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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
25/88

廃鉱山

 後発性ダンジョン《精霊鉱山》。


 正式な名称は《秩父日精鉱山》である。《日精》は《日本精霊石》という魔石の採掘業を中心に事業を拡げていった会社の名だ。鉱夫たちが魔石を精霊石と呼ぶのにあやかった社名は、現在は様々な分野で事業を行う大企業グループの名となっている。

 多くの人々の暮らしを豊かにした魔石鉱山は、閉山後にダンジョン化した。鉱夫たちを苦しめた濃度の高い魔素はそのまま残り、魔素を好むモンスターが好んで棲みつくようになった。


 こういった場所は、定期的な調査とモンスター駆除が行われている。定期調査の依頼は、シオンのような一般冒険者には回って来ない。冒険者協会専属のスカウトが調査するか、信頼のおける冒険者を協会が雇い、可能な限り討伐も彼らが行う。

 彼らの手に余る場合は、討伐依頼が一般冒険者に回ってくることもある。これも一般の依頼とは違い、センターのほうから適任だと思われる冒険者を指名してくる。

 桜もよくセンターから電話を貰っていたことを、シオンは思い出す。始めて一年足らずでレベル30を超えた凄腕の冒険者だった彼女が、いちいちセンターに仕事を貰いに行っていたのは、最初の一ヶ月くらいだったと記憶している。

 彼女の場合はほとんどモンスター討伐が専門の冒険者と言えた。センターから来る依頼も、どこぞに棲みついた大型モンスターの討伐だとか、大量発生した群集型モンスターの駆除だとか、そんなものばかりで、ある意味では協会専属みたいなものだった。

《精霊鉱山》とその一帯の廃墟群は、妹尾一族が定期巡回を任されている。かつてこの鉱山で彼らの一族が多く鉱夫として働き、傍らでモンスター退治もしていた、その功績を買われたのだ。

 つまり、妹尾一族はこのダンジョンを知り尽くしている。一族の若い冒険者たちは、まずここでダンジョン探索を学ぶのだ。




「鉱山の中って、もっと狭いと思ってたけど、けっこう広いんですね」

 坑道を歩きながら、紅子が言った。

 杖の魔石から輝く魔法の光が、かなり奥まで照らしている。

「大勢の大柄な亜人が働いておったからのう。紅子さんには広く感じるかもしれませんな」

 国重がそう答える。

 坑口から近い場所ほど、道は広く整備されている。横幅は数人が並んで歩けるほどだ。奥にはところどころ狭い道もあるようだ。

「一族のモンばかりで来りゃ、そう広くは感じませんがのう」

 ガハハハと国重が笑う。その大きな笑い声が、坑道内で反響する。

 その緊張感の無さに、彼のすぐ後ろを歩く孫娘が、冷たい目を向けた。

「ちょっと、おじいちゃん。ダンジョンでそんなに大声出していいの?」

「お。……そ、そうじゃな、黄々ちゃん! どんなモンスターが出てくるか分からんからのう! 気を引き締めねば! つい先日も、地震で崩れたところから、岩トカゲが大量発生したというしの!」

「白々し過ぎる……」

 急に背筋を伸ばし、槍をしっかりと構え、キョロキョロと辺りを見回す。そんな祖父の後をトコトコとついて行きながら、キキはため息をついた。

 どうせ大したモンスターは出ない。あらかじめ一族の皆が下見しているはずだ。

「気を抜くなよ」

 最後尾を務めるシオンが、キキに注意する。

「わ、分かってるよっ」

 振り返り、キキが言い返した。

 それに、この男……スパイだ。シオンの視線を背中に感じながら、キキは内心で歯噛みしていた。

 何も考えて無さそうな紅子はともかく、シオンは完全におばあちゃんの手先になっている。

 探索中、少しでもいい加減な態度を見せれば、容赦なくおばあちゃんに報告する気だ。そして冒険者失格のレッテルが貼られれば――あたしは冒険者を続けられなくなる。チョロいおじいちゃんは泣き落としで冒険者にしてくれたけど、怖いおばあちゃんにはそんなの通用しない。

 ここでキキが失態を犯し、それをシオンがバカ正直に報告したら、「それみたことか」とおばあちゃんは冒険者を辞めさせるに違いない。

 おかしい。こんなはずじゃなかったのに。

 おじいちゃんとのキノコ採りにも飽き飽きしていたときに、出会ったワーキャットの冒険者は、亜人だけど人間に近い見た目で、キキと同じ子供で(話をしたら思っていたより年上だったが)、親近感がわいた。

 そのワーキャットの少年は、キキの話を聞いてくれた。それに、おじいちゃんと同じでチョロそうな感じがした。

 だから、つい言ってしまったのだ。キノコ採りじゃない冒険に行きたい、一緒に行こうと誘ってくれた仲間が出来た、と。

 それは、ずっとキキが望んでいたことだった。

 リザードマンの皆は優しいけれど、それはキキが『妹尾組のお嬢さん』だからだ。そうじゃない場所で、人間の子たちとも仲良くしたかった。


 キキの住む街は、リザードマンの居住区と言っても、他の種族が住んでいないわけではない。

 居住区のリザードマンの子供たちは、学区内の小学校に通う。リザードマンの子供たちは、子供と言っても体躯が大きい。学校で使う備品も人間とリザードマンでは兼用出来ないものがある。

