第26章 新たな婚約者?
「泣かないでちょうだい。嫌な話を聞かせてしまってごめんなさい。
でも、絶対にあなたを王太子殿下の第二夫人になんかさせないから安心して」
えっ? 私泣いてる?
王太子妃のシェリル殿下の言葉で、私は自分が涙を流していることにようやく気が付いた。
でも私は、王家に狙われる可能性があると知って怯えたわけではない。
単に失恋したことに気付いただけだ。
いや失恋というより、勝手に妄想していた幸せな夢が弾けて現実が見えただけ。
あの方はカイトン一族の人間で、とにかく正義感が強い。
だから母親である夫人からの頼みを断われなかったのだ。
私の祖母が自分の両親の恩人だと知らされたらなおさら、その願いを叶えたいと思ったことだろう。
そうでなかったら、こんな見目が悪く、可愛げもない貧相な娘に構うはずがない。
誰からも愛されて人気のある、あの素晴らしい英雄様が。
「泣いてしまって申し訳ありません。
祖母のことを思い出してつい涙がこぼれてしまいました。
怖がってはいないので大丈夫です。
一月前の夜会でご挨拶をした際に、国王陛下や王太子殿下がひどく驚かれたような顔をなさっていたは、私のツギハギドレスのせいではなく、私の瞳の色に気付かれたからだったのですね。
でも、その後王家からの接触はないようですが、これはどういうことでしょうか?
祖母の杞憂だったということでしょうか?」
私の問に妃殿下が首を振りながらこう答えた。
「夜会が終わった後、二人はそりゃあもう興奮状態だったわ。もちろん人前では素知らぬ顔をしていらっしゃいましたけれど。
でも本当に大丈夫よ。私と宰相閣下が牽制しておきました。
彼女には婚約者がいますから手出ししないでくださいね、と」
「でも、私はあの日ダイキント子爵令息から婚約破棄されていますし、復縁する気もありません」
「もちろんそれはわかっています。そもそもダイキント子爵令息では抑制効果はありませしね。
ですから、別の有力貴族のご子息の名前を挙げておきました」
妃殿下がしれっとそう言った。ええっ?
「それって大丈夫なのですか? その方にご迷惑おかけするのではないですか?」
「大丈夫よ。本人はまだ知らないと思うけれど、文句は言わないと思うし、ご家族も納得しているから、あなたは心配しなくてもいいわよ。
一応それで陛下も殿下も納得したというか、諦めたみたいだから安心してね」
そんなに簡単に陛下方が諦めざるを得ない相手なんて、一人しか思い付かない。
そしてあの夜私は、その方のご子息にエスコートされていたときのことを思い浮かべた。
あの姿を目にしていたのだから、お二人は妃殿下と宰相閣下のその言葉を疑わなかったに違いない。
私が彼にエスコートされることになったのは、本当にたまたまだったのだが。
それにしても、またあの恩人に多大な迷惑をおかけしてしまう。
私は恐る恐るその方のお母様であるカイトン夫人の方へ顔を向けると、なぜか得意気な顔をしていた。
そしてそんな彼女を、なぜか何か言いたげな、妙な顔をして見ていた他のご夫人方がやがて次々と理由のわからないことを言い出した。
「羨ましいわ、ケイト様。適齢期の息子さんがいらして。うちはもう結婚してしまったわ」
「うちも婚約してしまったわ。早まったわ」
「うちの息子はまだ十二歳だから、いくらなんでも無理ですわよね」
「そもそもうちは娘しかいないわ。
そうだ、うちの娘を上の息子さんにどうかしら? そうすれば義姉妹になれるわよね」
「それならうちも。そうすればヘレナ先生、いいえクリスティナ様と縁続きになれるものね」
えっ?
そんなに皆様、祖母との縁を結びたいのですか?
私は祖母のカリスマ性を改めて思い知った。でも、お子様方の意志は無視ですか?
