目覚め
何も予備知識がないおばちゃんが、異世界転生してしまいました。
これからどうなるのか楽しみです。
漆黒の暗闇から、意識が浮上する。
それにつられる様に手足の感覚が戻ってくる。
あれ? まだ生きてる?
何だか発熱に伴う身体の痛みが消えているような気がする。
それとも身体が楽になった気がするだけなのかな?
目は閉じたままだが、周囲に大勢の人の気配がするのが分かる。
看護師さんかな? と思いながら、私は目を開く。
「おお、目覚めたか、アデル」
「アデル、良かったわ。気が付いたのね」
喜びに沸く声が上がる。
えっ! 何これ。てかここ何処? 病院じゃない!
周囲を見渡すと豪華な調度品が見える。まるで外国の高級ホテルの様だ。
うわ、天蓋付いてる。初めて見た!
その上、私が寝ているベッドを、キラキラした外見の方々が取り囲んでいる。
美形に囲まれているけれど、天国の天使という訳ではなさそうだ。
「アデル、大丈夫か? どこか痛む所はないか?」
私に話しかけているんだよね。
「あの…。すみません、アデルとは私の事でしょうか」
「アデル? …ホワイエ男爵夫人、アデルが!」
銀髪の男性がひどく慌てた様子で、後ろを振り返って呼びかける。
私は、男性の慌てる様子に驚く。
え? 何事?
「少し見させていただきましょうね」
後ろに立っていた水色の髪の優しげな女性が微笑みながら歩み寄ってくる。
「体を起こせるなら座っていただけませんか」
と私に声をかけて手伝おうとする。
手を借りながら体を起こす私はギョッとする。
握られた私の手が小さい!
手だけでなく体全体が小さい!
私、子どもになってる!
肩から落ちる髪は見事な銀色だ。
私は37歳の大人のはずだ。髪だって日本人に多い黒髪だった。
状況が理解できずに固まる私に、医師であると名乗る女性が、手を握ったまま質問する。握られた手がとても暖かい。
「まず、ご自分が誰なのか判りますか?」
「…」
ここで正直に自分の事を話しても問題はないのだろうか。
いや、慎重に様子を見た方が良さそうだ。
「では、ここが何処だか判りますか?」
「…判りません」
これが私の声?
なんて可愛らしいんでしょう。
いや、呑気すぎるだろ、私。
「…では、貴女様のお父上様のお名前は?」
「…それも判りません」
一体、何がどうなっているのだろう。
私はつい先程、人生の終焉における走馬灯を終えたはずだったのに…。
ああ、やっぱりこの時が来てしまったのね。長生きしたいと思った事はなかったけれど、自分の虚弱さに負けたくなくて、文字どおり一生懸命生きてきた。
人生を終えようとしてる今、昔、よく物語の中で読んだ走馬灯なるものを、絶賛体験中なのだ。
人生は喜び半分苦しみ半分、と誰かが言ってたけど、私の人生はどう振り返っても辛いことの方が多かったように思う。
私のハンデは、三つあった。
ひとつは、生まれつき顔に手のひら大の痣があること。ふたつめは、虚弱体質に生まれついたこと。そして、両親を早くに亡くしたことだ。
顔の痣は、成長するにつれて消えるだろうと医師に言われたけど、結局薄くなる事すらなくて、一生のお付き合いになった。
女性にとっては致命的な欠陥だ。
子どもの頃は、痣の事でよくイジメられた。子どもって容赦なく思った事を口に出して言うし。
泣きながら学校から家に帰って、母さんに話すと、今度は母さんが泣きながら、自分の不注意のせいだ、って謝るから、私の方も益々辛く切なくなるんだよね。
私が母さんのお腹の中にいる時、自転車に衝突した事があるらしくて、そのせいだと思い込んでるみたいだった。
ある程度成長すると、母さんを泣かせないようにイジメの事は口に出さないようにしていた。その頃からかな。自分に痣が有るのだという現実を、受け入れる努力をしてたなぁ。
まあ、一種の自己防衛ですよね。
周囲の大人達の憐れみや同世代からの様々な悪口も受け流せるようになって
「世間の偏見に負けるもんか!」
って思うようになってた。
そう、努力の結果、負けず嫌いになっていたんだよね。うん、良い事です!
