屋敷の秘密
『どれ、顔をよく見せてみよ』
『ふうむ、魔力は申し分ない』
『いい女性を見つけてきたではないか』
『でかしたぞ、エーリク!』
次々と肖像画の中のご先祖様が話しかけてくる。
エーリク様は「いちいち相手にするな!」と言って先を歩いていってしまった。
置いていかれないよう、慌ててあとを追いかけていく。
途中から天井や壁、床のすべてが黒で統一され、魔宝石で作られたであろう灯りが辺りを照らしている。この屋敷の中はすべて、魔法仕掛けになっているのだと気付いた。
聖教会の信者は、魔法を徹底的に排除した暮らしをしている。そのため灯りもそこまで明るくない蝋燭を未だに使っているのだ。
魔宝石が放つ灯りは明るく優しい輝きを放っていた。こんな便利な物があるのに使わないなんて、損でしかないだろう。
長い廊下を歩いて行き着いた先は客間だった。
ここもエーリク様が近づいただけで、魔法陣が浮かんで自動で開く。
まず目についたのは巨大なシャンデリア。水晶ではなく、魔宝石で作られたもののようだ。人の気配を察知して灯りが灯る仕組みのようで、便利だとしみじみ思ってしまう。
床には魔法陣が刻まれた絨毯が広がっていて、一歩足を踏み入れると呪文が淡く光った。
家具は光沢が美しい油木で統一されており、家具すら魔法仕掛けのようで、いたる場所に呪文が刻まれている。
椅子に近づくと、触れていないのに動いた。
「座ってくれ」
「はい」
腰を下ろすと、ほどよいタイミングで椅子も動く。まるで背後に使用人がいるような、気遣いに溢れた魔法であった。
さすがにここまできたら誰かが駆けつけてくるだろう。そう思っていたが、依然として人の気配はない。
部屋の清掃はしっかり行き届いているので、屋敷に一人で住んでいるわけではないだろう、とは思っているが。
「何を飲みたい?」
「え? その……」
「なんでも用意できる、言ってみろ」
そう言ってエーリク様は爪先でテーブルをトントントンと叩くと、魔法陣が浮かび上がった。
客間にあった棚が開き、銀の茶器一式がふよふよ飛んでくる。
どこからともなくヤカンも登場した。沸騰したお湯が入っているのだろう、シューシューと音を立てて湯気を漂わせていた。
「紅茶に薬草茶、コーヒーにホットミルク、なんでもある。選べ」
「では、紅茶をお願いします」
「わかった」
エーリク様は指揮棒を振るように指先を動かすと、茶器が自動で動き始める。
茶葉が入った缶の蓋が開き、ポットに適量移され、ヤカンの湯が注がれる。
ポットの蓋が閉まったあとは、ティーコジーと砂時計が飛んできて、蒸らす時間に突入した。
ティーカップにたっぷりの湯が注がれ、温めるところまでしてくれるようだ。
目の前に焼き菓子も登場する。
紅茶が蒸される前にカップの湯は蒸発したようだ。
最後にポットがふよふよ浮かんで、紅茶が注がれる。
なんて優雅な魔法なのか、と思わず見入ってしまった。
「温かいうちに飲め」
「はい、いただきます」
魔法の力で入れられた紅茶は香り高く、品のある渋みがあって、とてもおいしかった。
「どうだ?」
「とてもおいしいです」
「そうだろう?」
エーリク様も紅茶を飲んで、満足げな様子で頷いていた。
「して、いろいろ聞きたいこともあるだろう。仕事のこととか」
「その前に、お伺いしたい件があるのですが」
「なんだ?」
「こちらには、使用人は何名くらいいらっしゃるのですか?」
これくらいの屋敷の規模であれば、魔法の力を頼って暮らしていたとしても、最低百人はいるだろう。そんな想像をしていたのだが――。
「誰もいないが?」
「え?」
「使用人など一人もいない。僕が追い出した」
「な、なぜですか?」
「必要ないからだ」
なんでもこの屋敷はすべて魔法の力で維持されているという。
「料理は魔導調理器任せ、掃除はゴミや埃を主食とする綿埃妖精を放っている。洗濯も魔導洗浄・乾燥機で行っているのだが、使用人の必要性はいっさい感じていない」
「では、こちらには綿埃妖精しかいらっしゃらない、というわけでしょうか?」
「おおむねそうだと言える。他に家禽や家畜、使い魔もいるが、まあ、見かけることもないだろう」
まさか、使用人すらいないなんて。
「どうした? 使用人がいない暮らしがそんなに不思議なのか?」
「いえ……」
実家やメクレンブルク大公家での暮らしは使用人の存在が不可欠だったが、六年通った神学校は寮生活で、身の回りのことは自分でしていたのだ。料理だって、慈善活動をしながら覚えたので最低限はできる。
使用人がいなくとも暮らしていけるということは、わかっていた。
けれどもこのような大きな屋敷の規模でやっている人などいないだろう。
「不自由であれば、雇ってやらなくもないが」
「不自由、ですか?」
「ああ。聖教会の信者は魔法を使った暮らしに慣れていないのだろう?」
「そうですが――その、もしかしてわたくしもここで暮らすのでしょうか?」
「逆に、どこに住むつもりだったのか?」
「王都でお部屋をお借りして、その、通勤という形で働くつもりだったのですが」
ひとまず身につけていた耳飾りでも売れば、しばらく暮らせる。
給金をいただいたあとは、それで生きていけるという算段であった。
「本気か? 貴族の娘が王都で独り暮らすをするとなれば、探すのは一苦労だろうに」
たしかにそれなりの暮らしをするとなれば、中央街にあるアパートメントを借りる必要がある。さらに警備関係がしっかりしているところとなれば紹介状は必要だし、家賃も高いだろう。
「ここで暮らせばいい」
「よろしいのですか?」
「ああ、別に僕は構わない」
ならば、お言葉に甘えてもいいのではないか、と思う。
二人きりの暮らしとなるが、この広い屋敷で顔を合わせる機会など少ないだろうから。
「ご迷惑でないのならば、よろしくお願いしたします」
「ああ、好きに過ごせ」
寛大なエーリク様に感謝したのは言うまでもない。
「あとは仕事についてだな。これくらいでどうだろうか?」
エーリク様が指先を動かすと、目の前に文字が浮かんできた。
そこには就労条件について書かれている。
「お仕事はエーリク様の補佐、スケジュール管理・調整、来客及び手紙の対応――労働時間は一日に五時間程度、週に三回以内の出勤、以上」
読み終えると、思わずエーリク様の顔を見てしまう。
「どうした? 酷い条件だったか?」
「いいえ、逆です。これだけしか働かなくてもよろしいのでしょうか?」
「これだけ〝しか〟?」
「ええ!」
メクレンブルク大公家にいた頃は休日なんてなかったし、働く時間も朝から夜までと途方もなく長かった。
「仕事も、文書作成及び整理を中心に、会食の手配、聖教会の環境整備、贈答品の用意、経費精算、通訳・翻訳、会議の資料作成、来客時のお茶汲み、その他いろいろ――それから議会への参加」
息継ぎもせずに仕事を言い切ったので、ぜーはーと息が苦しくなった。
「一人でそんなに働いていたのか?」
「はい。ルーベン様が亡くなってから、爆発的に仕事が増えまして」
「他の者の仕事も押しつけられているではないか」
「やはり、そう思いますよね?」
「誰が見てもそう言うだろう」
おそらくシモンと義母の仕事まで私がしていたのだろう。
「離縁して正解ではないか」
たしかに、と思ってしまった。