第51章 国王への思い・・・第三者視点・・・
このところニーディング王国は祝い事が続いていた。
カイトン伯爵家の三兄弟が揃って婚約発表し、その翌月にはその長男であるウェンリー卿と、辺境伯令嬢のキリアが結婚式を挙げた。
そしてその一月後にはウエリン国王が退位して、王位を嫡男のホランド王太子殿下に譲ると宣言された。しかもわずか一月後に。
王城だけでなく、国全体が大騒ぎだった。国王は自身が思っていたより遥かに多くの人々から慕われ、尊敬されていた。だからこそ人々はその退位を惜しんだ。
しかも、ウエリン国王が少年期から愚王に苦しめられ、孤高の王であり続けた過去を皆が知っていたからなおさらだった。
国王がその発表をした時、王妃はすでに城にはおらず、一時期追いやられていた離宮へ再び送られていた。
夫の退位を聞いたら、大騒ぎをして、さらに醜聞を作ることが予想されたからだ。
実際に離宮では大暴れしていたらしい。
もっとも最初から高価な家具や装飾品などが一切ない、ただ頑丈なだけの鍵付きの部屋に閉じ込めていたので何も問題はなかったのだが。
✽✽✽
ウエリン現国王が退位し、ホランド王太子に王位を譲られるということは、公表される一年ほど前から秘密裏に進められていた。
しかし、現国王は賢王として評判だ。そして健康でまだまだ若い。
宰相も王太子夫妻も本当は彼に引退などして欲しくはなかった。
それでも、
「私はまだ少年と呼べる頃から国王であった父を補佐してきた。そしてそのまま若くして即位し、長らく王座に就いていたので、心身ともに疲れたのだよ。だから早めの余生を送りたくなったのだ」
と言われてしまえば何もいえなかった。たとえそれが真実ではないとわかっていても。
なにせ彼の父親であるアルマンド前国王は、愚王と呼ばれていたほど統治能力がなく、しかも問題ばかり起こしていた人物だったのだ。
それ故に、当時まだ成人前であったウエリン王太子が、その父親の任まで背負わされ、かつその尻拭いまでさせられてきたのだ。もう長いことずっと……
その上ウエリンの母親の王妃も、夫の女狂いとその後始末に追われたせいで、若い頃から精神を病んでいた。
そのために王太子のフォローどころか、王妃としての役目もほとんどこなせない状態のまま、息子の即位前に亡くなっていた。
彼女は元々は元宰相であったコナール=カイトン伯爵の婚約者だった。
しかしアルマンドに乱暴されてウエリンを身籠ったことで、婚約解消となり、当時王太子だったその憎き男の妃となったのだ。
その事実を、コナールとその息子のアルソア親子から聞かされたときのウエリンの衝撃は計り知れないものだった。
彼は母親に同情した。そして、自分が生まれてこなかったら、もしかしたら母親はコナール=カイトン伯爵と結婚して、今もそれなりに幸せに生きていられたのかも……という申し訳なさを感じた。
懐の深いコナールならば、疵物となった婚約者でも、彼女自身に非がなかったのだから、そのまま結婚してくれたのではないかと。
本当に自分の父親は愚王であり、最低の人間だったとウエリンは思った。
そして、そんな不遇で過酷で孤独だった彼をいつも側で守り助け続けてくれたのが、宰相を務めていたコナールとその息子のアルソア。つまりカイトン伯爵当主達だったのだ。
まあ若い頃はそれなりに反発したこともあったが、この有能な両宰相がいなければ、ウエリン国王が王家の仕事を全うすることはできなかった。それを国王本人が一番自覚していた。
前国王のアルマンドは女狂いだったので、嫡男のウエリンが生まれた後、病気に罹ってそれ以上子供が作れない身体になっていた。
そもそもそのアルマンド自身も、他国の王女だった生母が病弱だっために、妹が一人いるだけだった。
それ故にウエリンが即位した時には、王族の血を引く者は祖父の兄弟の子や孫しかおらず、彼の子供が生まれるまで、王家にはウエリン国王しかいなかった。
もっとも、本当は前国王アルマンドには同じ年の異母兄(スミスン子爵)がいて、陰で王家を支えてくれてはいた。
しかし、ウエリン国王がその伯父のことを知ったのは父親の死後で、すでにその伯父もこの世を去っていた。
そしてウエリンはその最低な国王の命により政略結婚をさせられていた。
相手は筆頭侯爵家の令嬢であり、貴族のパワーバランスを取るために必要不可欠な結婚だった。
その侯爵令嬢だった現王妃も、王妃から正式なお后教育を受けていなかったせいなのか、あるいは生まれ持っての資質のせいなのか、不完全な妃だった。
