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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
21/88

亜人娘の憤慨

「護衛?」

 あまり良い印象の無い依頼に、シオンは思いきり顔をしかめてしまった。

「正直ですね、小野原様」

「まだ何も言ってない」

「いえ、お顔に出ています」

 馴染みの新宿冒険者センターの職員は、いつものように表情を動かすことなくそう言った。


 シオンがこのセンターに冒険者として登録し、週に二、三回は通うようになって、二年目になる。

 職員の顔ぶれはたまに変わるが、ほとんどが見知った顔だ。彼らとは仕事上のやり取りだけで親しく話すことは無いが、それでもシオンが顔を出せば、「こんにちは、小野原様」とすぐに声をかけてくれるくらいには、シオンもここに馴染んでいるのだろう。

 特に、この女子職員は、いつも窓口業務をてきぱきとこなし、仕事を求めて並ぶ冒険者の列を捌くのが早い。多少癖の強い冒険者を、慣れた様子であしらう百戦錬磨だ。相手が荒っぽい男でも、見た目のいかつい亜人でも、決して同じ態度を崩さない。他の受付嬢からも先輩と呼ばれ慕われているようだ。

 後れ毛一つ無くぴっしりまとめられた髪型と細身の眼鏡が、いかにもきっちりとした、悪く言うと神経質そうな印象を与える。美人だが、それより厳しさのほうが表に出ている。

 いつも淡々と仕事を勧め、これはあまり受けたくないな、という仕事であっても、彼女相手だとどうにも断り辛い。無理強いはしてこないが、確かに彼女の勧める仕事内容はレベルと力量に適正で、断るほうがごねているような気になるのだ。

 シオンもよく仕事を紹介してもらうし、紅子の冒険者登録にも立ち会ったこの受付嬢の名は、岩永舞香というらしい。毎週その顔を見ているのに、二年目になって、シオンは初めて知ったのだった。

 そもそも今まで、彼女たちの名を気にしたことも無かったのだが、いつも紅子が「こんにちは、岩永さん!」と挨拶をするので、覚えたのだ。

 今日、「こんにちは、小野原様」と挨拶されたときに、「こんにちは、岩永さん」と返してみたら、いつも無表情な彼女が珍しく、物凄く驚いた顔をされた。

 ちなみに、どうして浅羽は知っているのかと尋ねたら、きょとんとした顔で窓口を指差された。そこには『本日の担当は岩永舞香です』というプレートが、毎回出ていたのだった。二年通っていて初めて気づいた。

「条件は整っていると思いますが……。都内から片道二時間以内のダンジョンで、比較的モンスターの少ない場所。日帰りで終わる仕事です。依頼者の金銭的なご事情で、二人以下のパーティーの付き添いが欲しいと」

「でも、浅羽はまだ三回しか仕事したことねーぞ」

 当の本人は、学校に行っている。平日の間に仕事を探すのは、シオンが進んで引き受けている。

「特に、回数は関係無いかと思いますが」

「依頼者からの信頼の問題だよ」

「小野原様はレベル11。充分かと。浅羽様は経験こそ浅いですが、将来ご有望な魔道士ソーサラーでいらっしゃいますし」

「つっても、人が関わるのはな……」

 依頼者同行となると、相当に気を遣う。人付き合いが不得手なシオンは、護衛依頼が苦手だ。

「出来ればお若い方に受けていただきたいとのご希望でして」

「何で?」

「そうですね。依頼者がお若いからじゃないですか」

「またか……」

 少し前にやった、新米冒険者の引率を思い出し、シオンは眉をひそめた。

「引率では無いですよ。数名の大学生で、卒論の資料集めだそうです」

「そつろん?」

「卒業論文です。ご存じ無いですか?」

「分からない」

「大学生が卒業前に提出しなければならない、一、二年かけてやる壮大な宿題だと思ってください」

「そんなものが……」

 勉強が苦手だったシオンは、考えただけでぞっとした。

「でも、なんでそれとダンジョンが関係あるんだ?」

「卒論のテーマは人それぞれですから。ちなみに私は『アンデッドモンスターの存在意義と、物質界と精神界の融和性について』というテーマの論文を提出しました」

「あ、う、うん? 何だって?」

「私の場合、結果としてこの論文が、センターへの就職に有利に働いたので、力を入れている学生も多いと思いますよ。冒険者、ダンジョン、魔物関係の仕事に従事したい方も、いまは結構居ますから」

「アンタ……岩永さんも、冒険者関係の仕事がしたかったのか?」

「私は安定性があれば何でも」

「そ……そうか」

「卒論のテーマもしっかりしていますし、先方もよく調べておられますよ。今回希望のダンジョンは土日で二日かけて、五つから六つ。タイムスケジュールもしっかり組んであって、一日ごとに日帰り。私も拝見いたしましたが、無理の無いルートだと思います。報酬額はそれほどでも無いですが、ほとんどのダンジョンが安全ですし、場合によっては随行者の判断で探索中止になっても、報酬は支払うということです。内容としては悪くないと思いますよ」

