第10章 カイトン伯爵家と祖母の繋がり
「帰ってきたと思ったら、妙な格好をしたままで今度はどこへ行くつもりなの?
今日は休日よね?
遅番のメイドが体調が悪くなったと早帰りをしてしまって、昨夜から何も食べていないのよ。
そんな荷物は下ろしてすぐに食事の支度をしてちょうだい」
お帰りの一言もないのか。もしくはおはようって。
お腹がすいたのなら、どこかへ食べに行くか、自分達で厨房を漁ればよかったのに。
私は母を無視してそのまま外へ出た。
すると母が大きな声で父や姉を呼んだ。
そのせいで、庭を通り抜けて門から出ようとした所で、私は父に腕を掴まれてしまった。
さすがに履き慣れないハイヒールに大荷物を背負っていては、早く歩けなかった。
今ではすっかり貧しくなったが、ご先祖様はかなり羽振りが良かったらしく、我が家の庭はかなり広いのだ。
「そんな大荷物を持ってどうするつもりだ?」
「これは私個人の持ち物ですので、別に屋敷から盗み出した物ではありません。洋裁道具です」
「いや、だからそれをどこへ運ぶつもりだと聞いているんだ」
「城の中にある使用人の寮です。今日からそこでお世話になるつもりなので」
私の言葉に両親と姉は驚嘆し、目を釣り上げた。
家族に相談もせずに勝手なことをするなと。
そして私の背から荷物を奪おうとしたので、私は「止めて!」と叫びながら必死にそれに抵抗した。
そのとき、カイトン卿が現れて、私と両親達の間に入ってきてこう言った。
「私は近衛騎士をしておりますルーカス=カイトンと申します。
昨夜は貴殿のご息女であるクリスティナ嬢のエスコートをさせて頂いたので、こちらまでお送りしました」
カイトンといえば名門伯爵家。しかも近衛騎士をしているルーカスといえば、我が国で今一番有名な人物である英雄だ。
両親と姉は驚いて目を見開いた。そうなるわよね。
カイトン卿は驚く三人を無視してこう言葉を続けた。
「実は、我が家は生前のスミスン前子爵夫人から、クリスティナ嬢の面倒を見てもらえないかという依頼を受けていました。
それ故、今日からクリスティナ嬢を我が家でお預かりすることになりましたので、それをご了承下さい」
「「「え~っ!」」」
両親達だけでなく私も驚嘆の声を上げてしまった。
「そんなことは信じられません。
それに仮にもし義母がそのようなお願いをしていたとしても、クリスティナは私達の娘ですから、親としてそのようなことは認められません」
「クリスティナ嬢はどうしたいのですか?」
カイトン卿にこう訊かれて私は即答した。
「カイトン伯爵家でお世話になるかどうかは別にして、私は今日家を出ます。
私は昨夜成人として認められたので、居住場所の決定権を持てるようになりました。
ですから反対されても私は出て行きます」
「いくら成人になったとはいえ、お前はまだ十六だ。貴族令嬢のお前が家を出て暮らせるわけがないだろう。世の中はそれほど甘くないぞ」
父のこの言葉に私は笑ってしまった。
私がいなくなって困るのは貴方達の方でしょうと。
洗濯も掃除も私がメイドさん二人とやっていたのだから。
それに領地経営の書類の最終チェックや、出納帳の整理もね。
私がいなくなったらそれを誰がやるのかしら?
さっさと、お姉様に優秀なお婿さんを見付けないとね。
まあ、見つからないでしょうけど。
でもだからって、今さら私をお姉様の代わりにしようとしても無駄だわ。
「幼いころからメイドとして一人で市井にも出かけていましたし、あのお祖母様に独りでも生きていけるようにちゃんと育てられたので、ご心配はいりません。
みなさん、どうかお元気で。さようなら」
私はカイトン卿に手を取られて馬車に乗込むと、まだなにか喚いている元家族を無視して出立してもらったのだった。
「カイトン卿、我が家の醜いいざこざに巻き込んでしまい、大変申しわけありませんでした。お見苦しいところをお見せしてしまい、なんとお詫びしたらいいのか」
私は馬車の中でカイトン卿に謝罪した。すると、彼は苦笑いをしながらこう言った。
「私は最初からこうなることがわかっていて送って行ったのです。だから、貴女が気にすることはないですよ」
「えっ?」
わかっていた? それはどういう意味なのかしら。
我が家が貴族としては崩壊しているということをすでに把握していた?
