感じさせる声が、静かながら、鋭く切り込んできた。

 眼鏡の下の瞳を細め、新宿センターの冷徹な受付嬢は、凍てつく視線で彼らを睨みつけていた。

「複雑なお話があるようでしたら、奥の部屋へどうぞ。特に一番賑やかでいらっしゃる妹尾黄々様には、新しい冒険者カードを発行いたしますよ」

「ま、まさか……」

 祖母の静音にボコボコに躾けられて育ったキキにとって、厳しい大人の女性はモンスターよりも恐ろしい。

 スカートの下で、キキの尻尾がブルブルと震えた。

「ええ。新宿冒険者センター見学ツアー記念・子供冒険者カード……レベルは《すごい》です」

「《レベル・すごい》はイヤあぁぁぁぁぁ!」




 岩永のはからいで、センターの会議室を貸してもらった。

 というより、隔離された。

「うえええ……」

 散々叱られてべそをかいているキキの首に、リボンを通した子供冒険者カードがかけられている。

「ちなみに妹尾様は、保護者様、もしくは保護者代理の小野原様が承認した場合のみ、仕事が受けられるようになっておりますので」

「えっ、そうなの!? シオンが保護者代理っ? いつの間にっ!?」

「これは、保護者様と私共の間で交わされた約束です。というわけで、小野原様以外の方と来られても無駄です。追い返します」

「くそう……おばあちゃんの仕業だな……!」

 ギリギリと歯を鳴らし、キキが机の上にばたりと突っ伏す。

「お茶、どうぞ」

 お盆を持った岩永が、机の上に湯呑みを並べていく。

 シリンが小さく頭を下げる。

「ありがとうございます。わたし、新宿センターの冒険者じゃないのに……」

「どこのセンターに登録されておられても、各地の施設は皆様に開放しておりますから。さきほど、講演会に参加しておられましたよね?」

「はい。わたし、バカだから、色々お勉強しておきたくって。とっても、ためになりました」

 シリンが胸の前で手を合わせる。

 岩永は少しだけ微笑んで、慇懃に頭を下げた。

「それは良かったです。どうぞ、ごゆっくり。――妹尾様」

「は、はいっ!」

 キキが顔を上げ、背を正す。

「どうか、お静かに……。次は本当に、冒険者カードを没収しますよ」

「はい!」

 凄みのある視線で睨みつけられ、彼女が出て行ってしまった後でもキキはまだ背を正していた。

 シリンは相変わらず、一人のん気なにこにこ顔で、ずっと俯いている蒼兵衛は部屋に入ってから、一言も発していない。

 向かいに座ったシリンが、彼の顔を見つめながら、優しく語りかけた。

「ね、ソウちゃん。……すっごく、探したんだよ?」

「……さっき、聞いた」

 ようやく声を出した蒼兵衛は、彼女の顔を見ないよう、目を伏せていた。

「どうして、急に居なくなっちゃったの? ……もしかして、わたしたち、ソウちゃんに何かした? もしそうだったら……ごめんなさい。謝りたいの」

「理由も分かんないのに、謝んの?」

 ケッ、とキキが悪どい顔でシリンを見る。シリンは微笑みながら、頷いた。

「どんな理由であっても、ソウちゃんは自分のワガママで怒ったりしない人だもの。いつも大人で、冷静で、優しい人だから」

「はぁ? 誰よ? それ」

 キキは顔をしかめた。

「ソウちゃんはいつも、わたしたちの力になってくれた。いつだって、わたしたちのために、何でも我慢してくれてたの」

「人違いじゃない? すっごいワガママだし、酒飲んで散々暴れて死にかけるし、ダンジョンでトイレ我慢出来ないし、可愛いキキちゃんのこと平気でぶつし、バカだし、アホだし、バカだし、アホだよ?」

 シリンは小さくかぶりを振った。

「バカなのは、わたしたち……。優しいソウちゃんに……わたしたち、きっと、頼りすぎてた。甘えすぎてたんだよね」

 悲しげに笑いながら、シリンは蒼兵衛を見た。

「ね、ソウちゃん。わたしたちも、ソウちゃんの力になりたいの。わたしたち、あなたよりずっと弱いけど、ソウちゃんのことが大好き。何でも話してほしいんだ。だから……ね? おうちに帰ろ?」

 蒼兵衛は口を開きかけ、止めた。そうしてしばらく俯いたままだったが、やがて、掠れた声で言った。

「……俺は、君が思っているような人間じゃないよ」

「キキちゃんもそう思う」

 うんうん、とキキが頷く。

「君が、心を痛める必要も無い。俺が望んで、チームを抜けたんだ。こんな男、放っておけばいい。君にはセイがいるだろ。好きなだけイチャイチャ……いや、末永く、幸せになってくれ」

