第1話 私の体さようなら
すでに第1部は執筆済み。平日夜に更新予定。
本日は夜にもう1話分投稿します。
「――やはりどう考えてもそうじゃないか?」
「いや、そんなわけ――」
「でも――がどこにも居ないのだから、そういうことでしょ?」
「服だってそのまま――」
「だからって――」
「――あなただって――」
……なんだ?
少し痛む頭の片隅で誰かの話し声が聞こえ、意識が浮上していく。
徐々に脳が覚醒していき、今の状況を把握する必要性を感じとる。
まずは目を閉じたまま辺りの様子を探れば、全身に当たる固い感触には覚えがある。
どうやら私はフローリングにうつ伏せで転がっている状態のようだ。
私はいつ床に転がったのだろう?
まったくもって身に覚えがない。
「……ぅ」
起き上がろうと体に力を入れるが、頭だけでなく体にも少しだけ痛みを感じる。
ただこのままずっと床に転がっているわけにもいかない。
気合を入れて目を開き、体を起こす。
光と共に自分の髪と手が視界に入り込む。
白い髪がさらりと流れ、床についた手は骨ばっており、指はすらりと長い。
「………………はぁ?」
これは誰の髪と手だろうか?
手を動かし、髪に触れる。
伝わる感覚から、どう考えてもこれは私の髪と手だと判断せざるを得ない。
私の、ちょっとだけぱさついた黒髪は?
ちょっと、ほんのちょっと。
そう、ちょっとだけぽっちゃりとした手はどこにいってしまったのだろうか。
混乱しつつも全身に意識をめぐらせれば驚愕の事実が判明する。
うつ伏せに倒れていたというのに痛くない胸、いつもと違う股間の感覚。
如月圭子、17歳。
どうやら私は気を失っている間に女から男へと性転換したらしい。
あまりのことに床に座った状態で己の体を見下ろしていると、おずおずと私に向かって声が投げかけられた。
「圭子……なのか?」
「――あに……き? は? 誰……」
声をかけられた瞬間、兄から声を掛けられたと思った。
しかし声がした方向へ顔を向ければ、そこには見知らぬ人が立っていた。
いや、見知らぬ人という表現はおかしいのかもしれない。
なぜならば目に入った人物の肌は青紫色だし、白目は黒く、瞳は金色をしているのだ。
どう見ても人ではない。
「あーその口調に態度。マジで圭子かよ……何がどうなってんのか知らねぇけど、とりあえずムカつくな」
「はぁ? 不審者野郎にいきなり罵られる筋合いはないんだが?」
「他所様だと思ってる相手に対する態度じゃねぇわ! てめーの兄貴だよ!」
お前の兄だと自己申告してきた男の顔をまじまじと観察してみる。
確かに色は違うが、顔の造形は兄である如月隼也そのものだし、服も今日着ていたものだった気がする。
そもそも意識を失う前に何をしていたのだったかと思い返してみる。
今日は土曜日で学校は無し。
家族全員が家におり、母が作ってくれた昼ごはんを食べていた。
そして食事が終わった後、私はそのまま椅子に座りスマホをいじっていたはずだ。
すぐ横にある食卓へ目を向ければ、食べ終えた食器などがそのままになっている。
椅子と自らの位置関係を見れば、おそらく椅子から床に倒れ込んだようである。
「……で?」
一体何がどうなってるというのか。
「で? じゃねーよ。お前の変わりざまが一番意味わかんねぇんだわ。妹が弟になっ……いや、ちょっとお前が弟とかまじで無理。その顔で兄貴って言われんの本気で無理だわ」
「頭の悪い感じで無理だ無理だと言われてもさ……兄貴を名前で呼べって?」
17年間妹として生きてきた私的に、兄を名前で呼ぶとかそれこそ無理だろうと思う。
しかしなぜいきなりラノベのようなことになっているのだろう。
自分だけでなく兄もおかしなことになって混乱しているのを見るに、平行世界に迷い込んだなどではないのだろう。
うちだけ? 日本全土? それともまさか世界規模?
