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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
26/88

急襲

「ここが休憩所か」

 扉の前でシオンは呟いた。横に立ってマップを見ている紅子に目をやると、こくんと頷いた。

「ん。そだね」

 比較的新しい扉は、ここ数年以内に取り付けられたものだ。

 休めると思ったからか、紅子の腹がぐうと鳴った。黙って見つめるシオンに、紅子は頭を掻きながら笑った。

「あっ……え、えへへっ。鳴りました!」

「うん」

「よーし。中で、ちょっと休もうか、キキちゃん」

 ね、と紅子がキキに声をかける。

 キキはちら、と紅子を見返すと、小さく頷いた。

 珍しく素直だ。軽くとはいえ国重に叱られたことが余程堪えたらしく、すっかり大人しい。

「ちょっと下がっててくれ。中に何か居るかもしれない」

「あっ、そ、そっか。そだね!」

 もう頭の中身がすっかり食事モードに切り替わっていた紅子は、慌てて背筋を伸ばした。元気の無いキキを手を引き、移動する。

 外からでも部屋の中に何の気配もしないのは分かっていたが、シオンはダガーを構えながら、扉を開け、中に入った。

 人もモンスターも居なかった。

「大丈夫だ」

 と告げ、紅子たちを促し、全員が中に入ると、また扉を閉める。

 ただの小部屋かと思っていたら、想像していたより広い。

 元々は鉱夫の休憩部屋だった場所を、いまも休憩所として使えるように手入れしているようだ。

「……この部屋、うちの皆がいじったみたいね」

 キキの言葉に、紅子が尋ねた。

「どうして分かるの?」

「椅子がでかいじゃん」

 長机と、キキの言うように、大きめの椅子が数脚並んでいる。机の上には誰が置いたのか、最近の漫画雑誌が積まれていた。

「この本とかも、リザードマンさんたちが置いてるのかな?」

「んなわけ無いじゃん。不真面目な冒険者か、さっきの奴らみたいなバカなダンジョンマニアが置いてってるんでしょ」

 キキが紅子を睨みながら言う。

「こういう部屋が階層ごとにあるなら、けっこう楽に探索出来るな」

 シオンは紅子からランタンを受け取り、机の上に置いた。ウエストバッグからペットボトルを取り出し、水で口の中を湿らせる。

「なんか、けっこうくつろげるダンジョンだね。秘密基地みたい」

 紅子が楽しげな表情で、机の上にリュックを下ろす。

「キキちゃんもこっちおいでよ。おにぎり食べよう」

 入り口に立っていたキキに声をかける。キキは返事はしなかったが、机の傍までやってきた。

 杖を傍らに立てかけ、手を離しても、紅子が注いだ魔力が残っているのか、ピンクの魔石は煌々と光り続けている。

「……浅羽って、杖から手を離しても、杖を光らせていられるんだな。それって、杖を手放したら光も消える奴いるよな?」

 シオンが尋ねると、紅子が頷いた。

「あ、うん。魔石に魔力溜めてるからね」

「そういうこと出来るのか」

「魔石の性質によるけど。杖に付ける魔石も、好みは人それぞれだからね」

 リュックを開き、風呂敷包みを取り出しながら、紅子が言う。

「そうか。魔石にも、色んな効果があるんだったな」

 シオンがスカーフの下に付けている魔石には、精神安定の効果があると透哉が言っていた。その所為か、シオンも無意識に指で触ってしまうことが多い。

「そうそう。ソーサラーの杖に付いてるのは、ほとんどが魔力増幅か、魔力蓄積の魔石じゃないかなぁ。人気あるのは増幅型だと思うけど」

 大きな風呂敷包みを机の上に置き、結び目を解く。

「あたしのは蓄積型なの。ある程度魔力を溜めておいて、後で使ったりとか、しばらく光らせておいたり出来るからね」

 包みの中からは、ラップに巻いたシオンの拳よりやや大きいくらいのおにぎりが、ゴロゴロと転がり出てきた。

 ひときわ存在感を放つのは、その倍以上の大きさはあろうかという爆弾おにぎりだった。シオンはもう見慣れたが、いつ見ても感心するサイズである。

「でっ、でかっ! なにそれキモいっ!」

 元気の無かったキキが、思わず突っ込んでしまうほどだ。

「やけにでかいリュックだと思ったら、全部おにぎりかよ!」

 次々と出てくるおにぎりの軍勢に、キキは驚愕した。

「まさか。他にも色々入ってるから、大きいんだよ?」

 そういえば妹尾家が彼らに食事をふるまったときも、食事量の多いリザードマンの中で、紅子は負けず劣らずの食いっぷりだった。キキは初ダンジョンに挑むことをシオンから聞かされ、そのことで頭がいっぱいだったのだが、何となく視界の隅に入っていた。