「どうして……」

 少しも目を合わせない蒼兵衛に、シリンの耳が悲しげに伏せられる。

「わたしたちのこと、嫌になっちゃったの?」

「違うよ。ただ、面倒になったんだ」

「めん……どう?」

「そうさ。ガキの頃から同じメンバーとつるんでさ、遊んでた頃の延長みたいに、煩くて調子こきのワーキャットと一緒にいるのが、嫌になったんだよ」

「ソウちゃん……?」

 シリンの美しい顔が、悲しげに歪む。

「……元々、ワーキャットって好きじゃなかったんだ。バカだし、軽いし、弱いくせにつるむと態度でかくなるし……どいつもこいつも、俺の腕が立つから寄って来ただけで、チームがでかくなればそれで良かったんだろ」

「そんな、違うよ。そんなこと……」

「弱い連中にちやほやされて、俺も調子に乗ってたんだ」

「ソウちゃ……」

 正直なワーキャットの耳が、みるみる伏せられていく。それは大きなショックと悲しみを受けていることを物語っていた。

「だから、君が謝ることじゃない。俺が飽きたんだよ。俺は人間だから、ワーキャットが最初はちょっと物珍しかっただけだ。でもやっぱり合わなかった。十二年つるんで、分かったんだ」

「いやいや、十二年はねーよ。気づくの遅いって。そんな苦しい言い訳で……」

 笑い飛ばそうとしたキキだったが、シリンを見て、ぎょっとした。

 嗚咽を堪えるように口許を手で押さえ、目からはぽろぽろと涙が零れている。

「……ごめんね、ごめんね……ソウちゃん……! わたし、ちっとも、気づかなかった……!」

 わっと手で顔を覆う。

 キキはぽかんと口を開け、蒼兵衛はパイプ椅子から立ち上がった。

「そうさ。分かっただろ。俺は君が思っているような男じゃない。心の中ではずっとこんなことを考えていて、とうとうお前たちを捨てた、クズなんだよ。こんな男のことを、もう追う必要は無い。俺は流れる身……さすらうだけだ」

「いや、実家あるんでしょ? 流れる身じゃないでしょ? 今もシオンちに居候してるでしょ?」

「……ソウちゃん……もう、行っちゃやだよ……」

 しゃくり上げながら、シリンは子供がいやいやをするように、首を振った。

「……き、嫌われてても……それでもっ、友達でいたいよ……!」

「とっ……ともだち……」

 蒼兵衛の顔が僅かに引きつる。それに気づいていないシリンは、泣きながら何度も強く頷いた。

「そうだよ! 大事な、大好きな、お友達なの! ソウちゃんとは今まで通り……ううん! これからもっ……一生、お友達でいたいの!」

「うわあ、出ちゃったよ……『一生お友達宣言』……」

 目が潤みまくっている蒼兵衛を、キキは悲しく見つめた。

「お……俺に、そんな気は無い……」

「だよね……」

 これは、オス同士がメスを取り合った話では無いのだ。戦いの土俵にすら上がれず死んだ戦士の冥福を祈り、キキは合掌した。

「いや……! こんなふうに、お別れしたくないよ……!」

 罪深いメスは、ふるふると首を横に振り続ける。蒼兵衛は目を背けた。

「いい加減、俺のことは忘れろ。所詮、俺は人間。君は亜人。生きる道も選ぶ人生も違う。俺のような男には、深く暗い、魔物が跋扈する迷宮こそが似合いさ。君はあの男とイチャ……ワーキャットらしい幸せを掴めよ。こ……子供を産んで、か、家族仲良く……!」

