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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
23/88

後悔と試練

「おーい。小野原くーん」

 新宿冒険者センタービルの入り口に着くと、先に待っていた紅子がシオンを見つけ、元気な声を上げた。満面の笑顔で手を振る。そんな彼女とシオンを、周囲の人間が交互に見たが、紅子はまったく気にしていない。

 とはいえシオンは気になるので、小走りに駆け寄った。

「悪い。待ってたのか?」

「ううん。早く着き過ぎちゃったの」

 それでも一度家には戻ったらしく、私服姿だ。

 薄手のカットソーに、ショートパンツ、トートバッグを肩に提げ、長い黒髪を緩く三つ編みに結い、胸の前に垂らしていた。


 死んだ兄にかけられたという魔法は、年月が経つにつれ、幾つかの精神魔法が複雑にかかり合っている。

 きっかけは兄がかけた魔法でも、いまの術者は紅子自身だ。

 課せられた使命に対し、不安感や恐怖心を抱くと、紅子自身が無意識にその感情を修正しようとする。持って当たり前の恐れを麻痺させ、疑念を持たない。

 最近は落ち着いていると、透哉は言っていた。

 実際に信頼の出来る人とパーティーを組めて、安心したのだろうと。

 本当に、そうだといいのだが。

 いつも通りの彼女だ。いつも通り、屈託無い顔で笑っている。

「一緒にセンター来るの、久しぶりだね!」

「そういや、そうだな」

 最初の仕事を決めたとき以来だ。それからは彼女が学校に行っている間、シオンが仕事を探していた。

 キキと国重からの電話の後、また彼らから連絡があるかもしれないので、一時間ほど待ってみた。しかし音沙汰は無く、シオンからもかけてみたが、誰も出なかった。きっと取り込んでいるのだろう。そう思い、センターに行く準備をし始めたときに、紅子から電話があった。

 彼女の高校では、定期テストの最中だったらしい。今日の午前で全てのテストが終わり、これから時間があるから一緒にセンターに行きたいと言われ、待ち合わせたのだ。

「でも、テスト中なのに、良かったのか? オレ、知らなくて、土日に仕事入れちまったけど……」

 学校やテストから縁遠いシオンは、そこまで考慮していなかった。申し訳無さげに言うと、紅子は笑って答えた。

「うん! 大丈夫だよ! 日頃ちゃんと勉強してたら、前日に慌てて詰め込む必要なんか無いもん」

 自信満々に言う紅子に、シオンは感心した。

「へえ。浅羽、ちゃんと勉強してんだな」

「え? あ、うん……まあね!」

「えらいな。バイトも冒険者もしながら」

「も、もっちろん!」

 と、わざとらしいピースサインを作りながら、紅子は笑顔を引き攣らせた。

 授業中はいつも睡魔との戦闘に忙しい、勉強なんてほとんどしていないなどと言えば、シオンは心配するだろう。「じゃあ仕事を減らそう」なんて言い出しかねない。適当に誤魔化そうとしたらあまりにあっさり信じられて、罪悪感に胸を痛めながら紅子は頷いた。

「大丈夫、大丈夫! それに、うちの学校けっこうぬるいし!」

「ぬるい?」

「うん。勉強も、校風も。のんびりしてるの。進学校じゃないからね。滑り止めで受かったとこだし」

「そうなのか」

「そうなの」

 滑り止めの意味すら分かっていないシオンだったが、紅子は急にどんよりと暗い顔になった。

「……私ね、受験失敗したんだ……」

「あ……そうなのか……」

 紅子は自虐的な薄ら笑いを浮かべた。

「うん……。ちょっとでも授業料安いとこに入ろうと思って、本命は公立だったんだけど、最後の模試でちょっといい点採ったから、調子乗ってレベル上げたら、落ちちゃって……そこは、学食が美味しいって有名で……。そんなつまらない欲に駆られたばっかりに……」

