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11 お嬢様と従者

 まだ明けきらぬ夜空を見上げて、カナンは周辺に人影がないか確認した。

 少し歩いて行くと待ち合わせの人物がいた。

「お嬢様は?」

 カナンの姿を認めた男が一番にそう尋ねる。

「まだ眠っておられる。まさか、こんな早朝に呼び出しを喰らうとは思っていなかった」

 不機嫌にカナンが抗議する。

 その様子は普段の少年らしさはなく、れっきとした大人の顔を見せている。


「悪かった。俺も忙しいんだ。この時間しか自由に動けなくてな」

 男は苦笑いをして胸ポケットからタバコを一本取り出して火をつけた。

「吸うか?」

 答えは聞かなくても分かっているが、礼儀として男は尋ねた。


 カナンはため息をついて首を振る。

「お前がタバコを吸っていた頃、俺は禁煙してたのになあ」

 懐かしそうに男が言った。

「遠い昔の話だろ」

 カナンは冷たくも見える横顔で呟いた。男はそんな彼の顔を見て吐息を一つついた。


「お前は本当に変わってしまったな」

「そうお前が思いたいだけだろう。俺は何一つ変わっていない」

「言い切ったな。大貴族のお嬢様の付き人なんて身分に収まるようなお前じゃないのに、どうしてこうなったんだ」

 男は紫煙を燻らせながら残念そうに言った。


「つまらん話を聞きに来たんじゃない。大事な用があるっていうからわざわざ出向いてやったんだ」

 カナンはその天使のような容貌に剣呑な雰囲気を忍ばせた。


「はいはい、揶揄うつもりはなかったんだよ。ただお前がいてくれればなっていう場面が多すぎて、ようやく実感したんだ。俺はお前が相棒じゃないとうまく戦えないらしいってことにさ」

「は?」

 思いっきり嫌そうな顔でカナンは男を睨む。


「そこで、だ。俺の元に戻ってこないか?副官に任命したい。近々、アイライナンの国境沿いで狼煙が上がる予定だ。できればお前を一緒に連れて行きたい」

 男は厳しい顔に似合わない懇願するような目でカナンに向き合う。

「あそこはカザン領だろ。お前が戦いに行くような場所じゃないはずだ」

「ああ、今まではな。今回は王のご意向がある。そこを一気に制圧して領土を広げるおつもりらしい」

「何だって……」


 不穏な情報にカナンの顔が強張る。

 そして何か考えるように俯くと黙り込んだ。

「ゆっくり考えろって訳にはいかないが、後悔のないように選んでくれ。俺はお前を待ってるぞ」

「……俺は行かない」


「まあ、そう言うだろうと思ったが、まずは考えてみてくれ。俺の隣で戦うのがお前の本来の居場所でもあるんだぞ。俺は諦めないからな。それじゃ、またな」

 男はヒラヒラと手を揺らしてカナンに別れを告げると立ち去った。

 カナンはその背中を見送りながら、立ち止まったままだ。

 そして明けゆく空を見上げる。


「カナンは行きたいの?」

 突如上がった少女の声にカナンの肩がこれ以上にないくらいビクッと揺れた。

「おっ、嬢様?」

 動揺の声で妙な呼びかけをしたカナンはセシルの姿を探した。


 歴戦錬磨の戦士を驚かせられる者は多くない。

 その彼にこれだけ動揺を与えられるセシルはある意味強者と言えるかもしれない。彼女は寝衣にショールを羽織っただけの姿で立っていた。いや、これは幻影である。本物はまだ宿の部屋にいて、この幻を放っている。


「起きてらしたのですか」

 あどけない少年の仮面をつけて、カナンはセシルに向き合う。

「うん。カナンが出ていくから起きちゃったんだよ。後をつけるのは面倒だったし、でも心配だから、ね?」

「そうですか」

 他人に興味のないセシルが心配だからと術とは言え彼に付いてきたことを喜ぶべきなのか、それとも立ち聞きしたことを諌めるべきなのか、彼は迷った。


「お嬢様は私がいなくなると寂しいですか」

 なぜそんな事を聞いているのかと自分でもおかしく思うが、カナンはセシルの幻影の前に立ち、その顔を見ているとどうしても寂しいと言わせたくなったのだ。


「寂しいっていうか……」

「いうか?」

「カナンがいなくなったら、誰が私の代わりに暗躍するの?誰が私のお菓子を調達してくるの?私のことを完璧に把握しているカナン以外に喋れる人いないし」

「……分かってましたけどね」

 カナンの若干残念そうな顔にセシルが不思議そうに顔を傾ける。


「でもね、カナンが本当にやりたい事をするのが一番だと分かってるし、応援するつもりはあるよ。だから、私が心配だとか言う理由でやりたいことを我慢しなくていいよって伝えたかったんだ。盗み聞きして悪かったけど」

 怒られないようにモジモジしながら言うセシルにカナンは微笑んだ。


「私の仕事はあなたの従者である事です。それ以外にやりたいことなんてありませんけどね」

 カナンは軽口を叩くように言って、安心させるように微笑んで見せる。

「お嬢様のお世話は正直骨が折れます。ですが、私以外に務まるとは思えませんしね。そうでしょう?普段は森で引き篭もり、じゃなかった、一人で暮らしておいでですからそんなに仕事はないし、こんな良い仕事取り上げられたら困りますからね。お嬢様、安心して私を側に置いても良いのですよ」


 恩着せがましい、とセシルの目がカナンに語っているが事実である。そう思うと、彼は本当にセシルのことをよく見ていると彼女は実感した。

 セシルは花が綻ぶように笑った。

「カナンのことは手放せないのが正直なところなの。良かった」

「いつもそのように素敵な笑顔で微笑まれていたら宜しいのに」

「え?もう一回言って」

 カナンの小声で言った言葉が聞き取れず、セシルは顔を近づけてカナンに迫る。


「聞き取れなかったのはお嬢様の努力不足です。私は同じ言葉はもう言いません」

「何それ」

「さあ、もうお部屋でぐっすり眠っていて下さい。私は適当に帰りますので」

「一緒に帰れば良いじゃない」

 セシルはいつものように手を差し出す。

 少しでも一緒にいたいとセシルが行動を起こしたと言うのに、カナンは駄目です、と首を横に振る。


「幻影とはいえ、下着姿のようなお嬢様と一緒にいるところを見られたら従者として恥ですからね」

「恥……」

 自分は恥なのかとセシルの顔に暗いものが落ちてくる。


「お嬢様、また誤解なさる。その姿がいけないと言っているのですよ。仮にもお嬢様は未婚の貴族の女性です。私は従者とは言え、男です。この意味が分かりますか」

 流石にその年齢でわかってくれないと困る、とカナンが内心思っていると彼女は真っ赤な顔になって頷いた。


 あれ?

 普段のセシルならば不貞腐れて意味が分からないとゴネているところだが、恥らって顔を背けているところを見ると意味は理解したらしい。


「分かったわ。部屋でもう一眠りしているから、良い時間になったら起こしてくれる?」

「承知しました」


 カナンの言葉とお辞儀を見届けてから、彼女の姿が消える。

 一瞬、朝日が煌めき彼女の姿をかき消したのかと彼は思った。

 不思議で引き篭もりで人見知りの彼の主人は、ちゃんと成長しているらしい。

 思わず微笑んで、彼は上機嫌で歩き出した。


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