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迷宮のドールズ  作者: オグリ
一章
13/88

本当のパーティー

 喫茶店オデュッセイアの店内は、昼どきにも関わらず空いていた。

 新宿冒険者センターの窓口やその他の関連施設は、月曜から金曜の十時から十九時まで、土曜は十五時まで開いており、日曜は閉まっている。

 普段学生や会社員をしている掛け持ち冒険者は、どうしても土日に現場に行くことになる。だから、土日の仕事は人気があるし、土曜のセンターは自然と人が減ってしまう。平日なら混み合ってくるビル内の飲食店も暇そうだ。


「お水、お代わりいかがですかぁ~?」

 ウェイトレスのミサホもヒマなのか、メニューを取ったあともシオンたちのテーブルに顔を出してきた。

 だがシオンと紅子の前に置かれたグラスには、水と氷がなみなみと注がれている。そこに更に継ぎ足そうとするミサホを、シオンは止めた。

「溢れるからいいよ。さっき持って来たばかりだろ」

「そうですよねぇ……あんまりやることなくってぇ……もう一度メニューお伺いしましょうか?」

「いらない」

「つれないですよぉ~。あらぁ? ピカピカの冒険者カードですねぇ~」

 紅子がテーブルの上に出しているカードに、ミサホは目を輝かせた。

「あ、私です。今日、冒険者になったんです」

「あらぁ、ステキ~。水差しがジャマで拍手できないですけど~おめでとうございますぅ~パチパチ~」

 拍手の音は自分で言いながら、ミサホが祝福する。

 紅子も照れたように笑う。

「ありがとうございます……」

 それは彼女らしい満面の笑みではなく、どことなく元気が無かった。

 ミサホが長い垂れ耳をふさふさと揺らしながら、首を傾げる。

「どうしましたぁ? 証明写真で半目になっちゃったとか?」

「う……それは頼んだら撮り直してくれたんですけど……」

「そうだったのか……」


 彼女のカードが出来るまでの間、廊下でずっと待っていたシオンは、写真を撮るところまでは見ていない。

 ちなみにカードは窓口がある二階ではなく、三階に行って作ってもらう。三階には他にカウンセリングルーム、セミナールーム、資料室があり、セミナールームでは引退した冒険者を講師とした講演会をやっていた。暇潰しになりそうだったが、人気が無さそうで覗くのも躊躇われ、結局行かなかった。


「でも、よく撮れてますよぉ~。だいじょーぶ、カワイイですよぉ~」

 とミサホは褒めてくれたが、紅子はまだ浮かない顔をしていた。

 その目の前には、出来たてのカードと一緒に何枚も紙が広げてある。

「あらぁ、お仕事を選んでる最中でしたかぁ~。すみません~、お邪魔しちゃってぇ」

 ミサホが「てへっ」とわざわざ口に出して言い、別のテーブルに呼ばれ去って行ったあとも、紅子は自分で広げた紙――窓口でもらった資料を、少し悲しげに見つめていた。

 これから紅子が受けようと思っている仕事を、職員がピックアップしてくれたものだ。


 カードが出来た後、仕事を探すために再度窓口に並んだ。

 同時にパーティー募集について話も聞いてきたが、これはいったん保留になった。

 いきなりパーティーを組まずとも、仕事によってはその場限りの寄せ集めパーティーを組むこともある。ソロのシオンもよくやっている。

 ソーサラーならレベル1でも歓迎される仕事はあるから、そういうものを受けつつ、いずれ気の合った人を見つけるのも良いかもしれない、と職員に勧められたのだ。若い少女だから職員も心配したのだろう。紅子自身もそうすると決めたようだ。


 仕事はその場ですでには受けず、良さそうなものをいくつか選び、いったん資料だけをもらってきた。初めての仕事だし、食事でもしながらゆっくり吟味しようということになったのだ。