私が思考にふけっていると、兄の後ろからひょっこり顔を出した2つの影が目に入る。
それは困ったように眉を下げる中年の男性と、それとは真逆にどこか嬉しそうな表情をする中年の女性。
それはつい先程まで顔を合わせていた私の両親そのものであった。
「父さん、母さん……。二人はいつも通りみたいだけど……母さんなんでそんな嬉しそうなの」
「あぁ、うむ……お母さん、流石に不謹慎だと思うぞ」
「あらぁ、あらぁ。だってねぇお父さん。圭子、あなた……顔面の破壊力がすごいわぁ。その顔で母さんって呼ばれるの、たまらないじゃないの」
「……はぁ?」
目が冷めてからまだ5分も経ってないと思うのだが、与えられる情報が多すぎて理解が追いつかない。
顔面の破壊力ってなんなんだ。
「圭子、とりあえず洗面所へ行って鏡見てきなさいな」
「……わかった」
ひとまず17年間ともにした自分の体からおさらばしたこと自体は飲み込めている。
しかし自分の容姿に関してはほぼわかっていないのだから大人しく言われたとおりに鏡のある洗面所へと向かえば――。
「なんだこのイケメンー!?!?!」
そこには二次元ですらお目にかかれないような美丈夫が、あんぐりと口を開けてこちらを見つめ返していた。
いや、いやいやいや?
自分のものと思われる体を鏡越しにじっくりと見つめる。
肩口まで伸びる白い髪はサラサラと、癖などが一切つかないような柔らかな手触り。
手は骨ばった男のものではあるが、すらりと伸びる指は綺麗だ。
白く長いまつ毛は紫色の瞳を際立たせている。
体を直に見下ろし服をめくって腹を見れば、しっかりとしたシックスパックが目に入る。
認めよう、元の体はぽっちゃりだった。
さいわい辛い経験はないが、それこそ体型によっていじめられる可能性があるぐらいには。
私の懐かしぽっちゃりボディはいずこへ?
ふと思えば声に関してはあまり気にならない。
自分で聞く声と、他人が聞く声で差はあるかもれないがあまり変わらないような?
元々が低めの声だったこともある。
自分で思うには今の声は、元の体の寝起きぐらいかなといった感じ方だ。
女の時も寝起きで家の電話にでると男と間違われる声の低さであったので別にいいのだが、すこしがっかりした。
どうせなら面と一緒に声もイケボへと変革を遂げて欲しかった気がする。
鏡を見つめて呆然としていると、急に廊下に続く扉が開かれる。
「おい、圭子。おら」
ノックもなしに入ってきたのは兄である。
今は男の体なのだからそういった配慮はいらないのかもしれない。
しかし私は急に見慣れない色合いの人物が現れ、若干飛び上がるぐらいに驚いてしまったものだから許せない。
ノックぐらいしろと文句をつけようと思ったが、口を開く前に兄から何かを押し付けられた。
「なに……服?」
「俺のな。お袋が俺の服貸してやれってうるせぇから。親父のでもいいじゃねぇかって言っても聞きゃしねぇ」
言われてみれば今着ている服は元のままの女物だ。
幅のサイズ感はあまり問題ないが丈が足りてなかったり、生地が余る部分があったりしている。
「喜べ。パンツは買い置きしてた新品だ。女物のパンツはいてる変態野郎からは脱出できるぜ」
「……ぅわぁ」
思わずズボンのウエストを引っ張って下着を確認してしまった。
見てはいけないものを見てしまった罪悪感がすごい。
思えば胸もパーカーの上から、なんとなく下着のカップがわかる感じでイケメンなことを除けば変態っぽい状況だ。
あんまりにも自分の体が変化していて、そちらに気を取られていたせいか服装にまで気が回らなかった。
「これはまじで感謝しかない。ありがとう兄貴」
おとなしく差し出された服を受け取る。
ちなみに男の裸ごときできゃあきゃあ言うことなどはない。
兄は一向に出ていく気配がないのでそのまま黙々と着替えた。
男の体となった私の着替えをガン見しながら、お前の体すご、とか抜かしてくる兄は気持ち悪いと思いました。