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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
37/88

始動?

「起きろ。朝だ」

 そう言われ、かすかに目を開く。

 カーテンの引かれていない窓の外は、まだ薄暗い。

「……全然、朝じゃない……もうちょっと……」

 シオンは再び、布団に顔を埋めた……つもりが、布団だと思ったのは座布団だった。いやに柔らかい。たしか、キキが持ってきたやつだ。

 ええと、なんでオレはこれで寝てるんだっけ……?

 まどろみながらそんなことを思っていると、いきなり耳を引っ張られた。

「いてててっ!」

 寝ぼけ眼を開くと、蒼兵衛が座っていた。

 涼しい顔でシオンを見下ろしている。

「いい若者が、何を堕落したことを言っている」

「……だ、堕落……? いや、だってまだ……」

 シオンは携帯電話を手に取った。時刻を確かめ、眉をしかめる。

「……まだ、五時前じゃないか……」

「五時は朝だ」

「そりゃ、アンタは早く寝たからいいかもしれないけど……」

 まだ半分眠った頭で、シオンは昨晩のことを思い返していた。

 そうだ。この人が失恋を苦に自殺しようとした。酒に弱いのにビールを一気にあおって、意識を失ったのだ。

「……あれから、大変だったんだぞ……」

「悪かったと思っている。記憶はあまり無いが、迷惑をかけたということは分かる。猛省している」

「そっか……じゃあ、オレはもう少し眠るから……」

 もぞもぞと身を丸くし、シオンは蒼兵衛に背中を向けた。寝る、という意思表示だ。

 彼が完全に昏倒してからも、騒動は続いていたのだ。

 キキと二人で介抱し、部屋を片付けていると、動揺した西沢が救急車と間違えて呼んでしまったパトカーがやって来て、警察官たちに事情を説明すると、かなりきつめに注意された。

 その後、「泊まる泊まる!」と喚き散らすキキを妹尾組に引き渡し、奥の部屋から悲鳴が上がったので見に行ったら、ワーラビットのキャバクラ嬢がゴキブリが出たと騒いでいた。

 退治して戻って来ると、起きた蒼兵衛が部屋で吐いていた。それを片付けているシオンの横で、また蒼兵衛が膝を抱え出し、延々と愚痴を零し始めたので、彼がもう一度眠るまで、ひたすら慰めていたのだ。

 それ以降は、シオン自身の記憶も曖昧だ。いつの間に寝たのかも覚えていない。

 とにかく、酷い晩だった。

「……アンタ、もう大丈夫なのか?」

 尋ねると、彼は普段と変わりない様子で答えた。

「お陰様でな。醜態を見せたことは詫びる。すまなかった」

 薄目を開けて振り向くと、蒼兵衛はあぐらをかいたまま、慇懃に頭を下げていた。

「あ、うん……いいけど……」 

 珍しく殊勝だ。かえって、まだ酔っているのかと思ってしまった。

 あんなに死ぬ死ぬと言って暴れていたのに。少しは冷静になったようだ。

「私はアルコールに弱い体質なんだ。一口飲んだだけで昏倒してしまう。甘酒と酒まんじゅうは大好物なんだが」

「そっか……無理するなよ……」

「君が介抱してくれたんだろう? 適切な処置をしてくれたんだな。ほとんど後に残っていない」

「あ……そ、そうか、良かった……」

 シオンは背中に冷や汗をかきながら答えた。

 適切な処置だったかは分からない。最初は普通に水を飲ませていたのを、「しゃらくせえ!」とキキがやかんいっぱいに水道水を汲み、注ぎ口を口に押し込んで一気に飲ませ、トイレに叩き込んで用を足させ、出てきたところをまたやかんで……というのを50セットほど繰り返したことは、黙っておくことにした。

「リザードマンはこーやって酔いを治すの!」とキキは自信満々だったが、はたして人間に同じことをして良かったのだろうか……?