 だが、紅子はようやく出来るはずの冒険者の仕事の内容に、戸惑っていた。


「お仕事って、全部ダンジョンに行くわけじゃないんだね……」

「そりゃな」

 あっさり返し、シオンも資料を手に取った。

 場所は関東の山奥ばかり。仕事内容は、採取が主である。

 奥多摩、秩父、丹沢。どこも特急で行けばそう遠くはない。

「そんなもんだよ。オレも、初めはこういう仕事ばっかりやってたよ」

「えっ、小野原くんも? 最初のお仕事は山菜採り?」

 紅子は驚いたように顔を上げる。

「うん。最初は初心者だからな。キノコ採りに行ったよ。食材用の」

「すごいキノコを?」

「どんなだよ。すごいかは分からないけど、限られたとこにしか生えてなくてモンスターも出るから、普通の人が採りに行くのは危ないんだろ」

「そ、そっかぁ……。ね、この奥多摩での山菜収集は、集合場所が現地集合になってて、行ったらリーダーが案内してくれるって書いてるけど……」

 言われた依頼書に、シオンは目を通した。備考欄に『報酬は日払いOK! 希望者には袋・スコップ等貸し出し。装備・軍手は各自でご用意ください』と書いてある。

「同時に何人か募集してるんだろうな。行ったら、他の冒険者も集まってるんじゃないか。で、手分けして山菜採るんだろ」

「あっ、春休みにそういう短期バイトしたよ? 公園に集合して、知らない人たちと近くの食品倉庫の整理したの」

「似たようなもんだろうな。採取場所が少し危ないってだけで」

「えっ、これ短期バイトなの?」

「内容的には、そうだよな。専業でやってる冒険者なんてフリーターみたいなもんだし」

「そ、そうなんだ……なんか、思ってたのと違うね」

 紅子は目をぱちくりさせながら、正直にそう漏らした。

「冒険者の仕事っていうと、モンスターを倒したり、ダンジョンに隠された宝を探す仕事みたいに思われるけど。ごく一部だよ、そういうのって」

「それは、何となく分かってたけど、山菜やキノコ採りとは思わなくて……ね、小野原くんのときも、やっぱりこういうのだった? たくさん集まって」

「いや。オレは一人でやったよ。個人の料理店からの依頼で。たまたま、初心者一人でも可、っていう依頼があったから。報酬は多少安くても一人のほうが良かったから、ちょうど良かったな」

「あ、こっちの依頼はそんなかんじかも。秩父の……」

 と紅子が別の依頼書を見る。が、シオンはこう言った。

「でも、大勢で行けるならパーティー組んでなくても安全だし、採ったものもその場で回収してくれるんじゃないか。そのほうが楽だと思う」

「でも、小野原くんは一人だったんでしょう? 私じゃムリかな?」

「ムリかは分かんねーけど……」

 そうは言っても、彼女は女性だし、ソーサラーだ。一人の危険はシオンのときより大きいだろう。勧めたくは無い。

「ね、そのころの小野原くんって、いくつだった?」

「十四歳だったよ」

 いまでもたまにそのぐらいに間違えられるが、とは言わなかった。

「一人で仕事受けるの、怖くなかった?」

「それは別に。ただ、ガキはガキだし、そのうえ初仕事だし、実際受けたくても依頼者のほうが断ってこないかなとは思ったよ」


 最初の仕事は、どうしても印象に残る。シオンは自分が駆け出しのときを思い出していた。

 難しい仕事では無かったし、モンスターとの遭遇も初めての戦闘も、危なげなく乗り越えた。

 一番不安だったのは、仕事の中で人と関わっていくことだった。亜人とはいえ学校もろくに通えなかった十四歳の子供を信頼して、仕事を任せてくれるのか。シオン自身にも、社会人らしい振る舞いが必要になる。


「でも、亜人ならそのくらいの歳で冒険者になる奴もいるし、構わないって言ってもらえてさ。気楽で良かったな」

 人間社会に馴染むことを諦め、自ら選んで冒険者になった亜人の子は、十四歳だから、子供だからと、甘えてはいられない。

 元々社交的な性格ではなく、経験も知識も乏しい。だから人が怖い、仕事が出来ないなんて言い訳は、通じない。ただひたむきにやるしかなかった。


「依頼してくれたのが、旦那さんが定年してから夫婦で料理店始めたっていう人たちで、どうせこっちも趣味でやってるからって。若い冒険者さんの仕事になるなら、そういう人に受けてもらったほうがいいって言ってくれて」

 自分の仕事ぶりが、はたして依頼者の期待通りだったかは分からない。でも、その後も何度か任せてくれた。

「いいなあ。私も、そんなふうにお仕事出来たらいいけど」

「依頼者にも、新人冒険者を応援したいとか、効率や成果は二の次にして、あえて経験者じゃなく、新人に仕事回してくれる人や会社もある。オレもその最初の依頼者からその後も何回も任せてもらえて、運が良かったな」