 居住区の中に小学校があり、リザードマンの子らはそこに通う。

 リザードマン居住区の近くには、他種族の亜人が家族で暮らしていることが多い。彼らもまた子供が通う学校に、リザードマンたちと同じ学校を選ぶからだ。同じように大柄な体躯になる牛亜人ミノタウロス豚亜人グリンブルの子らだ。いずれも気性穏やかな種族で、優しい子供たちばかりだった。

 幼稚園でも小学校でも、亜人の子らはわがままなキキを怒りもせず、妹のように可愛がってくれた。あまりに小さなキキがどれほど癇癪を起こそうとも、同じ歳でもはるかに体の大きな彼らは、軽くいなすことが出来たからだ。

 辺りに暮らす者たちは、他の亜人も人間も、妹尾一族に敬意を払っていた。

 学校の先生や、居住区近くに住む人間たちは、亜人慣れしていた。子供でさえリザードマンを見て恐れることも蔑むこともない。

 亜人にも人間にも慈しまれながら、両親が居ないこと以外、何の苦しみも無く育った。

 ちょっとおばあちゃんが厳しいだけで、嫌なことなんて一つも無かった。ただ少しだけ残念なのは、人間の友達があまり出来ないこと。

 家でも学校でも、キキちゃんは人間のアイドルみたい、と言われた。人間と比べても、ずっと可愛いと。

 雑誌やテレビでは、人間ばかりの街が当たり前のように存在している。キキと同じような女の子たちが、可愛い洋服を着て、お買い物をしている。

 お人形のおうちみたいなスイーツハウス、楽しそうなテーマパーク、フリルのたくさん付いた衣装を着て、劇場で歌って踊るアイドルたち。

 成長するにつれ、彼女は居住区の外に憧れるようになった。

 リザードマンハーフの少女には、東京は近くて、遠い場所だったのだ。

 だから、小学校を卒業したら、中学校は地元から少し離れた人間の学校に通おうと、ずっと決めていた。その私立中学は制服がとても可愛くて、通っているのは人間でもそれなりにお金持ちなおうちの子達で、お嬢様ばかりらしい。孫娘が可愛くて仕方の無い祖父も、それならばと安心して孫を預けることにした。

 でも、それが間違いだった。

 やっぱり人間は人間だし、リザードマンの娘はリザードマンなのだ。


 今日、旅立つ前、見送る祖母の静音が、いつもの厳しい口調で、言った。


(いいかい、黄々。リザードマンなら、強い者が弱い者を守るなんて当たり前だ。そして、一番か弱い者は、進んで自らの尾を切り離す。それが出来ないなら、お前に冒険者は無理だよ)


 ――分かってるもん。


 キキはきゅっと唇を引き結び、しっかりと足を踏み出した。

 目の前には国重の大きな背中がある。

 いつもキキを守ってくれていた、誰よりも大きくて立派な、そしてちょっと泣き虫のおじいちゃん。

 この背中を丸め、キキのために人間に頭を下げた。「孫と仲良くしてやってくれ」と涙ながらに、人間の子供たちに訴えた。

 もうあんなおじいちゃんは見たくない。学校なんて、行かなくても平気だ。だってあたしは、リザードマンの子だから。冒険者になって働いて、そこで信頼出来る仲間を作って、たくさん冒険しよう。

