クラスみんなで異世界に転生したらしいけれど、そこが異世界かどうかは分からない
しんと静まった教室に、ボサボサとした髪を申し訳なさそうに撫でながら、男性が一人入ってきた。
桜の花びらが風に流され、いくつか窓に当たっては、ベランダにはらりはらりと横たわる。どんな気持ちなんだろう。安らかなものなのだろうか。私はなんとなく、その花びらに思いを馳せた。
「はい、入学おめでとう。入学式はどうだった? 校長の話は長いだろ〜。あれは毎年のこと。君たちは何回、聴くとこになるのかな?」
少なくともあと一回、卒業式のときではないか。私はそう願いながら、教卓に肘を突く男性を眺めた。
ジャージ姿だけど、体育教師かなにかだろうか。その割には痩せているように見える。肌も白い。どことなく、モヤシを連想させた。頭はブロッコリー。ブロッコリースプラウトだろうか。あぁ、それなら痩せる。なんて感想。
「だから、僕の話は短く、簡潔に。先ずは自己紹介でもしてもらおうかな」
急に? と戸惑う声がいくつか上がった。教師であろうその人は、並んだ机、黒板を背にして一番右端の生徒に手で合図をした。
「あ、えっと、相川です。相川愛、愛、可愛い……なんちゃって」
トップバッターでジョークを言う度胸があるなんて、と私は戦慄した。どよめきはクラスの総意だろうか。かなりのプレッシャーが掛けられた。
そうして、自己紹介は進んでいく。私は五番目に自己紹介をした。
「桜木、歩です。歩くと書いて、歩」
簡潔なものだった。
クラス全員が自己紹介を終えるのに、そう時間は掛からない。総勢十五名。人口の少ない田舎の高等学校であったが、それでも入学する生徒はいる。ある実験のための学校なのである。
過疎化が進み、空き家が多くなった街。そこに学生を住まわせて、学校に通わせる。それで活気づかせることができるのか、という実験というか、実証だった。
それが面白そうだと、一人暮らしがしてみたいと思って、私はこの学校に入学することに決めたのだろう。クラスのみんなも、同じような思いなのだろうか。自己紹介の際に耳にする出身地は、まるで国体のように様々だった。
「はい、では三年間共に歩む仲間の名前を、しっかり覚えておこうね。……まぁ、無事に三年間で終わるのかは、分からないけどね」
不敵な笑みに、背筋が凍った。
「突然だけど、君たちは異世界に転生をした。ここは異世界だ。信じられないと思うが、信じてもらうしかない。それはそれで大事なことだけど、今は置いておこう。一番重要なことを言っておきたい。君たちには、何故、ここが異世界なのかということを明らかにしてもらいたい。春休みの前、一年で最後の登校日。そこで、答え合わせをしよう。もしも間違えていた場合、君たちの時間は巻き戻り、もう一度、一年生をやってもらう」
付け足しておくと、記憶はちゃんと引き継ぐから安心してほしい。その言葉で、安心できた人が居るのだろうか。少なくとも、私は、どうしても安心できなかった。
「それでは、クラスみんなで力を合わせて、この一年を乗り越えてほしい。それじゃあ、解散。後は適当に、帰ってもいいよ」
そう言って、ひらひらと右手を掲げて教室を出ていった。自分の自己紹介は一切せずに。
戸惑いが、クラス中に広がっている。誰も席を立とうとはしなかった。
「あ、言い忘れてた」
ガラッと音を立てて開いた扉に、一様に跳ねる肩。
「教卓のなかにね、日誌が入っている。何か質問があればそこに。一日一問、日誌に回答を書いてあげよう」
「あ、待って、先生の名前はっ!?」
扉の一番近くにいた、武藤という男子が問い掛けた。
「んー、その質問で、この日を潰すのかい?」
清々しいほどの笑顔。武藤は戸惑ったまま、その問いには答えられなかった。
扉が閉まり、クラスは静まり返った。自己紹介をしているときには、こんな事態に陥るなんて誰も思わなかったことだろう。
私はそっと、視線を下げる。俯いて、自分を見つめる。制服を着ている。折り目がしっかりとした、真新しいプリーツスカート。セーラー服は初めてだった。
「夢かもしれない、って考えて、今日は帰って寝てみる?」
ただ見送っただけの武藤が、振り返ってそう言った。
