はじまりの前
ダンジョンを出た後、アルマスがパーティーを代表し、冒険者協会に連絡を入れた。
依頼の完遂と、状況の報告だ。
《北関東採石場跡》を攻略。
全フロア・通路をくまなく探索し、事件の原因とみられるモンスターを討伐。
ここ数日、中に入った冒険者が帰ってこなかったのは、いつの間にかダンジョンに入り込んでいたガルムの仕業であったこと。
魔狼は一頭のみ確認され、始末したこと。
そして、最深部まで調査した結果、生存者はいなかったということ。
ガルムの屍骸はそのままだ。肉や皮を解体して持ち帰るには、ガルムは大型過ぎるし、臭過ぎる。倒した証拠として一部の牙と爪を持ち帰り、後はそのまま残してきた。
これは後で、協会派遣の別の冒険者がやってきて、回収するということだ。
金になる部位などが残っていれば、手間賃を差し引いて、シオンたちに支払ってくれる。
本当は、なるべく自分たちで持ち帰ったほうが、高く売ることも出来るのだが、手間もかかるし、解体作業は骨が折れる。
そこまでするのも面倒だった。
それにガルムの肉は臭いし、人を喰ったのだから、腹の中から見たくない物が出てくるかもしれない。
端的な報告の後、報酬は全員の希望通り、平等に分配され、後日それぞれの口座に入るということになった。
「若いのに、大した奴だな」
リザードマンの戦士が、シオンに言った。
シオンは、全身に血を浴びていた。自分のものではなく、ガルムに最も攻撃を与えた結果、つまり殆どは返り血だ。
ガルムの口に押し込んだ左腕は、火傷を負った。ガルムの口内から溢れた血は溶岩のように熱く、シオンの腕を焼いた。
愛用の魔糸製のジャージがある程度守ってくれたが、袖の部分は千切れ、焼け焦げも出来てボロボロになってしまった。上だけで五万はするのだが、買い替えなければならない。
「正直、最初はガキだと思っていた。すまん」
とリザードマンが言った。
確か、鷲尾という名だったか。
ダンジョンに居たときは、名前なんて忘れていた。
が、今思い出した。変な名前だ。トカゲなのに鷲尾。
「腕は大丈夫か?」
鷲尾はいたわるように言った。
戦闘時にはその見た目を裏切らない迫力で大鉈をふるっていたリザードマンは、普段の気の良い男に戻っていた。
シオンが腕を犠牲にして作った大きな隙を、鷲尾は見逃さなかった。
大鉈の一撃がガルムの額を叩き割り、同時にアルマスとワーウルフの剣が、腹を刺し貫いていた。
すべて急所を的確に貫く一撃であり、冒険者協会が選別しただけあって、全員が手練だった。
ガルムは単体でも恐るべき魔物だが、これだけの仲間がいればシオンが腕を犠牲にする必要も無く、時間をかければ被害も少なく始末できただろう。
「魔法薬飲んだから、痛くはねえよ」
「市販のだろ。火傷までは治らんだろ」
「大丈夫だよ」
こうなると分かっていてやったのだ。
何故そうまでして戦闘を早く終わらせたかったのか、鷲尾は怪訝に思ったようだが、何も訊かなかった。
代わりに、丁寧に礼を言ってくれた。
「ちょっと強引だったが、お陰で早く済んだ。ありがとな」
「別にいいよ。オレが早く終わらせたかっただけだ」
「そうか。ちゃんと腕、医療魔道士に診てもらえよ」
「ああ」
「――おい! これ、使えよ」
ワーウルフだった。いつの間にか居ないと思ったら、駐車場に停めていた自分の車のトランクから、ペットボトルのミネラルウォーターとタオルを取って来たらしく、シオンに渡してくれた。
「軟膏もあるぜ。けっこう高価なやつだからな。火傷にも効くはずだ」
ワーウルフの名も思い出した。たしか、笹岡だった。笹、というのがこれも狼のイメージではない。パンダ男なら分かりやすかったのだが。
