第2話 桃を盗みし夜、雲を裂く
東西東西──!
ここは天界の奥、万年の歳月をかけて育てられた仙桃の園──蟠桃園。
実ひとつ口にすれば三千年、もう一口食べると1万年の寿命を得るという、神々の至宝。
かつて、これを盗み食いし、天界をひっくり返した猿がいた。
名は斉天大聖・孫悟空。
天帝に叱責され、罰を受けた後──彼は誓った。「二度と誰にも盗ませぬ」と。
悟空は蟠桃園を守るため、ありとあらゆる罠と妖術を施した。
幻術で道を惑わせ、千層の結界で囲い、天兵一万を常駐させ、桃ひとつに触れれば園ごと炎に包む術まで仕込んだ。
万年、誰一人として蟠桃を盗めなかった。
──その日までは。
「……あれが、蟠桃園か」
雲を蹴って現れたのは、白き着流しの男。
腰に無銘の刀、口に煙管。
天下の大泥棒──石川五右衛門。
門前に立つ天兵たちが槍を構える。
「止まれ! ここは天帝の御領──」
五右衛門は煙を吐きながら笑った。
「春の眺めが価千金? 小せえ、小せえ。
この五右衛門には、価万両の暇つぶしにもなりゃしねぇ。」
一歩、また一歩──獲物を狩る獣のように、音もなく躙り寄る。
次の瞬間、天兵の影が消えた。
槍は手から離れ、兵は何も見えぬまま昏倒する。
悟空の仕掛けた迷宮の罠──踏めば足元が空に変わる幻影。
五右衛門は幻に足を乗せず、影を伝って歩く。
音を追う妖鳥──その影に、五右衛門は自らの影を混ぜ、気配を消す。
結界の鍵は悟空の掌紋だけで開く──
だが五右衛門は、警備仙の掌紋を煙の香で“写し取る”。
すべてが、盗人の仕事。
妖術は使わず、ただ「盗む」という一点で、あらゆる防御をすり抜ける。
蟠桃の樹の前。
五右衛門が桃をひとつもぎ取った瞬間、空から声が降った。
「……やるじゃねぇか」
降り立ったのは金冠を戴く大猿、孫悟空。
如意棒を肩に担ぎ、ニヤリと笑う。
「変化もせず、妖術も使わず……どうやって来やがった? 裏口でもあんのか?」
五右衛門、桃をひと口かじりながら答える。
「裏口? へっ、俺にゃ世の中すべてが“表口”よ。」
悟空はしばし見つめ──空気が固まる。
そして五右衛門をジロリと見て、笑い出す。
「気に入ったぜ。おめぇ、俺と同じ匂いがする。」
五右衛門は肩を竦め、桃をもう一口。
「同じ? 悪いな、猿の兄ちゃん。俺はな、盗む先が“世界”なんだ。」
悟空「クッハハ! そりゃ大物だな!」
笑い声が天界に響き、桃の汁が金色の芝にポタリと落ちる。
──第2話、幕。
煙管・・・今で言うタバコ。
掌紋・・・手のひらにある模様