第68章 新妻のお願い
そしてたっぷり間を空けてから、ルーカス様はようやくこう口を開いた。
「えーっと、この色鮮やかな生地は何かな?」
そう。鮮やかな緑色の地に満開のヒマワリがたくさん咲き誇っている花柄の開襟シャツ。イメージとしては前世のアロハシャツ。
「シャツですよ。半袖の。それと白いハーフパンツ。
ちなみにもう一枚は同じ綿生地で作った私のワンピースです。つまりお揃いです」
「お揃いとは、つまり、双子コーデか?」
「そうとも言えますが、まあ、ペアルックという方が正しいと思います。恋人や夫婦が身に着ける場合は。
サリーナ様とお揃いのドレスを着てデートに出かけた時、旦那様は羨ましそうな顔をなさっていたでしょう? でも王都でペアルックは目立ち過ぎると思って諦めていたのです。
でも、王都から離れた地方なら目立たないかなと思って作ってみました」
「ありがとう。す、すごく嬉しいが少し派手じゃないかな? 田舎だからこそ目立ってしまいそうなのだが。
それに僕は双子コーデを羨ましく思ったのではなく、君と自由にデートできる妹に嫉妬していただけなのだが」
妹に嫉妬していると言ったルーカス様が可愛いくて愛しくて、思わず私から彼にキスをしてしまった。彼の膝の上に乗っていたから、顔がとても近かったし。
「これを着るのが恥ずかしいのですか? それは派手な柄だからですか? それとも見慣れないデザインだから? それとも私の縫った服など着たくないからですか?
でも、お揃いの服を着てデートして欲しいと言ったら了承してくれましたよね? 我儘をたくさん言ってもいいと言ってくれましたよね? あれは嘘だったのですか?
夕焼けの海辺を旦那様と散歩するという、長年の私の夢がようやく叶うと思ったのに。ひどいです」
私はルーカス様の胸に顔を埋めて、彼から表情を見られないようにしながら呟いた。
すると、さっきまでびくともしなかった彼の体が大きく跳ねた。
「ごめん、ティナ。泣かないで。
君の作った服を着たくないなんてことはありえないよ。だけど、ちょっと勇気がいるなって。
ほら、僕は主に騎士服とフォーマルくらいしか身に着けたことがないから。普段着も黒のパンツに白のシャツくらいだし……」
ルーカスはひどく慌てこう言い募った。
「旦那様、私は人様の服のセンスや好みにとやかく言うつもりはありません。
ですがTPOは大切だと思います。仕事場や社交場、公共の場以外でも、それぞれ出かける場所で衣装は変えないといけませんわ。
ですから、やっぱり海辺を散歩するなら海辺に合う衣装を身に着けなければ」
「このシャツが海辺向きだというのかい?」
「はい。首元や両脇から風が入ってきて涼しいのです。それに、暖かな海辺には色鮮やかな柄のシャツが似合うのです」
「せめて、もう少しだけ控え目な柄から始めさせてくれないか。ごめん。いきなりこのシャツを着て散歩する勇気がない」
弱気なルーカスの言葉に私は正直驚いた。英雄様なのに、たかがシャツ一枚着る勇気がないだなんて。
結婚式の派手な近衛の儀礼服や、披露宴でのキラキラスーツを着ていた時は、まるで王子様然としていたのに。
やっぱり過重労働のせいで休みが取れなくて、私以上に遊びに行く暇もなかったのだろう。
つまりこれは、多忙で私服を着る機会がほとんど得られなかったために起きた弊害、と言ってよいのではないかしら。
この結婚休暇中は、やっぱりルーカス様には海洋療法を受けて長年の疲れを取ってもらいつつも、毎日着替えて町中をあちらこちら、探索がてらデートをしなくちゃいけないわね。
馬車の中だから誰も聞いてはいないというのに、私はわざわざルーカス様の耳元でこう囁いた。
「旦那様、私のワンピース姿を見たくはないですか? 裾は膝下までしかないのですよ。でも、お外でないと私は絶対にこの服を着ませんよ」
「見たい、見たい。しかし、僕以外の男には絶対に見せたくはない。だからそれを着て外へ出てはだめだ!」
葛藤し始めた夫の胸から顔を離した私は、にっこりと微笑みながら、意地悪を止めてこう教えてあげた。
「館の真下の海辺は、領主のプライベートビーチなんですって。
だから、誰にも見られたりしませんよ。ペアルックでお散歩しましょう! お願いします、旦那様」
するとルーカス様は瞠目した。そして少し間を空けた後で、コクコクと頷いてくれたのだった。
【 エピローグ 】(第三者視点)
ルーカス=カイトン男爵が領主になった一年後、ソルドールの町の郊外で温泉の源泉が見つかった。
その結果、やがてソルドールの町は、「海洋療法だけではなく温泉療法を受けられる保養地として世界的に有名な町へと発展して行くことになった。
海藻パックとか泥パック、飲む温泉水、温泉の素、温泉菓子など様々な名物も生まれて大繁盛した。
敵艦が入って来られないように港自体は大きくしなかったのだが、きちんと整備されたので、他国から入港して来る客船の数が年ごとに増えて行った。
しかし、その数年後にはもう入港制限を始めたので、本来の保養地としての静謐さは保たれ続けた。