猿の姿をしたアルマスにいたっては、犬井というらしい。これはどうしても思い出せず、鷲尾に訊いた。
その名を付けたのは先祖か知らないが、理由を聞きたい。
ダンジョンまで、シオンは電車とバスを乗り継ぎ、それ以外はそれぞれの車で来ていた。犬井は用事があるとかで、報告を済ませた時点で、さっさと帰ってしまった。
「仲間がケガしたってのに、薄情な奴だなぁ? なぁ?」
タオルと水を貸してくれた笹岡が、シオンに言った。
「いや、一応、送ってやろうかとは訊かれたよ。でも、断った」
「ありゃりゃ、なんでよ?」
「あの人と、車の中で何話していいか、分かんなかったし」
特に悪気は無かったが、そうシオンが言うと、二人は笑った。
「なるほど。確かにな」
「帰りは乗せてやるよ。シートに血が付くのは構わないんだが、極力落としてくれよ。ガルムの血は臭いからな」
「お前の血も臭いのか?」
と鷲尾が、笑いながら言った。
魔狼と狼男、広く括れば、確かにどちらも狼をルーツに持つのだが、さすがにガルムと一緒するなよ、と笹岡は言った。
そしてにやついた顔で、ふんと鼻を鳴らした。
「じゃあお前の尻尾も、斬ったらまた生えてくるのかよ?」
鷲尾もシオンも笑った。
半日の付き合いだったが、リザードマンの鷲尾とワーウルフの笹岡の二人は気が合ったらしく、これからパーティーを組むという話をしていた。
先に帰ったアルマスの犬井は、普段はパーティーを組んでいる仲間が居るそうだが、仲間が怪我をしているので、その間ソロでやっているだけらしい。
鷲尾と笹岡のパーティーに、シオンも誘われた。
「どうだ? お前なら大歓迎だぜ」
鷲尾は運転しながら、助手席に乗ったシオンに言った。
帰りは結局、鷲尾が乗ってきた1トントラックに乗せてもらった。笹岡の車はスポーツタイプで、2シーターで狭かったからだ。
東京までの連れがいなくなり、笹岡は寂しそうだったが、シオンは腕の怪我があるので、少しでも広いほうがいいだろうという鷲尾の言葉に、しぶしぶ納得していた。
シオンとしても、賑やかな笹岡にずっと付き合える自信は無かったので、穏やかな鷲尾の車に乗せてもらえて助かった、と内心思っていた。
鷲尾は、シオンに楽に過ごしてくれていいと言い、シートに血が付いても構わないと気にとめなかった。
彼は冒険者が本業ではなく、親戚と運送業をやっていて、これは仕事で使っている車らしい。
「いや、オレはしばらくソロでやるよ」
鷲尾の誘いを、シオンは断った。
「そうか? まあ、俺も笹岡も剣しか使えん。今日もゴリ押しだったしなあ。お前にとっては、魅力は感じねえか」
「別に、そういうんじゃねーけど」
火傷した右腕は、二人がかりで処置された。軟膏を塗りたくられ、包帯でぐるぐる巻きにされ、何故か骨折の処置のように肩から吊られている。
「……アンタたちは、いい奴らだと思うけど」
一応フォローはしたが、鷲尾はあまり気にしていないようで、勝手に話を続ける。
「やっぱり、パーティーを組むならソーサラーが欲しいよな。でも、今日のパーティーも中々だったぜ。サル野郎がモタモタしてるのが参ったけどな」
「ああ……犬山さん? だっけ」
「犬井だろ」
もう忘れていた。覚えにくい。
鷲尾がははっと笑う。
「まあ分かるぜ。サルなのに犬ってインパクトのほうが強過ぎるからな。しかも犬は犬で居るしよ。紛らわしいよな」
「うん」
笹岡は犬じゃなくて狼だと思うが、別に細かく訂正することでもないので、シオンは頷いた。
