8月某日うどん自販機の旅
私がその自動販売機の存在を知ったのは、一昨年の年末のことだ。
年末年始の休み中、何をするでもなくのんびりTVを眺めていると、NHKの『ドキュメント72時間』という番組が始まった。
真面目に観たことはないが、一時期職場の上長たちがはまっていたのを思い出し、何の気なしに観始める。
ご存知ない方のためにご説明すると、この『ドキュメント72時間』は毎回ひとつの現場にカメラを据え、そこで起きる様々な人間模様を72時間にわたって定点観測するドキュメンタリー番組である(公式HPより引用)。
その日放送されていたのはその年に放映された回の視聴者人気ベスト10を集めたスペシャル番組だったのだが、観てみるとこれが面白い。集落を回る移動スーパーや絵本専門店、閉園となる遊園地に看護専門学校など、成る程そこを訪れる人々にはそれぞれの事情があり、インタビュアーとの短い会話の中からその人の人生が見えてくる。
中でも私が興味を惹かれたのは、山陰地方の国道9号線に設置されたうどん自販機の回だった。
――うどん自販機?
そもそも私はうどんの自販機をリアルで見たことがない。
調べてみたところ、この番組でうどん自販機が出てきたのはこの回が初めてではないようだった。
2022年の夏、レギュラー放送開始から10年を記念して放映された特番の中で、320以上の過去の放送回の中から人気投票1位を見事に飾ったのが秋田県のうどん自販機を取り上げた回らしい。
確かにレトロな機械から差し出されるそのうどんは、素朴な見た目であるにも関わらず――いや、そうであるが故に、画面の先に佇む視聴者の食欲を刺激する。
いつか機会があればあのうどんを食べてみたい――確かにあの時、うどんを啜る人々の姿を見つめながら私はそう考えていた。
そしてそれから1年半以上の時が経過する。
夏休みを迎えた私は、特段遠出する予定を入れることもなく自宅でゆったりと過ごしていた。のんびりと夕食を食べながら動画サイトを眺めていると、ふとその中に『ドキュメント72時間』の表示を見付ける。
この番組を知って以降、毎週欠かさず録画をして楽しませてもらっているが、そういえば過去の作品は特番で紹介されたもの以外観たことがなかった。
追加料金を払えば1ヶ月見放題――特に予定もなくこの酷暑を過ごす私には非常に魅力的な提案だ。
折角だし観てみるか、そう思考が揺れる最中にふと思い立った。
――例のうどん自販機は、私の家の近くにないものか。
早速調べてみると、数は多くないけれど、例のうどん自販機は日本各地に設置されている。
北は北海道から南は四国まで全国54軒、特に群馬県と島根県は何故だかやたらと多かった(私が調べたホームページだと、それぞれ9軒あった)
そしてラッキーなことに、私は自宅から車で1時間強の距離にその中の1軒を発見したのである。
そして私は、8月某日そのオートパーラーの前に立っていた。
そもそも、みなさまは『オートパーラー』というものをご存知だろうか。
オートパーラーとは、1970年代に全国の主要国道沿いに作られた24時間軽食を提供する自動販売機食堂のことを指すらしい。その後コンビニやファミレスが急増した結果、今はその多くが姿を消してしまっている。
じりじりと真夏の太陽が照り付ける中、決して広くないそのオートパーラーの中には、地元民らしき4人の男性たちが座っていた。
その状況に気後れしつつも入口のガラス戸に手をかけると、向けられた8つの視線が一斉に私の全身を射抜く。
「……そろそろ行くかぁ」
それぞれの持っていた丼をゴミ箱に入れ、立ち去っていく先客たち。
気を遣わせてしまったことを申し訳なく思いながらも、残された私は店内の自販機たちを物色する。
そこにはドリンクから軽食まで、バラエティー豊かな自販機たちが並んでいた。
ドリンクの自販機は比較的新しく昼下がりの店内で煌々と光を放っているものの、軽食類の自販機は昭和レトロ感満載の造りをしている。
どれもこれも「販売中止」の紙が貼られ、稼働しているのは私の目当てのうどん・そば、そして日清のカップヌードルの自販機の2台だけだった。
私は満を持してうどん・そば自販機の前に立つ――が、現金投入口を見たところで、あれ、と一瞬不安が過る。
というのは、千円札投入口がなく硬貨のみ、しかも「新500円使えません」と丁寧に書かれているのだ。
先程並びの両替機を見たが、ご多分に漏れず故障中。
最悪別の自販機で飲み物を買って小銭をつくることを決意し、財布の中の新500円玉をおそるおそる投入してみると、思いがけずすんなりと受け入れてくれてほっと胸を撫で下ろす。
メニューは天ぷらそばと天ぷらうどんの2種類のみでいずれも350円。