 くっと唇を噛み締め、悔やむ紅子を、シオンは一応慰めた。

「浅羽らしいよ」

「だから、叔父さんたちに申し訳無くて……。いま通ってる学校は、私立なの……公立だったら学費も浮いたのに……」

「ああ、そうだっけ」

 紅子が着ていたセーラー服は、シオンの地元にある高校の制服だ。どこの学校かまでは忘れたが、ブレザーの制服が多い中で、いまどき珍しいセーラー服には見覚えがある。

「授業料がまあまあ安いほうなんだけど……だからかな、私立なのに教室にエアコン無いんだ……」

「そうか。暑いな」

「そうなの。夏は暑いから窓を開けるんだけど、虫が入ってくるの……でも、女子校だから皆気にしないでバンバン叩いてるよ……」

「う、うん……」

「でもね、今の学校に行って良かったとは思ってるの」

 紅子が気を取り直したように、ぱっと顔を上げる。

「学食が美味いとか?」

「そうなの! お昼前についお弁当を早く食べちゃったときは、お世話になってるんだ」

「弁当を、早く食べる……?」

「だからね、私、仕事もがんばってがんばって、いっぱい稼ぎたいんだ! よし、もう、テストの話はやめよう! これからは仕事の時間だよ!」

「浅羽、もしかして、休み時間に弁当食ってんのか?」

 もはやテストよりそっちのほうが気になってきたが、紅子が胸の前でぎゅっと拳を握り、よし! と気合いを入れた。

「テストのことでいまさら何言ったって、もう今日で全部終わっちゃったしね! 解答欄ずらして書いちゃったことも、もう気にしない!」

「いや、それより弁当……」

「終わったことは忘れよう! はい、忘れた! さ、仕事行こう、仕事!」

「あ、うん……」

 ぐいぐいと紅子に背中を押され、シオンはビルの中に押し込まれていく。

「……結果が返ってくるまで、終わったとはいえないんじゃないか?」

「いやー! やめてー!」


 月曜日のセンターは、やはり嫌というほど混んでいた。朝一番に来られず、午後になると、残った仕事の条件はやはり悪い。

 それでも多少空いていれば、岩永が自分の窓口に呼んでくれることもあるが、今日はそうはいかなかった。

 彼女なら、数少なくなった仕事の中でも利点を探し、依頼者も納得して仕事に励めるような紹介をしてくれるのだ。

 ちょっと面倒だとか、割りが悪いと思うような仕事に、気分良く依頼者を乗せてくれる。それも笑顔でごり押しするわけでも無く、淡々とそれをやってのけてしまう。それでいて、面倒見の良い一面もある。なんだかんだと、シオンが一番信頼出来る職員だ。

 別の受付嬢に仕事を紹介してもらったが、狙っていたようなものはやはり無かった。

 出来れば、共闘の訓練も兼ねて、低レベルでも受けられる危険度の少ない討伐依頼をやりたかったが、もちろんそんな人気の仕事はあってもすぐ誰かが受けてしまっている。

「私、山菜でもいいよー?」

 と紅子は言ったが、シオンはうーん、と唸った。

「……ちょっと、待ってみよう。オレがまた明日、一人で来てみるよ」

 空いているときなら、岩永に相談も出来る。紅子のレベル上げを気にしてくれた彼女なら、上手く仕事を見つけてくれるかもしれない。

「キャンセルが出た依頼にありつけるかもしれないし、それで駄目なら山菜でもキノコでも採ればいい」

「そお? 小野原くんがそう言うなら、私はなんでもいいけど」

「それじゃ悪いけど、パーティーの仕事は、今日は保留だ。オレがソロでやるやつだけ受けて帰る」

 紅子と受付嬢両方に、シオンはそう告げた。

「出来たら単日で。無ければ二日くらいなら。土日以外で頼む」

 受付嬢が笑顔で頷く。

「内容のご希望はございますか?」

「特には。詳細次第で」

「そうですね。これなんか、小野原様にいいかも」

 岩永に比べると気安い口調で、受付嬢は資料を差し出した。

「モンスターの捕獲……というか保護? なんですけど」

「オレ、そんなの出来ないぞ。倒したことしかない」

「そのへんは、そっち専門のスカウトが中心になって、作戦の段取りから現場の指示までやってくれますよ。小野原様はそのアシスタントをするパーティーメンバーです」

「えー。面白そう。いいなー」

 紅子が横で、羨ましげに言う。

「たしかに、あまり無いタイプの仕事だな」

 レベル10を超える仕事になると、仕事が欲しい者にただ余った仕事を紹介するという簡単なものでは無い。誰にでも頼める仕事では無いので、職員たちが冒険者の適正を見極めて紹介しているのだ。

「何のモンスターなんだ?」

合獣キメラの子供です。群馬の山中で見つかったらしくて」

「わっ、キメラって、色んな動物がくっついてるやつ?」

 紅子が驚いた声を上げる。シオンは頷いた。

「まあ、簡単に言うと、そうだな」

「捕獲したら地元の魔獣園で飼育するそうです。発見されたキメラは、ベースは大型の猫科だそうで、他にも色々くっついてますけど、でもすごくスタンダードなタイプだから、人気出そうですね。魔獣園の方も、慎重に捕獲してほしいと」

「そのへんは、専門スカウトがいるなら任せる」

 モンスターを倒しはしても、無傷で捕まえたことは無い。まったく専門外の分野だ。現場にリーダーがいるなら従うし、指示されたことだけこなせば良いのなら、ある意味楽だ。

「猫科のキメラの子供、見たいなぁ。可愛いだろうなぁ」

 うっとり呟く紅子に、シオンは首を傾げた。 

 別に、仕事で無ければそんなものわざわざ見たくない。ましてや金を払ってまで、頭が幾つもあるモンスターを見たいなんて。

「変わってるな、浅羽」

「ええー、そんなことないよ?」

「キメラって、ベースになった動物によっては、子供のうちから育てるとけっこう馴れるんですよね」

 この受付嬢も変に詳しい。

 仕事の参考になる話かと思ったら、まったくプライベートな話になった。

「ええ、私、去年熊本に旅行に行ったとき、キメラの背中に乗ったんですよ」

「えー! いいなぁ!」

「犬と馬の双頭ちゃんだったんですけど、その組み合わせの子ってわりと気性も大人しくって、赤ちゃんのうちから育てられてるから、人懐こいし、もうすっごい可愛くて」

「え? それ可愛いのか……?」

 一つの胴体に犬と馬の頭が並んでいる奇妙な生き物の姿を想像し、シオンは顔をしかめた。まあ自分も人間の頭に猫の耳が付いている奇妙な生き物だが。

「まあ、一緒に行ったカレは嫌がってましたけどね」

 その恋人の気持ちのほうがシオンには分かる気がしたが、紅子はすごい勢いで食いついている。

「そこって、阿蘇ファンタジーパークですよね! 知ってます!」

「なんだそれ?」

「小野原くん知らないの? 経営難だった魔獣園を救った、元冒険者の人が新しい園長さんになってね、色んなアイディア出して建て直したっていう、今すっごく有名なとこだよ? テレビでも毎日そのニュースやってたのに」

