プロローグ
時は平成。『内外、天地とも平和が達成される』ようにと名付けられたその時代は、戦争のない国を造り上げた。
しかし生きるか死ぬかの時代を終え如何に生きるかを強いられた時、人は生きる喜びを忘れ、心に闇を抱えるのであった。
***
高層ビルの屋上。サラリーマン風の男が脱いだ革靴を揃えて、一つ溜息をついた。そして意を決したように立ち上がり、手すりに手をかけた。しかしその手は微かに震えている。
「命を投げ出すのね?」
「誰だ!?」
突然の声に振り向くと、和服の女性が立っている。日よけの傘が影になって表情はよく見えなかったが、一目で美人と分かる。スッと傘を上げると、今にも吸い込まれそうな漆黒の瞳を宿した切れ長の目が、三日月を描くように細められた。
「これから死ぬ人間には必要のない質問だわ」
「と、止めても無駄だ……俺はもう決めたんだ!」
男は慌てた様子で、必死に手すりを飛び越えようと足をかける。すると不意に沈丁花のような甘い香りが鼻を掠めた。
「止めたりしないわ」
(いつの間に!?)
香りの正体がさっきの女だと気付いた時には、今まで後ろにいたはずの彼女が目の前に立っていた。
「その代わり……」
女の手が近づき、次の瞬間。
「その魂、鬼王様にくださらない?」
「、な、にッ……!?」
女の腕が男の心臓を貫いている。男は息をする事さえ忘れていた。
女は形のいい唇の口角を上げ、綺麗に笑った。