魔導省へ
ユーノさんは別件の仕事があるようで、魔導省へはエーリク様と二人で向かうこととなった。
ふわりんも慣れない場所で疲れてしまったのか、メルヴ・ウィザードと一緒に膝の上で眠り始める。
「こいつら、なんのためについてきたんだ?」
「わたくしの心を癒やすためでしょうか?」
ロイス司教やメクレンブルク大公との面会は心が荒むような内容だった。
ささくれた心に、かわいいメルヴ・ウィザードとふわりんの存在が染み入るようである。
「それはそうと、メクレンブルク大公家はとんでもない状況みたいだな」
「ええ、驚きました」
まさかシモンが私との離縁をメクレンブルク大公に黙っていたなんて、夢にも思っていなかった。
「あの男はなぜ、黙ってゼラと離縁なんかしたのか?」
「それは……おそらく再婚したい相手の問題かもしれません」
イゾルテ・グリーム――王都でもっとも美しいと呼ばれる舞台女優で、シモンの愛人である。
シモンは長年彼女との結婚を望んでいたようだが、イゾルテは貴族出身ではない。そのため、メクレンブルク大公が結婚を許可しなかったのだ。
「なるほど、愛人は舞台女優だったか……。メクレンブルク大公がもっとも嫌がりそうな相手だな」
メクレンブルク大公家の花嫁に相応しいとされるのは、敬虔な神の信者で、慎ましい暮らしを好み、清らかな気質の女性だと言われている。
「メクレンブルク大公が望む花嫁とは、真逆の存在だな」
「ええ……」
舞台女優は後援者の支援がなければ舞台に立つことができない。その後援者というのは、多くは一回りも二回りも年が離れた男性である。
そして後援者とは愛人契約を結ぶのが普通で、夜会に連れて行ったり、夜を共に過ごしたり、と互いに利益のある関係性なのだ。
今、イゾルテに後援者がいなくとも、過去にそういった関係の男性がいたことは事実で、現役で舞台に立つ以上、シモン以外に関係のある男性がいないとは言えない。
シモンはイゾルテを舞台に立たせてやれるほど、お金を持っているとは思えなかった。
未来の大公といっても、財産管理を行っているのは父親であるメクレンブルク大公である。そのメクレンブルク大公も息子に大金を与えて甘やかす人物ではなかったから。
「なるほど、イゾルテ・グリーム側について探られたくない事情があるから、ゼラとの離縁は公にしないようにして、火消しでも行っている最中というわけだな」
「おそらく」
イゾルテの過去をもみ消してから結婚するのが理想だっただろうが、先に妊娠してしまったので計画が狂ってしまったのかもしれない。
「シモン側の事情がどうであれ、メクレンブルク大公は絶対にお前を探すだろう」
「どうでしょう?」
「探すに決まっている。言葉の端々から、メクレンブルク大公家の聖嫁を気に入っているのが伝わってきたからな」
そういうふうに思ってくれるのは光栄だが、探されたら困る。
いくらメクレンブルク大公の願いでも、今さらシモンとの離縁をなかったことにするのはごめんだ。
「エーリク様のところに身を寄せているというのは、露見しないようにしませんと」
「そうだな。奴のことだから、僕がゼラを誘拐したとか言いそうで」
「恐ろしいです」
メクレンブルク大公の前でも堂々と自分がしたことをしらばっくれていたので、他人に罪をなすりつけることなど容易に想像できる。
「メクレンブルク大公家の聖嫁を求める信者の抗議活動についても、驚いたな」
「わたくしもです」
まさかあんな状況になっていたとは思いもせず。
「代わりの者が現れたら、治まると思うのですが」
「それは難しいだろう。あの者達はメクレンブルク大公家の聖嫁を求めて、集まっていたのだろうから」
これまで熱烈に求められていたようには見えなかったのだが、集まりがなくなって物足りなさを感じているのだろうか。
よくわからないが、騒動の後始末はメクレンブルク大公がきちんとつけてくれるだろう。
そんな話をしているうちに、魔導省に到着した。
王都の端にある魔導省は煉瓦に蔦がびっしり這っていて、窓が少なくて中の様子が見えず、頭巾を被った黒ずくめの魔法使いが次々と集まってくるので、悪の巣窟だと言われたら信じてしまいそうな怪しい佇まいだった。
そんな魔導省に近づくと、ゆら、ゆらと陽炎のように建物が揺らぐ。
「エーリク様、こちらは?」
「結界だ」
悪意を抱いて侵入しようとする者が現れたら、弾き返すような仕組みになっているらしい。
「なるほど、そういうわけでしたか」
本拠地の守りは堅いわけだ。
それはそうとどこに出入り口があるのかと思いきや、エーリク様が煉瓦に触れると魔法陣が浮かんでくる。
体がふわりと浮かび、くるりと景色が変わった。
「――きゃあ!」
いきなり転移魔法が発動されたので驚く。
メルヴ・ウィザードを胸に抱いたまま、工房のような部屋に着地した。
「ここは?」
「僕の執務室だ」
そこは壁一面、天井にまでに魔法書がぎっしりと収められているだけでなく、天井付近にも本がふよふよ泳ぐように浮かんでいた。
「あちらの本は?」
「収納しきれなかった本だ」
本以外には執務机と巨大な錬金釜があるばかりの部屋だ。
「ここにゼラが仕事で使う机を運ぶ予定だ。他に欲しい物はあるか?」
「休憩用の長椅子がこちらにあったらいいと思うのですが」
「必要か?」
「ええ、必要です。普段は別室でお休みされているのですか?」
「いや、そもそも休憩を取っていなかったように思える」
「なっ――どうしてですか?」
忙しかったわけでもなく、休憩を取ろうという気持ちがなかったらしい。
休憩時間が楽しみで働いていた私とは大違いである。
「エーリク様、休憩時間は必要なんです!」
「そうなのか?」
「ええ! 作業効率などもぐっと上がるはずです」
「うーむ」
いまいちピンときていないようだった。
こうなったら、と訴える。
「でしたら、これからこのわたくしが、休憩時間の楽しさを伝授しますね」
「わかった、楽しみにしておこう」
しばらく休憩したあと、魔導省の内部を案内してくれるという。
「ゼラはこの椅子に腰掛けろ」
それは普段、エーリク様が仕事をするさいに座っている椅子である。
「いえいえ、そこに座るわけにはまいりません」
「いいと言っている」
「その椅子は魔導省の頂点に立つ方のみ、座ることを許されているでしょうから」
どちらも引かずに平行線となる。
「ゼラ、僕はやっと理解した。休憩用の長椅子が今すぐ必要だ!」
エーリク様の訴えに、私は深々と頷いたのだった。