何を考えればいいのか分からない。今日の質問は先生の自己紹介として、私たちは思い思いに帰路についた。
「あ、桜木さんってこっちなんだ」
校門を出て、右に曲がる。目の前に田んぼ。多くの人が左に曲がっていくなか、私と同じ道を行くのは相川だった。
「うん。こっちの川沿いの家、冬場は冷えるから人気がなかったんだよね」
「そうそう。夏場は涼しそうだけどねぇ。多分ね、その家に住む人に頼んで、バーベキューでもやろうって魂胆だと思うよ? ほら、誰だって後片付けはしたくないし」
ぜーんぶ、家主の仕事。彼女はそう笑った。
「頼まれたら、やる?」
「頼まれなくても、やる。アタシはそういうの、大好きなので」
「心強いです」
「そういうの、苦手?」
「経験、ないから」
「ほう。では、このわたくしが楽しさを教えてしんぜよう」
くるりと一回転。ひらりと舞うスカート。楽しそうな気分が伝わってくる。
「不安じゃ、ないの?」
私は、俯きながら問い掛けた。
「うーん、そうだなぁ。……これでもし、みんなで殺し合いをしてもらう、だとか。解決しないと死ぬ、だとかって言われたら不安になるよ? でもね、ただ繰り返すだけなら、何とかなる。だって、どんなに分かりづらいことだったとしても、何度も繰り返せばきっと、違和感にぶち当たるからね。アタシはそう思って、何度も繰り返す青春を味わい尽くす所存」
「所存?」
「そう、所存。おちゃらけてみると、ちょっとは心が軽くなるよ」
笑顔につられて、私も笑う。
「軽くなる所存?」
「軽くなる所存〜」
分かれ道がやってくるまで、そんな他愛もない話を繰り返した。私は右。彼女は左。緩やかな坂を登った小路をゆく。
川を背にした、少し開けた空間。平屋の一軒家。リフォーム済み。使われていない鶏小屋との対比が愉快だ。
「何年、住むことになるんだろうね」
私は呟いて、真新しくなった玄関をくぐった。
授業内容は、一般的な高校と同じ。今回のケースに限っても、何ら不思議な部分はなかったように思う。
ゴールデンウィークを迎える頃には、新たな家にも、学校にも、異世界の匂いを探す生活にも慣れ始めていた。
「上級生が居ないと、のびのびできるよなぁ。なぁ、部活とかどうする? 新しいの、作っちゃう?」
昼休み。武藤が後ろの席に座る森田と話をしていた。
「みんなで甲子園でも目指してみるか? くぅ、サクセスストーリーだねぇ。ワクワクするねぇ。実証のための学校が、甲子園の舞台で躍動するんだぜ? マスコミの注目の的だよなぁ」
「森田、お前、中学は野球部?」
「そう。四番打者」
「かっくいー。俺は卓球部。万年一回戦落ちの武藤とは、俺のことさ」
「かっくいー」
昼食は、事前に注文をしておけば学校が弁当を用意してくれる。自分で用意したい人は、ご自由に。徒歩圏内には小さいながら品揃えの良いスーパーがあるし、今どきは通販でどうとでもなる。
好みの冷凍食品を詰め込んだ弁当箱は、最近の楽しみの一つである。
昼食の時間は、自由に席替えをしているこのクラス。クラスと言っても学校にはひとクラスしかないのだから、賑やかな声も廊下に出ると少し寂しい。
向かい合せでくっつけられた机では、相川が菓子パンを頬張っている。寝坊して、弁当を作る時間がなかったらしい。
「部活、かぁ。アユは何をしてた?」
「……特に、なにも、かな?」
「あ、じゃあ帰宅部? アタシもなんだぁ」
息合うねぇ。そうやって笑い合う私たちも、あだ名で呼び合うくらいには仲を深めていた。
「ユナは?」
相川は、私の隣りに座る名嘉結菜に話を振る。
「吹奏楽部よ。もしも野球部なんかが出来たら、私はトランペットでも吹いて応援しようかしらね」
「楽器が演奏できるって、憧れるなぁ。ねね、アユはどうなの?」
「鍵盤ハーモニカと、リコーダーくらい」
「まさに音楽の授業でしか楽器と触れ合わない典型! ふふーん、ちょっとはアタシのほうが優位かな。ギターの経験がありますので!」
「どうせ、授業でしょ?」
名嘉は弁当の玉子焼きを頬張りながら言った。眼鏡の奥の目は笑っている。
「もちっ!」
元気な声が響く。それぞれのグループに散らばっていたみんなが、思わず吹き出していた。