言われてみれば、鷲尾の言うサル野郎・犬井は、ダンジョン内で死体を見つけるたびに、いちいち念入りに身許確認をしていた。几帳面そうなタイプだったので、あまり気にしてなかった。
もしかしたら探している人間でも居たのかもしれない。
シオンはぼんやりと、自由な左手をスカーフに絡め、その下の石に触れていた。
自分で飲んだ痛み止めのポーションは、近所のドラッグストアで買った。小さな容器に入った水薬をいくつかポーチに入れていた。安くても一本三千円くらいするが、気休めにはなる。それに笹岡から貰った高価だという軟膏を塗ると、ヒリヒリとした熱さが驚くほど引いた。それだけで痛みはずいぶん和らいでいた。
それでも少し皮膚の下が疼く気がするので、鎮静効果のある魔石を指先で転がした。
「痛むのか?」
いたわるように鷲尾が言った。
「いや」
「腕の良いヒーラーを知ってるから、東京まで我慢してくれ」
「大丈夫だ。慣れてるから」
「我慢することにか? ソロなら、まあ、そうだな。痛いなんて、言っても仕方ねえからな。お前は、ずっとソロか?」
シオンは頷いた。
「駆け出しの頃は?」
「一人だった」
「ずっとか」
また、頷く。
「若いのに、珍しい奴だな」
「そうかな」
「強いわけだ」
「アンタのほうが強い」
「そりゃそうだ。体力が違う。力も、経験もな。冒険者になって、二年とか言ってたな。俺がそんくらいのときは、お前より弱かった。根性も据わってなかったし、親父や叔父さんにいつもケツ叩かれてたし、正直カミさんのほうが強かったしな」
「アンタ、奥さんいんのか」
「ああ」
「リザードマン?」
「嫁か? ああ。リザードレディって呼べって怒るけどな。何だそれって思うけどな。リザードマンってのは種族名で、オスメスの区別じゃないだろ? マンってのは、ヒューマンのマンだ。でも、リザードマンって言うと、たいていの女は不機嫌になるんだよな」
「そうなのか」
いまのところ、女リザードマンの知り合いは居ないが、知り合うことになったら気をつけようと、シオンは思った。
「大体、レディって……。それならリザードウーマンだろーが、って思うんだけどな。だったら俺も、リザードジェントルマンと呼ぶべきだろ?」
「うん」
真顔で頷くシオンに、鷲尾は何故か温かい笑みを向けた。
「なんか、真面目だな、お前。ま、そんでレディにそう言ったら、アンタはリザード父ちゃんぐらいで充分だとか言うんだぜ。女って、勝手だよな」
「うん。でも、仲良さそうで、いいんじゃないか」
そういうと、鷲尾は少し照れたようだった。
「まあなー。つか、ほんと真面目だな、お前。今度うちにメシ食いに来いよ。嫁が喜ぶ」
「ありがとう。いいのか?」
「いいよ。家族多いから、狭くてウルセーけどな」
家族という言葉は、シオンにはしばらく遠いものだった。
冒険者になってから、一人で暮らしている。ここ二年ほど、大勢で食卓を囲んだことはない。
優しいリザードマンの家の食事は、楽しそうだ。
「あ。安心しろよ。メシは普通だからな。虫とかじゃねえから」
「分かってるよ」
別にシオンだって、猫亜人だからといってキャットフードを食べるわけではない。
そんなことを思ったのは、中学のとき、登校してきたら机の中に大量のキャットフードがぶちまけてあったというベタかつ陰湿な嫌がらせをされたことを思い出したからだった。
「ダンジョンも、また機会があったら潜ろうぜ」
「ああ」
「でも、お前なら、俺達よりももっと、腕の良い奴とパーティーが組めるだろうな」
それには、シオンは答えなかった。
カーステレオから、女性ヴォーカルのアルバムが流れている。
鷲尾の好みなのか、「この曲好きなんだよ」とか「名曲だよな」などと言いながら、時折鼻歌で口ずさんでいる。