 きっとそのほうが、あたしには向いてる。

 それを逃げているだけだとおばあちゃんは言うけど、そんなこと無いって、絶対に証明してみせる。




 先頭を務める国重は、道をほぼ完璧に憶えていた。

 なので、淀みなく進んでいくが、時折わざとボケて道を間違えている。

「おじいちゃん、そっちじゃなくない?」

 そうすると、キキがすかさず指摘する。

「おお、そうじゃったか?」

「そっちはこないだの地震で崩れてるんじゃないの」

 分岐でキキが言ったことは、正しかった。

 シオンたちはこのダンジョンに来るのは初めてだが、ダンジョン内のマップは事前に確認済みだ。妹尾のリザードマンたちにもらったマップも持っている。

 キキはけっこう記憶力が良い。

「宝箱がどこにあるかは分からない。一応全部見て回ったほうが良くないか?」

 シオンが意見を出すと、キキは顔をしかめた。

「ええ? 別に、後で良くない? とりあえず疲れてないうちに奥まで行ってさぁ、無かったらどうせ戻って来るんだから、帰りに覗いてけばいいじゃん」

 どうせ奥にあるんでしょ? と言いたげだが、まあその通りではある。

「でも、もし宝箱があったら、探索が早く終わるぞ」

「はぁ? あるわけないよ。だって盗まれた指輪は、宝箱に入れて隠したんでしょ? それをどんなバカがそんな入ってすぐの行き止まりに置くってのよ」

「なるほど」

 真面目に頷くシオンに、キキは(たま)りかねて、抗議した。

「ていうか……設定が甘いよ! そんだけ分かってるなら、捕まえた犯人から宝箱の場所しっかり聞き出すべきだよ!」

「それは犯人の口が堅くて……」

「しつこい!」

 紅子がフォローしようとすると、キキが遮った。

「とにかく、文句が無いなら奥に行くよっ!」

「黄々ちゃん、頼もしいぞい!」

 国重が手を叩くと、キッと睨みつける。

「おじいちゃん、真面目にやってよ!」

「えっ、おじいちゃん真面目じゃよ……?」

 きょとんと目を丸くする巨漢のリザードマンが、小さな孫にたじろいでいる。

「ヤラセにしても、本気でやってよ! せっかくこっちもノッてやってんだからさぁ!」

「うう、すまん、黄々ちゃん……」

 肝心の国重がこんな様子では、キキの更正は難しいのではないだろうかとシオンは思ってしまった。

「ヤラセなんて誰が言った。やるなら本気でやれよ」

 シオンが注意すると、キキは声を荒げた。

「言わなくても分かってるっつーの! ほら、行くよっ、おじいちゃん!」

「おう! 黄々ちゃん!」

 大きなおじいちゃんは小さな孫に背中を押され、また再び先を進み出した。その後ろを、紅子とシオンも続いていく。

 冒険者をやるやらない以前の問題で、こうして国重と始終べったり一緒に居ては、キキはますます自分の殻に閉じこもってしまいそうだ。

 だから学校に行かせたいという、静音の気持ちは分かる。

 孫娘を傷つけたくないのは、厳しい静音とて同じだろう。キキが心から冒険者になりたいというのなら、その道を許すこともあるかもしれない。ただ、今のキキは冒険者を逃げ道にしていると、静音は思っている。

「キキちゃんと国重おじいさん、仲良しだねえ」

 と紅子が前を行く二人を見て、言った。

「そうだな。でも、ずっと親に守ってもらうわけにはいかないから」

 そう答えたシオンに、紅子は大きな目をぱちくりとさせた。

「そんなに深く考えなくていいんじゃないかなぁ。キキちゃんはまだあんなに小さいんだよ」

「冒険者になったんなら、子供とか関係無いだろ」

「そうかもしれないけど……」

「自分でやりたくてやってるんだったら、なおさらだ」

「小野原くんって、そういうとこシビアだね」

「子供だからって、大人が皆優しくしてくれるわけじゃない」

 話しながらも、シオンの耳は周囲の音を拾っている。いつもは先頭を行くことが多いが、今日は国重が先行しているので、特に後ろからの襲撃に気を配っていた。時折ネズミの声がする以外は、何の気配も無い。

「小野原くんも、そうだったの?」

「何が?」

「小野原くんが冒険者を始めたとき、誰も助けてくれなかった?」

 助けてもらうどころか、他の冒険者に騙されたり都合良く使われたりするばかりだった。だがあえて話すことでもないだろう。

「……アドバイスは色々もらったよ」

「お父さんに?」

「いや、その頃はもう父さんとは離れて暮らしてたし、連絡もしてなかったから。色々世話してくれた父さんの友達に」

「どうして、お父さんとずっと連絡取らなかったの?」

「オレが、取りたくなかったんだ。とにかく自立したかったし、父さんも大変だっただろうから。どうしてるかとかは、その父さんの友達の、草間さんって人を通じて知ってたし。父さんも草間さんから色々聞いてたと思う」

「でも、お父さんは連絡したかったんじゃないかな? いくら小野原くんがそう言ったって、家族だもん。全然連絡しないなんて、何か、理由があったのかな?」

「理由?」

 桜を亡くした後、シオンは自分が立ち直ることで手一杯だった。家に居て父と居れば、一人だけ居ない姉のことを嫌でも思い出してしまうから、竜胆に会いたくなかった。しっかりと自分だけで生きられるようになるまで、会ってはいけない気がした。草間からもそれがいいと言われていたし、きっと父親も自分に会うのが辛いのだと思っていたから、特に疑問を持たなかった。

「ああ、そうか……」

 思わず、シオンは口にしていた。紅子が不思議そうな顔をする。

「どうしたの?」

 一瞬、胸につっかえたものが、ストンと落ちた。

「父さんは……あれからずっと、桜を探してたんだ……オレに黙って」

 この前会ったとき、桜のことを諦めきれないと言っていた。

 そんなに深刻な雰囲気じゃなかったけど、深刻じゃないわけがない。

 さっさと桜の葬式を出した父さんは、桜のことを諦めたのだと、シオンは思っていた。だからシオンもそう思おうとした。

 でもそれは、息子シオンや桜の友人たちに向けて、桜は死んだのだと諦めさせる形式上の儀式で――そうして父親だけは、自分自身も立ち直りながら、娘を探していた。

 せめて遺体の一部でも見つけなければ、諦めがつかない。

 だが、死んだ人間を追うのは自分だけでいい。そう思ったに違いない。

 二人で探せば、もっと支えあうことも出来たかもしれないのに、竜胆はそれを望まなかった。そうすれば、シオンはずっと桜のために生きることになる。

 半年ほど前に始めたと言っていた、冒険者ツアーガイドの仕事――考えてみれば、変じゃないか。それまでの時間、彼が何をしていたのか。何もしていないわけがない。ただ哀しみに暮れて過ごしていた筈も無い。

 今でも竜胆に会いに行くと、彼は以前と変わらず明るく、自分の近況を楽しげに語る。だがそれが、彼の全てでは無いのだろう。そしてそれが、父親というものなのだろう。息子のシオンが望んでも、父がその弱味を全て晒すなんてことは無い。

