第66章 バージンロード
「それにしても、あちらの準備はもう整っているの?」
エマ=ホールズ室長にこう訊かれて私は頷いた。
「はい。オルガさんがあちらで準備をしてくれていて、もう暮らせる状態になっているそうです。
古い館ですが、先月まで前領主ご夫婦が住まわれていたので、修理修繕はきちんとされていたみたいですし」
代々の領主が住んでいる館は、海を見下ろせる高台に建てられてあった。それはその建物自体が、昔から砦の役目も担っていたからだ。
それ故に、高齢になった子爵夫妻はそこで暮らすことが体力的に辛くなっていた。
そのため、先日爵位を返上して前領主となった彼らは、坂のない平らな土地に建つ、こぢんまりとした家に移り住んだのだ。
一年前に私はルーカス様と一緒に、その南の海辺の町ソルドールへ下見に行っていた。その時に子爵夫妻にも挨拶に伺っていた。
それ以来手紙のやり取りをしたり、手作りの品などを贈り合ったりと、懇意にさせてもらっている。
あちらへ行ったらまたお会いして、ソルドールの町について色々と教えてもらいたいと思っている。
そうそう。王城の食堂で働いていたオルガさんは、半年ほど前、一足先にその南の海辺の町へ家族で移り住んでいる。
彼女のご主人はどうにか生死の境から復活したのだが、元の健康体に戻るまでには相当時間がかかると医師から言われていた。
しかも、できるなら空気がきれいな温暖な土地で静養した方がいいとも。
しかし、幼い子どもを連れて、見ず知らずの土地で暮らせるとはとても思えない、とオルガさんはよくため息をついていた。
一年半前に南の海辺の町の話が出た時、彼女のことがすぐに私の頭に浮かんだ。そして同時に前世の知識を思い出した。
たしか前世には、健康になりたいと願う人々が集まる場所があった。たしかそこは保養地と呼ばれていた。
森林や山岳、海岸、温泉地などで長期に渡って療養しながら治療することだ。
虚弱体質の私は健康に対する関心が強くて、色々と調べて知識を増やしていたのだ。それはもうオタクと呼ばれる域に達していたと思う。
だから保養地の知識だけはあった。
旅行にさえ行けなかった貧乏人だったので、保養地なんて夢のまた夢だったけれど。
王立の図書館へ行って調べてみると、その南の海辺の町は、海洋療法に適した土地のように思えた。
私は屋敷に戻ると、早速その話をルーカス様にしてみた。
すると彼はこう言ってくれた。
ソルドールの地がもし本当に海洋療法に適した土地ならば、領民だけでなく、病気や怪我に苦しむ多くの人々のためにもなる。もっと詳しく調べてみようと。
彼は超一流の騎士だったが、あのご両親から生まれただけあって、学者や研究者のような一面も持っていたようだ。
そして行政官としてもかなり優秀だということがすぐに判明した。
いいえ、先の人事異動の件で、すでにそれはわかっていたことだったけれど。
なんとルーカス様はウェンリーお義兄様と交渉して、彼の地に海洋療法の研究施設を造らせることに成功したのだ。もちろん国費で。
ソルドールを南方の防衛の要にするという計画は、ウェンリーお義兄様の発案だった。そしてそれを実際に遂行する責任者としてルーカス様を指名した。
しかし、あの小さな港を強固な軍港として整備し、その周辺まで砦を兼ねた防波堤にしてしまったら、あの美しく広がる砂浜はいずれ消えてしまうだろう。
そしてあの町は、軍港の町としてのイメージが植え付けられ、敵の標的とされる恐れがある。
そうなれば領民達の不安を煽ることになり、いくら仕事が増え収入が増したとしても、彼らは新しい領主や国に不満を抱くようになるだろう。
「この海辺の町を、君の憧れの美しい場所のままにしておきたい」
ルーカス様はそう言ってくれた。
貧しい港町というソルドールのこれまでのイメージを消し、なおかつ軍事要塞としてではなく海洋療法を受けられる保養地として有名な町にしたいと。
それに負傷したり、後遺症が残った騎士達をそこで療養させてやりたい。
その上でボストムお義兄様と連携を取り合って彼らに再教育を施せば、新しい仕事だって見つかるだろう。
ルーカス様はそう提案した。そして、その案をウェンリーお義兄様が受け入れてくれたのだ。
その結果、防波堤や砦を造るための専門家と共に、医師や研究者達が国中から集められ、ソルドールへ派遣されたのだった。
そしてその半年後、彼らが滞在するための施設ができあがり、そこの使用人の募集するという話を聞いた私は、すぐさまオルガさんにその話をした。
ソルドールは温暖な気候だから、あなたの旦那さんの保養地にぴったりだと思うわ、とオルガさんに伝えたところ、彼女も旦那さんもそれを希望したのだ。息子のためにもできるだけ早く元気な体を取り戻したいからと。
もちろんその後オルガさんの旦那さんは海洋療法の被験者に選ばれて、無料で療養ができるようになり、少しずつ体調がよくなっきているようだ。
彼女達一家がソルドールへ移転する決断をした直後、私は領主夫妻に、オルガさん一家のことを気に掛けてもらえないかという手紙を認めた。
すると、館には部屋が余っているのだから、ここに住むといいと言ってくださった。
オルガさんは今、元領主夫妻が新しい家に移り住んだ後も館に残って、私達を迎える準備をしてくれていたのだ。
そう話すと、ホールズ室長はホッとしたように微笑んだ。
「知り合いがいてくれると心強いわね。貴女とオルガさんは本当に仲が良かったものね」
「はい。オルガさんは見かけは大人しくて儚げですけれど、姉御肌で頼りになる方ですから、側にいてもえると心強いです」
