10・異国の王子
金髪の男はライツ・サンドランドと名乗った。南西の砂漠の王国ランドランドの王子だと言う。
「連れ去られたのは私に仕えてくれている戦士だ。こちらでは騎士?いや侍女というのだったかな。幼馴染で容赦がないが、私のことを心の底から案じてくれる良い臣下なんだ」
彼は目の前に置かれたお茶の入ったカップを見つめながら訥々と話す。
セシルは新しく入れて貰ったお茶のカップにせっせと白い角砂糖と蜂蜜を垂れ流し込んで、ニンマリ笑いながらもちゃんと聴いている。
「私は王家に仇なすものに呪いをかけられた。私自身の存在が王国の滅亡を招くように、と」
悔しそうに彼は項垂れた。
「うん、とても興味深い術だった!」
嬉しそうにセシルが情報を付け足した。
「まさかこの世に呪いを解けるものがいようとは……」
感無量で言った王子にセシルは微笑んだ。
人見知りの彼女の笑顔は通常では見ることができない。それこそ、この王子のように厄介な呪いや魔術を施された者でなければ、彼女を喜ばせることができないのだ。食べ物以外を除いて。
だからこそ、ガベレージュもカナンも苦い顔で王子を見ている。
一度懐に入れた相手にはセシルは甘い。
人見知りの弊害だとカナンは思っているが。
「感謝しても感謝し足りない」
「それはいらないんだけど、早く国に帰らないとまずいことになるよ?魔法陣で送ってあげようか?」
「どう言うことだろうか」
「時間があれば私も助けてあげられるんだけど」
セシルの言葉に王子は戸惑った顔になる。
「先ほどから、あなたは時間がないというが、どういう意味だろうか」
「国の中枢の人が呪いをかけたみたいだから、呪い返しっていうのかな?それをしちゃったので、まずその人はアウトだよね?で、そのお仲間が焦って反乱を起こそうとしているみたいだよ?まとめて葬っちゃえば良かったね、ごめんね?」
人としての節度を知っているはずのセシルがタカを外すのは魔法が絡む時だ。彼女が人らしく生きること。セシルの父が望む唯一のことだ。その為の抑止力として、カナンが存在している。
「セシル様、ブランの実のご褒美を覚えていますか」
通常にない低い声でカナンがセシルに問う。
ハッとしてセシルは恐々彼を見つめる。
「私、ダメなやつだった?」
「ええ。人の命を無闇に奪わぬように、その教訓を覚えておいでのはずですね?」
「うん。ごめんなさい」
しょんぼり小さくなって、セシルは目と口を閉じた。
「ガベレージュ様、セシル様は今、反省期間中ですのでお話になれません。閣下がこの場を取り仕切って下さい」
カナンの言葉にガベレージュは吐息を一つついて頷いた。
「それではライツ王子。事は急を要するようですので、お国まで魔法で送り届けましょう。あなたの侍女はこちらで保護し、然るべき道を通して、お国へお返しいたします」
「しかし……」
戸惑った顔の王子はぎゅっと目を瞑っているセシルを見た。
セシルは片目を開けて、小さく頷いた。
「分かりました。お願いいたします。全てが片付いたら、必ずお礼に伺います。必ずです。今はお言葉に甘え、国へ帰らせて頂きます」
「そうなさるのが良い」
ガベレージュは立ち上がり、侍従に荷物を運ばせる。
「少ないが金品と武器を用意しましたお役に立てればよろしいが。それと、援軍を」
「援軍?」
「我が国の王からの贈り物です」
「なんと」
ガベレージュが手を挙げると、魔法騎士団の精鋭たちが現れる。
「一緒にお送りしましょう。さあ、魔法陣を用意するので心の準備を」
「ありがとう。本当に感謝する」
王子は涙ぐんでそう言った。
ガベレージュが宙に光り輝く魔法陣を組み込んでいく。
「光の中心へ立ってください。良い旅を」
王子と魔法騎士団を魔法陣の中に立たせると、ガベレージュは口の中で呪文を唱え、いつの間にか持っていた長い杖を振った。
その瞬間、強烈な光の渦が生まれ、魔法陣が発動する。
光と共に彼らは消えた。
「ふう」
流石に強力な魔法を使った後なのでガベレージュが、その精悍な顔に似合わない疲労に満ちた影を帯びて吐息をついた。今の状態を王城のご婦人方が見たら卒倒するほど麗しいって言うんだろうな、とカナンは違う意味でため息をこぼした。
「ガッべ様」
キラキラした目でセシルが婚約者を見つめている。それに気が付いて、ガベレージュが笑顔を見せる。
「愛しの婚約者殿、私の技がいかがでしたか」
「最高です!」
高位の魔法が大好物のセシルが常にない熱い瞳で見つめるものだから、彼も満更ではない。
「あなたの、その可愛らしい瞳に私が映っていると思うと興奮しますね」
鳥肌ものの言葉にカナンの顎が外れそうだ。
しかしセシルは羨望に満ちた瞳を崩さない。
「ガッべ様の魔法陣の素晴らしさは言葉を尽くしてもその美しさに追いつかないくらいです。この目で間近に見ることができて、とっても幸せです」
いつも言葉たらずのセシルの早口にカナンが瞠目している。しかし、ここは従者としての使命をまっとうせねばならない。カナンはカッと目に力を入れた。間違ってもセシルを、このお色気貴族の餌食にさせてはならないのだと力強く拳を握る。
「セシル様、ブランの実のご褒美が必要ですね?」
「……う」
セシルは口を閉じ、修行僧のように何かに耐えるかのように目を閉じる。
「あなたの賛美を浴びたいところですが、私も仕事があります。今回は見逃してあげましょう」
ガベレージュはそう言って、ふわりと宙に浮かぶと消えた。
その途端、カナンは脱力した。まさかここで強敵に会うことになるとは思わず、ひどい緊張を強いられたのだ。
良い意味でも悪い意味でも、ガベレージュはセシルに影響を与えてしまうのだ。
今のセシルは真っ白な画布で、あの男に染められるわけには行かなかったのだとカナンの決意が試された一件だった。
「ねえ、カナン」
目を閉じたままセシルが口を開く。
「話しても良いのですか」
「うーん、あのね、私」
言葉を止めたセシルを怪訝そうにカナンが見る。
「なんですか」
「……ま、いいや。また心の整理がついたら話すね」
「はぁ。今話しても後で話しても変わらない内容なら今お話し頂いた方が俺のためですけど」
「そう、なんだろうけど。やっぱりいいや」
「?」
カナンはセシルが目を開けていないのを良いことに、ジロジロと彼女を観察する。
「あ、分かりました。お腹が空いたのですね?行きましょう、レストランに。海老は届けさせていますから」
「……私がよっぽど食べ物で釣られるとカナンは思っているんだね」
「違うのですか」
「違わないけど」
とうとう目を開けたセシルは、ばっちりカナンと目が合ってドキマギして瞬きした。
「セシル様、空腹は思考の妨げになります。お腹いっぱいになりましょうね」
彼が彼女に手を差し出す。
その手を自然に取って、彼女は微笑む。
温かい彼の右手は彼の見かけによらずゴツゴツしていて、がっしりしているのだ。それを知っている自分が、とても幸福なような気がしたセシルなのだった。