耳の良いシオンを気遣ってか、音量はごく小さくしてある。
鷲尾もそうだが、リザードマンはたいてい、長髪だ。
それが特に竜っぽい、とシオンは思う、首の下まで生えているその髪なのか、たてがみなのかを、短く切るのは彼らの間では格好悪いらしく、見かけるリザードマンはたいてい長く伸ばしている。
鷲尾は伸ばした髪を一つにくくっている。毛つやはあまりよくなく、白っぽい毛はバサバサと乾いていて、トウモロコシのヒゲに似ている。
角でもあれば、養父の言うとおり、リザードマンではなく竜亜人と呼ばれていたかもしれない。
ここに角があれば、と思う部分には、小さく妙に可愛らしい耳がぴょこんと突き出している。
それが好きな歌に合わせて、小さく動いている。
ぱっと見、迫力のある大きな直立歩行のトカゲだが、近くで見てみるとなかなか愛嬌があった。
猫耳と尻尾を生やした少年に、そうは思われたくはないだろうが。
鷲尾は時折歌を口ずさみながら、シオンの気を紛らわせるためか、色々と話をしてくれた。
腕の火傷が疼くのもあって、シオンはだんだんと返事する元気が無くなってきたが、話を聴いているのは気が紛れた。
「えーと、小野原だったな。ところで、つまらんこと聞くが、学生か?」
「いや、行ってない」
「そうか。まあ、そうだな」
「道が悪くてすまんな。傷に響くか?」
「大丈夫だ」
道が悪いのはなにも鷲尾が謝ることではない。
それにシオンからすれば、バスと電車で帰るよりマシだ。
電車やバスなど、持ち込む装備によっては、冒険者は公共の交通機関が使えない。
シオンはまだ良いほうだ。大鉈を持ったリザードマンなど、間違いなく電車には乗れない。シオンが長剣を持たないのも、自分に合わないという理由以外に、これがある。
冒険者ならマイカーか、せめてマイバイクは持っていたほうが良いのだが、シオンはまだ自動車免許が取れない年齢だ。バイクもあまり乗ろうと思えない。排気ガスの臭いが、鼻の良い亜人には気になるのだ。
なので、シオン自身に運転技術は無いが、鷲尾の運転は中々巧いように見える。
本来は長い爪を切り揃え、大きなハンドルを器用に操っている。
本業である運送業は、順調だそうだ。
「冒険者なんてしなくても食っていけるんじゃないか?」
そうシオンが言うと、いやいや、と頭を振る。
「厳しいぜ。なかなか。子供が六人居るからな」
リザードマンの年齢は、見た目ではちょっと分からない。鷲尾の年齢はシオンが思っていたよりもずっと若く、なんと二十五歳らしい。最初の子供はいつ作ったのか、年子ばかりなのか、それとも六つ子なのか、シオンは疑問に思ったが、それを訊く前に鷲尾が話を続けた。
「お前は、まだ中学生だろ?」
「ざけんな。十六だよ」
それまでぼんやり話を聴いていたシオンだったが、さすがに憮然とした。
「マジか。悪い」
と鷲尾が笑う。
確かに背は高くない。最後に測ったのは確か、半年前だった。冒険者カードの更新時、健康診断をしたときだ。確か168センチだった。まだ成長期だと信じたいが、そもそも顔立ちも幼く見える所為で、時折こうして中学生に間違われる。
そもそもワーキャットは総じて小柄で、若く見える者が多い。
「そうか。十四、五かと思ってな。すまん。ワーキャットの年齢は分からん」
「アンタが言うなよ」
「確かに。それでも昔の俺よりしっかりしてるぜ。行かねえのか。学校には」
「昔は行ってたけど……もういいよ、いまさら。アンタだって行ってねーだろ」
「ああ、まあな」
亜人は人間の学校に通えないわけではない。
だが、あえて通わずに、一族の中で亜人なりの生き方を身につけていくことのほうが多い。