「それは、小野原くんが真面目で、ちゃんとしてたからじゃない?」

「そうかな」

 紅子が妙に嬉しげに頷く。

「うん。そうだよ。小野原くん、いい人だもん。でも、私もがんばらなくちゃ。きちんとお仕事して、ダンジョンに入るようなお仕事しなきゃ」

 ダンジョンにあくまで拘る紅子だったが、センターで彼女が口走った『ドール』という言葉を、シオンは思い出した。

 それは、彼女の目的に関わることなのだろうか。


 冒険者には訳有りな者も多い。何か事情がありそうでも、パーティーでもなければ、相手から口にしない限り、首を突っ込まないのが礼儀だ。

 だが、紅子とは友人だ。冒険者同士の礼儀じゃなく、彼女がもし何か抱えているのなら、聞き出したほうが良いのだろうか。

 もう長らく友達の居ないシオンは、こういう距離感がいまいち掴めずにいた。


「浅羽は、やっぱりダンジョンに入りたいのか?」

「うん」

「だからって、黙って入ろうとはしないんだな」

 ダンジョンに無許可で侵入する行為は、冒険者であっても違法にあたる。

 だが、入ろうと思えばたやすい所ばかりだ。協会も警察も、取り締まれていないのが実情だ。

「うん。でも色んなダンジョンに入るには、レベルは上げなきゃダメじゃない? レベルによっては入っちゃいけないダンジョンもあるんでしょう?」

「そうだな。ほとんどのダンジョンは警備員とかいるわけじゃないし、入り口も封鎖されてるわけじゃないから、黙って入る奴もいるけどな」

 紅子はそうじゃないと思いたいが、あえて訊いた。

「そうまでして、行きたい場所じゃないのか?」

「行きたいよ。目的があるから」

 紅子は静かに言った。その目に光があることを、シオンは確かめた。

 いまの紅子は正気がある。いまの彼女の気持ちは、きっと本物だ。

「でも、それだけじゃダメなの。勝手に忍び込んでたって、そのうちバレちゃうでしょ? 一つ二つなら、それでいいかもしれないけど」

「そんなにたくさんのダンジョンに、用があるのか?」

「うん。ダンジョンじゃないの。私、《たからもの》を探してる。でも、簡単じゃないのは分かるから……きちんとお仕事して、経験も積んで、レベルを上げて、協会に信頼してもらって、出来たら私と一緒に居てくれる仲間も欲しい。そうじゃなきゃ、きっと行けないところもあると思うの」

「行けないところ?」

 こくんと頷く。

「そう。でも、今の私じゃ行けない。そういうところにあるんだと思う」

 何を求めて、何処に行きたいのか、具体的には口にはしなかった。

 それはきっと、シオンは友人であって、仲間ではないからだ。

 言えば、シオンを巻き込むことになる。おそらく、シオンが気にしてしまうようなことなのだろう。

「だからね、ちゃんとお仕事して、レベルを上げて、後ろめたい思いせずに、色んなダンジョンに入れるようになりたいんだ」

「……認定ダンジョンとか?」

「うん。そういうところも」


 認定ダンジョンは、協会から資格をもらった冒険者の中でも、一定以上のレベルを持つことを条件に、許可をもらって入るダンジョンである。勝手に入り込むことは許されないし、充分なレベルに達していても、用も無く入ることは出来ない。

 理由は、危険だからとか、貴重な資源が採れるからだとか、保護対象の植物やモンスターがいるからだとか、ダンジョン自体が保全対象であるとか、様々だ。


「――あとね……」

 それまで強い意思を感じさせる口調だった彼女が、急に言いづらそうに目を伏せた。

「お、お金も欲しい……かな?」

 恥ずかしげに、そう口にする。

「えと、レベルを上げるついで……じゃないけど、ちゃんと冒険者としてお仕事すれば、報酬もあるでしょう?」

「ああ、家計が苦しいって、言ってたっけ」

 以前、ここで食事をしたときに、パフェを食べながら話してくれた。

 両親と兄を失って、叔父夫婦に引き取られたが、数年前から叔父と従兄弟の仕事が上手くいっておらず、生活が苦しいのだという。

 紅子が中学のときから新聞配達をしていたのも、今もファミレスとコンビニでかけもちバイトをしながら冒険者にまでなろうとしているのも、自分の食いぶちと学費を稼ぐためだ。

「叔父さんの仕事が上手くいってないんだっけ?」

「そうなの。叔父さんと従兄弟のお兄ちゃんは、魔法銃の弾を作る工場……って言っても、小さいところでね、働いてるんだけど。何年か前に魔法弾の輸入が規制緩和されて外国からでも魔法弾を輸入できるようになったから、いま町工場はすごく苦しいんだって」

「へえ」

 と頷くシオンは、実は魔法銃に関して、まったく詳しくない。


 ほとんどの冒険者は、《魔法銃まほうじゅう》ではなく、《魔銃マガン》と呼んでいる。

 扱う射撃士ガンナーらが、そう呼んでいるので、それに倣っている。魔法銃という呼び名は今はダサいらしい。どっちもどっちだと思うが、シオンには関係ないのでどうでもいい。

 冒険者の武器としては、メジャーな部類だ。所持と取り扱いには資格が必要となる。これを扱ってみたくて冒険者になる者もいる。

 引き金を引くだけで、魔法と同等の威力の攻撃を放てるのだから、強力な武器である。


 しかし、日本の冒険者にとっては、不便も多い。

 日本では手強いモンスターはほぼダンジョン内に生息している。地上で見かけるのは繁殖力の強いゴブリンや小型から中型の魔獣がほとんどで、大型は居たとしても、人が足を踏み入れない秘境と呼ばれるような場所でのみ確認される。

 そういった場所はモンスターの楽園と化しており、大型は他のモンスターを喰うから、わざわざ人の居るところまでやって来ない。だから地上では大きな戦闘をすることがほぼ無い。

 かといってダンジョン内では、扱いが難しい。欠点は、仲間への誤射が恐ろしいことと、ソーサラーのように自分の意思で出力を変えられないことだ。真っ直ぐにしか狙えないし、乱発して壁や天井に当てまくると、崩れやすいダンジョン内部を傷めてしまう。

