パーティーを作ろう!
シオンは全員の注目を浴びる中、封筒からキキの履歴書を取り出した。
ちゃんと顔写真まで貼ってある。これを用意させた彼女の祖父母も、今更だがなかなか変だ。
「お前、意外に字が上手いんだな。でかいけど」
枠からはみ出さんばかりの筆文字は、かなりの達筆だった。経歴や趣味や特技など書いてあるが、達筆過ぎてシオンには読めない。
「はい。おじいちゃんが書きました」
向かいで姿勢を正したキキが答える。
「ダメだろ、それ……。自分で書けよ」
保護者の名前と印鑑まで押してある。もしや自分は祖父母と孫の遊びに巻き込まれているだけでは……と思わないでもなかった。
「ええと……つーか、そもそも面接って何すんだ?」
耳の付け根を指で搔きつつ、シオンは隣の父親を見た。
「そもそも君はどういう人にパーティーに来てほしいんだい?」
「うーん……それは、まあ色々だけど」
「曖昧だなぁ。じゃ、父さんが副面接官をやろうか」
「副面接官?」
竜胆は身を乗り出し、膝の上に肘を置き、手を組んだ。
キキが緊張した面持ちで、背筋を伸ばす。
「よーし、じゃあ、キキちゃん。君はうちの息子のパーティーに入りたいそうだけど……まず、君の経歴から確認させてもらおうかな」
と言い、シオンの手から履歴書を抜き取ると、開いて中を読む。そして、わざとらしくふむふむと頷いた。
こういう人だった……とシオンは顔を引きつらせた。子供みたいな遊びが好きなのだ。幼いころはよく冒険者ごっこをやってもらった。
「十二歳って書いてるけど、親御さんは冒険者をやることに反対してないのかな?」
「はい! おじいちゃんもおばあちゃんも、キキが立派な冒険者になることを応援してくれてます!」
キキの大きな返事に、うん、と竜胆が微笑んで頷く。
「でも、大丈夫かな? ほら、体力的な面とか、精神的な面とかね。冒険者ってけっこう大変だよ?」
「問題ないです。キキはこう見えてもリザードマンハーフなので、体力は人間の子供よりめっちゃあります。重い荷物も背負えます」
ハキハキとキキが答える。
「毎日、超長い屋敷の廊下を雑巾で拭き掃除して、足腰を鍛えてます!」
「へえ。えらいねえ」
させられてるんだろうな、あのおばあちゃんに……とシオンは内心思った。
「モンスターも怖くありません。ゴブリン討伐はしたことあるし、こないだもワーキャットをぶっ倒してやりました。暴れるのは自信があります!」
「どんな自信だよ……」
鯛介が呟く。
「それはすごいけど、ワーキャットって、まさかうちの息子のことじゃないよね?」
「ダンジョンで遭遇した獣堕ちです。がんばりました」
「そう。レベル1なのに、戦闘力は充分だね」
「はい! それに、キキは小さいので、狭いところも入れます。ダンジョンで色んなところを探すとき、すごく役に立つと思います!」
「なるほど、そうだね。だってさ、どう? 紫苑」
たしかに、キキはそこそこ戦える。物怖じしないという点では、紅子より場慣れした感さえある。
だが、シオンは冷たく言った。
「でもコイツ、忍耐力無いし」
「そんなこと無いです!」
抗議するキキを、シオンは冷たく見やった。
「仕事中に寝たじゃねーか」
「ぐっ……この男……ほんとしつこい……!」
「しつこい?」
小声でキキが愚痴ったのを、シオンは聴き逃さなかった。睨むと、ぶんぶんぶんっ! と首を振る。
「い、いえっ! そっ、それは反省しました! がんばります!」
「うん。じゃあ、続けようか。クラスは、ガンナーだね」
履歴書を眺めながら、竜胆は完全に楽しんでいた。キキも慌ててそこに乗ってくる。
「はい! でも、他の武器も出来ます。今は槍もおじいちゃんと練習中です」
「なるほど、攻撃範囲の広いファイターってわけか。頼もしいね」
「はい。頼もしいです。それに、キキのおじいちゃんはあの妹尾組の親分です。キキがお世話になるパーティーには、協力を惜しまないと言ってます」
「へー、そりゃすごい。それはいいんじゃない? ね、紫苑」
「それはすごいけど……」
話だけ聞いていれば、悪いところは少ない。初心者冒険者ではあるが、将来有望と言えるだろう。
「どうしてうちの息子のパーティーに入りたいと思ったの? 妹尾組のお嬢さんなら、もっと頼もしいパーティーも組めそうだけど」
「はい。いつも同じような顔を見ているので、仕事くらい別の人と組みたいと思いました」
「ははは、正直だね」
「正直過ぎるだろ……」
鯛介が呆れ顔で突っ込む。
「かといって、ムサいおっちゃんばかりのパーティーも嫌です」
「うん。たしかに、そういうパーティーには女の子は入りにくいよね」
「自分もおっさんだろ……」
息子の言葉に、竜胆はいきなり真顔になった。
「おっさんではあるけど、僕はムサくはない。父さんまだそんなに臭くないだろ?」
そんな父親に、シオンは何も言わず嫌な顔をした。
「それに、いつまでも一族に守られていては、キキも成長できませんので」
「さっき、国重さんが協力惜しまないって……」
「シオンお兄さんのパーティーがいいなと思ったのは、シオンお兄さんも抜けているし、ソーサラーもドジだし、まだまだっぽいので、一緒に成長出来るかな、と思いました」
「悪かったな」
「要約するとキキちゃんは、自分が一緒に成長していけるようなパーティーに入りたいと?」
「そんなかんじです」
「それ以外の目的って無いのかな?」
「アイドル冒険者になることです」
「ブフッ!」
隣で鯛介が吹き出す。キキはそれを無視し、真面目な顔で訴えた。
「でもそれは、キキは可愛いのでおのずと叶うと思います。まずは冒険者として、経験を積みたいと考えています」
「じゃあ、最後に。報酬の取り分に関して、希望はある?」
「いりません!」
きっぱりとキキが答えた。
「え、いるでしょ?」
竜胆が尋ね返すと、ぶんぶん、と頭を振る。
「取り分はいりません! パーティーに入れてくれればいいです!」