 子供が思っているより、子供は親のことを知らないのだ――。

 黙り込んでしまったシオンに、紅子はもう声をかけてこなかった。

 シオンもそこで、自分と父親のことを考えることを、いったん止めた。

 今は探索中だ。

 先を行くキキと国重に目をやる。

 キキが文句を言いながらも、その様子は仲睦まじい。

 妹尾一族には馴染みといっても、キキにとっては初めてのダンジョンだ。強がっていても緊張しているようだし、傍目に見ても気負っている感はある。

 だが、国重の存在が、なんだかんだ言っても自分を守ってくれると、無意識に安心しているのだろう。

 そんな頼りがいのある家族に、いつまでも寄りかかっていたい。でもいつまでもそれでは駄目だとも分かっている。

 だからシオンとパーティーを組んだなんて嘘をついてしまったのだろう。そのやり方は子供っぽく、ただの駄々だ。でも彼女なりに、ずっと迷っているのだろう。




 定期的に巡回しているだけあって、鉱山内は荒れ果てているどころか、歩きやすい。たしかに探索初心者の演習にはもってこいだ。

 危険なモンスターは確認されていないが、これだけ魔素の濃い場所だ。定期巡回をしていても、すぐにモンスターが入り込んでしまう。

 妹尾一族の若者が宝箱を置いてきたときも、小型モンスターがうろついていたそうだ。

「待ってくれ」

 多少狭くなった道の先に、待ち伏せの気配を感じ、シオンは素早く腰のダガーを抜いて、仲間たちに声をかけた。

「奥に何かが……」

「おう!」

 言い終わらないうちに、ドスドスと国重が巨体を丸め、槍を手に突進して行く。

 手にした短槍は、ダンジョン内であることを考慮して短めなのだろう。大鉈やハンマーほどの迫力は無いが、それはあくまで彼が持つからで、普通の人間が持てばそれなりの得物だ。

「ムム、ゴブリンかっ!」

 子供のような体つきの魔妖精が、通路の奥に三体。多数の集団を作るその習性上、曲がった先にはもっといるかもしれない。

 それぞれが石や錆びたナイフなどの武器を手に、侵入者を迎え討とうとしていたようだ。突進してきたのが巨大なリザードマンだったので、完全にひるんでいる。

「もー、おじいちゃん! あたしが撃とうと思ってたのに!」

 キキが非難するが、国重にはもう聴こえていない。 

「奥にもっといるはずだ」

 シオンはダガーを構え、紅子とキキに向かって告げた。

「分かってるって!」

 キキもすでに魔銃を抜いている。

「――ゴブリンくらい!」

 まさか、国重の背後からぶっ放すんじゃ無いだろうな、とシオンは思ってひやりとしたが、キキは天井に向かって撃った。

 そこには大きなムカデのような魔虫が這っており、着弾すると破裂し、殻を弾けさせてバラバラと落ちた。

 キキの意外な視野の広さにシオンは感心した。

 ムカデ型の魔虫は、人や動物を恐れず、攻撃をしかけてくることがある。噛まれればそれなりに痛いし、そうでなくとも戦闘中に落下してきたら驚く。そんなちょっとしたことで、大怪我を負ったり命を落とす。しかし前線で戦うファイターは、そうしたものにいちいち構っていられない。だからこれは小さいようで絶大な支援である。

 狭い場所の戦闘において、後ろから強引に撃たれるよりも、こういった援護のほうがありがたい。

「あ、危ないっ!」

 紅子が叫ぶ。ゴブリンの一体が、国重に向かって石を投げたのだ。どうにかしようとしてか、紅子は慌てて詠唱しようとするが、いくら彼女の詠唱が早いとは言っても、石を投げてからでは間に合わない。そもそも何の魔法を唱えていいのか、咄嗟に思いつかない。

「そんなの、平気だよ!」

 惑う紅子に、キキの鋭い声が飛ぶ。ゴブリンの投石など、国重が避けるまでも無く、硬い皮膚に弾き飛ばされた。

「ゴブリン程度で、おじいちゃんに援護なんて必要無いよ! 紅子は、しっかり光作っててよね! おじいちゃん老眼だから!」

「よっ、よしきた!」

 紅子は今度は迷うことなく杖を振りかざした。

「いーっぱい光ってね!」

「なにそれ、詠唱なのっ? もっといいやつ無いのっ?」

 キキが思わず叫ぶ気持ちは、シオンには分かる。もう慣れたが。

 紅子が光の量を増やすと、まるでフロア全体に電気が点いたかのように明るくなる。他のモンスターを誘引する可能性もあるが、どちらにしろ先に進むのだから、ここで一掃してもいい。大抵のモンスターなら、国重の姿を見ただけで逃げてしまいそうだし。

「ウオオオオオ!」

 リザードマンたちが戦闘時に上げる鼓舞の吼え声と共に、国重は三体のゴブリンに突っ込むと、そのまま一体を槍で突き殺しながら、残る二体も巨体で吹き飛ばした。そのまま体と壁の間で押し潰す。ゴブリンが苦痛の声を上げながらもがくが、国重はその頭を一つずつ拳で叩き潰した。

 その横をシオンがすり抜け、やはり待ち伏せしていた別のゴブリンに斬りかかる。

 ゴブリンは外で戦うより、狭い場所で遭遇したほうが厄介だ。こっちは通路に一人二人立つのがやっとなのに、何体ものゴブリンが一気に襲いかかってくる。

 ナイフを持った一体が、シオンの喉許を狙って飛び込む。その喉を逆にダガーで突き、反対の手にしたダガーでその腹を裂く。別のゴブリンが、鉱山内で拾ったのか錆びた工具を振りかぶって襲ってくる。それも顎下に蹴りを入れ、そのまま首をへし折るように踏みつけた。