 魔力も無く非力な者にとっては、手軽かつ強力な武器になる。が、資格も含めて扱いが難しいことから、力の強い亜人種や、自身や武器を魔法で強化出来るルーンファイターであれば、単純に斬ったり殴ったりするほうが良い。

 シオンも仕事で色々な冒険者と一時期的に組んだが、正直、射撃士ガンナーとはやりにくかった。

 戦闘中、背後から魔弾が飛んでくるのは、ちょっと怖い。即席パーティーで信頼関係が無いと余計に。


「たしかに、ガンナーってあんま居ないし、魔銃自体があんまり生産されてないっていうよな」

「そうみたいだね。魔弾の受注も年々減ってるって。いまはやっぱり魔剣の開発が人気あるみたいだけど、そういうのはお金持ってる企業がやってることで、小さい工場じゃやりくりが大変で、新しいものの開発なんてとても出来ないんだって」

「そうだろうな」

 岩でも易々と切り裂けるとか、刀身に炎や氷や電撃を宿すとか、そんな武器があれば便利だろうとは思う。

 そんな魔剣や、空飛ぶほうきや絨毯、遠くのものを映し出せる水晶球など、本や映画にしか出てこないような魔具の開発に、本気で心血を注いでいる企業、技術者や研究者も多いらしい。

「そんなの出来ても、すごい高いんだろうな」

「ねー、ロマンだよね」

 そう頷き、にこにこと笑う。

 こうして見ていると、普通の少女なのに、いくら魔力があるからといっても、訓練も何もしていない彼女がこれからやって行くのには、本人も言うとおり仲間が――パーティーが必要だ。

 それが誰でもいいというわけではない。初心者ソーサラーを利用するような輩はもってのほかだが、センターでの声のかけられ方を思い起こすと、下心を持った男も群がってきそうだ。


 彼女の叔父と叔母は、紅子が冒険者になるのに賛成していると言っていた。

 それがシオンには不思議だった。

 普通なら、いくら魔道士の才能があるといっても、それほど家に金が無いにしても、本人が希望していたとしても、冒険者は危険だ。人間の少女に務まるとは思わない。桜は幼少期から自分でそれを決めて、訓練していた。才能もあったが、努力も凄まじかった。

 紅子は違う。幼少から訓練を重ねたふうではないし、戦闘経験も無いという。

 そんな少女が冒険者になることを、簡単に許すとは思えない。

 ということは、その叔父叔母は、たとえ何の理由があろうとも、その理由よりも紅子の身のほうを、軽んじている。

 他人のシオンには、ただそんなふうにしか思えない。

 けれど、さっきの言葉や表情に、嘘があるとも思えない。

 考えられるのは、紅子は彼らを慕っているが、彼らのほうからは、煙たがられているということだ。

 だとすると、彼女がいつも元気で明るいことも、冒険者になろうとしているそのひたむきさも、可哀相だった。


 本当なら、普通に学校に通うのが似合うはずの少女なのに。 

 いくら目的があっても、冒険者になりたかったと言っても、怖くないわけはないのに、いつも明るく振舞っている。

 そんな彼女のいじらしさが、かえって心配でもあった。


「……でも、本当に魔剣なんて作れたら、すごいお金持ちになるのかな?」

「量産品が作れれば、なるんじゃないか? 一本だけでいいんなら、かなり高価な魔石をたくさん使えば、それっぽいもの作れるっていうけど、それじゃコストがかかり過ぎて商売にはならないよな。安定して手に入れられる材料で作れないと」

「うーん、やっぱり魔石かぁ。たくさん魔石があれば、なんとかなるのかな?」

「金にはなるよな。いいやつが見つかればだけど」

「もし、私がたくさん魔石を見つけたら、叔父さんたちも楽になるかな。もし、魔剣が作れるくらいの魔石があったら……」

 夢みたいなことを本気の顔で言うので、ついシオンは笑った。

「でも、そんなにいい魔石なんて、滅多に見つからないものだから高いんだろ」

「そっかぁ……」

 ふう、と紅子が深い溜息をつく。

 そして、ぽつりと呟いた。

「……やっぱり、お金欲しいなぁ」

 毎日学校に行きながら、アルバイトに行って、冒険者にまでなって金を稼ごうとしている。

 そんな彼女の境遇を考えれば気持ちは分かるが、シオンはその思いつめた表情が気になった。

「浅羽。人それぞれだとは思うけど、最初はあんまりそういうこと考えないほうがいいんじゃないか?」

「え?」

 目を丸くする紅子を、シオンは静かに諭した。

「依頼をこなす以外のこと、考えないほうがいいってことだよ」

「あ、う、うん。そだね」

 はっとしたように、紅子が顔を赤くする。

 まさかそこまで本気ではないと思うが、念のため釘を刺しておく。

 人が良いから、叔父や叔母のために必死になって金を稼ごうとしてるんじゃないかと思ったのだ。

「浅羽は、戦闘したことないよな?」

「……うん」

「仕事に行ったら絶対モンスターに遭うってわけじゃないけど、無いとも言えないから。あんまり気負うのも良くないけど、気を付け過ぎて悪いってこともないから。依頼こなすことに集中して……」