「まあな」

 岩永の言う通り、条件は悪く無い。

「浅羽様のダンジョン経験を積むという意味でも、お勧めです」

「うん……」

 ようは、シオンたち側の事情を、岩永は踏まえてくれているのだ。

 たしかに、そろそろダンジョンに潜ってみても良いと思っていた。

 ただ、護衛や引率の仕事は、自分だけではなく他人の命まで預かることになり、責任の重さが違う。そのプレッシャーと、何より見知らぬ他人と接するのがシオンは苦手なのだ。

 特に人間の学生に苦手意識が強いのは、かつての学校生活での、嫌な思い出に起因している。

 しかし、さきほどより気持ちは揺らいでいる。条件の良さよりも、その『そつろん』という大変な宿題に取り組んでいるのなら、手伝ってやりたい気もした。

「ただ、浅羽は山菜とキノコ採りしかしたことが無いのに、護衛依頼なんて荷が重過ぎるんじゃないか? ダンジョンに潜ったことすら無いのに……」

「そこです、小野原様」

 と、岩永がパソコンのモニターに目線をやる。

「浅羽様は四月に冒険者になってから、計三回の依頼をすべて問題無く完了させておられます。その間に遭遇したモンスターとの交戦も、ゴブリン、鬼熊、ワイルドボア、オーガ、大ガラス、黒犬ブラックドック、オーク、トロルその他諸々……討伐記録としては立派なものです」

 さらっと岩永の言うことは、すべて事実である。たかが山菜やキノコ採りを三回やっただけで、このモンスターとの遭遇率。

 紅子から何か魔物を引き付ける匂いでも出てるんじゃないかと、真剣に思ったこともあった。

「小野原様」

「ん?」

「一つ、提案してもよろしいでしょうか」

「何を?」

 細い眼鏡のフレームを、指先ですっと押し上げ、岩永が真っ直ぐにシオンを見る。

 少しだけ小声で、彼女は言った。

「浅羽様のレベルを上げることを、お勧めいたします」

「上げるって……」

「浅羽様が冒険者を志したのは、なるべくたくさんのダンジョンに入りたいということでした。そうなるとレベル上げは必須です。小野原様もご存知でしょうが、レベルに応じて解放されるダンジョンがあるからです」

「ああ……それは分かるよ」

「ましてや浅羽様にお仕事をしていただけるのは、週末のみです」

「そうだな」

 シオンは頷いた。

「レベル自体は、真面目にお仕事をなさっていれば、もちろん自然に上がります。ですが、意識して仕事を選んでいけば、短い期間で効率良く上げることが可能です」

「可能……なのか?」

「可能です。仕事の質を選ぶんです。ロールプレイングゲームのレベル上げで考えてみてください。あれは敵を倒した経験値でレベルアップしますよね。そこでちょっと無理して自分より強い敵を倒せば、苦労したぶんより多くの経験値を得られて、早くレベルアップできますよね。それと同じです」

「オレ……ゲームしないから」

「あら。それは申し訳ありません。長々と……」

 コホン、と岩永は一つ咳払いした。

「でも、意味は分かった。ようは、同じ一つの仕事でも、受けた内容とその難度によって、協会からの評価に違いが出るってことだよな」

「その通りです。では、話を続けますね。レベルを上げたい方は、ひとまずレベル2を目指し、その次はレベル5を目指します。レベル2と5というのは、受けられる仕事の幅が広がる目安となるレベルです。レベル1とは、仕事をやったことが無い人でもレベル1ですからね」

「うん……」

 小難しい話……というわけでは無いが、この手の話をしていると、だんだんと集中力が無くなってくるシオンは、猫の耳をピクピクと動かしながら、なるべく理解しようと努める。

「今しがた冒険者になったばかりの方と、一ヶ月で三回の仕事をこなし、それなりのモンスターと渡り合ってきた浅羽様と、同じレベル1で適性だと、小野原様は思われますか?」

「そりゃ、思わないけど」

「これは私の予想ですけど、おそらく次の仕事の後、浅羽様のレベルは早々に2に引き上げられるかと思います。ここだけの話にしておいてくださいね。あくまで私の予想ですから」

「う、うん……」

「このレベル上げの直前に受けた仕事の内容如何では、もっと上のレベルまで一気に引き上げよう、という話になるかもしれません。いきなり5とは言わないまでも、3、4くらいまでは、可能性としてあります」

「早くないか?」

「早い人はこんなものですよ。小野原様も確かレベル8の後、一気に10まで上がっておられましたし」

「そうだっけ」

 レベルを気にして仕事をしたことが無いので、憶えていない。特にやりたいことも目的も無く、言われた仕事ならとりあえず受けていたので、気にする必要も無かったのだ。

 だが、この理知的な受付嬢が言うことは、一概にお節介とも言えない。

 より幅広い仕事をしたければ、レベルを上げたほうが良い。

 レベルとはつまり仕事評価だ。高ければ高いほど、冒険者協会もその冒険者を信頼している。腕が良くても同じような難度の仕事ばかりしていると、レベルは上がらない。

 単純に、強さ=レベルでは無いので、能力は高いが低いレベルに留まっているという者もいる。以前、鬼熊と戦ったときに出会った自称サムライの人(名前を忘れてしまった)は、たしかレベル8だったなとシオンは思い出した。彼は、レベル11のシオンより強かった。鬼熊の仔を手にかけようとして武器を弾き飛ばされたとき、はっきり思い知った。多分、まともに戦ったら勝てない。

 スポーツじゃあるまいし誰かと戦って勝つ必要も無いのだが、そのときのことを思い出すと、少し悔しい。姉に毎日ボコボコにされていた日々にあった、誰かに負かされる感覚を思い出すのだ。