「いや、それはちゃんと払うよ」
シオンが言うと、キキはキッとつり目をつり上げた。
「いらない!」
バン! とテーブルに両手を突いたかと思うと、シオンに向かって深々と頭を下げる。
「それよりも、キキだけの仲間が欲しいの! 一緒に冒険してもらえれば、それだけでいい! だから、だから! なにとぞ、よろしくお願いします!」
いつにない熱意を見せるキキに、シオンも少々呆気に取られた。
「なるほど。いいんじゃない? 紫苑」
「えっ!?」
さらっと言われ、シオンは耳と尻尾を立てて驚いた。
「こんなんで!?」
「熱意は伝わったよ、なにより見返り要らないって、言ってくれてるじゃないか。なら、少しだけでも一緒にやってみればいいんじゃない? と、お父さんは思ったわけだけど」
「そんな簡単に……」
「簡単だよ。というより、何を難しくしたいのかな? パーティー加入の試験とかあるの?」
「ないけど……」
「じゃあ今度は、紫苑の希望を訊こう。君が欲しいと思ってる人材というのは?」
そう尋ねられ、シオンは少し考え、言った。
「強くて頼りになる……」
「もっと具体的に。たとえば、自分のパーティーに現在欠けているもの、それを補ってくれる人材だよね。それはどんな冒険者かな? 道を切り開く戦士? 後方支援してくれる魔道士?」
父親の言葉は、シオンの漠然としたイメージをクリアにした。そして、ぱっと一番に思い浮かんだのが蒼兵衛だった。
「……強い戦士。足りないものは多いけど、まずはもう一人、戦えるファイターが必要だと思う」
するとキキがぱっと顔を輝かせ、自分を指差した。
「あたし、あたし!」
「ぜんぜん違う」
「なんでぇ!」
喚くキキに、シオンは思わず怒鳴った。
「お前は頼りにならない! 仕事中に寝ただろーが、お前は! 寝るか!? 普通! 仕事中だぞ!」
「だって、眠かったんだもん!」
「だってもクソもあるか、そんなもん!」
「だから反省してるって言ってるじゃん! うわーん! シオンのケチー!」
手足をバタバタとさせるキキを、鯛介がすぐさま取り押さえた。
「誰がケチだ!」
「まあ、落ち着きなよ、紫苑」
竜胆が間に入った。
「すでに起きてしまったミスより、失敗をどう次に繋げるか。リーダーには気持ちの切り替えも大事だよ。過去の失敗はさておき、他に、キキちゃんのどういうところが不安なんだい?」
「不安しかないだろ、そんなもん。大体、コイツはまだ小さいし」
「ち、小さくないし!」
「あはは。紫苑も小さいのにね」
「そこまで小さくねーよ!」
「まあまあ、シオンさんは、キキのこと心配してくれてるんすよ。いくらリザードマンだって言っても、コイツのナリはこんなっすからね」
それまでほとんど見守っているだけだった鯛介が、シオンに助け舟を出した。
「たしかにリザードマンは、この歳で冒険者になるのも珍しくはない。けど、コイツの場合、まだまだ一人前とは言えないっす。手がかかるのは間違いないし、ワガママだし。ま、実際ガキっすよ。リスクは高い」
「ちょっとぉ! 余計なこと言わないでよぉ!」
抗議するキキの小さな頭を、鯛介ががしっと掴む。
「けど、大叔父貴のバックアップは、メリットとしてはデカいんじゃないっすか? 特に、組んだばかりのパーティーにとっては」
「でも、それじゃ妹尾の皆さんに迷惑じゃないか……」
シオンが呟くと、鯛介は指を立てて振りながら、チッチッチッと舌を鳴らした。口が大きいので、その音も大きい。
「シオンさん、利用出来るモンはしましょうや。別にオレはコイツを推薦するわけじゃないっすけどね」
「しろよぉ!」
「親の力もコイツの能力のうち。そう思ってもいいんじゃないっすか? もっと打算的に考えてもいいんです。それに、大叔父貴がいくらジジ馬鹿だからって、人を動かすときには、それなりの理由でちゃんと動かしますよ。じゃないと、誰も付いて行きません。あんなんだけど、人望はあるんだ」
「うんうん」
キキがしたり顔で頷いている横で、鯛介はガハハと笑った。
「もし、コイツの代で誰もついていかなかったら、それもそれだし」
「コラァ!」
「僕はわりと良いと思うけどなぁ、キキちゃん。紫苑と合うと思うよ」
「なにが!?」
すぐに適当なことを言う父を、シオンは睨みつけた。竜胆は笑いながら息子の顔を見返した。
「や、だって君、元々あんまり人に強く出ないタイプじゃない。キキちゃんくらいのほうが、やりやすいのかなーと。それに……」
と、竜胆は言葉を切って、突然キキにこう尋ねた。
「ねえ、キキちゃんは、お金に興味ある?」
「ん? 無いよ。キキんちお金持ちだもん」
キキが平然と言い放つ。
「うん。紫苑、これはね、大事なことだよ」
竜胆が真顔で言った。
「はぁっ!?」
「や、人はお金絡むと変わっちゃう人もいるんだよ。紫苑にはそういう人と関わってほしくないなぁ。あ、これは親の意見ね」
「よく言うよ……」
家から出したうえ、連絡も寄こさなかったくせに、と思わず恨みがましくなってしまう。実際はそれほど気にしていないことだが。
「いいかい、紫苑。経験があって、強くて、使える人……しかも、損得抜きで信頼しあえる、そんな人と組もうって思ったら、なかなか難しい。だから、キキちゃんあたりがちょうど良い妥協点かな、と僕は思ったんだ」
「妥協ってなに!?」
キキが叫んだ。
「でも……オレと、浅羽と、キキって……なんか色々と不安があるんだけど……」
「あははは、可愛いパーティーじゃない」
「笑うな!」
適当な父親の言葉に、シオンは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「その、浅羽さんという方は?」
鯛介がやんわりとした口調で尋ねた。彼が会話に入ってくると、少し場の空気が和らぐ。
その空気を、竜胆があっさり壊す。
「息子の彼女だよ」
「へえー。いいっすね、彼女さんと一緒にパーティーかぁ……いいなぁ……」
