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迷宮のドールズ  作者: オグリ
一章
2/88

即席パーティー

 彼らとは、以前からパーティーを組んでいたわけではない。

 冒険者協会からある調査依頼を受け、このダンジョンを攻略する為に組まれた、即席のパーティーである。

 それぞれが協会から別々に依頼を受け、早朝六時、ダンジョン前に集合したのが初対面だった。

 そのときに自己紹介をしたが、シオンはもう三人の名を忘れてしまっていた。

 名前で呼び合うこともなく、黙々とダンジョンを進むだけだからだ。

 お喋りのワーウルフだけは、黙々とは言えなかったが。


 全員が亜人の冒険者というのは、まったく珍しくはない。

 亜人は身体も力も生命力も、人間より強く、そして、職は少ない。

 人口の八割が人間の社会では、仕方が無いといえる。


 ダンジョン探索は、夢でもロマンでもない。

 冒険者にとっては大事な仕事の場であると同時に、永遠の墓場となるかもしれない危険な場所である。

 良い面は、依頼内容にもよるが、報酬が比較的高めであることだ。

 他にも、心の底からダンジョンが好きだったり、魔物との戦いを楽しみたいという者もいるだろう。

 しかし亜人の中には、職が無くてやむなく冒険者になった者も珍しくはない。なにしろ命がかかっているのだ。他に仕事があればやってはいないという者も多いだろう。



 ダンジョンは、不思議な場所である。

 特に、日本のダンジョン数は世界一といわれる。

 狭い国土の中に、千を超えるダンジョンが存在する。

 しかも、天然のものよりも、人工のものが多い。

 古いもので、縄文時代以前より存在しているという。

 古代より日本人の魔道士は、ダンジョン作りに並々ならぬ魅力を感じていたようだ。

 民族性だろう。

 ダンジョンに関する様々な法律を定めた《ダンジョン法》が成立するまでに、日本各地に無節操なほど作られた数々の迷宮。

 ダンジョンの瘴気と、侵入者である冒険者の血肉を好み、住み着いた魔物モンスターたち。

 独自に成長した植物や、稀少な鉱物。

 冒険者も、それらに惹かれ、求めて、ダンジョンに挑む。

 稀少な魔物の皮や肉や爪や牙を手に入れようとする冒険者も、彼らの側からすれば醜悪な魔物に見えることだろう。


 古代には、ほとんどの魔物は地上に生息し、人間の脅威となっていた。古代の王族が魔道士に命じて多くのダンジョンを建設させたのは、魔物をそこに追い込むためだったという説もある。


 後世の魔道士が、そのダンジョンに魅せられ、新しくダンジョンを建築していった。時の権力者に命じられて作られたものもあれば、単に趣味で作ったものもあっただろう。また、最初はダンジョンでなかった場所がのちにダンジョン化することも少なくない。

 日本のダンジョン数は世界一だと、ギネスにも認定されている。

 おかげでというのか、日本ではダンジョン産業が成り立っている。

 亜人にとっては、危険であると同時に、貴重な仕事でもある。


 いまシオンたちが歩いているダンジョン、《北関東採石場跡》は、名前から推測出来るとおり、元はダンジョンではなかった。

 天然でも人工でもない、こういったダンジョンは後発性ダンジョンという。



 オオネズミの声を遠くに聴きながら、パーティーはそのまま通路で小休止を取った。

 通路といっても、幅は三メートル以上ある。切り出した石を運んでいたから、これほどの広さは必要だったのだろう。

 察知能力の高い亜人種がいれば、比較的気楽に休憩が取れる。中でもワーキャットはかなり遠くの足音を、他の雑音の中でも聴き取れる。これも人間の冒険者には無い利点である。