「震えてるぞ! しっかりしろ!」

 キキが叱咤する。

「ソウちゃ……」

 シリンは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、立ち上がった。

「――こ、子供、出来たの……。わたしね、セイちゃんの赤ちゃん……」

「うぐわあああああああ!」

 と叫び、シリンの声を掻き消したのは、キキだった。

 亜人の本能で、なんかこの先を聞いたらえらいことになる、と咄嗟に思ったのだ。

 小さくともリザードマンの《轟声バジング》に、敏感なワーキャットのシリンは驚き、身を竦ませた。

 その隙に、蒼兵衛はさっと身を翻した。

「……俺には、もう関係無い」

 そうして、会議室を出ると、ダッシュで逃げ出した。





 キキが追いかけていくと、蒼兵衛はセンターを出て、ビルの裏の路地にしゃがみ込んでいた。

「サムっ、大丈夫か?」

「……お……」

 荒い息を吐きながら、蒼兵衛が呟いた。走ったことで疲れたのではなく、よほど精神を張り詰めていたのだろう。

「お?」

「……追って……来てないか? アイツ……腹に子供がいるくせに、何も考えずに走って……」

「あ、大丈夫。ちーっとも、追って来てないから」

 パタパタとキキが手を振って否定する。

「でも、号泣してたよ。岩永さんが駆けつけてきたから、あとは任せちゃったけど」

 鬼の形相をしていた岩永は、別にシリンの泣き声を聴きつけたわけではないだろう。なので、キキも慌てて逃げたのだ。

「そうか……」

 少しほっとしたように、蒼兵衛はしゃがんだままで、息をついた。

「ちょっとは落ち着いた? アンタ、口調まで変わっちゃってたじゃん。『俺』」とか言って」

「仕方あるまい。男は好きな女の前では、いつでも思春期の少年だ」

「あ、そう。ま、なんでもいいけど」

 突っ込むのも馬鹿馬鹿しくなり、キキは適当に返した。

「……あっぶねー……マジで、ヤバかった……」

 はあー、と蒼兵衛が深い息を吐きながら、言った。こめかみから汗まで流れている。両手で頭を抱え、ぐしゃぐしゃと掻く。

「まー、たしかに、想像以上にヤバい女だね。シオンなんか一撃でやられそうなメスの匂い出してたもん」

 首から下げた子供冒険者カードのリボンを指でいじりながら、うんうんと頷く。

「ああいう女は、一人じゃ生きてけないね。すぐ騙されそうだし、アンタみたいな変な男に好かれちゃってるし、今の旦那も元ヤンのワーキャットだっけ? 男で苦労しそーなタイプね、あれは」

「……知ったふうな口を聞くなよ、ガキが」

 大人ぶったことを言うキキを、蒼兵衛が忌々しげに見やる。

「ああ、クソッ!」

 アスファルトの道路に、バンと両手をつく。

「久しぶりに会ったのに、まったく衰えていないあの可愛さは何なんだ!? ヤバ過ぎるだろ!」

「そっち!?」

「あの有無を言わせない可愛さに、もう少しで、『うん。おうち帰る』って言いそうになったぞ!」

「言いそうになってたの!?」

「あれが、母性というものなのか!? 母になった女性の美しさは、世界一美しい魔石に勝ると言うが、その身に慈しむべき命を内包した存在は、あれほど尊いというのか!」

「もしもーし……」

「美しい? そんな陳腐なものではない! 神々しささえ感じさせる……そうだ、まるで彼女が愛そのものであるかのような……! ああ、クソッ! どうせ逃げるんなら格好つけてないで、一発思いっきり抱き締めとけば良かった! あー、しまった!」

「おいおい……」

 さすがのキキも、ドン引きして後ずさった。

「ああ、好きだ! めちゃくちゃ好きだ! ああ、そうだよ、大好きだ! 忘れられるもんか! 好きだ!」

 ダン! ダン! と拳で思いきりアスファルトを殴りつけ始める。

 前にキキが噛みついた右手は、まだ完全に癒えてはいない。だが彼は何の痛みも感じていないように、狂ったようにアスファルトを殴り続けた。

「やめなよっ! 剣士でしょおっ!?」

 キキが腕に飛びつき止めようとしたが、そのキキをぶらさげたままやすやすと腕を振り上げ、更に拳を痛めつける。

「やめなって! 刀が握れなくなったら、戦えなくなっちゃうよ!?」

「あはははは! これ以上の戦いがあるか! 己の欲望との対峙! 本能に抗い、溜め込んできた衝動と、十二年戦い続けてきた! 今までどんなモンスターと対峙したときにも感じたことのない、そうだ、小野原桜相手にも味わうことはなかった、まったく勝てる気のしない絶望的な戦いの果てに、結局は抱き締めることすら叶わず、ただ尻尾を巻いて逃げるしかなかった!」

 ビルの谷間に狂ったような笑い声が響く。完全に目がイッていた。キキの背筋に寒いものが走り、スカートの下の小さな尻尾がくるんと丸まる。

「ひええ……おじいちゃん、怖い人がいるよぉ……! シオン、こいつヤバいよぉ……!」

 もう止めても無駄だと悟ったキキは、尻尾を巻いて逃げようと、そろそろと蒼兵衛から離れた。

 そのままダッシュしようとしたところで、蒼兵衛の手が素早く伸び、スカートの裾――ではなく、スカートの上から尻尾をがっしりと掴んだ。

「しっぽっ!?」

 キキが叫んで飛び上がる。尻尾の痛覚が鋭いワーキャットとは違い、リザードマンの尻尾には痛覚が無い。なのでちっとも痛くは無いのだが、「あまり強く引っ張ると先っぽが切れるよ」と小さい頃におばあちゃんに言われたのを、キキは未だにちょっぴり信じている。