「知らない」

 それ以前に、シオンの家にはテレビが無い。

「騎乗体験と写真撮影があって、一日限定五組までの抽選なんですけど、すごい倍率なのに、当たっちゃったんです」

「わあ、いいなあ。私も行きたいなー。一つ目象のパオラちゃんに会いたいよー」

「誰だ、それ?」

「パオラちゃんには、手から餌やりましたよ。すっごく楽しかったですよー。夏休みだったから、激混みでしたけどね」

「いいなー。いいなー」

 よっぽど羨ましいのだろう。紅子はかなりしつこく「いいなー」を連呼している。

「浅羽、そんなにモンスター好きだったのか?」

「ていうか、そういう人気のテーマパークに行ってみたいの。昔、透哉お兄ちゃんに動物公園連れてってもらったくらいかなぁ。家族旅行もしたことないし、行ったことあるのは修学旅行で京都のお寺くらいだよ」

 そう言ってはぁ、と溜息をつく。

 家族を失くし、叔父一家に引き取られた彼女は、学費のために中学時代から新聞配達をしていたというくらいだから、そんな余裕も無かったのだろう。

 好奇心旺盛な人間は、旅好きな種族でもある。紅子の年齢で旅行をしたことが無いというのは、少し気の毒だ。

 そんな話をしている間も、センターは混んでいる。雑談で後ろを待たせるのも悪いので、シオンは受付嬢に告げた。

「まあ、なんでもいいや。それで頼む。メンバーは、オレでもいいんだろ?」

「もちろんです。小野原様は珍しいタイプのファイターだから、きっと重宝されますよ」

「そうか?」

「と思いますよ。ワーキャットの冒険者さんで、レベル10までやってくれる方はなかなか居ませんから、耳はいいし感覚は鋭いし、俊敏で、需要はあるんですけどねぇ。なんであんなに水商売に走っちゃう方が多いんでしょう?」

「さあ……」

 そんな事情、シオンが知るよしも無い。

「この依頼をこなしていただければ、かなり評価は上がりますよ。小野原様、早くレベル15になってくださいね。お仕事の幅もずっと広がりますから。では、書類を用意しますね」

「小野原くんが保護したキメラの仔、公開されたら観に行こうね!」

「ああ、うん。……がんばるけど」

 激励され頷いたものの、大きな虫取り網を持ち、モンスターを追いかけ回すという貧困な想像しか出来ない。その逆で、オトリの餌役かもしれない。飼育するというくらいだから、無傷で捕まえるのだろうし、反射的に斬ってしまわないように気をつけよう。

 と、書類にサインをしながらシオンは思った。


 契約を済ませ、二階のセンターを後にすると、シオンは尋ねた。

「浅羽、これからどうする? メシまだなら、食ってくか?」

「あ、うん。ご飯は家で食べたんだけど」

 そう紅子は言うが、シオンは分かっている。紅子が一日五食は食べていることを。成長期かつ活動的なので、そのぶんのカロリーはその日のうちにしっかり消費出来ているようだが。

「オレも午前中に軽く入れただけだから、ちゃんとメシ食わないと。なんか食ってくか?」

「うん、食べる!」

 案の定、紅子がすぐに返事をした。

「でもねー。小野原くん、朝もしっかり食べないとダメだよ」

「あー、ちょっとバタバタしてて……」

「小野原くん、栄養不足になると尻尾の毛づやで分かるよ?」

「それ、父さんにも言われたな」

「どこで食べる? 《オデュッセイア》?」

「《トカゲ亭》以外なら……」

 などと話していると、シオンの電話が鳴った。

 ウエストポーチから取り出し、相手を確かめると、キキからだった。

「浅羽、電話出てもいいか?」

「いいよー。じゃ、そのへんブラブラしてるね」

「ああ」

 紅子は飲食店が並ぶほうとは別の、人気の少ない古書店やリサイクルショップの並ぶ通路へと向かって行った。

 シオンはキキの喚く声に備え、あらかじめ電話を少し離してから、通話ボタンを押した。

「もしもし」

〈おお! さきほどはまっことに、失礼いたしました!〉

 ……こっちか。

 祖父の国重のほうだった。キキとはまた違う野太い大声が、受話口から響く。

 電話を遠ざけたまま、シオンは返事をした。

「いえ。……あれから、キキは?」

〈ええ、無事、捕獲しました! ガッハッハ! いやあ、参った参った。ああなると、捕まえてからが大変でして、二時間ほど泣いて喚いて暴れて、いまはグースカ寝ております〉

「はあ……まあ、ならよかった」

〈ま、ありゃ見た目こそチビっころですが、しっかりワシらの血を受け継いでおりまして。リザードマンってえのは、子供はさっぱり辛抱が足りません。それでも体力だけはあるモンで、気性が落ち着くまでは、元気があり余って仕方ねえんです〉

 そう言い、また大声で笑う。

〈それで、さきほどは話の途中で、申し訳御座いません。……実はこの前、黄々が一人で勝手にセンターに行ったかと思ったら、冒険者の仲間が出来た、パーティーを組もうと誘われたと、言ってきかねえのです。まあ嘘八百というのは分かっておりましたが、ああいう娘なモンで、家出する勢いでして、こりゃ一度、その小野原さんという方に、ご連絡だけでもと〉

