第59章 悪意ある噂
先代様と呼ばれる先代当主のコナール様と先代の奥様であるリリアナ様は、十六年前に五十歳で引退したと聞いている。
定年を迎えるまで十年近く早かったが、若い国王の補佐で超多忙な息子に代わって、遠方にある領地を経営するためだったそうだ。これ以上妻ばかりに迷惑をかけたくないからと。
そして、もう一つの理由は、嫡男の嫁と三番目の孫を悪意のある噂から守るためでもあったらしい。
悪意のある噂。
それはアルソア=カイトン伯爵の三男ルーカス令息が、ケイト夫人と先代のコナール元伯爵との間にできた不義の子だというものだった。
それはルーカス様があまりにも祖父のコナール様によく似ていたからだった。
髪と瞳の色は母親と同じだったが、その顔立ちは父親アルソア様ではなくて祖父コナール様に瓜二つだと。
両親より祖父母に似るという隔世遺伝はよくあることなのに、なんて馬鹿が多いのかしら。
「父に子供を作る暇が無かったというなら、そもそも、父より多忙だった祖父にはさらにそんな暇はなかっただろう。
それくらいすぐにわかることだったじゃないか。それにその理由ならサリーナだって祖父の子だということになる。
しかしそんな噂にならなかったのは、サリーナがたまたま色合いも顔立ちも父に瓜二つだったからに過ぎない。
仕事もせずに遊んでばかりいる輩が、そんな下らないゲスな妄想をして、話のネタにでもしたのだろう。
そいつらのせいで、どれだけ母や祖母、そして弟が苦しんだと思っているんだ」
そうハルディンお義兄様が言っていた。
今後私は、社交の場で他人から色々なデタラメな話を聞かされることになる。
だからその前に、真実を知っておいた方がいいだろうと、私にいくつかの噂の真相を教えくれたのだ。
その嫌な話の中でも特に、ルーカス様に関する噂は同じ女性としてかなり辛い内容だった。
いくら真実を訴えても、一度流れ出してしまった嘘は完全には打ち消せない。人に信じてもらえない悔しさやもどかしさは、経験したものでなければわからないだろう。
その時、久しぶりに実母のことを思い出した。
私の母もケイトお義母様と同じ思いをしていたのかしら。
だって私が生まれてからというもの、私の瞳が両親とは違っていたために、母が不倫したのだろうとずっと噂されていたのだから。
私の瞳の色も祖父からの隔世遺伝だった。しかしそれさえも知らされなかったのだから、母も相当悩んだのかもしれない。
どうしてこんな瞳の色の子が生まれてきたのかと。
それにしてもルーカス様と私って、こんな類似点があったのね。
彼も私と同じく、世間から不義の子だと陰口を叩かれ、白い目で見られてきたなんて。全く嬉しくない共通点だけれど。
今になって考えると、これって王家の忌まわしい呪いのせいだって気がするわ。
だって、私は言わずもがなだし、ルーカス様のでたらめな噂だって、王家がカイトン一族ばかりに仕事を押し付けてきたせいだったのだから。
それにしてもコナールお義祖父様の忙しさは、あのアルソアお義父様の比ではなかったというのだから恐ろしい。
「世間は知らなかっただろうが、どんなに忙しくても、祖父と祖母は孫の目から見てもかなり仲良くしていたんだけどな。政略結婚だったなんてとても思えないくらいに。
まあ、それは僕の両親が婚約した後からだったらしいけどね。
だから、そんな祖父が祖母を裏切ったなんて話を、身内は誰も信じていなかったよ」
当然お義父様もお義母様を一ミリも疑わなかったことは知っている。
しかし、そんな噂がどうして出回ったのか。そもそもの原因は、お義父様が滅多に屋敷に帰って来られなかったからだと思う。
一見すると義両親はとても仲が良さそうに見えていた。でも、お二人が内心では何を考えていたのか、私にはよくわからなくなった。
だってお義父様が一週間後に別荘から帰ってきた時、お義母様は、
「旦那様が退職されたら、私はこの屋敷を出て貴方とは別居するつもりです」
と、そう宣言したのだから。
しかもかつて噂になった寡夫となった舅の元へ行くと。
あそこは義母と共に領地経営に励みつつ、互いの夫の愚痴や子供達の小さな頃の思い出話などを語り合った、思い出深い場所だ。
だから、今後は義母のことを義父と共に偲び、分かち合いたいのだと。
それを聞いたお義父様は喫驚した。そして、
「別荘には一人で泊まったんだ、誤解しないでくれ! 私は君を裏切ってなどいない!