「ちょっとぉ! 離してよ、スケベエ! 可愛い尻尾が抜けちゃうでしょお!?  シオンに言いつけてやるからねっ!」

「お前が、裏切るからだ……」

 蒼兵衛がゆらりと顔を上げる。その目は据わっていた。

「……私を置いて、去ろうとしただろう……。なんて冷たい奴だ。このリザードゲス子が……」

「誰がリザードゲス子じゃあああぁ!」

「……私を一人ぼっちにするなんて、絶対に許さん……仲間なのに……」

「重いっ! コイツ、重たいよぉぉ! そらフラれるわ! ぐえっ!」

 キキの首にかかったリボンを掴み、蒼兵衛がくくっと口許を歪めた。

「……絶対、独りにはならんぞ……。我が友よ……逃がさん……」

「いやだぁぁぁ! うわーん、シオンー! 早く帰って来てぇぇぇ!」

 ビルの谷間に、キキの涙声が響き渡ったのだった。




「あれ? お前ら、ずいぶん仲良くなったんだな……」

 手を繋いでアパートの扉を開けた蒼兵衛とキキを見て、シオンは首を傾げた。

「ああ。すっかり仲良しになったんだが、こうしてしっかり捕まえていないと逃げるんだ」

「うう……友達じゃない……」

 キキを引きずるようにして、蒼兵衛が部屋の中に入って来る。

「なあ、キキ、泣いてるんだけど……?」

「こんなに強くて素敵な人間の友達が出来て、嬉しいんだろう」

「嬉しいわけあるかぁぁぁ!」

「はあ……。つーか、お前ら一体どこで、何してたんだ?」

 シオンが尋ねると、蒼兵衛はふっと笑った後、泣きそうな顔で俯いた。

「……青春に、別れを告げてきた……」

「は?」

「さらば、我が愛……」

「こんな友達はイヤだよぉ……」

 泣いている二人を怪訝そうに見つめ、シオンはテーブルの上に並べた食事を指差した。

「とりあえず……座れば? 買ってきたやつばっかだけど、メシ、あるから」






 人の出入りの多いダンジョンには、自然と休憩所になっている場所がある。

 もちろん最初からそうして作られたわけではなく、足を踏み入れた冒険者たちが、自分たちが探索しやすいように、手を入れていくのだ。

「この先で休もう。進んだところに小部屋がある。そこが休憩所だ」

 マップを見ながら、先頭を歩くシオンが告げた。

 探索慣れした冒険者なら、初めて足を踏み入れるダンジョンでも、何となくそういう場所の検討がつくものだ。

「休憩所かぁ……ゆっくりご飯食べれるといいけど……」

 杖の先に光を灯しながら、紅子が不安げな顔をした。

 以前、鉱山で休憩所に潜んでいた獣堕ちが居たことを思い出したのだろう。

「大丈夫だ。この辺りにはそんなに強いのは出ないはずだから」

 と言ったが、いつの間にか、どこからでも入り込んでくるのがモンスターだ。

 初心者演習用とも言えるダンジョンに、獰猛な大型モンスターのガルムが現れ、戦い慣れしていない新人冒険者が多数犠牲になった、あんな事件もある。

「探索され尽くしたダンジョンには、報酬目的の奴らは入って来ない。何の得も無いからな。でも、初心者は入りやすいから、演習を兼ねて探索したり、冒険者じゃない奴まで入って来る」

「それで死んだら、自業自得じゃない?」

「そういうことを言うなよ、キキ。誰だって初心者のときはあるし……運もある。興味半分でダンジョンに入る奴だって、それほど悪いことをしてるわけじゃない」

 シオンに注意されたキキは、チッチッチッと口を鳴らし、手にした魔銃を振った。

「人間は好奇心旺盛だけど、危機感が足りないね。自分たちの弱さを分かってないのよ。体もひ弱だし、感覚も鈍いし、魔力も大したこと無い奴ばっかだし、それなのに訓練もしないで冒険者になっちゃうなんて、リザードマン的には考えられないねっ!」

 天井を這っていた魔虫を撃ち抜き、キキが無い胸を張る。

「早撃ちキキちゃん、絶好調だねっ!」

「遅いし雑な攻撃だ。動きの鈍い魔虫だったから当たっただけだ。我が友よ」

「友達じゃねえええ! こんのフラれクソサムライが! なんかもう嫌がらせで言ってるでしょ!?」

「うん。そうだよ」

「てんめえええ! 立ち直ったらやっぱクソムカつくぅぅぅ!」

「二人とも、ダンジョン内で騒ぐな。何が居るか分からないんだからな」

 毎度のことながら、蒼兵衛に掴みかかろうとしたキキを、シオンは間に入って引き剥がす。

 この二人のやり取りにも、すっかり慣れ、仲裁も業務的になってきた。

「騒いでいれば、かえって近づいて来ないモンスターもいるぞ」

「かもな。けど、大人しいモンスターは、騒いでいようといまいと、どっちにしろ近づいてこないだろ」

「ねえねえ、この魔虫、持って帰る?」

 自分の顔より大きな、巨大なダンゴムシのような魔虫の死骸を、キキが平然と持ち上げる。

「こいつ、食べられるんだよ。人間には人気無いけどさぁ、亜人には珍味だって好きな奴もいるんだよ。蒸し焼きにしてほじってお酒のつまみにすんの。うちんちに出入りしてる料亭でも作ってるから、いっぱい集めたら売れるよ」

