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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
33/88

仲間

 線香の匂いの立ち込める和室に、鈴の音が細く長く響く。

 姿勢良く正座をしたリザードマンは、やや頭を垂らして目を閉じ、仏壇の前でずいぶん長い間、合掌していた。

 気が済むと、正座をしたままくるりと振り向いて、畳に両手をつくと、後ろで待っていたシオンとその父に深く頭を下げた。

「ご無沙汰しております」

「いや、鯛介くんはよくお参りに来てくれてるし、一周忌も訪ねてきてくれたし、桜も喜んでるよ」

 その父の言葉に、一周忌なんてやっていたのかと、シオンは今更ながらに知った。鯛介の前でもあるし、黙って流そうかと思ったが、我慢しきれずに口にしてしまった。

「一周忌なんて、オレ知らなかったぞ」

「うん? だって、紫苑には言わなかったからね」

 特になんでもないことのように、竜胆はさらっとそう答えた。こういう人だった、と分かっていても、シオンはムッとしてしまった。

「なんで?」

「んー、だって、辛いだけの行事じゃない? 紫苑は紫苑でちゃんとお参りに来てくれてるのは分かってたし、一周忌なんてわざわざ呼ぶことも無いと思って」

「そうかもしれないけど……」

「父さんもあんまりやりたくなかったしね」

「分かるけど、言ってくれれば、ちょっとは手伝いくらい出来たと思うし」

 たしかにこの二年、父から逃げるように、墓参りの時期さえずらしていたシオンが言えたことでもないのかもしれない。

 それでも、電話の一つでも貰えれば行ったはずだ。

「そうだね。連絡くらいすれば良かったね。ごめんな。父さんもそこまで気が回ってなかった」

 竜胆があっさり謝ったので、シオンは口はつぐんだ。

 父があまりこの話をしたくないのだと分かったからだ。そういうときの竜胆はすぐに分かる。顔は笑っていて口調も優しいけれど、この話題を続けるのは面倒だという雰囲気だ。本人はバレてないつもりかもしれないが、長年一緒に暮らした息子なのだ。表情や口調のちょっとした違いで分かる。

「……別に、いいけど」

「いやー、ごめんごめん」

 父親はおどけたようにそう答えた。

 無理も無い。桜が死んでおかしくなったのは、きっとシオンだけでは無い。こうして笑って話せるようになるまで、父だって苦しんだのだ。血の繋がった、唯一の娘を失ったのだから。

 やっぱり家に戻って来ると、そこかしこに桜の思い出が溢れている。今にも桜が顔を出して、後ろから蹴飛ばされ、耳や尻尾を引っ張られそうな気がする。

 出て行ったシオン以上に、この家に留まった父も辛かっただろうなと思う。

 それだけ、桜は存在感の大きな人間だった。

「じゃあ、二周忌もやったのか?」

「あ、それ。あのね、紫苑。二年目の命日のことは、三回忌って言うんだよ。二周忌とは言わないんだよね。亡くなった日から数えて、三回めってこと。覚えておくといいよ」

 と竜胆は笑いながら、息子の間違いを訂正した。

「ああ……そうなんだ。いや、それはいいんだけど」

「三回忌には誰も呼んでないよ。もういいだろうと思って」

「やりたくないから?」

「そう」

「いい加減だな……。来年は?」

「来年も再来年も、誰も呼ばない。紫苑が戻ってきてくれたからね。これからお姉ちゃんの命日は二人だけで過ごそうよ」

 竜胆はそう言って微笑み、隣に座る息子を見た。そんな父親を、シオンは軽く睨みつけた。

「それってなんか、オレが父さん置いて出て行ったみたいな言い方だな……」

「はは、ごめん」

 やはり軽く笑うだけの父は、相変わらず手入れしていなさそうな頭を搔く。シオンは小さく息をついた。

 だが、父の言葉に安心もした。これから二人だけで桜を偲ぶことが出来るのなら、そのほうがいい。桜が死んだ日に大勢の人に会うのは、想像するとやはりまだ辛い気がした。

「ごめんね、鯛介くん。せっかく来てもらったのに、内輪の話しちゃって」

「いいえ」

 竜胆に声をかけられ、鯛介は正座をしたまま、にこにこと目を細めた。彼はそうやってずっと、二人の話を微笑ましげに聴いていた。

「仲が良いんだなぁ、と思って。いいっすね。姐さんは、こういうあったかいご家族と暮らしてたんだなって」

 リザードマンも何人も見ていると、シオンにも顔つきの違いが分かる。鯛介は体つきはいかついが、顔立ちは目が丸く、愛嬌がある。厚みのある体は、筋肉もだがやや肉付きが良くふっくらとしている。

「姐さんも、すごく優しくて、明るい人でしたから。こうして姐さんのご家族とご一緒させていただいて、嬉しいっす」

「仲良いって言っても、リザードマンの人たちほどじゃないでしょ?」

「いや、リザードマンは一族の結束を重んじてて、わりと親離れが早いんですよ。オレは高校に途中まで行ってから冒険者になったんで、遅いほうでしたけど、十三、四で成人扱いっすから」

「ああ、そうだよねえ」

「ま、オレらは図体でかくなるの早えーから、とっとと家を出されるっつーだけっすけど」

「あ、一理あるね」

「父さん……」

 可笑しげに笑う父に、失礼だろ、と意味を込めてシオンは睨んだ。しかし、当の竜胆はまったく気にしていない。

「相変わらず、気が良いよねえ、鯛介くんは。でも、ちょっと太った?」

「あはは、ちょっとだけっすよ」

「……父さん……」

 こういうところは、実に娘と良く似ている。まったく人見知りせず、無遠慮。そういう性格のほうが冒険者には適しているとも言われるが。

 たしかに少し丸々としているリザードマンは、竜胆の不躾な言葉にもにこにこと笑っている。

 いい人なんだな、とシオンは彼について思った。

 彼はずっと桜のことを『姐さん』と呼んでいるが、桜より二つ年上だ。舎弟扱いされていたことが容易に想像出来て、シオンは申し訳無い気持ちになった。

 現在二十一歳で、リザードマンなら家庭を持っていてもおかしくない年齢だが、独身だという。

 現役冒険者である彼は、多くのリザードマンがそうであるようにファイターで、まさに正統派戦士というような逞しい体躯を持っていた。太ったと言われてはいたが、動きを妨げるほどでは無いだろう。むしろ多少の丸みは、分厚い筋肉の上を覆う肉のクッションになる。