 参った参った、としきりに繰り返している。

〈それと、黄々が、『シオンはおじいちゃんにも用があるんだ』と言うモンで、ちょいと事情を聞かせてもらいまして〉

「ああ……。それはオレが、妹尾さんっていうリザードマンに用があって」

〈そいつぁ、鯛介たいすけってぇ奴じゃ、ありませんかい?〉

「え? ああ、はい。そうです」

 キキと会ったときは忘れていたが、後で名前を確認し直した。

 妹尾鯛介という青年のリザードマンで、桜と最後に仕事をしたパーティーのメンバーである。

「――でも、どうしてそれを?」

 キキに話したのは、その人に死んだ姉が世話になった、ということだけだ。

 電話の向こうで、しばらく沈黙があった。

 それから、噛み締めるような老人の声がシオンの耳に響いた。

〈最初は、気がつきませんでした。けれどさきほど、ふと思い出しました。本当に、小野原さんというお名前を聴いて、何故すぐに思い当たらなかったのかと〉

「サクラを、知っているんですか?」

 知っていても不思議では無い。

 リザードマンは、一族の繋がりの強い種族だ。

〈鯛介は、ワシの甥の子に当たるモンです。孫も同然です。小野原桜さんと言えば、その鯛介が大変世話になった御人。鯛介の恩人は、ワシの恩人です〉

 その声はそれまでの、孫を可愛がる気の良いおじいちゃんでは無く、一族の長としての威厳に溢れていた。

〈よろしければ、我々の居住区にお招きしたい。鯛介は現在留守ですが、ワシが知るお姿でよければ、桜さんのお話も多少は出来ます。そして、シオンさんには……〉

「はい」

〈出来たら、一緒に黄々ちゃんを宥めてくれませんかのう?〉

「……はい?」

〈この妹尾国重――いや、一人のジジイとして、お頼み申し上げる!〉

 また一際声が大きくなり、シオンは電話を遠ざけた。

 電話の向こうで、モンスターも逃げ出しそうな低い呻き声が響く。

〈ウ、ウオオオオオ……! き、黄々ちゃんは、もう絶対におじいちゃんとはキノコは採りに行きたくないと……! ウッ、だ、大嫌いじゃと……! ウオオ……こ……このままじゃ、毎日家出されてしまうんじゃあ!〉

 リザードマンの長は涙声を混じらせながらそう懇願し、孫に振り回される一人のおじいちゃんに戻っていた。






 リザードマン族の集落は、古くから日本のあちこちに存在している。

 彼らが他の種族と居住地を分けて暮らすのには、幾つかの理由があった。

 人間とはかけ離れた姿形や、種族同士の結束の強さもあるが、最大の理由はその体格の大きさにあった。

 彼らは亜人の中で、最大の体躯を持つ種族である。

 それゆえに最近では、蜥蜴亜人ではなく竜亜人と呼ぶ学者もいるが、あまり浸透はしていない。

 成人男子になると、ほとんどの者が2メートルを超える。女性はそれよりやや小柄というが、それも彼らの中での話であり、当然人間の中に混じれば頭一つ出る。

 頑強な骨や皮膚を持ち、それらを支える筋肉は男女問わず鍛え上げられ、体重も100キロ以上。そんな彼らが住む家も、乗る車も、当然大きい。

 彼ら以外の種族がリザードマン居住区に行くと、並ぶ家々や停まった車の大きさが、人間の住宅地にあるものより、何回りも大きい。遠近感を間違ったようにも、巨人の国に迷い込んだ気分になるというので、一種のテーマパークの感覚で、彼らの居住地に訪れることを楽しむ人間も居るという。

 その人間の飽くなき好奇心のほうが、亜人たちからすればよっぽど奇異に映る。

 亜人同士は、他種族の暮らしにそれほど興味が無いのだ。

 訪れた人間に対し、リザードマン種族は非常に好意的である。

 同じように大規模な居住区を作り暮らしている亜人種族では、馬亜人ケンタウロス魚亜人マーマンが有名だが、人間に根強い忌避感を持つ者がいまだ多い。

 リザードマンは非常に寛大で、気の良い種族である。他種族に対しても親切である。

 だが、戦闘時になれば、その様相は一変する。

 元々、闘争本能の強い彼らは、普段はそれを抑制出来る、強い自制心を持ち合わせている。

 彼らは争いにおいてのみ、アクセルを全開で踏み込むように、その闘争能力を一気に開放する。

 その勇猛さと迫力に、並大抵のモンスターは震え上がる。大型の魔獣でさえ、後ずさって逃げることもある。

 そして、亜人の中でもっとも獣堕ちの少ない種族でもある。これは獣堕ちと化した同族を、彼ら自身がもっとも許さず、徹底して排除するためである。


 大きく、強く、優しく、厳しい。

 リザードマンというのはそういう種族だと、シオンの父は言っていた。

 そして――けっこう可愛い連中よ、と姉は言っていた。 




「まっこと、申し訳御座いません!」

 老リザードマンが、両手を畳の上に突き、深々と頭を下げた。

 

