第34章 二人のヒーロー
「元々子爵家には王家から護衛という名の見張りがついていたけれど、夫はそれを全員カイトン一族の信頼のおける騎士だけに変更したの。
護衛の中に国王派が交じっていたらいつ余計な報告をされるかわからないから。
それから王家の動きにこれまで以上に神経を尖らせたそうよ。
そして、アダムス様に貴女の護身術の指南役を依頼したの。アダムス様って騎士を教育する名人だったから。
もちろんスパルタだってことはわかっていたけれど、娘の指導もしていたし、女性が最低限身を守れる程度の術を教えてくれるものだと思っていたのよ。
それなのに、まさか護身術だけでなく攻撃の仕方まで教えるとは思っていなかったわ。
貴女が人助けのために、破落戸相手にも立ち向かっていると知って、夫と私は絶句したわ。
なまじ中途半端な力を持ったら、何の力も持たない者よりむしろ危うい。それくらいわかっていると思っていたのに」
それまで微笑みを絶やさなかったケイト様が厳しい顔になってこう言った。
中途半端……
その言葉がズシンと心に響いた。
私は前世のヒーローのような存在になろうと思ったことはない。ただ目の前で困っている人を助けたかっただけだ。
だけど、隠れて私を守ってくれていた方々がいなかったら、今こうして自分が生きてこられただろうか。そのことにようやく気が付いた。
それと同時に、どうせ自分なんて誰にも愛されていない。だからもし死んでしまっても構わないと無意識に思っていたのかもしれない、ということにも。
祖父母に愛されていたということは今ならわかるのだが、生前の祖母はあまりにも厳し過ぎて、両親と姉同様に私を嫌っているのでは、と思う時もあった。
祖父だってみんなの前では無関心を装っていた。それなのに死に際に祖母を守ってくれなどと言うものだから、それが私の重荷になっていた。
自分自身がこれほど痛めつけられているのに、祖母を守れるわけがないでしょうと。
たしかに護身術は学んだけれど、家族相手にそれは使えないのだから鍛えたって意味がないじゃないかと。
でもある日街へ用足しに出かけた時、自分と同じくらいの年齡の花売りの女の子が、不良少年に売上金を取り上げられそうになっているところに遭遇した。
彼女は真っ青な顔で必死に少年にしがみついて、返してと訴えていた。彼女はひどく怯えていた。
でもそれは少年を怖がっていたわけではなく、おそらくお金を奪われたら、両親あるいは親方に激しい折檻をされるのを恐れているのだろうと思った。
彼女の姿に自分が重なった。
私はその不良少年の背後から近付いて、手に持っていたお金の入っている巾着袋をさっと奪うと同時に、彼の膝の裏に蹴りを入れた。
少年はうめき声と共に道に転んだ。
「逃げるわよ!」
私は彼女の手を取って走り出した。そして警らの詰め所に逃げ込んだ。
最初は事情を説明しても相手にしてもらえなかった。しかし名前を訊かれて素直に答えたら、奥から別の騎士が現れて、ここで待っていろと言って、急いで出て行った。
平民のような服を着た女の子が貴族の名前を告げたから、それを確認しに行ったのかと思っていた。しかし彼は暫くして、両膝を怪我しているあの不良少年を連れて戻って来た。
彼は私を見て怯えた顔をした。
そして、今も修道院で顔を合わせるたび、その不良少年エリッツは私に怯えている。恋人のアンを虐めなきゃもう二度と蹴ったりしないのに。
そう、あのときエリッツに強盗されかけた女の子の名前はアンという。そして二人とも別々の人買いに拐われてきた孤児だった。
私の話を信じてくれた騎士様が、二人の話も聞いてくれて、彼らを養護するために修道院の付属の孤児院に入れてくれたのだ。
もちろん二つの人買い組織を壊滅させて人買いを全員逮捕し、そこにいた他の子供達も全員保護してくれた。
もうあんな無茶をするなとあの時騎士様には怒られたけれど、アン達に礼を言われてとても嬉しかった。
こんな自分でも人の役に立てた。存在してもいいのだよと、ようやく人に認めてもらえたような気がしたからだ。
だからその後も、困っている人を見ると躊躇わずに自分から関わっていったのだと思う。