 シオンはウエストポーチからペットボトルを取り出し、僅かに残った水で口の中を湿らせた。半日程度の探索を予定していたので、全員荷物は少ない。

 これが最後の休憩になるだろう。


「ここから先は、ネズミとは違うぞ」

 気を引き締めろ、とアルマスが告げる。

 この男はこのダンジョンに入ってから、やたらとリーダーシップを発揮している。パーティーにアルマスがいると、大抵そうなる。集団行動や上下関係に厳しい種族なのだ。

 他にリーダーをかって出る者もいないので、ちょうど良かった。

 シオンもだが、残りの二人も、そういうタイプではないらしい。

「気を抜くなよ」

 お喋りなワーウルフと、その相手をしているリザードマンに、終始いらついたような態度を見せていたアルマスが、二人に冷たい視線を飛ばした。

 リザードマンは完全にとばっちりだが。

「いや、気は抜いてないぜー。あんまり緊張すると、手に汗掻くんだよな、オレ」

 ワーウルフがまったく反省のないそぶりで返す。

「拭きゃいいだろ。……あ、またコイツに付き合っちまった」

 とリザードマンは、しまったという顔をした。

「なんだそれ。オレがなんか寂しいじゃねーか」

 ワーウルフがつまらなさげに言った。


 確かに、むやみに大きな音を立てることは、迂闊といえば迂闊な行為だ。

 潜んでいる敵に、こちらの居場所を教えているようなものだからだ。

 それでもここまで、喋るのを止めろとは、アルマスも言わなかった。

 自分たちはなにも、姿の見えない敵に怯えて歩いてきたわけではないからだ。

 むしろ、こちらに引き寄せられるなら、そのほうが良かった。

 ワーウルフも分かっていて、無防備なお喋りを続けていたのだ。他の連中も咎めなかった。


 このパーティーの目的は、ある魔物の討伐である。

 即席パーティーではあるが、経験もレベルも申し分無い。

 ただ、ファイターばかりなので、ここまで力押しでやって来たぶん、疲労は確実に溜まっている。

 それでも《北関東採石場跡》の最深部に近いところまで、半日で降りてきたのだから、全員がまずまずの腕前と言えた。

 腕利きのパーティーを編成して、たかがネズミ退治に来たわけではない。


「確かに、そろそろ何かいてもいいはずだな」

 リザードマンが言う。

「死体以外のな。まったく。くせーし、たまんねえよ」

 ワーウルフは鼻をひくつかせ、珍しく表情に不快感を表した。

 鼻の良いワーウルフほどではないが、シオンも異臭を感じている。

 ダンジョンに入ったときから、立ち込める臭い。

 大量の、真新しい血の臭いだった。

 中に、最近死んだ冒険者が大勢居る。

 そう全員が確信した通り、ここにいたるまでに幾つかの死体を発見している。

 当初の目的は、ダンジョン内で起こっていることを探ることだった。

 生存者はいない、と察したとき、パーティーの目的は、モンスターの討伐となった。


《北関東採石場跡》は、かつて貴重な魔石が大量に採掘されていた場所だ。

 魔石はとっくに掘りつくされ、ダンジョン化したのちに、その欠片さえも冒険者に漁りつくされ、住み着いた危険なモンスターも冒険者に排除された。

 全部で十階層となるこのダンジョンは、地下五階くらいまでは広く、そこから先は深くなるにしたがって段々と狭くなる。それでも人工的に作られただけあって、天然の洞穴よりも通路は歩きやすく、人が通るには充分な広さだ。

