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斜陽を背に  作者: 遠山千佳
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ページ 4

「リオはミノア似ですね」


 いまではこうして、ありのまま話すことができる。リオが人間と鳥人のハーフである私を受け入れ、その立場の危うさを理解し、秘密にしてくれているおかげで。


「お母さんに?」

「はい。笑った顔がそっくりでした。特にこのつぶらな目と、ほっぺたの上がり方が」

「ふうん。そうなんだ」


 自分の頬を手でつまんで、リオは思い巡らすように上へと視線を向ける。鏡で見る自分の姿を思い浮かべているのだろうか。わからないけれど、ただそうしているのが微笑ましい。 

 言葉、表情、気持ち。普段は押し込めている色々なものも、この時ばかりはさらけ出せる。

 鳥人と人間のどちらにも見せられなかった、言わば本来の自分。それを表に出せることの喜びを、十二歳になってようやく噛み締められるようになった。それも幼いからと見くびっていたリオのおかげで。


「えへへ。そっかあ」


 リオがわかりやすく口角を持ち上げ、満面の笑みを見せてくれる。 


「嬉しそうですね」

「うれしいよ! お母さんのこと好きだもん!」


 好きなものと似ているから、嬉しい。まっすぐなリオの言葉から想起する理論は子供っぽいけれど、憧れる存在に近付いて喜ぶのは大人も同じだ。そう考えると的を外した言葉でもない。


「じゃあエリオスは?」

「もちろんお父さんも好き。でもちょっとだけ、お母さんの方が好きなんだ」

「どうして?」


 答えはすぐには返ってこなかった。朗らかに話していたリオの表情が、まるで時間が止まったかのように動かなくなる。

 どうして。リオはその言葉に敏感だった。

 表情が固まるのは「どうして」に対する答えを探す時の癖だ。思考に集中し、自分が納得する理由を探すために。


「お母さんは、」


 やがて止まっていたリオの時間が動き出す。


「お母さんの方が……声とか、顔とかがやわらかくて、きれいで、そういうところが好き」


 たどたどしくも、こうして言葉を選べるリオはきっと賢い。つい先刻出くわした彼のようにはならないだろうと思うと、親でもないのに安心する自分がいた。


「私も、ミノアは素敵な人だと思います」


 親の気持ちとはこういうものだろうか。ふとそんなことを考えたけれど、不毛だからそれ以上はやめた。

 親だからといってひと通りの考え方しかないわけでもないし、この先の人生で私が親になることもない。憶測や理解はできても自分の気持ちには落とし込むことはできないのだ。


「アリアはお父さんとお母さん、どっちに似てるの?」

「私?」 


 何の不自然もない、浮かんで然るべき疑問だった。思えば両親については、父が人間で母が鳥人だという情報ぐらいしか伝えた記憶がない。


「私は……」


 いまさら両親のことを思い返して嫌な気持ちになったりはしない。だけど話せばリオに悲しい思いをさせてしまうかもしれないし、軽蔑されてしまうかもしれない。


 どこから話すべきか。


 どこまで話すべきか。


 そんな風につと立ち止まって考えるのは、もはや癖みたいなものだ。答えなんて最初から決まっているのに。


「わかりません」


 素の私を見せられるたった一人の相手にまで、自分を偽ることはしない。


「一歳まで育ててくれた母さんの顔は覚えていません。父さんの方は、顔どころか名前すらもわからない」


 眼下に広がる街の景色に向かって、半ば独り言のように吐き出した。まぶたの裏に知らない両親の姿を思い浮かべたかったわけではない。

 ただ隣にいるリオの反応をうかがうのが少しだけ怖くて、目線を逃がしただけ。


「かなしくないの?」


 わずかに萎縮した声が耳に届く。

 思わず首を捻って、申し訳なさそうにするリオにそっと笑いかけた。


「悲しくないですよ。だからリオはそんな顔しないで。怒ったりしないし、泣いたりもしませんから」


 小さいながら人の気持ちを汲み取ろうとしてくれるのはいつものことだった。生まれ持った優しさに違いない。ただ、気にし過ぎるあまり自分の首を締めてしまわないかと時おり不安になる。

 優しい人に優しい世界であればいいけれど、私たちの世界はそう上手くできていない。それに、優しさが思いがけず人を傷付けることだってあるから。


「ありがとうございます。かなしいねって決めつけないで、訊ねてくれて。気持ちを押し付けられる方が嫌なので」


 私が親の気持ちになれないのと同じように。

 他人が私の気持ちになれるはずもない。たとえどれだけ互いの秘密を知っていようとも。


 だから分かった気になって踏み込まれなかったことにはいたく安心した。下手に同情なんてされていたら、大人げなく苛立っていたかもしれない。


「顔もわからない両親に対して、好きも嫌いもありません。会いたいとも思わなければ興味もない」


 強いて言うなら愚かだと思う。一時の気の迷いに身を任せた両親の、そのどちらも。

 けれどもそこまで口にする必要はないと思った。少なくともいまは。


「だからどっちに似てるかなんて考えたこともありませんでした。どっちに似てても、きっと嬉しいとは思えないですし」


 つっけんどんな言い方をせず、もう少し気の利いた表現をすることもできた。そうしなかったのは、口にすることで改めて自分の気持ちを確かめるため。

 どうせオブラートに包んだってリオには看破されるのだ。それなら胸を借りるつもりで、自らの本心を暴ける方が得だと思った。

 そんな思いで吐き出したささやかな毒。そこには後腐れも、後ろ髪引かれるような思いもない。


 隣を見れば、リオはまたぽかんとした顔で止まっている。

 私の答えを自分なりに噛み砕こうとしいているのだろう。親に抱く感覚が真っ向から対立しているけれど、果たしてそれを乗り越えることができるのだろうか。それとも理解することを諦めてしまうのだろうか。

 どう転ぼうと私は気にしないけれど、ただリオの導く結論には興味があった。


 山際に夕陽が沈みゆく。街は冷たく青みがかり、代わりに家の灯りがぽつぽつと主張を始める。

 憩いの時間もじきにおしまいだろうかと、そっと自分の首輪をさすろうとしたとき。


「じゃあ、アリアはアリアだね」


 思わず固まった。想像もしない言葉だった。

 どんな気持ちで、どんな意図でそう言ったのか。そんな野暮なことは聞けるはずもなく、私は黙って頷く。

 それからミノアの呼び出しがかかるまでの短いあいだ、私たちは言葉を交わすこともなく、ただじっと暮れていく景色を眺めていた。

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