「……小野原様」

「ん?」

「ものすごくお顔に出てますが……何かお辛いことでも?」

「あ……いや。何でも無い」

「そんなに、浅羽様のことがご心配ですか?」

「いや、まあ、それもあるけど」

 紅子のソーサラーとしての能力は、誰よりもシオンが解っている。彼女の目的のためにも、そろそろ違う仕事にも挑んでみて良いとは思う。

 岩永の言うことは決して差し出がましくない。紅子の意向も汲んだ上でのことだ。それに、いい加減な仕事選びでは無く、安全な仕事を勧めてくれている。

「あくまで一職員からの提案です。もちろん小野原様の考えでお仕事は選ばれてください。ただ、小野原様がそういった慎重な方で、仲間思いでいらっしゃるからこそ、あえて勧めさせていただきました」

 硬い表情を崩し、柔らかく笑う。

「ご自身の仕事選びはけっこう大雑把な小野原様が、浅羽様のことが心配でしょうがなくて、踏ん切りがつかなくていらっしゃるんですよね?」

「あのな……」

 その通りではあるが、はっきり言われると気恥ずかしい。

「小野原様、またお顔に出てらっしゃいますね」

「……別に」

 真っ赤になった顔を背け、素っ気無く返すシオンに、岩永は優しい目を向け、くすりと笑った。

「お若いというのは、いいですね。私にもそんな頃ありました」

 そんなに歳っぽくも無いのに、とシオンは思いつつ、同時に彼女が私事を口にしたことが意外だった。

「へえ……アンタ……いや、岩永さんも、そんなことあったのか」

「誰にだって青春はありますよ。終わりますけど」

 ふう、と息をつき、珍しく彼女は遠い目をした。その目にシオンでは考えもつかないような悲喜こもごもを味わった人間の深みを見た気がして、とりあえずそこには触れず、仕事の話に戻った。




 結局、勧められた護衛の仕事を受けることにした。

 他の仕事も幾つか見せてもらったが、結局これが条件は一番良かった。

「それでは、こちらをお受け頂くということで」

「ああ」

「それでは、こちらの書類にサインをお願いします」

 シオンが渡されたボールペンを取ったとき、小さな影が走り込んできた。

「ちょっと! 話が違うじゃない!」

 横から割って入ってきた少女に、シオンは凄まじい勢いで突き飛ばされた。

 隣の窓口でやはり書類を書いていた他の冒険者にぶつかってしまった。

「うわーっ! オ、オイ! 俺は書類書いてたんだぞ!」

「あ、わ、悪い……」

 何やら長々と書いていた書類に、ぐにゃぐにゃとボールペンのインクが走った後で見せられ、シオンは思わず謝ってしまった。

 その窓口の受付嬢がのんびりと言う。

「書き直しですねー」

「クソッ……いや、悪いのはボウズじゃない、そのガキだ!」

 怒る人間の中年男が、シオンを突き飛ばした少女を指差した。

「なんでガキがこんなとこにいるんだ! 割り込みすんなよ!」

「割り込みじゃないもん! それに、あたしはアンタらと同じ冒険者よっ!」

 シオンより小さな少女が、自分よりも遥かに年上の男に向かって、尊大な態度でそう言い返す。

 シオンや紅子でも目立つ冒険者センター内で、よりいっそう目立つほど幼い。小学生か、せめてもう少し大きいとしても、中学生だろう。

 首許にフリルと大きなリボンのついた白い長袖ブラウスに、黄色いミニスカートを履いている。初夏だというのにタイツを履き、よく見ると手袋まで着けており、顔以外に肌の露出が無い。

 薄茶色の髪は、顎のラインで揃えたボブカットで、前のほうがやや長く、襟足に向かって短く切ってある。頭にはスカートと同じ黄色のベレー帽を被っていた。それにもリボンが付いている。

 少女は岩永を指差し、なおも怒鳴った。

「そこの窓口の女の人が、あたしに仕事探してくれるっていうから頼んだのに、保護者同伴必須なんて書いてあったから、慌てて戻ってきたのよ! あたしの話のほうが先なの!」