 硬い鱗に覆われた皮膚には、幾つもの傷がうっすらと走っていて、それすらも鱗の煌きの一部となっていた。

「シオンさんには、ちゃんとお会いするのは初めてっすね。妹尾鯛介です」

 鯛介が慇懃に頭を下げ、シオンも慌てて畳に手をつき、深く頭を下げた。

「あ、はい。サクラの弟の、シオンです。姉が大変お世話になりました」

「へぇ、紫苑もそういうことが出来るようになったんだなぁ」

 横で竜胆が感心したように呟くので、シオンは顔を赤らめた。

「父さん……うるさい」

「はは、ごめん。あ、鯛介くん、お茶どうぞ」

「ありがとうございます」

「紫苑は、鯛介くんと話したかったんだっけ。父さんは、席外したほうがいいのかな?」

「別に、どっちでもいいけど」

「そうかい? でも、向こうでキキちゃんと遊んで来ようかな」

「じゃあそうして」

 呼んでもないのに鯛介にくっ付いてやってきたキキが、リビングで一人待っている。今日はいやに大人しいのが不気味だ。

「アイツ、一人のとき何企んでるか分かんねーから。父さん、見といて」

「そうだねー。仕事中の紫苑の話とかさ、色々訊いてみようかな」

「先に言っとくけど、アイツの言うことはほとんどウソだからな」

「うーん、楽しみだなぁ」

 嬉しそうに竜胆が立ち上がり、シオンは顔を引きつらせたが、これ以上父親とじゃれ合って鯛介を放っておくのは申し訳無い。

 竜胆はやたらとシオンと紅子の関係を邪推しているので、あらかじめキキには「もし浅羽のことを訊かれても何も話すな」と言ってある。まったく当てにはしていないが。

「や、ホント、キキのことは適当に放っておいていいっすよ。ホラばっか吹くんで」

 親戚の鯛介にまでそう言われるキキに、日頃の行いって大事なんだなとシオンはしみじみ思った。

 竜胆が去った後、鯛介が言った。

「聞きましたよ。キキも、大伯父貴も、面倒かけたみたいで。精霊鉱山につき合わされて、大怪我されたとか」

「あ、いえ。大怪我したのは国重さんで、オレはそんなに。本当なら、オレがちゃんと仕切るべきだったのに……報酬まで貰ってるし、謝るのはオレのほうってぐらいで……」

「いやー、そんなの、大伯父貴が悪いでしょう。大叔母さんもだけど。大伯父貴ね、あの人は自分がもう年寄りだってこと、すぐ忘れちまうんすよ」

 姉の仲間であり、先輩冒険者でもある鯛介を前に、引率のつもりが自分が怪我をしたというのは、どこか気恥ずかしかった。

「あ、お茶……どうぞ」

「ああ、どうも。いただくっす」

 盆に乗せられ畳の上に置いてあった湯飲みを、シオンは鯛介に手渡した。

「獣堕ちが出たんすよね。精霊鉱山の辺りは最近は静かだったのに。大伯父貴って、昔から間が悪いっていうか、運の悪い人なんですよ。ま、そのぶん悪運も強いんですけど。キキと一緒だと、とんでもないコンビでしょ」

「でも、色々と助けてもらいました。……リザードマンの人って強いし、頼りになるし。それに優しいからかな、なんかほっとするっていうか。だから、オレがもっと上手く立ち回れたら良かったんだけど」

 シオンがそう言うと、鯛介は嬉しそうに笑った。

「そんだけオレらを買ってもらえると嬉しいっすね。それに、あのジジ馬鹿じいさんと、アホのキキと仲良くしてもらって、ありがたいぐらいっす」

「それは別に、特別なことはしてないんで」

「そうすか? 忍耐強いと思うっすけどね。歳だって離れてんのに、付き合えないでしょ、あんなクソガキと」

「え? あ、いや……大丈夫です」

 にこにこと笑いながら辛辣なことを口にするので、シオンはびっくりして首を横に振った。

「たしかにうるさいし、オレも怒ってばっかだけど、別にイヤじゃないです」

「そうすか? 迷惑なら、いつでも大叔母さんに言ったほうがいいっすよ。まあ、キキの話はいいや。お茶、いただきます」

 と言いながら、鯛介は湯飲みを手に取った。亜人客用の大きな湯のみには飲み口が付いており、見ているとそこから器用に茶を流し込んでいた。

「オレに、聞きたいことがあるんすよね?」

「聞きたいことというか。サクラ……姉さんが、世話になった人だから……」

 いざ相対してみると、たしかに何から話せば良いのだろうと、シオンは口ごもった。

「……ただ、一度は会っておきたかったんだと思います。オレ、通夜も葬式も、ちゃんと出来なかったから。父さんにばっか負担かけて、もっと挨拶とかすればよかったと思って」

「でもそれだけで、わざわざオレなんかに会いたいって思いますかね? オレだって、あのときの仲間だって、そんなこと別に気にしてないっすよ。ご家族が辛いのは、当然ですから」

 鯛介の言葉に、シオンは少し考えてから、言い直した。

「……いや。姉さんのことを、オレは知らなかったから」

「知らない?」

「家族としてじゃなくて、冒険者だったアイツのことを、オレは全然知らなくて、死ぬまで知る機会も無いままで……。それが、今になって、すごく後悔してて……」

 はっきり口にするのは恥ずかしいけれど、わざわざやって来てくれた鯛介の前で、誤魔化すようなことは言えない。だから、正直に告げた。

「今は、自分も冒険者になったから。サクラの凄さが、今になって分かる。どうして会えるうちに、もっと色んなことを聞いておかなかったんだろうって、思います。もっと話せば良かった。修行してもらえば良かった。それに……」

