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迷宮のドールズ  作者: オグリ
一章
15/88

たからもの

「あ、これだよね、コビトワラビって」

 紅子は『冒険者のためのポケット山菜図鑑』という本を手に、写真を何度も確かめている。見た目はワラビに似ているが、茎に独特の斑点が浮かび上がっていた。

「うーん、あんまり美味しそうには見えないなぁ……んしょ」

 15センチほどの背丈の山菜を、軍手をはめた手で引っ張ろうとしたが、片手で簡単に摘めるかと思いきや、どんなに力を入れても千切れることも抜けることもない。

「か、硬いよー……何これ」

「抜かずに、切ったほうがいい」

 とシオンは紅子の傍までやって来て、採取用に持って来たナイフで、その茎をぶつりと切った。

「わ、切ったら簡単に切れた。普通のワラビと似てるけど、こんなに硬いんだったら、ほんとに食べられるのかな?」

「さあ。オレは料理人じゃないから。けど、よく採取の依頼出てるから、需要はあるんじゃないか?」

「ゴブリンが好んで食べるから、コビトワラビって言うんだね。なるほど」

 図鑑を見ながら、ふんふんと紅子が頷く。

「関東の山々に多く生息するゴブリン、狒々、青熊や銀熊といった多くの魔獣が好んで食べます……この植物が生えていたら、自分の実力・パーティーの戦力を冷静に分析し、戦う必要が無ければ、音を立てずそっとその場を離れましょう。味にクセがありますが、独自の調理法で炊き込みご飯や味噌汁にすると美味です……。どんなのだろう。食べてみたいなぁ」

「オレ、食ったことあるよ」

 シオンは腰に下げた採取用バッグに、切った山菜をぽいと入れた。

「えー、どんなのだった? 美味しかった」

「よく憶えてない」

「そっかー。きっと、すごく美味しかったわけでも、すごく不味かったってわけでもないんだね」

「そうかも。……あとこれ、葉が開いてるやつは、育ち過ぎてて食べられないからな」

「はーい」

「ナイフあるか?」

「倉庫に鎌があったから、それ持って来たの。ほら」

 と、紅子はナップザックから山菜採り用の小さな鎌を取り出した。使いやすそうだが、古いのが気になる。

「それ、ちゃんと研いだか?」

「あ、そのまま持って来ちゃった」

「オレのナイフ貸してやる。鎌より使いにくいかもしれないけど、昨日研いできたから、それよりいいだろ」

「あ、うん。ありがとう」

 採取用に持って来たナイフと一緒に、やはり採取用のグローブも手渡す。

「その軍手じゃ棘のあるやつを掴んだら怪我する。こっち使えよ」

「え、でも小野原くんはどうするの?」

「オレはこのままでいい」

 いつもはめているグローブは、指先の出るフィンガーレスタイプだが、気をつけていればどうということはない。

 ワーキャットの爪は人間よりずっと硬く、普段は切り揃えているが、鋭く削れば山菜を切ることも出来る。無論ナイフがあるうちはナイフを使うが。

「足許も気をつけろよ。何が落ちてるか分からないからな」

「うん。あと、あんまり小さいのは採っちゃダメなんだよね」

 管理者から説明を受け、あまり小さいものは採らないように言われてある。

 山菜の採取には許可がいる。今回は依頼者である販売業者が、持ち主からこの山で採取する権利を買っている。そこに雇われたシオンたちが採取に来ることは、協会を通し山の管理者に伝わっているので、冒険者カードを見せて山に入った。

