ケーキの奉納
火の女神フランマルテから出された課題の提出が終わります。
料理人の努力に大いに助けられて、お父様の配慮に感謝して、お母様やお兄様方に心配かけて、何とか決着が付きましたが、新しい事実も発覚してしまいます。
『苺ショートケーキ』の試食から4日目の夕食のデザートに、改良版のケーキが供された。
私のこの3日間は、しばらくケーキは見たくないと思うほど味見に明け暮れた。チボーが生地を試作してはメアリを通じて味見を頼んでくる、という事を何回か繰り返して、前世の『スポンジケーキ』と呼んでも良い物が出来上がっていた。
クリームシャンテも同様に、チボーが試作するたびフェーズを添えて届けられ、その全てにコメントを返していた。その甲斐あって、見た目も、味も、『苺ショートケーキ』と言って良い物がデザートとして供されたのである。
一口食べたところで、お父様が前回と全く同じ言葉で私に尋ねる。
「どうだ? これがアデルが考えた菓子か?」
私は、ニッコリ笑って答える。
「はい、これこそが私が求めていたお菓子です」
「うむ」
お父様は、満足そうに頷くと、ケーキを口に運んで味わい始めた。それを見て、一口目をゆっくり味わっていたお母様が、感想を述べ始める。
「本当に、前回アデルが言っていたとおり、甘さの配分を逆にしたのね。こちらの方が、クリームシャンテという新しい味を引き立てていて、フェーズとのバランスもとても良いと思うわ。飾り付けもとても美しいし、私は前回の物よりこちらの方が私の好みに合いました」
「ありがとう存じます。これも全て、トマとチボーのおかげです。ディー兄様は、いかがですか?」
ディー兄様を見ると、既に半分ほど食べている。
「私はどちらも美味しいと思うが、何よりクリームシャンテという新しい味が気に入った。砂糖の量が変われば味も変わって、色々と工夫できそうだなと感じたよ」
「ディー兄様が仰るとおり、甘さを加減する事でいろんな組み合わせができると思います。シル兄様はいかがですか?」
シル兄様を見ると、既に完食している。
「アデル、何故、今回はこんなに小さいんだい? 僕はもっと食べたいと思うほど美味しかったよ」
少し拗ねたように言うシル兄様を見て、皆が笑いだす。
「さてアデル、この新しい菓子を何と名付けるのだ?」
お父様は笑顔で尋ねているが、目は笑っていない。この質問は、いつかされるだろうと思っていた。『苺ショートケーキ』は日本語なので、この国では違和感満載なのだ。私が転生者で前世の記憶がある事は、秘密にしなければならない。だからこそのお父様の問いかけなのだ。
前回、ホイップクリームをフランス語のクレーム・シャンティからパクったのはこの国の言語が、フランス語に酷似している事に最近になって気付いたからだ。
であるならば、今回も同じ様にフランス語をパクるのが良いと思う。
ガトー・ショコラって流行ってたなぁ。
それを、こちら風にアレンジしてみよう。
「ギャトゥ・フェーズでいかがでしょう?」
日本語に直訳すると、苺ケーキである。
単純で良くね?
「ふむ、良いではないか。ギャトゥ・フェーズ、語音も良い。決まりだな。トマ、チボー、我が面前に出る事を許す。近くに参れ」
「御意」
トマとチボーが衝立の後ろから出て来て控える。
「トマ、チボー、今度は王妃・王女の要望に完璧に応えてくれた。礼を言う。
褒美として、アデル考案の菓子ギャトゥ・フェーズを、今後も作り供する事及び改良する事を許す。なお、しばらくの間、この菓子に関する情報を口外することを禁じる。今更であろうがよろしく頼む」
「有り難く承ります」
トマもチボーも、とても誇らしげで嬉しそうに胸に手を当て礼をする。
「なお、ギャトゥ・フェーズは、六つ柱の大神に奉納して王女の功績とした後、考案した王女から王家に献上されたものとして扱う予定だ。今後、社交を行う上で、王家の更なる優位を示す事となるであろう」
なるほどね。六つ柱の大神の許容範囲内であっても、基になったのは私の前世の知識だから、情報統制する為に、私個人のものではなく王家のものにするんだね。流石、お父様。いつも私の事を考えてくれて感謝です。
「トマ、チボー、今週の終わりの日に、ギャトゥ・フェーズを六つ柱の大神に奉納する。神がお喜びになる様な良い物を作ってくれ」
「承りました」
六つ柱の大神には、月末恒例の面会で『苺ショートケーキ』を奉納するんだね。
頼まれたのは私だから、私も一緒に行く事になるんだろうな。
うふふ、面会だなんて…
入院患者のお見舞いみたいに言ったら不敬かなぁ?