心底羨ましげに、鯛介が呟いた。
「違う!」
シオンは父親のポロシャツの胸倉を掴み、噛みつかんばかりに怒鳴った。しかし父親はまったく意に介していない。
「まったく、君はなんでもすぐ真に受けるんだからなぁ。こういう大人のやりとりに耐性付けてかないとね」
「なにが大人のやりとりだ!」
「紅子はへっぽこだけど、魔力はまあまあ強いんだ」
キキの言葉に、鯛介が頷く。
「ああ、言ってたな。大叔父貴の怪我を治してくれたっていう……。なるほど、治癒持ちのソーサラーがいるのは、かなり強みだな」
「でも、紅子は戦いはあんまり得意じゃないんだよね。こないだも獣堕ちに遭って、ビビッて腰が引けちゃってたもんね」
「そのへんは慣れだな。性格もあるけど、やってりゃ少しは慣れる」
現役冒険者らしい意見を鯛介が述べる。
「ソーサラーに求めるのはやっぱサポートだな。特にヒール持ちは貴重だ。攻撃に参加しなくてもいいんだよ。どうせ戦えるやつのほうが多いんだからな。となると、シオンさんの言うように、やっぱりファイターの強化か」
「あたし、あたし」
とキキが自分を指差す。ふっ、と鯛介が乾いた笑いを浮かべた。
「お前よりもう数ランク上がほしいと思うのは、まあ当然っちゃ当然だよな」
「ウギー!」
キキが鯛介の分厚い胸板をドコドコドコと拳で叩く。一見子供のパンチに見えるが、キキのそれはけっこう痛いことをシオンは知っている。しかし鯛介は平然とし、その強靭な肉体はビクともしない。
肉体強化無しであのタフさ。やはりリザードマンの戦士も良いなぁ……とシオンは内心で思った。
すると、いきなり竜胆がまたおかしな提案を始めた。
「よし、ちょっと、鯛介くんを面接してみようよ」
「へっ?」
何を言い出すんだとシオンは顔をしかめたが、思いのほか鯛介は乗ってきた。
「ああ、いいっすよ。オレが、パーティー加入希望者ってことすね」
「そうそう。よろしく頼むよ」
「えええー。なんで鯛介がぁ? パーティーに入りたいのはキキなのに!」
ぶーとキキが頬を膨らませるが、竜胆が何を考えているのかなんて、息子のシオンにも分からない。
そしてまた、面接は始まったのだった。
竜胆は膝の上で手を組み、向かいに座る鯛介に語りかけた。
「えーと、妹尾鯛介くんだね。うちの息子のパーティーに入りたいってことだけど」
「はい! よろしくお願いします!」
元気な声で答え、鯛介が頭を下げる。
それにしても、いちいち「うちの息子のパーティー」って言うのをやめてほしいとシオンは思った。
「君はすでに経験の長い冒険者のようだけど」
ありもしない履歴書を読み上げるように、竜胆が言った。
「はい! ファイターで、六年目になります。以前はパーティーを組んでいましたが、現在フリーです。このたびは、こちらのパーティーがメンバーを募集していると聞き、応募させていただきました!」
「なるほど。それじゃあズバリ、現在のレベルはいかほどで?」
にかっと笑い、鯛介は元気良く答えた。
「48です!」
「おお、それはすごいね!」
「す……すごい!」
「ちょっとおおお!」
竜胆だけでなく、シオンも思わず感嘆の声を上げ、キキだけは悲鳴を上げた。
「それはぜひ、息子のパーティーに入ってほしいなぁ」
「よろしくお願いします」
「頭を下げるなぁ!」
しかしその後、鯛介の口から思いがけない言葉が出た。
「いやぁ、ソロでやってると実入りはともかく、体のほうがキツくて。こちらのパーティーだったら、どのくらいのレベルの仕事で、どのくらいの月収入を考えていらっしゃるんでしょうか?」
「……え?」
にこやかな鯛介の言葉の意味が、すぐには分からず、シオンはきょとんと目をしばたたかせた。
代わりに、竜胆が答える。
「もちろん、報酬の分配はさせてもらおうと思っていますよ」
「それって一人頭、幾らぐらいになります? 月にどんくらい仕事入れて、どういう配分になるんすか? ファイターは体も使うし、危険手当も欲しいっすね! ま、オレは独身なんで、最低でも月収こんぐらいあれば大丈夫っすよ!」
と、鯛介が指を三本立てた。
シオンは目をぱちくりとさせながら、呟いた。
「……さ、三十万……?」
「装備や道具でけっこう吹っ飛びますし、保険も保障も無い職業っすからねー。こんぐらいは。そのぶん、盾役はしっかり務めます!」
「だけど、ソロならもっと稼げるんだよね?」
「そっすね。でもしんどいっすよ。パーティーのメリットは、負担を分散出来るってことっすからね。今より収入が落ちても大丈夫っす!」
「じゃあ、このぐらいは当然だよね。むしろ妥協してくれてるほう」
竜胆が腕組みし、大げさに頷く。
「もっと高レベルのパーティーに入れば、それ以上の金額は軽く稼げるはずだからね」
シオンはといえば、分かっていたつもりだが、いきなり提示されたリアルな金額に、呆然としていた。そこに、竜胆がやんわり告げる。
「どう? 紫苑。君はたしかに真面目に考えていただろうね。でも、それでもまだ具体的じゃないということ。冒険者にも色々いるんだよ。趣味でやってる人、本気で金を稼ぐ手段としている人」
「……そっか……そうだよな……。強い人は、とっくにいいパーティーに入ってるよな……」
父親の言葉に、シオンの耳がしゅんと伏せられた。
運良くソロであっても、自分の実力に見合った、それなりの報酬を要求してくるのは当然だろう。
条件が良い人というのは、相手も良い条件を求めてきて当たり前なのだ。
「そ、パーティーが当然強い人を求めるように、強い人だって、そのパーティーに入るメリットが欲しい。それは大体において、お金で解決する問題だったりするんだよ」
「別に、多くは稼げなくても、パーティーで安定収入を得たいっていう考えの奴も多いっすよ」
人の良い鯛介がフォローを入れる。