 コビトワラビを主に、他の山菜も採取していく。見つけた場所はあまり人が入っていないようで、面白いように採れた。

 一時間もすれば持ってきたバッグが一つ、パンパンに膨らんでいた。

 シオンはそれを腰から外すと、新しい袋を腰に付け、また黙々と採取を続ける。

 紅子も図鑑を片手に、熱心に採取している。

「浅羽、場所変えるか」

「うん」


 山菜の入った袋を担ぎ、場所を変えた。会話もそこそこに採取を続け、またも一時間ほどで、シオンは腰に下げた袋を取り替えた。

 新人のころ、一人で採取していたときに使っていた道具だ。処分せず、押入れの奥にしまっておいて良かった。そう思いながら、ひたすら山菜を採り続ける。

 紅子は相変わらず図鑑とにらめっこしつつ、虫に悲鳴を上げたりもしていたが、こちらも懸命に採取していた。

 天気の良い晴れた山に、遠く鳥の鳴き声が響く。

 森の中は翳っているが、それでもダンジョンの闇とは違う。息詰まるような苦しさも無い。

 報酬は高くないが、そのぶん危険も少ない。つい時間を忘れ、無心で作業をしてしまった。

 すると紅子が居るほうから、ぐうと音がして、シオンは振り返った。

「浅羽? どうした?」

 少し離れたところで、紅子も慌ててシオンのほうを振り返っていた。

「あっ、ご、ごめん。聴こえた?」

「聴こえた。何か音したよな?」

 紅子の顔が赤くなる。本当によく赤くなる奴だな、とシオンは今更ながらに思った。あはは、と彼女は乾いた声を上げた。

「お、お腹空いたかなー……って」

「ああ」

 シオンはジャージの袖を捲くり、腕時計を見た。採取を開始して、すでに三時間が経っていた。

 今日はソロじゃなく紅子が居るのだということを、途中から忘れていた。休憩も挟まず、ほとんど無言で、自分のペースで仕事に没頭してしまった。

 紅子もシオンに倣い、文句一つ言わずけなげにここまで採取してきたが、とうとう空腹に屈服したようだ。

 近くまでやって来たシオンに、紅子はしゅんと項垂れた。

「ごめんなさい……。仕事中にお腹鳴らすなんて……」

 そんなことで謝られたのは初めてだ。

「いや、オレも悪かった。なんかいつもの調子で、一人でやってるみたいな気になってたから」

 そう言うと、紅子は大げさに首を横に振った。

「そんなの、小野原くんが私のペースに合わせなくていいよ」

「浅羽は初めてなんだし、オレのほうが合わせるのは当然だ。ちょうどいいから、メシにしよう。弁当あるんだろ?」

「あ、うん」

 そこでいったん作業を中断し、二人は木の根許に腰を下ろした。




 シオンは木の幹に背中を預け、紅子は大きなナップザックの口を開ける。

「容器に入れたらジャマになるからね。おにぎりもおかずもラップと新聞紙で包んできたの」

「なるほど」

「小野原くんは、お弁当は?」

「食うもんはあるよ」

 バッグの中に、水とキャラメルとゼリー飲料が入っている。よっぽど腹が減ればふもとまで下りればいいし、これで充分だと思っていた。

「良かったら、小野原くんも食べる? おにぎりいっぱい作ってきたんだ」

「オレはいいよ」

「おかかもシャケも昆布もあるよー。あとね、卵焼きとね、から揚げあるよ」

「聞いてるか?」

「おかかもシャケも昆布も全部いっぺんに入れた、爆弾おにぎりもあるよー」

 透哉が言っていた通り、紅子の弁当は荷物のほとんどを占めているのではという量だったが、彼女が大食なのはもう知っているので、シオンは驚かなかった。

 ただ、これがダンジョン探索だったら、彼女がこれだけの量の食事を採る時間も考慮して潜らないといけないなと、真剣に考えてしまった。

「はい、お箸。良かったら、なんでもつまんでね」

「……うん」

 まあ、今はダンジョンじゃ無いしいいか、とシオンは割り箸を受け取った。

 紅子はソフトボールほどの大きさもあるおにぎりを、さっそく頬張っている。

「じゃあ、貰うよ」

 シオンは普通の大きさのおにぎりを一つもらい、卵焼きも何切れか食べた。

「全部、浅羽が作ったのか?」

「うん。今日はね。普段のお弁当は、叔父さんや透哉お兄ちゃんのと一緒に、叔母さんが作ってくれるよ。……美味しくない?」

「いや。美味いよ」

 姉の不味くて独創的な料理に比べれば、雲泥の差だ。納豆が詰まったおにぎりを、遠足でこそこそ食べたことを思い出す。

「あんまりたくさん、ゆっくり食べてたら、誰もこっことダンジョン行ってくれないよって、お兄ちゃんには言われたんだけど……」

 と言いつつ、紅子はゆっくりと咀嚼している。

「別に、今日はゆっくりでいいぞ」

「うん。でも、なるべくがんばって早く食べれるようにするね」

「無理して早く食っても、体に悪いんじゃないか?」

「普段はそうかもだけど、ダンジョンでそんなこと言ってたら、周りの足引っ張っちゃうもの」

「……まあ、行ってみてから考えたらいいんじゃないか。そのうち、自分のペースも周りのペースも分かってくると思う」

「そう?」

「うん。オレもずっとソロだったから、これからはそうする。……なあ、おにぎり、もう一個貰っていいか?」

「うん! 食べて、食べて!」

 シオンはそう言い、小さなおにぎりを頬張った。鮭フレークが入っていた。

 紅子が食べるのを邪魔しないよう、黙って食事を進める。

 午前中に根を詰めたので、食事の後は少しゆっくりして、腹がこなれてから残りの作業をしたら良いだろう。

 決められたぶんを採取し、時間までに麓の管理者小屋に持って行けば、業者のところへ車で運んでくれる手はずになっている。

 晴れた日で良かった。春でも山はまだ肌寒い。雨が降ると気温は急激に下がる。

 大小たくさんあったおにぎりが半分くらい減ったところで、紅子は食べる手を止めた。

「腹いっぱい?」

 そうシオンが尋ねると、紅子は黒い瞳を向けた。

 ポニーテールにした髪が、ウィンドブレーカーの肩に垂れている。

「ねえ、小野原くん」

「ん?」

「どうして、私とパーティー組んでくれたの? なんか、組んでもらっておいて言うのも、なんだけど……」

 当然の疑問ではある。シオンと紅子ではレベルが違い過ぎるし、パーティーを組むとシオンが言ったことも、彼女にしてみれば突然のことだっただろう。

 あのときは、シオンの申し出を泣くほど喜んでくれた紅子だったが、後で冷静になって疑問を抱くのも当然だ。

「こんなこと言ったら、浅羽に悪いかもしれないけど」

「ううん。いいよ。なんでも言ってほしい」

 紅子がじっとシオンを見る。

 彼女の目は、暗闇に星の光を落とした、透き通った夜空のようだ。暗いのに変に明るく感じる、夏の夜の空だ。

「……オレでも、出来るかなって思ったんだ」

 シオンの答えは、彼女にとって良いものでは無いかもしれない。

 だが、ずっと疑問を持たせ続けるのも、彼女に対して誠実では無いと思ったので、正直に告げた。

「パーティー組むって言っても、浅羽は学校あるから、週末付き合うくらいだろ。それ以外の仕事がしたければ、平日にやれるし。元々、仕事以外は他にすることもないから、ヒマなんだ」