 そこそこの深さがあり、いかにもダンジョンらしいダンジョンという作りをしていることと、それでいて比較的低レベルのモンスターしか出現しないので、初心者に人気がある。

 慣れた冒険者にはいまさら旨味の無い場所だが、駆け出し冒険者の訓練にはうってつけだ。

 その初心者御用達ダンジョンで、ここ数日のあいだに挑戦したパーティーがいずれも戻って来ていないと、冒険者協会から調査依頼を受けた。

 このパーティーは、たまたま体が空いていたというだけで、協会に集められた冒険者たちだった。



「さっきも言ったが、この先はもう最深部だ」

 ゼリー状の栄養補給食を口にしながら、アルマスが言った。

「それ、バナナ味?」

 とワーウルフが面白がって訊ねたが、アルマスは冷たい目を向けた。

「お前は骨でもしゃぶってろ」

 アルマスは本気でいらついていたようだったが、ゲラゲラとワーウルフは笑い、それをリザードマンが慌てて諭す。

「あのなー。いい加減にしとけよ、お前。いつもこんなのなのか?」

「いや、普段はソロだぜ。だからたまにパーティー組むと、楽しくってさ。つい喋っちまうのよ」

「分かった。後で聞いてやる」

 ふう、とリザードマンが息をつく。


 シオンは壁にもたれかかり、その様子を見ながら、キャラメルをひとかけ頬張った。口の中でころころと転がし、甘味を味わいながら、また水を少量、口に含む。

 あまり腹を膨らませると、動きが鈍くなる。


「お前たち、漫才はもういいか?」

 アルマスが口を開く。

「俺は相方じゃねえよ」

 リザードマンは心外そうだが、ワーウルフはやはり笑っていた。

 そのワーウルフも、言動こそふざけているが、戦闘時の動きは無駄がない。他の二人も同じだ。

 でなければ十階層の広大なダンジョンを、半日でくまなく探索出来るはずはない。

 彼らは間違いなく熟練の冒険者で、協会から信頼されているのだろう。

 でなければ、こんな依頼を任されることはない。

 大量の死人が出ている事件だ。何か起こるのは間違いない。


「ネズミはいいとして、最深部には何かある」

 アルマスの言葉に、リザードマンが頷く。

「くまなく見てきたしな。この先しかもうないわけだ」

「そうだ。ダンジョンでの死因は、主に二つ。トラップに引っかかったか、モンスターに殺されたか、だが」

 道中にトラップの形跡は無く、道中で見つけた死体の惨状から見て、後者であるのは間違いなかった。

 死体はいまはどうしようも無いので、置いてきた。

 あとでまた別の冒険者が回収の依頼を受けるだろう。

「ネズミに喰い殺された……わけねーよな」

 リザードマンが呟く。

 ネズミとはいえ、このダンジョンにいるのはモンスターだ。初心者冒険者ならその可能性も無いとは言い切れないが、その犠牲者が複数とは考えられない。

 しかしアルマスは呆れたように答えた。

「いくつかの死体を見ただろう。爪と牙で引き裂かれた死体を。あれがネズミの仕業か? もっと大型の何かだ」

 もっとも、リザードマンも分かっていて言ったはずだ。温厚な彼は黙って頷く。

「モンスターが、もうこのダンジョンを出ている可能性もあるが……」

 そうアルマスが言いかけたのを、シオンは遮った。

「それは無い。地上に出てれば、とっくにもっとでかい騒ぎになってる」

「もちろんだ。仮定を述べただけだ」

 ムッとしたようなアルマスに、シオンは少し肩を竦めた。自分が否定されると、怒るらしい。

「悪い。早く帰りたくて」

 シオンは壁に背を預けたまま、少し笑って言った。それが余計にアルマスをいらつかせたようだ。

「これは仕事だ。お前は、小野原おのはらだったな。不謹慎だぞ。サボりたいなら学校に行け」

「学校ならサボっていいって考えも、不謹慎だよな」

 笑いながらワーウルフが呟く。

 もちろんアルマスは余計厳しい顔つきになっただけだった。

 シオンはその強い視線を、笑ったまま見返した。

「真面目にやってないわけじゃない。ただ、このパーティーなら、もっと押していけると思っただけだ。そんなに慎重になることもないんじゃないかと思ってさ」