「はぁっ? お前みたいなガキなら保護者同伴で当然だろーが!」

「ガキじゃない! あたしたちの一族じゃ、もう立派な大人だもん! みんなこのぐらいで冒険者やってるわ!」

 書類を駄目にされていきり立つ男と、割り込み少女が、怒涛の言い争いを始めてしまった。

 それを男の窓口の受付嬢が宥める。

「鈴木さーん、書き直したら済むことですよー。ちゃっちゃと書類書いちゃいましょうよー」

「ぐ……クソっ、うちのマンション名がどんだけ長いと思ってやがるんだ……!」

「本当に悪かった」

 シオンは完全にとばっちりだが、これ以上自分の近くで揉めてほしくないので、男に頭を下げた。

 それを少女が、呆れたように見やる。

「なんでアンタが謝ってんのよ? なんか腰低いワーキャットね」

「なんてガキだ……親の顔が見たいぜ」

 隣でブツブツと男が呟いている。ふん、と少女も鼻を鳴らした。

「どいて、ワーキャット。あたし、この女の人と話があるの」

「いや、オレも書類書くから、どけられない」

「なんですって?」

 シオンの返答が案の定気に入らなかったのか、気の強そうな瞳で、きっと睨みつけてくる。

 見た目は人間の少女そのものだが、その瞳の色は鮮やかな緑色だ。

 おそらく亜人の血が入っている。

「ちゃんと番号札取って並べよ。オレの後にも人が並んでるんだから」

「あたしはさっきこの人から仕事もらったの! でも、内容があたしの希望と違ったの! あっちの落ち度よ! だったら、順番とか関係ないでしょ!」

 可愛らしい顔立ちをしているが、素直に可愛いと思えないのは、甲高い声で喚き続けているからだろう。

 興奮してまくしたてる少女に、シオンはつい耳を下げ、顔をしかめた。

「……キーキーうるさい……」

「何よ!」

「妹尾様。さきほどお渡ししたお仕事の書類を、とりあえずおうちに持ち帰られて、お祖父様にご覧になっていただいてください」

 岩永がいつもの冷静な顔で、こんな喧騒など耳に入っていないかのように、静かに告げた。

 だが、少女は納得しない。手にした書類を、ばん! とカウンターに叩きつけた。

「おじいちゃんは関係無いわ! もう冒険者になったもの、あたしが仕事を選んで、あたしが仕事するの!」

「妹尾様は条件付冒険者ですので、私共はまずお祖父様のご意向を伺っております。それが決まりですから」

「条件付きって何よ! 一族のみんなはあたしと同じ歳で冒険者になったわ! なんであたしだけそうなるのよ!」

「それは私からもご説明は出来ますが、お祖父様としっかりお話なされたほうが良いかと思いますよ」

「あたしは立派なリザードマンよ! なんで冒険者になったのに、いつもいつもおじいちゃんと一緒にキノコ採らなきゃいけないわけっ?」

「ぶっ」

 怒り狂う少女の言葉に、思わず吹き出してしまったシオンに、周囲で呆気にとられて聞いていた他の者も、つられて笑い出した。

「な、なに笑ってんのよ、アンタたち!」

 真っ赤な顔で、少女が周囲に怒鳴り散らす。

「り……立派なリザードマンだってよ……」

「お、おじいちゃんとキノコ採り……」

「……カワイーじゃねーか……」

 周囲の声に、シオンも口を押さえ、笑いを堪えていたが、ふるふると怒りに拳を握る少女と、その背後でやはり吹き出した岩永を見て、火が点いてしまった。

「ぶっ……あははは!」

「わ、笑うなぁ! なにこのワーキャット男!」

「だってキノコ……ぐっ」

 再度笑いを堪えようと努力したが、周りが笑うのを止めないので、つられてしまう。

「ダ、ダメだ、おかしい……!」

「なっ、何がおかしいのよ! なんなのよ、このセンターはっ!」

 激昂する少女の生意気ささえも、滑稽で可愛らしく見えてきて、センターは温かい笑いに包まれたが、大勢の大人に寄ってたかって馬鹿にされたと感じたのか、少女は唇を噛み、スカートの裾を掴んで、わなわなと震えている。

「サイッテー! 笑うな、バカァ!」

「い、イテッ! いたたたた……!」

 少女がシオンの尻尾を掴み、引っ張る。急所を無遠慮に握られ、本来死ぬほど痛いはずが、笑っているのでその痛覚も和らいだ。目の端に涙が浮かぶのが、痛みの所為なのか笑いの所為なのか判らない。