「稼げるってことは、それだけ危険な仕事をしてるってことです。パトロンでもいりゃ別ですが。ソロだと死亡率も高くなりますけど、その点、固定のパーティーがあると、肉体的にも精神的にも楽っすからね」
「そっか……」
顎に指を当て、シオンはブツブツと呟いた。
「でも、オレのパーティーは、そんなに稼げるような仕事は出来ないかもしれない……むしろ、ダンジョンに潜るために資金を稼がなきゃいけないくらいで……目的が、トレジャーハントだからな……」
「えっ、そうなの?」
今度は竜胆が驚いて、興味深々で尋ねてきた。
「紫苑、宝探ししてるのかい? へえ、そんな夢あったんだ?」
「父さん……ちょっと黙ってて」
うーん、とシオンは呻いた。
分かってはいたが、金額が出てくると急にリアルさをともなってくる。
「ま、たまにいますけどね。腕はいいのに、金勘定なんかそっちのけで乗ってくるやつも。あとは有能だけど性格に難有りで、あぶれてる奴とか……」
鯛介の言葉に、シオンの脳裏に再び蒼兵衛のことがよぎった。
あれだけ強いのに、かつての仲間と決別し、レベルダウンするほどの違反をした冒険者。現在ソロでやっているのは、訳有りには違いない。
それに彼は、かつての仲間のことをいまだにひきずっている。気にしていないふうを装っても、そうなのだろうとシオンは思った。
「でもね、やっぱり金じゃないですよ。仲間ってのは」
優しく、鯛介が言った。
「オレたちだって姐さんと組んだとき、金なんていらなかった。この人と仕事がしたいって、ただ、あの人に惹かれたんだ」
「でもオレは、サクラほど強くは無いし……」
「腕っぷしの強さだけが魅力っすかね? 姐さんはたしかに強かったけど、それだけじゃなかった。あの人はいつだって、誰のことも裏切らなかった。自分のために、誰かのために、一生懸命戦って、金とか名誉とか、自分の得なんて考えない人だった」
死んだ後も、こんなふうに語る人がいる。冒険者としての桜は、シオンにとっては遠い、知らない人のようだ。
今、彼女に会えたなら、もっとたくさん話したいことがあるのに。胸に何かが詰まったような息苦しさを感じて、シオンは目を伏せた。
鯛介は、やはり優しく言った。
「気持ちが真っ直ぐな人のことは、案外本人より周りのほうが分かってるもんだ。それにシオンさんが自分をどう思っていても、シオンさんを好きな奴は勝手に寄ってきますよ」
そのとき、黙っていたキキがばっと立ち上がった。
「あたしは、タダだよ! お金はいらないからねっ!」
小さな胸を、手のひらでばんと叩く。
どんなに嫌な顔をされてもめげずに、懸命に自分をアピールする。コイツはどうして、そんなにオレたちと組みたいんだろう? ふとシオンは思った。
彼女を――というか彼女のバックについてくれる妹尾組を魅力的だと思うパーティーは、他にいくらでもいるはずだ。彼女だってパーティーを選べる立場だ。それに言われた通り、自分たちはまだ頼りないところだらけだ。シオンに何度も頭を下げてまで、どこがそんなにいいのだろう。
「お前は、なんでそんなに、オレのパーティーに入りたいんだ?」
「好きだからに決まってんじゃん!」
両手で拳を握り、キキは叫んだ。
「パーティーは好きな奴らと組みたいよ! だって命かけるんだもん! 仕事でしか仲良く出来ない奴らとなんて、やだ!」
キキの腹の底からの大声が、シオンの耳にビリビリと響いて届いた。キキは顔を真っ赤にしながら、ますます大声を出した。
「あたし、シオンや紅子のためなら、がんばれるもん! だから毎日修行してるもん! ほんとだよっ! だから、パーティーに入れてよ!」
いつの間にかテーブルに身を乗り上げ、キキはシオンに迫った。
「あたしは、最初に二人にダンジョンについて来てもらって、おじいちゃんを助けてもらって、嬉しかったんだもん! 一緒にシオンちでご飯食べて、楽しかったもん! それだけだよっ! それだけじゃ、ダメなのっ!?」
最後のほうはぐずぐずと鼻声になりながら、キキはバンバンとテーブルを叩きまくっていた。それを鯛介が制した。
「オイオイ、キキ。落ち着けよ」
「うぐっ、落ち着いてるもんっ!」
シオンの肩に、ぽんと手が置かれた。竜胆だった。
「君にも、君が理想とするパーティーの形があるだろう。これから言うことは、あくまでお父さんの考えだけどね。桜が冒険者になったときも言ったことだけど」
「サクラにも?」
「ああ。あの子もあれで、お人好しなところがあったからね。それに、周囲に人が集まるタイプの人間だったから、少しは心配だったんだよ。一応、父親としてはね。ま、本当に良い仲間を作ったけどね、お姉ちゃんは」
そう言って、竜胆が向かいを見やると、鯛介が照れたように頭を搔いた。
「その場限りじゃない、ずっとやっていきたいパーティーなら、強さよりも、志とか、守りたいものとか、そういうものが同じであるほうが、きっといい。そして……お父さんとしては、彼らが戦いの中だけじゃなく、いつだって君の味方になってくれるような人たちならいいなと思うよ」
そう言う父も、かつては色々あったはずだ。昔の仲間で今も名前を口にするのは、ソーサラーの草間だけで、他の仲間の名は聞いたことがない。言いたくないことは言わない人だから、そういうことなのだろう。
彼も冒険者で、同時に親でもある。シオンを心配し、お節介心がわいたのだろう。鬱陶しがって悪かったかな、と思った。
それに、キキのことを軽くあしらっていたことも反省した。
ワガママで、バカだが、シオンたちとパーティーを組みたいという気持ちは、本物なのだ。
「……分かった。少し、考えてみる。キキのことも」
「ほんとっ? 前向きにだよっ?」
ぱっと顔を輝かせ、キキが声を弾ませた。
「ダンジョン行くときは、また誘ってよ! 絶対活躍するから!」
「ああ。じゃあ、その代わり」
「その代わり?」
キキが緊張した面持ちになる。ワガママばかり言うな、と言っても、すぐに治るわけでも無いし、口が悪いのを治せ、と言っても、そもそもシオンもそんなに良いわけではない。