「お前は、冒険者になって何年目だ?」

「二年」

「俺は十年目だ」

「おお、十周年おめでとう」

 ワーウルフが手を叩いたが、アルマスは無視した。

「いいか、駆け出し。考えたことは、思うだけにしておけ。口を出すな」

「分かった」

 二年も冒険者をやっていれば、充分一人前とされるが、シオンは言い返さず、頷いた。別に口ゲンカをしたいわけではない。


 ただ、慎重なのはいいことだが、アルマスの男はこまめに休憩を取り過ぎるきらいがあった。

 もちろん、相手の姿が見えない以上、無理は禁物だ。

 けれど、この先でまだ生存者がいて、助けを求めているかもしれない。

 この男には、そういう焦りは無いように思える。

 依頼はあくまで、ダンジョンの調査。

 生存者の救出や、モンスターの討伐は、必ずやってこいと言われたわけではない。

 だからやらない。自分たちの命の危険だけは無いように、じっくり探索すればいい。

 アルマスから、そういう冷徹さを感じた。

 間違いではない。パーティーの安全確保を、一番優先すべきなのは確かだ。

 悪いとは思わないが、自分とは合わないな、とシオンは思ったので、ついアルマスを煽るような言い方をしてしまった。相手もそれを過敏に感じ取ったのだろう。

「ワーキャットは辛抱が足らん」

 と吐き捨てた。

 やたらと種族ごとに括りたがるのも、アルマスに多い。

 明らかに年少のシオンが言ったことも、癇に障ったのだろう。

 言い争う気は無かったのでシオンは何も言わなかったが、まあまあ、とワーウルフが割って入った。

「ギスギスしなさんな、おサルのだんな」

 アルマスの怒りはたちまちワーウルフに向いた。

「誰のことだ」

「いいじゃねーの、だんなはおサルさん、オレは犬ころ、間違ってはいないでしょーが」

 元々不真面目なワーウルフに腹を立てていたこともあるだろう。アルマスは、射殺すような目で彼を見たが、それ以上怒りを出すことはなかった。ダンジョン内でパーティーが争う不毛さを、分からない男ではない。性格に難はあるが、プロ意識は高い。

 ワーウルフは、シオンを庇ってくれたのかもしない。

 仕事が終わったら、ちゃんと彼らに名前を訊き直しておくべきかなとシオンは思った。しかし名前を忘れたなんて言うと、再びアルマスの怒りを買いそうなので、あとでリザードマンあたりに訊けばいいだろう。


 全員が、手早く休憩を済ませた。

 誰も喋らないと、ダンジョン内はやはり静かだ。

 ワーウルフが、急にぽつりと言った。

「行方不明ってさ、若い奴ばっかだったんだよな」

 たしか、ワーウルフも大学生だと言っていた。なら自分も若いだろうに、とシオンは内心で思った。

「特に、人間のな」

 リザードマンが答える。

 ここまで見た死体のほとんどは、若い人間が多かった。

「最近、人間の冒険者も多いらしいからな。そういう学校もあるんだろ? 冒険者向けのさ」

 リザードマンの言葉を、アルマスは「くだらん」と吐き捨てた。


 シオンは黙って、首許のスカーフが戦闘中に緩まないよう、しっかりと巻き直した。

 スカーフの下に硬い石の感触があるのを確かめる。

 そこには小さな石が付いているだけのチョーカーがある。

 淡い色に光る魔石の欠片は、身につけているだけで、精神を落ち着かせ、疲労が和らぐらしい。

 おまじない程度のものだと、くれた相手が言っていた。


(シオンは、怖がりなんだから)

 初心者の頃から身につけていて、無意識に触れる癖がついていた。

(ダンジョンなんてね、怖いこと何もないのよ)

 頭の中で響く懐かしい声に、頷く代わりに、浅い息を吐き出す。



「……たまんねえな。初心者冒険者が、気軽に腕試しにやって来るようなダンジョンなのによ。レベル1の初ダンジョンで、いきなりバグって格上のボスに当たっちまって死んじまうなんてよ。ついてねえな」

 ワーウルフが、気の毒げに言う。

 根は優しい男なのだろう。

「仕方が無い。ゲームじゃないんだ。本物のダンジョンではそういうこともある。リセットも無いし、痛みも、死もある。道楽で冒険者を始めた人間には、それが分からんようだがな」