「女子はやっぱり荷物が多くなって大変だよね。ね、キキちゃん」

「同意を求めるなぁ! 普通の女子ならおにぎりこんなにでかくない!」

「それは、ほら、皆も食べるかと思って」

 紅子はそう言うが、シオンは知っている。

 一番でかいのは、紅子用であることを。

「これはねー、国重おじいさんのぶんだよ。親分、きっとたくさん食べると思って!」

 広げた風呂敷の上に、丁寧にラップに包まれたおにぎりを並べながら、二番目に大きなおにぎりを手に、言う。

「アンタいつおじいちゃんの子分になったのよ」

 そんな紅子に、キキは相変わらず小馬鹿にしたような目を向けていたが、心なしか

「小野原くんはお仕事中はあんまり食べないから、これとこれね。シャケとね、おかかだよ」

「ありがとう」

 日帰りダンジョンではほとんど食事を採らないシオンだが、そう言っても紅子がいつも持って来るので、今はありがたく受け取っている。

 二つ合わせて手のひらに収まるくらいの小さなおにぎりにも、キキは突っ込んだ。

「す、少なっ! アンタら男女逆じゃないのっ?」

「男女は関係無いだろ」

「そうそう、おにぎりの前では皆等しく飢えてるの。女の子でも、たくさん食べなきゃ元気出ないからね。はい、これは、キキちゃんのだよ」

 最後に紅子がリュックの底から取り出したのは、可愛らしい花柄の包みだった。

「あ、あたしのぶん?」

 包みを解き、紅子が取り出した小さな弁当箱を、キキは急に戸惑った様子で見つめた。

「そう。キキちゃんのはスペシャルにしてきたよ。おにぎりは布で簡単に包んじゃったほうが、帰りゴミにならなくていいんだけど、キキちゃんはこれがダンジョンデビューだもんね。ちょうど私が使ってたお弁当箱があったから、お祝い弁当風にしてみました!」

「これが、浅羽の弁当箱?」

 猫の顔の形をした可愛らしい弁当箱だが、あまりにも普通サイズ過ぎたので、思わずシオンはそう口にした。

「うん。これはデザート入れに使ってたの。叔母さんが買ってくれたんだけど、結局メインのお弁当箱は叔父さんのを二つ使って、小学校の遠足以来、ドカベンってあだ名が付いてました……」

 ふ、と紅子は遠い目で何処かを見た。

 中学時代は給食だったので、シオンは彼女の弁当の大きさまで知らなかった。そもそも隣の席とはいえ、クラスメイトがどれだけ食べるのかなどと気にしたことも無いが。

「では、じゃーん! こっこお姉ちゃんの特製お弁当ですよー!」

 蓋を開けると、ふりかけで飾った小さな手まりおにぎりが並んでいた。

「……誰がお姉ちゃんだよ」

 と言いつつ、キキは弁当を見つめ、唇をぎゅっと引き結んだ。

 食事は手早く済ませたほうが良いと悟ったらしい紅子は、仕事中に持ってくるのはラップ巻きおにぎりのみで、おかずは持ってこないのだが、キキ用の弁当の中には、おまけのようにからあげと卵焼き、それからうさぎの形のりんごが入っていた。

「ああっ、お箸を忘れた! いつもおにぎりだけだから……!」

 弁当の蓋を持った紅子が、はっとした顔で叫んだ。シオンが言った。

「手で掴めるだろ、これくらい」

「うう、そうだね……ええとウェットティッシュ……」

「オレのナイフ貸そうか? 先に突き刺して食えばいい」

「それは、なんか怖いよう」

 シオンと紅子が喋っている間も、キキは俯き、じっと弁当を見つめていた。

「はい、キキちゃん! これで手ぇ拭いて……」

 リュックからウェットティッシュを見つけた紅子が、キキに差し出すと、その目からじわりと涙が溢れ出した。

「キキちゃん?」

「……うらやましい」

 きょとんとする紅子を見上げ、キキは再び唇を引き結んで涙を堪えようとしたが、出来なかったらしく、袖で目許をごしごしと擦った。

「……紅子は、人間なのに、魔法の才能があって、学校行きながら冒険者してて、シオンも信頼してて、おじいちゃんともすぐ仲良くなって……うぐっ」

 しゃくり上げ、言葉を詰まらせるキキに、紅子がポーチからハンカチを取り出して、手渡した。

 キキはそれを受け取らず、鼻を啜りながら、袖で顔を隠した。

「あ、あたしは、もう、冒険者しかないんだもん……でも、おじいちゃんは、年取ってるし、ほんとは腰痛あるし、ちょっと糖尿気味だし……」

 紅子はハンカチを握ったまま、キキの傍まで行って、顔を覗き込むように跪いた。

「キキちゃんは、ほんとは親分に、迷惑かけたくないんだね」

「だから、いつ子分になったのよ……」

「おじいさん、かっこいいからね」

 微笑む紅子に、キキは泣きべそを向けた。

「……うっ、うえっ……」

 鼻水が出てきて、それを袖で拭おうとしたキキの手に、慌てて紅子はハンカチを握らせた。

「ああ、これ、使って! せっかくの綺麗な装備が!」

「どうせダンジョンで汚れるし……アンタってほんと、変な奴」

「そう? 普通だと思うよ。冒険者でもダンジョン行ってても、やっぱり私は可愛いものとか綺麗なものとか、好きだよ」

 腰に付けた猫型ポーチからティッシュを取り出し、紅子はキキの鼻許に持っていった。

「はい、チーンして」

「じ、自分でするよっ」

 キキは顔を赤らめ、ティッシュを奪い取ると、ずずっと鼻をかんだ。

 多少我に返ったのか、表情は気まずげだが、泣いたらすっきりしたようだ。

 自分も何か言うべきかシオンは悩んだが、巧い慰めの言葉が思いつかず、結局こう言った。

「時間が勿体無い。メシ食おう」

 椅子に腰かけ、紅子にもらったおにぎりのラップを剥いて、頬張る。シャケだった。

「キキも食えよ。じゃないと、浅羽は食うの遅いぞ」

 シオンの言葉に、キキは小さく頷いた。

「ほら、荷物下ろそ?」

 紅子はキキの背中に回り、背負っていたバッグを抱える。

 が、それをキキが背中から下ろした途端、思いもよらなかった重量に、紅子はよろけてしまった。

「おわわっ」

 銃を収納した大きなバッグは、まるで楽器のケースのようである。小学生と見間違うほど小さなキキがここまで背負ってきたので、見た目よりも軽いと思っていたら、そんなことは無かった。

