第17章 魔犬からスピッツへ
「あなたに面会申し込みが二件あるわ。会う気があるかしら?」
寮に入って五日目、私はお針子部屋の室長部屋で、ホールズ室長にそう告げられた。
それが誰からなのかはすぐに想像できたので、会う気はないとわたしは即答した。
「手紙も届いているのでしょう? それらは読んだの?」
「一応読みました。
両親からの手紙には家に戻って来るようにと書いてあったので、絶対に戻る気はないからスミスン子爵家から籍を抜いて欲しいと返事をしました。
元婚約者からは謝罪され、やり直しを求められたので、謝罪は受け入れるが人前で破棄されたのだから、今さらそれを撤回されても困ると書きました。
私のことは気にせずに真実の愛に生きてくださいとも」
「そんなにはっきり断ったのにしつこく面会を求めてくるなんて、あなたがいなくなって相当困っている証拠ね。
本当に馬鹿な連中ね。あなたの価値に気付かずに散々利用しコケにしておきながら、今さらその重要性を認識して取り戻そうとするなんて。
あなたを愛しているからではなく、自分達にとって便利で都合のよいものだから手放したくないのだから、全くお話にならないわ。
絶対に面会は許可しないから心配しなくていいわ。
だけど、彼らも一応貴族だし、偶然城内で出くわすことはあるでしょう。それは避けられないから、くれぐれも注意してね」
「はい。でも、私の家族が私に帰れと言ってくるのはわかるんです。
使用人が一人減って困っているでしょうし、帳簿をつけられる人間もいなくなったのですから。
でも、ダイキント子爵が私との関係を切りたくない理由がわからないのです。
ゴードン様は、あの家へ行って姉の真の姿を見て幻滅して、騙されたと謝ってきたのですが、別に今さら私と元サヤにならなくてもいいと思うんですよね。
彼は容姿がいいし、剣術も強くてご令嬢方にはモテるみたいですから。
そもそもただの政略結婚の相手である私になんて、これまで全く関心がなかったんですよ?
どうも子爵様に叱られて、しかたなくやり直したいと言っているだけみたいに思えるんですよね。
でも、裕福な子爵様がなぜ学園にも通えない貧乏子爵家の私との結婚を望んでいるのか、それがわからなくてモヤモヤするんです。
元々私のことはあまりよく思っていなかったですし」
「それはね、今ごろになってダイキント子爵が、あなたの真の姿に気付いたから手放したくなくなったのよ。
実はあの日の夜会には彼も夫人同伴で参加していたから、あなたの本当の姿を見て気付いたことがあったのでしょう。
息子がその直前に人前であなたとの婚約を破棄をしていたとも知らずにね」
私の真の姿って何のことでしょうか。
キョトンとした私にホールズ室長は、少し口角を上げてからかうような顔をしてこう言った。
「あなたは普段そのふわふわした前髪で顔、いいえその綺麗な目を隠しているでしょう? 真剣に見つめないとその珍しいスミレ色の瞳の色がわからないくらいに」
「別に隠しているつもりはないのですが」
「そうね。あなた自身は意図的に隠しているわけではないのでしょう。
でもそのむさ苦しい前髪をなんとかしなさいとも言われなかったでしょ? お祖母様に」
「えっ? ああ、そう言われればそうですね。躾や礼儀作法には煩かったわりに、容姿に関してはなんにも言わなかったですね。
母も私に関心がなかったので無視していましたし。
姉からは毛玉だと馬鹿にされていましたが、この髪はもうどうしようもないと思い込んで諦めていました」
「でも、ちゃんとまとめれば素敵になれるとわかったでしょう?」
「はい。カイトン伯爵家のナタリアさんというメイドの方が、とにかく凄く腕が良かったのです。彼女は女性を美しくする天才だと思います。
私は醜い魔犬からスピッツに変身した気分になりました」
「なぜ犬に例えるのですか?
あなたは元々とても可愛くて綺麗でとても素敵なご令嬢ですよ。
まあ、愛らしい見かけに反してキリッとハキハキしているところは、スピッツに似ているかもしれませんが。
どうせなら、ついでに嫌いな人にはもっと吠えてもいいと思いますよ」
吠えてもいいのですか?
思いがけないことを言われて目を丸くすると、ホールズ室長はこう締めくくった。
「ダイキント子爵がなぜあなたに拘るのか、その理由はおおよそわかっています。
でも、私の一存でそれを教えるわけにはいきません。
一月後に開かれる次回の『ライラックの会』にあなたを招待して、そこで対処したいと思っています。
すぐに会を開きたいのはやまやまですが、なにせメンバーがみんな忙しくて、時間を合わせるのが大変なのです。
だから申し訳ないけれど、暫く辛抱して待っていてください。
そしてそれまではダイキント子爵家の者には重々気を付けてください。
まあ貴女は護身術を習っているみたいだし、例の鋏も持ち歩いているようなので大丈夫だとは思いますが、油断はしないでくださいね」
やっぱり糸切りバサミで暴漢を刺したことをご存知だったのですね。
たしかにあれ以降あの鋏を上着のポケットに入れてはいるけれど、あのときはたまたま持っていただけなんですよ。
私は普段から刃物を持ち歩いているような、そんな危ない人間なんかじゃないですからね。
(実のところ秘密の飛び道具は常時携帯しているけれど)
でもまあ、しばらくは鋏も持ち歩かないといけなくなってしまった。近接武器は必要だものね。
商売道具で身を守るのはちょっと気が引けるけど、ナイフや剣、木刀を持ち歩くわけにはいかないもの。
それにしても王城を陰で仕切っているという、噂の『ライラックの会』って本当に存在するんだ。
しかも、ホールズ室長がそのメンバーだったとは!
他のメンバーって誰なのかしら?
すごく興味があったけれど、恐れ多くてとてもそれを尋ねることはできなかった。
いや、そもそもそんな秘密組織に、限りなく平民に近い私が関係してしまっていいものなのしら?
というより、その『ライラックの会』の皆さんが、なぜ貧乏な子爵令嬢に過ぎない私に関する情報を持ってるのかが謎だった。
ううっ、気になる。早く知りたい。
そのとき私は、室長が言った「スミレ色の瞳」と言った言葉を全く気に留めていなかった……
読んでくださってありがとうございました!