 だが、次のゴブリンたちが襲ってくる。

「トドメは、ワシがやりましょう!」

 と国重が声を上げた。シオンは頷き、狭い通路で襲いかかってくるゴブリンに次々と斬りつけていく。

 ゴブリンは、一体見たら十体居ると思え。

 たった一晩で、廃墟が占拠されていたなどよくある話だ。好戦的だが用心深いところもあり、人里にはそう姿を見せない。そのぶんこうしたダンジョンや廃墟にはすぐに棲みついてしまう。

 シオンは敵に必ず二撃以上入れる。確実に喉を掻き切ったと感じても、更にとどめとなる一撃は欠かさない。ソロであれば、殺したと思った相手からのまさかの反撃が、命取りとなるからだ。どんなに大勢相手でも決して慌てず、焦らず、そうして一体ずつ確実に仕留めてきた。

 たった一人で群れに囲まれたときのプレッシャーは、とてつもないものだ。だが、そのプレッシャーに耐え切れず、普段の戦いのリズムを崩せば、崩れたところから攻め込まれるように、蹂躙される。

 いつもと同じように、そしていつもよりはやく、殲滅しなければならない。

 しかし今日は、国重が後ろに居る。その後ろに、キキと紅子が居る。独りで倒す必要は無い。シオンが一撃を入れて倒れた敵は、国重がすぐに槍で突き殺し、その巨体で叩き潰していく。 

 気がつくと、十体ほど詰めかけていたゴブリンを、シオンと国重だけで倒していた。

 光る杖を握り締めた紅子と、魔銃を手にしたキキが暇そうに見つめている。

「――シ、シオンさん、ちょいと、よろしいですかい?」

 と国重に引っ張られ、シオンは二人から少し離れたところで、耳打ちされた。

「黄々ちゃんの腕試しに来て、ワシらが二人で倒してしまっては、いかんかったかのう……?」

「……あ、そうか」

 忘れてた、とシオンも小さく呟き、ゴブリンの血の付いた頬を、ジャージの袖でごしごしと拭った。

「けど、ガンナーの戦い方としては、あれでいいんじゃないかな。ちゃんと国重さんのフォローしてたと思いますけど」

「そ、そうですかのう?」

 戦闘が始まると同時に、的確に魔虫を排除したあの一撃。その判断も、射撃の正確さも、思いきりも、上出来だった。

 孫娘を褒められて、国重は巨体を丸めながら、嬉しげに頭を掻いた。

「あのー、おじいさん?」

「おおっ? どうなされた、紅子さん!」

 紅子がやって来て、国重の顎の下辺りに光る杖の先を向けると、国重が眩しげに目を閉じた。

「ムムッ? ま、眩しい……!」

「あっ、ごめんなさい。このへん、怪我してるなあって、さっきから気になってて……」

 紅子が指差した国重の喉許に、確かに傷がついている。

「いやいや、ゴブリンの攻撃ごとき、いちいち避ける必要もありません! ワシらは頑丈ですからのう」

「ま、体の内側は、外側ほど硬くないんだけどね」

 キキが付け加える。

「でも、人間に比べたら全然強いけどね。おじいちゃんは、今までもすごいケガ、いっぱいしてるけど、へっちゃらなんだから」

 長い人生で、冒険者も肉体労働、様々な荒事を経験した国重の体のあちこちに、古傷がうっすらと浮かんでいる。特に、体の正面側は硬い鱗に覆われた背中より強度が落ちるのか、つなぎから覗く首筋に、幾つもの大きな古傷が残っていた。

 その上に、新たにナイフ傷が残っていた。

「ゴブリンめを押し潰したときに、ナイフの刃でも当たったんでしょう」

「バイ菌が入っちゃう。すぐ治しますね」

「いやいや、この程度、問題ありませんわい!」

 と笑う国重の言葉に構わず、紅子はリュックにぶら提げたペットボトルを手にし、ポーチから取り出したガーゼに水を含ませると、傷口に当て、血と汚れを流した。

「治って、治って、治って……」

 そのまま手を当て、癒しの呪文を唱える。

 治癒ヒールは少々苦手だという紅子は、目をぎゅっと閉じ、真剣な顔でぶつブツと詠唱を繰り返している。

「ちょっと……そんな詠唱でいいの?」

「いいんだ。邪魔しないほうがいい」

 顔をしかめるキキに、シオンはそう告げた。

「おお! 素晴らしい、なんと早い治癒術!」

 すっかり傷の治った国重が、感嘆の声を上げる。

「いえいえ、ヒールは苦手なんですよ」

 今度は紅子が照れたように頭を掻く。

「いや、こりゃすげえ! まるでヒーラーの先生に看てもらったような――いや、それ以上の治癒術かもしれませんな! 紅子さんは名のある魔道士でいらっしゃいましたか!」

「いえいえ、私なんて、まだまだ駆け出しですぞよ」

 褒められ過ぎて語尾がおかしくなっている。

「素早く唱えられる簡潔な詠唱と、的確な治癒術! さすが桜さんの弟御であるシオンさんが見込んだソーサラー!」

「いやいやいや、そんな」

「しかも、照光ライトを安定させたまま、二重魔法とは。いや、お見それいたしました!」

「そんな、褒められ過ぎると……お腹が空いちゃいます」

 今度は謙遜もおかしくなってきている。紅子はすっかり顔を赤くし、何度も頭を掻いていた。国重はよほど感心したのか、しばらく紅子を褒め続けた。

 その様子をぶすっとした顔でキキが見ている。

「あれ、詠唱っていうの?」

「それで治るんなら、なんでもいいんじゃないか」

「ダメとは言ってないよ。デタラメだって言ってんの。あんな雑な詠唱で魔法使えるんなら、誰でもソーサラーになれちゃうじゃない」

「なれないのか?」

 シオンの言葉に、キキが呆れ顔を向ける。

「シオンは、魔法のことは何も分かんないの?」

 さっきの戦闘で、シオンが場数を踏んだファイターだということはキキにも分かった。狭い場所で複数のゴブリン相手に、傷一つ付けられることなく、素早く的確に敵を屠っていった。