 それだけ言うと酷い言い草だが、紅子が気を悪くした様子はない。

 どんなに腕の良い冒険者に声をかけられても、決して組むことは無かったパーティー。

 桜に言われるまでもなく、シオンに仲間なんて必要無かった。

 一人のほうが、死にやすい。

 そうなったらなったで、構わないと思ったからだ。

 桜が死んだからと言って、自分まで死にたいと思う理由にはならない。それは姉が死んで、拾い子の自分だけが生きる罪悪感を、抱えていたくないというだけだ。

 冒険者をやるうちに死んでしまったとしたら、それはちゃんとした死であるという気がした。ソロであり続けることは、その可能性が少し上がるというだけだ。

 死ぬのは怖い。けれど、彼女無しで生きていくのも怖い。

 新人冒険者たちに偉そうに説教をしたが、死を軽く考えているのは、他でもないシオン自身だ。

 シオンはまだ、懸命に生きようとはしていない。

 死ぬことは出来ないから、生きているというだけ。

 仕事も、生きるだけの金が稼げればそれで良いというだけのものだ。

 だが、そんなシオンが紅子の助けになるなら、それは今よりもずっとマシな生き方だ。

 そう思えるのは、シオンが桜のように、紅子を失いたくないからだ。

「……浅羽みたいな友達って、オレには他にいねーから」

 ラップに包まれたおにぎりを、シオンは一つ手に取った。

 誰かが作ったおにぎりなんて、ずいぶん食べていなかった。桜がダンジョンに行くとき父親が作っていた。そういやあいつが仕事に持っていく携行食も、必ずおにぎりだったなと思い出す。

「浅羽が他の奴とパーティー組んでて、オレの知らないところで浅羽が居なくなったら、嫌だと思ったんだよ」

 シオンはラップからおにぎりを出し、頬張った。おかかだ。

 外で腹いっぱいになるのも、こんなピクニックのような仕事も初めてだ。

 おにぎりを食べて、シオンは黙っている紅子に尋ねた。

「こんな理由で、いいか?」

「うん」

 こくんと、紅子が頷いた。

「パーティーって言っても、何も制限なんて無いよ。お前も他の奴と仕事したいときは、そうしたらいい。なんか色々事情もありそうだしな。それをオレからは訊かない。今はな」

 言いたいとき、彼女から言ってくれればいい。

「ただ、お前に目的があって、行きたいダンジョンや、やるべきことがあって、それにオレも協力していいんなら、そのときは話してほしいと思う」

 シオンは紅子の顔を見て、小さく笑った。

「じゃないと、ダンジョンに行ったって、何していいのか分かんねーしな」

 そう言って、少し前にあった《北関東採石場跡》での出来事と、二重依頼を隠していた猿亜人アルマスの犬井に騙され、憤慨していた犬亜人ワーウルフの笹岡のことを思い出した。

 そういえば最近、飲みの誘いが煩い。彼の性格を鑑みて、行けば強引に飲酒させられることは予想できるので、断っている。が、あんまり邪険にするのも失礼だし、一度は会っておいたほうがいいかと思っていたところだ。


 そんなことを考えていると、紅子がぽつりと漏らした。

「……魔石なの」

「魔石?」

「そう。探してるのは、魔石」

 そういえば、魔石が金になるかということを、紅子は気にしていた。そのことだろうかとシオンは思ったが、口にしなかった。まだ彼女が何か言いたげだったからだ。だが、すぐに言葉は続かなかった。

 紅子は草に覆われた地面を眺めている。

 しばらくして、小さな唇が薄く開かれた。

「……〈たからもの〉なんだ」

「宝?」

 シオンが訊き返したのには答えず、紅子は地面を見つめている。黒い睫毛が彼女の整った顔にくっきりと陰を落とす。

「さっきね、小野原くんが言ってくれたこと、嬉しかった。だから今は、全部は言わない。けど……それでも、いい?」

「ああ。いいよ。言いたいときに、言えばいい」

 全てを話すほど、自分たちはまだパーティーじゃない。

「でも、オレにしてほしいことがあったら、遠慮するなよ。オレは、お前に協力したいと思ってるから」

 そう言うと、紅子は泣きそうな笑みで、くしゃりと顔を歪めた。

「ありがとう。……嬉しい。すっごく嬉しい」

 紅子は膝をぎゅっと抱え、しばらく目を潤ませていた。

 シオンは黙って、彼女が喋るのを待った。

 泣いてはいなかったが、紅子はくすんと小さく鼻を啜った。

「――うちは、代々魔道士ソーサラーだって、前に言ったよね。透哉お兄ちゃんも叔父さんも、死んだお父さんやお兄ちゃんや、おじいちゃんも、ずっと、ずっと昔から、そうなの。本当にずっと昔から続いてるソーサラーの家系なんだって」

 それは以前、少し聞いた。冒険者センターで再会したときだ。

 涙が零れるのを堪えるように、紅子は空を仰いだ。

「お母さんは、冒険者にも研究者にもならなかったけど、魔力は持ってた。かなり強かったみたい。婿養子のお父さんもソーサラーだったし、叔父さんと結婚した叔母さんも、魔力のあるおうちに生まれた人だし」

 浅羽家とは古くから続く魔道士の一族で、現代までその血統を残すことに拘った一族でもあるのだろう。

 古い時代にはかなり栄えていた家だったのかもしれない。

「むかし、むかしのお話だよ」

 森の木々の隙間から見える青空を瞳に映し、紅子は言った。

「死んだお父さんが、私が子供のころ、お話してくれた。むかし、むかし、浅羽という魔道士の一族が、お殿様の大事にしてた魔石を奪っちゃいました」

「え? お殿様って?」

 いきなり出て来た耳慣れない言葉に、シオンは戸惑った。

「分かんない。小さいころに聞いた話だから、たんに偉い人って意味で言ったんじゃないかなぁ。子供に話すお話だから、このへんは適当だと思う。お姫様かもしれないし、お坊さんかも。きっともう本当のことなんて分からないんじゃないかって、透哉お兄ちゃんは言ってたけど」