「どうした? ものすごく気まずそうな顔をしているぞ」

「いや……何でもない。体、ホントに大丈夫なのか……?」

「すこぶる快調だぞ。気になるのは、右手が野球のグローブのようになってることだが……」

 と、蒼兵衛が包帯に包まれた右手を見せ、シオンは顔を引きつらせた。包帯越しでもパンパンに腫れているのが分かる。

 自刃しようとするので、とにかく刀を手放させようと、咄嗟にビール缶で殴りつけたのだ。何度も。

「ごめん……オレが殴った」

「君が? しかし、なにか獰猛な生物に噛まれたような痕があるぞ。ワーキャットの牙というよりは、こうもっと大型の爬虫類的な。ワニのような」

「……はは……」

 それは、《キキちゃん流・噛み付き引っ張りデスロール》で受けた傷である。キキの顎の力は、大人の拳サイズのげんこつ堅焼きせんべいをあっさり噛み砕く。

「その……悪かったな。利き手なのに……」

「ん? ああ、それは構わん。このぐらいどうということはない。仮に骨が折れていても刀ぐらい握れるし、戦えるぞ。コツがあってな」

「へ、へえー……器用なんだな」

「まあな。さて、詫びも入れたところで、そろそろ起きろ」

 どうやらシオンを起こすことを、まだ諦めていないようだった。シオンはこみ上げる欠伸をつきながら答えた。

「……寝かせてくれよ……疲れたんだ……」

「まだ若いから大丈夫だ。君だって早朝鍛錬はするだろうが」

「いや……しないけど……」

「したほうがいい。戦士は体作りが資本だぞ。だから君は拾ってきた野良猫のような体つきをしているんだな」

「ひ、拾ってきた野良猫……?」

「さっき冷蔵庫の中を見させてもらったが、なんだあれは? 引っ越してきたばかりなのか? 水とキャラメルと栄養ゼリーしか入ってなかったが」

「……別に、引越ししてきたばっかじゃないし、それだけしか食わないわけじゃなくて……オレ、料理あんましないんだよ。外で食ったり、弁当買ってきたりするから……」

「あまり料理をしない」のではなく、「まったくしない」のが正しいが、言えばもっとうるさそうなので、適当に濁した。

 それでも蒼兵衛は腕組みをし、こんこんと説教をしてきた。

「君の仕事がスーパーのレジ打ちだったり、街頭でティッシュを配るとかいうものなら、とやかくは言わん。だが、君は冒険者だろう。しかも戦士だ。商売道具とも言える肉体をどうして大事にしない? たしかに明日も明後日も分からん仕事だが、『明日死んでるかもしんねーからいーや、今この瞬間に生きてるからいーや』という刹那的な思考を持っているのなら、そんな浅はかな若さはいずれ黒歴史になっているものだぞ。故にそんなものはとっとと捨て、今後も健やかな冒険者生活を送るため私と一緒にひと汗を掻くべきだ。というか、このあたりの地理に明るくないので、付き合ってくれ。帰れなくなったら嫌だしな」

 長いセリフの間にうとうとしていたシオンは、「帰る」という言葉にのみ反応し、尋ねた。

「……家に帰るのか?」

「いや、帰らんが?」

「そういや家出中なんだよな、アンタ……。いま、どこ住んでんだ?」

「今まではホテル……というのも腹立たしい小汚い安宿に住んでいたんだが、激安とはいえそろそろ体が痒くなってきてな。君から電話を貰ったのも何かの縁だと思ったわけだ。というわけで、しばらくこのアパートで生活するから、よろしく頼む」

「ああ、分かった……」

 ぐう、と再び眠りに落ちかけてから、シオンははっと目を開け、がばっと飛び起きた。

「えっ! う、うちに住むのか!?」

「ようやく起きたな。なあ、君に服を借りようと思ったら、ジャージばっかりな上に、どれもてんで小さいんだが、間違って買ったXLとか無いのか? コインランドリー代をケチってしばらく着たきりスズメだったから、ちょっと臭うんだよな……いやもちろん替えはあったんだぞ。ただ、ちょっと前に入ったダンジョンで、足を取られてな。たまたまそこに汚物が……」

「ちょっと待てよ! す、住むって、こんな狭いとこに?」

「大丈夫だ、さっきも言った激安クソ宿なんて、タコ部屋というのもタコに失礼な狭さだったからな。並んで寝るのがやっとのスペースを、なんか臭うワーウルフ二人と、三人でシェアしていたんだぞ。そこに比べればここは足を伸ばして眠れるし、君はさほど臭くないし」

「え……オレ、臭いのか……?」

 トラウマを刺激され、腕やTシャツをくんくんと嗅ぎ出したシオンに、蒼兵衛は訝しげに顔をしかめた。

「……どうやら私はうっかり、開けてはいかん記憶の箱を開けてしまったようだな。すまん。いまのは言葉のあやだ。君はちっとも臭わんぞ」

「ほんとに臭くないか……?」

「臭くない、臭くない」

 蒼兵衛が片手をひらひらと振ってみせる。

「冒険者がそんなことをいちいち気にしてどうする。仕事上、汗くらい掻くだろう。寝てても掻くのに」

「そういうのは仕方ないけど、こう、獣人独特の変な臭いみたいなのが、人間からすれば臭ってるとか……」

「ああ、成長臭か。あんなもの、私の父の脇のほうが臭いから大丈夫だ。理解の薄い人間たちの中で学生生活を過ごしたのだな、君は。それで辛い思いをしたということは私にも想像はつくぞ。だが、もう気にするな。思春期とはそういうものだ。顔にブツブツがいっぱい出来たり、ご飯が何杯もおかわりできてついつい肥えてしまったり、弾けもしないギターを買ったり、心身に得体の知れん不調をきたすものだからな」

「ギターはいいんじゃ……」

「とにかく君は臭わん。汗臭い男系家族の中で育った私が言うんだから間違い無い。安心してあの娘といちゃついていろ。ただし、私の見えないところでな。今はまだ少し、カップル辻斬りをしたい衝動を抑えている……」