なにか注意しようとして思いつかず、結局これだけ言った。
「もう寝るな」
竜胆が寿司をこんもりと皿によそい、主の居ない席に置く。
「さ、お姉ちゃんの好きなお寿司だよ」
昼食に出前の寿司を取り、リビングにちゃぶ台を運び、全員ぶんの席を準備をするとき、竜胆は当たり前のようにそこにもう一つ席を作った。
「今日は賑やかだから、桜も一緒のほうがいいかと思ってさ」
と、皿と箸の前に、桜の遺影を置く。その前に、山盛りの寿司が供えられている。
「父さん……」
「シオンとこのおっちゃんって、ちょっとヘンだよね……」
キキの言葉に、シオンは何も言い返せなかった。しんみりとするわけでもなく、本心から良かれと思ってそうするのが、竜胆である。
父が選んだ遺影の桜は、勝気そうに笑っている……までは良いが、大きな剣を背負ってピースサインしているのは、さすがに遺影としてどうだろうと前々からひそかに思ってはいた。装備には拭っても取れない血の痕まで残っている。
鯛介がしみじみと言った。
「この写真、いいっすよね。姐さん、いい顔してるっす」
「そうなんだよねー。桜が初めて仕事をこなして帰ってきた後で、撮ったんだ。僕も気に入ってる写真でさ」
竜胆も懐かしげに目を細めた。
「護衛任務なのに、何故か大量にゴブリン狩りしてきたんだよね」
「ああ、そんなことあったな……」
シオンは無意識に首に下げた小さな魔石に触れた。桜が初めての冒険で依頼者から強奪……譲ってもらったものだと言っていた。
「でも、あのときは思ったな。お姉ちゃんはやっぱり、戦いがメインの仕事をこなしていくんだろうなって。僕はもっと、探索とか調査が好きだったけど。母親に似たのかな」
シオンは初めて、父親の口から桜の母親の話を聞いた。
それまでシオンにとって、聞き辛い話でもあった。まずその人のことを、自分がどう呼んでいいのか分からない。桜の母親で、竜胆の元妻だが、シオンが養子になる前に家を出た人で、シオンにしてみれば正真正銘赤の他人なのだ。桜も、シオンの前で自分の母親の話をしたことは無かった。
何を言っていいか分からずシオンが黙っていると、キキがおもいっきり尋ねた。
「サクラの母さんって、どんな人?」
シオンは驚きながら父を見たが、竜胆は少しも動揺せず、微笑んで答えた。
「顔は、桜によく似てたよ。腕っぷしも。性格はそうでもないかな。大雑把で、サバサバしてるところは一緒だけど、桜は人懐こいところがあったからね。母親は、本当に他人に興味が無い人だった」
父親は笑っていたが、その言葉はどこか辛辣だ。そんな人だったのか、とシオンは意外に思った。
「冒険者だったの?」
キキがモグモグと口を動かし、エビの尻尾を口からはみ出させながら、首を傾げる。
「そう。おじさんが独身のときに仕事で知り合って、それで結婚したんだ。紫苑にも話したこと無かったよね」
急に話を振られ、そ知らぬ顔で寿司をつまもうとしていたシオンは、驚いてびくりと肩を震わせた。
「あ、そ、そうだっけ?」
「言ってないし。父さん、あの人嫌いだから」
あっさりとした竜胆の言葉は、楽しい食卓を静かにさせた。シオンが横目で見ると、鯛介も「あっ、シメサバいただきます!」などとわざとらしく宣言しながら寿司を取っているが、その目は泳いでいる。
キキだけはなおも口をモグモグさせながら、さらなる爆弾を投下した。
「おっちゃん、浮気されたの?」
「ある意味そうかもね」
シオンと鯛介が凍りつく中、竜胆はさらっと答えた。
「あの人は、家族より冒険者であることを取ったんだ。根っからの仕事好きで、結婚したこと自体が息抜きだったんだと、後になって思った」
シオンは何と言っていいか分からず、黙って寿司を頬張っていた。
「桜を産むまでは仲良くやってたよ。彼女も新鮮だったんだろうね、結婚生活というものが。でも、子供を産んだらそれまでだった。結婚は、息抜きに始めたゲームみたいなもので、そこから始まる終わりの無い子育てのことなんて、考えてもいなかったんだろう」
「ふーん。キキのパパとママは、キキを産むまですごいがんばったんだって、おじいちゃん言ってたよ」
「そうか、ご苦労なさったんだね」
「うん。がんばったのに、早く死んじゃったから可哀相だったんだって」
話しながら、キキはパクパクと寿司を平らげていく。
「でも、キキはそのぶん頑張って楽しく生きるよ! 立派な冒険者になって、立派なリザードマンになるんだ!」
「少し黙っとけよ、お前は」
鯛介が呆れた声を出す。
だが竜胆は、優しく目を細めた。
「えらいなぁ、キキちゃんは」
「おっちゃんもえらいよ。一人でサクラとシオンを育てたんでしょ? おばちゃん、一回も戻って来なかったの?」
「こら、キキ!」
慌てて鯛介が咎めたが、当の竜胆に気にした様子は無い。
「うん。今はどうしてるかも知らないし、亡くなってるかもしれない。もし生きているなら、あっちもこっちのことには興味無いんだろう。自分の娘だって平気で置いていったんだからね。僕も出て行かれて、最初はショックだったけど、子育てが忙しくて忘れちゃったよ」
別に大したことでも無いようにそう言い、シオンを見た。
「ごめんね、紫苑。こんな形で話しちゃってさ」
「えっ」
またも話を振られ、シオンは動揺した尻尾を激しく動かした。慌てて片手で尻尾を押さえつつ、口の中の寿司を飲み込む。
「い……いや、オレはいいけど……」
「そう? いつか話したほうがいいかなーとは思ってたし、変に話題にしないのもどうかって、昔から草間にも言われてたんだけどさ。たんに僕があんまり話したくなくて。ほんと嫌いになっちゃったから」
「あ……うん。まあ、それなら、分かった……」
「桜の葬儀にも来なかっただろ。連絡先も分からないけど、アイツの実家には一応連絡しといたんだ。でも、本当に来たらどうしようとも思ってた。娘の葬式でアイツの顔見るなんて、我慢できるだろうかって」
