第6章 究極の選択
いけない、いけない、また余計なところへ思考を飛ばしていたわ。
私が思わず頭を左右に振ると、ナタリアさんは余計なことを言ってしまったと思ったのか、慌ててこう謝ってきた。
「話がズレました。申し訳ありません。
実はですね、サリーナ様の婚約者は、王太子殿下の側近をなさっている高官なのですが、殿下の代わりに色々な交渉などにも参加されているくらい、かなり優秀な方なのです。
ですからいつもお忙しくされていて、お茶会やデートのキャンセルなんてしょっちゅうだったんですよ。
それでもサリーナ様はこれまでじっと我慢されてきたのです。
しかし、さすがにデビュタントの日のエスコートまでキャンセルされて、堪忍袋の緒も切れたみたいなんですよ。
ですから、詫びに来た婚約者のご令息に、その場で婚約破棄を宣言されたのです」
「まあ!」
ナタリアさんの話に私は驚きの声を上げた。
私は婚約破棄された側だけれど、サリーナ様が婚約破棄を相手に叩きつけたのは至極当然だと思うわ。
社交界デビューとは、貴族令嬢にとっては社会から成人と認められる、一生で一番と言えるくらい重要なイベントなのだから。
婚約者のそんな大切な場面でのエスコートをキャンセルするような男なら、結婚式だって平気でキャンセルしそうだ。
人生の大事な節目に居られないような相手なら、一緒にいる意味なんてないわよね。戦時中でもあるまいし。
「それでさすがに相手の婚約者様も慌てたらしく、土下座して謝罪されたのですが、カイトン伯爵家のお坊ちゃま方に屋敷の外へ放り出されたのですよ。
ええ、比喩表現ではなく、ポイッと。
カイトン伯爵家には三人のご令息がいて、その麗しい見目に反して、皆様体力馬鹿ですからね。
ところが、常日頃軟弱者だと我々(使用人)が馬鹿にしていたその侯爵令息様が案外神経の図太い方だったようで、伯爵家のドス黒い『来るなぁ〜』オーラにもめげずに、連日謝罪にいらっしゃったのです。
あの方は六歳も年下のサリーナ様を溺愛されていましたからね。
でも、その謝罪参りが却ってお嬢様の怒りを買ってしまったのです。
こんなに毎日来られるのなら、どうしてこれまでお茶会やデートをキャンセルしたのだと」
「全くもってその通りですね」
私は頷いた。
「ええ。でも、実のところここ数日侯爵令息様が毎日通うことができたのは、王城の仕事をお辞めになったからだそうです」
「まあ!」
「そして今日サリーナ様がルーカス様にエスコートされて王城まで来てみたら、そこに侯爵令息様がタキシード姿で待っていらしたというわけです」
「それでは、サリーナ様は婚約者様を許して差し上げたのですね?」
そう私が訊ねると、ナタリアさんは微妙な笑顔でこう言った。
「許したというかなんというか……
サリーナお嬢様としては究極の選択をした結果、婚約者様を選んだのだと思います。先ほどのクリスティナ様のように」
私のように?
たしかに私はカイトン卿からの申し出を受けるかどうか、究極の選択に迫られた。
どちらを選んでも他の女性達から恨まれ嫌われ、虐めを受けるという未来が見える地獄の選択だったけれど、何故カイトン卿の妹君まで?
「ええとですね。クリスティナ様もおわかりになると思うのですが、ルーカス様はあの通り絶世の美青年でございましょう?
体格は男らしく逞しいのに、その上に乗っているご尊顔は性別を超越した美しさで。
あの方と並んで立ったら、当然人々の視線はあちらへ向かって、女性としては複雑な気分になりますよ。
一生に一度のデビュタントですから、やはりご自分が主役になりたいと思われたのではないでしょうか」
なるほど。
私の場合は自ら望まなくても、どうせ悪い方に注目されてしまうだろうと、そんなことは気にもしなかったけれど。
「婚約者様も決して不細工とか凡人顔というわけじゃなく、どちらかというとイケメンなのですが、愛らしいサリーナお嬢様から主役の座を奪うほどではありません。
それで婚約者様にエスコートして頂くことにしたようですわ」
「お二人の仲が元に戻られるといいですね」
ナタリアさんが使ったイケメンという言葉に何か引っかかりながらも、私はそう言った。
するとナタリアさんは、
「お二人が元サヤになるかどうかは、今日の王太子殿下ご夫妻にかかっていると思いますわ」
と意味深な言葉を囁いた。
そしてそれ以降は口を閉じてしまった。喋り過ぎてしまったと思ったのだろうか。
そこで彼女を安心させるようにこう言った。
「私は、今お聞きした事を誰かに話すことは決してありませんわ」
すると、ナタリアさんはニッコリと笑った。
「クリスティナ様のお人柄は存じております。(カイトン伯爵家ではいつも話題に上がっていますから)
ですから私もお話をしたのですわ。
それに、これまでのお話は、いずれクリスティナ様も関わり合いになる方々のことですから、お話ししても問題はないので、お気になさらないでください」
ん?
なぜ私のことを知っているの?
いずれ私が関わる人々? カイトン伯爵家の人々や王太子ご夫妻が?
無い無い。あり得ないわ。今夜だけのお付き合いだと思うわ〜
レストルームから出て会場入り口前のホールへ戻る途中、ゴードン様がキョロキョロと辺りを見回しているところに遭遇した。
彼は私と目が合った瞬間に目を見開いたが、すぐに反らした。そして再びキョロキョロし出した。
ずいぶんと必死な様子だけれど、誰かを探しているのかしら。
まあ、もう私には関係ないけれど。
「おお! なんて美しいのでしょう。とても素敵になりましたね」
私を見て、開口一番カイトン卿が私を褒めてくれた。
あのカイトン卿がリップサービスをするだなんてと、私は驚いてしまった。
ご令嬢達に囲まれても、いつも無言でニコリともしない方なのに。
まあ、いくらお堅い騎士様とはいえ、名門伯爵家のご令息なのだから、女性の扱いくらいスマートにこなせて当然なのかもしれないけれど。
「ありがとうございます。
ナタリアさんのおかげで、まるで別人になれたような気がします。ドレスのイメージも変わりましたし。助かりました」
「ああ、ナタリアは一流のデザイナーでもあるからね」
道理で……と、自分のウエストのベルトを見た。
たった一つの小物でこんなにドレスのイメージを変えてしまうなんて、なんて凄い人なのかしらと思ったら、やっぱりプロだったのね。
それにしてもこんな素晴らしい女性をメイドとして雇えるなんて、カイトン伯爵家ってどれだけの財力と権力を持っているのかしら。
そう言えば、なんだか王太子ご夫妻とも親しいという話も聞いていたし。
あっ、カルトン卿が王家から直々に表彰されたのは、たった一人で王太子殿下を暗殺者からお守りしたからだった!
そして「英雄」の名誉を授かったのだ。
そんなルーカス=カルトン卿にこれからエスコートしてもらうのだという現実に、再び恐れをなしたわたしは小さく身震いしたのだった。
そしてそれから間もなく、夜会の開始時間になった。
後の方から入場すると余計に目立つと思ったので、早めに入室することにした。
まあ、つまらない悪足掻きだけれど。
読んでくださってありがとうございました!