 とアルマスが冷たく言った。

「……そうかな。事情がある奴も、いると思う」

 シオンの言葉に、アルマスはまた苛ついたようだった。

 けれど、これ以上の言い合いをする気はないのか、何も言ってはこなかった。





 音がした。

 ピンと立った猫の耳が、遠くの音を捉えていた。


「――来るぞ」

 シオンは両手にダガーを持ち、姿勢を低くした。

「何が来る?」

 リザードマンが剣を構えながら尋ねる。緊張感の無い声だが、その動作に油断は無い。


 音がする。鼠が騒いでいるより、もっと奥から。

 近づいてくる。異質な音が。


「分からねえけど、いる。ネズミだけじゃない。でかいやつが、一体だ」

「ああ、オレにも聴こえるくらい、もう近いな。それにプンプン臭うぜ」

 シオンの言葉に頷く、ワーウルフの大きな耳も立っている。ふざけた雰囲気はない。その顔つきはすでに人懐こい犬ではなく、眼光の鋭い狼だった。

「死体の臭いだ」


 ズルリ、ズルリ、と何かが床を這うような音がする。

 音は、オオネズミたちを追い立てるようにゆっくりと、向かってくる。

 オオネズミ達は四散し、逃げて行った。

 アルマスが言ったように、分岐があるようだ。

 引き摺る音がするのとは逆側に、オオネズミは逃げていく。

 不気味な音を立てている主は、ネズミを追いかけるつもりは無いらしく、ゆっくりと、こちらに近づいてくる。 


 足音は、四つ足の何かだ。その何かが、何かを引きずって歩いている。

 引きずる音と、四つの軽い足音が、静寂の中に響く。

 オオネズミの鳴き声も散り散りになり、やがてしなくなった。


「ラスボスだな」

 そう言ったアルマスはすでに、剣と盾を構えている。

「やっぱり居たか」

 今度はリザードマンが言い、興奮を抑えるように大きく鼻息を吐いた。手にした鉈のような大剣をぶんと振る。

「一番奥に居やがるなんて、分かってやがるな。手間取らせやがって。あっちも、多分もう気付いてるな」

 ワーウルフは腰からロングソードを抜いた。嫌でもきつく臭うのか、ひっきりなしに、狼の鼻をひくつかせている。

 シオンは頷き、呟いた。

「でかいのは、四つ足だ。何か引きずってる」

「見たくねえなー」

 ワーウルフが剣を構えながらも、ゆっくり後退していく。

 他の者たちも、同じように下がっていた。

 シオンだけはそこに留まったまま、両手のダガーを握り直す。

 こちらの鼻の形は人間と同じだが、嗅覚は人間よりずっと良い。

 血と獣の臭い。

 おめおめとダンジョンに足を踏み入れた冒険者を、骨まで食い散らかそうとする奴らの、独特の臭気。

 相手は一体。

 こちらの数が四人でも、まるで臆する様子も無い。

 パーティーに気付いていながら、まるで警戒していない。それまでの侵入者を散々嬲りつくしてきたからだろう。

 こちらのことをすっかり舐めている。


 敵の足音が変わる。

 分岐に差し掛かったようだ。それを合図にするように、シオンは身を低くした。

「先に行く」

 そう言い放つと同時に、誰の返事も待たずに駆け出した。

 瞬間の、凄まじい瞬発力は、人間に真似出来るものではない。

 足腰の強さ。そして姿勢を低くしたまま素早く移動出来る、驚異的なバランス感覚。それは、無意識に動く長い尾が、シオンの体を不安定な体勢でも支える役割を果たしている。