 言葉を切って、シオンは吐き出すように言った。

「学校なんてさっさと辞めて、オレももっと早く冒険者になってたら……姉さんとパーティーが組めたのに……」

 ――あたし以外の人と、パーティー組まないでね。そう言った姉の言葉が、久々に蘇った。あのころの彼女の声を、今でもありありと思い出せる。

 あの人の言葉は、あの人が死んだ後、全部が呪縛のようにシオンの中に残った。でもそのぐらい、シオンも彼女が好きだったのだ。尊敬していた。それをもっと、どうして生きているうちに言えなかったんだろう。

「……姉が死んでから、オレは冒険者になりました。そうなって初めて、本当にサクラが強かったってことが分かったんです。遅いけど……そんなすごい人なら、もっと話しておきたかった。それに、父さんがサクラのことを今でも探してるって聞いて……せめてオレも、サクラが死んだ手がかりくらい、知りたくて」

「そうですか……そうですよね」

 鯛介が相槌を打つ。

「姐さんの最後は、オレたちも竜胆さんや警察に話したことが全てで、もうあまり話せることは無いと思いますが……」

「はい。分かってます。サクラの死に方は普通じゃなかったかもしれないけど、オレたち冒険者にとっては珍しいものじゃない。……何も残さずに喰われるってことは」

 シオンの言葉に、鯛介はぽつりと言った。

「でも、信じられないっすよね。あんな強い人が。そんなわけないって、思います。オレも、何度も思いました。姐さんは今もどっかで生きてるんじゃないかって、それでつい、遠方の仕事を長期で入れて、行った先で探しちまうんす」

 鯛介が一度仕事に行くと、中々帰って来ないと妹尾一族で言われていたのは、そういうことだったのだろう。彼もまた、彼女の死に囚われている一人なのだ。

「ほんと、忘れられないっす。見た目は普通の女の子なのに、あんなに強くて、元気で、楽しい人とは、もう出会えないっすね、きっと」

 彼女を失った家族も辛いが、短くても濃密な時間を過ごした冒険者仲間にとっても、その別れは強烈だったのだろう。そんなふうに人の記憶に鮮烈に残った姉が誇らしくもあり、同じ冒険者としてシオンは羨ましくも思えた。素直に、そう思えるようになった。

「たまたまサクラと手合わせしたって人から話を聞いて、その人も強くてオレは驚いたんだけど、その人はサクラに負けたことがあるって言ったんです」

「なるほど。姐さんらしいや」

 うんうん、と鯛介は笑いを零しながら頷いた。

「オレも負けました」

「えっ」

「初めて会ったときっす。あの人、いきなり、『アンタ強そうね。あたしと戦ってみない?』って言うんですよ」

「そ、そんなことを……なんて失礼な奴だ」

 いや、姉の性格を考えれば不思議では無いが。分かっていても愕然としてしまう。

「いやいや、でも、後から思えば光栄なことっすよ。姐さんは、強いと認めた相手としか手合わせしないすから。オレなんか結局こてんぱんだったすけど……それでも姐さんにとっては自分と戦える相手って、貴重だったんじゃないかな」

 鯛介は懐かしげに、少し寂しげに、目を細めた。

「ほら、強過ぎるから」

「たしかに……」

「戦うの好きな人でしたけど、優しい人でしたよ。強きをくじき……過ぎて、戦いながら笑ってることもよくありましたけど、意味の無い暴力とか無益な殺生とかはしませんでしたし」

「そうですか?」

 たびたび理不尽な暴力を振るわれていたシオンは、首を傾げた。それを察したのか、鯛介は半笑いで訂正した。

「あっ、仲の良いメンバーには、じゃれ合うようなところはありましたけど」

「……じゃれ合う?」

「ちょ、ちょっと痛いときは、あったかなー……」

 ははは、と鯛介は誤魔化すように笑い、頭を搔いた。

「や、でも、ちゃんと弱きを助ける人でしたよ。オレたちは、そんな姐さんが好きで、憧れてましたから。一緒に仕事出来るのが嬉しかったっすね。いきなり呼び出しくらっても全然嫌じゃなかったし、ムリヤリでも予定を空けていきました。元気過ぎて仕事の後にまた仕事入れたり、ムチャばっかしてたけど、楽しかった」

「すいません……」

 シオンは思わず謝ってしまったが、そんなことは耳に入っていないかのように、鯛介は呟いた。

「ほんとに、楽しかったなぁ……ムチャばっかで、あの人についていった後は、いつもヘトヘトで……楽しかった。この人はもっともっとすごい冒険者になる。そう思ってました。あの人に出来ないことなんて、きっと無いんだろうって……」

 最後のほうは、少し小さな声になっていた。鯛介は何かを誤魔化すように茶を啜り、ぬるい茶をごくごくと飲み下した。

 泣きそうになったのだ、とシオンには分かった。




 それから鯛介は、桜とその仲間たちとの冒険話を色々話してくれた。

 依頼によっては守秘義務もあるし、差し支えない程度にだが、それでも彼らがこなしてきた仕事のレベルの高さはよく分かった。

 なによりも語る鯛介が本当に楽しそうで、どんなに辛い戦いでも、桜と一緒なら耐えられたと何度も言った。

 最後の戦いのことも話してくれた。

 巨大ダンジョンでの、複数のモンスター討伐。巨大ダンジョンとは、階層五十を超える大迷宮のことだ。

「あのときは、オレらの他にも、複数のパーティーが参加してました。作戦で、オレは姐さんと離れました。だから……その、最後のときは、見てないんす。仲間の一人が最後まで一緒だったんですが、その人も、姐さんとは戦っている中ではぐれたんです」

「その人の名前、訊いてもいいですか?」

 鯛介は頷いた。

皆森みなもり、っていう女性ソーサラーっす。皆森やえさん。冒険者を辞めて、今は千葉で暮らしてます。もし彼女に会うなら……まずオレに連絡してもらえますか?」

「あ、はい。でも、どうして?」

 彼女の名前は、竜胆からも教えてもらっている。

「彼女は、最後まで一緒に居たのに、何も出来ずに足を引っ張ってしまったと、とても後悔してるんです。今もそうだと思います。結果として、オレらのパーティーは解散してしまったんすけど、それも、あのときやえさんをパーティーメンバーに入れたことが、原因つーか……きっかけになったところもあって」