 また暗い顔になる蒼兵衛に、シオンは苦笑いで返した。

「いちゃつくって……まさか、キキと? ねーよ」

「……は?」

「え?」

「誰が、あんなチビッコ怪獣の話をした。あれは、ふれあい猛獣牧場とかと同じ部類だろうが。もうちょっとマシなのがいただろう。あの『オノハラくぅ~ん』の娘」

 と、声を高く間延びさせ、気持ち悪い物真似を披露する。シオンは顔をしかめた。

「……浅羽?」

「それだ。あの魔道士の娘。元気か? 別れたのか?」

「元気だけど……浅羽はそういうのじゃねーって。パーティーの仲間だし、友達だから」

「はぁ? ねーよ」

 いきなり粗野な口調で、蒼兵衛が憎々しげに吐き捨てる。

「同じ年頃の男と女がいれば絶対にイチャイチャし出すに決まっているだろうが。そして私を捨てる。そうなんだろ。そうに決まっている」

「そ、蒼兵衛さん……?」

「くそっ、あいつら絶対に許さんからな。私の知らないところでイチャイチャイチャイチャしてたんだろうがどうせ。先に行って偵察してくるとか言ってダンジョンの見えない角に隠れて抱擁や接吻を交わしたり純朴な私には想像出来ないようないかがわしいことを楽しんでいたに違いない……!」

「しないだろ……」

「そうして後ろからのこのこついてくる私をあざ笑っていたんだ。『アイツバカだけど強いから便利だよなーオレら超ラッキー』『ソウちゃんが戦ってる間に、はい、これ愛妻弁当だよっ』なーんてバカップルをエンジョイしてたんだろうが! ああ、そうだ、私はアイツらの幸せ家族計画を彩ったピエロに過ぎなかったんだ……もしくは家を支えながら人知れずシロアリに食われている土台……過酷な労働を強いられ作った王族の古墳に一緒に生き埋めにされる奴隷……」

 ブツブツ言いながら、また膝を抱え出す。

「まだ、酔ってんのか?」

「……違う……無理やり塞いだ傷を、いま自分で目一杯広げてしまって……塞ぎ方が分からなくなった……。なぁ、この心臓の痛み、どうしたらいい……?」

「え……さ、さあ……?」

 やっぱりまだ情緒不安定なようだ。自分のトラウマなどどうでもよくなったシオンは立ち上がり、慰めるようにその背中を叩いた。

「分かった、分かったよ……トレーニング行こう。付き合うから」

「……本当か? 私を一人にしないな?」

 蒼兵衛が俯いたまま呟く。

「しないしない」

「じゃあ、ここが私の家ということでいいんだな?」

「え? う、うーん……それはなぁ……」

 何が「じゃあ」なのか分からないが、ようはここに居候させろということだろう。

 六畳一間で四六時中、この人と一緒……。

「何故、そんなに嫌な顔をしている?」

 ちら、と顔を上げてシオンを見た蒼兵衛が、再び抱えた膝に顔を埋めた。

「……いま一人になったら、上手く歩ける自信さえ無い……人生の歩き方が分からない……このまま道を踏み外して、気がつけば目の前にカップルの惨殺死体が……」

「わ、分かった、分かったよ。とにかく辻斬りはダメだ。……いいよ。気が済むまでうちにいろよ……」

 なんかすごく面倒臭い人だな……とシオンは少し思い始めた。仲間にしたら苦労する、というセイヤの忠告が、今になって身に染みてきた。




「――キ……キツい……!」

 二時間後、シオンは近所の公園で、ベンチに座りも出来ず倒れかかった。

「今日はこんなところにしておこう」

 涼しい顔をした蒼兵衛が、平然と告げる。

 シオンはというと、ジャージをぐっしょりと汗で汚し、下に身に着けているTシャツなど濡らした雑巾でも貼り付けているようで、心底気持ち悪い。体は熱く火照り、息もまだ整わない。

 蒼兵衛との鍛錬は、桜の地獄の特訓に匹敵する辛さだ。

 果てしなく続くランニングの途中で、高台にある神社の境内を見つけ、いきなり休み無く長階段をダッシュで上り下りしようと言い出し、それも何十回往復したか分からない。終わったかと思ったら、落ちていた木の枝を手渡され、休む間もなく斬りかかられ、フラフラでろくな動きも出来ないところを、容赦なく叩きのめされた。

 足を払われ、蹴り飛ばされ、倒れ込んで降参すると、「これがダンジョンで私がモンスターなら、君は今死んだな」と告げられた。


「奴らは待ってはくれんぞ。緊急事態に、休む間も無く戦い続けることもあるだろう。限界まで体力を使い果たしたその先に、また戦いが始まることもある。そんなとき、結局物を言うのは、機転でも経験でも無い。体力だ。一に体力、二に体力、三も四も五も体力だ」

 本当に、桜と同じタイプの人間だと、嫌というほど理解した。

 しかし、桜のしごきを受けていた頃に比べると、自分は実戦経験こそ積んだかもしれないが、根性は無くなっていたかもしれない。あのときより確実に強くなっているはずなのに、こんな特訓もうしたくない、と思ってしまう。

 昔は嫌々ながらも、桜に食らいついていこうと必死だったのに。

 そんなふうに、少し、反省もした。


 ベンチの腰掛け部分に頭を預け、ぐったりとしているシオンの背後に、蒼兵衛がやって来た。

「ちゃんとストレッチしたほうがいいぞ。補助してやろう」

「……へ?」

 へばっているシオンの両脇の間に、蒼兵衛が腕を入れ、無理やり体を起こさせたかと思うと、体のあちこちを、ぐにゃぐにゃと折り曲げ始めた。

「あいてててて!」

「若いワーキャットだけあって、さすがに柔軟だな」

「痛い! マジで! そこっ……それ以上曲がらないって!」

「このぐらいで喚くな。男の子だろう」

「た、頼む、ちょっと休ませてくれ……!」

「だから、休むためのストレッチだろうが」

「ま、股が外れる……! いてててててててて!」

 朝の公園に、シオンの悲鳴が響き渡った。




 すっかり明るくなった公園には、朝だというのに大勢の人間が集まってきた。散歩やらラジオ体操やら太極拳やら、それぞれがそれぞれの目的で。

 ラジオ体操をしている老人たちのすぐ傍で、蒼兵衛が堂々と刀を構えている。と言っても刀は無いので、ポーズだけだが。

 シオンの服ではやはりサイズが合わず、コートの下にいつも着ている黒いタートルネックの服に、カーキ色のありふれたミリタリーパンツという姿だったが、それらも汗びっしょりになってしまったので、今は上半身だけ裸だ。