「でも、俺なんか、このナリだろ? お前は見た目はほとんど人間に近いから、行けるもんなら、行ってもいいんじゃないかって思うけどな。まあ、色々あるんだろうけどな」
「そりゃアンタから見たら、ほとんど人間かもしれねえけど、人間から見たら、全然違うんだよ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだろ」
シオンにとってはあまり続けたくない話題だったが、ふむ、と鷲尾は何か考えるように頷き、ふと遠い目をした。
「俺は、一度人間の学校に行ってみたかったんだよな。ガキの頃は、人間の友達が居たんだ。トカゲのトトちゃんって呼ばれてな。幼稚園までは行ったんだよな。でも小学校には行けなくてな。友達が皆行ったのに、すごく寂しかったぜ。ああいう思いを、自分のガキにはさせたくねえけど、ムズかしいよなあ」
しみじみと父親らしいことを言う。
しかめつらをしている横顔は完全にトカゲなのだが、人間の父親が持つ悩みと同じことを口にしている。
トカゲに似ているが、トカゲではない。シオンにしても、猫の耳や尻尾があっても、猫ではない。もちろん人間でもない。それでも人間の世界で生きている亜人達は、考え方自体は人間に近いし、感情も豊かだ。人間に混じって集団生活を営み、その社会で仲間外れにされれば、もちろん辛い。
(だったら、学校なんて行かなくていいのよ)
指でスカーフの下の石を弾きながら、シオンはフロントガラスの向こうに広がる空を眺めた。すっかり暗くなった山の中で、たくさんの星がくっきりと見える。
ダンジョンではない公道を、安全な車の中で、自分の体を一つも動かさずに移動出来る。日常ならごく当たり前のことが、こんなにありがたい。
(弱虫ね、シオンは。でも、大丈夫よ)
心から安心しきって、シオンは体をシートに預けた。体との間で潰れている尻尾もリラックスしきって、大人しく潰されている。
こんな安堵感の中で、仕事終わりに眺める満天の星空は、学校に通っていては味わえない景色だ。
(あたしが、ずっと守ってあげる)
スカーフの下で、小さな石の感触が、指に触れる。
この石は、心を護ってくれると、言っていた。
「……冒険者だって、悪くはねえよ」
「まあな」
そうは言ったが、本心では冒険者という仕事を、シオンは好きでも嫌いでもない。
中学を中退し、他に出来そうな仕事が思いつかなかったので、なったというだけだ。
「アンタは、今も人間の友達はいんの?」
「おう、居るぜー。仕事仲間にも人間は居るし、パパ友も居るし、幼稚園時代からの親友も居るぜ」
「じゃあ、学校なんかどうでもいいじゃん」
「そーかなー。うん。まあ、そうかもな。お、ちょっとカーブきついぞ」
急カーブにさしかかったところで、親切に声をかけてくれる。
ハンドルを切りながら、鷲尾はうんうんと頷いていた。
「……学校はどうでもいいけど、オレもそのうち、自分のガキは欲しいな」
とだけ言い、シオンはシートによりかかり、薄く目を閉じた。
「お、彼女が居んのか?」
鷲尾が楽しげに言う。
んなもんいない、と言おうとしたが、それ以上口を開く気力が無かった。
瞼の奥に、人を喰っていたガルムの醜悪な姿が蘇る。
体に着いて取れない血と肉の臭い。駆け出し冒険者じゃあるまいし、慣れてはいるが、慣れない。
鷲尾は悪い奴では無いが、今日は疲れた。喋っている間に、眠ってしまいそうだ。
「眠いなら、寝ていいぞ。もうすぐ東京だ。着いたら起こすから」
親切なリザードマンの言葉に甘えて、シオンはゆっくり眠りに落ちた。
人の好さそうな鷲尾と笹岡とは、連絡先を交換した。
