駆け出しと、引率
初心者の引率をするにあたり、シオンなりに真面目に考えてみて、生まれて初めて冒険者向けの情報誌を購入したりもした。
昔、桜も買ってきて五分読んで「バカバカしい」と投げ捨てていた、《ダンジョンウォーカー・関東版》の今月号の表紙には、『巻頭特集! 春から冒険しよう! 初心者向けオススメお手軽ダンジョン10選』と大きく書かれてある。
最近はこんな本を、近所のコンビニでも見かけるようになった。それだけ売れているということだ。
特集記事の『初心者向けオススメお手軽ダンジョン』の一番最初に、《北関東採石場跡》が堂々と掲載されている。
アイドル冒険者という謎の肩書きの少女が、ピンクの鎧を着てにっこり笑う写真の横に、吹き出しが描かれており、その中の『〈危険度〈少〉! だけど、ダンジョンらしさはピカイチ! 冒険者生活スタートの第一歩にふさわしい、人気NO・1ダンジョンだよ!』というコピーが、悲しい。記事の差し替えが間に合わなかったのだろう。
窓口で聞いた通り、かの場所は現在すさまじいほどの不人気となっている。元々、探索などし尽くされ、初心者の訓練場所という以外に旨味の無い場所だ。ガルム事件のおかげで初心者が忌避し、いまやガラガラだ。
今回の依頼者たちもこのダンジョンは嫌がっていると、受付嬢から聞いた。
どうせ半年もすれば風化するだろうが、あんな事件の直後では仕方が無い。
個人的には、不人気ならかえって空いてて良いのではないかと思うのだが。
当日、シオンは始発の電車で東京を出て、奥多摩に向かった。駅からはバスに乗り、指定のダンジョンに一番近いところに下り、そこからは徒歩だ。
装備の重い冒険者だと、やはり車での移動になる。シオンが軽装なのも武器にダガーを使用するのも、自分に向いているというほかに、移動の面を考慮した部分もある。
冒険者だからと言って、これみよがしに大きな武器を担ぎ、公共の乗り物に乗ることは出来ない。だから、ほとんどの冒険者は車で移動する。
短い刀剣くらいなら駅で冒険者カードを提出し、書類を書いて届出をすれば、電車に乗れる。とはいえ荷物の中に紛れ込ませられるナイフなら、いちいち届け出などしない冒険者も多いのだが。
依頼者から指定されたダンジョンは、奥多摩の山中にある《天聖洞》だ。
名前のわりに、山頂にあるわけではない。
受付嬢が挙げた候補には無かったダンジョンだ。『初心者向けオススメお手軽ダンジョン10選』の中にも入っていなかった。
初心者向けで有名、というほどではないが、難しいダンジョンでもない。洞穴型の人口ダンジョンで、地下に向かって七階層に分かれる。
元々は自然に出来た洞穴を、宗教団体が勝手に住み着き、根城とした。その教徒たちが手を加え、ダンジョン化した。こうしたカルト教団が絡んでいるダンジョンというのは、けっこう多い。
やがてダンジョンから湧き出る瘴気に惹かれ、モンスターが集まるようになり、教団は去った。その程度のいわくで、大きな事件があったわけでもない。
大したモンスターも出ないし、貴重な資源があるわけでもない。
そのあたりは他の初心者ダンジョンと同じだが、知名度の低さから他の冒険者があまり訪れず、穴場と言えるかもしれない。
雑誌に載っているような有名なダンジョンには、きっと多くの新米冒険者が殺到している。
依頼者なりに、よく考えたようだ。
他に良い部分があるとしたら、「名前が変に大仰なことですかね。ビンビンくる人にはくるかもしれませんね。思い出に残る初ダンジョンにふさわしいとか」と依頼の場所や日程を電話で連絡してくれた受付嬢が、淡々とした中に失礼さを醸し出しつつそう言ったが、まさかそんな理由ではないだろう、とシオンは思うことにした。
「……思ってた以上に、めちゃ若いっすね」
ダンジョン前で落ち合った依頼者たちは、集合場所で先に待っていたシオンを、最初そうとは気付かなかったようだ。
シオンのほうは、八人がぞろぞろと連れ立ってやって来たので、すぐに分かって声をかけ、身分証として冒険者カードを見せた。
「小野原さん……本人すね」
