ふわりんの能力
安堵したのもつかの間のこと。
姿見でおかしなところがないか確認していたら、胸元が大きく開いたデザインだということに気付いた。
ふわりんに寸法を直してもらう前は腰回りだけを気にしていたので、胸の露出に気付いていなかったのだ。
清楚な生成り色のドレスなのに、胸が零れそうなくらい強調されている。
夕食の席に着ていくのはあまりにもはしたない。
「ど、どうしましょう」
胸元を押さえて困惑していると、ふわりんが提案をしてくれた。
『胸元、レースを当てる~?』
「レース! そ、そうですわね」
ふわりんの言うとおり、レースを当てたらそこまで露出が気にならなくなるだろう。
「ただ、レースを持っていなくて」
『大丈夫~』
ふわりんがパタパタと部屋を飛んでいった先にあったのは、かわいらしい赤い屋根のドールハウスだった。
少々小さい出入り口からぐいぐい入っていくと、小箱を押しながら帰ってきた。
『レースだよ~』
「まあ!」
花模様の透かし細工が施された優美な蓋を開くと、中には職人が作ったであろう精緻なレースが入っていた。
「こちらはどなたのお品物でしょうか?」
『先代、大公夫人の~』
「ですよね」
ふわりんはこれをドレスに当てたらいいと言うが、そこまでレースに詳しくない私でも高価な品だとわかる。
おそらく、その辺の宝石よりも価値のあるレースなのだろう。
『大丈夫~! 大公夫人、花嫁さん、あげるって言ってた~』
花嫁さんというのは先代オルデンブルク大公夫人の息子――すなわちエーリク様と結婚した女性にあげると言っていたのだろう。
「わたくしは花嫁ではありませんわ」
『うーん、でも、平気~』
「一度、エーリク様に確認しませんと」
『時間ない~』
ふわりんは比較的シンプルな作りのレースを咥えると、ぺいっと宙に投げる。
針と糸を作りだし、先ほどと同じようにあっという間に縫い付けた。
『これでよし~』
胸元には三重にレースが重ねられ、露出は控えめとなる。
「ふわりん、すばらしい腕前ですわ!」
『えへへ~』
何かお礼をと思ったのだが、ふわりんは必要ないという。
そうは言っても、どうにかして感謝の気持ちを伝えたい。
「でしたら、これを受け取ってもらえますか?」
それは私が持ち歩いていた、刺繍入りのハンカチである。
シモンから私物にメクレンブルク大公家の家紋を入れるように命令されて作ったものだが、今後は必要なくなる。
ふわりんは刺繍をジッと見つめていたかと思えば、スリスリと頬ずりしていた。
『いいの~?』
「ええ」
『ありがと~』
どこかに広げておこうかと提案しようとした矢先、ふわりんが思いがけない行動に出る。
なんと、ハンカチを丸呑みしてしまったのだ。
『おいしかった~』
「えっと、そうだったのですね」
話を聞いたところによると、ふわりんの主食は〝布〟だという。
けれども今は私と契約しているため必要ないようだが、嗜好品として楽しんでくれたようだ。
『ギーゼラの刺繍部分、おいしかった~』
「また今度、刺してみますね」
『うん!』
ふわりんの生態に驚きつつも、次は化粧を整える。
当然ながら、化粧品は持っていないので、先代オルデンブルク大公夫人のご愛用の品を使わせていただいた。
ドレッサーには高級化粧品が並べられていた。時間がないので白粉を軽くたたき込むだけにしておく。
髪を結い上げていたら、ふわりんが銀の髪飾りを持ってきて挿してくれた。
「これも、先代オルデンブルク大公夫人の私物ですか?」
『そう~』
夕食の時間だけお借りしよう。
身なりは整った。ふわりんが私の肩に乗ったタイミングで腕輪の呪文を摩り、食堂へ転移する。
すでにエーリク様はいらっしゃっていたようだ。
「申し訳ありません、遅くなりました」
「気にするな、僕も今来たところだ」
胸に手を当てて会釈すると、エーリク様は外套の頭巾を深く被ってしまった。
何か見苦しい点でもあったのだろうか、よくわからない。
「あの、エーリク様のお義姉様のドレスをお借りしました」
「寸法はどうだったか?」
「少し大きくて、ふわりんに手直ししていただきました」
ふわりんは誇らしげな様子でいた。