「さすがワニ族。野蛮な食材をお好みだな」

「リザードマンだけが食ってんじゃねえよ! 人間だってゲテモノ料理好きはいるでしょ!?」

「分かった、分かった。ケンカするな。コイツが金になるってのは、知らなかったな。ありがとな、キキ」

「えっへん」

 シオンはキキの頭を撫で、その手から魔虫の死骸を受け取り、地面に置いた。

 ウエストバッグから束になったワイヤーと、折り畳まれた袋を取り出す。魔虫の体を丸めて縛ったワイヤーを、ナイフで切る。手早くその作業を終えると、袋に放り込んで、背中に担いだ。

「じゃあ、この虫は見つけたらなるべく仕留めて回収するか。でも、本来の目的も忘れるなよ。今日はこのダンジョンの現状調査で来てるんだ」

「でも、うちのパーティーの本来の目的は、お宝探しとお金集めだもんねっ!」

「それにはワニ子に同意する。協会からの報酬を得つつ、自分たちの目的にも近づく、二兎を追って三兎を得るのが優れた冒険者だからな。――ところで、その袋はこのワニ子に担がせようか? 君は先行するから身軽なほうがいい」

「そこは自分で担ぐって言わんかいぃぃっ! キキちゃんはもう重たい銃とか槍とかハンマーとか弾丸とかお弁当とか寂しいときのおじいちゃん人形とかいっぱい背負ってるでしょおっ!?」

「おじいちゃん人形を捨てれば、荷物がぐっと軽くなるな」

「おじいちゃんを捨てるなぁっ! お腹を押すとおじいちゃんの声でキキちゃんを応援してくれる特注品なんだよっ!」

「うん。要らないね」

「要るわい! おじいちゃんがキキの冒険を応援して、プレゼントしてくれたんだからね!」

「つまり、お前のおじいちゃんは、ボケてるんだな?」

「愛だよ、愛! 孫を想う愛! ボケじゃないっ! たぶんっ」

「あーもう、分かった、分かった。このぐらいはオレが背負うから、大丈夫だ。だから、ケンカで体力と時間を消耗するな」

 と、二人に言ってから、シオンは紅子を見た。

「浅羽、どうした? なんか静かだな」

「あ、ううんっ!」

 杖を握り締め、呆けたような顔をしている紅子が、ふるふると首を振った。

「……み、みんな、色んなこと知ってるし、しっかりしてるんだなぁと思って」

「そうか? まあ、今までも冒険者やってたから」

「キキちゃんとか、私より小さいし、同じ初心者なのに……」

「あのね、紅子。キキちゃんはエリートだからね。妹尾一族が誇るリザードプリンセスを、一介の女子高校生と一緒にしないでよね」

「あ、はい……」

「そんなこと気にするなよ。魔法で光作ってもらえるだけでも、すごく助かるんだ」

「う、うん。がんばるね」

 紅子が頷くと、杖にはめ込まれた魔石から、更に強く大きな光が広がった。シオンたちは驚いて目を細めた。

「あ、明る過ぎだ……」

「ご、ごめんなさいっ」

 光が元の大きさに戻る。紅子の魔法は、最近不安定だ。落ち着いているときは高い精度を見せるときもあるのに、この頃は調子が悪いようだ。

「浅羽、焦らなくていいんだぞ」

「え」

「仲間が増えて、自分も頑張らないといけないって思ってるんなら、それも間違いじゃない。けど、焦るのは危険だ。オレたちには頼ったらいい。魔法を使えるのは浅羽だけだけど……まあ、なんだ」

 草間の言葉を思い出し、シオンは苦笑した。

「オレたち、肉壁くらいにはなれるから」

「そ、そんなっ!」

「それ、けっこう真実だぞ」

 蒼兵衛があっさり肯定する。

「戦いの場では、魔道士が一番そのことを割り切ったほうがいい。私たちは肉体すべてを駆使して戦えるが、お前たちの武器は詠唱、そして口は一つ。詠唱時間が必須な上、一発ずつ魔法を撃つわけだから、戦士以上にシビアな決断を迫られる」