 ……でかい。

 それは、シオンが妹尾国重と実際に会って感じた、最初の印象である。

 それでなくとも、リザードマンは他種族と比べ、巨躯だ。

 彼はシオンが今まで目にしたリザードマンの中で、ひときわ巨漢だった。

 部屋の隅にずらっと並んでいる、立派な体躯の若者たちよりも、一回りは大きい。

 彼らは非常に礼儀正しく、全員が真っ直ぐ姿勢を正し、正座している。

 リザードマンが正座出来る、ということにシオンは驚いた。その巨体で正座すること自体辛そうなのだが、よく見れば太い尾でしっかりと尻を支えているのだった。

 服装はおのおのゆったりとしたシャツやハーフパンツ、ジャージを着ている者もいる。彼らを若者だろうと思うのは、国重の姿と比べてだ。

 国重以外は、皮膚の色が濃い。緑や黒、稀に茶や赤。共通しているのは全員つやつやと鱗が輝き、背中まで続くたてがみのような頭髪も、オレンジ、茶、金と華やかだ。

 藍色の着流しに身を包んだ国重の体は、鱗の色がくすみ、全体的に白っぽくなっていた。その頭髪も真っ白だ。


 銀鱗の老リザードマンは、なおもシオンに向かって頭を下げている。

「孫のみならず、保護者たるワシまで我を忘れる失態を……!」

「いえ、本当に、大丈夫です」

 キキの泣き喚く癖は、きっとこの祖父譲りだと思う。

 シオンはもちろん、気を悪くなどしていない。

 それより、足が痛くて仕方がないのだ。座布団を敷いてもらっているとはいえ、姿勢の悪いワーキャットに、慣れない正座はもう限界だった。

「重ね重ねのご無礼、お許しいただきたい! ウオオオオオオァァッ!」

 そこでまた感極まったのか、雄たけびまで上げ始めた。空気が震えているのかと思うほどの声量に、シオンの耳はぺったりと伏せてしまっていた。

 その様に、若リザードマンたちが、自分たちの長を慌てて宥める。

「オヤジ、落ち着いて!」

「シオンさんの耳が下がってます!」

 リザードマンたちは戦闘時、自らを鼓舞するために大きな咆哮を上げる。

 それを敵に対する威嚇として発する場合もある。強靭な喉と肺で〈轟声バジング〉という凄まじい吼え声を生み出す。

 リザードマンは穏やかだという世間一般のイメージだが、それは成熟した大人の場合である。子供のころは生来の強い闘争本能から、非常にやんちゃであるという。それから青年、中年と歳を重ね、老年期に入るとまた我慢が効かなくなる者も居るそうだ。軽度の認知症の一種で、感情が異様に高ぶりやすくなるらしい。責任感の強い者に、特にこの傾向が現われる。

 と、屋敷に招かれる前に、そう説明を受けている。

 新宿まで迎えに来たリザードマンの運転手に言われたのだ。

「まあ、オヤジも最近ちょっと感極まりやすいだけで、ボケてるわけじゃないんで、軽く流してやってください」と言われた。

 そんな彼の心配ごとは、末孫のキキのことだという。


 老リザードマンがようやく落ち着くと、シオンのほうから口を開いた。

「でも、ちょうど良かった。オレも、鯛介さんに、用があったから……」

 まだ息の荒い国重の代わりに、若いリザードマンの一人が告げた。

鯛介たいすけの奴は、ダンジョンに潜っておりますが、二、三日もしたら戻って来るでしょう。戻り次第、すぐに連絡いたします」

「いえ。オレのほうから……また会いに来ます。急ぎの用じゃないし……。ただ、会って、サクラの話を聴きたいだけで……」

 彼は葬儀にも来ていた。そう父から聞いている。だが、葬儀中のシオンは茫然自失としており、最後までその場に居られなかった。やってきた者たちとまともに喋ってすらいない。

 桜は数多い知り合いの中でも、やはり歳が近いからか、若い冒険者たちとよく組んでいたという。特に鯛介を含む四人の冒険者を気に入っていたという。

 中にはすでに冒険者を辞めた者や、連絡のつかない者もいるようで、とっくに散り散りになっているそうだ。一番会いやすいのが妹尾鯛介だろうと、父から助言を受けた。

「ふうぅ……」

 落ち着いたのか、国重が深い息を吐き出した。

「取り乱してしまい、面目無い……」

「いえ……もう謝らなくて大丈夫です」

 話が一向に進まなくなる。

「いやまさか、黄々ちゃんをお世話してくださったお方が、桜さんの弟御とは……」

 国重がその鋭い目を細める。

 さっきまで騒いでいたのが嘘のように、静かに、しみじみと呟いた。

「桜さんには、鯛介だけじゃありません。うちのモンが、それはそれは大変お世話になりました」

「いえ、こちらこそ……」

 一体どんな世話をしたのやら。生前の姉の笑顔を思い出しつつ、シオンも頭を下げようとすると、激しい勢いで国重に遮られた。

「いやいやいやいや! シオンさんに頭を下げていただくようなことは、なんっにも、御座いません!」

「いや、お礼くらい……」

「桜さんには、それはもうしょっちゅう遊びに来ていただき、血の気の余るうちの若いモンを鍛えていただいたモンです!」

 やっぱりそういう世話か。シオンは苦笑した。

 どこに行っても姉は姉だ。

「いやあ、昨日のことのように思い出します……。若いモンは皆、桜さんに手合せしてもらうのを、喜んでおりました。小さな子供たちも、可憐な人間の女性に遊んでもらえて……」

「か……可憐?」

 とシオンは突っ込みかけたが、国重はひたすら思い出を語っている。

「あの細腕で振り回したりぶん投げてもらったりするモンですから、それはそれは楽しかったようで、憧れておりました。女共にも大人気でしたなぁ。うちのカカァや娘共のメシを、いつも旨い旨いと召し上がっていただいて、自分は母親の味を知らないからと仰っておりましたが、豪胆だが女性らしい、まっこと心根の優しい御方でしたなぁ」

 果たして普段女らしかったかは、シオンに思い当たるふしが無い。ただ、他人の懐に入るのは上手かった。人に心を開くのも、開かせるのも、簡単にやってしまう。それは決して計算からでは無かった。

 とても強いのに、とても気安い。

 そういうところが、多くの者に彼女が慕われた理由なのだろう。

 国重の話に、生き生きとした姉の姿が思い浮かび、シオンはただ懐かしさを覚えたが、リザードマンたちには哀しみを思い起こさせたようだった。

「……それが、まことに、残念なことでした。我ら一族にとっても、光を失ったかのごとき哀しみ、今も忘れるこたぁ出来ません。そのご家族の哀しみとなると……如何ばかりかと」