確か過去回で見た秋田の自販機は200円だったから、この10年近くでだいぶ値上がりしたのだろう。もしくは設置場所も価格に影響しているのかも知れない。
天ぷらうどんのボタンをこわごわと押すと、即座に「できあがりまで」と書かれたインジケーター(表示器)に残り時間が表示される。
25秒――驚く程スピーディーだ。
これならコンビニのお弁当よりも圧倒的に早く温かい食事にありつける。ファンが途切れないのも納得だ。
そして待つこと25秒、私は取出口にドキドキしながら手を入れた。
出来上がった天ぷらうどんからはなんとも食欲をそそる香りが立ち昇っている。
発砲スチロールの器には一人前のうどんが並々と入れられていた。
秋田の放送回で見たうどん自販機はつゆがひたひたに入ってしまい購入客が火傷しそうな様子も見受けられたが、幸いにもこのうどん自販機は問題ないらしい。
機械の正面部分から割り箸と小袋に入った七味も入手し、早速備え付けのテーブルでうどんを頂くことにした。
まずは一口、つゆを啜る。
朝から何も食べていないからっぽの胃を、想像よりもしっかりとしただしの味わいがほっと温めてくれた。
続いてうどんだ。
この自販機ではカップに入ったゆでうどんと具材が冷蔵保存されており、注文が入ったタイミングでお湯が注がれ、回転湯切りを行う仕組みとなっている。
それ故にやわらかすぎるのではと少し危惧していたが、そんなことは全くなくおいしく頂けた。
そして丼の表面を覆うかき揚げ天ぷら。
玉ねぎににんじん、桜えびに長ねぎ――具沢山のかき揚げが上品な色の衣に包まれ、つゆにしっかりと浸っている。
箸で崩しながらうどんと共に口に含むと、ここが小高い丘の上にあるオートパーラーであることを忘れてしまいそうになった。
勿論本格的なうどん屋さんには敵わないが、インスタントのうどんと比べればこちらに軍配が上がる。
庶民の味方である富士そばのかけが400円を超える時代に、天ぷらうどんが350円で食べられるなら万々歳だろう。
しかし、エアコンのない店内は外気温と同じくらいに暑い。
汗をかきつつうどんを食べていると、ふとこの店内の最若手であろう扇風機の存在に気付く。
きちんと稼働するか心配しながらスイッチを入れると、その懸念を吹き飛ばすように扇風機が全力で回り始めた。回転する扇風機の羽根を見ながら、改めて夏だなぁと思う。
下がっていく不快指数を後目に、私は残る天ぷらの欠片を拾い集めた。
その間にも新しいお客さんがやってくる。
仕事の合間らしき中年の男性は、天ぷらうどんを買うと早々に自分の車へと引き返していった。
エアコンの効いた車内で食べようという目論みだろう。確かに涼しい中で食べる温かいうどんは絶品に違いない。
そして、私がうどんを食べ終わる頃、1組の男女が訪れる。
彼らは私の席近くにある自販機を見て「えっ、ハンバーガーないんだ!」と肩を落とした。
確かにハンバーガーの自販機には「本日は売切です」と書かれている。うどん目当てだったのであまり気に留めていなかったが、ハンバーガー目当てのお客さんもいるようだ。
結局、その男女は天ぷらそばとうどんを購入していた。
「この暑い中ここまでわざわざ来て、お目当てのハンバーガーを食べられずに天ぷらうどんを食べることになるなんて」
「思いもしませんでしたねぇ」
そう言い合いながら、楽しそうにうどんを啜っている。
もしかしたら、レトロ自販機巡りでもしているのだろうか。
敬語で会話しているということは、まだそこまで親密な仲ではないのかも知れない。
そんな色々を想像しながら、私は天ぷらうどんのつゆを飲み干した。
以上、これが今年の夏休みの思い出だ。
うどん自販機のお蔭で何の予定もない休みが有意義なものに変わり、ありがたい限りである。
なお、今回色々と調べてみたところ、どうやら神奈川県相模原市にレトロ自販機の聖地と呼ばれる場所があるらしい。
そこには100台以上のレトロ自販機が並び、今回私が頂いたうどんだけでなく、他の食べ物の自販機もあるそうだ。
もしまた予定がない長期休みがあれば、是非行ってみたいものである。
(了)
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
折角の夏休みなのに特にイベントがなかったので、ちょっとお出かけしてみました。
ちなみにラストに書いたレトロ自販機の聖地は中古タイヤ屋さんのようです!
最寄り駅からバスで20分と遠いので、車で行った方がいいんだとか……。
世の中には色々なスポットがあって面白いですね(´ω`*)
以上、お忙しい中あとがきまでお読み頂きまして、ありがとうございました。