 ワーキャット特有の、柔軟な敏捷性を生かし、シオンは一気に一本道を終わりまで駆けた。


 グルッ、と短く太い唸り声が上がる。

 来る、と予測し、更に身を低くし、速度を上げた。

 躍り出る、黒く巨大な影。

「やっぱり、ガルムか!」

 アルマスが盾を構えながら、通路の奥に素早く後退した。

「下がれ! ブレスが来るぞ!」

 他の二人も同じようにブレスの範囲外まで身を退くが、飛び出したシオンだけは魔物の懐を目指した。



 通路の角から飛び出してきた陰は、大型の魔狼――ガルムだ。

 北欧神話に登場する、冥界の番犬である巨狼から名を取ったとされる。

 その由来にふさわしく、熊ほどの巨体である。それが狼の俊敏さで動き回る、獰猛なモンスターだ。

 こんなダンジョンに出るモンスターではない。

 初心者パーティーなど、逃げる間も無くたちまち惨殺されたに違いない。

 さっきまで引き摺られていたのは、喰い殺された冒険者の亡骸だった。というか、胴体しか無かった。首から上も両腕も腰から下も食い千切られ、その体は殆ど原型を留めていないのにも関わらず、生前の装備であろう千切れた鎖かたびら(チェインメイル)だけが、肩にひっかかって残っている。

 このダンジョンに入って戻って来なかった冒険者は、この悪魔に食い殺されたのだ。


 ガルムは侵入者を、そして新たな獲物を見つけ、まず喰い付こうとするのでは無く、大きく息を吸い込んだ。

「気をつけろ、ブレスの予備動作に入ってるぞ!」

 アルマスの声が再び、鋭く飛ぶ。

 魔犬や魔狼の類は、炎を吐く。巨大な魔狼の吐く炎は、突っ込んでくるシオンを一瞬に黒焦げにしてしまう威力がある。

 だがシオンは敵に近づく速度を緩めず、むしろいっそう速く駆けた。



 ダンジョンの途中で見かけた犠牲者の死に様を見て、おおよその見当はついていた。

 死体は全身を爪と牙で引き裂かれ、喰い千切られ、遺留品は炎で焼け焦げていた。ゴブリンやオークは小賢しく武器を使って襲ってくるし、オーガなら叩き潰す。死体を引き千切って喰うのは魔獣系のモンスターとなるが、炎を吐くとなるとかなり限られる。

 敵と遭遇したガルムは、自分が数で劣っている場合、まず炎を吐いて牽制しようとする。

 狭い通路で吐かれると厄介なブレスには、数秒の溜めがある。

 その前に懐まで到達すれば炎は浴びないし、接近したあとは体に張り付き、急所を刺し貫けばいい。

 言うほど簡単なことではない。

 それだけの素早さのあるワーキャットだから、やれる芸当だ。


 シオンは風の無い廊下を、自身が突風となり駆けた。

 他のパーティーメンバーはシオンがしくじったときに備え、後退している。

 シオンの初撃が成功すると、即席パーティーである彼らは、完全には信じていない。成功すればそれでいいし、先制攻撃が失敗しても、シオンが炎を浴びている間に攻撃を叩き込む。その瞬間を待っている。

 非情なようだが、合理的な戦い方だ。即席パーティーであるなら尚更。


「おい、無理はするなよ!」

 後ろからリザードマンの声が飛んだ。人の良い彼らしい。

 だが、シオンは止まらなかった。

「遅せぇ!」

 鋭い声に気合いを込め、シオンはガルムの前で最後の跳躍をした。

 ブレスより早く、そこに届いた。読み通り、ガルムは炎を吐くのを中断し、前肢で攻撃を加えようとしたが、もう遅い。シオンは左手に握ったダガーで、魔狼の喉笛に斬り付けた。