「はあ……」

「というわけだから、お殿様で話進めていい?」

「あ、うん……ごめん」

 なんとなく謝ってから、シオンは尋ねた。

「その話って、いきなりそんな出だしなのか?」

「うん。変でしょ。私も聴いてて、ぜんぜん好きじゃなかった」

 それはそうだ。

 定型文とも言える「むかし、むかし」までは、子供ならわくわくして聴くだろう。

 その後、いきなり何の脈絡も無く、「浅羽の魔道士が殿様から魔石を奪った」となったら、幼い紅子は今のシオンのように、ぽかんとしたことだろう。

 幼い子供に興味持たせようと細部をアレンジし、結果、余計おかしなことになっている。シオンの父なら、もっと巧く創作しただろうに。紅子の父にその手の才能は無かったようだ。

 そこにシオンは違和感を覚えた。創作が下手な彼女の父が、ありきたりなおとぎ話ではなく、わざわざこれを語ったことにだ。

 それは彼女をあやすためでも喜ばせるためでもない。

 そうまでして、幼い紅子に聴かせておきたいことだったのだろうか。


「えっとね、続きはこうだよ。浅羽の魔道士たちも、魔石と同じくらいお殿様にとても大事にされていたのに、魔石が欲しくてお殿様を裏切ってしまいました。そして、大きな力を持った魔石を割って、別々の場所に隠しました。深い恐ろしい洞窟の奥深くに、秘密の部屋を作って、魔法をかけて隠しました」

「うん」

「おしまい」

「え?」

 それからさらに続く話だと思って相槌を打ったシオンは、意表をつかれた。

「それで……終わりなのか?」

「そう。おしまい。本当に面白くなかった。だって私、これはプロローグだと思ってたんだもん」

 シオンもそう思っていた。

「ここから、かっこいい王子様か騎士様が、魔石を取り返しに来るって思ってたの。お殿様の宝なのにヘンだけど、私は子供だったから、白い馬に乗った王子様や騎士様が絶対主人公だと思ってたんだよね」

 たしかに、少女にはお殿様より王子様の出てくるおとぎ話のほうが受けは良かっただろう。

 というか、おとぎ話にもなっていない。

 ただ事実を述べただけ、という素っ気無いものだ。

「でもね、王子様も騎士様も出てこなかった。これでおしまい。お父さんはいつも最後に言ってた。それが浅羽家の〈たからもの〉なんだって。……そんなの古いソーサラーの家系なら一つは伝わっているような話だって、透哉お兄ちゃんは言ってるけどね」

 隠された魔石や魔剣の伝説は、日本中、世界中のいたるところにある。

 冒険者の中にも、自分は竜に選ばれたとか、前世の記憶を持つ仲間を集めているとか言う者はいる。

 一族の〈たからもの〉もそういう類のものだと、透哉は一笑に付しているが、紅子やその父や兄は違った。

「元々、お父さんと叔父さんでは、考え方が違ってたの。お父さんは〈たからもの〉の存在を信じてた。でも叔父さんは、もしそれがあったとしても、もう人の手を離れてしまったのだから、そっとしておくほうがいいって、意見が分かれてたみたい」

 時代が移り行くにしたがって、同じ一族でも〈たからもの〉の存在を信じる者とそうでない者に分かれるようになった。

 紅子の父は元々、紅子の祖父に心酔し押しかけ弟子となり、その娘と結婚し、浅羽家に入った。婿養子の身でありながら、浅羽家の血統を重んじ、〈たからもの〉の存在も信じていた。紅子より十歳上の息子を連れ、関東のダンジョンを探し回った。

 二人が〈たからもの〉を探し求め、記した記録なども、すべて叔父が処分してしまったという。

 それどころか、二人の遺品も写真もほとんど残さなかった。

「私、お父さんのこともお兄ちゃんのことも、ちゃんと憶えてない。でも、このお話のことだけは、はっきり憶えてる。お父さんがダンジョンで死んで、お兄ちゃんは死にそうになりながら家まで戻ってきて、最期に看取ったのは、私なの」

 兄は、どこかから血を流していた。

 その血は温かいのに、冷たくなっていく手。

 死んでいく人間の身体からは、魔素がどんどん抜けていく。

 生物の命は、体と魂と魔素で出来ている。

 まず肉体が死ぬ。そして魔素がすべて抜けると、魂が器から剥がれる。

 兄はもう、死ぬ寸前だった。激しく損傷した肉体は、魂を留めておくだけの魔素が維持出来なくなる。魂を肉体に固着させている魔素が半分以上抜けると人は死ぬ。その状態までいくと、腕利きの治療魔道士ヒーラーが何人居ても蘇生は難しいと言われる。

「……お兄ちゃんの顔も、声も、よく思い出せない。でも、お兄ちゃんは、私に探せって言った。〈たからもの〉は、浅羽家の許に取り戻すべきだって。それで終わりにするんだって。それは、魔石を奪った浅羽の魔道士が、やるべきことだって。それを果たすまで一族にかかった呪いは解けないって」