 ワーキャットが素早いと言ってもそれを超えている。普通なら一撃入れる間に二撃目が入っているという速さだ。これは種族は関係無い。よほど訓練していないと繰り出せない連続攻撃だ。

 そして紅子も、たしかに優れたソーサラーのようだ。

「あのね、ソーサラーっていうのは、魔力が少々あってもなれないの。ちょっとくらい魔力があれば、魔銃を撃ったり、自分を肉体強化セルフエンハンスくらいは出来るけど、でもそれだけ」

「へえ」

「ホントに理解してんの?」

「まあ、そんくらいは」

「色んな魔法を形に出来るくらいの魔力がなきゃ、ソーサラーにはなれないの。特に、他人の体を治すヒールや、他者がけするエンハンスは、すっごい高度な魔法だし、集中力が要るの。だから、それぞれ自分に合った呪文スペルを長々と詠唱するんでしょーが」

 それを、子供が唱えるような呪文で、簡単な切り傷とはいえ、的確に治してしまった。

 いや、どんなソーサラーも、最初に使った魔法は、子供のとき無意識に、心のままに思った言葉を口にして、うっかり発動させてしまうことが多い。

「詠唱が短いのは、いいことじゃないか?」

「いいことだけど、変なの! いい? 魔法を魔法として形にするっていうのはね、魔力があれば出来るってわけじゃないの。だから、ソーサラーになりたいやつは、ほとんどの場合は塾に通ったり家庭教師を雇ったりするんだよ」

「ソーサラーの?」

「そう!」

 そうして、先人たちが編み出した詠唱式を学び、その詠唱に添った、きちんと手順に添って魔法を発動させる。ただ適当に唱えるのとは違う、的確で威力の高い魔法を。

「まあ、詠唱式なんてネットでも調べりゃ一発で分かるし、独学でもいいんだろうけど、ただ唱えるってだけでもダメなんだよ。ちゃんと意味があってコツがあんの。そのほうが強くなるのに……」

 紅子は、子供が唱える呪文のままで、的確で強い魔法を発動させているのだ。

「詳しいんだな、お前」

 う、と声を詰まらせ、キキが顔を赤くした。

「あ、あたしも魔力があったから……ソーサラーになれるかなと思ったときもあったんだよ……!」

「なれなかったのか」

「うるさいっ! 魔力量だけはどうしたって生まれつきのモンなの!」

 そして、国重におだてられ、しきりに照れている紅子に目をやる。

「あの人、あんなに強い魔力があって、誰にも魔法を習ってないっていうの?」

 信じられないという様子で言うキキに、シオンが答えた。

「お兄さんに習ったって言ってたぞ」

「お兄さん? ちゃんとしたソーサラーじゃないの?」

「冒険者じゃないけど、ちゃんとしたソーサラーじゃないかな」

「そんなわけないよ。あんな好き勝手な魔法の使い方、フツー注意するもん」

「そうなのか?」

「そうだよ。出来てるからいいってモンじゃないでしょ」

「出来てるからいいんじゃないか?」

 魔法に関してはさっぱりなシオンの言葉に、キキは絶句した。駄目だ。コイツに話したのが間違いだった。

「出来てたらおかしいって話なのに……」

 出来てるからいい――そうかもしれないが、それは『普通』じゃない。『普通』なら、あんな魔法の使い方のまま、ソーサラーになったりしない。絶対どこかで通用しなくなる。

 子供がずっと子供のままでいられないように。

 純粋な気持ちのまま魔法を使えなくなるから、誰もが詠唱式に頼るのだ。

 高い魔力でごり押ししているだけ。なのに、強い。

 こういう『普通じゃない』ソーサラーも、たまにはいるらしい。

 それは――『天才』という。

「……変なソーサラー」

 しつこく祖父に褒められ、しきりに照れる紅子を見やり、キキは呟いた。

「まあ、いいわよ。……おじいちゃん! 腰痛は大丈夫っ? 湿布貼り直したほうがいいんじゃない?」

「おお、そうじゃな、黄々ちゃん。頼む!」

 腰のバッグから湿布を取り出しながら、キキも国重の許へ駆けて行った。




「ねえ、キキちゃん、ゴブリンと戦って、怖くなかった?」

「はあ? 怖いわけないでしょ」

 紅子の言葉に、キキが馬鹿にしたように返す。だが紅子が気にする様子も無いので、シオンは放っておいた。

「あたしなんて、最初に戦ったときはブルブル震えちゃったもん。あ、そういえばあのときも、秩父だったよね」

「そうだったな」

 紅子の初戦闘を、シオンも思い出した。あのときは紅子の魔力の高さに、シオンも驚いた。

「おサムライさん、元気かなぁ」

「何の話よ……サムライ? そんなのまで仲間に居んの?」

「ううん。たまたま会ったの」

「うええ。ほんとに居るんだ、サムライとかニンジャ名乗る奴って……絶対関わりたくない。紹介とかしないでよ」

「したくても一回会っただけだから……」

 残念そうに紅子が呟く。一度きりとはいえ鬼熊のような強敵と一緒に戦ったので、一種の仲間意識めいたものが芽生えたのは確かだ。冒険者にはそういう出会いもあり、勢いで友達になってしまったりもするのだが、連絡先の交換もしなかった。シオンはそういうことに積極的では無いし、紅子もそこまで頭が回っていなかった。それを彼女は後悔しているようだ。