それ故にウエリン国王は、妻に支えてもらうどころか、妻の起こす様々な面倒事まで処理しなくてはならず、精神的にも肉体的にもかなりのダメージを受け続けることになった。
そう。彼の辛くて過酷な人生は、不運にも結婚後も続いたのだった。
そんな国王は事あるごとに、人目も気にせずにこう言った。
「宰相であるカイトン伯爵がいなければ、私は高位貴族達の傀儡になっていたに違いない」
と。
そんなことは普通思っても決して口にしてはいけないことだろう。
けれど周りのもの達も皆そう思っていたので、国王のその言葉がこれまで問題になったことはない。
そんな並々ならぬ苦労をしてきたウエリン国王だったが、それでもまだ自分を幸せだと思えたのは、優秀な宰相を持てたこと、そして三人の愛する子供達に恵まれたことだった。
特に嫡男であるホランド王太子が、真面目でそれなりに優秀であったため、たとえそれがわずかだろうと、たしかに明るい希望が見えていた。
息子の隣に立ち、共に歩いてくれる素晴らしい伴侶も得られたことだし……そう国王は思っていた。
それなのに……
ウエリン国王は結局、自分の妃によって退位する決意を固めざるを得なくなった。
それが約一年前に王妃が原因となって起きた、例の馬車襲撃による王妃と王太子傷害未遂事件だった。
そう。ルーカス=カイトン伯爵令息がこの国の英雄になるきっかけになった、あの事件だ。
王妃の勧めでホランド王太子がお忍びで市井の視察に出かけた時に、突然暴漢に襲われたのだ。
いくらお忍びだとはいえ市井に出るのならば、王城を守る第一騎士団か、せめて王都を守る第二騎士団には最低でも連絡をしておくべきだった。
王太子自身も、離れた場所で第一か第二騎士団が警護してくれているものだと思い、疑ってもいなかったらしい。
ところが王妃は、最高の騎士の集まりである近衛騎士団がついていれば安心だと、なんの心配もしていなかったようだ。
しかし『海の事は漁師に問え』ということわざ通り、エリート集団では下々の暮らしや行動は読めなかった。
第二騎士団ならば、普段から庶民と日常的に触れ合っている故に、彼らの動きをある程度把握し、察知することができたのかもしれないのに。
そもそも王族の護衛は、これまで宰相の指揮下の下で、近衛とその他の騎士団が連絡を取り合って、きちんと計画を立てて行われていたのだ。
それ故にいくら王妃の指示とはいえ、他の部署へ連絡をしないことに、当時多くの近衛騎士達が違和感を覚えていた。当然部下達は宰相閣下に指示の確認しようとした。
しかし、今回は王妃殿下の命により秘密裏に進めている件だとして、近衛騎士団長から箝口令を敷かれてしまった。近衛騎士団長もまた、王妃と似たような思考の持ち主だったのだ。
そう。彼は宰相であるアルソア=カイトン伯爵を良く思っていなかったのだ。
高々伯爵家のくせに一体何様のつもりなのだ。好き勝手に王家やこの国を動かしやがって……と。
カイトン伯爵がいなければ、勝手に動かすどころか、国が勝手に衰退してしまうだろう。
王城で働く者なら誰もがわかりそうなことを、残念なことに王妃と近衛騎士団長は理解していなかったのだ。
彼らは個人的な嫉妬や恨みで、王家を危機に陥れたのだ。
国王が最終的に退位を決めた本当の理由が、王妃のせいだということは、王家の事情を知る者であれば明白だった。
王太子と王太子妃は、自分達がこれから背負うであろう重責に怯えつつも、それ以上に尊敬する国王をここまで追い込んだ王妃に憤った。そして、歯軋りするほど悔しがった。
シェリル王太子妃は、ニーディング王家の一員になってからまだ日は浅い。
しかし嫁ぐ前に聞かされていたよりずっと、義父となった国王が賢王であることはすぐにわかった。
そしてとても慈しみ深い優しい方だということも。彼女は国王をとても尊敬していた。
だからこそ陛下の負担を少しでも軽くしたいと、本来王妃がすべき仕事も彼女が隠れてずっと担ってきた。
それなのに王妃は自分のすべきこともやらずに、一方的に息子の妻に競争心を抱き、王太子を勝手に城外へと連れ出して危険にさらしたのだ。
夫が襲撃されたとの一報を受けたときの、王太子妃の衝撃は計り知れなかった。
彼女は政略結婚でありながら、夫である王太子を心の底から愛するようになっていたからだ。
その愛する夫を王妃は危険な目に合わせ、顔馴染の近衛騎士や侍女達にも大怪我を負わせた。
さらには命の恩人である英雄騎士の運命を変え、その命まで危険にさらす原因をつくったのだ。
そして最終的に王妃は、国王を引退へと追い込んだのだ。
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