 案外細身だ。と言っても、痩せているわけではない。かと言って、筋肉ムキムキのマッチョというわけでもない。無駄な肉が一切無い体は、腹筋が六個と言わず見たこともないくらいに割れ、腹を殴ったら、殴った拳のほうが壊れそうだ。

 間違った鍛え方では、ビルドアップはしても動きが制限されることもある。程よいバランスで付いた筋肉が、素早い動きを可能にするのだ。

 そんな彼の姿を、シオンはベンチに座って、ぼんやりと見つめていた。

 腰を落とし、柄に手をかけた構えのまま、目を閉じている。

 激しい運動後にも関わらず、まったく微動だにしない集中力と体力、それに下半身の安定感は、見事だとしか言いようが無い。

 本当に刀を持っているかのように見えてくるほど、柄を握った右手も、鞘を支える左手も、ぴくりともしていない。

 要するに、イメージトレーニングだ。桜もよくやっていた。金も手間もかからずに特訓出来ると言って。「頭の中で敵をぶった斬るのは、授業中でも寝る前でも出来るんだから」と豪語する女子高生は、本当に学校というものが向いていない人だった。

 二人とも、人間と考えないほうがいい。多分。

 思えば、自分の周りには凄い人間が集まる。桜も、蒼兵衛も、紅子も。

「……あ」

 と、シオンは思わず口に出した。

 このところバタバタしていて忘れていたが、紅子に草間を紹介する約束を思い出したのだ。

 父親の、ほとんど唯一と言っていい友人であり、魔道士の元冒険者。一見気難しげだが、しばらくシオンの面倒をみてくれたり、冒険者になるときも父に代わって後見人になってくれたりと、基本的に人が良い。

 紅子に無償で魔法を教えてくれる……かは分からないが、何かしら力になってくれるだろう。

 忘れないうちにと、シオンはウエストポーチから携帯電話を取り出し、短いメールを打った。


『パーティーを組んだ。仲間のソーサラーに魔法を教えてほしい。シオン』


 ……これでいいや。

 久々に連絡するというのにメールだけ、それも用件のみの素っ気無い文面だが、草間に関してはこのほうがいい。電話嫌いで、電話ほどでは無いがメールも嫌いだから、用件があるときは簡潔に。そう言われている。彼の性格上、それは遠慮では無く真実だ。

 送信し、携帯を仕舞うと、シオンはふわあと欠伸をついた。

 蒼兵衛は相変わらず、ピクリとも動かない。もはや公園のオブジェに見えてくる。

 そんな謎の青年を、ラジオ体操の終わった老人の一団が、興味深げに眺めていたかと思うと、やがて一人が近づいていった。

 怖いもの知らずだなぁ、とシオンは感心した。自分だったら絶対に近づかない。公園の真ん中で上半身裸になり、微動だにしない男には。

 蒼兵衛は見事に殺気を断っている。芸を披露しているパントマイマーだと思われていたとしても、無理は無い。老人は無警戒に、トコトコトコと近づいて行く。

 間合いに入ったとき、蒼兵衛が動いた。

 いきなりかっと目を見開き、凄まじく速い踏み込みで一瞬にして距離を詰めると、見えない刀で老人の首の辺りを一閃した。


 ……あ、斬った。


 シオンは目を見開いた。

 仮想敵にされた老人は、首をばっさり両断……されたわけではもちろんないが、そのぐらいの気迫を感じたはずだ。

「だ……大丈夫か!」

 尻餅をつき腰を抜かした老人に、慌てて駆け寄る。

 心臓の弱い人だったら不味いんじゃないか? と思ったが、老人は顎が外れんばかりに口を開き、酸素を求める金魚のようにぱくぱくと口を動かしながら、ちゃんと生きていた。

「ええと、すみません……連れが」

「あ、ああ……ありがとう、猫の兄ちゃん……お、おったまげたぁ……一瞬、死んだばあさんが目の前に……」

「えっと……あの人は剣の達人で、いま鍛錬中だから、近寄らないほうがいいと思う……」

 適当に言い訳し、シオンは老人に何度も頭を下げた。

 敵を斬った蒼兵衛は何事も無かったのように、刀を鞘に戻し、また抜刀のポーズを取っている。


 ――分かった。どうしてこの人があんなに強いのか。

 シオンは再びベンチに腰を下ろし、ふうと息をついた。

 ここまでストイックに強さに磨きをかけられるのは、生まれ持った才がどうのとか、センスがどうのとか、そういうことではない。

 強さの根底に、それを支える基礎体力がある。

 並外れた胆力がある。

 それはただひたすらに、ひたむきな努力を繰り返すことでしか、手に入れられないものだ。


 再び蒼兵衛の姿を見やると、またパントマイマーに戻っていた。もう近づこうという者はいない。遠巻きに見るギャラリーは増えていたが、本人の集中はまったく乱れない。その面の皮の厚さも半端ではない。その閉じた瞼の奥には、敵の姿だけが見えているはずだ。