「でも、良かったじゃん。おっちゃん。奥さんはハズレ引いちゃったかもしんないけど」
「キキィ!」
あっけらんかと言うキキに、鯛介が悲鳴に近い声を上げた。
「子供はさ、ちゃんと育ったじゃん。サクラはすっごい強くて有名な冒険者だしさ、シオンはいい奴だもん。まあまあ強いし」
「オレはまあまあか……」
「えー? まあまあじゃん。レベル11でしょ」
「お前は1だろ!」
「あははは」
と竜胆が笑った。
「うん。おじさんは、子供には恵まれたよね。本当に」
「そーそー。やっぱ最後に面倒みてくれるのは、子供なんだからねっ!」
「お前は大伯父貴たちが死ぬまで面倒かけてそうだけどな……」
寿司を頬張りながら調子良く喋るキキを、鯛介が引きつった顔で見やった。
「はは、キキちゃん、うちの息子を頼むね」
「よっしゃ! 任せてよ!」
「コイツに任されるくらいなら、ソロのほうがマシだ……」
「ですよねー」
げんなりするシオンに、鯛介がうんうんと頷く。
「いやあ、でもやっぱりソロは心配だよね。大事な息子だし。本当、良い子に育ってくれたよ。しばらく会ってないうちに、しっかりしたしね。ねえ、紫苑」
嬉しげに微笑みながら、竜胆はシオンを見た。
「ん?」
「介護してね」
「……あ、うん……」
頷くシオンに、竜胆はいきなり子供のように目を輝かせた。
「でも、その前に、君の場合はお嫁さんだよね。ねえ、浅羽さんってさ」
「その話はしない」
ぴしゃりと遮って、シオンは寿司に箸を伸ばした。
キキたちが帰ると、「もう一日くらい泊っていけば」とシオンは竜胆に言われたが、そうしてずるずる滞在してしまえば居心地良くなってしまいそうだったので、戻ることにした。
「楽しかったよ。またおいで」
玄関でブーツの靴紐を結ぶ息子の背中を眺めながら、竜胆が言った。
「うん」
「そうだ。今度、僕が紫苑のうちに泊まりに行こうかな」
「なんだそれ……わけ分かんねーよ。狭いし」
「や、たまに仕事で新宿経由したときさ、紫苑のところ行ったほうが早いなーと思ったりするんだよね」
「ああ、そういうことなら……別に来れば? 泊まっていいし。オレ泊まりの仕事はあんまりしないから、夜は居るし」
「夜遊びしてないんだ?」
「しねーよ」
「ま、してたとしても父親には言わないよね」
「してないって」
あ、とシオンは思い出し、玄関先に座ったまま、父親を見上げた。
「そういや、草間さんってまだ魔法教えてんのかな?」
「草間? 連絡取ってないの?」
「最近あんまり……」
「僕も、三ヶ月くらい前に呑んだきりだな。アイツさぁ、けっこうハゲたよね?」
「……失礼過ぎるだろ」
息子が世話になった友人に対して、この言い草だ。
「あれ以来、気まずくてさ。あんまりチラチラ見るわけにもいかないだろ?」
「人の頭のことはいいから」
「用があるなら連絡しとこうか? 魔法がなんだって?」
「今も人に魔法教えてるのかなと思って」
「魔法使いたいの? 残念だけど、君にはあまり向いてないかな……」
「オレじゃなくて、知り合いが」
紅子の名前を出すとまたうるさそうなので、シオンはそれだけ言った。
「ふーん。浅羽さん?」
「その話はしない」
「アイツ、人に教えるの下手だけどね。確実に泣かすよ?」
「……そっか。まあ、聞いてみる」
「それにアイツの思考は偏ってるよ。ソーサラー以外は全員、肉の壁だって言ってたからね。だから温和な父さん以外とは、仲良くなかったし」
父さんと付き合えてるんだから、わりと良い人だと思う……と口には出さず、シオンはナップザックを手に、立ち上がった。
「自分で連絡するよ」
「そう? よろしく言っといてね。あ、そのずた袋、そろそろ買い替えなよ?」
いつも仕事に持っていくナップザックを見て、竜胆が注意した。
アパートに戻る前に、シオンは一度、新宿駅で降りた。冒険者センターに寄っておこうと思ったのだ。
桜や鯛介のようにレベルの高い冒険者なら、わざわざ出向いて仕事漁りをしなくても、直接センターから仕事の依頼がやって来る。だが、シオンはレベル11。決して低くは無いが、高くも無い。中級冒険者になりかかったところだ。
宝探しをするにしても、とりあえず先立つものは金だ。その日暮らしで生きてきた自分が、こんなに金の心配をするようになるなんて思わなかった。
案外、浅羽のほうがのん気だよな、とふと思った。自分の目的なのに、あまり《たからもの》の話をしないし……。
そんなことを考えていると、センタービルの入り口で、よく見知った顔を見つけた。
「……浅羽?」
あまりのタイミングに、シオンは目を見開いて驚いた。セーラー服を着た紅子が、ぼんやりとビルの前に立っていたのだ。
その姿に、出会ったときのことを思い出した。ごく普通の人間の女子高生が、冒険者センターになんてやってきたので、ひどく目立っていた。
あのときのシオンは、紅子を覚えていなかった。その彼女が、今は大切な仲間になり、これから誰がパーティーに加わったとしても、彼女は最初に組んだ相棒なのだ。
「お前、何してるんだ?」
「おわっ!」
後ろから声をかけると、驚かせるつもりは無かったが、紅子が飛び上がらんばかりに声を上げた。
「お、おおお、小野原くんっ? び、びっくりしたぁ!」
「オレもびっくりしたぞ。まさかいるとは思わなかったから」
「あ、えーとね、ちょっと仕事探しに……えへへ、でも、すっごい偶然だね!」
嬉しげに、紅子が顔を傾け、シオンを見た。結っていない長い黒髪がふわりと揺れる。
「仕事?」
「うん。私も、来られるときは来ようかと思って。ほら、見て」
と、紅子は革鞄から定期ケースを取り出した。
「うちからここまでの定期作っちゃった」
「別に仕事探しくらいオレに任せてもいいのに。金かかるだろ」
「ううん。出来る限りはね、やろうと思うの。手分けしたほうがいい仕事だってきっと見つかるよね」