「そーいや前も、助けるか攻撃するか、助けるにしても誰から助けていいか分かんなくて、パニクってたよね」

 キキに言われ、紅子はしょんぼりと顔を俯かせた。

「う、うん……」

「誰よりも冷静であり、戦況を見極めて的確な魔法を選択するには、私たちのことは肉壁と割り切ったほうが、下手に感情に惑わずに済むぞ」

「……感情に、惑わされずに……」

 ぽつりと、紅子が呟く。

「思考を捨てて、感覚で、魔法を使う……スイッチを入れる……か」

 光の中心にいる紅子の顔が翳る。その瞳がどんよりと濁って見えたシオンは、彼女の背中をぽんぽんと軽く叩いた。

「今は、あまり深く考えるなよ。今日の仕事はただの調査だし、気楽にやろう。ここに、魔石がある感覚は無いんだろ?」

「あ、うん……多分」

「大したモンスターもいないし、力を入れ過ぎることはない。じゃあ、休憩所を目指して、そこでメシでも食おう」




 休憩後も、ダンジョン内をくまなく調査し、内部写真を撮る。

「調査一つにしても、性格って出るよなぁ」

 最後に辿り着いた小部屋で、退屈そうに欠伸をつきながら、蒼兵衛が言った。

「君は、真面目過ぎるんじゃないか?」

「そうか? でも、真面目にやるだろ、仕事なんだから」

 朽ちた壁や床をダガーの柄でコンコンと叩く。一見頑丈そうに見える壁も、魔虫やスライムが巣食っていて、中は空洞ということもある。そういう場所は脆く崩れやすいし、いたずらで仕掛けられているトラップがある可能性も否定出来ない。

 亀裂が走っている場所などは、手にしたマップに印を付け、後でレポートが書きやすいように、詳細をメモする。

「そんなもの、くまなく見て回ったけど、異常無し。で、レポート終わり、って奴も多いと思うんだが」

「そんな手抜きの仕事をして、次が無くなるのは困る。ちゃんとした仕事をすれば、次は任せてもらえるかもしれない」

「協会もこんなことは形だけやっているに過ぎないのにな。それか予算消化か」

「何でもいいよ。オレはこの仕事のやり方で、悪いとは思っていない。おい、キキ、ちょっとそこ立ってくれ、亀裂の横」

「ん? ここ?」

 捕った魔虫をワイヤーでぐるぐる巻きにしていたキキが、ちょこちょこと歩いて亀裂の横に立って、カメラを向けるシオンにピースサインをする。

「なに? 記念撮影?」

「ポーズはいらないけど、そのまま立っててくれ。亀裂の大きさと比較したいんだ。ちょっとこの亀裂、でかい気がするから。ちゃんとスカウトに見てもらったほうがいいかもしれない」

「でかい亀裂ありましたって報告したらいいじゃん」

「そんなの調査って言えるか。ダンジョン保全専門のスカウトなら、写真を見ただけで安全かそうじゃないか分かるかもしれない。そうしたら二回来る手間も省けるし。浅羽、光こっちに向けてくれ」

「はい!」

「キキ、ポーズいらない」

「あ、待って。せっかくだからおじいちゃん人形も一緒に……」

「それもいらん……」

 キキが背負った大きなバッグから、ごそごそとぬいぐるみを取り出す。マスコット風に作られたずんぐりと可愛らしい国重人形を抱き締め、キキがアイドルぶったポーズを取った。シオンは顔をしかめながら、写真を撮った。

 別に手伝うほどのことも無いだろうと、蒼兵衛は仲間の様子を、ただ黙って見ていた。


(――お前、真面目だな。ワーキャットのくせに)

 モンスターを斬った刀の血を拭いながら、親友に声をかける。

(ワーキャットのくせに、は余計だろ)

 戦いの後、返り血を拭う時間すらも惜しんで、彼は丹念に床や壁を調べていた。

 粗野な性格と見せかけて、マメな奴だ。

(レポートなんて、簡単に書いておけばいいものを。今日は別のダンジョンも回るんだし、そこまで丁寧にすることも無いだろう)

(他の種族の仕事なら、それでいいかもな。でも、オレたちワーキャットは、そういうわけにいかねえんだよ。手を抜けば抜くだけ、『やっぱりワーキャットは不真面目だ』って目で見られる。真面目にやっても、どっかそういうふうに思われる。だからさ、オレたちが他種族の信用を得るには、真面目過ぎるほどやんないと、ダメなんだ)

(そんなに、こんな小さな仕事が欲しいのか?)