「ちょっと、大丈夫?」

 キキが慌てて、紅子の腕を掴み、支えた。か細い子供の腕なのに、これまた力強い。

「い、意外に力強いんだね、キキちゃん」

「あたし――リザードマンだから」

 ふんと鼻を鳴らし、椅子を引いてどっかりと腰を下ろす。

「お、お弁当少なかったかな……?」

「そこまで食わないよっ! リザードマンつっても半分だからね!」

 いつものキキらしい声が上がり、紅子は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「お口に合うといいんだけど」

「箸忘れたくせに……」

 そう悪態をつきながら、キキは自分の為に作られた弁当を見つめた。

 その頬が、心なしか赤い。

 ラップに包まれた小さなおにぎり。卵焼き。からあげ。うさぎ型のりんご。キキが食べたことの無いような素朴な弁当だったが、腹が空いていたので、いやに美味しそうに見えた。

 何より、それほど仲良くも無い人間の女が、キキの為にわざわざ作ってくれたというのが、意外だった。

 思ってもいなかったので驚いたが、嫌な気分はしなかった。

 そして、思い出した。

 中学校に行き出す前までは、こんな優しさは当たり前だと思っていたことを。

 キキが何もしなくても、人間の少女たちは仲良く、親切にしてくれるものだと信じて疑っていなかった。

 それまで、家族も、他のリザードマンも、他の亜人も、地元の人間たちも、皆が優しくしてくれたから。

 そんなこと、当たり前だと思っていた。

「……ううっ……うっ……」

 顔をくしゃくしゃに歪め、再びぽろぽろと涙を流し始めたキキは、手に付けたグローブを剥ぎ取ると、自分を見守る紅子とシオンの前で、弁当の中身を手づかみで食べ始めた。

「あ、ウェットティッシュ……」

「食ってるんならいいんじゃないか?」

「ううー!」

 ラップを破っておにぎりを頬張りながら、少女はまた袖で顔を覆った。




 シオンは、彼女の祖父母から、キキの事情をあらかた聞いていた。

 生まれて間もなく、両親を事故で亡くしたこと。

 リザードマン居住区で、皆に可愛がられて育ったこと。

 その生い立ちの不憫さと、人間に似た見た目の愛らしさから、重鎮の国重を始め、一族の皆だけでなく、地域の他種族にまで大切にされたこと。

 結果、とんでもなくわがままに育ってしまったこと。

 自分の見た目とほぼ同じ人間に憧れて、人間ばかりが通う私立の女子中学校に進学したこと。

 そこで、上手くやれなかったこと。

 そしてその原因は、キキが居住区外の人間慣れしていなかったことと、普段の生活でリザードマンと触れ合う機会の無い人間の子供にとっても、キキの存在が奇異に映ったことだ。

 そのことを、シオンは紅子に詳しく話さなかった。

 両親を失ったということと、中学校に馴染めず、冒険者を始めたということぐらいしか告げていない。

 これから仲良くなっていくとしたら、キキが話したいときに話すだろうし、紅子には同情的な気持ちからでなく、持ち前の明るさとのん気さで接してもらうほうが良い気がした。きっとそうしてくれるだろうとも思った。

「人間の女の子では無い」ということに、キキは強いコンプレックスを抱えている。

 キキが紅子の弁当を食べて泣く気持ちは、シオンには少し、かる。

 人間に馴染めないのだと、一度は諦めた。けれど、また人間に優しくされて、戸惑っているのだろう。信じたいけれど、もう傷つきたくない。

 ましてやキキは幼いし、女の子だ。雑誌やテレビで観る人間の女の子の暮らしがどれほど華やかに映っていたのか。

 金で綺麗な服だけ買っても意味は無い。それを見てくれる友達が欲しかったのだ。

 男勝りのあんな姉でさえ、可愛い小物や洋服をたくさん持っていたのを知っているから、自分と似た姿の少女たちと過ごすことへの憧れは、男のシオンが思うよりずっと大事なことなのだろう。


 キキはどこかで、自分と亜人の友達は違うと、ずっと思っていた。

 亜人の友達は優しくしてくれるが、心の隅に誤魔化しきれない気持ちがあった。

 彼らは居住区の中で大人になっていく。人間の社会で暮らしながらも、人間とはやや距離を置いて。

 だが、キキは違う。そうじゃない生き方に興味もあった。

 むしろ大柄な亜人たちの中で、苦労することもあった。人間より少々力は強くても、他のリザードマンやミノタウロスたちには敵わない。体育の時間だって、本気でキキを相手することは無い。彼らに合わせた学校の備品だって、キキが使うには大きい。

 家の中だけでは無い。学校でも、キキはどこに行っても、「小さな」女の子だった。同じ目線の友達が居なかった。だから余計、人間に憧れた。

 他の皆とは違う、そんな傲慢もあった。

「キキちゃんならすぐ人気者になるよ」と友達にも言われ、意気揚々と人間の中に飛び込んだ。そこで馴染めなかったからといって、プライドの高い彼女が今更のこのこと帰れないのだ。

