第61章 一番大切な人
珍しく、感情移入して書いてしました。
会話文が多いです。
「もしセレンディー公爵家から持ち込まれた縁談の相手と結婚させられていたら、と想像するとゾッとするわ」
とお母様は続けてこう言った。すると、
「お母様の縁談相手って、あの『残念伯爵』だったのでしょ? たしかに考えただけで震えがくるわ」
サリーナ様が美しい顔を歪め、自分の両腕を交差して抱きしめながら、本当に声を震わせながら呟いた。
「残念伯爵?」
「ティナ様は知らないかもしれないけれど、社交界では有名な人なのよ。
とにかく女好きの伯爵で、奥様以外に愛人もいるというのに、社交場で未婚、既婚関係なく手当たり次第女性に声をかけるような人だったらしいの。
でも三年くらい前だったかしら。以前弄んで捨てた浮気相手の女性に下半身を切りつけられて、寝たきりになってしまったそうよ。
その後、伯爵は爵位を嫡男に譲らざるを得なくなって領地へ送られたの。当然ながら夫人や愛人の方にも見捨てられたそうよ。
今では付き添ってくれる人もいなくて、なかなか外出もできないそうよ。
雇いたくても女性の使用人が確保できなかったから、屋敷は荒れ放題だっていう噂よ。でも自業自得よね」
「まあ、よく知っているわね、サリーナ。貴女がまだ社交界に出る以前の話なのに」
「その醜聞が社交界を席巻していた時、まだご健在だったお祖母様が、泣きながらお母様に謝罪されていたじゃないの。
『あんな男との縁談をゴリ押ししていたのかと思うと自分が許せないわ。
可愛い貴女を不幸にしていたのかもしれないと想像するだけで耐えられない。
かといって、現在の貴女の方が幸せかと問われると、それも答えに窮するけど。
だってあのダメ息子ときたら、貴女に甘えて全てを貴女に丸投げしているんですもの。
愛しているなんて口ばっかり。口にはしないけれど、たまにでも行動で示してくれる父親の方がまだましよ』
ってね。
私が意味がわからずきょとんとしていたら、後になってナタリアお義姉様が教えてくれたのよ。お母様とその『残念伯爵』の因縁話を」
みんなの目が一斉にナタリアお義姉様に向いた。すると彼女は焦った顔をして、今度はキリアお義姉様を見てこう言った。
「それはキリア様が、私の口からはとても言えないから、あなたが説明してやって、とおっしゃったからじゃないですか。
そもそもその『残念伯爵』のことを教えてくださったのはキリア様なんですから」
ナタリアお義姉様は珍しく泣きそうにながらこう反論した。
そりゃあ、間もなく姑になるお義母様に悪く思われたくはないよね。
すると、お義母様は気分を害する風でもなく、ただ苦笑いを浮かべてこう言った。
「もういいわ。別に貴女達を責めるつもりはないのだから。どうせマーガレットがキリアに話したんでしょ。なにせ情報通だから」
「面白可笑しく話してくれたわけではないですよ。ケイトお義母様を守るためににはどんな些細な情報も知っておくべきだからって。
いつまたどんな形で『残念伯爵』が絡んでくるのかわからないからって」
キリアお義姉様が困惑顔で言った。
するとお義母様は、彼女の少しだけ膨らみ始めたお腹に優しく手を当てて頷いた。
「わかっていますとも。夫にはちょっぴりがっかりしているけど、友人や子供達にはとても恵まれていて、私は今本当に幸せだから。
特にここにいる愛する私の娘達、そして息子達とは、ヘレナ先生と出逢わなければ、巡り逢えなかった。だから、先生には感謝しかないわ」
あまりにも想定外の話に、私は絶句した。会ったことはないけれど、亡きお義祖母様の気持ちがよくわかる気がした。
でも、たしかに祖母が関わらなかったら、きっとルーカス様を始めとするこのカイトン家の今の家族は存在しなかったのだ。
そう前向きに考えようと思いながらも、私がまだ悶々としていると、仕掛けたいたずらが成功したかのようにお義母様が笑った。
「うふっ。クリスティナ、そしてみんなにも心配かけてごめんなさいね。
本当はね、お父様のことを許せないほど怒っているわけではないの。