 そこまで言ってシオンは紅子の気まずそうな顔に気付いた。

 引率を頼まれているわけでもないのに、余計なお世話だった。だが、正直な気持ちでもあった。

「……悪い。浅羽が仕事をナメてると思ってるわけじゃない。ただ、予測はしていても、いきなりモンスターが出たら、咄嗟に反応できなかったりするから……」

 この前の、初心者パーティーもそうだった。専門学校に通って、戦闘の訓練もしていたのに、初めてみるモンスターに混乱し、対処しきれなかった。

 あれだけの人数がいて、様々なクラスで編成されたパーティーで、冷静な判断さえ出来ていれば、倒せない敵じゃなかった。一番怖いのは、モンスターよりも突然の事態にパニックを起こすことだ。

「とりあえず、最初の仕事は、それだけ考えたほうがいい。その、金とか、ダンジョンとか、いったん忘れろよ」

「ほんと、そうだよね……」

 紅子は反省したように、しょんぼりと肩を落とした。忠告した後はフォローが必要なのかもしれないが、シオンはその後に続く、慰めの言葉を思いつかなかった。

 かといって、楽しい話をして空気を変えることも出来ない。

 考えた末、普通にこう言った。

「……あのさ、もし何かあったら、なんでも相談に乗るから」

「ありがとう、小野原くん」

 大したことの言えないシオンに、紅子は微笑む。

「私、大丈夫だから、気にしないでね。小野原くん、当たり前のこと言っただけだもん。そーだなーって、思ったよ」

 精一杯、笑顔を浮かべている彼女は、とても優しい。

「それに、いつも相談に乗ってもらってるよ。ほんと、小野原くんにはいつもお世話になっちゃってばかりで、甘えちゃって、ダメだね」

「そんなことないけど」

「ううん。今日だってこうして付き合ってくれてるし、すごく嬉しい。小野原くんだって忙しいのに」

「いや、どうせヒマだったから」

「ううん」

 と紅子が小さくかぶりを振った。

「小野原くんは、優しいね。なんかね、小野原くんと話してたら、元気出るよ。いつもありがとう」

 自分の言葉で傷付けてしまったとシオンは思っていたのに、紅子はまったく逆のことを言う。

 優しいのは彼女のほうだ。

 紅子が胸の前で、両手をぎゅっと握ってみせた。

「こんなに小野原くんにお世話になってるんだもん。せっかく冒険者になれたし、私、ちゃんとがんばってお仕事する」

「うん」

 シオンも頷いた。その顔が少し笑っていたので、紅子はほっとしたようにまた顔を綻ばせる。

「がんばるよ。がんばるから……」

 それから紅子はだんだんと俯き、口をつぐんだ。頬がうっすらと赤く染まっていく。

「だ、だから、ね」

 それからしばらく間があった。

 紅子は時折、唇をもごもごと動かし、何か言おうとして、また唇をきゅっと引き結ぶ。

 シオンは黙って待った。彼女なりに、何か、本気の言葉を伝えようとしているのだろうと思ったからだ。

 いつの間にか、顔中が真っ赤になっている。色白だからか、ちょっとしたことでよく赤くなっているが、いままさに熱い風呂に入ってるような、尋常じゃない紅潮の仕方だった。

「あ、浅羽?」

 ちょっと驚いて、シオンは声をかけたが、紅子はぱくぱくと口を動かし、かと思えばまた黙ってしまう。

 それを何度か繰り返していたが、やがて、意を決したように言った。

「い、いつか! いつかね!」

「うん」

「わ……私のレベルが上がったら、私とも一緒に、お仕事してほしいな!」

「え?」

 ぎゅっと目を閉じ、紅子が上ずった声を上げる。

「今じゃないの! いつかの話、だからっ……!」

「あさ……」

「あのね、今じゃないからっ、あの、気にしないでねっ! 今じゃないけど、今言いたかっただけなの!」

 シオンが口を開こうとすると、紅子が無理やり遮る。

 そうしていると、ミサホが料理を運んできた。

「はぁ~い、カツ定のキャベツ大盛りと、日替わりハンバーグランチのご飯とキャベツ大盛りと、サービスのスープとパンですよ~」

「わ、わあっ、美味しそう!」

 温かい湯気の立ち上る料理に、紅子がぱっと顔を上げる。

「ね、小野原くん、美味しそうだねっ!」

「あ、ああ……」

「それに、食べ応えもありそう!」

 本当だった。

 紅子の前に運ばれてきた料理を見て、シオンはぎょっとした。

「……なんか、浅羽のやつ、前より盛りがすごくなってないか?」

 紅子のハンバークセットに付いているライスが、文字通り山盛りである。

「ふふふ、冒険者になった景気づけだって、マスターが。この前の食べっぷりを、とっても気に入ったみたいで~。ヤラしいですよねぇ~。マスター、こっそり見てたんですね~」