ただ、その後数人の破落戸に囲まれて路地裏に連れ込まれそうになったときは本気で怖かった。
まだ十二歳だった私は、物取りや人攫いの心配はしていたけれど、お金など持ち歩かなければ問題ないと安易に考えていたのだ。
前世の記憶がまだ戻っていなかった私は所詮貴族のご令嬢で、ロリコン趣味の人間がいるだなんて思いもしなかったのだ。
必死に抵抗したが多勢に無勢。しかも大人に子供。男に女。しかも丸腰。
悔しくて怖くて情けなくて。そう。これまでの人生を振り返っても、あれほど泣き喚いたことはなかったわ。
そしてそんな私を助けてくれたのが、まだ若い騎士様だった。
私を抱えていた男を一撃で倒し、私を背に庇いながら、素早く他の男達の太ももを狙って剣で切り裂いた。
破落戸達は真っ青になって、足を引き摺りながら路地に転がっている仲間を見捨てて逃げ出した。
騎士様は彼らを追うこともなく、腰から細いロープを取り出すと、倒れている男の両手足をまとめて一か所に縛り上げ、猿轡を嚙ませた。
それから振り向いて、それはもう優しい声で私に言った。
「怖かっただろう。もう大丈夫だよ」
と。
安心した私が泣き出すと、まだ少年とも呼べそうな若い騎士様は、立ち上がって私の側までやって来ると、優しく頭をポンポンとしてくれたのだった。
そして警らの仲間に捕まえた男を任せた騎士様は、私の手を引いて警らの詰め所へ向かった。その途中で名前を聞かれたので、
「クリスティナです」
とファーストネームだけを言った。家名を名乗らなかったのは家族に迷惑をかけたくなかったわけではなく、こんなみすぼらしい格好をした娘が貴族令嬢だとわかったら情けないと思ったからだ。それなら平民と思われた方がましだと。
しかし、すぐに私の正体はばれてしまった。
通りを歩いているときにアダムス様と遭遇したからだ。
二人は顔馴染みのようで、若い騎士様はアダムス様に深々と頭を下げた。
引退したとはいえ、アダムス様も元騎士様だから知り合いだったんだなと思った。
「ルーカス殿、そちらのご令嬢は?」
「ご令嬢? アダムス様はこちらの少女をご存知なのですか?
先ほど破落戸どもに攫われそうになったところを助けたのですが」
「攫われそうになっただと!
そいつらはどうした! 捕まえたのか!」
アダムス様は物凄い形相をしてルーカス様の両肩を掴んで揺さぶった。
手を繋いでいたので、私の身体まで激しく揺れたほどだ。
「い、痛いです! 離してください、アダムス様。
一人は捕まえました。残りは仲間が今追っています。足を剣で突いておきましたから、すぐに捕まりますよ」
「そうか。なら良かった。
ルーカス殿、その子は私の弟子なのだ。私が責任を持って詰め所へ連れて行く。だから君は犯人を追ってくれ。
助けてくれて本当に感謝する」
アダムス様が頭を下げると、騎士様は驚いて私の顔を見た。
「弟子?」
私はこくこくと頷いた。すると、彼はハッとした顔をした。
「いつも人助けばかりしている綿毛の子爵令嬢って君のことだったのか? それなのに今回は失敗してしまったということか?」
私って綿毛の子爵令嬢って呼ばれていたんだと、妙に納得しながらこう答えた。
「今回は人助けしようとしていたわけじゃなくて、つい師匠の言い付けを忘れて、近道しようと裏路地に入ったところを襲われました」
「裏路地に入っただと!」
あの後、私はアダムス様にかなり怒られた。まあ当然だけれど。
そして叱られながらも、頭の中では笑顔で手を振って離れていった王子様の眩しい笑顔ばかり思い浮かべていた。
結局その映像は未だに消えないし、これからも色鮮やかなまま残るのだろう。
その後も私が困った状態に陥ったとき、何度もルーカス様に助けてもらった。
きっとそれは、アダムス様やご両親から、祖母への恩を返すために私を守れと命じられたからなのだろう。
そうでなければ、あんなにも偶然に会うなんてことはないわよね。そう納得しながらも悲しくなった私だった。
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