「そうかもしれないけど」
「平日もがんばってる小野原くんやキキちゃんや蒼兵衛さんの話聞いて、えらいなって思うし、ほんとはすごく羨ましいんだ。けど……あたしはあたしの出来ることしか、出来ないもんね。だから、せめて自分の仕事くらい、ちゃんと自分で探せるようにしたいと思ったの。そしたら、いてもたってもいられなくなって、学校終わってここに来たの」
紅子の言葉に、自分のことなのにのん気だなんて思ったことを、シオンは申し訳無く思った。学校に行き、アルバイトをし、叔母の具合も悪いと言っていた、そんな中、冒険者になったばかりの彼女は懸命にやっている。
だから、助けてやりたいと思ったのに、自分ばかり焦ってしまっている。シオンはそれを恥ずかしく思った。
「それでね、一人でセンターに来るの、久しぶりだなあって……。いつも小野原くんに一緒に来てもらってたでしょ」
紅子がビルを見上げる。二階に並ぶ窓に、《新宿冒険者センタービル》と大きな文字で書かれてある。
「最初、ここに来るのも緊張したなぁって、そう思ってたら、ボケーっとしちゃってた」
そう言ってシオンのほうを見て、照れ笑いを浮かべる。
「オレもさっき、お前に会ったときのこと思い出した」
「小野原くんも?」
「あのときも、お前制服着てたなと思ってさ」
「あ、そうだったね……あのときは、サボりだったんだけど。週が開けたら冒険者になろうと思ってたから、いてもたってもいられなくて」
「そっか。月曜日で、オレ、仕事探しに来てたんだ」
「そう。でも、結局私に付き合ってくれて、探せなかったんだよね。《オデュッセイア》でご飯食べさせてもらって……。なんか、ヘンなの。すごい昔のことみたいだね」
「ほんとだな」
顔を見合わせて笑い、センターに入った。
「小野原くん、おうちでゆっくり出来た?」
「うん。……あ、そういや、キキが来たんだ」
「え、そうなの?」
歩きながら、鯛介に会ったことや、キキの面接の話をした。
「浅羽は、キキのことどう思う?」
とシオンは紅子に尋ねてみた。
「え? 私は、キキちゃん好きだし、私なんかよりずっとしっかりしてると思うけど……でも、私は、パーティーのこととか、よく分からないからなぁ。正直、小野原くんが良いようにしてくれたら……って思うんだけど」
「まあ、そうだよな」
「でも……小野原くんのお父さんの言うこと、分かるよ。強くても、怖い人はイヤかなぁ」
「うん」
「透哉お兄ちゃんが、ソーサラーは仲間を選んだほうがいいって言ってたんだよね。本当に信頼出来ると思ってから、手の内を見せたほうがいいって。冒険者でもないのに、そんなこと言うの。最初は照明役とか、簡単な治癒だけやってればいいって」
二階に登る階段を上がりながら、紅子の言葉にシオンは感心した。透哉はたしかに冒険者じゃないが、冒険者をよく分かっている。
「間違っては無いと思う。オレはソーサラーじゃないし、ソーサラーと組むこともあんまり無かったけど、魔法って、やっぱり便利だし、貴重だからな。色々出来るって分かったら、変な奴も寄って来るかもしれない」
「みたいだね。小野原くんと組めて私はラッキーだって、お兄ちゃん言ってたもん」
「オレは、冒険者としては経験も強さも大したこと無いんだけど」
「でも、人柄のほうが大事だって、お兄ちゃんが。私もそう思う。キキちゃんや蒼兵衛さんは、一緒に戦ったことあるでしょう? たった一回だけど、私は二人とも良い人だなって思うよ。強いとも思うけど……そうだなぁ」
顎に指を当て、紅子が軽く首を傾げる。
「んーと、この人とは、もうちょっと一緒に居たいなってかんじ」
「……そうだな」
紅子の素直な言葉が、かえって新鮮に聴こえる。
父親の言うとおり、きっと自分は難しく考え過ぎなのだろう。
「キキは……また仕事があったら誘ってみるよ」
「うん!」
紅子は自分のことのように嬉しげに頷いた。
「あの人は……どうなんだろうな」
「あの人って、セン……蒼兵衛さん? 私、いまだに時々、センベエさんって言っちゃいそうになるんだよね……」
「たしかに、変わった名前だけど」
「何代目とか言ってたよね。ということは、お父さんも蒼兵衛さんで、お祖父さんも蒼兵衛さん、そのまたお祖父さんも……」
「ややこしいな」
「それとも、歌舞伎や落語の人みたいに、名前を譲ったら名前が変わるのかなぁ?」
「さあ……。今度会ったら、訊いてみたらいいんじゃないか」
二階フロアを全体を使ったセンター内に、足を踏み入れる。
基本的に、このビル内で混んでいるのは、常にこの二階だけである。他のフロアは、がらんとしている。
センター内だけは、平日の夕方でもそこそこの数の冒険者がいた。
「夕方でも、わりと混むんだね」
「昼間のほうが空いてるよ」
「そっか。昼は別の仕事してる人とか、いるんだ。あたし、番号札取ってくる」
紅子が言い、番号札を取って来ようとした。近くに居た冒険者が、紅子を見て嬉しそうに声をかけた。
「あ、こっこちゃん、久しぶりじゃん!」
「こんにちは!」
全頭のワーキャットが、軽く手を上げる。紅子も手を上げ、にこやかに答えた。若いワーキャットの顔が途端にデレデレとほころんだ。
誰だお前……とシオンは思ったが、紅子がセンターに来ると、こうして気安く声をかけてくる者は多い。
前より増えたとは言っても、若い女性冒険者の数はやはり少ない。ミーハーな人間の若者を嫌う者も多いが、紅子はとにかく明るく気が良い。センターを訪れるたび、確実に好感度を上げているようだ。
「八番だって。早いね」
番号札を取ってきた紅子が、壁際に背を預けるシオンの横に並ぶ。
「いいお仕事、あるといいね」
「そうだな。出来たら護衛じゃないのが……」
「小野原くん、護衛苦手だね。私は、けっこう小野原くん、引率上手だと思うけどな。堂々としてるから頼りがいあるし」
「そうか?」
自分ではそう思わないが、他人から見れば違って見えるのだろうか?