 大人にとってはつまらない意地でも、キキにとってはいま一番こだわっている意地なのだ。




「一応マップ持ってんだからさぁ、チェックした部屋に印くらい付けといたら?」

 紅子が持っていたダンジョンマップに、キキがマジックで×バツ印を付けながら、言った。

「記憶なんてアテになんないんだからね」

「うう、すいません……」

 大きなおにぎりを頬張りながら、紅子が申し訳無さげに頭を下げる。

 シオンとキキはとっくに食事を終えている。

「おじいちゃんも遅いし。あーあ、変な奴らが居なかったら、とっくに奥まで行ってんのに」

「そう言うな。ダンジョンではよくあることだ」

「ええー」

 とキキは嫌そうな顔をする。

「まあ、そのまま放っておく冒険者のほうが多いだろうな。帰るようには言うだろうけど」

「そりゃそうだよ。おじいちゃんは親切過ぎるよ」

「でも一応は、ダンジョン内で遭難している一般人に出くわしたら、保護する義務が冒険者にはある」

「遭難じゃないじゃん」

 不服そうにキキが言う。

「帰りに遭難するかもしれないだろ。たしかに、仕事中にわざわざ送ってやる冒険者は少ないかもしれない。でも、国重さんは間違ってないよ」

「無事に帰れたらいいね」

「アンタはさっさと食べなよ」

 おにぎりを頬張りながら言う紅子に、キキが冷たく注意する。

「はい、すみません……がんばります」

「どうでもいいよ、あんな奴ら」

 そう吐き捨て、頬を膨らませる。まだ納得出来ていないようだ。

「帰りにあの人たちが死んでたら、お前だって後悔するだろ」

「するかなぁ」

「仕事をこなすのも大事だけど、効率的に自分の仕事だけをして金をもらうだけなら、冒険者じゃなくてもいいんじゃないか」

「……それって、あたしには、冒険者は向いてないって言うの?」

「いや」

 顔をしかめるキキに、シオンは首を振って否定した。

「まだそれほど、オレはお前のことを知らないしな」

「まーね。ここまでで、ゴブリンとバカに遭ったぐらいだし」

「でも、それだけでも分かることもある」

「何が?」

「案外やれてると思うぞ。駆け出しにしては」

 するとキキは急に、ぱっと顔を輝かせた。

「ほんとっ?」

「ああ。ここまではな」

「じゃあ、あたし……冒険者出来るかな?」

 おずおずとシオンを見上げ、尋ねる。

「それは、お前次第だろ。向いてるか向いてないかじゃなくて、やりたいかやりたくないかじゃないか。やれると思うなら、やったらいい。オレはそう思う」

「でも、おばあちゃんは向いてないって。それに、絶対おじいちゃん付いてくるもん。腰痛持ちのくせにさ……」

「国重さんを巻き込むのが嫌だと思うんなら、ちゃんと正直にそう言えよ」

 何だかんだ言っても、国重と一緒に仕事をすることを、嫌がっているわけでは無いのだ。

 ただ、強いとは言っても彼は年老いている。

 そんな祖父を、自分のわがままに付き合わせたくない。

 冒険者になりたいというわがままは通したいのに、そんなことは気にする。矛盾しているようだが、彼女にとってはどちらも大事なことだ。

 あまり話したいことでは無いが、シオンは口を開いた。

「オレも、学校に行きたくなかった。中学のとき、クラスの奴と巧くやれなくて、学校に行かなくなって、そのまま卒業したから」

「シオンも?」

「ああ」

「いじめられたの? 亜人だから?」

「理由はよく分からなかったけど、多分、そうだと思う」

 本当に、突然だった。

 元々、沢山の友人を作るタイプでは無かった。それでも話しかけてくれる者は居たのだ。それまでは。

 朝、教室に入ると、なんとなく雰囲気が違っていた。シオンに「おはよう」と言ってくれる人間が居なくなっていた。自分の席に行くと、机も椅子も無くなっていて、話しかけづらそうなクラスメイトの視線を追うと、廊下に出されていた。

 机と椅子を教室に戻すシオンの姿を、気まずげに見ている者と、笑って見ている者が居た。それで、気付いた。自分はその場で、異質な存在だった。

 幼い頃にも、亜人だからと近所の子供にからかわれたり、耳や尻尾を引っ張られたりしたので、何となくそういうことなのだろうと思った。

 若いワーキャットは成長期に、成長臭という独特の臭いを発する。そのときは届けを出してしばらく休み、病院で処置し、薬を飲んで臭いを抑えるクリームまで塗って、ようやく学校に行った。きっとそれでも、自分では分からない変な臭いでもするのだろう。

 嫌がらせはそれからも続いた。仕掛けていたのはクラスで声の大きい数名だった。シオンの椅子や机を隠したり、持ち物を捨てたり、教科書を破ったりと、最初は姿を見せず誰か分からないようにしていたが、シオンが親にも教師にも訴えず学校に通い続けていたので調子に乗ったのか、肩をぶつけられたり足を引っ掛けられるようになった。女子からも聴こえるように陰口を言われた。だがそのぐらいは耐えられた。

 ふと見ると、おにぎりを食べる紅子がしょんぼりと目を伏せていた。もちろん彼女に悪いところなど無い。クラスが離れていたというだけだ。

「だから、高校にも行くつもりは無かった。亜人が多い学校もあったけど、オレはずっと人間の中で暮らしてきたから、いまさら亜人ばかりの中に入るのも嫌だったんだ。そこでも上手くいかないかもしれないから」