「それに子供を持っている女性が近くにいてくれれば、色々と相談もできるから安心よね」
お義母様の言葉の意味を察した私は、頷くこともできずに、ただ恥ずかしくなってうつむいてしまったのだった。
そしていよいよ挙式の始まる時間になった。
私はサリーナ様の時と同様に、イケオジ美丈夫のお義父様にエスコートされ、バージンロードをゆっくりと進んだ。
実際に歩いてみると祭壇までかなり距離がある。私がボランティアで通っていた聖堂とはずいぶん違う。
だから、席に座っている招待客の皆様の顔がよく見えた。
カイトン一族の皆様、王城のお針子の皆さん、ジェミン=ケインズ男爵令息様、第二騎士団の皆様、近衛騎士団の皆様、第一騎士団の皆様、カラッティー商会長夫妻と洋裁店の皆様、ライラックの会の皆様、辺境伯家やバーナード侯爵家の皆様、そして恐れ多くも国王陛下ご夫妻。
そしてカイトン伯爵家の家族。ケイトお義母様、ウェンリーお義兄様とキリアお義姉様とマックス坊や。
ハルディンお義兄様とナタリアお義姉様、サリーナ様とリックス様。
前伯爵のコナールお義祖父様は、やっぱりルーカス様にそっくりだ。
「時々ルーカスを親父の子だと勘違いしているやつがいるんだ。腹立たしい」
以前お義父様が忌々しそうにこう言ったことがあった。ルーカス様は色合いはお義母様で、容姿がお義祖父様似だったからだ。
しかも十歳以上若く見えるので、二人が並んでいたら普通に親子に見えると思う。
しかしルーカス様は、常に泰然自若としていてクールなお義祖父様より、表面的には冷静沈着に見えて実は熱いハートの持ち主であるお義父様に中身はそっくりだと私は思う。
お義母様のことがあったので、そう言われたら彼は嫌がるかもしれないけれど。
お義父様はまあ色々とお義母様の件ではやらかしてしまったが、それは甘えていたというのが一番の原因だったらしい。
愛する妻ならきっと自分の気持ちをわかってくれるだろうと。しかし、それが勘違いと気付いてからのお義父様の行動力は本当にすごかった。
国王陛下も仕事も二の次でお義母様に尽くしていたわ。あの真似はお義祖父様には到底できなかったと思う。
以前ルーカス様が言っていた通り、何事にも寛容でありのまま受け入れるというカイトン一族の性格は、お義父様の代から少しずつ変わっていったのだろう。
そうでなかったら、あんなに行政改革などできなかったと思うもの。
ルーカス様はこれからも人々のために尽力し、ますます功績を上げていくのだろう。私も妻としてそれを支えていきたい。
だけど本音を言えば社交界は怖い。できれば参加などしたくない。
これまでは絶対に口に出せなかったこんな思いを、近頃は少しずつ素直に言えるようになっていた。
それはサリーナ様の結婚式が終わった後、ルーカス様に言われた言葉がきっかけだった。
「ソルドール行きが決まった時にね、ウェンリー兄上に、
『五年というの時間は、ティナがモラトリアムとして過ごすのにはちょうどいいんじゃないか』
って言われたんだ。
最初はどういう意味なのかわからなかった。するとね、こう説明されたんだ。
『人がちゃんとした大人になるためには、ちやんと人に甘やかされて愛された……という経験が必要なんだよ。
無条件に他人から愛されたことがないと、いくら表面上大人に見えても、案外脆い人間になる。
私達も両親や祖父母には厳しくされたが、叔父上や叔母上、アンドリュー兄上やヘンリー兄上には甘やかされて可愛がられただろう?
特にお前は私やハルディンから猫可愛がりされたしな。お前にとっちゃいい迷惑だったろうが。
だけど多くの人々から愛され、構われてきたからこそ、お前はこんな逞しい男になれたんだと私は思うんだよ。
しかしクリスティナは違うだろう? 今までずっと我慢ばかりしてきたんだから。
そりゃあヘレナ先生は愛してくれたのだろうが、甘やかす余裕はなかったみたいだしね。
だから、王都の煩い貴族達の目の届かないソルドールにいる五年間だけは、思い切り我儘を言わせて甘やかしてやれ』
ってね。
正直悔しかったよ。ずっと君を見守ってきたのは僕なのに、そんなことにも気付けなかったことに」
「私は、ずっとルーカス様に甘えてきましたよ。
困ったことが起きてもきっと必ずルーカス様が助けてくれる、そう信じていたからこそ、街中で無茶な人助けの真似事ができていたんですもの」
「君にあてにされていたのは正直嬉しいけれど、それは我儘だとか甘えとは言えない気がするよ。
婚約してからも君は僕やカイトン家のために頑張ってばかりいて、文句や不満を一切口にしなかっただろう?
もしかしたら、僕や母上に嫌われたくなくて無理をしていたんじゃないのか?
だって、ウェンリー兄上には不満をぶちまけたんだろう?」
どうもルーカス様はウェンリーお義兄様に嫉妬をしているようだ。
だけど、私は決して彼に甘えたわけじゃない。そもそも初対面の方に甘えられるわけがない。
「ルーカス様。私はウェンリーお義兄様に甘えたことなど一度もありません。あんな怖い方に甘えられるわけがありません」
「怖い? あのウェンリー兄上が?」
ルーカス様はきょとんとした顔で私を見た。
そりゃあそうでしょう。あの方はご自分の弟妹、そして婚約者に対しては非常に甘いですからね。
もちろんナタリアお義姉様や私にも優しくしてはくれている。でもそれって、単に可愛い弟の想い人だからという理由に過ぎないのだから。
読んでくださってありがとうございました。