(欲しいさ。チームの奴ら、皆が食えるだけの仕事を得られるようになるまで、何でも引き受けるつもりだ。面倒なことも、危険なことも、キノコ採りでも、偵察でも、荷物持ちでも、死体片付けでも、何でもな)

(それなんだが、もうチームをでかくするのは止めたらどうだ? いや、チームなんていつまでやるつもりなんだ。ガキじゃあるまいし)

(ガキじゃねえからだ。オレみたいな生まれの奴は親に頼れねえから、こんな生き方を選ぶしかなかった。お前や柊道場があったから、多少マシだったけどな。……だからさ、同じ境遇のガキどもに、オレにとってのお前や柊道場は、必要なんだよ)

(チームじゃなくて、会社を作るのか)

(ああ。でも、現状じゃまだまだだな。全員に仕事を回せるようになんねーと……だから、まずはオレが協会や依頼主に信頼されねーとな。それには、地道な信用の積み重ねしかないだろ)

(だったら、もっと大きなモンスター討伐に参加しないか? 私とお前なら充分可能だし、他のパーティーから何度か誘いも受けている。報酬もこんな仕事より大きい。小さな仕事ばかりだと、常に仕事を得ていないと回らなくなるぞ)

 その提案に、親友は背中を向けたままで、首を振った。

(いや。それは、お前がいるから出来ることだろ。本気で自分たちの仕事を始めるなら、お前に頼りきってちゃダメなんだよ)


 あのとき、違和感を覚えるべきだったのだ。

 その『自分たちの仕事』の中に、蒼兵衛は最初から加わっていなかったのだということに。


 幼い頃、三人で冒険者になろうと、約束した。

 巨大なダンジョンを探索して、強いモンスターを倒して、手にしたことのないような宝を見つけて。大きな仕事をたくさんこなす冒険者に……。

 そのつもりで、蒼兵衛は腕を磨いてきた。

 だが、親友の夢は、いつしか変わっていた。

 彼女の夢も、彼に寄り添って生きることになっていた。

 彼らはいつしか大人になっていて、自分だけが取り残されたのだ。

 ただ、一緒に居られれば良かった。それ自体が子供じみた夢だったのだと、蒼兵衛だけが気づかずに。


「……その亀裂、モンスターが付けた傷だろうな」

 蒼兵衛は呟き、刀を抜いた。

 鞘と刃が擦れるかすかな音に、シオンは耳を動かしながら、振り向いた。

「蒼兵衛さん? でも、別にそういう気配は無いけど」

「蒼兵衛でいい。もっとこう、フレンドリーに頼む。我が友よ」

「は、はあ……分かった」

「ランタンを付けて、戦闘の邪魔にならないところに置け。紅子、お前は灯りはもういいから、亀裂に炎をぶち込め」

「えっ、いいんですか?」

「こういう亀裂は、見たことがある。おそらく中にいる。炙り出せ」

「そうか、魔草プラント系の巣だ。気配なんかしなくて当然だな。休眠期か」

 シオンはダガーの柄で、コツコツと亀裂を叩いた。どんなタイプのプラントモンスターが棲みついているのか分からないが、叩いて独特な音がするなら、今後覚えておいて損は無い。

「え、え、どういう……ていうか、そんな近くに立ってて大丈夫?」

 一人だけ意味を飲み込めていない紅子が、説明を求めて全員の顔を見た。

「プラモンはね、そのへんに生えてるただの魔草とは違うのよ」

 キキが腰に手を当て、ふんぞり返る。

「すっごい大きかったり、肉食だったり、いい匂いでモンスターや獣をおびき寄せたり、歯みたいなトゲトゲがあったり、液体を飛ばして溶かしてきたり、触手がうねうねするんだから」

「ちょっと待て。プラモンって何だ」

 シオンがキキに尋ねる。

「プラントモンスターの略」

「あっそ。……とにかく、浅羽。冒険者オレたちは単に魔草プラント系って呼ぶけど、正確には魔草じゃないんだ。植物の形態をした完全なモンスターだ」

「ほとんどのプラモンは活動期と休眠期ですごーく動きが違うの。ご飯食べて、お腹いっぱいの間は、すごーく大人しいのよ。でも、見つけ次第、駆除しなきゃなんない外来種とかいるからね。すぐ増えるし」

「強くは無いが、生命力はある。魔素をたっぷり吸って育つから魔法耐性が高く、斬っても叩き潰しても骨が折れる。少々の炎で炙ったくらいでは燃えんが、君の火力なら問題無い。慌てて中から飛び出してくるだろう。そうしたら一刀両断にしてやろう。ま、私が壁を斬ってもいいんだが、武器付与エンチャントするのに三分ほどかかるのと、壁が原型を留めなくなるからな」

「それは……一応オレたち、ダンジョン保全の調査で来てるから……」

「アンタもうルーンファイター辞めなよ。エンチャントごときに三分かかるとか才能無さ過ぎだって。ここはキキちゃんの早撃ち氷結弾で、氷漬けの標本にして研究者に売り飛ばすよっ!」