 そう言い、無念そうに、国重はその目許を指で押さえた。

 周囲のリザードマンには、目尻を光らせる者さえ居た。

「でも、サクラは――姉は、楽しかったと、思います」

 急にしんみりとした雰囲気に、シオンは慌てて言った。

「アイツは、嘘はつかない奴で、それに、好きなことは、ちっとも我慢出来ない奴だった。きっと……ここの人たちが好きだったから、何度も遊びに来てたんだと思う……ます」

 とってつけたような変な言葉遣いを飲み込みつつ、シオンは自分の想いをしどろもどろと告げた。

「アイツは……いつもそうでした。生きてる間は、いつも楽しそうだった」

 シオンの言葉は逆効果で、若いリザードマンの何人かが、とうとう声を押し殺して泣き出した。

 屈強な男たちが、涙を隠しもせず、桜の死を悼んでくれる。

 彼らは一度家族となった者の喪失を、我が事以上に哀しむという。

 きっと桜は、社交的で優しいリザードマンたちに迎えられ、楽しい時間をここで過ごしていたのだろう。彼女の強過ぎる激しい闘争心にさえ、彼らは喜んで付き合ってくれた。

 そんな種族は、彼ら以外には有り得ない。

 だが、桜はもう、彼らに声をかけられない。

 あのときは楽しかったと、礼も言えない。

 当たり前だ。それが死ぬということなのだ。

 急にその存在が失われ、その存在が大きいほど、ぽっかり空いた穴も大きい。

 きっと、桜の最期を見た仲間たちもそうだった。


 あの日、あの場所には、同じ哀しみを持った人しか居なかった。

 それなのに、シオンは桜の葬儀で、誰ともまともに話せなかった。

 彼女を愛してくれた人たちのことを、誰も認めなかった。


 シオンが会いに行くと、父親は以前と変わらない様子で振舞っていたが、シオンには分かった。

 彼が、心からほっとしたということを。

 シオンが立ち直りつつあることに、父はようやく救われたのだ。

 そのくらい、葬儀での自分の姿は酷かった。その姿が、桜の大事な仲間を傷つけたんじゃないかと、今になって気にかかる。

 彼らのことを、シオンは無意識に責めていた。恨もうと思って恨んだわけじゃない。ただ、思わずにはいられなかった。


 どうして、皆で一緒に居たのに、サクラだけ置いてきたんだろう。

 どうして、サクラを連れて帰ってくれなかったのだろう。


 そう思った自分は、あのときどんな目で、彼らを見ただろう。

 桜が好きになって、桜を好きになってくれた人たちなのに。

 恨んでなんかいないと一言でも、自己満足でも、言いたい。


「オレは……見ての通り、ワーキャットで、アイツとは血が繋がってません」

 背筋を伸ばして座るリザードマンたちの前で、国重の前で、シオンも足の痺れを堪え、背を正した。

「だからこそ……姉以上に、大事な人でした。だからオレは、サクラが死んだことが、ただ辛くて……葬式でもまともに、鯛介さんにも……誰にも……挨拶出来ませんでした。……いや、したくなかった」

 ここに居た人たちも、かつて桜と懇意にしていた人たちだ。桜を受け入れて、剣を交えてくれた。

 その彼らが尊敬する長に、まっすぐ目を向ける。

「今になって、後悔してます……サクラとずっと一緒に居てくれた人たちや、サクラを好きになってくれた人たちに、弟として何も言えずに、逃げたこと……」

 シオンは家族としての桜しか知らない。

 そうじゃない場所で生きた彼女も居たのに。

 大勢のリザードマンたちの前で、シオンは畳に手をつき、頭を下げた。

「姉が、世話になりました。ありがとうございます」




 突然用事が出来たというシオンから、「仲間も一緒に来ていいって言われたけど、どうする?」と言われ、二つ返事でくっついて来た紅子は、彼の用事が終わるまで中で待つように勧められたが、いったん断った。

 滅多に来ることのない、リザードマンの居住区だ。

 せっかくなので散歩したい。

 びっくりするほど大きな車に乗って、外の景色を眺めているとき、近所に駄菓子屋さんを発見した。あそこに入ってみたい。

 たむろするリザードマンの子供たちの好奇の目も意に介さず、意気揚々と入った紅子は、そこに彼らに相応しいビッグサイズの駄菓子がたくさん並んでいるのだと思っていた。しかし案外、普段自分が目にするサイズの菓子ばかりで、がっかりした。

 串に刺さった酢イカの駄菓子が、容器に入って並んでいたのを、容器ごと二十四本を大人買いをし、羨望の眼差しを向ける子供たちに、勤労女子高生の財力を見せつけ、彼らを誘って外で一緒に食べた。

 腹ごしらえを済ませると、妹尾国重邸に戻った。

 リザードマン用に建てられた大きな家々の中でも、ひときわ大きな存在感を放っている。

 この家がどれだけ広いのか、塀に沿ってその外周をぐるりと一周してみたかったのだ。

 結果、三十分ほどかかった。

 汗を掻き、戻って来た彼女に、大柄なリザードマンの女性(と言っても皆大柄なので、彼女が特別大きいかは分からない)が、敷地内に招き入れてくれた。

 古めかしくも赴きのある日本家屋は、まさに御屋敷という言葉が相応しい。そんな屋敷が、敷地内に幾つも建っていて、渡り廊下で繋がっている。

 それだけの広い屋敷に、塵一つ落ちておらず、手入れが行き届いているのも驚いた。

 手入れされているのは、室内だけではない。

 離れの客間らしき一室に通されたのだが、そこから見える景色は、美しい日本庭園の写真集をめくっているようだった。

 築山の起伏に植木や庭石が美しく配置され、紅子の部屋くらいありそうな池に水が流れ、なんと小さな滝まで造られていた。

 リザードマンの庭師たちが、半被に鉢巻姿で手入れをしている。

 その光景すら、情緒ある風景の一部となっていた。

 しばらく眺めていると、四季を意識した初夏の花をあしらった上品な着物姿の、鮮やかな緑色の鱗を持つ女性リザードマンが、楚々とした仕草で訪れ、冷たい緑茶と和菓子を出してくれた。