鷲尾がすぐにヒーラーの許につれて行ってくれたので、シオンの腕の火傷も綺麗に治っていた。
男なので痕が残っても気にすることも無いが、治るにこしたことはない。
後日、冒険者協会からは報酬が振り込まれた。
するとその日のうちに笹岡から電話があり、犬井が抜け駆けをした、と怒っていた。
どうやら、犬井は二つの依頼を同時に受けていたということだった。
いちいち冒険者の遺体を確認していたのは、そのためだった。
ダンジョンでガルムの犠牲になった冒険者の親から、子供の救出を頼まれ、もし死んでいたら遺留品を持ち帰ってほしい、という依頼されていたというのだ。
その冒険者とは、人間の資産家の息子だったらしい。
それを笹岡がどうやって知ったのかについては、「オレって顔広いんだよな」という一言だけで、シオンは納得した。
詳しく訊くと、長話になりそうだったからだ。
二つの依頼を同時に受けることは、特に契約違反ではない。だが、それをパーティーメンバーに黙って、自分の目的の為に単独で行動することに、問題がある。
冒険者としてのモラルの問題なのだ。何があるか分からないダンジョンで、勝手な行動を取られれば、パーティーの危機を招くことにもなりかねない。
笹岡はそのことを憤っていた。
もちろん、黙って受けた依頼の報酬は、他のメンバーには知らされていないから、犬井の丸取りである。
「腹立つよなー。ネットの掲示板に書き込んだぜ。名前は伏せたけど」
電話の向こうで、笹岡は相当怒っているのか、時折犬の唸り声のようなものが聴こえた。
腹が立たないわけでは無いが、《要注意冒険者・通報用掲示板》にすでに笹岡が書き込んだというので、もう出来ることは無い。
「今度、見かけたら、どっか噛み千切ってやる」
と笹岡が言ったので、オレもそうする、とシオンも電話口で言い、電話を切った。
ソロの冒険者であるシオンは、見ず知らずの人間とこうして一時だけパーティーを組むことがよくある。
今回一緒になった鷲尾と笹岡は良い奴だったが、最後にケチが付いた。
しかし、全体としてみれば、悪い仕事ではなかった。知り合いも出来たし、まとまった金が入った。協会からの依頼だったので、報酬は悪くなかった。調査報酬と、ガルムを仕留めた討伐報酬も入った。
今月はもうダンジョンには潜らなくても良いくらいだが、かと言って自分には他の仕事があるわけでも、学校に行っているわけでも、家族が居るわけでもない。
週が明けたら、冒険者支援センターに行こう。あそこに行けば仕事がある。今回のような割の良いやつは中々無いだろうが。
無いなら無いで、適当なやつでいい。
アパートに敷きっぱなしの布団に横になり、シオンは目を閉じた。
この仕事に不満は無い。
達成感や満足感もそれなりに得られる。
冒険者という仕事が嫌いかと言われれば、別に、と答えるだろう。
そして、好きかと問われても、別に、と答える。
やりがいを感じたことも無い。
でも、生きていくには金が必要で、冒険者はその数少ない手段の一つだった。
魔石の欠片のついたチョーカーは、いまは外してテーブルの上に置いてある。
細い指が、それをシオンの首にかける。
それは記憶の中のことだ。
チョーカーはテーブルの上にある。
(大丈夫よ)
記憶に残る、甘い匂い。白い指先。
(なんにも、怖いことなんて、ないのよ)
そんなことはない。とシオンは思った。
ダンジョンは、まだ怖い。
暗闇も、敵も、いつ死ぬか分からない緊張感も、たまらなく怖い。
けれど、一人でこうして昔の夢を見ているより、ダンジョンの闇の中を這っているほうが、まだマシというだけだった。