 これ、いつ終わるんだろう……。

 シオンはというと、ぼうっと眺めているうちに、眠ってしまっていた。





(……シオン)

 桜の夢を見た。

 笑っている。大きな剣を担いで。

(ねえ、シオン)

 いつもの勝気な笑みで、悪戯を思いついた子供のように、無邪気に顔を覗き込んでくる。

 自信たっぷりで、怖いものなんて何も無いというな。彼女のそんな表情が、一番魅力的だった。

(必殺技思いついたのよ。脳天真っ二つ斬りって言うの。そこ立っててさ、ちょっとぶった斬られてみてくんない?)

 重い剣を軽々と振りかぶりながら、愛らしかった笑みが、凶悪なものに変わっていく。

(もちろん、避けていいのよ。……間に合えばね!)


 顔を上げると、そこにはすでに太い刃が眼前に迫って――。


「うわぁぁぁぁっ!」

 ベンチの上で身を起こしたシオンの目の前に、少し驚いた蒼兵衛の顔があった。

「……飛び起きるほど痛かったか?」

 どうやらシオンの額に、蒼兵衛が軽くチョップしたらしい。それであんな夢を見たのだ。シオンは額を押さえ、はあ、と息をついた。途端にどっと冷や汗が出たのは、あれがただの悪夢でなく、現実の記憶に基づいた恐怖の記憶だからだ。

 あれはオレ、よく生きてたな……。

 いや、桜だって手加減はしていたはずだ。きっと……。命からがら避けたら、チッと舌打ちされたのは、気の所為だったと思いたい。

 たしか、告白された次の日だ。アイツがオレのこと好きだったなんて、絶対嘘だろ……とあのときは思った。それとも、やっぱり怒ってたんだろうか?


「なあ、シオン」

「え?」

 蒼兵衛に声をかけられたシオンは、慌てて顔を上げた。

 今まで「少年」か「小野原」だった呼び名が、いつの間にか変わっている。まあそれはいいのだが。

 相変わらず上半身は裸だ。あの汗だくの服は着ていられないだろう。しばらく洗ってなかった臭いに、汗と嘔吐物の臭いが入り混じり、物凄い悪臭を放っていたから。

「折り入って、頼みがあるんだが」

「あ、うん……何?」

「金を貸してくれ」

 恥ずかしげもなく、堂々と手のひらを差し出してくる。

「……あ、うん……」

「なんだ、その軽蔑したような目は」

「そんなこと無いけど……」

「ちゃんと返す。ただ、今は手持ちが無い。何ヶ月もホテルを転々としていて、レベルダウンの罰金も払っているし、保釈金も馬鹿にならんし」

「……ちょっと待て。一体、何したんだ、アンタ」

「別に罪は犯していないぞ。気に入らん奴を斬っただけだ」

「斬っちゃダメだろ!?」

「安心しろ。峰打ちだ。ちゃんと刃は鞘に仕舞っていたから、殺害の意思は無かったぞ」

「意思は無くても死ぬだろ! 鞘ごとでもアンタが本気で殴ったら、骨が折れるか、下手したら内臓破裂だぞ!」

「相手にもそのぐらいの覚悟はあったはずだ。それをどいつもこいつも、後からグダグダグダグダと……」

「どいつもこいつもって、そんなこと何回もやってるのかよ!」

 思わずあんぐりと口を開ける。蒼兵衛は心外そうに顔をしかめた。

「私だってやりたくてやったわけではない。それに、仕事に誘ってくるのは大抵向こうからだぞ。私の腕を見込んでな。それが、いざ手伝ってみると、密猟の手伝いだかとか、ダンジョン荒らしだとか、人斬りの依頼なんてのもあったな。とにかく何故か私に声をかけてくるのは、違反冒険者や悪党ばかりだった。ほら、ああいう奴らって口は巧いだろ? 私って純粋だし、最初はいい気分で仲間になるんだが……」

「なるなよ」

「まあ大抵、途中で『あれ? これおかしいぞ?』と気づくわけだ」

「普通、最初から気づくだろ」

「気づいたからには、悪事は見過ごせんからな。ちょっと痛い目に遭わせてから、警察に突き出しただけだ。間違ってはいないだろう? 君だって一緒に密猟者を捕まえた仲間じゃないか」