簡単には会えないから似た様なもんだと思うとつい…ね。
頻繁に会えないくらいがちょうどいい。
何しろ神力の圧がすごかったもん。
恐れ多いと思う間もなく、胸が圧迫された様に息苦しくなったからねぇ。
ギャトゥ・フェーズを城の宴なんかで客に出す事が許されるのか、
国民レベルまで広く知られても良いのか、
全く外に出してはいけないのか、
六つ柱の大神にデッドラインを確認しないといけないよねぇ。
その週の週末、12の月の最後の日、月例になっている国王が行う神殿での魔力の奉納に、家族全員で向かう事になった。私が、待ち合わせ場所になっているお父様の居間に行くと、何故かお母様とお兄様方が来ていたのだ。
今のお母様は、私がケーキの奉納に失敗して神罰を降される事を、極端に恐れている。私自身は、契約違反をした訳でもないのに、神がそんな非道な事をするとは思っていない。お母様は、デクストラレクスに降された数々の神罰に、恐れ慄いていたから心配になったのだろう。
そしてお兄様方は、お母様の心配が伝染したらしくて、お母様と私を守るのだ、と言って離れようとしないのだ。おそらく、7日前に聞いた隣国への神罰の事で、余計に心配になったのだろう。
神様が人間にとって理不尽な存在になる事はよくあるので、心配するなとは言えない。
お父様はそんな三人を見て、仕方ないなぁ、というように笑うと、三人が一緒に行く事を許可した。
ついこの前まで、不安で死にそうな顔を見せていたお父様は、今はとても落ち着いた様子をしている。私の知らない所で、心境の変化でもあったのかな?
トマとチボーが二人で全身全霊を尽くして作ってくれた『苺ショートケーキ』を乗せて来たワゴンごと受け取ると、お父様がエレベーターの部屋(私が勝手にそう呼んでいる)の鍵を開く。ディー兄様とシル兄様がワゴンを押して、お母様が私に寄り添い、元々一緒に行く予定のイザークおじ様、ロベールおじ様、グラーチェおじ様の三人と共に、神殿に通じるエレベーターの部屋(本当は『神殿通路の神具』と言うらしい)に入る。
前回と同じ手順で神殿に入ると、家族全員が魔法陣に入り、お父様、私、お母様が前列に並び、私の後ろにお兄様方が並ぶ形で左膝をつく。おじ様方は、魔法陣の外に左膝をついて控えている。
お父様が祝詞を奏上すると、前回と同じ様に魔法陣に魔力が吸い取られた。洗礼で経験があるお兄様方は落ち着いていたけれど、初めて魔法陣に入ったお母様は、魔力が吸い取られた事に驚いていた。
この魔法陣、真のコントラビデウスでなくても魔力を吸い取るんだね!
天井の光源から一条の光が差し、レオアウリュム様が顕現する。
お母様には見えないはずなのに、目を見開いてレオアウリュム様を見ている。
お母様、見えているのかな?
大丈夫かな?
「やあ、ルーチェステラ。今日は家族全員で来たんだね。やあ、ディーヴァプレ、シルヴァプレ、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ」
「レオアウリュム様、お久しぶりでございます。六つ柱の大神のご加護のおかげをもちまして、シルヴァプレ共々元気に過ごしております」
レオアウリュム様に話しかけられたお兄様方は、とても嬉しそうにしている。
「ルーチェオチェアーノスと母君も元気そうで何よりだよ。本当に君達親子が仲良しで、六つ柱の大神も喜んでおられたよ」
お母様には、この場での発言権は無いので、私が答える。
「ありがとう存じます、レオアウリュム様」
「グラーチェステラ、アールブムビィアの孫、フォルゴランスの子、君達には今回の件でたくさん働いてもらった様だね。ご苦労様。君達のおかげで六つ柱の大神の怒りが鎮まりそうだよ」
「労いのお言葉、有り難く頂戴いたします、レオアウリュム様」
グラーチェおじ様が答えると、お父様が思わずといった様子でレオアウリュム様に尋ねる。
「レオアウリュム様、一つ教えを賜りたいのですが、よろしいでしょうか?」
「なあに、言ってみて」
「隣国に落ちた火の玉は、六つ柱の大神が降された神罰でございますか?」
「そうだよ。フランマルテが張り切っちゃってね、…は? ちょっと待ってね」