 キキとシオンは同じだ。ただ亜人の中で育ったキキは、人間に憧れたけど、シオンは最初から人間の中に居て、それでも駄目だったのだ。

 だったら、もう絶対人間となんて仲良く出来そうにない。そうキキは思った。

「オレは結局、学校に行かなかったけど、冒険者の仕事だってキツい。何度も死ぬかと思ったし、もう辞めてしまいたいと思ったこともある。学校が死ぬほど辛くても、冒険者の仕事は本当に死ぬんだ」

「それでもいいよ」

 キキは頑なな態度で、そう言った。

「あたしよりは上かもしれないけど、シオンだって紅子だって、まだ子供じゃん。リザードマンなら今のあたしの歳で冒険者になるんだから、別におかしくないでしょ」

「だったらキノコ採りから真面目にやれ」

「やってるもん! モンスターだって倒した!」

 ドンドンと机を殴りつけると、ひたすらおにぎりを食べていた紅子がびくりと肩を震わせた。

「お前にやる気があるのは分かるけど、焦っても仕方無いだろ」

「じゃあ、シオンだったらずっとキノコ採りでもいいの?」

「オレはいいけど。金になるならなんでも」

「じゃあ、紅子はっ?」

「へっ? あたし?」

「紅子だって冒険者になったばっかでしょ? それでもうダンジョンに潜ってるんでしょ! どうしてあたしはダメなの!」

「か、家庭の事情かなあ……?」

「浅羽にはそうしなきゃいけない事情がある。キキ、お前は一体、どんな仕事がしたいんだ」

 シオンの問いに、キキは面食らった顔をした。

「ど、どんな?」

「そうだ。向いてる向いてないじゃない。やりたいかやりたくないかだって言っただろ。きっかけは、ただ逃げてきただけでもいい。オレはそうだった。でもいつの間にか逃げるためじゃなくて、生きるために続けてた」

 本来ワーキャットの男は、人間よりも早く親許を離れ、自立する。そうして自分の家族を作る。

 成長臭は本来、他のオスを遠ざけ、メスに自分が成獣になったことを知らせるサインだ。子作りをする体が出来たという証明である。

 現代いまでは違う。獣のようにメスを取り合うだけではない。人となりを知り、恋をして、ゆっくりと愛を育むということを、彼らは憶えた。体臭を気にするようにさえなり、成長臭は治療によって抑えるのが当たり前になった。

 そうして獣ではなく亜人として生きるようになっても、変わらないこともある。

 それは、今でもワーキャットの男子は十五歳程度で自立し、比較的早く結婚する傾向にあるということだ。だからシオンも家を出ることは自然なことだと思った。

「こんな仕事したくないと思ったこともある。でも学校をまともに出なかった亜人だから、えり好み出来ないだろ。お前は、そうなってもいいのか?」

「いいもん」

 キキが口を尖らせ、そう答える。

「ムキになってないか?」

「なってない! あたしは、なんか、大きいことがしたいの!」

 バンバンとまた机を叩き、立ち上がった。

 シオンと紅子は、目を丸くして、キキを見た。

「大きいこと……?」

 あまりに漠然とした目標に、シオンは顔をしかめた。

「そう! 学校に行くよりすっごい冒険して、すっごい冒険者になるの!」

「……それは、目標っていうのか?」

「なるよ! 強くなって、色んな冒険がしたいんだもん! そんで、そうね、来年くらいにはアイドル冒険者として、テレビに出たり……」

 あ、こういうの知ってる、とシオンは既視感を憶えた。

 桜が生きていたころ、異例の早さでレベルを上げた彼女は、話題性と見た目の良さもあいまって、冒険者向けの雑誌の表紙を何度も飾っていた。派手に目立つのは避けていたようだが、そういうものはおのずと広まるもので、局地的に熱狂的な人気を得ていた。