「ああ。小野原シオンだ。今日はよろしく」
「……あー、ども」
真新しい革鎧を着込み、ロングソードを腰を差した青年が、軽く頭を下げたあと、じろじろとシオンを見やった。
「てか、ジャージて……」
「別にふざけてるわけじゃない。オレはいつもこの格好だ」
買い換えたばかりの魔糸製ジャージの上下に、ベルト代わりにウェストバッグをしっかりと締めている。広いダンジョンでは無いし、ただ行って帰るだけなら、さほど時間もかからないだろうが、念のため荷物は多めに持ってきた。首に巻いた魔糸製スカーフの下には、桜から貰った精神抵抗効果のある魔石のチョーカーを身に着けている。ダガーは腰に二本と、足に四本。いつもの装備だ。
「いや、まあ、分かるんすけど、なんか真面目にアーマー着込んでるほうが、バカみてーだなーって……」
男が苦笑する。シオンは首を傾げた。
「変なことを気にするんだな。オレは攻撃を受けるよりかわすほうが得意だし、なるべく重くしたくない。戦い方に合ってるっていうだけだ」
それこそ新人のころ、何度かダンジョンに潜って探索と戦闘を繰り返すうちに、自分なりにギリギリまで軽装化したのだ。
荷物を最低限にするにしても、予備のダガーは減らしたくはないし、鎖帷子や強化樹脂製の防護服でも動きづらいと感じた。
「はぁ、なるほど。なんか、カッケーすね。攻撃なんて、そもそも当たらなきゃいいってやつすか」
「別にそういうわけじゃないけど」
桜から、いつか冒険者になったときのためにと、訓練と言う名のしごきを受けていた。そのときに言われた言葉を、思い出していた。
(力の強いモンスターの爪や牙にヤラれたら、鉄板でも穴開くことがあるんだから、中途半端に防御するくらいなら、徹底的に攻めたほうがマシよね。アンタは軽いし柔らかいから、避けるほうに努力したらいいのよ。大丈夫、お姉ちゃんがしっかり鍛えてあげるから)
そう言って庭に引っ張り出され、大剣なのに速くて重いという理不尽な攻撃をひたすら避けさせられた。
(装備なんてジャージでいいのよ。今のジャージは丈夫で強いしね)
それはいくらなんでも極端だろ、とそのときこそ思ったが、冒険者になって自分なりに試行錯誤をしてみると、結局はアドバイス通りになった。
「それに、オレはワーキャットだから。人間よりはちょっとは速いしな」
そう言うと、目の前の青年はシオンの耳を見やった。
「ああ……なるほど」
彼がリーダー的な存在のようだ。その後ろに他の七人が、やはり同じようにシオンを見ている。
彼らは、引率の冒険者がいると思ったら、明らかに若い少年がいたことで、一様に戸惑いや不安を感じている表情だ。
受付嬢はもしかしたら、彼らにシオンのレベルや経歴は教えていても、年齢はあえて伏せたのかもしれない。クールなようでいて、少し悪戯っ気のありそうな、あの受付嬢ならやりそうだ。
とりあえず、八人全員に自己紹介をしてもらった。
いつもならこのあとは、淡々と仕事をこなすだけだ。そのときだけの仲間の名前を憶えることに必死にならないが、今回の仕事は彼らの引率である。名前を呼ぶ機会もあるだろうからと、なんとか八人中四人は憶えた。
シオンと話していた青年は、伊田という名だ。リーダーっぽく振舞っていたので、彼の名前は優先的に憶えた。
学校でも仲良しグループだったという若者たち(シオンより年上だが)は、戦士三人、魔道士二人、魔法戦士一人、射撃士二人という構成だ。
いくら仲良しでも人数が多すぎるだろうと思ったが、ダンジョンに潜るのは何人までという規定は無い。基本的に自由だ。
ただ、多分そのうち互いが邪魔になるだろうというだけで。
リーダーの伊田がルーンファイターだったので、クセのあるクラスだというのもあり、シオンは尋ねた。
「アンタ、ルーンファイターか」
「そっすね。一応」
「戦い方は?」
「は? なんスか?」
「肉体強化か、魔法付与、どっちのタイプのルーンファイターなんだ?」
「ああ、オレは、どっちもイケますよ。必要に応じてってかんじスかね。攻撃魔法もしますし、基本、万能です」
そう伊田がさも当たり前のように言うのに、シオンは眉をしかめた。