 ミサホがにこっと笑う。

「わぁ、ありがとうございます!」

 テーブルの上を慌てて片付けながら、紅子は嬉しげな声を上げる。少し慌てた様子で、ナイフとフォークを手に取る。

「ほら、小野原くんも、食べよ! ね!」

「あ、うん」

「たくさんあって嬉しいなぁ。でも私、大食いだけど、食べるの遅いから、モタモタしてたら冷めちゃうよね!」

 彼女にしてはせかせかと、ライス同様に少し大きい気のするハンバーグを頬張り、また歓喜の声を上げる。

「わあ、すっごく美味しい!」

「うふふ、よかったぁ~。では、ごゆっくり~」

 ミサホが去ったあとも、紅子がいつも以上に「美味しい」と連呼しながら、食事をしていた。





「――小野原くん、ごちそうさまでした!」

 店を出てすぐに、紅子が丁寧に礼を言い、ぺこりと頭を下げた。この姿もすっかり見慣れた。

「ああ、うん」

 シオンは薄く微笑み、頷いた。

「なんか、今日は私のために来てくれたのに、ご飯までまた奢ってもらって」

「いいよ。冒険者になった祝い」

「ありがとう! じゃあ、今度小野原くんのレベルが上がったら、私がお祝いするね!」

「いや、いいよ。レベルくらいで。あんなの勝手に上がるもんだし」

「ダメダメ、お祝いして印象付けておかないと、小野原くんまた自分のレベル忘れちゃうからね」

 たしかに、的を得ている。彼女もシオンのことがよく分かってきている。

「でね、お仕事も、どれにするか決めたよ」

「そうか。どれにするんだ?」

「んとね」

 ガサガサとトートバッグを漁り、紅子が依頼書を取り出した。

「一人は怖いから、やっぱりこの奥多摩で、山菜取りにしようと思って。ほんとは、こっちの、秩父で山菜取りがいいかなって思ったんだけど」

「どっちにしろ山菜だな」

「あ、そだね。最初に言ってた、奥多摩で集合するやつ。これなら小野原くんの言ってた通り、一人で行っても、みんなで出来るし」

 と、紙を手に、紅子はシオンを見上げた。

 奥多摩といえば、そういえばこの前、引率で行った。あのときは小賢しい狒々らと遭遇したが、山菜が採れるような場所なら普段から人が多く訪れているはずだ。警戒心が強いモンスターなので、出てこないだろう。

「これをね、これからセンターで申請して来ようと思うの。小野原くん、今日はもういいよ。いっぱい付き合わせちゃったし」

「オレは構わないよ」

「でも……一日中付き合わせてるし。また待ち時間長いよ?」

「行くって言ったのはオレだから」

「そ、そう?」

 紅子は申し訳なさげだが、嬉しそうでもある。

「……それと、結局パーティーはどうするんだ?」

「あ、うん。これから探すつもりだよ。でも、お仕事はとりあえず、これを一人で参加してみようかなって。色んな人が来るなら、もしかしたらそういう出会いもあるかもしれないし」

 笑顔を向ける紅子に、意を決してシオンは言った。

「それなんだけど、浅羽。もし良かったら、オレが……」

 そう切り出したとき、店から別の客が出てきた。邪魔にならないよう避けたが、三人の男の客はシオンたちを追い越さず、立ち止まった。

「あ、君さ」

 男の一人が、紅子に声をかける。

「私ですか?」

 若い人間の男たちだった。二十代後半ぐらいだろう。冒険者は見た目が若い者が多いから、三十代かもしれない。

「ごめんね、急に声かけて。朝、センターにいた、紅子ちゃんだろ?」

「あ、はい」

「さっきさ、センターでパーティー募集してなかった?」

 どうやらセンターに居合わせた冒険者のようだ。紅子が大声で名乗ったのでおかげで名を憶えた者も多いようだし、ただでさえ彼女は目立つ。冒険者では少ない若い人間の女で、しかも美少女だ。

「あ、募集はしてないんですけど、募集してるパーティーがあるかなって思って。話だけ聞いてたんです」

 紅子がにこりと笑って返す。

 薄々シオンも気付いていたが、紅子はおっとりしているようでも、けっこう声をかけられることには慣れているようだ。

 考えてみれば、普通に外を歩いていても、ナンパぐらい何度もされているはずだ。それを交わすすべも心得ているだろう。

 変に心配ばかりしているシオンが、考えすぎなのかもしれない。

「俺たちさ。冒険者やって二年くらいなんだけど、ちょっと前にソーサラーが抜けちゃってさぁ。ソーサラーだったら、初心者でも全然良いし、良かったらうちのパーティーに来ない?」

