第5章 前世の話
貧乏子爵家の次女である私は、社交界デビューのその日に婚約者から婚約破棄された。
私がツギハギだらけのドレス姿で現れたからだ。
私は十四歳のときから王城でお針子をしている。
繕い物が得意で、王城で着用されているどんな職種の制服も手早く繕える。
メイドや侍女の服、調理人の服や侍医の白衣、そして礼装用の燕尾服やタキシード、分厚い騎士服だって。
しかもそれらは、手直し前よりおしゃれになった、着やすくなった、丈夫になったと依頼者からはかなり好評だ。
しかしながら、王城の御用達の洋裁店には睨まれている。制服の注文が以前よりかなり減ったせいだろう。
しかし服作りのプロなら、服の破れやすい箇所なんて、着る人の仕事の内容を考えれば想像がつくはずだ。
それがわかっていながら、その部分を補強しておかないなんて悪質だ。
国民の税金を何だと思っているんだ。
以前はその御用達の洋裁店の息がかかっている者達から嫌がらせをされた。
しかし私はそんなやつらに負けはしなかった。
幼い頃から知り合いの元騎士のアダムス様に護身術を習っているし、毎日子爵家から城まで片道四十分の道のりを歩いて通っているので体力にはかなり自信があるのだ。
その上厳しい祖母に鍛えられたので、つまらない嫌がらせ程度では凹んだりしない。
そもそも私は、ドアマットみたいに家族に虐げられて育ってきたのだから。
我が家には馬車がない。宮廷貴族の父は乗り合い馬車を利用しているが、私はそれを使うことを許されていない。
それ故、私は仕事場まで徒歩通勤しているのだが、仕事を終えてようやく家にたどり着いても、そこで私を待っているのは夕食の支度と入浴の準備だ。
メイドは二人いるが通いなので、夕食の下準備だけをして帰宅してしまう。
そりゃあそうだろう。
今ではすっかり落ち目になっているが、その昔はそこそこ裕福だったようで、それなりに建物は広い。
たった二人でどうにかできるはずがない。
結局私は、疲れて家に帰ると今度は姉に虐められ、両親からは無視された挙げ句、メイドのようにこき使われていたのだ。
それでも私がそんな家から逃げ出さなかったのは、大好きな祖母がいたからだ。
幼い頃に亡くなった祖父からも、死際に祖母のことを頼むと言われて約束していたし。無茶なお願いだったと思うけど。
しかし、その祖母も一年前にすでに亡くなっているので、私が我慢してまで家にいる理由はなくなった。
だからこそ、どうしてもこの夜会にデビュタントとして参加して、世間から成人として認めてもらえる「成人証明書」をもらいたいのだ。
私はずっとあの家を出たかった。
そして城内にある使用人用の寮に、早く入居したかったのだ。
私には婚約者が一応いたが、彼やその両親からは元々快く思われていなかった。
どうせそのうち婚約破棄される。そう思っていたので彼のことは気にも留めなかった。
実際に先程衆人環視の中で婚約破棄をされたし。
もちろん素直にそれを受け入れたわ。恨むなんてとんでもない。
自分はおしゃれの一つもしない(できない)ダサい令嬢で、イケメンでお洒落な彼にはつりあわないと常々思っていたからだ。
学園にも通わず働きに出ている貴族令嬢なんて世間体も悪いだろうし。
とにかく家を出ることばかり願っていた。
だからこそ五日前、切り裂かれたドレスを見た瞬間、私はショックで目眩を起こして床に蹲ってしまったのだ。
これでは夜会に出られない。出なければデビューしたとは認められない。
一人前と認められなければ家を出る権利が得られない。
絶望のどん底に落ちたそのときに、私は前世の記憶を取り戻したのだ。
突然溢れ出したたくさんの記憶が、一瞬で頭の中を駆け巡ったのだ。
それはこの世界とは異なる世界で暮らしていた時のものだった。
そう、私は異世界からの転生者だった。
そしてその記憶を思い出して笑ってしまった。転生前も後も置かれた立場が似たようなものだったからだ。
身分制度などなかったから平民というか庶民だったが、平均以下のゆとりのない家庭環境だった。
両親は良家の子女同士だったが、結婚に反対されて駆け落ちしたらしく、二人は生活力が乏しくいつも貧しかった。
私は学生時代からアルバイトと勉強三昧の生活をしていた。
成績は良かったがお金がなかったので、大学には進学せず、公務員になった。
奨学金をもらっても、卒業後にその返済に追われる未来を想像するとゾッとしたからだ。
それに、そもそもバイトに追われて勉強ができなかったら本末転倒だ。
その挙げ句良い就職先に就けなかったら目も充てられないと思ったのだった。
役所勤めには男性と同じ様に、いつも就活スーツで通った。
どうせ職場では制服を着るのだから、通勤のための服に無駄な金を使う必要はない。
そんな余分な金があったら趣味に回した方がいい。
ちなみに私の趣味は洋裁と手芸と工作だった。
幼い頃から洋服も新品など買ってもらえず、私はいつも古着ばかり着ていたので、よくいじめられていた。
それに気付いたアパートの隣の部屋に住んでいたおばあさんが、古着をリフォームして、私のためにオリジナルのオンリーワンの服を作ってくれるようになった。
彼女は洋裁がとても得意だったのだ。
そしてそれらの服は友人からの評判がよく、その後流行の服を着ていなくても、友人達から虐められたり馬鹿にされることはなかった。
その後私はおばあさんに洋裁を教えてもらい、八歳の頃から針とハサミを手にして、人形の服を作っていた。
着せ替え人形なのに着せ替える服がなくてつまらなかったから。
そしていつしか自分の簡単な服まで作れるようになっていた。
まあ、生地から材料を揃えると、それなりの金額になってしまうので、大抵は安い古着をリフォームしていたのだけれど。
端切れや古いボタンなどはクッキーの缶の中にしまっておき、それを利用してパッチワークのバッグや袋などの小物を作って、友人や知り合いに売って小銭を貯めていた。
そしてそのお金でおばあさんに贈り物をしたり、一緒に食事に出かけたりしていた。
おばあさんが亡くなったとき、一緒に天国へ行きたいと泣いた。
ん? そういえば私ってなんで死んだのかしらん?
あの私の貯めたお金はどうなったのかな?
母が使ったのならまだしも、親らしいことを何一つしなかった父親の煙草代に消えていたら嫌だな。
私が死んだのは間違いないけれど、その死因は思い出せなかった。
しかし、前世を思い出したことで、なぜこんなに繕い物やリフォームが好きなのか、その理由がわかってスッキリした。
そして生まれ変わっても、あまり代わり映えのない環境にいることを苦笑いしながらも、好きな仕事に就けたことだけはラッキーだったと思った。
それに、前世は恋の一つもしないで死んだけれど、今回は片想いでも人を好きになれた。それで十分幸せじゃないかと。
転生した私はいわゆるドアマットヒロインみたいな立場だけれど、大分図太いというか、逞しいというか、前向きな性格みたいだと、改めて自己分析した私だった。
まあ、ついこの間は疲労困憊過ぎて、思わず淡い誘惑に負けそうになったけれど。
そして今、面倒だった婚約者から無事に婚約破棄されてフリーになった。
そしてその直後にたとえ同情からだったとしても、憧れの人にエスコートされることになったのだから、まさしく僥倖だ。
読んでくださってありがとうございました!