「呪い?」

 シオンの言葉に、紅子はこくんと頷いた。

「私たちの一族は、魔石に呪われてる。昔の人が自分たちの〈たからもの〉を奪われたくなくて、何処かに隠して、ずっと時が経って、もうそれが何処にあるかなんて私たちにも分からないのに、お父さんやお兄ちゃんみたいに、魔石に振り回される人がいる」

 魔石の呪いなんてそれこそおとぎ話だ。

 そういままでのシオンなら思った。

 だが、それを語る紅子の顔が、怯えているようでも哀しげでもなく、ただ淡々と、事実だけを述べている。それがかえって嘘とも思えなかった。

「お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも死んじゃった。だから、私が魔石を探すの。それだけの魔力があるのは、私だけだから」

「……探して、どうするんだ?」

「ばらばらの魔石を、一つにしてあげたいの。浅羽の魔道士が、壊して関東のダンジョンのあちこちに隠した魔石を、また一つに戻したい」

「そんなことで、呪いが解けるのか?」

「分らない。でも、ばらばらのいびつな姿にされて、きっと魔石も哀しかったと思う」

「哀しい? 魔石に、そんな意思があるのか?」

 そう尋ねると、紅子は強い目で言った。

「あると、私たち浅羽の魔道士は思ってる。少なくとも、私は思ってる」

 透哉がシオンの魔石について語ったことや、紅子がピンクの魔石に思い入れを持っているらしいことを、シオンは思い出した。

「魔石が悪いんじゃないの。私たちが……浅羽の魔道士が、魔石に悪いことをしてきたんだもの。浅羽家わたしたちだけの〈たからもの〉にして、誰にも渡したくなくて、ダンジョンのどこかに閉じ込めちゃったから」

 彼女の様子を伺うと、今の彼女は、理性を保っている。

 目の輝きを失っていない。


 以前呟いた〈ドール〉という言葉は、何だったのだろう。

 それと〈たからもの〉は違うものなのだろうか。

 いや、〈ドール〉のことは、倒すべきもののように言っていた。

 魔石を狙うもの?

 それとも、魔石を護るものなのだろうか?

 

 色々と疑問はあったが、彼女は今、全てを語らないと言っている。

 だったら、そのことはまだ訊くまいと、シオンは思った。


 それより訊かなければならないのは、彼女自身のことだ。

「一つだけ、訊いてもいいか?」

「うん」

 紅子が頷く。

「お前、時々意識を失ったりとか、するか?」

「……意識? 急に倒れたり?」

 シオンの言葉に、紅子がきょとんとする。

「なんか、話聞いてないみたいに、ぼうっとしたり……オレ、何度か見たんだけど、あれは気のせいか? もしそうじゃないんなら、ダンジョンに行くのも戦うのも危ないから」

 少し考えるようなそぶりをしてから、紅子が言った。

「……お兄ちゃんに、言われたことがあるかも。私は、自分で自分に精神魔法をかけてるかもしれないって」

「自分で自分に?」

「自己暗示みたいなものかな。あまり心配することは無いって。むしろそういうときはより強く自己防衛本能が働くから、ダンジョンに行っても問題無いって言ってたけど……というより、私に自覚ないなら、治しようが無いって」

 透哉が、シオンにまったく気付かせず精神魔法をかけたことを思い出す。あれだけのことが出来る人がそう言うのなら、それは本当に難しいのだろうが。

 一度、父の友人の魔道士に会ってみようかとシオンは思った。

 冒険者になる前にしばらく面倒を看てもらい、あれこれと世話も焼いてもらった。父に代わって後見人にもなってくれ、知っている中で一番話しやすい魔道士だ。

 そもそもシオンは魔法に関して無知過ぎる。これからソーサラーとパーティーを組むシオンに、色々とアドバイスしてくれるだろう。

「浅羽に魔法を教えてくれたのは、あのイトコの兄さんなんだよな?」

「うん。基本は一通り。生きてたらお父さんやお兄ちゃんが教えてくれたんだろうけど……」

「魔法の才能とか、魔力の量とかっていうのが、オレにはよく分からなくて。あの人が、それほど魔力無いとは思えないんだけど……」

「透哉お兄ちゃんのこと?」

「うん」

 シオンからすれば、充分すごいソーサラーなような気がするが、紅子の口ぶりでは、彼にはそれほど魔力が無いかのようだ。

「お兄ちゃんが自分でそう言ってるんだもの。多分、おじいちゃんとか、私のお母さんと比べてるからかな。おじいちゃんはけっこうすごい人だったみたい。お母さんもおじいちゃんに似て、魔力は高かったの」

 紅子の母は浅羽家に産まれたが、自分の魔法の才をそれほど大事にせず、普通の人生を望んだ。結婚して主婦になり、生まれた子供たちも魔力を持っていたことで、紅子の父は子供たちに期待をかけた。

 特に、紅子より十年早く産まれた兄のあかねに関しては、浅羽家の長男として熱心に育てたようだ。

「お父さんはおじいちゃんの弟子になるくらい、熱心なソーサラーだったけど、ほんとはお母さんのほうが魔力があったみたい。私がいまお世話になってる叔父さん……透哉お兄ちゃんのお父さんは、お母さんの弟なんだけど、でもやっぱり魔法はお母さんのほうがすごかったって」

 叔父は姉や父に対してのコンプレックスからか、魔道士というものに対しても、魔石に対しても、退いた態度を取っていた。

〈たからもの〉を求めず、技術者となり、その息子である透哉もまた、浅羽家の魔道士であるという意識が薄い。

「……透哉お兄ちゃんはね、私にダンジョンに行かなくてもいいって言ってた。私たちが〈たからもの〉を探す気持ちそのものが、呪いなんだって。そうして滅びていってるだけだって」

 ダンジョンに魔石を求め続けた父と兄は死に、叔父と透哉にはそれを探す意思が無い。魔石は誰とも知らない場所に隠されたままとなる。それを、紅子の兄は恐れて、死に際に紅子に探せと言ったのだろうか。

 だが、それが彼女にとって、何の得になるのだろう?