「その綿埃妖精がドレスの手直しだと?」
「はい。胸のレースを縫い付けてくださって」
エーリク様は立ち上がり、ずんずんとこちらにやってくる。
どうしたのかと思っていたら、至近距離でふわりんを眺め始めた。
それはいいのだが、ふわりんは私の肩にいるので、エーリク様がとてつもなく近い位置にいることになる。
ふわり、と沈香みたいないい匂いが漂ったので、ドキッとしてしまった。
ルーベン様の看病以外で、異性とこのように接近したことなどないので、盛大に照れてしまった。
そんな私の羞恥心にふわりんが気付いたのか、エーリク様に物申してくれた。
『近い~』
「――!」
エーリク様も私との距離感に気付いたようで、すばやく身を引く。
「すまない」
『ギーゼラ、許す~?』
「は、はい」
エーリク様は何を確認していたのかと言うと、ふわりんに関する違和感を探っていたという。
「もしかしたらこの個体は、綿埃妖精ではないのかもしれない」
『え~~~~!?』
なぜかふわりんが驚きの声をあげる。
「見た目は綿埃妖精そっくりだが、綿埃妖精が塵芥を食べる以外の能力を発揮しているのを聞いた覚えがないから」
エーリク様は何やらぶつぶつ呪文のようなものを唱えると、目元に片眼鏡のような魔法陣が浮かんでくる。ふわりんが『鑑定魔法だよ~』と教えてくれた。
「なるほど、〝裁縫妖精〟か」
「裁縫妖精、ですか?」
「ああ」
裁縫妖精というのは、貴人の傍で侍る使い魔だという。
化粧をしたり、髪結いをしたり、ドレスを手直ししたり、と身支度に関わる作業を得意としている妖精族なのだとか。
「あの部屋にいたということは、もしや母と契約していたとか?」
『ん~~?』
言われてみれば、先ほどふわりんが先代オルデンブルク大公夫人の言葉を記憶し伝えてくれた。レースの場所なども把握していたことから、おそらく間違いないのだろう。
「お前の傍で世話をする侍女が必要なのではないか、と考えていたところだった。裁縫妖精がいるならば、必要ないな」
『ないない~』
ドレスの大半は誰かの手がないと着ることができないので、ふわりんの存在はありがたい。
改めて、よろしくお願いします、と頭を下げたのだった。
「エーリク様、こちらのレースと髪飾りは先代オルデンブルク大公夫人のお品物をお借りしまして」
「ああ、借りると言わず、受け取ってくれ。母も喜ぶだろうから」
「いえ、その、レースはエーリク様の花嫁様に、と遺してくださっていたようで」
席につきかけていたエーリク様は「なっ!?」と驚いたような声をあげる。
「申し訳ありません、ふわりんが使っても問題ないと言っていたものですから」
「別に、気にする必要などない。特に結婚の予定もなければ、婚約者もいないからな」
それは意外な情報であった。
跡取りを得なければならないのに、なぜお相手がいないというのか。
その辺の問題については非常にセンシティブな話題なので、深く聞かないほうがいいだろう。
「食事にしよう」
「は、はい」
魔法で料理を完成させる魔導調理具を使って作った料理だという。
食卓に魔法陣が浮かび、料理が転移される。
「本日のメニューは野菜スープに茹で卵、ソーセージ、パン、以上だ」
「こ、これは……」
野菜スープは緑色のどろどろとした液体で、茹で卵はなぜか真っ黒、ソーセージはサラミみたいにカサカサに乾燥し、パンは石のように堅そうに見えた。
「だいたい三食、これを食べている」
エーリク様は祈りを捧げたあと、普通に食べ始めた。
少々……いやかなり独創的な夕食だが、いただけるだけありがたいだろう。
そう思いつつ、スープを飲む。
「――っ!!」
この世の青臭さをかき集めたような味わいで、体が摂取を拒絶し、飲み込むのに時間がかかってしまった。
茹で卵は中身も真っ黒で、なぜか黄身は緑色だった。
緑色なので黄身と表現するのはおかしいのだが、他に言葉を知らないので許してほしい。
なんでも食べる好き嫌いがない私でもこの卵は無理だ、と思ってお皿の端に避ける。
ソーセージはかみ切れず、パンは歯形すら付けることができない。
全体的に味付けが薄く、なんとも味気なかった。
あまりにも酷すぎる夕食だと言えよう。