「え、私ですか?」

 突然の誘いに、当の紅子よりも、シオンのほうが驚いてしまった。

 いや、センターでたちまちアイドルばりになってしまったときに、ある程度予測はしていたのだが。

 紅子はきょとんとしながら、男たちに尋ねる。

「センターに募集出してるんですか?」

「いや、出してないけどね。あそこで募集出しても、正直……いいなって思う人とは出会えないんだよな。特にソーサラーだと、ヘンな奴来ちゃうこと多いから」

「そうなんですか?」

 苦笑する男たちに、紅子が首を傾げる。

「あの、すみません、失礼かもしれないですけど……そうだったら、私も初対面だし、変な奴かもしれないって、思わないんですか?」

 やんわりとだが、はっきりそう尋ねる。

 もっともな質問に、男たちも気を悪くした様子もなく、返す。

「ああ、うん。正直、ある程度魔力があって、それが実践的かっていうのは、これから実際に見せてもらったりはすると思うよ。ただ、人柄がすごくいいなって思ってさ」

「うん。レベル1でまったく未経験なら、最初はある程度出来なくても仕方無いと思うから、慣れていってくれればいいと思うし」

「そうそう、最初は照光ライティングとか、簡単な治癒ヒールしてくれるだけでも、全然助かるよなぁ」

 口々に告げる男たちの言うことは、別におかしくはない。紅子を見て良い子そうだと思うのは分かるし、戦闘経験が無くても、ソーサラーの魔法は役に立つ。

 ちゃんと登録している冒険者なら、身許もはっきりしている。話だけでもしてみるか、一度仮パーティーを組んでみて、合わないと感じたら解消すればいい。それだけのことだ。

 でも、シオンはやはり心配だった。

 これが考えすぎだとしても、お節介だとしても、紅子が自分が思っているよりしっかりしていたとしても、知らないところで彼女が酷い目や可哀相な目に遭うのは、嫌だと思った。

「良かったら、一度パーティー組んでみない? これから何か仕事するんなら、手伝うよ。仮ってことでさ」

「いいと思ったら、組んでくれたらいいし。合わなかったらそれでもいいから」

 男たちの話を一通り聞いてから、紅子が答える。

「でも、私、条件付きなんです。高校に通ってるから、土日か、祝日か、長期の休みしか、お仕事出来ないんです。そのうえレベル1だから、みなさんがやりたい仕事も一緒に出来ないと思うし、結果的にご迷惑かけちゃうと思うんです。だから、パーティー募集には、慎重になりたいんです」

「あ、全然大丈夫。それなら土日以外で別のダンジョン行くし。紅子ちゃんも俺たちについて来れば、レベルなんてけっこうすぐ上がるよ」

「俺たちも二年ですぐレベル6になったしな。ただ、こっからはソーサラーいないと、けっこうキツいなってのもあってさ」

「でも、私、最初は山菜採りしようと思ってるんです」

「あ、全然オッケー」

「ついてく、ついてく」

「懐かしいな。オレらも最初はそんなのばっかだったよな?」

 実際にカードを見せてもらうまでは分からないが、二年でレベル6ならそれなりに堅実にやってきた冒険者といえる。

 紅子はなかなか頷かなかった。当然だろう。彼らの言っていることにそうおかしな点はなくても、唐突な話だ。

 しかし、彼女としてもまったく悪い誘いではない。どちらにせよ、これから見ず知らずの人間と組むことには変わりない。

 シオンはそのやり取りを、外側から見ている気分だった。

 さっき、紅子に言おうとした言葉があったのに。いままた他人事のように、一歩引いてしまっている自分に気付いた。

 いや、本当は彼女とセンターで出会ってから、ずっと何度も言おうとして、言わなかった。


 ――もし良かったら、オレが、一緒に行こうか?


 桜のことを気にしていないかと言ったら、嘘になる。

 だが、それだけじゃない。

 冒険者なんて明日の分からない仕事をしていて、近しい人間を作ることが怖くなっていた。

 パーティーなんて組んだって。

 自分も、相手も、明日死ぬかもしれないのだから。

 

「こっちの彼と、組んでるわけじゃないんだよね?」

 男の一人がシオンを見て言った。

 それには紅子はすぐ答えた。

「あ、彼は友達で。今日は付いて来てくれたんです」

 その言葉に、どうしてかシオンは寂しい気持ちになった。

 当たり前だ。彼女なら、そう答えるに決まっている。

「じゃあさ、今日すぐ返事とか要らないし、ちょっと考えてみてよ」

「そうだな。連絡先も、こっちのだけ教えとくからさ。気が向いたら連絡くれればいいから」

 けれど、彼女の本心はどうなのだろう。

 シオンは初めて、紅子の自分に対する気持ちを考えた。

 一緒に居て、笑ったり喜んだりする素直な姿や、さっき顔を真っ赤にしながら、懸命に自分の言いたいことを伝えようとしていた姿を思い出す。シオンはあんなふうに他人に感情が出せない。言いたいことも口に出せない。でも、紅子はちゃんと言ったのだ。あんなに一生懸命。