「え? なんで?」

 鯛介はふーっと長く息をついた。

「やえさんは、ソーサラーと言ってもあまり高度な魔法は使えませんでした。はっきり言っちまうと、才能が無かったんす。ちょっと魔法が使えるくらいの、普通の女性でした」

 紅子のような才能の塊と一緒にいると忘れかけるが、それほどの鍛錬も積まずに才能だけであれだけ高度な魔法が使えるほうが珍しい。

 しかし逆に言えば、圧倒的な才能の前では、凡人の血の滲むような鍛錬など太刀打ちも出来ないのが、魔法というものだ。

「もちろん、戦うばかりが冒険者じゃないっすからね。戦いにおいても、探索においても、戦闘能力ばかりが重要ではないっす。魔法の照光ライトとかね。あれってかなり地味なようで、上手い人がやると戦いやすさが全然違うっすよ。下手な奴だと光の加減とか間違えたり、こっちが眩しくなるようなかけかたしたり」

 それはなんとなく分かるなぁ、とシオンは思った。紅子は魔力は強いが、コントロールは下手なほうだ。

「野営の準備とかてきぱきやってくれるし、野草とかで美味いメシ作ってくれたりね。やえさんはおっとりしているけど、芯の強い、女性らしい方で、姐さんとはまた違ったタイプのムードメーカーでした。サポートが上手で、彼女の細かい気遣いや、機転には、何度も救われてきました」

 どうやら、桜とは正反対の人物のようだ。女らしい気遣いの出来る冒険者。さして重要ではなさげだが、殺伐とした戦いや陰鬱なダンジョン探索の中で、そういう人物の存在が励みになることもある。シオンも、紅子と仕事をするようになって、彼女の朗らかさに救われるときもあった。

「でも、本当に厳しい戦いの中では、やえさんを連れていくべきじゃないという仲間もいました。姐さんにくる依頼のレベルはどんどん高くなっていったし、姐さんもより高度な仕事を望んでいた。やえさんも悩んでいたと思います。パーティーを抜けるか、続けるか。でも……やっぱり、諦めきれなかったと思うんです」

 初めて鯛介は、やりきれないような、押し殺した声を出した。

「ずっと仲間と……姐さんと一緒に居たいって思うのは、それまで一緒にやってきたんだ。当たり前っすよね……そうでしょう?」

 そう言葉を求められ、シオンは頷いた。

「……それは、そうだと思う。けど……」

 感情としては、鯛介の言い分は分かる。

 だが、反対したという仲間のことも否定は出来ないと、シオンは思った。それだけ高度な仕事に、実力で劣る仲間を連れていくのは、たしかに危険だ。パーティーにとっても、本人にとっても。

「オレがやってる仕事より、はるかにレベルの高い仕事だったんだろうし、そのときのサクラたちの判断に、オレが軽く言えることじゃないですけど……でも、少なくとも、その人のせいでサクラが死んだとは、オレは思いません。多分、サクラもその人に一緒に来てほしかったんじゃないかな、ずっと」

 そう言うと、鯛介は目を丸くした。

「あ……はい。そうです。結局は……姐さんが、やえさんに来てほしいって、言ったんです。それで仲間も、もう反対しませんでした」

「そうだと思う。サクラは、強い人だった。けど、寂しがりなところもあった。仲間と離れるなんて、きっと嫌だったはずだから……」

 大丈夫。――そう言うのが、桜の口癖だった。

(あたしが、守ってあげる)

 桜の言葉はいつも、自分の傍に誰かを引き止めるためのものだった。

 全部、あたしが守る。だから、ずっと一緒にいよう。

 きっと、そのときも、桜は彼らに言ったはずだ。

「その人も鯛介さんも他の人たちのことも全部、サクラは守るつもりだったんだろうから、その人がパーティーを抜けるって言っても、多分ムリ言って引っ張って行ったと思うし、そういう奴だったから、その人が責任を感じることは無い。それは、サクラも嫌だろうし」

 そうシオンが言うと、鯛介は何故かほっとしように、息を落とした。いかつい肩からすとんと力が抜けたのが分かった。

 そして堪えていた涙が、とうとう彼の目に溢れた。

「……そっか……」

 涙粒を太い指で拭いながら、鯛介は心から安堵したように笑い、その瞬間に涙は結局どんどん溢れ出して、彼は手のひらで顔を覆った。

「シオンさんの言葉を、やえさんが聞いたら……少しは、救われるかな……」

 肩を小刻みに揺らしながら、彼は嗚咽を堪えているようだった。

 シオンより遥かに強く、レベルの高いリザードマン族の戦士が、逞しい体を震わせ、泣いている。

 どんな戦いよりも、敵よりも、パーティーを組んだ冒険者にとっては、仲間との別離こそがなによりも辛く、恐ろしいものだ。

 シオンはまだ、そういう目に遭ったことが無い。パーティーすら組み始めたばかりで、仲間も探している最中だ。なにもかもがこれからなのだ。

「オレ……やえさんに、シオンさんと会ってもらえないか、話してみます。やえさんはあれから体調を何度も崩してて、すぐにはムリかもしれないけど……会うべきだと思う……」

「オレはいつでも大丈夫です。連絡ください」

 涙を流しながら、鯛介は何度も頷いた。

「ありがとうございます……。夜さん、ハイジさん……他のみんなも、シオンさんに会ってほしい……。だって、オレたち、あれからバラバラになっちまったけど……そんなの、姐さんは望んでないっすよね。オレたちのこと、あの姐さんが、認めてくれたのに……」