この地を狙う国もあったようだが、カイトン男爵が保養地開発を始めるのと同時に、南方の防衛基地としての整備も進めていたために、攻め入る隙などなく、敵は断念せざるを得なくなった。
ソルドールの町は、港だけではなく砂浜もあった。そのために保養地としてだけではなく、おしゃれな海のリゾート地としても、国内外の若者達の間で人気になった。
長くて美しい砂浜を、『ソルドールファッション』と呼ばれるお揃いのペアルックを着て散策するのが、カップル達の憧れになったからだ。
地元では世間の目が気になり、恥ずかしくてとても挑戦できないような奇抜なファッションや、ペアルックも、ここでは人の目を気にせずに楽しむことができる。それが広く知られるようになったからだった。
その数年後。
その浜辺には、ペアルックのカップルや双子コーデを楽しむ友人同士に交ざって、今度は親子コーデで散歩する家族が現れた。
その三人がそれはもう美しくて、格好がよくて、可愛くて……彼らに出逢えたら幸せになれるなんていう、都市伝説まで生まれた。
それからというもの、ソルドールの町にある洋裁店では、親子コーデの服も飛ぶように売れるようになったらしい。数人分の服が一度に売れるのだから、本当に良い商売となった。
ソルドールの町の知名度はうなぎ上りで、多くの人々が行ってみたいと口にするようになっていた。
しかし実際の来訪者の数は横ばい状態だった。なぜなら、ソルドールの地はソルドールの住民のものであり、彼らの不利益になることは許されない。それが領主のポリシーだったからだ。
それ故に治安が悪くならないように、観光客の人数を制限し、きちんとしたルールを定め、一度でも違反すると出禁(入国拒否)にするといった厳しい処置を取ったのだった。
そしてその後、ソルドールの町の洋裁店が販売した、簡単に脱ぎ着できる女性のワンピースや、ブラウス、丈の短いスカートなどが人気になった。
それは自国のみならず世界的にニーズが広まり、ソルドールは衣料産業の町としても名を馳せるようになった。
そしてそれらの最先端ファッションを生み、流行らせていたのは、かつて『魔法の手を持つ』と王妃に言わしめたソルドール領のクリスティナ=カイトン男爵夫人と、カラッティー商会のデザイナーでもあるナタリア=カイトン男爵夫人だった。
過去の栄光にしがみつき進歩の止まった国だと、長らく揶揄されてきたニーディング王国。
特にファッションは、一世紀前に戻ったのかと他国からの訪問者に錯覚をさせるほど古くてダサくて、流行遅れだった。
それなのにいつの間にかこの国のおしゃれが、流行の最先端を行くブーリアン王国と、肩を並べるくらいになっていた。ただし貴族というより庶民のためのおしゃれだったが。
こうしてカイトン男爵夫妻は、次第にソルドールの救世主と謳われるようになった。
しかし領主になってから五年後、彼らはソルドールの町の人々に惜しまれながら、一人息子を連れて王都へと戻って行った。国王との約束があったから仕方なく渋々と。
ただし、ソルドールは国の直轄領となったので、王都に戻った前領主夫妻との関係はその後もずっと続くことになったのだった。
国王はこの五年間、側近達にこう主張し続けていた。
「我が国の『英雄』と、伝説の『スミレ色の瞳の』持ち主は、王都にいてこの国全体を守るべきだ」
と。そんな国王を王妃がどうにか必死に宥めていた。
ところが約束のその五年を迎える前に、ソルドールの目覚ましい発展の噂ばかりが国王の耳に入ったきた。
もしかして、彼らはもうこのまま王都には戻ってこないのではないか、独立する気なのではないかと、国王は不安を募らせるようになっていった。
なにせ国の繁栄をもたらすという『スミレ色の瞳』の持ち主が、ソルドールの町には二人もいるのだから。しかも伝説の英雄までも。
「三人は本当に王都に戻って来るのだな?」
「二人が隣国へ引き抜かれるなんてことはないよな?」
「まさか二人でソルドールを独立させる、なんてことは言い出さないよな?」
国王からそんな愚痴や不安を毎日訴えられ続けて、宰相ウェンリー=カイトン伯爵と国務大臣リックス=バーナード侯爵は、ついにそれが煩わしくなった。そのために申し訳なく思いつつも、速やかに王都に帰還するようにと二人に勧告したのだった。
王都に戻ると、ルーカス=カイトンはすぐに王城に呼び出され、本人が強く固辞したにも関わらず陞爵されて、男爵からなんと子爵を飛び越して伯爵になってしまった。そして第二騎士団長に任命された。
そう。義姉キリア=カイトン伯爵夫人の予想通りに、本人達が望んでもいないのに、ルーカスは伯爵に、クリスティナは伯爵夫人になってしまったのだ。
しかし、自分のモラトリアムの時間はもう終わったのだと、すでに自覚していたクリスティナは、郷に入っては郷に従えと、気負うこともなくすぐさま伯爵夫人として振る舞った。
それは愛する夫と子供を得たことで、クリスティナにもようやく自分に自信が持てるようになっていたからだった。
最後まで読んでくださってありがとうございました。これで完結となります。
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