「笑うなってばぁ!」

 少女のほうも、もはや泣きそうなほどだったが、普段あまり声を出して笑うことが無いシオンは、一度ツボに入ると笑いが止まらないのだった。




「こんなもので、あたしを懐柔出来ると思ってんの?」

「……はぁ」

 自らをリザードマン族だと言う少女は、チョコレートパフェを挟んで、シオンを睨み付けた。

「いや、お前がすげー泣くから、とりあえず連れてきただけで……」

「泣いてない!」

 顔を赤くして、テーブルをばん! と叩く。《スイーツハウス・ぽっぷすらいむ》店内のまばらな客が、驚いてシオンたちのテーブルを見る。シオンの耳も勝手にピンと立った。

「分かった。悪かったよ。店の中で騒ぐな」

 センター内で大泣きした所為で、少女の瞼は赤く腫れ、長い睫毛はまだ濡れていた。

 どうしてこうなったのか。

 シオンも仕事を受けるのに必要な書類をまだ書いていないというのに。

 この後でまた窓口に行くからと岩永に告げ、大声で泣き喚く少女を連れ、とりあえず下まで引っ張ってきた。

 が、それ以上どうしていいのか分からないので、結局のところ少女の言うように、食べ物で懐柔することにしたのである。

 泣き喚くのも疲れたのか、今度はシクシクと泣く彼女に、かなり下手に出て謝罪し、お詫びに何か奢ると言うと、ようやく許しを得た。

 彼女としても、このままトボトボと帰路につくのは嫌だったのだろうし、笑いものにされたセンターに戻るのは、もっと嫌だろう。

「溶けないうちに食えよ。オレは小野原だ。お前は?」

「……カード」

「え?」

 パフェにはまだ手を付けず、シオンを睨み付けながら、少女は言った。

「同じ冒険者に名乗るなら、冒険者カード見せなさいよ。礼儀でしょ」

「ああ。そうだな」

 シオンは腰のポーチから、冒険者カードを取り出し、テーブルに置いた。

「バッグの一つも持ってないの? ダッサい。うちのおじいちゃんみたい」

「手に持ってると失くすからな」

 リザードマン用のウエストポーチはさぞベルトが長いのだろう、とシオンは想像した。

 口の減らない少女に、それ自体はあまり腹は立たない。キーキー怒鳴られるのは煩くてかなわないが、口の悪い女には慣れている。

「小野原シオン……ファイターか。ま、ワーキャットだもんね。なによ、あたしとあんまり歳変わらないじゃない」

「そうなのか?」

 そうは見えなかったが、見た目より年齢は高いのだろうか。

「そうよ。あたし十二だもん」

「全然違うじゃねーか。四つも」

「三つよ! 今年十三だもん!」

「オレも今年十七だよ」

「細かい男ね!」

 カードをテーブルに叩き付けられるように、返される。

「なんでそうなるんだ……?」

 戻ってきたカードを仕舞うと、少女は相変わらずパフェには手を付けず、口を尖らせている。

「せっかく頼んだんだから、食えよ。溶けるぞ」

「食べるわよ」

 細長いスプーンを手に取り、少女が鼻を鳴らす。

「レベル11って、全然見えない。アンタすごく弱そうだもん」

 そこにふてくされていたのか。

 キノコ採りばかりしているらしい彼女は、おそらくレベル1なのだろう。

「レベルは強さじゃない。オレは仕事を続けてるだけだ。この前、レベル8の人に負けたし」

 そう言うと、少女は初めてシオンに興味を持ったように、尋ね返した。

「負けたって、なんでよ。仲間割れ?」

「たまたま仕事で一緒になった人と、意見が割れたんだよ」

「それで、ケンカになったの?」

「いや、武器を叩き落とされただけだ」

「なーんだ。それだけか。そんなの、全然戦いじゃないじゃん」

 少女はようやく、パフェの一番上のクリームを掬って、口の中に放り込んだ。

「そうだな。本当の戦いだったら、オレは腕を斬り飛ばされてた」

 一度食べだすと、遠慮無くなったのか、ぱくぱくと大きなパフェを平らげていく。シオンなど見ているだけで胸焼けしそうな代物だが。

「それは、アンタがワーキャットだからでしょ。リザードマンなら、簡単に腕を飛ばされたりしないわ。硬くて強くて、勇敢なんだから」

 よく見るリザードマンはそうかもしれないが、少女の体が硬くて強そうには見えない。

 もちろん純血種では無いだろうが、きちんとした家柄の娘だというのは分かる。

 でなければ、十二歳で冒険者の認定が下りるなど、亜人でも難しい。

 身元がかなりしっかりした、それなりの力を持ったリザードマン一族の娘なのだろう。

 リザードマンは一族同士の繋がりが濃密で、大昔から氏族ごとに集落を作り、それぞれの土地に根付いたと言う。その一帯に住むリザードマンはほぼ皆同じ名字で、辿ればすべて同じ祖先になるというほどだ。

 それほど強い結束を持つが、亜人の中でもっとも人間社会と巧く付き合っている種族とも言われる。人間とほど遠い外見にも関わらず、人間社会にもっとも溶け込んでいるのは、リザードマン同士が人間を傷つけることや法を破ることに、非常に厳しく目を光らせているからである。

 人間のほうもそんな彼らに敬意を払い、彼らが人間より早く成年することを認めている。

 彼女のような若者であっても、一族がしっかりと身許を保証することで、冒険者の認定が下りるのだ。

「お前は、カード無いのか?」

 シオンは何も頼んでいないので、テーブルの上で頬杖をつき、少女の中々旺盛な食べっぷりを見ていた。

 紅子といい、どうしてこう小さな体にあの大きなパフェが、やすやすと入っていくのか。

「あるけど、いま出せない。食べてるから」

 礼儀はどうしたのだろうか。

 まあ、別に見なくてもいいが。

「名前は?」

 少女はスプーンを動かす手をぴたりと止め、一瞬言いたくなさげな顔をした後、短く答えた。

「キキ」

「キキ?」

「猿の鳴き声じゃないわよ」

「分かってるよ」

 自分の名前があまり好きでは無いのか、少女はあからさまにむすっとした顔をし、無愛想に言った。

 きっと、猿の鳴き声みたいだと、からかわれたことでもあるのだろう。

「いい名前だな」

 シオンがそう言うと、キキの気の強そうな瞳が、急に真ん丸になった。

「な、何よ……お世辞言うワーキャットなんて、変なの」

「お世辞じゃないけど」

 ワーキャットは嘘が下手なことで有名な種族である。というか、どうせ尻尾や耳の動きでバレてしまうので、最初から付かない。

 シオンもしごく真面目な顔で、言った。

「いい名前だと思う」

「そ……、そう?」

「うん。似合ってるし、覚えやすい」

 頷きながら、シオンはそう答えた。名前を覚えるのが苦手なシオンでも、本当にとても覚えやすい、良い名前だと思った。今も黄色いスカートを履いているし、キーキー煩いので、彼女のイメージにぴったりだ。