「器用貧乏か……」
伊田とシオンの間には、大きな認識のずれがあった。
ルーンファイターは、大きくタイプが分かれる。
肉体を魔法で強化する、肉体強化型。
武器に魔法の力を与える、魔法付与型。
器用貧乏型というのは、使う魔法をこの二つのどちらかに限定しない者への、蔑称であり、このタイプのルーンファイターは敬遠される。
魔法と武器、どちらもやろうとすると、大抵どちらかを極めた者に劣るからだ。
魔法は強力になればなるほど、集中を要する。詠唱時間も長くなり、その間はほぼ無防備となる。武器を振るっている暇は無いので、持つ必要も無い。
だから、ほとんどのルーンファイターは、中途半端な攻撃魔法をあえて捨てる。
いかに長い時間武器を振るいながら、自らもしくは武器に、魔力を注ぎ続けられるか。それがルーンファイターの基本的な戦い方で、「魔力はほんのちょっぴり、体力と集中力はバリバリに必要」という桜先生のありがたいお言葉もあった。彼女はルーンファイターの戦いは、「遠泳みたいなもんね」と言い、器用貧乏型のことは、「走んのも泳ぐのもチャリもヘボなタイムでトライアスロンしてる奴」と痛烈に皮肉っていたものだ。
とはいえ、ここでそれをシオンが言うこともないだろう。
中には本当に、両方に才能を持ち、器用貧乏ではなく、万能な者もいるかもしれない。多分。
「小野原さん? なんスか、黙り込んで。ルーンファイターが珍しいっすか?」
「あ、いや……」
シオンは言葉を濁した。
もう一つ気になったのは、彼のツンツン頭だった。ヘアーワックスを使って髪を立たせているようで、かすかな匂いがシオンの鼻をついた。無香のものを使っていても、嗅覚に優れた亜人には分かる。
「髪、何か付けてるよな?」
「ああ、ワックス付けてますね。無香ッスけど、マズいっすか?」
伊田が、ツンツンした髪の先に手を当てた。
「一応、匂わないやつなんスけど。このぐらいの匂いで気付くモンスターなら、何も付けてなくても人間の匂いって分かるっしょ?」
「ああ、鼻の良い魔物なら、体臭でも人間の存在に気付く。匂いは完全に消せるもんじゃないし、そこまで問題じゃないだろうが……」
そこまで言って、シオンは伊田の後ろのメンバーを見回した。二人居る女子からより強い香料の匂いがした。
「意識してじゃないとは思うが、シャンプーか石鹸か、キツい匂いのあるものは普段からあまり付けないほうがいいんじゃないか。けっこう鼻につくぞ」
「えー、あたしかなぁ」
と女子の一人が声を上げる。
「どっちもだ」
きっぱり言うと、笑っていた二人の女子の顔が固まった。
それでも気の強そうな女が、不服そうに口を尖らせ、ぶつぶつと言った。
「でも別に、香水付けてるわけじゃないし……私、このシャンプーじゃないと髪質に合わないのに」
「か……髪質?」
女の冒険者とは、即席であっても一緒になったことがない。こんなものなのだろうかと、シオンは困惑した。
桜はまったく無香料の石鹸で髪を洗っていて、髪質なんて気にしている様子は無かった。
もし紅子が同じ間違いを犯したとしたら、きっと彼女なら慌てて謝り、非を認めるだろう。
彼女たちには、そういう謙虚さを感じられない。
「……シャンプーなんていっぱい売ってるだろ。女の冒険者も多いし、そういうニーズはあるんだから、匂いがしなくて髪に合うやつもあるはずだ。探してみろよ。ダンジョン潜るより楽だから」
何のアドバイスだ、とシオンは内心で自分に突っ込んだ。
「でもさぁ、小野原さん。何も付けてなかったとしても、多少の匂いはするもんでしょ? 体臭キツいとか、ワキガの冒険者だっているんじゃね? 腹弱くて、屁こきまくるやつとか」
と伊田が言うと、周囲もどっと笑った。
これはジョークで、自分も笑うべきシーンなのか? とシオンは一瞬悩んだが、やはり自分は引率者なのだからと自らに言い聞かせ、真顔で注意した。