カレンダーに違和感はなく、問題なくゴールデンウィークは過ぎていく。励まし合いながら五月病を乗り越え、夏の陽射しは容赦なく振り注ぎ始める。
日誌に書くべき質問も、なかなか的を得たものが見つからない。『なになに年に日本でオリンピックがあった』とか、『こんな名前の国がある』とか。自分たちの記憶と照らし合わせるような物が主だった。
「気持ちいい。こういうものが味わえるのなら、川沿いも良かったかも、と思えるわ」
家の裏手にある川に足をつけ、丁度いい石に腰掛けた名嘉が言う。
「朝とか、ちょっと余裕を持ってここで顔を洗うと、一気に目が覚めるの」
「羨ましいかも」
「やってみる?」
「化粧をしているから。あなたはしていないの?」
「うん。ちょっと、他のことでお金を使いたいし」
「趣味?」
「……ゲームの課金に」
「ほどほどにね」
どうせ時間が戻るのだから、今手に入ったものは綺麗さっぱりなくなってしまう。それでも、欲しいと思ってしまったら我慢ができなくて。食費や生活に必要なものは何とか残しながらも、ついつい、スーパーまで走ってカードを買ってしまう。
逆に言えば、思い通りにならなくても一年経てばチャラになる。そう考えるのは私だけではなくて、だからこそ、最初の一年くらいは、ちょっと楽しんでみない? そう言った雰囲気がクラスのみんなの共通の認識だった。
「おーい、スイカを買ってきたよー」
相川が手を振りながら近寄ってきた。河原を歩いてくれば私たちの家は割と近い。スイカを持つのは武藤であり、森田は棒を持っていた。
「スイカ割り、しようぜー。で、夜は相川んとこでバーベキュー。森田と炭を運んだんだぜ」
「肉や野菜の仕込みはやってあるんだとさ」
「本当にやるんだ、バーベキュー」
私は少し驚いて相川を見る。冗談だと思っていたけれど、自信満々に頷く姿を見ると、準備はもう万全なのだろう。
「料理が趣味。みんなで騒ぐのも好き。いえーい」
ピースサインが眩しくて、私は少し、目を細めた。
「私、初めてだから……なにか作法とかあるの?」
「ないない、そんなの。適当に雰囲気を楽しめばオッケー。ユナはどう? 寄ってく?」
「それなら、お言葉に甘えようかしら。それより、私たちは早めに夏休みの宿題を終わらそうと思って集まっていたんだけど……。あなたたちはどう?」
「そんなことより、スイカ割りっ!」
三人の目線は、方々へ散った。
夏の夜空に吸い込まれる白い煙。食欲のそそられる煙。少し沁みて、涙目になる私をみんなが笑った。そうして恥ずかしくなって、赤くなる顔。そっぽを向いて、誰かがよそってくれた肉を口に運ぶ。
スイカ割りも楽しかった。河原では危ないからと、私の家の前で。みんな失敗して、みんなで見守りながら相川が代表して棒を振り下ろした。縁側から吐き捨てた種は、いつか芽吹くのだろうか。
この日常を、何度繰り返せば飽きが来るのか。そうして、直ぐに秋がやってくる。
「夏にさぁ、アタシすっごい下らない駄洒落を言った気がする」
「覚えてたんだ」
紅葉を眺めながら、私は相川と共に通学路を歩く。あの日はバーベキューが終わったあと、みんなで片付けをして、夜遅くまで私の家でゲームを楽しんだ。
大勢で集まってゲームをするというのは初めての経験で、コレクションをしていたものの手を付けていなかった数々のパーティーゲームが日の目を浴びて、私もなんだかご機嫌であったと思う。
「あーあ、これがもし大学生だったら、お酒でも飲んで盛り上がったんだろうね」
「食欲の秋だし、飽きずに飲めるかもね」
「もう、その話はもう、なし!」
「ふふっ。あ、そういえば昨日、親が梨を送ってくれたの。お裾分けしようか?」
「また駄洒落! でも頂きます!」
あとで持っていくからと分かれ道で別れ、私は色付き始めた木々を眺める。標高が高い場所にあるせいか、他のところよりも紅葉が早くやってくるらしい。もしくは、これこそが異世界だという証拠なのだろうか。
そんな理由ない。私は息を吐いた。息が白くなるのも、早いのだろうか。運動会では大した活躍ができなかった。マラソン大会がもうじき行われる。運動は、少し苦手。だからこそ、なんだか憂鬱になってしまう。
梨を持って、話してしまおうか。そんな思いが頭を過る。