「……変なワーキャット」

「そうか?」

 顔を赤らめながらも、キキは少し気を良くしたようだった。

「名字は妹尾よ」

「妹尾……」

 よく聞くリザードマンの名字の一つである。

 たしか、最近そういう名の人を聞いたような……。

「そういえば、オレも妹尾ってリザードマンに用があったんだ」

「あたしんちの周りは、大体みんな妹尾よ。下の名前は?」

「……えーと、家にメモが」

 ピクピクと動くシオンの耳を見ながら、キキは白けた目を向けた。

「用があるのに忘れてんの? ワーキャットってほんと忘れっぽいのね。どーせ大した用じゃないんでしょ」

「いや、そんなことは無いけど。家族が昔……世話になった人で」

「ふーん」

 死んだ姉の桜とよく仕事をしていたという、リザードマンの冒険者だ。

「なんか、変な理由。昔世話になった人に、いまさら家族のアンタがお礼を言うの? なんで?」

 キキは子供らしい好奇心と無邪気さで、ずけずけと首を突っ込んでくる。

 それでいて、なかなか鋭い。

「もしかして、その家族って、もう居ない人?」

 別に隠したいことでもないので、シオンは素直に答えた。

「ああ。オレの姉さんなんだけど……冒険者をやってて、死んじまったんだ」

「いつ?」

「二年くらい前」

「そんなに前の話なのに、今更?」

「最近まで、オレもそのことにちゃんと向き合えなかった。たしかに今更だけど、姉さんの生きてたときのことを、知りたくなったんだ。会ってみたい人の一人が、その妹尾さんってリザードマン」

「そいつが、シオンのお姉さんの仲間ってこと?」

 パフェのアイスクリームを掬いながら、キキが尋ねる。人目を気にせずあんぐり口を開ける様子は、やはりまだ子供っぽい。

「ああ。姉さんとよく一緒に仕事をしてた人だって、父さんに聞いて」

 桜の仲間の中では、今もよく線香を上げに来てくれていて、冒険者も現役で続けていると聞いている。

「……死ぬまで、姉さんがどんなふうに仕事してたかとか、最後にどんなふうだったか、知りたいと思ったんだ」

 冒険者としての姉の姿で、シオンが憶えているのは、去っていくときの後ろ姿と、散々暴れて帰ってきたときの、ボロボロの姿ばかりだ。

 実際に仕事をしている彼女を見たことが無い。

 たった一年ほどの短い時間で、彼女はレベル30まで駆け上がった、信じられない経歴の持ち主だ。

 それだけの凄腕の冒険者が、シオンの知っている姉の姿と上手く重ならない。強い人だというのは嫌というほど知っているのだが、姉はやっぱり姉だった。

 家ではゴロゴロ寝転がって菓子を食べながらテレビを観て、弟を顎でこき使って、好き放題蹴ったり殴ったり尻尾を掴んで引きずり回したり……。

「え、ちょっと、泣かないでよ?」

「いや……泣いては無いけど……色々思い出して……」

 キキが苦渋の顔をするシオンを見て、少し慌てたように言う。

「なんか、悲しいこと思い出しちゃったの?」

 スプーンをバナナに突き刺しながら、同情的な目を向ける。

「悲しいといえば悲しいけど……」

 どちらかというと、痛い思い出ばかりである。

 けれど、今ではそれも懐かしい。

 シオンは少し笑い、呟いた。

「ちょっと、姉さんのことを思い出したんだ」

 最近は、もっと良いところを思い出そうとしても、何故か暴力的な姿ばかり思い出してしまう。

 ある意味、彼女と過ごした日々のことを、明るく思い出せるようになったのかもしれないが。

 ぼんやりと笑うシオンの様子が、キキには酷く意気消沈して見えたようだった。

 きっと、大切な人を失って、その悲しみから抜け出せないのだ。

「アンタってシスコン……好きだったのね、お姉さんのこと」

「……そうだな」

「じゃあ、すごく辛かったのね」

「うん」

 素直に頷く少年が、キキには変わった男に見えた。

 十六歳でレベル11なら、相当仕事の出来る、立派な冒険者だ。

 なのに、キキのような初対面の子供に、少しも取り繕わない。よく大人から怒られる彼女の無礼な物言いにも腹を立てず、真面目に受け答えをする。

 別に、何も話さなくてもいいのに。周囲の大人が、キキを子供扱いするように、適当にあしらって、適当な返事をしたらいいのに。

 リザードマンは心も体も頑強だ。一族の男たちを見ているから、簡単に弱みを見せる男なんて、格好悪いとキキは思っていた。

 でも、このワーキャットの少年のことは、あまり不愉快に思わなかった。

「あのさ、シオン」

「ん?」

 いかにもワーキャットらしい金色の目が、キキを見返す。

 何も考えてなさそうな、ぼうっとした表情。

 物事を深く考えたがらないのは、人間社会に生きるワーキャットの典型だと、よく言われる。


 一般的に有名なワーキャットの特徴は――よく言われるのが、とにかくマイペース。

 刹那的で、その日暮らしを好む。

 話を聞かない。約束を守らない。待ち合わせに遅れる。すぐ裏切る。

 辛いことや苦しいことが嫌い。学校や勉強が嫌い。

 努力が出来ない。すぐ楽なほうに流れる。快楽主義。

 犯罪者になる率の高い亜人種族、毎年一位。

 犯罪に巻き込まれる率の高い亜人種族、毎年一位。

 最も獣堕ちの多い亜人でもある。

 それでいて極悪人になるほどの知恵も胆力も無く、チンピラや小悪党が多い。

 亜人たちの中で、ワーキャットという種族を嫌う者も少なく無い。


 シオンもそんなよく居るワーキャットの男だと、キキは思っていた。

 若いうちからこんな平日にプラプラして、冒険者センターに居ること自体、いかにもだ。誇り高いリザードマンの娘は、このワーキャット男はフリーターで、その日の仕事でも探しにきたのだろうと、完全に下に見ていた。