「それは体質だろ。でも、自分たちが身につけるものは選べるし、気をつけられる。モンスターには、嗅覚が優れてるやつが多い。でもたしかに、気配や足音でだって気付かれることはある。だから匂いばかりさせないように気をつけるなんて、無意味だと思うかもしれない。けど、魔物のことだけを言ってるんじゃないんだ。もし仲間に鼻のいい亜人がいたら、そいつの嗅覚を惑わしてしまうかもしれない。そういうデメリットも……」
「亜人? いや、それは無いから大丈夫っすよ」
笑いながら言葉を遮る伊田に、シオンは顔をしかめた。
「どうして? 冒険者には亜人が多い。これから組むことはあると思うけどな」
「いや、オレら、このチームでって決めてるんで」
これもジョークなのかと思ったら、伊田も他の仲間たちも真剣に頷いている。
意味の分からなかったシオンは、素直に訊き返した。
「……なにを?」
「だから、このメンバー以外、パーティー組むのは考えられないッスよ」
「いや、それはいいけど……」
心意気はいい。が、現実的ではない。
死亡しないまでも、怪我で五体満足ではなくなり、冒険者を引退する者も多い。安定していない職業なので家族に反対されたり、生活に困って転職したり、女性なら結婚引退もある。
「ただ、最初に組んだパーティーでずっと続けられる冒険者っていうのは、あまり聞いたことねーぞ」
「前例が無いなら、作りますよ」
「へ?」
これまたジョークなのかと思ったら、伊田は真面目な顔で、篭手を付けた右腕を胸の前に持ち上げてみせた。
「ま、たしかに、まだまだこれからっすけど。けど、こっからソッコー駆け上がっていくんで」
「……どこに?」
いまから潜るダンジョンは地下だから、下りるのが正しいのに、と真面目に思ってしまうシオンである。
そしてその上げた腕は何だ? と思っていたら、どうやら手首に嵌めたバングルを見せたいようだった。細かいところまでは見えないが、何か刻印がしてある。
よく見ると、全員装備はバラバラだが、同じバングルを嵌めていた。
「小野原さんも、覚えといてくださいよ? 《ホーリーダスト》って名前を」
「は……?」
見せてもらったバングルには、たしかに《holly dust》と刻印されていた。
それが彼らのチーム名らしいということは、シオンにも薄々分かったが、それにしても、《聖なるゴミ》とはいったい何の意味があって名づけたのだろう。いや、自分は勉強が苦手だったから、他に意味があるのかもしれない。もちろんそれが何となくカッコいい語感で決められたとは、シオンには思いもよらない。
そして名詞を憶えるのが苦手なシオンは、五秒後にはきっちり忘れていた。
彼らはすぐにダンジョンに入りたそうで、シオンも入りたいのはやまやまだったが、それ以前に言うべきことは山ほどあった。
まず、人数の多さだ。
あまり大人数だとかえって動きにくいと、シオン個人は思っている。
三人から五人くらいが妥当だ。
もちろんダンジョンの規模や仕事内容によって、大規模なチームが組まれることもある。が、当然、初心者が任せてもらえる仕事では無い。
ムダだろうとは思いつつ、一応そう伝えると、リーダー格の青年が反論した。
「でも、オレらずっと一緒に冒険しようって約束したんで」
「それはそうしたらいい。ただ、仕事には大なり小なりある。何を選ぶかは自由だけど、これだけの大所帯でやるほどの依頼は、そうそう無い」
「オレら、そんなちまちましたクエストやる気無いんで」
「どっちみち最初のうちは、そういうちまちました仕事しか出来ない。選んでたら食ってけない」
「金とか食うとか、そういうののためにやってるんじゃないんすよ」
伊田の言葉に、何人かが頷いた。
はっきり物を言う伊田は、まだ良いほうに思えた。他のメンバーは、前にすら出てこない。後ろで彼に同調するばかりだ。
ダンジョン内に置き去りにされたパーティーがあった理由はなんとなく分かるが、相手は初心者だ。考えが甘い部分があるのはいたしかない。
シオンは粘り強く説明した。
「じゃあ、一つのケースとして聞いてくれ。数が多過ぎると、かえって非効率なときもある。依頼内容やダンジョンとの相性もあるだろ。チームだからって全員で揃って攻略する必要も無いんだ。二つか三つのチームに別れて依頼を受ければ、そのほうが報酬を得られる効率も……」
