5・ギルドとドラゴン、どちらが強いのか?(2)
ぐぐぐぐ。
足のつま先が領界を越えようと、必死で宙に浮いている。
あと何センチかつま先を下げれば着地すると言うのに、もう何時間かこのままである。
そろそろ他の足や背中が悲鳴を上げそうな不自然な姿勢である。
「セシル様、あともう少しで外出できます」
がんばれ、とカナンの応援虚しく、セシルのつま先は地に落ちない。
「仕方ありません。できればこの方法は使いたくなかったのですが」
カナンが重々しく言い、セシルの背後に回った。
「?」
セシルがカナンの動向を見守ることで体の力が少し抜けたその時。
トン。
セシルの背中が押された。
自然な流れで彼女は領界の外に足を付いてしまった。
その瞬間、砦のある森全体が淡い青の光に包まれる。
「あー、結果が発動しましたね。さすが砦の魔女、セシル様。主人が不在でも強力な結界が砦を守る。素晴らしい魔法陣です」
カナンが褒めてくれてもセシルは嬉しくない。
今、彼女は地面に両膝をついて、両の拳も土にのめり込ませて茫然自失である。
「出てしまった。家から、出てしまった」
うわごとのように言いながら、セシルは土の感触に首を捻った。
「おかしいな」
森全体がセシルの家である。領界という自分の結界の外にあっても、この森はセシルも知っている土の精霊の守護にあるが、感触が何かを伝えてきている。
「どうしました?」
カナンが覗き込むとセシルは土を払って立ち上がった。
「何かいるって」
「何か?」
「うん。土の精霊が、何かいるって言ってる。気を付けなさいって」
セシルの言葉にカナンが厳戒態勢になる。
幼い少年に見えて、ベテランの大人の兵士であるカナンはそんじょそこらの兵士よりも場数を踏んでいる。
「魔物、ですか?」
臭いで判断したカナンにセシルは「分からない」と首を振った。
砦の魔女の魔力は群を抜いているが、本人はただの出不精の人生経験が極端に少ない少女である。
「セシル様、大事なお菓子を取られたくなければ、攻撃魔法の用意を」
カナンの言葉に頷いて、セシルは自分から見て前後左右の四方向に「使者」と呼んでいる精霊のようなものを配置する。この使者が敵を察知するセンサー兼トラップになっている。
「カナンのことも絶対守るからね」
セシルはカナンの荷物の中のお菓子たちに語りかける。
「できれば俺の目を見て言って欲しいところですけど、砦の魔女様に守ってもらえるなんて光栄です」
立場的には反対なのだが、カナンは素直に礼を言った。
森を出る頃まで何事もなく過ぎていった。
カナンは警戒を怠らないようにしながら、街道を目指す。
街道では乗合馬車が待っているはずだ。乗合、と言いながら、買収してあるので彼ら二人しか乗らないのだが、セシルの社会性を身につけさせるために黙っておく。
土や葉っぱで覆われた獣道から砂利道へ、そして石畳で覆われた街道へと出る。
「ご主人様、何か来ますぅ」
前方の使者が両方振り返って警告する。
「何かって、何?」
セシルはアワアワしながら、お菓子の入った鞄を大事そうに抱える。
「なに?あれはなに?」
使者はクルクル宙を回りながら歌っている。
「セシル様、もうちょっとマシな使者はいないんですか」
「いるけど、今休ませているところ。この前、砦の外に来た魔物と戦わせたから疲れたんだって」
確か襲撃があったのはサラマンダーだったな、とカナンは記憶を巡らす。
結界に弾かれたは良いものの、その周辺の森を燃やそうとするので怒ったセシルが使者を送ってサラマンダーを火炙りにしてしまった。サラマンダーの肉はよく焼けば美味しく食べられるので、砦の夕飯にその肉が振舞われた記憶がある。
カナンはセシルの使者の中でも唯一無二の力と知性を誇る使者を思い浮かべた。
「あの人、休むんですか」
疲れ知らずだと思っていた。
「うん。魔力を蓄えてるの」
「へえ」
あの使者だけは別格だったため、調査の必要があるとセレンティアが言っていたな、と思い出す。
カナンの与えられた任務の中には使者の実力と特性を調べるという項目がある。
「とりあえず、何か来るみたいですから、気を抜かずにいましょうね」
「うん」
お菓子は誰にも渡さないから大丈夫だよ、と真剣な様子でセシルが言った。
数分後、頭上からの圧迫でセシルもカナンも驚愕する。