 だが、そのレベルが11なら、ちゃんとしたプロの冒険者だと言える。

 ワーキャットは亜人一の敏捷性と柔軟性を誇る、その高い身体能力があるので、鍛えればかなりの戦士になる。ただとにかく飽きっぽく、苦労を嫌うので、キツい冒険者の仕事はどうにも続かないと言われる。

 そうでないというだけでも、シオンはワーキャットにしては変わっていた。

 どこか真面目そうに見えるのも、キキが嫌いなワーキャットの「ヘラヘラしたかんじ」が無いからだ。

 それに、よく見るとけっこう整った顔立ちをしている。線の細い男は嫌いだが、モヤシというほどではない。

「シオンが会いたいってリザードマンさ。そいつに会うときは、あたしに声かけなよ」

「ん? 何で?」

「だって、きっと同じ一族だもん。さっきも言ったでしょ。うちの周りはほとんどみんな妹尾よ。そいつが会うのをごねるかもしれないし、口利いてあげる」

「大丈夫だと思うけど……」

 シオンが知っているリザードマンは、とにかく気さくで人が良いという印象なので、そういう心配はあまりしていない。

 ぞれに、あの桜に付き合っていたくらいだ。きっと心の広い人だろう。

「うちのおじいちゃんならみんなに顔が利くの。うちの年寄りから赤ちゃんまで、おじいちゃんは全員知ってるんだから」

 キキが自慢げに言う。

「おじいちゃん……ああ、キノコの」

 口にして、シオンはまた笑いそうになった。が、また泣かれては困るので、必死で堪えた。

 キキはぱっと頬を赤くしたが、今度は泣いたり喚いたりすることは無かった。

「そ、そうよ。もう冒険者も仕事もとっくに引退したってのに、あたしが冒険者になってから、心配していつもついて来るの。仕事なんて、キノコ採りばっかだけど。それにおじいちゃん付きじゃ、ピクニックと何が違うのよ。孫とおじいちゃんがご飯採りに来てるだけじゃない」

「たしかに……」

 キキとリザードマンの祖父が、ほのぼのとキノコ採りをしている様子を想像し、またも吹き出しそうになって、シオンは口許を押さえた。もちろんキキは見逃さず、きっと睨みつけた。

「なによ。笑いたいなら笑いなさいよ」

「いや……でも、キノコ採りだって立派な仕事だよ。オレだって最初の仕事は山菜採りだったし。それを笑ってるわけじゃない」

「分かってるわよ」

 キキは頬を膨らませ、ぷいと目を背ける。

「百歩譲って、キノコ採りが仕事でもいいの。ただ、おじいちゃんが絶対同伴ってのが、納得いかないの!」

「いいジイちゃんじゃないか」

 シオンの祖父母は、父方だけだ。遠方に住み、何度か会っただけなので、関わりは薄い。ただ父親と同じタイプの人間たちで、会えば血の繋がらない亜人の孫にも、にこやかに接してくれるので好きだった。近くに住んでいたらもっと仲良く出来ただろうと思うだけに、キキの話は微笑ましい。

 また興奮してきたキキは、ばん! と机を叩いた。

「よくない! おじいちゃんは一族の長なんだから! 忙しいのにあたしの世話ばっかりしてるのよ! 腰も悪いのに! なんか、あたしのワガママに付き合わせてるみたいで、ヤなの!」

 店内で大声を上げるキキに、シオンはぺたりと耳を下げながら、落ち着くように諭した。

「分かった、分かった。落ち着けよ。お前の気持ちは分かったから」

「いい加減なこと言うな! シオンに何が分かるの!」

「分かるよ」

「適当に言ってるでしょ! やっぱりワーキャットね!」

「どういうことだよ……。適当なんて言ってない。オレも父さんが過保護で、男なのに、むちゃくちゃ可愛がられて育ったから」

 すると、キキは急に目を丸くした。

「そうなの?」

 こくりとシオンは頷いた。

「だから、さっき話した死んだ姉さんのほうが、オレに厳しくしてくれたんだ。父さんがあんまりにも、オレに甘いから」

「シオン、男の子なのに?」

「そう」

「リザードマンじゃ有り得ないわ」

 言う通り、男でこの話をするのは気恥ずかしいが、共感を訴えたことでキキの機嫌も治ったようだ。

「ね、恥ずかしかった?」

「少し……でも、感謝はしてる」

「あ、あたしだって感謝してるわよ? おじいちゃんのこと大好きだし」

「うん。分かるよ。でも、恥ずかしいのとは別だよな」

「まあね……おじいちゃんいかついから、ほんと目立つし。運動会も参観日もぜんぶ来てくれたけど、ほんとは恥ずかしかった……言えないけど。あ、あのね。嬉しいのよ? 嬉しいけど、恥ずかしいの。大きい声で応援するし」

「分かる。うちの父さんも、オレの子供のころの写真や動画を、たくさん残して、今もたまに見てるんだ」

 ぷっとキキが吹き出す。

「こういう話って、他人事だと、けっこう笑えるのね。でも、シオンのうちって変わってんのね。ワーキャットって、放任だと思ってた。そういえば、名字もあんまりワーキャットっぽくないよね」