ふたつめ、虚弱体質に生まれついたせいで、体を動かす事は好きなんだけど体力が追いつかなかったのよね。特に呼吸器官が弱くて…。風邪を引けば高熱を出して気管支炎になったり、酷い時は肺炎になってたものね。
たぶん、私が2歳の時に亡くなった父さんの体質を受け継いだんじゃないかなと思う。
その上、免疫力が弱くて抗体が出来にくい体質だったから、麻疹やおたふく風邪に何回も罹って、その度に肺炎になって、本当に悪循環だよね。普通は一回で済む病気に何回も罹って、そのたびに重症化するんだから、母さんの苦労は並大抵ではなかっただろうなぁ。
え? もちろん貧乏だったよ。
母さん一人の稼ぎじゃ、食べていくのがやっとだったからね。確かに貧しかったけど、母娘二人で、心豊かに、仲良く楽しく暮らしてましたよ。あの頃が一番幸せだったのかな。
高校卒業と同時に就職して、母さんに生活面を助けてもらいながらどうにか仕事にも慣れた頃、母さんに癌が見つかった。その時にはもう手遅れで、あっという間に急逝してしまった。
やっと親孝行できると思った矢先の事だったから、悲しくて淋しくて、しばらくは呆然と過ごしていた。
母さんの四十九日法要が済んだ頃だったかな。何とか立ち直って、一人で生きて行かなくちゃダメだと思った。ここで悲しみに負けてたんじゃ母さんに顔向けできないし、負けず嫌いの名折れじゃん、てね。
その後、適齢期になった私にも結婚を意識する男性が現れたけど、先方の母親に大反対されてさ。相手があっさり諦めちゃったんだよね。
その母親が言うにはさ、
「この世に星の数ほど女性は居るのに、選りに選ってなぜ貴女なの?」
だってさ。何の事を言ってるのかわざわざ聞かなくても分かるよ。ため息。
もうガッツリ負けず嫌いになってた私は、丁寧にプロポーズをお断りして、仕事に邁進することにした。
どうやら男運まで悪かったんだねぇ。
そして今、世界中に蔓延している新型ウイルスに感染した私は、最後の時を迎えている訳です。
このパンデミックに、虚弱体質の私が太刀打ちできる訳無いじゃん。
うーん、無念。
私は、何のために生まれてきたんだろ?
女性としての幸せを何一つ得る事もないまま、
この世を去らねばならないなんて!
この苛烈な病から逃れて楽になる事はいいけど、
心残りはバリバリ有るよねぇ。
もしも生まれ変われるのなら、神様!
どうか来世では、健康で平凡な幸せを得られる人生を希望します!
あ、顔に痣は要りませんので、そこだけは間違えないで…。
神様への最後の願いと共に、意識が漆黒の闇に落ちていく。
そして、冒頭に至る訳です。
唐突に激しい頭痛が私を襲い、私は頭を抱えて体を丸める。
そして突然、私の頭の中で走馬灯が始まる。
どうやらこの身体の持ち主の記憶らしい。
頭痛を伴う走馬灯はすごくキツイ。
頭痛の激しさに息が荒くなる。
何度も深呼吸を繰り返していると、徐々に痛みが柔らいできた。
そして、始まりと同じ様に突然、走馬灯が終わり頭痛が治まる。
はー、びっくりした!