「だから、効率とかいいんスよ。報酬目当てでやってるわけじゃないんで」
鬱陶しげに話を遮られ、じゃあ何目当てなんだ、とシオンは思ったが、これを言い返してもしかたないので、分かった、と頷いた。
「ただ、ダンジョン内は狭い通路での戦いも多い。縦一列にしか移動出来ない場合、ガンナーなんてどうするんだ? 広い場所だったとしても、数の多さが有利になる状況ばかりじゃない。後方支援が多くても、かえって混戦になりやすい」
そう言うと、杖を持ったソーサラーの青年が、不満そうな顔をした。
「別に、ソーサラーって後方支援って決まって無くないスか」
「前に出たいのか?」
黒髪に何房か金のメッシュを入れているのが印象深く、かえって名前を忘れた。幸いソーサラーは男女一人ずつの計二人なので、呼ぶときは男ソーサラーと言えばいいだろう。
「出たいつーか、状況によって、それもアリすよね。魔法って基本万能すから、肉体強化して動けるし。必要だったら、オレ前に出ますよ。攻撃魔法得意なんで」
「出なくていい。ファイターの邪魔になる」
きつめに言い放つと、メッシュ頭の男ソーサラーはやはり不服そうにではあるが、とりあえず黙った。
「いいから、ダンジョン行きません?」
うんざりしたように、伊田が言う。
「まさか、時間稼いでませんよね?」
「どうして?」
「ダンジョン行きたくなくて、避けてるっぽく見えますよ? せめて、ダンジョン潜ってから、色々説明してほしいんスけど」
ダンジョンに潜る以前の問題を指摘しているのだが。
しかし、彼らの忍耐力は限界のようだ。気持ちばかりが盛り上がっているのだろう。
自分で引き受けたことだ。簡単なダンジョンなはずだし、まさかガルムが出るということもあるまい。もし出たとしても……一頭くらいなら、何とかできる可能性はある。二頭以上出たら、責任持って彼らと一緒に死のう。
その覚悟は出来た。
「……分かった。行こう」
ダンジョンの入り口からは、緩やかに通路が地下に伸びている。最初は真っ直ぐな一本道で、見通しが良い。初心者演習にはもってこいのダンジョンだと、改めてシオンは思った。意外な穴場を見つけてきたことだけは、彼らに感心する。
人の手が入っているだけあって、幅は二人で並んで歩ける程度にはあった。
「オレは先頭を行く。トラップがあるかもしれねーからな」
「ト、トラップ? こんなダンジョンで?」
と怯えた声が上がった。
「だって、色んな人が潜ってるダンジョンなんでしょ……?」
時代の古くない人工ダンジョンであるお陰で、通路はそこそこ歩きやすい。だから、探索者も油断しやすい。
「トラップのほとんどは、ダンジョンを作った奴が仕掛けるんじゃない。後発的に仕掛けられたものが多い」
「どういうことですか?」
「学校で習わなかったか? わざと仕掛ける奴がいるんだ。面白がってな。よくあるのが通路の途中に糸が張ってあったりな。ダンジョン内だと案外見えにくい」
「そういえば、斑鳩先生もそんなこと言ってたかも……」
誰だか知らないが、冒険者学校の教師のようだ。
「冒険者にも色々いるからな」
歩く順番はシオンが決めた。
「そこのでかい盾持ってるやつ、お前はオレの後ろについてこい。その盾、しっかり前に向かって構えてな」
自分の後ろには、大きな盾を持ったファイターを指名する。シオンは盾を持っていないので、仲間の守りまで気にしていられない。
「おう!」
元気よく、大げさに声を上げ、胸を叩く。分厚過ぎて無駄のある筋肉同様、キャラ作りもよく出来ているようだ。名前は憶えていないが、これも特徴的で助かった。でかい盾、と呼べばいい。
「最後はアンタだ」
と気弱そうなファイターに目をやる。小振りだが中々立派そうな盾を持っている。全員を装備を確認したときに気付いたが、剣もよく手入れされていた。
「……えーと、竹田さんだったな」
彼の名前は憶えていたので、シオンは再確認のために口にしてみた。
「え、さ、最後ですか?」
合っていた、とシオンは名前を当てて少しほっとした。
「さ、最後って、ちょっと怖いですね……」