 栗入りの羊羹に、紅子はごくりと大きく喉を鳴らした。

 腹も鳴った。

 リザードマンの女性は、聴かなかったことにしてくれた。

「どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。父と小野原様のお話が終わりましたら、お食事を出させていただきますわ」

 と微笑み、また去って行った。

 女性が去った後、紅子はさっそく高級そうな羊羹にぱくついた。散歩三十分で消費したカロリーを取り戻すべく、一口でいってしまった。

 口の中に入れただけで溶けていくような、それでいて後を引かない上品な甘み、そしてつやつやと輝く栗の、綻ぶような柔らかさ。

 おかわりは……有りだろうか?

 そんなことをぼんやり思っていると、はっと気付いた。

 誰かが居る。

 入り口に、おかっぱ頭の少女が腰に手を当て、仁王立ちしていた。

 明らかにリザードマンでは無い。見た目は完全に人間の少女である。

 紅子は驚き、声を上げた。

「……ざ、座敷わらしだ!」

「誰がよ!」

 白い長袖ブラウスの首許に、大きな黒いリボン。胸の下まで覆うハイウエストスカート。顔も体もちんまりと可愛い。きっと小学生だろうが、紅子がこのくらいのときは、こんなお人形みたいに可愛らしい格好は普段出来なかった。叔母さんがセールでゲットしてくれた洋服を、遊んで汚したりほつれたりするのを、やはり叔母さんが必死で染み抜きしたり繕ってくれて、着回したものだ。

 洋服だけでは無く、顔立ちも愛らしい。その顔は不機嫌そうにむくれているが、その怒っている顔すらも可愛い。

「なに、人のことをじっと見ながら、ぼけっとした顔してんのよ!」

 少女は小さな体で、どすどすどす! と大きく足音を立てながら、紅子の許にやってきた。

 小さくて可愛いのに、その歩き方が大股なのが、また可愛い。

「座敷わらしじゃないからね! あたしだって、ちゃんとしたリザードマンなんだから!」

 可愛いづくめの少女が、きっと釣り上がった目を紅子に向ける。さっきのリザードマン女性の鱗の色のような綺麗な緑色だ。

 どすん! と紅子の向かいの和風のソファに腰を下ろす。勢いが凄いのでそのくらいに感じるが、実際は体重が軽いので、とすん、くらいである。ミルクたっぷりの紅茶の色をした髪と、黄色いスカートがふわりと翻った。

 スカートからかぼちゃみたいなパンツが見えた。あれは、なんていう名前のパンツだっけ? と紅子は思った。そこから伸びる細い脚は、もうけっこう暑くなってきたというのに、黒いタイツでしっかり覆われている。

