突き止めたもの
今すぐここから逃げだしたいのに、逃げてはいけないと訴える気持ちもあった。
どちらに従えばいいのかわからずにいたら、突然、白猫が私の前に現れる。
「あ、あなたは――」
オルデンブルク大公家の屋敷にいた、美しい白猫である。
どうしてこんなところにいるのか、慌てて声をかける。
「ここは危険ですわ! 逃げたほうが」
私の言葉なんか聞くわけもなく。
白猫が扉に近づくと、どうしてかわずかに開いた。
その隙間から吸い寄せられるように、中へスルリと入っていってしまう。
「あ――!」
顔見知りの白猫が入ってしまったとなれば、余計にここを去るわけにはいかない。
白猫が通ったあと、魔法陣が消えた。
「メルヴ・ウィザード、魔法はどうしましたの?」
『ウーーン、ワカンナイ。封ジラレタ?』
「そう、ですのね」
白猫が何かしたのだろうか。わからないが、侵入するならば今だろう。
しっかり中の状況を確認して、白猫を助けて、転移魔法で逃げればいいだけだ。
メクレンブルク大公について考えると、じくりと胸が痛む。
ルーベン様の父親であった彼は自分にも他人にも厳しく接する極めて厳格な人物だったが、いつもいつでも私を気にかけてくれるお方だった。
ルーベン様が亡くなってからは、メクレンブルク大公の力になろうと思って頑張っていた。
メクレンブルク大公だけは他の人達と違う。そう思っていたのに……。
ぼんやりしている場合ではなかった。
意を決し、扉を開く。すると、むせかえるような甘い匂いに頭がくらくらした。
目の前が真っ白に染まりかけたが、ハッと我に返る。
「きゃははははは!」
鼓膜をつんざくような高い声が聞こえ、思わず耳を塞ぐ。
修道服に身を包むシスター達が、とろんとした表情で私を見て笑っていた。
彼女達はいったい――?
顔色が悪く、生気がないのに瞳だけはらんらんとしていた。
「あの、そこで何をされているのですか?」
問いかけるも、シスター達の反応はない。
修道服は乱れ、手足はだらんと力なく放りだされている。
あきらかに様子がおかしかった。
異変はそれだけではない。メクレンブルク大公の執務室が荒らされていることに気付く。
窓や花瓶は割れ、椅子は倒され、本棚の本は床に落ち、酷い状況である。
そんな状況の中、突如として一人の男性が現れる。
「あ、あなたは」
白金の長い髪に、赤い瞳を持つ、この世の存在とは思えない美貌を持つ青年。
聖人インゴルフ!
彼は私の目が合うと、にんまり笑った。
いったいなぜ、彼がここにいるのか!?
『倒れてる~!』
『ワア、大丈夫!?』
ふわりんとメルヴ・ウィザードの声で気付く。
開いた扉に隠れるようにして、メクレンブルク大公が倒れていた。
「メクレンブルク大公!!」
すぐに駆け寄るも、白目を剥き痙攣していた。
「魔力の枯渇状態ですわ!」
「君、いいところに来てくれたねえ」
ゆらり、と聖人インゴルフが立ち上がる。
「あなた、ここで何をしていますの?」
「何って、〝食事〟かな?」
にっこり微笑んでいるのに、どこか残虐で人の心などないような表情に思える。
彼は危険だ! と心の警鐘がカンカン鳴っていた。
「メクレンブルク大公家の聖嫁――君がいたから聖教会側にいたのに、いなくなったって聞いたからさ、〝作戦〟を実行しようとしたんだけれど、まさか戻ってくるなんて!」
「わたくしは何も関係ない――」
「いいや、ある。この私がいるだけでも命が削られるようなここにいたのは、君を欲していたからなんだ!」
瞬きをする間に、聖人インゴルフが目の前まで詰めてきた。
彼は腕を広げ、私を捕まえようとしたものの、何かに引っかかるようにして動きを止める。
「ん、なんだ、これは?」
何が起きたのかは、太陽光が差し込んだ瞬間に気付いた。
聖人インゴルフの体は、蜘蛛の巣に捕まった羽虫のようになっていたのだ。
『間に合った~』
ふわりんが安堵したように言う。
聖人インゴルフの体を拘束したのは、ふわりんが部屋に放った糸だったようだ。
「あはは、面白いね、これ!」
聖人インゴルフは楽しげな様子で言うと、ふわりんが展開させた蜘蛛の糸を一瞬にして焼き尽くす。
その間に、私は聖人インゴルフから距離を取った。
「魔力を吸収する魔法を展開していたのも、あなたですのね!?」
「そうだよ」
「いったい何が目的ですの!?」
「だから言ったじゃないか、食事だって」
「その食事をして、何をするつもりだと聞いているのです」
「ああ、そういうこと。それはね、権力とか、野心とか、名声とか、人間が望むものを一度手にしてみようと思って」
そのために、彼はこのようなことをしでかしたのか。
「わたくしがなぜ、関係しているというのですか?」
「いや、君は皆の憧れだったでしょう? 聖人の隣には、聖女が立つのが相応しいと思ってね!」
「わたくしは、聖女ではありません」
「何を言っているんだ、〝メクレンブルク大公家の聖嫁〟、君は聖女の器たる希有な人間なのに」
そんなわけがない。
メクレンブルク大公家の聖嫁と呼ばれていたのは、ただ慈善活動に熱心だったことに由来するだけだ。
「これまでいろいろ下準備をしていたんだけれど、君がいなくなったと聞いて計画が頓阿してねえ。だったら、もうけりを付けようかなと思って一暴れしてしまったんだよ」
恐ろしい計画を、世間話をするように打ち明けてくれるものだ。
「でもさー、無計画にやってしまって、誰に責任をなすりつけようか迷っていたんだよねえ」
ここまでやっておいて、彼は善人の振りを続けるらしい。
「そこで取引を持ちかけたいんだけれど」
「お断りします!」
「いや、聞いたほうがいいよ」
遠くから「こっちだ!」という声と、バタバタと足音が聞こえてきた。
「ああ、犯人を捕まえに聖騎士達が駆けつけてしまった。そこで提案なんだけれど――」
聖人インゴルフは真顔になり、私に問いかける。
「私の花嫁になるのと、この騒動の犯人になるの、どっちがいい?」