竹田はひどく怯えた様子だ。それに、他の仲間が大笑いした。
「タケ、ほんとビビリだなー」
「やっぱり、学校残ったほうが良かったんじゃねーか」
仲間の揶揄にも、竹田は言い返す余裕もなさそうで、引き攣った顔で笑うだけだ。
彼が普段どれほど臆病かなど知らないし、そんな彼が何故冒険者になろうと思ったのかも分からないので、シオンは笑わず、必要なことだけを告げた。
「狭い通路で縦一列で歩いてたら、オレじゃ後方からの敵に対処できない。前はいいから、後方に気を配ってろ。分かってるだろうけど、その剣と盾はしっかり構えとけよ」
「は、はい! あ、あの、先生。いまの、もう一回いいですか?」
「え?」
一瞬、先生というのが誰のことか分からず、シオンは目を丸くしたが、竹田はシオンの顔をじっと見ている。
「あの、どう動いたらいいのかとか、出来たら、詳しく……」
怪訝な顔をするシオンに、竹田は懐から小さなメモ帳とペンを取り出した。
「その、メモりたいんで」
「……うん」
とうとうシオンはがっくりとうなだれた。
最初こそ、みな緊張の面持ちだったが、恐れていたトラップは一つも無く、大した敵が出ないと分かると余裕が出たのか、不平を漏らし出した。
「この程度なら、学校の演習で行ったダンジョンと変わらないよね」
「だよな。いまさらオオネズとか。百匹は殺ったっつーの」
「わざわざお金を払って、護衛なんて頼むんじゃなかったかも」
小声で喋っても、ワーキャットのシオンには聴こえる。
が、知らないふりをしておいた。
低レベル向けのダンジョンであっても、周囲への警戒を怠ることを、シオンは決してしない。
彼らはもうすっかり油断していた。
「大体あいつ、年下だろ」
「でもちょっと可愛くない? ワーキャットって可愛いじゃん。耳と尻尾くらいならあたし許せる」
「でも毛深いらしいぜ」
シオンの頭がどんどん痛くなっていくのは、ダンジョン内の薄い空気の所為ではないだろう。
久々に学生というものの「ノリ」というやつを思い出していた。
一人なら大人しいのに、人数が多いとやたらと強気になる。
シオンは学校の先生ではない。今日出会ったばかりの他人だ。
その気になれば、ダンジョン内で彼ら全員の喉を掻き切って、殺すことも出来るというのに。
自分たちが信頼して依頼した相手が、そんな狂人でないとは言い切れないのだ。
モンスターの仕業にでも見せかければ、ダンジョン内での不幸な事故として片がつく。
わざわざダンジョンに入ってトラップを仕掛けることもそうだ。誰かが得をすることではないのに、そこに意味があるのかは分からない。
いや、愉快犯だとしたら、そこには騒ぎを起こしたい、誰かを傷付けたい、殺したい、などといった、身勝手な意味があるのだろう。
ダンジョン内は、澱んでいる。
冒険者の中にも、どこか歪んでいる者が少なからず居る。
「余計な声を立てるな。音が聴こえなくなる」
猫の耳をぴくぴくと動かし、シオンは注意した。
その耳の動きを見て、女子の一人が「カワイー」と呟き、くすくすと笑いが起こった。
こっそり息をつき、シオンは周囲に気を配りながら、先を進んだ。
仲良し大所帯パーティーも、全員が同じタイプではないと分かってきた。
ふざけ合う者もいるが、大人しくついて来る者もいる。
特に、しんがりを歩くファイターの竹田は、シオンに言われたとおり、しっかりと剣と盾を構え、後方に気を配っている。臆病ゆえにか、慢心もしていない。
シオンの後ろのバカでかい盾ファイターも、鎧と盾が重いのか動きはやや鈍重だが、真面目に盾を構えている。
他にも、列の真ん中でただお喋りに興じるのではなく、マッピングにいそしむ者もいた。
少し安心した。
最深部近くまで来ても、大した敵は出なかった。
他の冒険者パーティーとも出会った。
「何やってんだ? 遠足?」
といかにもベテランらしき男に、大所帯過ぎることを指摘され、シオンに言われたときには反論していた何人かが、赤面していた。強気だった伊田も同様だった。
「引率、お前か?」
と冒険者がシオンに尋ねた。
緊張からそわそわと落ち着きのないパーティーの中で、見た目は一番小柄なシオンだけが経験者だと、一目で見抜いたようだ。