 普通の女子高生が、自己暗示をかけてまで、恐ろしいダンジョンに乗り込んで。

 彼女の母親のような生き方をしても、いいはずなのに。

「それでも、浅羽は探すのか?」

「うん」

 少しも躊躇無く、紅子ははっきりそう答えた。

「呪いなのか分からないけど、私の家族は早く死んじゃったし、おじいちゃんは強いソーサラーだったけど、死ぬときは何だか様子が違ったみたい。それに、大好きだった叔父さんも叔母さんも、最近おかしいの。何だか急に、魔石のことを話すようになったの。怯えるみたいに……だからね」

 紅子は絞るような声を吐き出した。

「魔石の呪いがあってもなくても、私、叔父さんや叔母さんを助けたい。それに、もし、私や透哉お兄ちゃんの子供や、その子供や、そのまた子供まで、ずっと呪いに怯えて、お父さんやお兄ちゃんみたいに死んじゃうなんて、嫌だもん。そんなすごい魔石なら、ほんとならもっと人の役に立つと思うんだ。叔父さんやお兄ちゃんなら、すごい魔道具も作れそう。そしたら、叔父さんたちもきっと楽になるから……」


 そこまで言って、ふう、と息をつく。

 小さく笑って、彼女は言った。

「私も、呪われてるのかな?」


 その顔に、悲壮さは無い。

 彼女はもう、決めてしまっているのだ。

 自分がそうしたいと思うことを、曲げられない。

 どんなに止めたって――桜だって、そうだった。

 何も決めずに、ただ生きている自分とは違って、彼女たちは自分にやれることを果たそうとしている。

 それが痛いほど分かるから、シオンは言った。

「呪われてないよ。お前は、やりたいことをやろうとしてるだけだろ」

「ありがとう。小野原くん」

 紅子がいつもの顔で微笑む。

「いつも私、小野原くんに元気づけられてるね」

「そうか? オレは浅羽見てたら、けっこう元気になるけど」

「え」

 頬を赤らめる紅子に、うん、とシオンは真顔で頷いた。

「お前って、喋りやすいし。面白いし。パーティー組めて良かったのは、オレのほうかも――」

 そこまで言いかけたところで、シオンの耳が、自分たちに近づいてくるかすかな音を捉えた。




「誰か来る。静かに」

 シオンはすでに腰を浮かし、両手でダガーを抜いていた。

 モンスターではない。誰か、と言ったのは、人間か亜人の足音だと思ったからだ。

 足音は一つだ。警戒する様子も無く、堂々と歩いてくる。その足音のリズムで、道の無い山中を歩き慣れていることが分かる。

 紅子も慌てて、地面に寝かせていた杖カバーを引き寄せていた。

「モンスターじゃない。一人だ」

 シオンはそう紅子に言うと、ダガーを仕舞った。

「へ、武器、仕舞っちゃうの?」

「モンスターじゃないみたいだからな。獣墜ちかもしれないけど。もし襲ってきたら、攻撃しようなんて思わなくていいから、とりあえず逃げろ」

 見通しの良い場所に居たので、近づいてきた姿をすぐに確かめることが出来た。

 若い人間の男で、カーキ色のモッズコート、カーゴパンツ、ブーツといういでたちは、明らかに登山客ではない。腰に剣を提げている。

 堂々と武器を持って歩いていることから、冒険者だ。

 そのわりに、ふらっと山に紛れ込んだ若者と見間違えそうな、清潔さを感じさせた。後ろ髪がさらりとコートの襟にかかっている。

 シオンたちを見下ろしながら、草の中をずかずかと踏み入ってくる。

「動くな。ガードだ」

 シオンたちの目の前まで来て、男は言った。

 警備員ガードと名乗った男は、最初冷ややかな目でシオンと紅子を見やり、次にシオンのみに目を留め、あきらかに不快そうな顔をした。

 その目線の先が、自分の耳や尻尾に一瞬注がれたことに、シオンは気付いた。

 亜人嫌いか、と瞬時に理解する。亜人を見るだけでこういう反応をする人間もいる。

 鼻筋の通った涼しい顔立ちと切れ長の瞳が、余計に威圧感を与える。

 そのうえ男は剣の柄に手を置いてみせた。

 近くで見ると、それは刀だった。

 シオンは武器を仕舞い、構えもしていないのに、相手は逆に武器をちらつかせるようにしてみせている。これは冒険者の礼儀に反している。

 山菜を集めたバッグを一瞥し、男が声を発した。

「登山客の山菜取りは許可されていない。ガキのくせに山菜泥棒とはな。目の付け所は渋いが、ここにはモンスターも出る。危険だからとっとと下りて、コンビニで万引きでもしていろ」

 冒険者をやっていれば、色々な奴がいる。が、いきなりこんな物言いをする奴は珍しい。

 いくらシオンたちが子供に見えるからと言っても、礼儀が無さ過ぎる。

「オレたちは冒険者だ。許可を貰って採取してる」

 と、シオンはポケットから、管理人に渡されていた山菜採り許可証を見せた。単にそう書かれたカードに、紐が付けられていて、本当は首から下げるのだが、邪魔だから外していたのだ。