なぜ?
もしかして両親が犯罪にでも手を染めていて、騎士団から秘密裏に調査でもされていたのかしら?
私がそんな疑問を抱いていると、カイトン卿がこう言った。
「なぜって顔をしているけれど、先ほど言ったでしょ。
貴女のお祖母様であるスミスン前子爵夫人から、生前に貴女のことを依頼されていたのですよ。
もし自分が死んだ後、孫のクリスティナが困っているようだったら、子爵家から救い出して欲しいと」
「あれはとっさに出たでまかせではなくて本当のことだったのですか?
祖母はカイトン卿とお知り合いだったのですか?」
「残念ながら僕は面識がないのですが、私の母とは旧知の仲だったようですよ。
貴女のお祖母様は私の母のマナー教師だったそうだから」
「祖母がカイトン伯爵夫人のマナー教師をさせて頂いていたのですか?」
私は驚きの声を上げてしまった。
もちろん祖母が人気の家庭教師だったのは知っているが、そんな名門の家からも依頼を受けていたとは知らなかった。
「母は貧しい子爵家の出なんですよ。
でも息子の僕がいうのもなんですが、美人でその上かなり頭が良くて、特待生として学園に入学したくらいなんですよ。
そこで運悪く父に見初められてしまったのですよ。
父からは早いうちから婚約して欲しいと言われていたようですが、家格が違い過ぎると言って、母はずっと断わっていたらしい。
本来なら伯爵家と子爵家との婚姻は一般的でなんの問題もない。
しかし、我がカイトン伯爵家は伯爵家にしては名が通り過ぎていた。
しかも当時は王家からの信頼も厚いと有名だったから、母は気後れしたのだと思う。
母の実家は借金こそなかったが、かなり困窮していたそうだから。
ところが父が諦めずにしつこく迫り続けた結果、王家を巻き込む騒動になったらしくて……」
「まあ!」
私は思わず驚きの声を上げ、身を乗り出してしまった。
伯爵令息の結婚になぜ王家まで関わってきたのか、思わず興味がそそられてしまった。
それほど恋愛話が好きというわけでもなかったのに。
カイトン伯爵家は建国以来の名家で、事実上侯爵家や辺境伯家と肩を並べるほどの力を持っている。
なぜならこの一門は、代々文武両面で優れた人材を多く輩出していたからだ。
それなのになぜ伯爵位に留まっているのかというと、この力のある家に侯爵などという最高位を与えてしまえば、いつ寝首をかかれるかわからないと王家が彼らを恐れたからだというのが、専らの噂だった。
カイトン伯爵家の方も痛くもない腹を探られたのではたまらないので、あえて陞爵を望まなかったと聞いている。
ただしその力は実質筆頭侯爵家同等であることを誰もが認識していた。
それ故に名より実を取る者達が、他の高位貴族よりもカイトン伯爵家と縁を結びたがっていることは、この国の貴族なら誰でも知っている常識だ。
まあ正直なことをいうと、カイトン卿が英雄になって周りがその話題で盛り上がっていたときに、たまたま小耳に挟んだだけなのだが。
なにせ王城のお針子部屋は井戸端そのものもで、そんな噂話でいつも盛り上がっているのだ。
私は弱冠十六歳で、すでにかなりの耳年増だと思う。
ただし、所詮噂は噂だとそれほど真剣に聞いているわけではないけれど。
ところがなぜか今、私の目の前にはその英雄がいて、本人から色々と裏事情というか、カートン伯爵家の内部事情を聞かされているのだ。
そんなお家事情を私みたいな者が聞いても本当にいいのですか?
そう叫びたい気持ちだったが、やはり祖母とカイトン伯爵家との繋がりが知りたくて、素直に話を聞く態勢に入ってしまった。
このまま城へ向かうと、登城ラッシュに巻き込まれるということで、時間調整のために公園前の大通りで馬車が停められた。
そこで私は、カイトン卿のご両親である伯爵夫妻の、結婚までの波乱に満ちたエピソードを聞くことになったのだった。
読んでくださってありがとうございました。