「そ、それは……まあ、いいと思うけど……」

「それなのに、過剰に痛めつけ過ぎだと、毎回私まで捕まりかけるんだ。一応、協会が弁護士を付けたりはしてくれたがな」

「そ、それでレベルダウンしたのか……」

「そうだ。犯罪を未然に防いだのだから、免許剥奪まではせんだろう」

 悪びれもせず、蒼兵衛が頷く。

「ただ、しばらくは高レベルの仕事が受けられないようにという処置だ」

「そういうことかよ……」

 セイヤが彼を探し回る理由はそれか。と、シオンはため息をつきながら、理解した。

 この人は、野放しにしちゃ駄目だ。

 自分がどれだけ強いのか、分かっているようで分かっていない。そのくせ、寂しがり屋だ。だから、懲りもせず悪人に利用されるのだ。

「シオン」

 蒼兵衛が膝をつき、シオンの手を両手でしっかりと握り、真顔で見つめてきた。

「今、私を利用しようとしないのは、君だけだ」

「……そんなことも無いと思うけど……」

「君は実に謙虚な男だ。ワーキャットとは思えん。いや、悲しみにとらわれるあまり、ワーキャット全てを憎んできた私が間違っていた。君は、私を手酷く裏切ったあのバカップル共とは違う。私は奴らを信じていたのに、奴らは所詮、私の力を利用していたに過ぎなかった」

「……そうかなぁ……」

 結果として裏切りにはなったかもしれないが、蒼兵衛を心配して探し回っていたことや、シリンの涙が嘘だったとは思えない。

「シオン、唯一無二の友よ。君が困っているときは、私が力になろう」

「それはありがたいけど……ちょっと、手が痛いというか」

 がっしり掴まんだまま、まったく離してくれない。

 信頼を寄せてくれるのは嬉しいが、すっかり日の高くなった公園で、上半身裸の男と、これ以上手を繋いではいたくない。

 そんなシオンの正直な気持ちとは裏腹に、蒼兵衛が握る手に力を込めてくる。骨がミシミシと軋んだ。

「い、いてて……!」

「君は私に親切にしてくれた。食客として迎えてくれ、金まで快く貸してくれる、本当に良い奴だ」

「金はまだ貸してないけど……」

「無論、すぐに返す当ては無いが、必ず返す」

 ぱっと手を離し、また手のひらを向けてくる。

「そうだな、十万……いや、七万でいい」

「そんなに!?」

「着の身着のままで来たからな。なに、仕事をしてちゃんと返す。ただ、それにしても装備を整える必要があるからな。コートもあと一着しか無いし」

「もうそろそろ暑いから、コートやめろよ」

「便利だぞ、あれは。野営のとき包まって寝るのにちょうどいいし。それにあれ、特注なんだぞ」

「アンタに大金渡すの、なんか怖いんだけど……」

「じゃあ、五万でいい」

 ずい、と手を差し出され、シオンは顔をしかめた。そう言われても、ポンと渡せる金額では無い。

 もしかして、自分のほうが利用されてるんじゃ……と少しだけ思ったが、蒼兵衛はそれほど器用な男では無いだろう。常識が欠けているだけだ。

「ちゃんと借用書は書くぞ。印鑑は無いから血判でいいか?」

「けっぱん?」

「自らの血で押す印のことだ」

「要らん……。まあ、とりあえず服は必要だもんな……分かったよ」

「あと、冷蔵庫の中があれだとな、ちょっとあの食生活は私には合わん」

「食費はオレが出すよ。後で買い出しに行こう。それでいいよな?」

「うむ。異論は無い」

「じゃあ、そこのコンビニで、金を下ろしてくるから……」

 立ち上がろうとすると、蒼兵衛が真面目な顔で呼び止めた。

「おい、シオン。ちょっと待て」

「まだ何かあるのか?」

「君、お人よし過ぎるって言われないか? そんなにあっさり人を信じて大丈夫なのか?」

「アンタに言われたくないんだけど……」





 ちゃぶ台の上には、またも妹尾家から差し入れの重箱が置かれている。

 そして、六畳間の一室に、四人は狭い。

「……というわけで、オレと浅羽の目的は、宝探しだ。そして、金だ」

 シオンの隣には、紅子。ちゃぶ台を挟んで、向かいにはキキと蒼兵衛が座っている。

 蒼兵衛の衣服と食料品を買い出しして戻ると、キキがまた重箱を手土産にアパートの前で待っていた。それならと、紅子も呼んだ。

 蒼兵衛はしばらくシオンと行動を共にしたいようなので、パーティーに誘ってみたら、あっさり了解しもらえたので、顔合わせの良い機会だと思ったのだ。

 学校が終わってからやって来た紅子を加え、妹尾家の豪華弁当で夕飯……の前に、シオンは全員に話をしていた。

「オレたちの力になってくれるなら嬉しいが、オレたちも資金があるわけじゃない。基本的に、報酬は平等に分配、特別な手当ては考えてない。働きによって、割合を変えることはあると思うが、それはオレに任せてほしい」

「えー、シオンが決めんの?」

 キキが声を上げると、シオンは強く頷いた。

「意見は聞く。でも、基本的にオレが決める。オレが決めたことに不平があるなら言ってくれればいい」

「それってなんか、シオンがリーダーみたいじゃん」

「そうだ」

 はっきりと言いきるシオンに、おお、と全員が声を上げた。

「やる気じゃん」

「やらないと始まらない。というわけで、パーティーの代表はオレがやる。仕事の予定も内容も決めさせてもらう。オレが毎週センターに行って仕事を取ってきて、全員に連絡する。都合が悪い日時があれば、あらかじめ教えておいてくれればいい」

 そこで、すっと蒼兵衛が手を上げた。

「君がリーダーなのも、報酬分配制も、別に異論は無いんだが、そこの魔道士娘は学生だろう。週末だけの仕事となると、宝探しとやらもはかどらんだろうし、他の日はそれぞれで活動するのか? これは週末宝探しサークルなのか?」

