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斜陽を背に  作者: 遠山千佳
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ページ 9


   ◇


『――ァ……アリア』


 はっと目が覚めた。


「ハイ、ナンデショウ」


 いつからだろう。気付いたら眠っていた。首輪からの声に慌てて返事をして隣を見れば、


「っ!」


 リオの姿がない。

 心臓が破裂しそうなほど脈を打ち、下を覗いたところではっと我に返る。


 エッセ・ウーナだなんて懐かしい。もう二十五年は前だろうか。

 いまになってあの頃の記憶を夢に見るとは思いもよらなかった。大きな木のいちばん上の枝に腰掛けて眠っていたから、状況としてはよく似ている。火事を機に閉鎖したエッセの大樹でもなければ、長年お世話になったエリオス家のツリーでもないけれど。


 あれからリオが両親に上手いこと口をきいてくれたおかげで、二人で足しげく図書館へ通うことができた。気を遣って私が読みたい本も読ませてくれたことは、いまでも昨日のことのように思い出せる。その時はリオがうたた寝をしていたけれど、落ちやしないか気が気ではなくて読書どころではなかった。


『ちょっと、大丈夫!? 急にカタコトになるし悲鳴みたいな声出すし』

「ごめんなさい、なんでもないの。気にしないで」

『……ならいいけど』


 首輪から聞こえる牧場長の声に応答して、名残り惜しさに小さく息を吐いた。


「歳のせいかな」


 人間は事ある毎に心身の不調を歳のせいにする。現実から目を逸らしたいからだとか冷静に原因を分析するのが面倒だからとか、明確な理由があってそう言っているわけではないのかもしれない。

 半ば口癖のように言ってしまう気持ちが、いまは何となくわかる気がする。


『え? 何か言った?』

「いいえ。それで、こんな老体に何の用件かしら」


 こうしてリオ以外の人間を相手にまともに話せる日が来るだなんて、当時の私は思いもしなかった。あるとしても生きているうちには来るはずがないと、確信にも似た気持ちで思っていたのに。


 とある人物の尽力によって、私のように人並みの知能を持つ鳥人の存在は世間に認められ、虐げられることも無くなった。それを成し遂げた人物は小さな頃から勤勉で、飛び級で大学を出る頃には法学や社会学、生物学に至るまであらゆる分野に精通していた。知識や思考力もさることながら、人望の厚さもまた常人離れしていたことはよく知られている。

 いつか教科書に載ってもおかしくないその人物は、私もよく知っている人だ。


『お客さんだよ。ツリーハウスの近くに通してるから』


 それだけ言うや、来客の用件も言わずに牧場長は通話を切る。

 エリオスもそうだったけれど、家族経営の牧場の長というのは随分と忙しいらしい。それを知っているからわざわざ確認のために通話を折り返すことはしなかった。


 顔合わせの前にうたた寝で固まった身体をほぐす。年々寝起きの身体の重さが増しているようで、歳だと言うのも冗談では済まなくなってきた。人間の年齢からすればまだ働き盛りではあるけれど、鳥人としては紛れもなく老体になる。

 人間のように職を退くのに明確な定年はないけれど、平均寿命から換算すると私もそれぐらいの歳だ。


「おばあちゃんどうしたの?」


 どこからかイーラが飛んできて私の隣にちょこんと座る。このツリーハウスで最年少のイーラを見ていると、あの頃のリオが重なって夢見心地に引き戻されかける。顔はおろか年齢も性別も、種族さえも違うというのに。

 今日はどうやら、感傷に浸りたい気分の日らしい。


「私にお客さんが来たらしくてね。何の用かもわからないけれど、ちょっと話してくるよ」

「ええ! だれだれ新しい鳥人さん? それともおばあちゃんの知り合い? ついていっていい?」

「さあねえ。怖い人かもしれない」


 冗談のつもりも脅したつもりもない。

 リオが私の、いや、私たちのようなはぐれものを守る社会の基盤を作ってくれたけれど、未だに良く思わない人が一定数いるのも事実だ。いつかのように石を投げられることはないけれど、差別的な視線や言葉が刺さることは少なくない。格段に生きやすくなったとは言え、はぐれものであることには変わらないのだ。