「まだ無理はしない方が良いでしょう」
と、様子を見ていた女性医師が言い、私をベッドに寝かせてくれる。
「ホワイエ男爵夫人、娘の、アデルの容態は?」
「そうですね。少しご家族の皆様にお話がございます。よろしければアデリエル様にはこのまま休んでいただき、別室でお話しさせていただきたいのですがよろしいでしょうか」
「アデル、私の可愛い宝物、心配せずとも良いのよ。すぐ元気になれますからね」
涙目になった金髪の女性が、私に近寄りおでこにキスしてくれる。どうやらこの身体の持ち主であるアデルの母親らしい。さっき見た走馬灯の中でお母様と呼んでいた。
「アデル、後で私と話をしよう。今はゆっくり休みなさい」
銀髪の男性が頭を撫でてくれる。この人はアデルの父親らしい。走馬灯の中で、お父様と呼んでいた。
「アデル、またお見舞いに来るからね」
この少年の事は、走馬灯の中でシル兄様と呼んでいた。
「目覚めてくれて安心したよ」
この少年の事は、ディー兄様と呼んでいた。
二人ともアデルの兄らしい。心配そうにアデルを見ている。
アデルの父親が、執事らしい男性に指示を出した後、部屋を出る。それに続いてアデルの家族、医師の女性も出ていく。
部屋には、メイドらしき女性と私だけが残された。
「姫様、喉がお乾きでしょう。飲み物を差し上げますので、お体をお起こしいたしますね」
そう言ってクッションを背に当て体を起こしてくれる。渡されたコップには水が入っている。ひと口飲んでみる。レモン水だ。美味しい。一息で飲み干すと体の隅々まで爽やかさが行き渡る心地がする。
「お代わりはいかがですか」
「もう要らないわ。ありがとう」
「姫様、お腹が空いておりませんか? 食べられる様であれば何か体に優しいものをご用意いたしますがいかがいたしましょうか」
確かこのメイドさんの事は、走馬灯の中でメアリと呼んでいた。
周囲の人の事やその名前などは、走馬灯に出てきたから判る。
なのに、自分の事は判らなかった。
なんて変てこりんな状況なの!
「メアリ、お腹ぺこぺこよ。お願いしても良いかしら」
「かしこまりました。すぐにご用意いたしますので暫くお待ちくださいませ」
メアリはそう言うと目に涙を浮かべ、嬉しそうに礼をして部屋を出た。
私はクッションに頭を乗せ、そのままもたれ掛かって考える。メアリは私の事を姫様と呼んでいたけど、状況的にみて、私の名前はアデリエルでアデルという愛称で呼ばれているのだろう。どうやら、アデルの家は使用人がいる様な裕福な家で、しかも高貴な家柄、貴族かな?
うん、本物のお嬢様ってヤツだね。
走馬灯では、中世ヨーロッパの様々な国の特徴が渾然とした建物、豪華な衣装、明らかに身分制度がある様子が見られた。だが、肝心な情報は少なかった。
例えば、ここが何処なのか、アデルや家族のフルネーム、自分の立場、数え上げればキリがない程、知りたい事がある。
子どもの記憶だから仕方ないかもしれないが、アデルが知っているはずの事が、判らないのではかなり不安だ。まだ、勉強らしい事はしていなかった様子だけど、辛うじて言葉が理解でき、会話できたのは有難い。なにしろ、明らかに日本語ではなかったのだから。
信じ難い事だけど、私は生まれ変わっていたのではないだろうか。そして、何かをきっかけに前世の記憶が甦ったのだろう。さっきの頭痛の時の走馬灯で、今世の記憶が上乗せされたと考えるのが妥当な気がする。
おそらく、前世の記憶が甦るきっかけとなった出来事が、私がベッドで寝込む事になった原因だと思う。
本当に一体何があったのだろう。走馬灯にはその情報は無かった。
本当に生まれ変わったという事で間違っていないのか。だとしたら何故、前世の記憶が甦ったのか。来世の幸せを願ったのは確かに私だ。だけど、普通の輪廻転生なら前世の記憶なんて無いものだろう。
神の悪戯なのか、それとも神に何かの思惑があるのか。
うーん、考えても解らない事はどうしようも無い!
生まれ変わったというなら、負けず嫌いらしく精一杯生きてみよう。
まずは、アデルの人生に向き合う事にしようと決めた。
アデルの新しい人生が始まりました。
「変てこりん」は自分を茶化す、前世の口癖です。
前世との年齢差が30歳ですが、ギャップを気にせずマイペースのようです。
次回は、別視点のお話です。