 勢いはあったが、利き手ではないし、浅い。間髪入れず、右手のダガーを腹に突き刺した。

 渾身の力で刺したダガーは、魔物の腹にがっちりと食い込んだ。刺さったダガーの柄に足をかけ、シオンはその巨体を駆け上がった。

 馬にまたがるようにガルムの背に乗り、左手に持っていたダガーを両手でしっかり握り直し、振りかぶる。

 今度は首に深々と刺さった。


「ガァァァァァッ!」

 ガルムは彷徨を上げ、天井に向かって炎を吐いた。背の上のシオンには当たらないが、熱気に晒される。

 首に突き刺したダガーもそのまま残し、腰に差した予備のダガーを抜く。

 片手で首の毛を掴み、頭部にもう一本打ち込みたかったが、魔獣はシオンを振り落とそうと、自身の巨体を壁にぶつけた。

 シオンは腹までずり落とされたが、そこでも胴の毛を掴んで堪えた。

 ガルムは怒りに狂って吠え、自分の足の間に顔を押し込んできた。喰いつこうと、恐ろしく大きな牙を剥いている。

 口の端から漏れ出す炎が、シオンの茶色い髪の先を焼く。その間にも魔狼の腹にしがみ付き、手にしたダガーを突き立てる。

 頑丈な毛皮に阻まれ、刃は深く通らない。亜人は人間よりも体力と力で勝るが、いかんせん若く華奢なワーキャットだ。しかも無茶苦茶に暴れるので、しがみ付いているだけで急激に体力を消耗する。

 シオンの口から、獣の吠え声のような気合いが漏れ、突き立てた刃がずぶりと滑り込む。

 ガルムが唸りを上げ、怒って手足を動かす。

 その意識は自分の身体にまとわりつく、不快な小虫のような少年にだけ向いている。

 それでいい。怒り狂えばいい。その間に、仲間たちは安全にこちらへ来られる。


「おお、やるな!」

 リザードマンが感嘆の声を上げた。パーティーもすかさず敵に殺到していた。

 それぞれが、剣で的確に急所を斬り付けていく。


 その間もガルムはシオンを喰い殺そうと顔を振り、熊のように太い手足を踏み鳴らした。

 先ほどまで冒険者の遺骸を喰っていた体は、動きがやや鈍いとシオンは感じた。

 さらに、亜人らの重く的確な一撃が、その体に刻まれていく。

 何度も顔に喰いつかれそうになりながら、それをシオンはぎりぎりの危ういところで躱す。もう少しで喰い殺せそうな敵を前にガルムは余計にいきりたち、シオンに執着した。巨大な牙を剥き出にして突き出されるガルムの顔面に、アルマスが鋼の盾を巧みに叩きつけ、防いでくれた。


 ガルムの口内は熱く、血でぬめっていた。

 そこから人の血肉の臭いがしたようで、シオンは一瞬顔をしかめた。

 小柄で他のメンバーより力で劣るシオンは、出来る限り敵を引き付け、パーティーを助けるつもりだった。

 しかし、この臭いには、これ以上耐えられそうにない。

 装備していた六振りのダガーを五本まで惜しげもなく使い、最後に腰から抜いた一本を、右手にしっかりと掴む。

 リザードマンがガルムの頭を狙い、大鉈を振りかぶっている。

 その重く力強い一撃は、額を捉えれば、ガルムの脳天をかち割る威力がある。

 だがシオンを狙うガルムは、頭を大きく振って暴れている。

 このままでは、狙いすますのは難しいだろう。

 ダガーの刃すらも喰いこまない、分厚い毛皮に覆われた首は、その力も凄まじい。気を抜いて喰いつかかれば、シオンは一撃で首をへし折られてしまう。

 アルマスもガルムの動きを止めようと、頭に盾で攻撃を加えてるが、喰いつきを防ぐのがせいぜいで、その動きが止まるほどではない。

 だったら。


「もう、死ね!」

 シオンは吠え声を上げ、襲いかかるガルムの眼前にダガーを向けた。自分に喰いつこうと開かれた獣の口の中に、握ったダガーごと腕を押し込んだ。

 瞬間に感じた熱は、炎の中に腕を突き入れたのかと錯覚するほどだった。皮膚が焼ける臭いがした。しかし構わず、シオンはダガーをガルムの分厚い舌の上に突き立てた。

 さすがに虚をつかれたのか、喉を開いたままガルムがひるむ。しかしその血走った瞳は、すぐに憤怒に染まった。シオンの腕を噛み砕く前に、パーティーは素早く必殺の一撃を加えていた。

 ワーウルフの長剣がガルムの横腹に深々と刺さり、アルマスの盾が鼻面に叩き付けられた。

「腕を抜け!」

 アルマスの叫びと共に、シオンはダガーを残して腕を抜いた。

 直後、リザードマンの渾身の一撃が、ガルムの額を砕き割った。



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