 それを自覚する必要があるからとあんな言い方をしたはいいものの、興味津々だったイーラの顔色がほんのりと白んでいて悪いことをした気分になった。


「怖がらせてごめんよ。気になるなら少し離れたところで見ていてね」


 笑顔で諭すとイーラはほっとしたように頷いた。

 こうした些細なやり取りの中で、改めてリオという存在が特別だったことを思い知る。小さかったリオが社会の有りようを変えてくれたというのに、未だに昔のことを引き合いに出してしまう自分が少し情けない。いまに順応できていないのは紛れもなく私の怠慢だ。


 はぐれものを集めたこの牧場は設立から五年が経つけれど、いまでも取材の人がやって来ることはある。新たな同族がやってくることも稀にある。いずれの客も、牧場長に良しと判断されれば私まで通されることになっていた。


 何故なら私が、このツリーの長でもあるからだ。


 肉体労働の第一線から退いた代わりに、ツリーでのあらゆる責任は私が負うことになっている。それは五年前、世間が私たちを認める上で課した条件の一つでもあった。

 端的に言えば自分たちの言動には自分たちで責任を持てというごく当たり前の話で、責任の所在が明確化されただけのこと。それで収まったのはあらゆる手を尽くしてくれたリオの手腕に他ならないと私は思っている。


 イーラを横目に枝を離れ、ツリーの足元へゆるりと宙を滑る。来客はグレーのスーツを着ていたからすぐ目に付いた。


「お待たせしてすみません」


 地面に降り立ちスーツの人と正面から向き合う。

 ああ。今日はやっぱり、そういう日だったのか。


「久しぶり」


 顔立ちが一段と大人びたリオが目の前に立っていた。


「久しぶりですね」

「あれ、敬語だなんてよそよそしいなあ。五年も会わないともう赤の他人ってこと?」


 そう言ってリオは屈託のない笑みを見せる。ミノアの面影を感じるのはいまでも変わらない。


「ふふ。少し昔のことを思い出して」

「昔?」

「そう。リオがまだうんと小さい頃のこと……」


 いまでこそ誰とでも他愛のない話ができるようになったけれど、やっぱりリオとの対話は特別だ。

 かけがえのなかった居心地の良さがいまも変わらずあることに、私は何よりもほっとした。


 五年。私たちがありのままでいるのを許されるようになってから経過した時間。

 私がエリオスの牧場を離れてからの時間でもあり、リオの告白を拒否してからの時間でもある。


「……それで、やっぱり気持ちは変わらない?」

「生憎だけれどいまも同じ考えなの。ごめんね、せっかく約束通りに会いに来てくれたのに」

「そっか……でも、覚えていてくれたんだね」


 五年。変化した環境の中で私の考え方が変わるかどうか、それをリオは待ってくれていた。その間に連絡の一つも取らなかったのが誠実なリオらしい。

 そんなできた人に良い返事の一つもできないのが申し訳なく思えるけれど、こればかりは五年をかけても譲れなかった。


 リオが嫌いなわけじゃない。他に好きな相手がいるわけでもない。

 ただ私が、自分は誰とも結ばれないと決めているだけのこと。

 相手が人間であろうと鳥人であろうと関係はなくて、子供を授かる授からないに関わらずそうと決めている。


 なぜならそれが、私が私である証であり、私が生きる意味だと信じているから。


「うん。リオが大事な人なのには変わりないから」


 いまの私はどんな表情をしているだろう。

 理知的に感情を処理できれば想像もつくだろうに、あらゆる感情が胸に押し寄せてとてもひと言では片付けられない。


 ただ一つわかるのは、満たされているということ。


「「ありがとう」」


 かけがえのない時間は止まることなく流れていく。

 だけどこれは終わりではなく、始まりでもない。


 不完全で想像もつかないこの世界で、私たちは生きていくのだから。

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