2・王様からの命令です
砦の魔女は国境近くの深い森の奥の砦に常駐している。
そういう建前であるとは承知しているものの、石造の頑強な砦に来るのは気が進まない砦の魔女こと、セシルは父親の脇に抱えられながら、砦の最奥まで運ばれた。
途中、騎士や兵士に「久しぶりだな」と声をかけられたり、「大きくなったなあ」と頭を撫でられたりしたものの、足が地面に着地するまでセシルが仏頂面でいたことに気付いたものはいない。
大体そうなのだ。ここの皆は繊細な神経を持ち合わせていないのだ。
セシルはスカートの土埃を叩いて気持ちを切り替える。
「それで王様はどこに?」
セシルの言葉に父親が鍵のかかった扉を開けて、水鏡まで案内してくれる。
「準備はいいな?」
「いいも何も、会わなくて済むならその方がいいです」
ぶつぶつ文句を言い出すと父親は苦笑して水鏡を指差した。
水面に王冠を被った金髪の青年が写っている。その瞳はブルーグレイ。
「全て聴こえているよ、砦の魔女」
優しい口調の割に渋い声の主を前に、セシルは固まった。
しまった、と思うが時は戻せない。いや、本当は魔術で出来るが黙っておけと祖母に言われている。
「ご機嫌麗しく」
この後の挨拶文句はなんだっけ、とセシルは宙に目をやり考える。
「いいよ、似合わない挨拶は」
さすが王様、分かっている。
セシルは感謝の代わりににっこり微笑んだ。
「だいぶ人間らしくなってきたね」
どういう意味だ、とセシルの表情が険しくなる。
「いやいや、褒めているんだよ?」
本当か。
セシルは精神系の魔術は使えないので王様の言葉が嘘か誠かは分からない。
しかし、揶揄われているような気がしないでもない。
「ところで、砦の魔女よ」
「はい、陛下」
「そなたは不知火の魔法使いを知っているか」
不知火。海で灯りがちらほらするやつだ、と考えながらセシルは首を振った。
「私は海を見たことがありませんので」
「……」
王様の沈黙が何故か痛い。
答え方が不正解だった?と隣にいる父親を見上げる。
「あー、陛下、セシルは他の魔法使いや魔女のことは知りません、と言っております」
「なるほど」
王様は微笑んでいる。
「実は不知火の魔法使いが行方不明になってね。もしかすると隣国の攻撃にあったのではないか。そんな風な意見があってね。申し訳ないが君が調査を担当してくれないだろうか」
砦の魔女は暇を持て余している、とそんな風に王様の周りにいる家臣たちが思っているのは明白だった。
この森の砦は特別な魔法で守られている。そもそも国境に敵が近づけないようにセシルが魔法をかけているのだ。滅多なことでは戦闘にならない。
その上、この砦を守るのはセシルの父、辺境伯だ。自国他国ともに天翔る獅子という異名で通っているほどの戦士らしい。余程のことがない限り、この砦を通ってやって来ようという猛者はいないのである。
ぐぬぬ。
他所へ出かけるのが大嫌いなセシルに下された命令が、あろうことかお出かけ必須案件なのである。
了承せよ、というのがそもそも難題なのである。
黙っているセシルに王様は金の髪を揺らして首を傾げる。
「ご褒美に珍しいリュシカのパイを用意しようと思っていたのになあ」
「やります」
即答したセシルに王様は満足したように頷いた。
「よろしく頼む、砦の魔女」
こうしてセシルは大嫌いなお出かけ案件を引き受けたのだった。