 山菜泥棒があまりに多く、またモンスターも増える時期だ。警備の人間が山中を巡回しているので、会ったらこの許可証を見せるようにと管理人から言われていた。

 この男が、警備員ガードとして雇われている冒険者なのだ。

 シオンは自分の冒険者カードも見せた。紅子も同じようにしたが、男は興味無さげに一瞥しただけで、それよりもシオンを見て、酷く嫌そうな顔をした。

 自分のほうに非があるというのに、詫びの一言も無い。

 この態度に怒る者もいるだろうが、今たまたま会ったというだけの人間だ。シオンは何も言うつもりはなかった。関わらないにこしたことはない。

 しかしじっと男を見ていた紅子が、おずおずと口を開く。

「あのー……謝らないんですか?」

 思いっきり、そんなことを言った。

 何を言われているか心底判っていないようで、男は怪訝そうな顔をした。

「それは、私に言っているのか?」

「はい」

「私が、何に詫びろと?」

「私たちにです」

「意味が判らないんだが。君たちが私に詫びるというなら、聞くが?」

「だって、私たちのこと泥棒だって決め付けて、お話するから。あ、それと、コンビニなら万引きしてもいいってことは無いと思うし」

 正論だが、わざわざ言う紅子にシオンは驚いた。

 普段のん気な彼女だが、こういう場面でこそ本性というのは分かる。

 刀を持った威圧的な男相手に、初心者にしてその物怖じしなさと、大胆さ。

 コイツ、けっこう気が強いかもしれない。そうシオンは思った。

 自分を睨み上げる紅子に、男は凍てつくような目を向け、淡々と言った。

「許可証は首に下げろと言われていたはずだ。規則を破った君たちに否はある」

「う……! そ、それは……!」

 紅子はぐっと声を詰まらせたあと、ばっと頭を下げた。

「それは、ごめんなさい! 採取に邪魔だったので、ちょっとぐらいいいかな~って軽い気持ちで外してたことは謝ります!」

 そして、顔を上げ、再びきっと男を見上げる。

「私も悪いところを謝ったので、謝ってほしいです!」

 男はさして表情を変えず、相変わらずの口調で言った。

「君の詫びは受け取ろう。だが、私にも詫びるべきところがあったとは思わない」

「あります!」

 と紅子が声を張り上げる。

「さっきから、すっごく嫌な目で小野原くんのこと見て、そういう目で人のこと見ないでください!」

「オノハラクン? ……ああ、そっちの……ワーキャットか」

 そう口にするのも嫌なように、男が言った。亜人を差別する者など珍しくもない。気分は良くないが、腹を立てる気もならない。

 男はシオンにはあまり目を向けたくないようで、紅子のほうに視線を戻した。

「君は、ソーサラーか。ソーサラーの感性はおかしいからな。人を見るときの目つきがどうの、喋り方がどうのと……自分たちこそそんな挙動一つで他者に術をかけたりしているから、人の細かい態度なんか気になるんだろう」

 面倒臭げに息をついた男に、紅子はますます腹を立てたようだった。

「ぜ、全然細かくないと思います! さっきから、すっごく失礼だもん! ね、小野原くん! この人失礼だよねっ?」

「あ、ああ」

 紅子が怒ったように男を指差し、シオンに同意を求める。シオンもつい頷いたが、男は平然としている。

「そんなつもりは無い。だがそこの……ワーキャットの少年に対し、私が無意識に不快感を表していたとしたら、それには思い当たるふしもある。彼を侮蔑する気持ちは無い。ただ個人的に……ワーキャットが嫌いなものでね」

「そんな言い方無いと思う!」

 よりヒートアップして今にも掴みかかりかねない紅子の肩を、シオンは手で押さえた。

「浅羽、落ち着けよ。オレは別に気にしてねーから」

「私が気にするの! 嫌いとか、思ってるだけならいいけど、わざわざ口にしないでください!」

 それでも男は紅子の憤りを、目の前を通り過ぎるそよ風のように流している。

「理由を告げただけだ。もちろんそこの……ワーキャットに恨みがあるわけではない。非礼があったなら彼には詫びよう」

 ワーキャットという言葉の前に、それさえも口に出したくないというような、躊躇いがある。本当に嫌いなのだろう。

「すまなかったな」

 と言いつつ、シオンから微妙に目線を外している。

 それでも、ごく自然に、すっと頭を下げた。その佇まいの一瞬の丁寧さで、シオンは彼を許していいと思った。

 ワーキャットは嫌いだと平然と口にするわりに、非を認めると素直にシオンに詫びた。少しでも納得していないのなら、そんな頭の下げ方はしない。

 紅子の言うように、最初の態度も物言いも、無礼極まりなかった。だが紅子の言うことに耳を傾け、心から謝った。嫌いだと言っているワーキャットに。

 彼は亜人差別主義者とは違う。亜人を心底蔑む者は、もっと汚らわしいものを見るような目や、恐れる目を向ける。そして、素直に謝ったりなどしない。

 紅子も、男のそういうちぐはぐさを感じたようで、眉をしかめつつも、戸惑った表情を浮かべている。

「私は、この山のガードを請け負っている。この時期、山菜泥棒が多い。モンスターも含めてな。そういう輩を追い払い、時にはお灸も据えている。登山客や君たちのように許可を貰って採取に来た者が、モンスターに襲われることもあるから、何かあったら大声を出すといい。聴こえる場所に居て間に合えば駆けつける」