「オレも会って話してみたいです。サクラの仲間だった人たちにお礼を言いたいし、冒険者としてもオレより遥かに凄い人たちだと思うから」

「はい。凄い人たちでした……特に、いま言った二人は……」

 ずずっと小さな鼻の穴から音を鳴らし、鯛介は目許をごしごしと拭った。

「名前は父さんから聞いてます。ええと、花垂夜はなたれよるさんと、空代灰児うつしろはいじさん」

「あ、夜さんのことは、夜さんって呼んであげてください。彼、名字が嫌いなんすよ」

 鯛介がそう注意する。

「どうしてですか? ハナタレ……あ、そうか」

 口に出してみて、シオンは察した。

「まあ、子供のときはけっこうからかわれたらしいっす」

 苦笑したあと、鯛介は元気無く言った。

「でも、夜さんに会うのは難しいかもしれないっす。オレらも行方が分かんなくて。分かったら連絡しますけど、なんせ姐さんが死んだことがショックで、葬式にも来なくて」

「あ。あの人か……黒い装備の」

「知ってます?」

 遠目から桜を見送っていたとき、姉の仲間の様子はまたに見ていた。彼のことは印象深いので憶えている。黒づくめの装備をした人間の男性だ。それ自体は珍しく無いが、マントまで羽織っているのは珍しい。というか、ちょっと勇気がいる。

 なによりも、その見た目がというより、桜と会ったときの嬉しそうな顔や、そしてその直後にどつかれていた姿が印象的だった。

 きっと彼は桜が好きなのだろうと、色恋などまったく興味の無いシオンでさえ分かった。そして何故か、遠くからシオンはいつも睨まれていたのだ。

 そう鯛介に言うと、彼が可笑しそうに笑った。

「ああ、別に悪気は無かったと思うっすよ。姐さんの弟さんだから、凝視してたんじゃないかな」

「え、なんで?」

「姐さんが、いつもシオンさんの話してたっすからね」

 げ、とシオンは呻き、動揺からピクピクと耳が動いた。

「アイツ、そんなことを……」

 何か余計なことを言ったんじゃないだろうな、とシオンは内心ドキドキしながら、鯛介の様子を伺った。

 さっきまで泣いていた彼は、もうにこにこと笑っている。しかし、その心はまったく読めない。

 彼らは姉と自分のことをどこまで知ってるんだろう……というか、アイツは何を喋ったんだろう……とシオンは恐ろしく思った。

(あたしさー、弟に告白してフラれたの!)

 なんて、あっけらかんと言ってそうな気もする。そんな想像が脳裏をよぎって、シオンはブルブルと頭を振った。それなら姉を好きな男が凝視してきても不思議では無いが……。

「あの、シオンさん?」

 頭を抱えるシオンに、鯛介が気遣うような声をかけた。

「いや、まあ、大事な弟さんだって、いつも言ってましたよ。可愛くて仕方が無かったみたいで。自分がいつも鍛えてるんだって。強い男にするって」

「……そ、そうですか……」

 なんかフォローされてしまった気もするが、これ以上深く訊かないようにしようと、シオンも気を取り直した。

 大体、桜だってあれ以降、普通に今まで通りの姉として接してきたのだ。告白してきたことなど、無かったかのように。そのことにはシオンも救われたが、そんなにあっさり済ませられることなら、どうしてあんなことを言ってきたんだろうと思ったりもした。

 彼女の想いが嘘だったとは思わないが、シオンもかなり苦悩したのだ。自分のこととはいえ、あっさり諦めるなんて姉らしくなさすぎて、やっぱりからかわれただけなのかと、何度も思った。こっちはけっこう悩んだのに……。

「夜さんは元々目つきが悪いし、遠くのモン見るときいっつも顔しかめてたから、余計目つき悪くなってたんじゃないっすかね。悪い人じゃないっすよ。どっちかっていうと人情派っていうか。泣ける映画観て百パーセント泣くような人っすよ。目つき悪いけど」

「はあ……そうだったんですか」

 鯛介が話題を軽く流してくれたので、シオンはほっとした。

「だからこそ、意外でしたね。その夜さんだったんです、やえさんを外そうって言ったのは。夜さんは仲間思いで、どっちかっていうと熱血タイプなんすよ。やえさんの能力が劣っていたとしても、夜さんだけは庇うだろうって、むしろ思ってたんすけど……」

 そう鯛介は言ったが、それは夜という人が仲間思いだからこそ、反対したのだ。

 同時に、桜を特別に思っていたからだ。仲間を切り捨てるのは辛いけれど、非情なだけでそう選択するわけではない。桜や仲間を守りたいからこそ、そんな決断が口に出来たのだ。

 こんなふうになる未来を、彼だけは必死に避けようとしたのでは無いか。そんなふうに感じた。

 でも、結局出来なかった。桜のした選択は、桜自身の責任で、彼らの所為では決してない。それでも、割り切れなかったのだろう。やえも、夜も。

「夜さんは……今は、どうしてるのかまったく知りません。ご家族のところにまとまったお金を残して、それきりだそうで。見つかれば連絡します。オレも探してるんで」

「お願いします。オレからも、何か分かったら連絡します。どこかで会うかもしれないし。その人、クラスは何でしたっけ?」

「ルーンファイターですよ。姐さんと同じ。でも、タイプは違うっすね。夜さんはソーサラーのやえさんより魔法使えたし、肉体強化エンハンス武器付与エンチャントもお手のモンでしたね。ただ、長い詠唱が覚えられないって、分厚いメモ帳を持ち歩いてて、いつもそれ読んで魔法唱えてましたね。あと、今も使ってるか分からないけど、黒い刀身の珍しい剣を持ってます」

「ええと、メモ帳見ながら魔法を使う、黒い剣を持ったルーンファイターか」

「そう言われるとすごい特徴だらけっすね……」

 ぶつぶつと呟くシオンに、鯛介が苦笑いで言った。

「もう一人……ハイジさんは、姐さんと一番付き合いが長かった人……ていうか、姐さんが最初にスカウトした人です。ファイターで登録してましたけど、実は霊媒士シャーマンで、かなり能力の高い人っす」