順番を待っていると、センターに一人の女性が入ってきた。
シオンが何気無く入り口を見やると、若いワーキャットの女性だった。一瞬、センター内がざわめいたように感じたのは、彼女の容姿の所為だろう。
人間の姿に、シオンのように耳と尻尾だけの半獣。それ自体は珍しく無いが、とにかく人目を引く美女だった。
ふわりとして柔らかそうな、明るい薄茶色の髪が、白い頬をくすぐるようにかかっている。その顔は小さく、淡い緑色の瞳はとても大きく見える。くっきりとした二重瞼に、長い睫毛。つんと高い鼻に、小さな唇。正面から見るよりも後ろ髪は長く、背中の中心に届いていた。
ワーキャットの女性らしく小柄で、手足はすらりと細い。タートルネックのサマーニットに、ショートパンツを履いている。ニットの裾下から、白い尻尾が長く伸びていた。
「……あの人、何か困ってるのかな?」
シオンがやけに見ている所為か、紅子も一緒になってワーキャットの女性を眺めた。
新宿センターの冒険者でないことは、すぐに分かった。中に入ってきてから、やたらときょろきょろ辺りを見回している。番号札を取りに並ぶわけでも無く、近くをすれ違う冒険者の顔をちらりと見たり、しきりに話しかけていた。
「ね、小野原くん」
紅子がシオンを見ると、ぽかんとした顔をしていた。同じ種族だから気になるのかな、と内心で紅子は思いつつ、尋ねた。
「……もしかして、知ってる人?」
「え?」
「あの女の人。小野原くん、ずっと見てるから」
「あ……いや、違うけど」
言われてはっとしたように、シオンは慌てて目を逸らした。しかしその少し前に、自分が凝視していたらしい女性と、目が合った。
目が合ったからか、同じ種族だからか、女性は親しみを感じさせる微笑みを、優しくシオンのほうに向けた。紅子より背が低く、童顔に見えるが、その笑みには年上を思わせる落ち着きがあった。
顔を背けたシオンの頬に、ほんの僅かな赤みが差したのに、紅子は気付いた。
「……小野原くん? どうしたの?」
「ん……いや、別に」
「……そう?」
そんなことを言っていると、その女性は猫のようなしなやかさで、居並ぶ者をすり抜け、真っ直ぐにシオンたちのほうへやってきた。
「すみません。少し、いいですか?」
鈴の鳴るような声、という形容が相応しい、涼やかで可愛らしく、しかし凛と響く声だ。そう紅子は思いながら、返事をした。
「あ、はい。なんでしょう?」
「このセンターの冒険者の方ですよね。訊きたいことがあるんです。さっきから、色んな方に尋ねているんだけど」
女性が微笑む。その顔があまりに愛らしく、紅子も目を奪われた。
柔らかそうな髪は、赤みがかった淡いベージュ色。耳の付け根は髪と同じ色だが、だんだんと白くふわふわとした毛になっている。尻尾も白い。
「わたし、人を探しているんです」
小顔を飾るように、短く段のついた横髪が、幼い顔を際立たせている。少しも厭味の無い笑顔で、ちょこんと小首を傾げる仕草が可愛い。
「この新宿センターに、居るって聞いたから。でも、職員の方は教えられないんですよね。シュヒギム、っていうので」
「あ、守秘義務ですか?」
肩の出るサマーニットから、眩しい白い肌を惜しげも無く晒し、そこに長い髪がかかる。
「ええ。だから、ここに来る人にこっそり訊いてるんです」
小さな唇に指を当て、悪戯っぽく笑う。
「ええと、私は冒険者になったばかりだから、お役に立てるかどうか……。小野原くんに訊いたほうが」
と紅子がシオンを見ると、シオンはまたぼんやりとした顔で、またぽかんと口を開けている。
「……小野原くん? 大丈夫?」
紅子もさすがに訝しげに、シオンの顔を覗き込む。するとシオンは、またはっとしたように、顔を伏せた。
「あなたのほうが、詳しいの? じゃあ、知ってるかな」
自分と同じワーキャットの少年を見つめ、女性はまた小首を傾げた。シオンは目をぱちくりとさせながら、みるみるその頬を赤らめた。
その挙動不審さに、紅子は顔をしかめた。
「彼はね、最近ここにきたばかりだと思うの。柊っていうんだけど。柊蒼樹くんっていう男の子。あ、男の子って言っても、背はこーんなに高いんだけどね」
と、腕を伸ばし、自分の頭の一つ上辺りで、手をひらひらさせる。
「いっつもコート着て、仕事のときは刀を持っててねえ……レベルは13、4くらいかな? ルーンファイターなんだけど、自分のことを、サムライって言ってると思うの」
「サムライ?」
その言葉に、シオンはようやく我に返った。
そんな冒険者、似た人を探そうとしてもそうはいない。
「柊さん? なら、似た名前の人なら、知ってますけど……」
紅子がおずおずと答えると、彼女はぴょこんと耳と尻尾を立てた。
「わぁ、本当っ?」
胸の前で手を合わせ、歓声を上げる。
「よかったぁ。ソウちゃんのこと、知ってる人に会えた!」
ぬか喜びになっては気の毒なので、紅子は慌てて訂正した。
「あ、でもその人、名前が違うんです。セン……蒼兵衛さんって言うんです」
「え? そうなんだ……。おうち、継いだのね。あんなに嫌がってたのに……」
呟く女性の姿に、シオンは蒼兵衛の言葉を思い出していた。ワーキャットに裏切られた、と言っていた。
前に電話で聴いた、苛々とした彼の声と、口にした名前。何だっただろうと、必死にシオンは思い出そうとした。シオンと名前が似てて紛らわしいと、言いがかりを付けられた。
そうだ、たしか。
「……もしかして、シリンさん?」
シオンがそう口にすると、彼女はまた目を奪われるような、可愛らしい笑顔を向けた。
「ええ。ソウちゃんから聞いてるのかな? わたしは、四ノ原志鈴。彼とパーティーを組んでる、幼なじみなの」
彼を裏切った、とはとても思えない朗らかさで、彼女は微笑んだ。
鯛介は、桜が主人公の外伝「デストラクション・ガール」(完結済)に登場しています。
そちらも合わせて読んでいただけると嬉しいです。