 彼女の服装を、お嬢様らしい素敵なお洋服だとばかり思っていたが、全身かっちり着込んでいて、暑そうだ。初夏なのに中々の寒がりさんである。

「あーあ、つまんない! おじいちゃんばっかり、シオンを独り占めして!」

 口を尖らせる少女に、紅子は首をこてんと傾げながら、言った。

「そうかな? つまんなくないよ。こんな広い御屋敷、見てるだけで全然飽きないよ」

 長い睫毛に縁取られた緑の瞳が、鋭く紅子を睨みつける。

「アンタはそうでしょうよ! 初めて来たんだから! ここはあたしんちよ! あたしにとっては、なーんにも面白くないの!」

「ここのおうちの子? そっか! あなたがキキちゃんだね! 私は浅羽紅子です! 家族や友達はこっこって呼びます!」

 すると、キキは呆れきった顔で、明らかに年上の紅子に、舐めきった口を叩いた。

「はぁ? 呼ばないわよ。アンタ、いつまでもそんなガキみたいな呼ばれ方してていいわけ?」

「親しみがあるかなぁって。そうだ。キッキちゃんって呼んでいい?」

「呼ぶなぁ! サルみたいじゃない!」

「そう? こっことお揃いみたいでいいと思ったんだけど」

「呼ばないって言ってるでしょうが!」

「じゃあ、キィちゃん!」

「だから、あだ名を作ろうとしないで!」

 キーキーと怒るキキを見て、来るときに小野原くんの言っていた通りだと、紅子は思った。

 センターで出会ったという、ハーフリザードマンの少女で、キーキーうるさくてキキというから、すぐ名前が憶えられると言っていた。

「あの、羊羹のおかわりは貰えますか?」

「はぁっ? 知らない! ていうか我慢しなよ! おばあちゃんたちが夕飯作ってるよ!」

「もっちろん、ご飯もモリモリ食べられるよ!」

「意地汚いこと言ってんじゃないわよ! 恥ずかしくないのっ?」

 ひとしきり怒鳴り散らしたのち、はぁはぁ、と息をつく。

「……な、なんかアンタには、何を言ってもムダなような気がする……」

「えへへ。恐縮です」

 三つ編みを指でいじりながら、紅子が照れくさそうに笑う。

「褒めてない! なんなの、人間の女って変なのばっかり!」

「人それぞれだよ。十人十色と言って……」

「そういうことじゃない!」

 キキは叫び、はぁはぁはぁ、と息を吐いた。

「シオンの姉さんが、あ、あの女だったなんて……」

「小野原くんのお姉さん? 強くてかっこいい人だよね! 会ったことないけど憧れちゃうよね」

「会ったことない奴に憧れるな! アンタが思ってるより、怖い奴なんだよ!」

「そうなの? 小野原くん、お姉さん大好きだよ?」

「シオンは知らないんだよ……自分より大きなリザードマンをポイポイ放り投げちゃうし……子供だって容赦無いの。あたしは、あの女はヤバいと思ってた。だから近づかないようにして、いつも遠くから見てたの。でも……あるとき、あいつはあたしを見て、にたって笑ったの……」

 キキは自分の小さな両肩を抱き締めた。

「アイツは、あたしに手招きして……あたし、怖かったけど、足が動かなくなっちゃったの」

 よほど恐ろしかったのだろう。思い出すだけで、その肩をカタカタと震わせる。

「そ、そしたらどんどん近づいてきて、とうとう、あたしの目の前に……」

 ごくり、と紅子も喉を鳴らす。

「そ……それから?」

「……き……『今日食べるリザードマンは、アンタにしようか?』って……」

 きょとん、と紅子が目を丸くする。

「リザードマンって、食べられるの?」

「お前もかぁ! う、うわぁぁぁあん! おじいちゃぁん!」

 慌ててガタンと立ち上がり、キキが部屋の外に飛び出そうとすると、いつの間にかそこに立っていた少年にぶつかった。

「うぎっ!」

「ぐっ……」

「あ、小野原くん」

 キキはシオンの胸に顔面をぶつけ、シオンはキキの見た目からは想像出来ない石頭から繰り出された一撃に、一瞬呼吸が止まった。

 それでも小さな肩を両手で支え、その頭をぽんぽんと撫でた。

「言いそうだな、アイツが。悪かったな、サクラがビビらせたみたいで」

 誰よりも弄り倒されていた身としては深く同情するし、弟として申し訳無く思う。

「キキと遊びたかったんじゃねーかな。アイツは可愛いのが好きだったから」

 基本的には、桜は人懐こく、誰かと居るのが好きなのだ。動物や子供も好きだった。その可愛がり方に問題はあるが。

「えっ?」

 シオンの胸から顔を上げたキキは、涙目のまま、分かりやすく顔を赤らめた。

「か、可愛い? ……んしょ」

 と言いながら、さりげなくシオンのTシャツで、ごしごしと目許を拭った。

「うん! お人形さんみたいだよね」

 紅子もにこにこ笑い、大きく頷く。

「そ、そう?」

 ぱっとシオンから離れ、キキはもじもじとスカートの裾を掴み、自分の体を見下ろした。

 それから、シオンと紅子を見やり、また俯く。

 二人はしばらくその挙動を見守っていたが、やがてキキが小さな声で呟いた。

「に……人間から見ても?」

「うん。可愛いよ!」

「オレ、人間じゃないけど」

 キキは顔を上げ、じたばたと地団駄を踏んだ。

「し、シオンはけっこう、人間じゃない! そんな耳と尻尾くらい、ヨユーだよっ!」

 シオンは耳を動かしながら、首を傾げた。

「お前のほうが、人間っぽく見えるけど」

 その言葉に、キキは途端に体を強張らせ、顔を引き攣らせた。

「あっ……あたしのはっ……か、可愛くないの!」

 そして、また泣きそうな顔で、唇をぎゅっと引き結ぶ。また何かを思い出しているのか、今度はぶるぶると大きく肩を震わせた。

「……が、学校も行けないし……」

「キキちゃん、小学校行ってないの?」

「誰が小学生よ! ちゅ、中一だよっ!」

 紅子の言葉に、顔を赤くして怒鳴る。

 なったばかりの中学一年生など、小学生とほとんど変わらないが。ましてキキはリザードマンの血が入っているとは思えないほど小柄だ。

「別に、行きたくないけど!」

 と言いつつ、すでに感情が素直に表れている瞳には、涙が溢れかかっている。いまにも「うわぁぁぁん!」しそうなキキの肩に、シオンは手を置いた。

 こうやっていじけていた自分に、いつも桜がそうしてくれた。厳しくぶっ叩かれもしたが、優しく撫でてもくれた。誰よりも強い彼女が自分の味方だということが、強かった。

「大丈夫だ。そんなの、気にすることない」

 誰に嫌われても、そう言ってくれる人が居たから、シオンは人間ばかりの中でも生きていけたし、今も生きていける。

「シオン?」

 真剣な顔で見下ろす少年の目を、キキは見返した。可愛がってくれる一族の皆の、優しい瞳とは違う。護るべき幼子を見る目ではない。

「キキは、リザードマンとして、冒険者になるんだろ? だったら、オレと一緒に仕事をしよう」

「えっ」

 と声を上げたのは紅子のほうだったが、シオンはキキだけを見ている。

「オレと浅羽は、妹尾国重さんから依頼をもらった。ダンジョンでの仕事だ。同行者にオレと浅羽、それからお前に依頼したいと言っていた。後でセンターを通して、お前を指名する連絡が入るだろう。ちゃんとした仕事だ。無理だと思ったら受けなくていい。でも、やるんなら」

 一人の冒険者として、同業者として。

 ぽかんと口を開けるキキに、シオンは告げた。

「もうお前のじいちゃんは、お前を護ってくれないぞ」

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