 憧れて冒険者を目指した若い女子の登録も増えたという。

 もしかしてキキも、ひそかにその流れに憧れてしまった一人なのかもしれない。

「……で、来年くらいには、レベル30くらいになってたいかなーって」

「なるか」

 思わず冷たく言ってしまった。そんなのは、桜くらいだ。

 恥ずかしげもなく言い張るキキは、しっかりしているかと思ったが、やっぱり子供だ。さっきの廃墟マニアたちのことをとやかく言えない。

 地元の名士の孫として産まれ、両親は居なくとも周囲から可愛がられ、自尊心と自己評価はやたら高い。

「あのな。冒険者になってすぐにどんどんレベルを上げる奴なんて、稀だぞ?」

「稀ってことは、居るってことでしょ。あたしは自信あるもん!」

「どこから出るんだ、その自信は。来る前に緊張してただろーが」

「あれは武者震いよ! もう慣れたもん! こんなダンジョン楽勝だしね!」

 腰に手をやり、ふんと小さな胸を張る。

 それにしてもリザードマンだからか、本当に声がでかい。普通ならモンスターを寄せてしまう心配もあるが、これだけ煩いとかえって逃げて行くかもしれない。

「あたしが根を上げなかったら、合格よねっ! そしたら、あたしの勝ちだから、これからもあたしをパーティーに入れてよね!」

「えっ……ええー……?」

「やな顔すんな!」

 キーキー怒るキキに、シオンは顔をしかめた。

 そのとき、扉がバンと勢い良く開き、ぬっと巨大なモンスターが姿を現した……と思ったら、国重だった。

「おお、すっかり遅れてしもうた。すみませんのう。駐車場まで付き添って、無事送り返しましたぞ」

 白髪の生えた頭を掻き掻き、銀鱗の老リザードマンが、どすどすと休憩所に入って来る。

「おっそーい! 崖から放り捨ててやりゃ良かったのよ!」

「これ、黄々ちゃんいかんぞ。これも冒険者のつとめじゃ。減点1じゃな」

「ちょっと、やめてよ! おばあちゃんにチクる気っ?」

「減点1じゃ甘いと思うけどな……」

 一般人を見捨てることを提言、助けた仲間への非難、ダンジョン内で大きい声で喚きまくる。これだけでシオンなら減点20は付ける。

「ちょっと、ここでのことは、おばあちゃんに言わないでよね!」 

 キキは腰のホルスターから魔銃を引き抜き、銃口をシオンに向けた。

「コラッ、黄々ちゃんなんてことを!」

 国重が慌てて叫ぶ。

「本気で撃たないわよ!」

「当たり前だ」

 本気で撃つつもりは無いといえど、仲間に武器を向ける行為。悪ふざけでもやってはいけないことだ。ソロだったらこれで殺されても文句は言えない。

「減点80だ」

「ええっ、多くないっ?」

「お前な、逆に斬られたっておかしくないんだぞ」

「ちょっと、それ、何点満点なのっ!」

「100点満点で、いま0点になったところだ」

「えっ! ちょっとそれ、また増えるっ?」

 キキが慌てて銃を仕舞う。

 休憩の筈なのに、何だか疲れた。シオンは息をついた。




 それからは、キキは大人しく、しかも熱心に探索していた。

 坑道内は、中に行くほど荒れていた。

 まともに歩けるような場所ばかりでは無い。途中まで掘り進んで中断したような場所もある。崩れて大人が入り込めないような狭い場所にも、キキは進んで潜って行った。

 不安そうに見守る国重をよそに、名誉挽回しようとしているのだろう。服や顔が汚れることも構わず、こんなところに宝箱があるわけが無いと言い出すこともなく、キキは自分から必死に地面を這いずっていた。

 別の入り口へと続く道に合流し、内部の道は複雑になっていった。

「今は、入り口は一つです。他の入り口は、今は塞がっております」

 国重が言った。

「採掘をしていた当時は、トロッコでもっと下まで行けたんですがの、今行ける場所はその半分くらいかのう」

 廃坑になって随分経つ。その間に地震で塞がったり、モンスターに荒らされたりもしたのだろう。

「魔素が濃いから、モンスターがいっぱい入ってくるのかなぁ」

 と紅子が呟いた。

「ほう。素晴らしい。紅子さんは、魔素濃度を感知出来るんですかい」

「いやいや、濃いと、美味しそうだなぁと思うくらいですぞい」

 えへへ、と謙遜しながら、斬新な判定方法を語っている。

 国重に褒められる紅子を、キキが複雑な表情を見つめている。

 邪険にしているようでも、まだまだ祖父に甘えているのだ。シオンと目が合うと、キキはふいと横を向いた。

「たしかに、ここのところ魔素が濃い。ここ十数年くらいで、関東のダンジョンの魔素濃度は上がっておるとかで、どこかに新しい魔石の鉱脈でもあるのではと研究者は必死に探しておるんでしょうな。もっともダンジョンの魔素濃度ってのは、その時代時代で変わるもんじゃから、そのたびにこういった話は出ますなぁ。魔素バブルというやつですかの」

 ガハハと国重が笑う。魔素濃度が高い時期は、冒険者景気も良くなるので、そう呼ばれる。

「魔石の鉱脈か……」

 シオンは呟き、紅子を見やった。紅子も同じことを思ったのだろう。ただ、探しているのは鉱脈では無く、すでに形となった魔石だ。

「鉱脈じゃなく、濃い魔素を発する魔石ってことは無いのかな」

 本人が言ったように、もし強い力を持つ魔石が近くにあれば、魔素の濃さまで判る紅子になら、その存在を感知出来るのかもしれない。

「どうですかのう。鉱脈に匹敵するほどの魔石なんて聞いたこともありません。そんな魔石が見つかりゃ、かえって災いになりそうな気もしますのう」

「災い?」

 尋ね返したシオンに、国重が頷く。

「それだけの魔石なら、大金に換えるどころか、己の名誉や力を振るう為に使うことも出来ますからの」

 その言葉に、紅子の顔が少し悲しげになった。彼女も魔石を求める一族の娘なのだ。

「今でもそんな宝を探しておる者は沢山おりますな。隠された魔石が何処かにあるのではないか、と」

 それはまさに私です、と流石の紅子ものん気に言うわけは無く、シオンだけが頷いた。

「ここ十数年で、トレジャーハントなどという夢を追う者も増えましたなぁ。魔素濃度が高まると、冒険者も増えるし景気も良くなる。皆、夢を見るんじゃのう」

「でも、濃い魔素が出るところは、危ないんだけどな」

「まさしく。魔素バブルの時期は、モンスターの発生も、いまひとつ読めませんからな」

 国重も、うんうんと頷く。キキが言った。

「モンスターなんて、やっつけちゃえばいいじゃん」

「簡単に言うな」

 とシオンは強い口調でたしなめた。気を取り直してくると、すぐ調子に乗る。キキは唇を尖らせたが、これ以上減点されたくないのか、反論はしなかった。

 降りられるところまで降り、最深部を目指した。

 道中、硬い皮膚を持った岩トカゲに遭遇したが、オオネズミよりやや大きい程度モンスターで、爪や牙は鋭いものの、性格は臆病である。キキが魔銃で脅かすと、慌てて逃げていった。