今まで、言えずにいた。私には、はっきりとここが異世界だという確信がある。それは何故か。それは――私がここに居るのだから。
私は幼い頃から病気を患っていて、その殆どを病院の中で過ごした。その頃は、『僕』だった。私は確かに、その時は男だった。
そして、気が付いたら女の子になっていて、あの学校に進学することになっていて。初めて袖を通したセーラー服。患者衣ではない服。初めての冷凍食品。初めての運動。何もかもが新鮮で、いつまでも感じていたいと思ってしまった。
言えば、私たちは先へ進めるのだろうか。進んでしまったら、私はどうなるのだろうか。
分からない。分からないから、怖い。だから、ずっとこのままでいたい。
楽しみながらも、葛藤を持った半年だった。
私は、どうしたら良いんだろう。
葉が色づいて、散って。雪がちらつくのは早かった。
「なーんか、アユってば元気がなくない?」
冬休み前の最後の授業が終わり、みんなが思い思いの年末年始の予定を話し合っていた中、相川が私の顔を心配そうに覗き込んだ。
私はぼーっと、俯いていたのだろう。隣の席の名嘉も、心配そうに見つめていた。
「そう、かな?」
「そうだよ。ね、ユナ?」
「そうね。クリスマスも近いんだし、もっと楽しんでもいいと思うのだけど」
「おお? ユナはなにか、クリスマスに予定でも?」
「なにも。折角、来年も一年生をするかもしれないのでしょう? だったら、帰省もせずに過ごしてみるのもいいかと思って」
「あははっ! いいねぇ、ポジティブだねぇ。実は、アタシも。ねぇ、なら一緒に過ごさないかーい? クリスマスも、年末年始も、ガールズトーク! 気分が乗ったら、男子なんか呼んじゃったりして!」
「お、なんか呼ばれた? 俺たちの出番かーい?」
「俺と武藤はいつでもフリーだぜ!」
武藤と森田もやってきて、話は次第に、クリスマスケーキは何がいいかと盛り上がっている。
私は少し考えて、みんなにこう訊いてみることにした。
「みんなは、何回までなら一年生を繰り返せる?」
一様に、キョトンとした表情を見せた。そして、笑う。
「多分、答えはみんな一緒だと思うよ」相川が言って、
「まだまだ、未来を心配するほど老け込んでいないのよ」名嘉が言って、
「口煩い親からも、離れられているからなぁ。あーあ、早く恋しく思いてぇよ」武藤が言って、
「クラスの女子って、七人だっけ? あと七回はチャレンジできるよなぁ!」森田が言う。
乗り越えたあとの二年をどうするんだよ、とみんなが森田を笑っている。二年で心変わりがあるかもしれねーじゃねーか、と彼は反論し、相川と名嘉が早々に拒否のサインを示ししてしまって、視線で促されて私もバツ印。
そんなやりとりに、なんだかおかしくなってしまって。
「頑張れば、私が運動会で活躍したりもできるかな?」
なんて、夢物語を口にしていた。
「チアリーダー! チアリーダーでもやってみたらどうだろうか!」
「森田はうるさいっ!」
鼻息荒く手を上げる森田の脇腹を、相川が肘で突いた。
「名嘉と二人三脚で無双してみたらどうだ? ほら、眼鏡をくいっと上げたら、スイッチが入る、みたいな」
「私の眼鏡を何だと思っているのよ。そんなことより、スポーツというものは理論に基づいたパワーアップが必要よ。先ずは筋力をつける。そして、狙いを定めてそれに叶ったトレーニングを行う。短距離なら瞬発力が必要ね。より靭やかな筋力を作るために――」
「等と、いろいろと詳しそうなユナであっても、体育祭の結果は散々である」
「そう言う愛もね!」
なんだか、もう少しだけ。夢を見ていても良いかなって、思えてきた。ここは、こんなにも居心地がいいのだもの。もう少しだけ、こんな賑やかな輪に囲まれていたって、良いでしょって。
だって、私にとってここは現実であり、現代であり、ありふれた日常なのだ。もしかしたらクラスメイトの中に、ファンタジーな世界から転生した人がいるのかもしれない。
私だけでは、ないかもしれない。
だから、もしもこれが、死ぬ前に見る夢だとしても。
私だけが、この一年を乗り越えられなかったとしても。
今はまだ、この暖かな微睡みの中で――。