「ああ」
シオンは片手に握っていたダガーを、ホルダーにしまいながら頷いた。
自分たちが行こうとしていた奥から、彼らが平然とやって来たので、もうこのダンジョン内に危険は少ない。
彼らが、悪意のある冒険者でなければだが。
しかしダンジョン内で出会った冒険者を警戒するのは、相手も同様だ。礼儀として、シオンは武器をしまった。敵意は無い、という意思表示だが、視線でさっと相手の装備を確認する。
声をかけてきた冒険者は、四十代くらいの壮年の男で、使い込んだ装備を身につけている。アーマーではなくジャケットを着込み、腰にショートソード、左肩から胸の前に真っ直ぐナイフの柄が下になるよう装着している。あれならどちらの手でも咄嗟にナイフが抜きやすい。
後ろには、亜人のファイターと、人間のソーサラーがいる。
「そうか。俺たちは協会からトラップ除去の依頼を受けてきた」
男が言った。
「アンタ、探求士か?」
「そうだ」
と、男は自分の冒険者カードを取り出して見せた。カードを易々と見せるということは、素性にやましいことは何も無いということだ。もちろん偽造カードでなければだが。
シオンも同じように出した。
「森田洋平だ。千葉から来た」
伊田、竹田、森田……ちょっと似た名前が多い。ごちゃごちゃしてきた。そのうち誰かの名前を間違えそうだ。
「罠除去が専門だ。設置するのも得意だけどな」
冒険者カードには、レベル42とあった。完全に専門職レベルだ。
スカウトの本来の意味は「斥候」や「偵察兵」となるが、冒険者協会においては、特殊な技能を持つ者が名乗るクラスとして作られた。
得意分野は各人違う。自分たちが極めたい分野を極める。薬草学、魔生物学、考古学、ダンジョン研究――とにかく各人様々だ。森田はトラップ関連が専門のようだ。
彼らは分野ごとに特化した技能を持つ。戦闘専門ではない。金のために仕事をするわけでもない。専門の知識と技術を兼ね備えた職人であり、学者なのだ。
冒険者協会は彼らのために、探求士というクラスを用意した。彼らは自らで選んだこのクラスに、高い誇りを持っている。
戦闘職ではないと言っても、戦闘が出来る者も多く、魔法を使う者もいる。彼らは自らの目的のため、他の職よりも熱心にダンジョンを探索するからだ。その探究心と目的のためには、未知のダンジョンもモンスターも恐れない、肝の据わった者ぞろいだ。
このパーティーは、トラップの知識があり、戦闘も出来るスカウト、戦闘専門の亜人のファイター、人間のソーサラーと、バランスの取れた構成だ。
伊田が自分たちも自己紹介したいと言い出したのを、森田がやんわりと断る。
「いや、もうオッチャンだからな、一回会ったくらいで、憶えられねえよ。もう会うことも無いかもしれねえしな」
と言われ、伊田はムッとした顔を見せたが、さすがにレベル42には逆らう気も無いようだった。
「そっスね。じゃあ《ホーリーダスト》って名前だけ憶えといてくださいよ。これから上がってくるんで」
「は? なんだって? 聖なるカス?」
うーん、と森田は苦笑しながら、頭を掻いた。
「悪いが、オッチャンには分からん。あー、小野原くんだったな?」
「ああ」
「ここまでの道中、綺麗なモンだったろ? 俺達があらかた掃除してきたばかりだ。ラッキーだったな。いまここは間違いなく安全だぜ」
ほれ、と森田が大きなナップザックを掲げた。中からガチャガチャと音がした。回収されたトラップの残骸なのだろう。
「ありがとう。助かった」
「なに、仕事だ」
それから森田は、シオンの後ろのパーティーを見て、にやりと笑った。
「この時期には多いからな。学生上がりの浮かれた初心者を狙って、初心者ダンジョンにばかりトラップをしかける。中には命を落とすような悪質なものもある」
「ご丁寧にね、手作りの宝箱まで置いてあったりするのよ。開けたらボカンっていう典型的なやつだけど、初心者って引っかかるのよね」
豊満な胸が目立つ、大柄な女性のミノタウロスが、溜息まじりに呟いた。
