プルガーバプティーモス
アデルとしては3回目だけど、転生後のアデルにとっては初めての禊です。
現世では経験できない神秘的な現象が起こります。
お父様の執務室から自分の部屋に戻った私は、メアリに頼んで禊の祝詞と神の名、洗礼の祝詞の資料を出してもらう。
「姫様、陛下とのお話し合いはいかがでしたか?」
「お父様とお話しているうちに、知識に関する事を忘れてしまっている、という事が判ったわ。お母様から国と王都の名前を教えていただいたのだけど、全然ピンとこなかったの。禊の事や洗礼の事も」
「そうでございますか」
苦しそうな顔になってメアリが言う。
「でも、お父様もお母様も、忘れたのなら覚え直せば良いと言ってくださったの。私も知りたい事がたくさんあるからメアリにもいろいろ尋ねると思うの。その時は、できる範囲でいいから教えてちょうだいね。オリビアとマルティナ、オデットとイザベルもよ。よろしくね」
「はい、姫様」
「かしこまりました」
「姫様は、どの様な事なら覚えておいでなのですか?」
「そうねえ、お兄様方との初めてのお茶会は楽しかったなぁとか、お父様とお母様にカーテシーができる様になって褒めていただいた事が嬉しかったなぁとか、王宮の庭に咲くバラの花が好きだとか、お散歩の時、木に登ってセブランに叱られた事とか?」
「プルガーバプティーモスの事は?」
「それがね、泉に足を浸した所でプツンと記憶が途切れているの。祝詞を練習しながら馬車に乗っていた事は覚えているけれど、その祝詞は覚えていないのよ。自分でも変な忘れ方だと思うけど、忘れちゃったものは仕方ないわよね。もう一度覚え直すわ」
忘れ方に法則性は無くて、知識にムラがある感じ。
変てこりんなの!
「全て忘れた訳ではないのですね。ですが、知識に関する事ですか」
考え込んだメアリが私に向き直る。
「姫様、私共側仕えは、主人が快適に生活できるよう環境を整え、主人を手助けする事が仕事です。ですが、今の姫様は、知識を失った事で以前とはお変わりになりました。新しい姫様が何を覚えていて、何を忘れているのか判らなければ、私共の仕事に満足して頂けず、ご迷惑をおかけする事態になるかもしれません」
ああ、メアリが真面目に考えてくれている。
有難いやら後ろめたいやら…。
「先程、姫様は私共にいろいろ教えて欲しいと仰せになりました。ですが逆もまた真実です。どうか私共にも姫様が判らない事が何なのか、何をお望みなのか、その都度お教えくださいませ」
メアリの言葉に側仕え達が、うんうんと頷いている。
「メアリ、ありがとう。皆もありがとう。よく解ったわ。これからもよろしくね」
「「「はい」」」
まずは、お父様の言うとおり洗礼式を、無事、終えられる様にしよう。
それからは、暗記に没頭して過ごした。
今日は、いよいよ三回目のプルガーバプティーモスの日だ。私にとっては初めての禊になる。
朝早くから入浴して身なりを整えると早速馬車に乗り込む。同行する側仕えは、メアリとオリビアの二人。護衛騎士のセブランとマティアスの二人が馬車の御者席に座り、お父様の近衛騎士が5名随行してくれている。
しつこいようだが、私のとっては、初めてのお出かけだ。
「メアリ、近衛騎士が騎乗しているのは何?」
「ああ、騎獣でございますね。魔獣を調教して騎乗できる様にしているのです。
騎獣を得て初めて一人前の騎士と認められると聞いております」
「えっ! 魔獣? 魔物とは違うの?」
「魔獣は調教できますが、魔物は人間を餌と認識しますから討伐の対象です。私はあまり詳しくございませんので、詳しくお知りになりたいのでしたら、帰城した後にセブランにお尋ねくださいませ」
「そうですよ。今は、禊にご集中くださいませ」
あらら、オリビアにまで注意されちゃった。
前回の事もあって、二人とも今日はピリピリしている。私は、それもそうだ、と思って祝詞の復習を始めた。
1時間程でデアフォルフォンスに到着した。敷地の入口前には馬車や騎獣を停められるスペースが設けられている。
泉に向かって左側に、幅2m程の小川が流れていた。
あの川に落ちたのかな?