 シャーマンはその能力の特異性や数の少なさから、本来の能力を隠して別のクラスで登録することがある。彼もそうした一人なのだろう。

「今も冒険者をやってますけど、シャーマンに転向したみたいで、いつも仕事で忙しいみたいっす。クラス変わるとレベル下がるんすけど、それでももうオレより高いんじゃねーかなぁ」

「すごいな、そんな人がパーティーにいたのか」

 魔法系、特にシャーマンの冒険者で、本当に能力がある者は少ない。そんな人まで仲間にしてしまうとは、姉の一番の強みはやはり人を惹き寄せる魅力だったのだろう。それはちょっと真似出来そうにない。

「こっちもすぐに連絡取れるかは分かんないっすけど、オレから何とか話してみますね」

「ありがとうございます」

「いや、ハイジさんも、まあけっこう気難しいとこあるっすから。いい人なんすけどね。あ、これはオレが言ったって言わないでほしいんすけど、ハイジさんにいきなり種族と家族と性別の話はしないでくださいね」

「お、多いな……」

 種族、家族、性別、とシオンはしっかり頭の中に刻んだ。……つもりだが、覚えていられるだろうか。

「ハイジさんは、いわゆる先祖返りなんす。元々は鳥亜人ガルーダの一族だけど、血はだいぶ薄まって、何代か前から人間になってたそうなんすけど、ハイジさんだけ急にガルーダとして産まれたらしいんす。ほら、ガルーダってわりと霊力強かったりしますよね。けど、そのへんの事情で苦労したみたいで」

「ああ、そういうことか」

 ガルーダは蛇亜人ナーガと共に、《滅びゆく亜人族》とも言われ、その数を年々減らしている。かなり独特の感性を持った種族で、性格も繊細な者が多いようだ。彼が気難しいというのも、そういったところからだろう。

 種族、家族、は分かるにしても、性別ってなんだろう? とシオンはごく自然な疑問を持ち、そう尋ねると、鯛介は曖昧な答えをくれた。

「なんとなく分かりません?」

「いや……あんまり」

「あ、そっすか。まあ、シオンさん失礼なタイプじゃないから、大丈夫っすよ。ナチュラルに接しても」

「はあ……?」

「ほんと大丈夫っす、男好きとかではないんで。多分」

「へ?」

「基本いい人っすよ。ただ、今かなり忙しいみたいなんすよね」

 意味の分からないままのシオンを、鯛介はそのまま置いていった。

「というか、わざと忙しくしてんのかな。雰囲気もちょっと変っちまったし。ハイジさんは特に、副リーダーってかんじで、姐さんからも頼られてる感じあったんで」

 そこでいったん言葉を切り、言いにくそうに言った。

「……こんなこと、シオンさんに言うのも申し訳無いんすけど、姐さんが亡くなった後、ハイジさんと夜さんは、ケンカしてしまって……」

 鯛介が気まずげに頭を搔く。

「夜さんは、姐さんは絶対に生きてるって言ってました。死ぬわけがないって。それは、オレもそう思いますよ。やっぱり。あんな強い人が、亡くなるわけないって。それに、遺体すら見つからなかったんですから……」

 シオンの反応を伺いながら言葉を続ける鯛介に、シオンは大丈夫だというように頷いた。

「遠慮しなくていいです。オレは平気だから、話してください」

「……ハイジさんはシャーマンだから……そうじゃないって、分かったんだと思います」

「サクラが、生きてないってことが?」

 小さく、鯛介が頷く。

「はい。きっと、姐さんの魂を、どこにも見つけることが出来なくて……死んですぐなら、自分の呼びかけに答えてくれるかもしれないって、高度な霊術をそれこそ力尽きるまで使って……でも、ダメだったんす」

 また鯛介の目が潤み始めた。

 シオンはその目を見て、またしっかりと頷いた。

「オレは大丈夫だから、話を聴きたいです」

「……捜索に、オレたちも参加したけど、見つかったのは、装備と……」

「髪の毛と、肉片と、骨片だけ……だったっけ」

 爪や歯もあったかもしれない。だがどれも、桜の体と言いたくないものばかりだった。小さな破片でしか、桜は見つからなかったのだ。

「はい……魔紋も姐さんのもので、間違い無くて……ハイジさんの呼びかけにも応えてくれないし、もうきっと……本当にって……」

 そのときのことを思い出したのだろう。目許を押さえ、鯛介が長い息を吐き出した。

「ハイジさんだって、本当は信じていたかったんだ。でも、それが出来ないのが、シャーマンだから……」

 特別な魔法を使える者は、他の者には無い業を背負うことになる。だから、ソーサラーやシャーマンは強い力を持っていても、冒険者にならない者も多い。日常生活でもその力を隠し、ひっそりと生涯を終える者もいる。

「だけど、夜さんだけは諦めないって言ったんす。諦めたら、仲間じゃなくなる。仲間だけは、姐さんを探してやらなきゃならないって。自分たちでやるんだって。でも、ハイジさんがそれを諌めました。パーティーは解散しようって。それが、やえさんを……いや、オレたち全員を追い詰めないことだって、ハイジさんは判断したんだと思う」

 彼はそうすることで、桜亡き後のパーティーが進むべき道を示したのだろう。それも辛いことだが、誰かがしなければならない。そのとき夜が言ったことは、やがてパーティーを疲弊させ、崩壊させることに繋がることだった。

 竜胆が今でも桜を探していることを、シオンに告げなかったのと同じだ。そこに囚われると、残されたものはもう一歩も動けなくなる。

「けど、夜さんは激昂して、『だったらやえは最初から連れて来るべきじゃなかった』って言ったんす。それで、ハイジさんも怒って……」

 鯛介は声を震わせた。そして、急にふっと力を抜いた。

 というより、力が無くなったようだった。

 それこそ魂の無くなったような虚ろな目に、涙が溢れる。

「……なんかね、色々と変でしたよ……。誰よりも強いと思ってた姐さんは帰って来ないし、人一倍優しくて、熱血漢だと思ってた夜さんが、やえさんを責めるし……一番冷静だと思っていたハイジさんが、やえさんを庇って、夜さんを殴りつけたりして……」

