彼の事情
こんなにも見目麗しい御方だったなんて驚いた。
普段、議会に参加するときは外套の頭巾を深く被っているので、顔がぜんぜん見えていなかったのだ。
社交場などでは、身分が下の者は上の者に話しかけてはいけないことになっている。
けれどもここは下町の教会。さらに相手は黙ったままなので問題ないだろうと思って話しかける。
「オルデンブルク大公、エーリク様かとお見受けいたします。このような場でお会いするなんて――」
私の言葉に被せるように、オルデンブルク大公は話しかけてくる。
「〝メクレンブルク大公家の聖嫁〟が、供も連れずになぜここにいる!?」
彼の言うメクレンブルク大公家の聖嫁とは、聖教会の信者の方々が二年ほど前から呼ぶようになった私の二つ名である。
そう呼ばれるようになった所以は、慈善活動に積極的だったからだろう。
ただ、それも一種の現実逃避だった。
メクレンブルク大公家の屋敷にいればシモンの愛人イゾルテと鉢合わせたり、義母に意地悪されたり、屋敷に出入りする怪しい人に眉を顰めたりと、居心地が最悪だったので、各地で慈善活動に精を出していたのだ。
それがまさかメクレンブルク大公家の聖嫁と呼ばれ、聖教会の信者の方々に慕われることになるなど、夢にも思っていなかったわけである。
どうしてここに一人でいるのか、というのはいずれわかることだろう。隠すようなことでもないと思い、オルデンブルク大公に説明する。
「夫から離縁の申し入れがありまして、屋敷を追いだされたものですから」
「は!? 今、なんて言った?」
オルデンブルク大公はつかつかと歩いてきて、ジロリと私を見つめる。
その瞳は嘘をつくな、と訴えているように思えた。
「ですから、夫と離縁しましたの。それで行く当てもなく、ここでお世話になろうと思ったのですが」
「は!? メクレンブルク大公家の聖嫁であるお前が、シモンの野郎と離婚して、行く当てがないだと?」
「え、ええ、そうなんです」
「そもそもなぜ、あの男は離縁したいなんて言い出したのだ?」
「その、かねてからお付き合いのある女性――」
「愛人と言え!」
「はい、その、愛人との間に子どもができたようで」
オルデンブルク大公は「はーーーーー」と呆れたようにため息を吐いていた。
「行く当てがないと言っていたが、実家は?」
「夫から持参品を取り返さない限り、帰ってくるなと父から言われまして」
「あの男は、離縁を言い渡しただけでなく、お前の持参品を返さなかったのか!?」
「はい」
オルデンブルク大公の眉間に深い皺が刻まれるだけでなく、長いため息を吐かれてしまった。
「ここで世話になろうとしたが、断られたんだろうが」
「そうなんです! よくわかりましたね」
「たった今、僕も断られたばかりだからな」
「オルデンブルク大公も、ここでお世話になるおつもりだったのですか?」
「そんなわけあるか! 僕のは別件だ!」
「そ、そうですよね」
議会にいたオルデンブルク大公は近寄りがたい人物という印象しかなかったが、こうして話してみるとそうでもないと思ってしまうから不思議だ。
人間、こうして喋ってみないとどんな人なのかわからないのだろう。
「聖教会に詳しい人間の手を借りたかったのだが」
ここのシスターは情報収集のために魔導会から派遣された人物だという。
「密偵、ということですか?」
「まあ、そうだな。聖教会もしていることだ」
同じように、魔導会にも聖教会から放たれた密偵が潜伏しているようだ。
排除するのは簡単だが、報復があるのはわかっているので敢えて泳がせているという。
魔導会側が放った密偵については勘づかれていないそうだが、これ以上魔導会のために動くと怪しまれるからと断られたらしい。
「いろいろ大変なんですね」
頑張ってください、と言って踵を返そうとしたが、オルデンブルク大公は私の腕を掴んだのでギョッとした。
「あの、まだ何か?」
「我がオルデンブルク大公家の事情を、無償で聞かせてやったと思ったのか?」
「世間話かと思っておりましたが」
「密偵のことを喋る大馬鹿がどこにいるのか?」
「で、ですよね!」
