正義感
中堅サラリーマンの萩尾勇一。社内では後輩からも慕われる感じのいい好青年だ。
酒が好きでよく後輩を連れて飲みに行くが、酔って気が大きくなっても説教を始めたり無神経なことを言ったりするタイプではない。正義感が強く「ダメなことはダメ」ときっぱり線を引ける男だった。
ある日の午後、社用車で外回りに出ようとしたとき上司に声をかけられた。
「最近、車の盗難がちょくちょく起きてるらしいからな。車から離れるときは気をつけろよ」
「はい、大丈夫です」
勇一は即答した。鍵をかけないなんて論外だし路上駐車もほとんどしない。できる限りコインパーキングを探して停める。そういう基本を守るのが社会人として当たり前だと思っている。
その日も無事に仕事を終え、夜はいつものように後輩たちと居酒屋へ。話は弾み笑い声が絶えなかったが、気づけば終電も近くなり名残惜しくも解散。
電車を降りて自宅の最寄り駅に着いたころ、ふと物足りなさを感じる。
「……もうちょっと飲みたいな」
勇一はコンビニで酒とつまみを買って帰ることにした。
コンビニの前には一台のタクシーが停まっていた。
客はいない。
運転手の姿も見えない。
だが、エンジン音が微かに聞こえる。
「……え?」
よく見るとキーは差さったままだ。
「エンジンかけっぱなしで店に入ってるのかよ……」
呆れと驚きが同時に湧き上がる。正義感の強い勇一はすぐに店に入って注意しようとした――が、ふと立ち止まった。
(いや、待てよ)
ここで口で注意したところでこの手の不注意はたぶん直らない。一度ヒヤッとする思いをしたほうが身に染みるはずだ。
勇一の中で妙に納得のいく筋書きが完成した。
まず、少しだけ車を動かす。
運転手が出てきて車がないことに驚く。
数メートル先にあるのを見つけてほっとする。
そこで自分が言うのだ。
「ほら、エンジンかけたままだとこういうことがあるから危ないんですよ」
完璧だ。
勇一は満足げにタクシーの運転席に乗り込みアクセルを踏んだ。
ガコッ。
鈍い音とともにタクシーは縁石に乗り上げた。
そう、勇一は酔っていた。
酒にも。
そして、自分の正義感にも。
数分後、警察が呼ばれた。
タクシー泥棒として。
終