「どうせ一番奥にあるんでしょ」

 と言いつつ、キキは途中の道でも宝箱の捜索を怠らなかった。可愛らしい顔も高そうな装備も、すっかり泥だらけになっていた。

 紅子がマップ上の道や部屋に、探索済の×印を付けていく。

「ええと、次が最後だよ」

 紅子が言い、手にしたマップ上の広い場所を指差す。

「ふん。見つけたら、さっさと帰るよ」

 キキは汗の滲んだ顔を袖で拭いながら、言った。

 国重を先頭に、最深部の作業場に足を踏み入れた。

 採掘が行われていた当時の道具や、壊れたトロッコがそのまま散らばっていた。

 綺麗に裏返ったトロッコの上に、飾られているように宝箱が堂々と置かれていた。

「あった。ふざけてる……こんな目立つ置き方、あるか」

 キキは顔を引き攣らせながらも、さっさと宝箱を開けた。というか、周りに宝箱の絵を描いたお菓子の箱だった。しっかりとした塗料を使い、木の質感まで再現している。丁寧な仕事だ。可愛らしい苺や猫のイラストまで描いてある。

「クッ……芸の細かいことしやがって……これは吉蔵の仕事だな」

「誰だよ」

 苦々しく呟くキキに、思わずシオンは口を挟んだ。

 大きなエメラルドの付いた指輪は本物だ。ゴールドでしつらえたリング部分が異様に太いのは、リザードマンの女性の指に合わせてだ。石もリングも、相当に高価な指環であるはずだ。

「まったく、誰かに盗られたらどうすんのよ?」

「見え見え過ぎて、かえって誰も盗らないんじゃないか」

 宝箱からエメラルドの指輪を取り出し、ウエストバッグに放り込んだ。

 空になった宝箱は、紅子が回収してリュックに入れた。

 キキが怪訝そうな顔をする。

「それ、いらないでしょ?」

「いやあ、キキちゃんの記念になるかなあと。初ダンジョン攻略記念に……」

「なるか!」

「それに、持ち込んだものはちゃんと持ち帰らないとね!」

「やっぱりわざと持ち込んだんじゃない!」

 分かっていても突っ込んでしまうキキであった。



 帰りの道で、国重が言った。

「黄々ちゃん、がんばったのう」

「まだ、終わってないよ。報告が終わるまでが、仕事でしょ」

 ねぎらいの言葉に、キキは仏頂面で答えた。全身泥だらけの孫娘に、先頭を行く国重は、背中を向けたままで言った。

「どうじゃ、黄々ちゃん。ダンジョンは」

「別に、大した敵も出ないし、このくらいならやれそうかな」

 素っ気無く答える。

 たしかに敵は居なかったが、それほど楽なダンジョンでも無い。それなりに深い上に、崩落した場所もある。そこを隅々まで探索をしたのだ。まして初ダンジョンで、小さな体はヘトヘトなはずだ。

 ガンナーの荷物は多い。重い武器と大量の魔弾を背負って、それを丸々使わずに戻ることもある。それでも一度も、自分から休みたいとは言わなかった。最後までやりきっただけでも見込みはある。

 真面目に続ければ、数年後には立派な冒険者になるはずだ。もちろん彼女の心がけ次第だが。

「でも、減点100なんでしょ。おばあちゃんに報告したらいいじゃん。どうせ最初から、あたしに冒険者をさせる気なんて無かったんだ」

「そうじゃない」

 最後尾からシオンが声をかけた。

「さっき自分で言ったように、最後まできっちり仕事をしろ。その後のことは自分で決めるといい」

「……ちゃんと話せってことね」

 キキがそう呟いたとき、パーティーの足許を岩トカゲが駆け抜けていった。

 シオンはダガーを抜き、耳を澄ませた。

「気をつけよう。先に、何かいるかもしれないな」

 静かに告げる。

 作業用エレベーターは現在停止している。階層を上り下りするには、梯子を使うしかない。その途中で襲われてはひとたまりも無い。

「国重さん、外の皆に迎えを頼めないか?」

「そうですなあ」

 国重がつなぎの内ポケットから、無線を取り出した。

「えっ、自分たちの力で最後まで行かないのっ?」

 キキが声を上げる。

「行けるとこまでは行く。これは減点にならないから安心しろ」

「そ、そういうもん? 自分たちで何とかしなくて、いいの?」

「梯子の上で待ち伏せされたら、どうしようも無いからな。こういう深いダンジョンに潜るときは、中に潜るパーティーだけじゃなく、バックアップが必要だ。今日は妹尾組の人たちがいたから助かったな」

「なんか、かっこ悪いなあ……」

 不満げに呟くキキに、シオンは注意を促した。

「さっきまで居なかったか、気付かなかったか、とにかく何かいるのは間違いない。上とも限らない。この階層で出くわしたら、オレたちが戦わないといけないんだぞ」

「分かってるけど」

 キキも右のホルスターから魔銃を抜いた。

 炸裂エクスプロードの魔法を込めた魔弾は、使い勝手が良い。その名の通り、相手に着弾し、炸裂する。もっとも普通の銃に近い。

 手にした魔銃から打ち出せる弾は10発。熟達者なら、引き金トリガーを引くときの魔力の込め方で、飛距離を調整出来る。

 坑道での戦いになり、敵がこちらに向かって来たら、初撃は自分が入れるべきだとキキは思った。離れた場所から牽制するなら、魔法より魔銃のほうが適している。

 祖父の大きな背中について、ぴったりと歩きながら、キキは隣で紅子が放つ光で照らされる道の先をじっと睨んでいた。

 シオンは耳を澄ませていたが、この階層は静かだ。

 敵はおそらく後からこのダンジョンに入ってきたはずだ。くまなく探索をしてきて、最初から敵が居たとは考えにくい。ゴブリンが後から追ってきたのかもしれないが、違うだろうとシオンは思っていた。ゴブリンは岩トカゲの天敵では無い。テリトリーが被っても、互いに無関心なはずだ。

 別の冒険者か?