レオアウリュム様が目を閉じて静かになる。
すぐに目を開くとお父様に尋ねる。
「今日は、水の星の菓子を持って来ているはずだから、早く奉納させろ、って催促されたよ。持って来てるの?」
「はい、持参しております。どの様にいたしましょうか?」
お父様が尋ねると、レオアウリュム様はふわりと浮き上がって、少し下がる動作をする。
「この台の上に置いてくれるかな?」
「かしこまりました」
お父様が立ち上がると、イザークおじ様も立ち上がって、後ろに置いていたワゴンを押してお父様に渡す。お父様は、受け取ったワゴンを押して台座の前まで行き8等分にカットしたホールケーキを台座の上に置く。
お父様は、ワゴンをイザークおじ様に戻し、元の位置に戻って左膝をついた。
すると、天井の光源が一際強く輝いて、一条の細くて強い光がケーキの上に差し込んだかと思うと、パッとケーキが消えた。すぐに細い光は消えて、浮かび上がっていたレオアウリュム様がタンと軽く音を立てて台の上に飛び降りた。
「さっきの話の続きをするね。フランマルテが火の玉を落として隣国の王弟とその仲間達を懲らしめた後、六つ柱の大神は、隣国の王に神託を下したんだ。『六つ柱の大神が加護を与えた者が治める国を犯す者には、今後もお前の弟のように、必ず神罰を下す』だったかな? この件に関する六つ柱の大神の関与は、これで終わりだよ。怒りは鎮りそうだからね」
神託? そんな大っぴらに…
いや、隣国の国王だけなら大っぴらにはならないのか?
相手の出方次第か!
お父様の顔を見ると難しい顔をしている。
外交の選択肢が、幾重にも分かれてくるなぁ。
本当に予想外の事をしでかしてくれるなぁ、ここの神様は!
私が考え事をしている間、目を閉じていたレオアウリュム様は、目を開いて『苺ショートケーキ』が合格だった事を教えてくれる。
「ルーチェオチェアーノス、奉納された水の星の菓子は、六つ柱の大神が甚くお気に召した様だよ。ご苦労様。…えっ! 何? …ちょっと待ってね」
再びレオアウリュム様が目を閉じる。しばらくして目を開いたレオアウリュム様は大きなため息を吐いた後、思いがけない事を言った。
「ルーチェオチェアーノスにラファーリエが会いたいんだって。今、代わるね」
えっ! また?
今度は風の女神なの?
いや、レオアウリュム様に代弁させればいいじゃん!
レオアウリュム様がふわりと浮き上がってくるりと前転すると、眩しい光がバッと広がってレオアウリュム様の姿が溶けるように消えた。一陣のそよ風が吹くと、光が収束して女性の形に変わっていく。風の女神ラファーリエが、輝きを薄く全身に残したまま顕現した。
フランマルテを活発と表現するなら、ラファーリエは清楚と表現して良いだろう。黄色っぽい金髪に、黄色い瞳のとても美しい女性が浮いている。
再び顕現した女神に、お父様はピリピリした感じになり、お母様は恐れ多くて見る事ができないという風に下を向き、お兄様方は呆然としている。おじ様方は後ろにいるから様子は見えない。
今回は、神力の圧は、最初から無かった。
「私達の愛し子、ルーチェオチェアーノス、貴女に会いたかったのよ。私は、風の女神ラファーリエです」
ん? 何か変な単語が出て来た。
愛し子って何?
「フランマルテばかりが貴女に会うのは、不公平ですもの」
「お初にお目にかかります。私が、ルーチェオチェアーノス・ル・セス・コントラビデウスでございます」
「お初にお目にかかるのは、貴女だけではなくてよ。ルーチェステラ、今度は私達のこの箱庭の為に良く頑張ってくれたわね。全てのコントラビデウスにお礼を言います。ありがとう」
「恐れ多い事でございます」
「ディーヴァプレとシルヴァプレも初めまして。いつも見守っているわ」
お兄様方が嬉しそうに返事する。
「お初にお目にかかります。ディーヴァプレ・ル・ハフ・リテ・コントラビデウスでございます」
「お初にお目にかかります。シルヴァプレ・ル・ハフ・コントラビデウスでございます」
ラファーリエが、目を細めてお兄様方を褒める。
ラファーリエは、子ども好きなのかな?