そもそも才色兼備だった祖母と凡庸な私とでは天と地ほど差がありますから、私を娶ってもなんのメリットもありませんよ。
私は戸惑いながら皆様の様子を見ていると、ホールズ室長が目を細めて私を見た。
この表情をするときは、私の思考を読み取ったときだ。
祖母から厳しい淑女教育を受けた私は、あまり感情を表に出さない方だと思う。
けれど、厳しい男社会の中で働いてきた室長は、人の心を読む力に長けているのだ。
「いつも言っているけれど、あなたは自己評価が低過ぎますよ。
何の価値もない自分と縁を結びたがるなんておかしい、と思っているでしょ。
自分はお祖母様とは違うのだと。
でもそれは当たり前のことで、ここにいる者達は皆、あなたとヘレナ先生を同一視などしていませんよ。
もちろん、スミレ色の瞳を持っているから近付きたいたいわけでもありません。
私達はクリスティナ嬢、あなた自身の優しさと強さを兼ね揃えた性格と、溢れ出るその才能を愛し、求めているのです」
優しくて強い性格?
溢れる才能?
強いというのは正解だ。私は自分でも逞しいと思う。だって二度もドアマット人生を経験すれば必然的に強くなるわ。
ほら、麦は踏まれれば踏まれるほど強くなるといいうじゃないですか。
私の感覚としては貴族令嬢というより、転生前の庶民のままですからね。
でも溢れる才能というのはよくわからない。もしかして洋裁の腕のことかしらん?
「あなたはずいぶんと下働きの子を助けてくれたでしょう?
貴族令嬢の侍女や裕福な家の出のメイドならば、まだ後ろ盾があるからそれなりにまだ守られているけれど、彼女達は違うわ。
虐めやしごきならまだしも、性的な虐待をされることもあるわ。
本当に嘆かわしいけれど。
城内にいる騎士様達が見回りを強化してくれているけれど、やはり全てに目が行き届くわけてはないわ。
もうずいぶんと以前から女性騎士の増員を願い出ているのだけれどね。
一月前の夜会の後、あなたは女性から嫉妬や妬みに晒されるのではないかと、ずいぶんと心配していたみたいだったけれど、思ったほどの被害はなかったでしょう?」
そう室長に訊かれて、たしかにそうだと思ったので頷いた。
「はい。室長をはじめとするお針子部屋の皆さんや食堂のオルガさんに色々助けられ、守ってもらったおかげだと思っています」
「ええ。そうね。
彼女達は普段から貴女に仕事を教えてもらったり、ミスをやり直してもらったり、当番を替わってもらったりと、ずいぶんとあなたに助けてもらっていたようですね。
だから、いつかあなたに何かお返しがしたいと、皆思っていたそうよ。
オルガさんも騎士に乱暴されかかったときにあなたに救われて、本当に感謝していましたよ。
あのとき、彼女はすでに妊娠していたのに、もしかしたら流れてしまっていたかもしれないのだから。
ご主人の体調もかなり悪いときだったから、乱暴されてもし子供まで失っていたら、彼女は恐らく生きていられなかったでしょう。
そして彼女達だけではなく、あなたに助けてもらったという下女達は大勢います。
これまでも逆恨みしてあなたをクビにしようと悪い噂を流そうとした男達がいたのですよ。本当にめめしいったらありません。
でも彼女達のおかげでことごとく失敗しました。
ちなみに、その者達はきちんと風紀専門官によって処分されましたから心配はいりませんよ」
その話に私は仰天した。
そんなにみんなから守られていたなんて想像もしなかった。両親や姉からあんなにら忌み嫌われていたというのに。
「あの、どうして私がしていたことに、皆さんは気付かれたのでしょう?
隠れてしていたつもりだったのですが」
こう疑問を投げ掛けると、ホールズ室長は目を三日月にして微笑んだ。
「まあ、あなたは彼女達が襲われている場面にたまたま遭遇して、とっさにとっていた行動だったのだから仕方ないとは思うのですが、結構他の人達からは目撃されていたみたいですよ。
あなたが身に着けている秘密道具をこっそり取り出して、それを使用しているところをね」
ああそうか。あれを見られていたのか。
これからはもうアレを秘密道具なんてカッコつけて呼べなくなるわね。
失敗した、と今さらながらそう思った私だった。
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