「平日に関しては、好きに過ごしてくれて構わない。オレは、自分の生活費とトレジャーハントの資金を貯めたいと思ってる。先行して狙ってるダンジョンの下調べもするつもりだ」

「じゃあ、私もそれに付き合おう。平日の仕事で得た報酬の一部は、その宝探し資金にしてもらって構わん」

「いいのか?」

「いいぞ。どうせ暇だし。むしろガンガン仕事入れてくれたほうが助かる。冒険者の仕事をしなくなったら、ただの無職だからな」

「ハイハイ!」

 とキキも勢い良く手を上げる。

「あたしも大丈夫だよっ。学校行ってないしね!」

「お前は家庭教師についてるだろ……と一応は言っておくけど、おじいさんとおばあさんにオレからも相談はしてみる。勉強時間との折り合いがつけば、平日でも参加してもらう」

「やったー!」

 両手を上げてキキがバンザイをする。

 実はもう、彼女の祖父母とは話がついている。キキにパーティーに入ってほしいと、シオンから連絡した。キキは幼くてバカだが、並の大人よりは強いし、根性もある。

 小柄な体も、ダンジョン探索で非常に役に立ってくれるだろう。

 それに、妹尾組のバックアップがつくなら、かなり心強い。

「おい、サム! お前、キキちゃんの足引っ張んなよ!」

 早速バカなことを言い出しているが、蒼兵衛はまったく気にする様子も無い。風呂に入ってさっぱりとした頭をぽりぽりと掻き、面倒くさげにキキを見やる。

「はあ……分かったよ。ボブ」

「ボブって誰だよ!」

「サムとは誰だ」

「サムライだからサムだよ!」

「そうか。ボブは陽気なアメリカ人だ」

「誰っ!? あたしのことはキキさんと呼びなっ!」

「断る。お前の中で私がサムである限り、私の中でもお前はボブであり続ける」

「だから誰ぇぇぇっ!? 大体、ボブって男じゃん!」

「それもそうだな。訂正する。ボブ子」

「子を付けただけじゃねえかぁぁぁ!」

 同じレベルの会話をしている二人はさておき、シオンは傍らの紅子を見た。

 シオンの横で、一生懸命メモを取っている。時折、差し入れの重箱が気になるのか、ちらちらと見ている。

「浅羽から、何かあるか?」

「えっ! わ、私から? え、えーと……」

 紅子がびくりと肩を跳ねさせ、薄笑いを浮かべる。

「探してるのは、浅羽の探しものだ。お前からも何か無いのか?」

「え、えーと、えーと……」

 紅子が困ったような笑みを浮かべる。

 キキと蒼兵衛もじゃれ合うのを止めて、紅子の言葉を待っている。

「こ、このたびは私、浅羽紅子のために、皆さん、ご協力いただいて……あ、ありがとうございます!」

 と、頭を下げた。

 そして顔を上げ、「これでいい?」と言うように、ちらりとシオンを見る。

 シオンが笑みを浮かべ、頷く。

「うん。それで?」

「えっ……!」

 更に先を促され、紅子は顔を引きつらせた。

「え、えーと、えーと……」

「浅羽も、何か考えてることがあるだろ? 遠慮無く言ってくれていいんだぞ」

「か、考えてること……? ……あ……あう……このたびは、ご協力いただいて……」

「それはもういいからさ」

「あうっ!」

 シオンの優しい声音が、ばっさりと紅子の言葉を遮った。紅子は誤魔化すような笑いを浮かべながら、必死に言葉を探し続けた。

 ぼそっとキキが呟く。

「もしかしてさぁ……紅子って、全部シオン任せ?」

「さっきまで自分のことなのに、まるで自分のことじゃないみたいな顔をしていたな」

「ああう……!」

 蒼兵衛にまで辛辣なことを言われ、紅子はがっくりと項垂れた。

「お前ら、そんなわけないだろ。酷いこと言うな。浅羽は真剣なんだぞ。ちゃんと考えてるに決まってるじゃないか。な?」

「あっ……あああ……!」

「一番ヒドいのはシオンだよ」

「いっそ叱り飛ばされたほうがマシだな」

「何が?」

 シオンがきょとんとした顔をする。

「――ごっ、ごめんなさい!」

 紅子はいきなり畳に突っ伏し――きれず、ちゃぶ台にゴンと額をぶつけた。

「痛ぁっ!」

「あ、浅羽! 大丈夫か!」

「……わ、私……手当たり次第ダンジョンに入ればいいかなと、思ってました! お、お金のこととかも、あんまり……!」

「ようは、ノープランってことでしょ」

「ううう……! お、小野原くんが何でもしてくれるから、甘えてました! ごめんなさい!」

「まったく、女はいいよな。ちょっと可愛いければ、男が何でもしてくれるから……」

 と言いながら、蒼兵衛がまた自分の心の傷口を広げ出し、膝を抱えた。丸まったその背中を、キキがバシンと叩く。

「何言ってんの! 可愛さだって努力だよっ! あたしは生まれつき可愛いけどねっ!」

「うるせえ……リザードボブ子」

「誰がリザードボブ子じゃあああ!」

「……可愛いからって、男を騙して弄んでいいわけがないんだ……あのアマ……絶対に許さん……私の純情を返せ……」

 膝を抱えてブツブツと言い出した蒼兵衛の背中を、キキが「ウガァァァ!」と怒声を上げながら、ボカボカと殴りつけている。

 シオンの隣では、紅子がちゃぶ台に頭を突っ伏していた。

「浅羽……気にするなよ」

「……ごめんなさい……わ、私……ノープランで……!」

「いや、大丈夫だから」

 顔面をちゃぶ台に伏せたまま、声と肩を震わせている紅子を、シオンは慰めた。

「わ……私の事情に小野原くんを、ま、巻き込んでおいて……! 今さっきだって、早くお弁当食べたいなぁとか、リーダーらしく振舞ってる小野原くんは偉いなぁカッコいいなぁとか、のん気に思ってて……!」