「まさか、そんな」
カナンの恐れ慄いた呟きを受け、セシルは逆に嬉々としている。
「ドラゴンだよ。私、初めて見た。綺麗だねえ」
頭上を恐ろしいほど硬質な翼で強風を生み出しながら浮游している生き物を見て、普段人見知り満開の砦の魔女は狂喜乱舞している。
「何ドラゴンっていうんだっけ?頭に赤いラインが入ってるね。混血かな。ああ、カナン、見てみて、あの爪。大きいねえ」
大興奮のセシルが指差した爪というのは、牛でも一撃で倒してしまうであろう鍵爪で「大きいねえ」という感想よりは「怖いねえ」の方がしっくり来るな、とカナンは思った。
「セシル様、あれは岩場を縄張りとするドラゴンです。赤いラインは火を使う可能性がある種族ですから気を付けて下さい。それにしても、森を出たところで珍しいドラゴンに遭遇するなど、あってはならないドッキリですねえ」
偶然か、仕掛けられたものか。
「あれを砦で飼ってもお父様は怒らないかしら」
「え、ドラゴンを飼うんですか」
人間には無理だろう、とカナンの頬が引き攣る。遠く北の王国ではドランゴンを操り、空からの攻撃を仕掛けてくる部隊があるそうだが、夢物語として言われているくらいだ。実現するのは難しい。
「飼うとなると、物凄い食料が必要ですよ、多分。誰も飼ったことがないから知らないですけど、あんな大きな体を支える食糧となるとセシル様のお駄賃では足りないんじゃないですか」
「それじゃ、ドラゴンにも働いて貰えばいいでしょ?キュウちゃんってお名前はどうかしら」
既にセシルの中では飼うことになったらしい。
カナンはセシルの使者二匹がドラゴンの回りを飛んでいるのを目視し、方針を決めあぐねる。
「攻撃したらいけないってことになるんですか?」
仕方なく、カナンはセシルに指示を仰ぐ。
攻撃も何も、ドラゴン退治には専門の討伐隊が組まれ、その中には魔法使いも含まれるのだが、とにかくスキルの高い兵士が十人以上で相手をするのが普通なのだ。
見た目が子供の兵士と、魔法使いといえど全くの子供が二人で勝てる相手ではない。
現実逃避しちゃおうか、とカナンはセシルの動向を見守る。
「カナンはそこで見ててね」
セシルはモゴモゴと小さな口の中で呪文を唱えている。すると使者たちがドラゴンの回りに金色の何かを撒き始めた。それは空気のカーテンのようにドラゴンを隔離し、殺気立っていたドラゴンが静かになっていく。
「もうちょっと小さい方が良いよね」
セシルはまたモゴモゴと呪文を唱える。すると今度は白い煙幕がドラゴンの周りに現れ姿を隠してしまう。次の瞬間、ドラゴンは恐ろしい形相をしてこちらを威嚇していた姿ではなく、ウサギサイズの空飛ぶ生き物に成り変わった。
「あの、セシル様、それって禁術じゃないですよね?」
「うん。大丈夫。質量と魔力の一部を別の空間に閉じ込めてあるだけだから」
「へえ」
魔術のことなどカナンは聞いても分からない。
そもそも、魔法使いというのは杖を振って魔法をかける。しかし、セシルはモゴモゴ言う呪文だけ済ませてしまうし、訳のわからない理屈で大抵のことを片付けてしまう。
ダメなのは対人関係くらいだ。
「可愛いでしょ?キュウちゃん、君はご飯は何をどれくらい食べるの?」
前半はカナンに、後半はドラゴンに言っている。
ドラゴンはセシルの肩に留まり、欠伸をしている。
「そうなんだ」
欠伸しただけなのに、セシルはドラゴンと意思の疎通ができているらしい。
「カナン、キュウちゃんはね、果物が好きなんだって。あまり食べなくても大丈夫って。空中に溶け込んでいる魔力を食べているから、普通のご飯はそんなにいらないって」
「え、でもスナドラゴンは肉食ですよね」
砂漠に住むというドラゴンは人間も食べると聞く。
「そんな低俗なドラゴンのことは知らないって」
セシルの通訳にカナンは「へえ」と唸るくらいしかできない。
なにしろ相手は食物連鎖の一番上にいるであろうドラゴンだ。生態も不明、まさか意思の疎通が図れるとは思っても見なかった。
「あのセシル様。善は急げといいます。旦那様にすぐに使者を飛ばして飼育許可を取られては?」
ついでに報告も頼みます、とカナンが言えば、そうだね、とセシルが応じる。
使者のうちの一人を向かわせることにし、セシルはカナンは怯えて震え上がっていた馬車の業者を宥めて出発することにしたのだった。