最初はただウエリン様に嫉妬しただけだったのよ。妻より大事にされている友人にね。
結婚する前からわかっていたのよ。旦那様がウエリン様の事を一番に考えているってことは。だって、あの方には夫しか信頼できる人間がいなかったのだから。
それでもね、別荘だけは私のために造ってくれたのだと思っていたの。これまで一度も旅行に連れて行けなかった妻へ詫びのためなのだろうと。
ならばその詫びを快く受け取って、長年、一番に私を大切だと嘘を付いてきたことを許してあげようって。
でもあの日、私のために造ったのではなかったのだと知らされたのよ。あの別荘さえもウエリン様のために造ったものだったと。
その思い違いに気付いた時、とても惨めで、情けなくて、悲しくて。
そして夫の一番大切な人に嫉妬したのよ。二度とその別荘に足を運びたくないと思うほどにね。
それなのに戻ってきたあの人ったら、私の吐いた嫌味に対して、誤解だとか許してくれだなんて、見当違いのいいわけや謝罪をするから、余計に腹が立ったの。
夫の浮気を疑って悋気を起こすような愚かな妻だと思われて、私のプライドはボロボロになったわ。
その上旅行しようですって? どこでもいいからですって? 軽く見られたものだわ。そんなことで機嫌を取れる女だと思われていたなんて。到底許せないと思った。
まず最初に一緒に行くのならそこは領地でしょ。そしてお義母様のお墓参りでしょ。これまでお墓参りだって一緒に行ったことがなかったのだから。
そもそもウェンリーとキリアに爵位を譲ったら、私達は領地で次の人生を過ごすのよ。だからその準備を始めるためにも、まずそこへ行くべきじゃないのかしら?
それなのに……
ああ、この人は本当に私と一緒に生きる未来を描いてはいなかったのね、とがっかりしたの。
だから、私は一人で領地へ行くと言っただけで、今さら離婚するつもりなんてないのよ。
それに本当に皮肉なんかじゃなかったのよ、愛する人とあの別荘と過ごして欲しいと言ったのは。
ただあの人に、もう愛妻家の振りなんてやめてもいいのよ、と言いたかっただけなの。
まあ、私もちょっと言葉足らずだったかもしれないけれど、それを補足する暇がなかっただけで。
そして私の方も、もう良妻賢母の仮面を着けるのはやめようと思ったわ。
夫にどう思われても構わない。愛する子供達と、孫さえいてくれれば幸せだしね。
どう? これで納得してもらえたかしら?
ヘレナ先生と出逢えなかったら、ろくでもない男と結婚させられて最悪の人生を送っていたかもしれない。
それなのに、旦那様と結婚できたからこそ、愛する子供達を八人も得られたのよ。
だから私が今幸せなのは、ヘレナ先生のおかげだわ」
お母様はなんの憂いもない顔をしてそう言い切った。
でも私達娘四人は切ない気持ちでいっぱいで、グズグズと泣き出してしまった。淑女教育中だったというのに。
お義父様も、そして前国王陛下も悪くない。ただひたすらこの国のため、国民のために尽くしてきただけだ。自由もなくその身を削って。
頭ではわかるけれど、やはりお二人を恨めしく思ってしまう。だって、戦ってきたのはお義母様も同じだったのだ。
『私にとって君が一番大切だよ』
という言葉だけを心の支えにして、一人きりで、この一大勢力のカイトン伯爵家を守ってきたのだから。
それなのに、本当は一番なんかじゃなかった。そう気付いたお義母様の悲しみ、空虚さは想像に絶する。
私達がメソメソ、グズグズと泣いていた時、扉の向こうでドン!というかすかな音がした。けれど、それに気付いたのは、非常に耳のいい私だけだった。
私がそっと立ち上がり、ドアを少し開けると、薄暗い廊下の先に消える黒い人影が見えた。
(なんでこんな時間にお屋敷に?
ずっとお城に泊まっていらしたのに?)
ルーカス様が戻ってきてからというもの、王城の官吏達はさらに忙しさを増していた。それ故にほとんどの人が城に缶詰め状態になっていると聞いていたのに。
明日の朝、登城して宰相の執務室へお着替えと軽食を届けに行ったら、色々と訊ねてみようと思った私だった。
読んでくださってありがとうございました。