「黄々ちゃんや、人を職業で判断しちゃいかんぞ」

「職業の問題じゃないでしょ! 人間性の問題でしょ、もうそれは!」

 のん気な祖父を怒鳴りつけてから、キキはいったん息を吸って吐いて気を取り直し、ふんと鼻を鳴らした。

「ゴブリンなんて、怖くないわよ。あたしは別に、戦うのがこれで初めてってわけじゃないもん。キノコ採りの途中でモンスターに遭うこともあるし、昔、家族でピクニックしたときも、オーガに遭ったもん。おじいちゃんが倒したけどね」

「へえー。さすが! おじいさんは強いねえ」

「いやいや、そんな。家族を護るのは家長の役目ですからのう」

「またまた親分、ご謙遜を」

「なんの。紅子さんには負けますわい」

 国重と紅子の間で変なノリが生まれていた。それをキキがしょうもないものを見る目で見ている。

 シオンは、突然襲来したオーガよりもリザードマン家族のピクニックのほうが迫力ありそうだ、と思っていた。その耳に、奥から響く声が聴こえた。

「ちょっと黙ってくれ。誰かいる」

 シオンが会話を遮ると、全員が武器を構える。紅子が尋ねる。

「ゴ、ゴブリン?」

「いや。人っぽいな。進んでみよう」

 ダガーを手に、シオンは国重を追い越した。

「冒険者かもしれない。オレが先に行くから、国重さんは後ろを」

「今日は他に探索者は居ないはずじゃがのう……。無許可での侵入は禁止のはずじゃ」

「勝手に入ったっての?」

 キキが眉を釣り上げ、言う。

「だろうな。冒険者とも限らないし、警戒はしておけよ」

「もしかして、先に入ってゴブリンに襲われた人が、助けを求めてるのかも!」

 紅子が慌てて言う。キキがあっさり否定した。

「だったらとっくに死んでんじゃない? さっきのゴブリンの武器、どれも血は付いてなかった」

「そ、そうだっけ?」

「そいつらが先にここに入って、その後をゴブリンがつけてきたんだと思う。で、後から入ってきたあたしたちのほうに気付いて、襲ってきたんじゃない?」

「その可能性もあるな。どっちにしても、様子は見よう。負傷していたら放っておけない」

 そこからはシオンが先に立ち、声のするほうに向かった。

 近づくほどに、話し声が大きくなる。複数の人間だ。そして、話している様子はごくのん気だった。慎重さは感じられず、わいわい騒いでいる。

「……普通の人間っぽいな」

「あたし、行って来る!」

 脅威は無いと察したのか、キキが飛び出した。

「あっ、キキちゃん!」

 紅子が声を上げる。シオンはキキのすぐ後ろについて行った。

「ちょっと、何してんのっ! ここは一般人立ち入り禁止よっ!」

 侵入者たちの前で、キキが叫ぶ。

 急に声をかけられたほうも、驚いて叫んだ。

「えっ、うわっ!」

「やべっ!」

「す、すいません!」

 一様に慌てているのは、カメラを手にした人間たちだった。

 それなりの装備をしているが、冒険者では無さそうだ。

「まったく、大の大人がゾロゾロと! いい? 今戻れば、道に敵は居ないから、とっとと帰りなさいよ!」

「え、つーか、子供?」

 その言葉に、案の定キキは怒り出した。

「子供でも、あたしはれっきとしたリザードマン一族の冒険者よ!」

 言っても仕方の無いことをキキが訴える。銃を抜きかねない勢いだ。当然きょとんとする人間たちに、シオンは自分の冒険者カードを見せながら告げた。

「コイツの言ってることは本当だ。オレたちは仕事でこのダンジョンに来ている。アンタたちは冒険者じゃないよな」

「あ、はい……」

 シオンも見た目は若いが、キキに比べれば冒険者らしく見える。亜人だというのも一目で分かるからか、人間たちは急に緊張した顔になった。後から現れた国重を見ると、完全に固まった。

 不法侵入者は、人間の男ばかりが五人。自称ダンジョンマニアで、鉱山内の写真を撮りにきた、冒険者ではない一般人だった。

「鉱山ダンジョンの中では、ここは人気あって。歩きやすいし、まめにモンスターが駆除されてるから、入りやすいって、マニアの間では有名なんです。この前あった地震で、いい感じに崩れてるんじゃないかと思って……」

 そう言い訳する人間たちに、キキが冷たい目を向けた。

「バッカじゃないの。崩れてるんならなおさら入んなっつーの!」

「フム。どうしても写真が撮りたいなら、ちゃんと許可を撮って、冒険者の同伴付きでなら、入れないでもない場所でもないぞ。実際、そうやって決まりごとを守って、写真を撮りに来られる方もおるんじゃから、勝手に入るのは、感心せんのう。危ないしのう」