 泣きながら、鯛介は口角を上げ、笑っていた。それは彼の朗らかなにこにこ顔とはまるで違う、もうどんな顔をしていいか分からず、せめて止まらない感情を堪えようと、引きつった笑いを浮かべているのだ。

「なんか、何もかも壊れるって、こんなのなんだって思いました……本当に、最強のパーティーだと思ってたのに……あんなに、あっけなく……」

 引きつった笑いが、とうとう歪んで崩れた。瞼を堅く閉じ、それでも涙はそこをこじ開けて溢れた。

「すみません……一番辛いのは、ご家族なのに……」

「そんなこと無いです。誰だって、大事な人が死んだら悲しいから。家族じゃなくても、それは同じじゃないですか。パーティーでずっとやってきた仲間だったら、特に」

 そう口にしたとき、紅子の顔が自然と浮かんだ。少し前まで、彼女はただの元同級生だった。でも今は、失うことなんて考えられない。考えたくない。

「オレも、今は分かります。仲間が死んだら……耐え切れないと思う」

 シオンの言葉に、鯛介は堪えきれなくなったのか、畳に手をつき、頭を垂れた。

 畳の上に、ぽたぽたと大粒の涙が落ちる。

「……どうして、守ってやれなかったんだろう……! こんな、デカイ図体して、オレは……たった十七歳の女の子に、甘えて……、それを当たり前みたいに、思って……!」

 悔恨の涙は、そこに幾つもの大きな染みを作っていった。

「なにが……戦士だ、リザードマンだ……」

 それからしばらく、鯛介は言葉も出せないようだった。

 彼を黙って見守りながら、シオンには線香の香りがいやに鬱陶しく感じられた。






 話し終えて、シオンは鯛介とリビングに顔を出した。

 散々泣いた鯛介も、そのときには平静になり、さすがに気を取り直していた。泣いていたなど分からないように、またにこにこと笑っている。

 心なしか、少しだけ憑き物が落ちたような顔をしている。きっと彼はこれまで、たくさんの涙を堪えてきたのだろう。

 辛い話を根掘り葉掘り聞いてしまったが、それで彼も吐き出せるものがあったのなら良いが。そうシオンは思った。

「やあ、君たちも座ってようかん食べなよ」

 竜胆がソファに座ったまま、促した。

 その前には、キキがちょこんを座っている。シオンを見て、ぺこりと頭を下げ、丁寧な口調で言った。

「先にいただいております」

「……誰だお前」

 とシオンは思わず突っ込んだが、キキはキーキー怒ってこない。

「はい。わたくし、妹尾黄々と申します」

「知ってるよ」

 何を企んでいるんだ……とシオンは内心で思いつつ、ちまちまとようかんを食べるキキを訝しげに見つめた。

 ようかんはすでに二人のぶんまで、切って皿に乗せられている。

「持って行っても良かったけど、話の邪魔しちゃなんだと思ってね」

「あ、うん。ありがとう」

 その気遣いはありがたかった。なにしろ鯛介は泣きっぱなしだったのだから。

「キキちゃんが持ってきてくれたようかん、美味しいよー」

「いえ、そんな、つまらないものですが、よろしければどんどん食べやがってくださいね」

 ささ、とキキがシオンを手招きする。

「さぁ、シオンお兄さんも。どうぞいっぱい食いなさい」

「ははは、キキちゃん面白いよね。お上品だし」

「上品か?」

 竜胆のことだ、絶対に今のキキの様子がおかしいと分かっていて、言っているのだろう。というか、面白がっている。

「色々お話を聞いたんだ。まだ小さいのに、毎日冒険者としての修練を積んでるんだねえ」

「積んでないぞ」

 とシオンは突っ込んだが、キキは平然と頷いた。

「はい、日々精進しております。血の滲むような特訓を重ね、郷里くにでは《早撃ちキキちゃん》の異名を取るほどになりました」

「言ってんの大伯父貴だけだろ」

 と鯛介も突っ込んだ。

 このあたりで、いつものキキならキーキー怒り出しているところだが、キキは真面目な顔をしている。

「今日、キキちゃんは紫苑に話があるんだって」

 と竜胆が告げる。

「オレに?」

「あ、そうだったな。」

 と鯛介も言って、キキの隣に座った。

 キキの向かいに座っていた竜胆は、体をずらして鯛介の向かいに座った。

「ま、紫苑もここ座んなよ」

「はぁ……?」

 なんだこの空気……と怪しみながらも、シオンは竜胆の隣――小さな膝と手を揃えてちょこんと座っているキキの向かいに腰を下ろした。

「で、何を企んでんだ?」

「企む? シオンお兄さんったら、何をおっしゃりやがるんですか」

 シオンが尋ねると、キキはちょこんと首を傾げた。格好はいつも通りのお嬢様風のブラウスとワンピースだ。こうして大人しくしていれば、まあお嬢様に見えなくもない。喋り方は変だが。

「今日はわたくし、シオンお兄さんに改めてお願いがありまして」

「ふーん……」

 嫌な予感しかせず、シオンは気の無い返事をした。

「言っておくけど、オレは今後、お前に仕事は頼まないぞ。仕事中に寝るなんて、怖くて任せられないからな」

「なんでよぉ!」と泣き出すかと思ったら、キキは神妙な面持ちで、頭を下げた。

「はい。あのことは、大変申し訳なく思っております。ブルのおっちゃん……香坂氏を見ていたら、だんだん美味しそうなブタさんに見えてきてしまって、思わずお腹空いたなぁと言ったら、一緒に居たおっちゃん……香坂氏のパーティーの方が、おにぎりをたくさん下さって、たくさん食べたら今度はだんだんと眠く……」

「わはは、バカだなーお前」

 鯛介が笑った。するとキキの目が一瞬つり上がったが、すぐに気を取り直したようだった。

「はい、おバカでした。しかもおばあちゃんに仕事の首尾を聞かれて、大活躍したとウソをつきました。でも何故かすぐにバレてしまって……もうじゅうぶん怒られてます。だから、すっごく反省してます。ほんとです」