 それだけシオンに心を許してくれているのだと、今更のように気付いた。

「とりあえず、連絡先渡すからさ。――誰か、ペンと紙持ってねえ?」

「俺、店で借りてくるわ」

 一人が、《オデュッセイア》に戻ろうとしたとき、シオンは声を上げていた。

「待ってくれ」

 今までずっと喋っていなかったシオンが声を出したので、男たちも紅子もシオンに目を向けた。

 シオンは、紅子を見た。

「浅羽、オレと行こう」

「へっ?」

 紅子が目をしばたたせる。

 それから、シオンは男たちに告げた。

「ごめん。せっかく声かけてくれたけど、コイツとはオレが組むから、悪いけどソーサラーは他を当たってほしい」

 男たちも驚いたようにシオンを見て、それから顔を見合わせる。

「それはいいけど……でも、君もさ。かなり若くないか?」

 一人が尋ねる。

「組むって、これから? 君たち二人だけか?」

「ああ」

「君もまだ新人なんじゃないか? 亜人だから訓練はしてるんだろうけど、危ないと思うよ。なんだったら君も、一緒にオレたちのパーティーに入る?」

 どうやら、本当に悪い奴らではなかったようだ。

 ちょっとでも彼らの下心を疑ったことを申し訳無くは思いつつ、シオンは腰のポーチから、自分の冒険者カードを取り出した。

「ありがとう。でも、大丈夫。オレもやってるから」

 こういうときカードは便利だ。外見や年齢ではすぐに侮られるので、もう見せたほうが早い。

「うお……レベル11」

「てか取得年、オレたちと一緒じゃん。二年でレベル11かよ」

「これはオレら、尻尾巻いて逃げるとこだな」

 男たちはシオンのカードを見合って、感嘆の声を上げた。そして、あっさり言った。

「うん。分かった。少年、オレたちの紅子ちゃんを頼むな」

 ぽんとシオンの肩を叩かれる。何だか最近、肩を叩かれることが多い気がする。

「いや、レベル11なら、オレたちより大丈夫だろ」

「それもそうだ」

「じゃーね、紅子ちゃん」

「がんばってなー」

 そして紅子に手を振りつつ、去って行った。


 愛想の良い紅子にしては珍しく、男たちに手を振り返すこともなく、元気な挨拶もしない。頭も下げない。

 ただ、口をぽかんと開けたまま、固まっていた。


「……浅羽?」

 シオンが顔の前で手を振っても、呆けたように反応しない。

 またおかしくなっているのかと顔を覗き込んだとき、はっと紅子が覚醒したように顔を上げた。

「おっ、小野原くん!」

 そうしたら、紅子の額がシオンの口と鼻に激突した。

「でっ!」

 顔を押さえるシオンに、紅子が慌てて謝る。

「えっ! わわわっ! ごごごご、ごめんなさいっ!」

「……いや、オレこそ……」

 シオンは呻いた。

「わ、私、びっくりしちゃって! ぼけっとしちゃってた!」

「お前こそ、額……大丈夫か……」

「私は、けっこう石頭だから。お、折れてないっ? 鼻とか、歯とか!」

「うん……」

 油断していたところへのダメージは、けっこう痛い。が、紅子の様子がいつもどおりだったので、ほっとしていた。

「ごめんね、ごめんね! でも、小野原くん、ほんとに、ほんとにいいのっ?」

 ぎゅっと紅子がシオンの手を掴む。柔らかい手が熱を持って熱い。

「……え?」

 衝撃で一瞬、先の出来事を忘れかけていたが、紅子の泣きそうな、それでいて嬉しそうな表情と声に、シオンは自分が言ったことを思い出した。

「オノハラさま~? なんか、痛そうな声がしましたけど、どうしましたぁ? あと、お店の外ではお静かに~……って、あらぁ?」

 店の中から、ミサホが顔を出した。

 そして、外にいる二人の様子を見て、さっきの紅子のように、ぽかんと口を開けた。

「……あのぉ~、お店のすぐ外なんでぇ~、お客さまのおジャマになっちゃいますのでぇ~、そういうことはおうちか、ビルのすぐ裏にラブホ……」

「ち、違う!」

 とシオンは、感極まって抱きついてきた紅子の柔らかい感触と、硬い壁に挟まれながら、顔を真っ赤にして弁解した。

「うわーん!」

 と大声で泣きながら、紅子はぐずぐずと鼻を啜った。

「ありがとう、ありがとう! 小野原くん! ほんとは、知らない人とパーティー組むの、すっごく怖かったからっ……うれひいよぉ、うぐっ」

 最後は嗚咽になりながら、紅子はシオンの首にしっかりと腕を回し、胸に顔を押しつけ、わんわんと泣いた。

 その柔らかさに驚いた。見ているだけだと壊れそうなほど細くて、か弱い感じがするのに、触れるとこんなにしっかりとしていて、温かい。身近な異性といえば姉にどつき回されたことしかないシオンは、初めての少女の感触に、人間の女の子の身体ってこんなのなのかと、初めて知った。

 未だ痛む鼻先に、芳しい匂いが漂う。年頃のワーキャットの悲しい習性で、勝手に尻尾が反応し、喜ぶようにパタパタ揺れている。それが自分でも分かるので、シオンは余計に顔を赤らめた。

 号泣する少女と、なんだか興奮しているような少年の様子に、ミサホが落ち着いた声で言った。

「……向かいに、カラオケボックスも、ありますけどぉ~」

「違うって!」

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