牛の頭を持ち、短い茶色の体毛に覆われている。男のミノタウロスと違って角が無く、代わりに大きな乳房が特徴的だ。
筋肉質の体に、大きな胸を支えるような革のアーマーを身につけ、人間の女性では肉体強化しなければとても振るえないバトルハンマーを、片手で軽々と担いでいる。
「昨日、別のダンジョンで被害にあったパーティーの一人は、可哀相に指が全部吹っ飛んだらしいわ」
シオンの背後から、ヒッと悲鳴が聴こえた。竹田の声だ。
「いやいや、あんなあからさまなの、開けなきゃ大丈夫ですから。ほんと、ゲームじゃないんですけどねえ。ダンジョンで宝箱なんて落ちてたら、十中八九罠だって、学校で習わないんですかねえ」
へらへらと笑いながら、ソーサラーが頷く。こちらは眼鏡をかけた人間の男だ。手にした杖でソーサラーと分かるのだが、格好はトレッキングに行くようなもので、首にタオルを巻いていた。やたらと大きなリュックを背負っている。
彼を見たシオンは、同じソーサラーである紅子のことを思い出した。杖を買ったと言っていたが、装備は用意しているのだろうか。まさかセンターに来たときのような、セーラー服で来るということはあるまいが……そんなことを思い、少し不安になった。
「ま、習ってても、開けたくなる人はなるんですよねえ。ま、ぶっちゃけ僕も初心者のころ、やりましたけどね。何回か。何が出るかな~と思ってね。あ、でもこれ、自分で治癒出来ない人は、マネしちゃダメですよー?」
物騒なことを言いながら、またへらへらと笑っている。
「昨日指を失くした子なんて、まだ十八歳の女の子だったらしいですよ」
「学校を卒業したてのね。あなたたちも、他人事ではないでしょうから、お気をつけなさいな」
迂闊といえば迂闊だし、指をも失う覚悟でこの世界に飛び込んだのなら、それもいたしかたないことだ。そう思うシオンも、まだ若い女性が指を全て失ったという事実が、あまりに気の毒だった。
いきなり現れた冒険者パーティーの生々しい話に、初心者パーティーはさっきまでの威勢を無くし、縮み上がっていた。
シオンはそれを嘲るつもりは無い。怖がるくらいのほうが慎重になっていい。
「ああ、ラッキーでもねーかな? お勉強中みたいだしな。トラップ何個か残してたほうが良かったか?」
森田の言葉に、シオンは首を横に振った。
「こっちは、初めてのダンジョン探索だ。この先が安全なら助かる。今日はマッピングでもやったらいい。最低限の戦闘は出来てるし、充分だ」
「つっても、オオネズばっかスけどね」
と伊田が言うが、シオンは耳を貸さなかった。
「そうか。この先の小部屋が、スライムまみれだ。そこはトラップも無かったから、面倒だし手をつけてない。戦闘訓練にはなるかもしれねえな」
スライムはじめじめしたダンジョンを好む、お馴染みのモンスターだ。生命力が高く雑食なので、どこにでも現れる。アメーバのような液状で、異様な外見をしている。
厄介なことに物理攻撃も魔法も利きづらい。しかし捕食行動以外には、積極的に攻撃してくることもない。ダンジョン内で遭遇しても、大抵放っておかれる。動きも遅く、追われることはない。
ただ、ダンジョン内で寝ている間にこっそり忍び寄られ、捕食された冒険者もいるから、油断ならない。スライムが獲物を捕食するときは、体内に取り込んで溶解液で分解し、自らの栄養とする。この溶解液は強力で、攻撃しようとしてうっかり触れようものなら、剣も腕もぐずぐずに解かされてしまう。
しかも、苦労して倒したからといって得られる素材も無い。ハイリスク・ノーリターンという言葉が似つかわしいモンスターなので、普通は相手にしない。
どうしても倒さなければならないときの対処法は、強い炎で一気に燃やしてしまうか、スライムを溶かす専用の駆除剤を使う。
伊田がつまらなさそうに呟く。
「スライムかぁ。オオネズレベルのザコだけど、ま、飽きてたから、ちょうどいいな。魔法をぶちかませば楽勝……」
「やめておく。スライムは構わないに限る」
伊田の言葉を遮り、シオンは森田にそう言った。
「いい先生だ」
去り際に、森田はぽんとシオンの肩を叩き、がんばれよ、と言い残した。