 話しているうちにだんだんと化けの皮が剥がれてきて、普段の口調に近づいてきている。

「……で? どうしたいんだ?」

 その必死さに、なんとなくけなげさも感じて、騙されてはいけないと思いつつ、シオンは話の先を促した。

「はい。ええと、これを持ってきました!」

 と、キキはハイウエストのワンピースの腹に挟んでいたものを取り出した。

 それは、封筒だった。『履歴書在中』と書かれてある。

 テーブルに置かれたそれを、シオンは手に取った。

「……なんだ、これ?」

「あ、シオンお兄さんは漢字が読めませんでしたね。りれきしょ、ざいちゅう、と書いてあります」

「このぐらいは読める!」

 思わずシオンは怒鳴った。書けはしないが。

「シオンお兄さんは、パーティーメンバーを募集しておられますよね?」

「いや、募集はしてないけど……」

 良い人がいたら、誘いたいと思っているだけだ。別にセンターにパーティー募集の登録をしてようとか、そんなことは考えていない。

 急に、キキががばっと立ち上がった。

「お願いします! わたくしを、ぜひ面接してください!」

「面接……?」

「こうして直接、話を聞いて、それからパーティーに入れるか、改めてシオンに決めてほしいんだって」

 竜胆がやんわり言った。その口調は優しいが、その目は完全に楽しんでいる。というのがシオンには丸分かりだった。

「そうなんです! 話をちゃんと聞いてもらえれば、キキちゃんのいいとこ分かります!」

 と、キキも自分をアピールした。

「いや、お前の悪いとこもいっぱい知ってるぞ、オレは」

「それは克服しました! 今日は正式なお願いですので、保護者代理もこうして連れてきました!」

 キキは鯛介の肩をバンバンと叩く。

「いてーよ。お前また力強くなったな」

 鯛介の呟きを無視して、キキはシオンに向かって頭を下げた。

「今までワガママばっかり言ったことは謝ります! キキ調子こいてました!」

「うん。そうだな」

 あっさりシオンが頷くと、一瞬キキがぐっと喉を詰まらせた。そして、ごくんと唾を飲む音がした。

「でも、おばあちゃんに叩かれ……話し合って、キキも悪いところはあったと分かりました!」

「今まで分かってなかったのか」

「うぐ……わ、分かりました! もう分かりました!」

 笑いながら、その顔が引きつり出した。しかし、すぐに気を取り直す。ちゃんと喉を鳴らして、怒りを飲み込んでいるようだ。たしかに、キキにしては頑張っている。亀の歩み程度だが、元々を考えれば進歩である。

 ミュージカルのように、キキはばっと両手を広げた。

「キキは反省しました。今までのキキじゃありません! あらためて面接して、それから決めてほしいんです! キキをパーティーに入れるか、どうかを!」

「なるほど……」

「お願いします! ほら、鯛介も!」

「あ? おお」

 熱心にアピールしつつ、キキが頭を下げる。隣で一応、鯛介も軽く頭を下げていた。

「よろしくお願いします!」

「よっしゃーす」

 キキは力強く、鯛介は軽く、頼んできた。

 シオンは履歴書在中の封筒を手にしたまま、うん、と頷いた。

「じゃ、不採用で」

「なんでよぉっ!」

 ぐわっと顔を上げ、キキが大声で叫んだ。そして、バタバタと両手を動かし始めた。

「せめて面接してよぉ! 昨日おじいちゃんとおばあちゃんといっぱい練習したんだもん! 絶対採用だっておじいちゃん言ったもん! うわぁぁぁぁん! してよしてよしてよぉー!」

「お前、ぜんぜん変わってねーじゃねーか!」

「いてっ、いてっ!」

 手足が当たって、隣の鯛介が声を上げる。そして、すぐに取り押さえられた。暴れん坊のキキも、さすがに大人のリザードマン相手では、簡単に押さえつけられてしまった。

「うわぁぁぁぁん! わぁぁぁぁん! おっちゃん、シオンがいじわるするよー!」

「あはは、ほんとだねー。紫苑もお友達に言うようになったねー」

「人の親を巻き込むな! あと友達じゃないし!」

「うわぁぁぁぁーん!」

「あーもう、うっせーな。おい、キキ。オレが面接官なら、ここで落とすぜ」

「もがっ!」

 鯛介に口を塞がれ、モガモガと口を動かすキキを見て、竜胆は腹を抱えて笑っていた。泣いている他人の子供を見てゲラゲラ笑うとはなんて親だ、とシオンは自分の父ながら思った。

「よしよし、キキちゃん落ち着いて。大丈夫だよ、紫苑にはちゃんと面接させるからね」

「ちょっと待てよ、父さん。なにを勝手に……」

「紫苑も、合否を決めるのは面接してからでいいじゃない?」

「面接以前に色々分かってるんだけど、コイツに関しては」

「まあまあ。君もこれから、ちゃんとしたパーティー作りたいんだろ? 君にとってもいい機会じゃないか。ちょっとやってみたら? 父さんも見ててあげるし。やってみなよ、面接!」

「見ててあげるって……」

 授業参観じゃあるまいし、とシオンは呆れつつ父親を見やった。

 シオンだって親許を離れて、もうずいぶん経つ。その間にソロの冒険者としてずっと働いてきたのだ。自分で金を稼いで、生活してきた。

 大体、そうさせたのは他でもない父でもある。なのに会えばこうして、いつまでも子供扱いされるのは納得いかない。

 そんなシオンの胸中をよそに、父親は彼らしい気楽な口調で言った。

「それに、紫苑にとっても勉強になるかもよ?」

「何のだよ……」

 適当なことばかり言う父親に、シオンはため息をついた。

「良かったらシオンさん、少しばかり付き合ってやってもらえませんか?」

 キキを羽交い絞めにしている鯛介からも頼まれてしまった。キキや竜胆の言うことならともかく、彼に頼まれると断り辛い。

「……分かったよ。面接すればいいんだろ」

「わーい!」

 ころっとキキは泣き止んだ。

「良かったねぇ、キキちゃん」

 のん気に頷く竜胆を、シオンは白けた目で見やった。


 それにしても、面接って何するんだ?

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