「つーか、危ないどころか、アンタらのこのこゴブリンに匂いかぎつけられてね、死ぬとこだったんだよ!」

「えっ、マジかよ……」

 そう言って全員顔を引き攣らせるが、実感は無いのか、心から恐怖している様子は無い。おのおのサバイバルナイフや木刀、エアガンを装備しているのは、護身用だろう。

「本当だ。オレたちがきた道の途中に、ゴブリンの死体が転がってる」

 シオンが言った。

「もし、外に仲間が居たとしても、仲間の血の臭いを嫌がって、今なら近寄らないはずだ。姿を見ても、下手に戦おうとせずに、逃げたほうがいい」

「えっ、外にいるかもしれないのに、出て行くんですか?」

「居るかは分からない。けど、ゴブリンは仲間の敵討ちなんかしないから安心しろ。心配ならゴブリンの死体を持って出て行くといい。堂々としてな。仲間を殺した奴だと勘違いして、警戒してくれる」

「ゲッ、死体をっ?」

 シオンの提案を受け入れる者は居なかった。

「そんなにビクビクしてたら、見破られるぞ」

「いや、そういう問題じゃないでしょ。やんないって、そんなこと」

 キキが突っ込む。

「ゴブリンの死体担いで出てくなんて、コイツらにはムリだよ。せいぜい転がってる死体の写真撮ってブログにアップするぐらいだよ」

「なんでそんなことするんだ?」

「目立ちたいからだよ」

「目立つのか」

「友達の中ではね。別にそんなつまんないブログ、大多数は見てなんかないけどね。せいぜい同じレベルの仲間がコメント欄でスゴーイスゴーイって機械みたいに繰り返すだけでも、悦に浸れる奴は浸れるんだよ」

「はあ……」

 キキは子供のわりに、よく物を知っているな、とシオンは感心した。口は悪いが。

 実際のところ、キキも学校に行かなくなって、暇なあまりによくネットをしているのだ。

 ずけずけと物を言う少女に、人間たちは不法侵入した手前、そしてまだモンスターがいるかもしれないからか、大人しく反論もしない。シオンや、何より国重の威圧感があるだろう。

「彼らだけで外に出るのは、無理そうですな。仕方無い、送って戻って来ましょう」

 と国重が提案すると、キキは嫌な顔をした。

「ええ? いいじゃん、ほっとけば?」

「コラ、黄々ちゃん! それはいかん!」

 珍しく国重が厳しい口調で言う。キキはびくりと肩を竦ませ、一瞬泣きそうに眉を下げたが、すぐに口を尖らせた。

「分かってるよ。弱い者は守るんでしょ。それがこんなバカどもでもね! まったく、手間掛けさせないでよね!」

 ぷん、と顔を背け、キキが悪態をついた。

「オレがついて行くよ。皆は休憩でもしててくれ。オレなら行って戻って来るのも早いし」

 シオンがそう言うと、国重が首を振った。

「いや、ワシが任されましょう。シオンさんと紅子さんは、どうか黄々ちゃんをよろしくお願いします」

「でも」

「いやいやいや、ワシなら一人で大丈夫! そうじゃ、先に鉱夫の休憩部屋がありましたな。そこなら休憩も食事も出来ましょう!」

「だったら、国重さんが休んだほうが。オレは平気だし……」

 リザードマンとはいえ一番の老体だし、腰痛持ちだ。そう思って言ったのだが、国重はすごい勢いで首を振り始めた。

「いやいやいやいや! とんでもござらん! どうぞどうぞ、お若い方はそこでおくつろぎを!」

「いや……別にくつろがなくても……」

「は……はい! 言われてみれば、お腹が! 背中とくっつきそうですぞ!」

 国重と居ると、どうも語尾がおかしくなるらしい紅子がいきなり元気良く、杖を持っていないほうの手を上げ、そのままシオンの背中にへばりついた。

「うわっ! あ、浅羽っ? な、何だよ……」

「小野原くん、おじいさんの言う通りにしてあげようぞ!」

 突然ぶつかった柔らかい感触に、顔を赤らめ、尻尾をばたつかせているシオンの背後で、紅子がコソコソと小声で言った。

「ここは、空気を変えたほうがいいと思うのでござるよ」

 もはやサムライかニンジャだ。

「空気?」

 怪訝な顔をするシオンに、国重が鋭い歯を見せ、何となく気まずそうに笑っていた。

 キキはというと、離れたところから、三人をじっと睨みつけている。さっき国重に怒られたことを引きずっているのか、心なしか元気が無い。

「……分かった」

 何となく理解して、シオンは頷いた。

 そういえば、キキはさっきからまったく、国重のほうを見ていない。もしかしたら、「うわぁああああん!」を堪えているのかもしれない。

 探索において重要なのは、体力だけではない。一人の精神状態が乱れることで、パーティーの士気に関わる。

 メンバーの様子を体力面、精神面両方で気にかけることも大事なのだ。

「あと……浅羽」

「なんじゃらホイ?」

 動揺のあまり動きの止まらない尻尾に、キキや人間たちの目が辛く、シオンは背中に貼りついている、柔らかくてとても良い匂いのする、語尾のおかしな生き物に頼んだ。

「は……離れてほしい……」

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