「オレは養子だ。父さんが人間で、さっき話した姉さんも人間。本当の親はワーキャットだと思うけど、赤ん坊のときに拾ってもらったんだ」

 へえ、とキキは目をしばたたかせた。

「あたしと逆みたいだね」

「お前、人間なのか?」

 彼女の姿にはリザードマンらしい特徴が、まるで無い。

 そもそもワーキャットと違って、人間の姿に近いリザードマンというのは、そう居ないのだ。

 ほとんどが、あの立ったトカゲ姿である。

「ううん。リザードマンだよ。ママが人間なの。パパはリザードマン」

 とキキは首を振って、言った。

「ちゃんとリザードマンなんだ」

「ちゃんと、って何よ。もちろん、ちゃんとリザードマンよ。見せてないだけで、ちゃんとリザードマンっぽいとこはあるのよ」

「見せてない?」

 意味が分からずシオンが尋ね返すと、キキはまた不機嫌そうに顔を赤らめた。

「察してよ。服の下に、ちゃんとリザードマンっぽい部分はあんの」

「ああ……そういうことか」

 彼女は顔以外、全部衣服で隠しているので、肌が見えない。顔は完全に人間だが、体のどこかに鱗でもあるのだろうか。

 そもそも見かけが人間よりのリザードマンは珍しい。

 元々人間と亜人の間には、子供が産まれにくいのだ。リザードマンは特に、他種族との間で酷く子が出来にくい種族だ。

「でも二人とも死んじゃって、あたしのことはパパのパパのおじいちゃんが育ててくれた。だから周りはずっとリザードマンばっかり。シオンは人間ばっかりの中で、一人だけワーキャットだったんでしょ?」

「ああ」

 キキはふうと大きく溜息をついた。

「……だからよ。だから、おじいちゃんはあたしにだけ特別なの。パパとママがいなくて、一番下の孫で、見た目も人間みたいだから。余計に過保護なの」

「でも、キキはまだ十二だろ。過保護でも仕方無いんじゃないか?」

 それに、ませていても勝気でも、さっきのセンターでの様子を見れば、一人で放っておけるはずも無いだろう。独断で突っ走り、怖いもの知らず。大人にでも噛み付き、分が悪くなると大泣きする。

「オレだって、十二のときは親に甘やかされてたぞ。何も考えずに。そんなに焦らなくていいんじゃないか?」

「あたしはリザードマンよ。人間の子供じゃない。他の孫は、みんなあたしみたいに過保護にされてないもん。リザードマンは、十二歳でも立派に働けるの」

 キキの言うことは、筋は通っている。が、実が伴っていない。周囲が止めるのは当然だ。だが、この気の強い娘は決して納得せず、一族も苦労しているのだろう。

「それに、おじいちゃんは、みんなの長なのよ。あたしだけのおじいちゃんじゃないわ。腰に湿布貼ってコルセット巻いてまで、あたしの仕事についてこなくったって……」

 勝気な少女が、しょんぼりと項垂れる。

「それで、おじいちゃんが体を悪くしたりしたら、あたしはどうしたらいいのよ。ただでさえ一人だけ人間みたいで、心配ばっかかけてる。そんなあたしばっかりが、みんなの大事なおじいちゃんを、独りじめして……」

「それは、お前のジイちゃんにとっても、キキが大事なんだろ」

 心配する彼女の祖父の気持ちは、何の関係も無い、第三者として判る。

 だが、キキの気持ちも、シオンには痛いほど判った。

 偉大な人に、愛されて、護られて、育まれて。

 シオンもそうだったから、判るのだ。

 周囲がどれだけ姉を慕い、愛していても、彼女が何より大事にしてくれたのは、紛れも無く自分だった。

 だが、自分は、それだけの愛情に見合った存在だっただろうか?

 彼女が死んでも、彼女が周囲に与えたその存在の大きさを知れば知るほど、弱いだけの自分がいたたまれなかった。

 キキも、一族の大きな存在である祖父の愛情に、応えきれないのだ。いや、応えたいからこそ、焦って早く大人になろうとしているのだろう。

「……パフェ、溶けちゃった」

 キキが呟く。

「新しいの頼んでいいけど」

「もう半分以上食べたもん」

「それは残せば?」

「これでいい。全部食べるよ。せっかく奢ってもらったし。あーあ、コーンフレークぐにゃぐにゃだよ。硬いのが好きなのに」

 溶けたクリームでふやけたコーンフレークを、キキがせっせと口に運び出す。

 口も態度もとんでもなく悪いが、ころっと気の良い態度を取ったりもする、気分屋なリザードマン少女のことを、姉と似たタイプだとシオンは思った。子供のころの姉を思い出す。

 妹が居たらこんな感じだろうか。

 生意気だが、きっと一族でも可愛がられているのだろう。リザードマンは情に厚く、家族にはとりわけ深い愛情を持つ。

「まあ、困ったことがあったら、いつでも相談してくれていいよ」

 得意げにキキが言う。この場合、シオンのほうが年上だし、先輩なのだが。

「そこらへんのリザードマン捕まえて、妹尾組の妹尾国重って名前出せば、誰でも分かるからさ」

「あ……うん」

 その名前をいつまで覚えていられるか、自信が無い。しかしとりあえず、頷いておいた。

「それから、電話番号教えとくね。シオンも教えてよね!」

「分かった」


 仕事を探しにきただけなのに、どこぞのリザードマン一家の長の孫娘と出会い、電話番号を交換することになった。

 こうして、つい最近まで友達ゼロだったシオンの携帯電話に、変わった知り合いがまた一人加わったのだった。

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