「なんかこの人、大ざっぱだね……」

 ぼそっと紅子がシオンに言う。彼女もたいがい大雑把なほうだと思うが、その紅子が思わず言うくらいだから、この男は相当変わっている。

 せいぜい二十代くらいだろうが、喋り方もずいぶん硬い。冒険者には、こういう浮世離れした者も珍しくはないのだが、この男の場合、なりきりとも思えない。これが素のようである。

「まあ、袖触れ合うのも他生の縁だな。名ぐらい告げておこう」

 男はコートのポケットから、カードを取り出して見せた。冒険者カードだ。

 そういえば男は手ぶらだが、あまりに無造作なカードの所持方法に、この人いつか絶対落とすだろうな、とシオンはどうでもいいことを考えてしまった。

 差し出されたカードを、シオンは受け取った。紅子も横から覗き込んだ。


〈氏名:ひいらぎ蒼兵衛そうべえ

〈クラス:魔法戦士ルーンファイター/レベル:8〉


魔法戦士ルーンファイター〉の上に、マジックで真っ直ぐな横線が引いてあり、〈サムライ〉と手書きで書き足してあった。


「……え」

 ついシオンは小さく声を上げてしまい、横の紅子を見ると、彼女の顔からもすでに怒りは消えうせ、代わりに見たことないような困惑の表情を浮かべていた。

「……こ、こんなクラス、あったの……?」

「無いから……書き足してるんじゃないか……」


 現在、冒険者協会で設定されている冒険者のクラスは、六つだ。

戦士ファイター〉、〈魔法戦士ルーンファイター〉、〈射撃士ガンナー〉、〈探求士スカウト〉、〈魔道士ソーサラー〉、〈霊媒士シャーマン〉のいずれかから、希望するクラスを申請する。

 それ以外のクラスを希望しようとも、受理されない。

 良く聞くのが、得意武器を弓やパチンコとする者から、「射撃士の呼び名をガンナーとするのを止めてほしい」との声が多く、集めた署名も毎年提出されているらしいが、対する協会側の回答は、「ご不満なら戦士ファイターで登録してください」というものだという。

 シオンが父から聞いた話では、シオンが生まれる前に冒険者バブル期と呼ばれ冒険者が急増した時代があり、人数が増えた勢いで新しいクラスがどんどん作られた。それが結果として大混乱を招き、いまの数まで絞られた。絞り過ぎだという声もあり、今でも冒険者側からはたびたび不満は出るが、協会はもう要望の声を聞くことに懲りたらしく、当分この六つのクラスから増えることはないようだ。


 横目で紅子を見ると、彼女は無言で、ふるふると小さく首を横に振った。

 その目が「関わっちゃいけないよ!」と警告しているのがシオンには分かった。

 分かったし、完全に同意だ。

「あの、どうも……」

 と、シオンは丁重にカードを蒼兵衛に返した。

 受け取る蒼兵衛の腰に下がっているのが刀である理由も、嫌と言うほど分かってしまった。

 悪い人では無さそうだが、かなり特殊な人種であるようだ。

 日本だけあって、サムライを名乗る者もいる。シオンはこのときまで出会ったことは無かったが。

 実際会ってみると、反応に困るものだと思い知った。

 本人から素性を明かしたのだから、ここは社交辞令でもマジックで書き直された部分に触れておくべきだったのかもしれない。

 だが、シオンも紅子もまだそこまで世渡り上手では無かった。


 いきなり二人とも沈黙してしまったというのに、蒼兵衛はまったく意に介する様子も無く、堂々とカードを仕舞い直した。

「時間を取らせたようだな。仕事に励むといい」

 と蒼兵衛は言い、コートの裾を翻し、立ち去ろうとした。


 そのとき、シオンは遠くの悲鳴に気付いた。

 空気を裂くような悲痛な声だ。だが、遠い。広い山の中であることと、たまたまこの場が沈黙していたお陰で、聴こえたような声だ。

「待ってくれ。いま、声がした」

 呼び止めると、蒼兵衛は足を止め、シオンを振り返った。灰色がかった瞳がシオンの耳を映す。

「え、何か聴こえた?」

 と紅子が目をしばたたかせる。

「誰か襲われたんだ」

「ええっ! モ、モンスターっ?」

 と紅子が叫ぶのを、蒼兵衛が小声でたしなめた。

「騒ぐな。声を聴き逃す。せっかくワーキャットが居るんだ」

 あっ、という顔で、紅子が慌てて口をつぐむ。

 山では遠くの音もよく聴こえる。ここより随分離れた場所である可能性もある。早く探さないと間に合わない。

「さっきので、大体の方角は分かった。上だ」

「そうか。悪いが、協力を頼めるか?」

 蒼兵衛にそう言われる前に、シオンは走り出していた。足場の悪さを感じさせない野生の獣のような身軽さだ。

 見る見る小さくなって行く後ろ姿を、蒼兵衛が遠い目で見やる。

「……ワーキャットは、本当に人の話を聴かないな」

 その表情は寂しげで、どこか懐かしそうでもあった。そんな彼の横顔に紅子は一瞬気を取られたが、はっと気付いたときシオンの姿はすでに見えなくなっていた。

「お、小野原くん、早いよ……!」

 言いながら、紅子は杖をカバーから取り外した。

 そして、蒼兵衛を見上げる。

「私は足が遅いので、肉体強化エンハンスして走りますけど、おサムライさんも、良かったら、どうぞ」

「私もそのくらいは出来るが、ここで魔力温存出来るのは助かるな。ありがとう」

 そういえば、マジックで消された下の部分に、ルーンファイターと書いてあったことを、紅子は思い出した。

 素直に礼を言われた紅子は笑みを返し、魔法を唱えた。

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