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オルデンブルク大公家の事情

「最後に賃金について説明しよう。しばらくは一月ひとつき金貨十枚ほど予定しており、働きに応じて特別手当も支払うつもりだが、どうだろうか?」

「お賃金……ですか?」

「不満だろうか?」

「いいえ、不満だなんてとんでもない!」


 首をぶんぶん横に振りながら訴える。

 金貨一枚は一般的な市民が得る一ヶ月の給料の平均だったはず。その十倍もあるのだから、願ってもない好待遇だろう。


「わたくし、これまでお賃金というものを貰っていなかったものですから、そのような物がいただけるのかと驚いてしまって」

「初めてって、これまでは現物報酬か何かだったのか?」

「いいえ、働きに応じて何かをいただく、ということはありませんでした」

「なんだと!?」


 ルーベン様と婚姻を結んでいた頃は、ドレスや宝飾品など贈ってくれた。

 けれどもそれらは、ルーベン様が亡くなったさいに義母だったメクレンブルク大公夫人より返すように命じられたのである。


「信じられない、贈った品を取り上げるなんて。いったいなぜ、そのような暴挙に出たのだ?」

「喪中なので必要ないだろう、とのことでした」


 ルーベン様が亡くなってからは、黒い喪服をまとい、きらびやかなドレスを着ることはなかった。

 喪が明けても、聖教会のシスターが着ているような修道服ばかり着ていたので、ドレスや宝飾品などは必要を感じなかったのである。


「お前はずっと、メクレンブルク大公家の者達に軽んじられていたのか」

「振り返ってみれば、そうなりますわね」


 一生懸命働いているうちは、特に疑問を感じていなかった。

 否、考えないようにしていたのかもしれない。


「忙しくしていないと、ルーベン様を喪った悲しみに支配されそうで……」


 今でも時折ときおり胸がぎゅっと苦しくなって、涙が零れそうになる。

 誰かの死に直面した喪失感は、時間が経っても乗り越えられるものではない。悲しみの灯火と共に生きるしかないのだ。

 ズーン、と暗い雰囲気を作ってしまった。

 話を軌道修正しなければならないだろう。


「お賃金に関しましては、問題ないと言いますか、願ってもない好待遇でして、金貨十枚もいただいてよろしいのでしょうか?」

「お前の能力については把握しているから、妥当だろう。むしろ試用期間を過ぎたら、上乗せするつもりだから、しっかり働け」

「はい!」


 最後に契約書に署名を行う。

 空中に浮かんだ契約書に指先で名前を書くと、キュルキュルと音を立てて消えていった。


「これで無事、お前はオルデンブルク大公家の者となったわけだ」


 裏切り者になった瞬間でもある。

 私を切り捨てたのはメクレンブルク大公家側なので、文句を言わせるつもりはない。


「あとは、衣食住のうちに、〝衣〟についてだ」


 エーリク様が指先をぱちんと慣らすと、魔法陣が浮かんでそこから一着の外套が落ちてきた。

 それはオルデンブルク大公家の家紋と呪文が刺繍された外套である。


「議会のときは、それを着用するように」


 ひと目でオルデンブルク大公側の人間だと分かる服装で、王宮に出入りするさいの通行証明代わりとなるようだ。


「それ以外の服は、義姉あねが残していったドレスを着るといい」


 エーリク様のお兄様の妻にあたる人物の私物だという。

 突然、足下に魔法陣が展開される。


「――!?」


 なんの魔法かと思いきや、体がふわりと浮上し、景色がくるりと入れ替わる。

 転移魔法だ、と気付いた頃には、別の部屋に下り立っていた。

 そこは衣装部屋で、お店かと思うくらいのドレスが大量にかけられている。


「最近の物は半年前くらいで、古い物は十年ほど前のドレスになるが、ここの部屋には状態維持の魔法がかけられているため、悪くなっていないだろう。ドレスの流行も十年に一回一回りするというから、今は同じような意匠が流行っているはずだ」


 エーリク様が手に取ったスミレ色のドレスは、華やかで美しい一着だった。


「どうだ?」

「流行に疎いのでわかりませんが、素敵なドレスだと思います」

「そうか。ここのドレスは好きに使うといい」

「よろしいのですか?」 

「問題ない。そもそも義姉は王都にはいないからな」

「その、お義姉様は今はどちらにいらっしゃるのですか?」

「領地だ。少し前に追いだしたから、二度と戻ってくることはないだろう」


 いったいなぜ義姉を追いだすような事態になったのか。


「どうして義姉を追い出したのか、という顔をしているな」

「いえ、その……はい、気にしておりました」

「義姉はオルデンブルク大公家の財産を横領し、愛人共に横流ししていたんだ。だから問答無用で追い出した」


 反応に困るような経緯だった。

 義姉の事情を聞いたら、エーリク様の兄についてはどうなんだ、と気になってしまう。

 先代のオルデンブルク大公は十年前に亡くなった、という話を耳にしていた。エーリク様がオルデンブルク大公の座に就いた年でもある。

 当時は最年少、十五歳のオルデンブルク大公だ、と話題になっていたのだ。その一方、エーリク様の兄については話題になっていなかった。


「兄は父が愛人に生ませた子で、継承権を持っていなかった。義姉同様にオルデンブルク大公家の財産に手を付けていたから――それ以外にもいろいろあって、追い出した。今は夫婦共に領地で最低限の暮らしを送っていることだろう」

「は、はあ、そういうわけだったのですね」


 またしても私は顔に出ていたのだろう。エーリク様は簡潔に事情を説明してくれた。

 それにしても、オルデンブルク大公家の実権をしっかり握っていたなんて大したものである。

 私が十五歳の頃なんて、神学校の宿題に頭を抱えるだけの毎日だったというのに。


「気になることがあったらなんでも聞いてほしい。僕は隠しはしないから」

「ありがとうございます」


 一緒に働く上で、隠し事をせずに誠実にあるというのは大事なことである。

 私も同じように、エーリク様と向き合いたい。

 にっこり微笑みかけると、エーリク様はぷいっと顔を背け、踵を返しスタスタと歩き始める。

 無視するなんて、と思ったが胡散臭い笑みだったのだろうか?

 以前、シモンから「その胡散臭い笑みで信者から寄付金を集めているのか!」などと言われたことがあったから。

 気をつけなければ、と自らに言い聞かせたのだった。


「最後は部屋だ」


 案内されたのは、転移魔法で移動した上層階にある部屋だった。


「母が使っていた部屋だ。二十五年以上誰も入っていないが、綿埃妖精が掃除していたはずだから、すぐに使えるだろう」


 エーリク様の母君は産褥熱さんじょくねつで亡くなってしまったらしい。そのため、ここは二十五年もの間、誰も立ち入ることがなかったようだ。


「これが部屋の鍵みたいなものだ」


 ルビーがあしらわれた腕輪が手渡される。


「この腕輪には、衣装部屋や食堂、玄関に転移できる魔法も込めている」

「すばらしく便利なアイテムというわけですのね」

「そうだ」


 使い方の説明を聞いてから装着し、扉に手をかざすと中に入ることができるようだ。

 教えられた通りにすると、扉が開く。

 中は白い家具で統一された、瀟洒しょうしゃなお部屋だった。


「まあ、素敵!」


 一歩足を踏み入れると、むぎゅっ、という絨毯ではない踏み心地にギョッとする。


「え?」


 慌てて床を確認すると、つぶらな目と視線が合ってしまった。 

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