 そう思いながら、緊張感の中、先に進む。待ち伏せ型の敵なら、知能がそれなりに高い。しかも、ゴブリンより強い。厄介だ。

 ひとまず向かうのは、かつて作業用エレベーターが稼動していた場所だ。今は停止し、近くに梯子がかかっている。その梯子で上に上がる。

 坑道を歩きながら、シオンは前方だけでなく、周囲の音を拾い続けた。全員の足音に紛れる他の生物の音を聴き逃すまいとした。

 知性の低いモンスターなら、待ち伏せは不得手だ。必ず音を立てる。

 上での待ち伏せを考え、国重には待機している妹尾組に連絡してもらったが、さっきの岩トカゲの慌て方は、この階層に敵が居ることを示していた。

「国重さん、広いところに出るときは気をつけてくれ」

 シオンの言葉に、国重が槍を握り締め、頷いた。

 ここまで何も出なかった。目立った音もしない。この先は作業用エレベーターのある場所だ。その手前に鉱夫の休憩所がある。

 この階層に敵は居ないのか。だが、違和感がある。


 いや、居る。シオンはダガーを両手に握り締めた。

 それは、まったくの勘だが、経験に基づいた勘だ。


(なんか、そういうことって、あんのよねー)


 懐かしい声が頭の中に響く。

 こういうとき、いつも助けてくれる声だ。


(慣れてきた頃に、アンタも感じるかもね。でもそのときにはある程度の経験も積んでるから、色んなケースを想定し過ぎて、自分でも信じられないのよね)


 いつも追いかけていた、遠い背中。

 でも時々振り返って、色々教えてくれた。


(強い違和感を憶えたら、根拠は無くても信じなさい。アンタは本能で、危険を感じ取れる)


 あねの言葉に背中を押されて、シオンは確信を持った。


 居る。

 音は聴こえなくても、気配が無くとも、絶対に敵は居る。

 じっと潜んで、得物を狙うのが得意な奴が――。


 シオンには分かる独特の強い臭いが鼻をついた。

 分かった、何が居るのか。


「国重さん! その部屋の中だ!」


 シオンが叫んだとき、先の休憩部屋から複数の影が飛び出してきて、先頭を行く国重に襲いかかった。

「おじいちゃん!」

 キキが叫び、敵に銃口を向ける。

 だが、相手の動きは速く、すでに国重に群がっていた。

「キキ、撃つな! 相手は速い!」

 シオンの言葉に、キキは戸惑ったように銃を引いた。

「ふんっ!」

 国重は槍ごと腕を振るい、二体ほど吹き飛ばした。が、相手はしなやかに着地する。次々と飛びかかってくる敵に、国重は虫を払うように腕を振り回し、じりじりとパーティーから距離を離していく。

 複数の敵に喰いつかれながらも、老リザードマンは冷静だ。襲いかかる敵を薙ぎ払いながら、パーティーから敵を引き離そうとしてくれている。シオンは手を出さず、紅子とキキの前に立ち、ダガーを構えた。

 敵は国重の皮膚に牙や爪を立てると、腕や槍、時折太い尻尾からも繰り出される攻撃を避け、また離れる。ヒット・アンド・アウェイを繰り返していた。一撃一撃は大した傷では無いが、そのモンスターは素早く、数が多い。暗がりに五、六体の姿を確認出来た。

 加勢したいが、紅子たちが狙われるとまずい。奴らの素早い攻撃を、彼女たちがかいくぐれるとは思えなかった。

 国重がなるべく距離を取ったところで、奴らの横を走り抜け、休憩部屋に逃げ込むしか無い。

「おじいちゃ……」

「よせ、国重さんが盾になってくれてる」

「だったら、その間に倒さなきゃ!」

 キキが銃を再び構えようとしたのを、シオンは制した。

「ダメだ、逃げるんだ。バラバラに狙われたらヤバい。オレだって自分を守って戦うので精一杯になる」

「あたしは、守ってもらわなくて構わない!」

「黙れ。オレが合図したら、あの部屋に向かって走るぞ」

 シオンは休憩部屋を睨み、低い声で言った。キキは押し黙り、紅子からの返事は無かったが、代わりに彼女の緊張した息遣いが聴こえた。


「ウウウウ……」

「ウウウウウウ……!」

 複数の獣から発せられる唸り声グロウルが、不気味な音となって反響している。


 いつの間に?

 何処から入り込んだ?


 つい考えそうになって、シオンは頭を振った。

 今は、考える必要は無い。

 余計なことを考えていると、あっという間に狩られる。 


 薄暗い中で光るたくさんの瞳。濃い臭い。

 嫌でも攻撃性をかき立てられ、シオンも牙を剥き歯を食いしばった。己の爪であるかのようなダガーを強く握り締め、無意識にフーッと小さく息を漏らしていた。


 不快な声。

 不快な臭い。


「小野原くん……?」

 戸惑い震える紅子の呟きも、魔獣の唸り声に掻き消される。


 ――闇の中で息を潜めていたのは、獣堕ちのワーキャットだった。

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