「そ、そうか……」

 そう言われると気恥ずかしくなり、シオンは顔を赤らめる。

 直後、いきなり、紅子がゴン! とちゃぶ台に自分の頭をぶつけた。

「あっ、浅羽っ!?」

「……いっ、痛い……!」

「何やってんだ。そりゃ痛いし、頭部へのダメージは良くないぞ。打ち所によっては、死ぬことも……」

「……私、自分が恥ずかしいよ……」

 紅子が小さな声で呟く。

「……そうだよね、私の為に、みんな……こうして集まってくれてるのに……」

「浅羽のことが無くても勝手に集まって来るから、こいつらは」

「それに、家族の為なんて言ってたのに……私……そうだよね、軽いよね……。全部小野原くんに頼りきりで……全然、真剣じゃない……」

「やり方が分からなかっただけだろ。やる気はあるじゃないか。ちゃんと冒険者になって、経験も積んでる。レベルももうすぐ上がりそうだし」

「おにょはらくん……やしゃしい……」

 ぐすすっと鼻を啜る。どうやら泣いていたらしい。

 その背中を、シオンはぽんぽんと撫でた。

「もう気にすんな。オレもこうして、パーティーで何かするのって初めてだから、ちょっと今、楽しいぞ」

「……うう……ありがとぉ……やしゃしい……」

「友よ、女を甘やかすとろくなことが無いぞ……」

 まだ膝を抱えている蒼兵衛が、暗い顔で呟いた。その背中をサンドバッグにして殴ったり、おぶさったりして遊びながら、キキが言う。

「お前、くっらいなー! 昔の女に未練があるから、そうやって考え方がネチネチしてんだよっ!」

 背中に乗っかって、両方の頬をぐにぐにと引っ張る。

「いい? アンタのしてることは、やなことから目を背けてるだけ! ゴミを捨てる捨てるって言って捨てきれずに、ダンボールに積めて部屋の隅っこに置いてるだけなの! 自分の中でぜんぜん整理出来てないんだよっ! この片付け下手男がっ!」

「……一理、あるかもな……」

 濁った目で、蒼兵衛が遠くを見る。

「……しかし、今となってはゴミでも、長年ずっと大事にしていたものだ……処分の仕方が分からない……」

「簡単だよっ! とおっ!」

 ぴょんっ、とキキは蒼兵衛の背中から飛び降り、部屋の隅にちょこちょこと歩いて行って、ズバーッと何かを斬る動作をした。

「――斬れっ! 斬っちまえ!」

「それはダメだって言っただろ! もうお前は余計なアドバイスすんな!」

 キキの過激思想に、シオンは大声を上げた。

 けれど、ようやく顔を上げた紅子が、潤んだ目で少し笑ったので、ほっとした。

 煩くて、ドタバタしているけれど、こういうところがパーティーの良さでもあるのだろう。

 あれほど強かった桜が、必ずパーティーを組んで冒険に行っていた気持ちが、今になって分かった気がした。

 そのとき、携帯電話が知らせを告げた。

「……あ」

 草間からのメールだ。

 慌てて開いて、短い本文を確かめると、紅子に見せた。

「ほら、浅羽。前に、魔法を教えてくれるかもしれないって言ってた人だ」


『魔道士を連れて来い。話は聞く』


 そっけないメールに、シオンと紅子は顔を見合わせ、小さく笑った。

「焦らなくていいから。少しずつでも、確実に目的に近づいていけばいいんだ」

「……うん。ごめんね、小野原くん。うじうじしちゃって……」

 目許をごしごしと擦りながら、紅子がはにかむ。

「そうだね、落ち込む前に、自分ががんばらなきゃだよね! 魔法も魔石のことも、もっと勉強する。私、がんばるよ!」

「ああ。オレも、もっと色々調べとくから」

 いつも通りの元気さを取り戻し、紅子が胸の前で拳を作ってみせる。シオンも頷いた。

「そろそろ、メシ食うか。せっかくキキが持って来てくれたし」

「うん!」


 その様子を、膝を抱えた蒼兵衛が、死んだような目で眺めている。キキはまた背中におぶさって遊んでいる。

「……まず、あいつらから斬っていいか……? クソ、しょせんアイツもワーキャットか……」

「よしな。アンタがますます惨めになるだけだよ。アンタの鍛え上げた刀、つまんないモンを斬って汚す気かい?」

 ふっと大人びた顔で告げるキキを、蒼兵衛がいくらか感心したように見た。

「……結構良いこと言うな、ボブ子さん……」

「キキさんだってば!」

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