と叫んでいた。
でも、違う。大事なのはそこじゃないと、その場にいた家族は全員そう思った。
「別居だと? 絶対にそんなことはさせない。君を心から愛しているんだ。別荘が嫌なら、引退したら一緒に領地で暮らそう。
いや、その前に旅行に行こうよ。君の好きなところ、どこでもいい。何日、いや何か月でもいいんだよ」
その後一月半、お義父様はお義母様と何度も話し合いをしようとした。
けれど、それが実行できないうちにルーカス様達五人が姿を消したことで、王城の中は混乱状態に陥ってそれどころではなくなった。
ところがそんな時お義父様は、自分の侍従から、例の五人組がカイトン伯爵邸にしばしば集まっていた、という事実を聞かされたのだ。
お義父様は、かなりの衝撃を受けたようだった。そして苛立って晩餐の時につい文句を言ったのだ。
しかしそこでお義父様は、お義母様から手酷い返り討ちにあったのだ。
そう。このときお義父様は、ようやく自分の過ちに気が付いたようだった。
✽✽✽
「ハルディンお義兄様は、結婚式までに屋敷に戻ることができるのですか?」
ハルディンお義兄様とナタリアさんは、半年後に結婚式を挙げることになっている。心配になって出発する前にそうルーカス様に訊ねた。
すると私の綿毛のような髪をポンポンと優しく触れてから、安心させるように微笑んだ。
「もちろんだよ。僕達はハルディン兄上が挙式後、心置きなくハネムーンを楽しめるように、優秀な人材集めのために各地を巡るんだから」
この国で役所の官吏になるためには、身分に関係なく官吏試験に合格しなければならい。
しかしその後の勤務先や出世の決定は、能力より世襲や家柄の良さが重視される傾向にある。
その結果、王城の重職に就くのはほとんどが高位貴族だけになった。そのせいで結局は能力の高いカイトン一族ばかり、その負担が大きくなったというわけだ。
それはつまり、カイトン一族がいなくなったら、この国は機能しないも同然だったのだ。
それなのに、他の高位貴族たちから妬みを買って悪く言われたり、嫌がらせをされてきたのだから、全く理不尽だと私も思っていた。
ルーカス様達は、そんな国の仕組みを変えようとしているのだ。
「カイトン一族は代々忠誠心が強くて我慢強いから、父親の代まではどんなに過酷な状況でも、歯を食いしばって皆耐えてきたのだろう。
でも、僕達の代は違う。正直王家より国より、自分の恋人や妻、家族の方が大切なんだ。
だから絶対に働き方を変えるつもりなんだ。仕事はやはり能力が高い者に任せるべきなんだ。しかもそれは適材適所。もちろん人間性も大切だろう。
これまで一番重要視されてきた家柄なんて、一部の仕事以外は何の役にも立ちはしない。
かといって、人間の認識はそう簡単には変えられないが、何か始めないといつまでも変わらないからね。
僕達も王妃殿下のように、諦めずに一歩ずつ進めて行かないとね。
寂しい思いをさせて悪いと思うけど、母上とサリーナ、そしてナタリアのことを頼むよ」
ルーカス様達は自分達のためというより、妻になる女性のため、母親のため、いいえ全ての女性のために今の社会のあり方を変えたいのだと思う。
お義父様が愛妻家だというのは間違いない。お義母様のことを誰よりも愛していて、何よりも大切に思っていることも。
でも、結婚してからというもの、お義父様はほとんど家にはいられなかった。
だからお義母様がたった一人で四人の子供を育ててきたようなものだ。
しかも、伯爵夫人として、カイトン一族の長の妻として、その役目を立派にこなしながら。
もちろん一族の皆様の協力はあったと思うけれど、それでも精神的にはお一人で戦ってきたのだと思う。
「奥様のその並々ならぬ努力とご苦労は語りきれませんわ」
と、侍女長が言っていたわ。辺境伯夫人やホールズ室長も。
そして、そんなお義母様の姿を一番よく見てきたのはお子様方だったのだと思う。
お任せください、ルーカス様。三人の嫁と娘の四人体制で、お義母様とこのカイトン家をしっかりとお守りしますからね!
ルーカス様は出張中もこまめに手紙や贈り物を送ってきてくれた。
その地域の特性をいかした小物やアクセサリーなどを。みんな独特の感性が感じられて素敵だった。衣装のセンスはあまりないけれど、美的センスはあったのだと、失礼ながら思ってしまった。
特に送られてきた生地を見てそう思った。
「今予定しているものが全部仕上がったら、この生地でルーカス様の部屋着を作ろうかしら。黒一色というのは、いくらなんでも味気なさ過ぎるわよね」
私はまずお義母様のためにお洒落な部屋着を仕上げた。次にキリア様のマタニティドレス。そしてナタリアさんのウェディングベールのレース編みを完成させた頃、ようやくルーカス様達が長期出張から無事に帰ってきた。
おおよその目的は果たせたと言って。
カイトン伯爵の侍従は奥方の味方でした。タイミングを見計らって、秘密を暴露しました。
読んでくださってありがとうございました。