「次代のコントラビデウスが頼もしくて、私達も嬉しく思っていますよ。そして、ルーチェステラの家族が、お互いを想い合いながら助け合う姿は、私達がこの箱庭に求める姿です」
「有り難く存じます。今後とも我々コントラビデウスを、お導きくださいますようお願い申し上げます」
「はい、わかりました。さて、本題です」
この一言で、全員の意識がピリリと引き締まる。
「ルーチェオチェアーノスが作った水の星のお菓子は、とても可愛らしくて美味でしたよ。このお菓子を広める事は、貴女の前世の知識を過度に流布する事には該当しません。ギャトゥ・フェーズと呼ぶ事に決めた様ですね。シンプルでとても良いですよ」
「ありがとう存じます。お気に召していただけて安心いたしました」
「貴女が前世で得た知識を流布する事で、私達が最も危惧しているのは、この箱庭の秩序が乱される事です。たとえ箱庭が豊かになったとしても、箱庭の秩序が乱れ私達が求めるものとかけ離れる事になれば、箱庭を作り直さねばなりません。折角ここまで育てたのですもの。無駄にしたく無いわ。ルーチェオチェアーノス、貴女もそう思うでしょう?」
「はい、ラファーリエ様。仰せのとおりだと存じます」
そう答えながら、私の背中には冷汗が流れている。
神の理の炸裂に、言い様の無い恐怖を感じたからだ。
神力の圧は無いけれど、神の理の圧を感じる。
「あら? 怖がる事はないのよ。貴女は私達の愛し子ですもの。間違う事が無いように、ちゃんと導いてあげますからね」
ラファーリエは、優しげに微笑みながら言っているけれど、怖いものは怖い!
怖いのはラファーリエの存在ではなく、確実に周囲を巻き込む事だ!
ああ、この感覚は、人ではない神には理解できないと思う。
「では、早速教えを賜りましてもよろしいでしょうか?」
「何が知りたいのかしら?」
ラファーリエさん、ワクワクしてますね。
人の気も知らないで!
「愛し子というのは何でしょうか?」
「うふふ、愛し子というのはね、私達が貴女の魂を愛しいと思っている、という事なの。幸せにしてあげたいと思っている、という事でもありますのよ。だから、どうか私達を怖がらないでくださいませ」
「怖がらない…はい、心に刻みます」
「まぁ、詩的な表現をするのねぇ。うふふ。では、また会いましょうね。皆様もごきげんよう」
ラファーリエが一陣の風と共にくるりと横回転するとバッと光が広がる。光の中でラファーリエの姿が溶けるように消えると、徐々に光は収束し、レオアウリュム様の姿に変わる。宙に浮いていたレオアウリュム様は、身軽くトンと台座に降りると、嬉しそうに仰った。
「ルーチェオチェアーノス、僕もご相伴に預かったよ。とても美味しかった」
ルンルンと鼻歌が聞こえそうなくらいご機嫌が良い様に見える。六つ柱の大神が気に入ったというのは本当なのだろう。
「ところで、ルーチェオチェアーノスは、ラファーリエに何を言われたのか教えてくれる?」
「はい、このお菓子を広めても知識の過度な流布には該当しない、六つ柱の大神が危惧しているのは箱庭の秩序が乱される事である、私が愛し子である、以上の3点でございます」
「なるほど、ちょっと待ってね」
レオアウリュム様が目を閉じて静かになる。
この時って、六つ柱の大神と交信してるんだと思うのよ。
ま、わざわざ会いにくる理由は、判ったよね。
愛し子だって!
何だか重いなぁー。
目を開けたレオアウリュム様が私に伝える。
「ルーチェオチェアーノス、本当に怖がらないでね。だって」
「かしこまりました」
「ルーチェステラは、何か言われた?」
「はい、今度の事で、お礼の言葉を賜りました」
「そう。うん、わかった。伝えるべき事は伝えたし、奉納も上手くいったし、何も聞きたい事が無いなら僕は帰るけど、いいかな?」
「はい、今回もご配慮を賜りましてありがたく存じます。今後ともコントラビデウスをお導きくださいます様お願い申し上げます」
「うん、わかってるよ。じゃあ、またね」
天井の光源から一条の光が差し、レオアウリュム様を包み込むとレオアウリュム様の姿が消え、一条の光も消える。
静寂が戻った神殿内に、安堵のため息が溢れる。お父様に促され立ち上がった私は、少しよろめく。慌てたディー兄様が私を支えてくれる。
「大丈夫か? アデル、具合が悪いのか?」
その声に皆が集まって来る。
「アデル、しっかりしろ。大丈夫なのか?」
と言いながら、手を差し出すお父様に掴まって、涙目になった私は白状する。
「お父様、足が痺れました」
張り詰めていた空気が一気に緩み、お兄様方に爆笑された私は、またしてもお父様に抱っこされて自室に戻ったのだった。
風の女神ラファーリエとの邂逅は、アデルにとって恐怖を実感する出来事でした。
ラファーリエの方は、アデルに会えて嬉しい気持ちを隠していなかったのですけどね。
次は、隣国への神罰です。