「姫殿下、合図するまで座ったままでお待ちください」
御者席からセブランが声をかけてくれる。近衛騎士が騎獣を繋いで体制を整えてから、私に馬車を降りる様に促す。そこからは、騎士達に囲まれて、歩いて東屋に向かう。入口から東屋まで10mくらいだ。
東屋は、ギリシャ神殿の様に大きな柱が並んだテニスコート位の広さのもので、向かって左側に6畳程の小部屋がある。まず、その小部屋の正面入口からメアリとオリビアを伴って入り、禊用の白装束に着替える。
小部屋の泉側の出入口から出ると、泉の正面手前から進むべき通路が、色違いの床石で示されている。
「姫様、禊の手順は覚えておられますか?」
「はい、大丈夫です」
「落ち着いておられる様で安心いたしました。では、姫様、ここから先は、お一人でお進みくださいませ。私達は、色が違う床石の部分に入る事ができませんので、こちらで見守っております」
「はい、では行って参ります」
泉は直径6m程の円形で、手前の端から奥に行くにつれて徐々に深くなっていた。入口から向かって一番奥の泉の端に、高さ2m程の白い女神像が建っており、その足元から湧き出る水が泉を満たしている。
泉の水量は一定に保たれているので、どこか見えない所から排出されているのであろう。
パッと見た感じは丸いプールのようだ。
私は、手前の浅い所から泉に足を踏み入れ、女神像に向かって少しずつ進む。
女神像の正面に立つと、水深が私の胸の辺りまでになった。
女神像の足元の水が湧いている所は深さ30cm程の半球形になっており、その底には、三分の一程埋まった状態の直径10cm程の水晶の様な玉が見えている。水は、その玉から湧いている様に見える。
私はその玉の上に両手を置き、頭を垂れて祝詞を奏上する。
掛けまくも畏き六つ柱の大神
光の女神ルーチェンナ
闇の神ティーネブラス
火の神フランマルテ
水の神オークレール
土の神ソルテール
風の女神ラファーリエ
デアフォルフォンスに三度罷り越しましたる
アデリエル・ル・セス・コントラビデウスの願いを聞こし召せと
恐みて申し上げ奉る
諸々の禍事・罪・穢れ有らむとば祓い清め給へ
私の手から玉へと温かい何かが吸い出され、玉は眩い金色の光を放つ。
光は泉全体に拡がり、私を包み込む。
キラキラとした輝きは、5秒ほど続いただろうか。
まるで名残りを惜しむ様に光が消えていく。
私は玉から手を離すと、頭を上げて女神像を見る。
女神像の顔は、満足そうに微笑んでいる様に見えた。
私は感謝の意を込めて黙祷し、女神像の方を向いたまま下がって泉を出た。
濡れているのに不思議と寒くなかった。
とても神秘的な体験をした。
メアリ、オリビアと合流して小部屋へ戻ったら側仕えの手を借りて体を拭いて、急いで着替える。
小部屋から出ると、セブランとマティアスが待っていてくれた。
「前回の事もありますので、馬車に乗り込むまでご油断召されるな」
「はい、参りましょう」
私は、再び騎士達に守られながら馬車へと向かう。何事も無く馬車に乗り込み、ホッと一息つく。
馬車が動き出すとメアリがホーッと長い安堵の息をつく。オリビアも険しかった顔が少し緩んだ。
「まだ帰城した訳ではありませんが、少しホッとしました。姫様は大丈夫でございますか?」
「大丈夫よ。無事に終えられてホッとしてるわ。上手くできてたかしら」
「ええ、大変お上手でございましたよ。前回と同じ様にお美しくございました。姫様が恐ろしがったり怯えたりなさらずに、本当に良うございました」
「私は何も覚えていないから、メアリとオリビアに申し訳ないくらいに平気よ。
どちらかと言うと何か思い出すかもと期待していたんだけど、ダメだったわ」
こんな素敵な事を経験できたなんてと嬉しくて仕方ない私は、帰りの馬車の中でずっと禊の一部始終を思い返していた。
何事もなく無事に帰城すると、お兄様方が出迎えてくれた。
アデルはこの世界の神様を受け入れてくれたのでしょうか
次回は、思いがけない情報が手に入る、優しさが詰まったお兄様方とのお茶会です。