 ジャキン、とホルダーから魔銃を抜き、キキが構える。

「魔弾では威力が劣る。鼻クソ飛ばしたほうがマシだ」

「汚い例えすんなぁ!」

「ケンカするな。どっちみちこの裂け目じゃ、弾は届かない。浅羽、頼む」

「あ、う、うん……」

 紅子はごくりと息を呑む。先日コントロールを誤って、シオンを炙ってしまった苦い経験が蘇る。

「浅羽、気負わなくていいから。いつも通りにな」

 わなわなと震えている紅子に、シオンは声をかける。

「いつも……いつも通りに……火を……ど、どうやってたっけ……?」

「そうだな、最初にゴブリンと戦ったときみたいに、自然に撃ってみろよ」

「う、うん! あ、あの感覚だね!」

「そうそう」

「よーし……!」

 杖を握り締め、イメージを膨らませる。

「えーと……あのときは小野原くんが戦ってて、助けなきゃってだけ思ってたんだよね……上手くやろうとかあんまり考えてなくて……とにかく目の前に敵が見えてたから……無心で……無心で……」

 ブツブツと呟く紅子を、シオンは怪訝な顔を見守った。いつもなら、「うん!」と頷いた次の瞬間には、簡単に炎を生み出していたのに。

「よ、よし……。え、詠唱は、昨日勉強した森塔式を……」

「おい。すでに気負い過ぎてないか? 君の詠唱って、『燃えろ』じゃないのか? あれでいいと思うんだが」

 蒼兵衛が突っ込む。

「浅羽……もしかして、浅羽式がパクリって言われたこと、気にしてる?」

「い、いえっ、別にっ! ただ、きちんとした信頼性のある詠唱式のほうが、火力もコントロールしやすいって、書いてあったから……!」

「何に?」

「ネ、ネットで……色々調べて」

「ネット?」

「これまで自己流でやれてたものを、いきなりネットの初心者サイトで何を学んだんだ?」

「紅子、お師匠出来たんでしょ? 変な知識付けないほうがいいんじゃない?」

「よ、予習だもん。次に行くまでに、ちゃんとした魔法を見せて、弟子として認めてもらわないといけないからっ……!」

「浅羽……」

 あ、これ駄目なやつだ。シオンは彼女の状態を、正しく理解した。

 今までの仕事で、何人かのソーサラーを見てきたシオンは、杖を握る手すら震えている、いまの紅子のようになった初心者ソーサラーを見たことがある。

「イ、イメージしなきゃ……穴の中だけを炙るイメージで……! あ、穴の中だけを……! みんなを巻き込まないように……!」

「浅羽、大丈夫だから……落ち着け」

「やっちゃいけないって考えると、余計やっちゃうよねー」

「バカッ……やめろ、キキ!」

 シオンが慌ててキキの口を塞いだが、遅かった。

 紅子は杖を握り締め、がくりと膝を突いた。

「う……うわーん! そうなの! 考えれば考えるほど、やっちゃいそうなの! 失敗して、亀裂の中だけじゃなく、部屋の中を焼き尽くす業火のイメージが、頭から離れないのぉ!」

 杖に縋り、紅子が叫んだ。

「そ、それは……ヤバいかな」

「ふがふがふが」

「うむ、普通なら笑い飛ばすところだが、この娘なら本当にやりそうだ……」

 並みのソーサラーなら、魔法が失敗しても不発で終わる程度に留まるが、紅子は元々の魔力が規格外だ。ありえないことがありえるのが、規格外のソーサラーというものだ。

 プラントごと蒸し焼きになる自分たちの姿を、全員がありありと想像出来た。当の紅子は、完全にそのイメージに支配され、恐怖心を持っている。

「ごめんなさい……今の私じゃ、攻撃魔法なんて、とても……」

 杖を握り締めたまま、紅子が項垂れる。

「分かった。浅羽、もう気にするな。明日、草間さんに相談しよう」

 びくりと、紅子が肩を震わせ、顔を上げた。

「だ、だめっ! 師匠に、こ、こんな状態見られたら、もう弟子失格に……」

「ならない、ならない。今日はとりあえず、仕事を終わらせないとな。蒼兵衛、詠唱に三分かかっていい。亀裂を広げられるか? 少々の損壊は仕方ない。プラント駆除を優先だ」

「仕方あるまい。これは魔道士につきものの、あれだな」

「ああ。魔法の失敗がトラウマになって、魔法そのものが使えなくなる……」

「ふがふが!」

 キキの口を塞いだままだということを忘れ、シオンは紅子を見た。彼女はこの世の終わりのような顔をしていた。

「……スランプだ」

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