オルデンブルク大公家の深い事情に首を突っ込む前に退散しようと思ったのだが、どうやら遅かったようだ。
「わたくしを人質にしても、メクレンブルク大公家は動かないと思います」
「端からお前を人質にしようだなんて考えていない」
「ではなぜ、このようにわたくしを捕獲しているのですか!?」
オルデンブルク大公は悪人のようにニヤリと笑うと、ぐっと接近し耳元でそっと囁く。
「メクレンブルク大公家を裏切って、僕の秘書になれ」
「わ、わたくしが、ですか?」
「ああ、行く当てがないんだろう? 衣食住、仕事まで面倒みてやる。代わりに、メクレンブルク大公家で得た情報を使って、僕に仕えるんだ」
オルデンブルク大公は悪魔のような取引を私に持ちかける。
「もしもお断りしたら、どうなるのですか?」
「オルデンブルク大公家の秘密を聞いてしまったからな、このまま野放しにできない。無理矢理連れて帰って、親族にお前を妻にすると言って一生軟禁する」
オルデンブルク大公に魂を売って働くか、最低限の自尊心を守って結婚し軟禁されるか。
最悪な二択である。
どちらにせよ、彼から逃げられるような状況ではない。
ならば、とさらに詳しい話を聞いてみることにした。
「何が目的なのですか?」
「王家に取り入る聖人、インゴルフ・ローゼンヴィンケルを表舞台から引きずり落としたい」
〝聖人インゴルフ・ローゼンヴィンケル〟――その名を聞いた瞬間、胸がドクンと激しく脈打った。
類い希なる神力の持ち主で、高い治癒力を持つ回復魔法の使い手であり、これまで多くの人々の命を救った、聖人と呼ばれる聖教会の奇跡である。
「あの男の奇跡なんてデタラメで、詐欺師に決まっている。その化けの皮を剥ぎたい」
「……」
「どうした?」
「はい、何か?」
「お前は聖教会側の人間だったというのに、聖人についての悪口に対して言い返さないと思って」
「それは――」
聖人インゴルフはメクレンブルク大公家にも何度も出入りしていて、ルーベン様の治療も担当していたのだ。
けれども途中でルーベン様は、聖人インゴルフの治療を拒絶した。誰が聞いても理由を答えず、最期はたくさんの血を吐いて亡くなった。
ずっとルーベン様がなぜ聖人インゴルフの治療を拒んだのか謎だったのだ。
「わたくしも、彼に関してはわからないことがありましたので」
「ならば、僕に手を貸してくれるか?」
私の腕を掴んだまま、尊大な態度で聞いてくる。とても、協力して事を成し遂げよう、と提案しているようには見えない。
お断りしたい気持ちに駆られるも、後ろ盾がない私にできることは少ないだろう。
それならば、オルデンブルク大公と一緒に聖人インゴルフの正体を暴いたほうがマシだ。
悪魔の取引のように思えてならなかったが、腹を括らなければならない時なのだろう。
「わかりました。わたくしでよければ、協力いたします」
オルデンブルク大公は満足げな様子で頷くと、空中に魔法を展開させた。
それは契約魔法の類いだった。
「僕を裏切ればお前は死ぬ、逆に僕がお前を裏切れば死ぬ、対等な契約だ。しっかり読んで署名するように」
「は、はあ」
とんでもない契約を持ちかけてくれた。
何度もしっかり読んで、私はしぶしぶ署名する。
同じように、オルデンブルク大公も自らの名を書き記す。
契約が結ばれた瞬間、礼拝堂の鐘がリーンゴーンと鳴り響いた。
こうして祭壇の前で向かい合っていると、まるで結婚式の誓約のようだと思ってしまった。
魔法陣がひときわ輝き、ぱちんと音を立てて弾ける。
ちり、と左手の薬指に痛みを感じて見てみると、輪になった魔法陣が指輪のように刻まれていた。
「こちらは……」
「契約印のようだな」
オルデンブルク大公の左の薬指にも、同じものがあった。
まるで結婚指輪のようである。
とんでもない場所に刻んでくれたものだと思ったが、さほど目立たないのでいいだろう。
そんなわけで、私とオルデンブルク大公の契約は、しっかり成立したようだ。
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