第9話 僕は君と友だちになりたかった
…… 外に出て、一体何分経過したのだろうか。
数秒か、はたまた一時間か、もしかしたら一日か……。
家族がいない間に、クフリートは家を抜け出した。
別に家出というわけではない。外に出たかった……ただそれだけの理由だった。
病弱で、歩くのも精一杯で。けれど、不思議と最近はそれも治ってきて、今なら行けると思ったのだ。
外にはどんな景色が広がっているのだろう?
どんなモンスターがいて、どんな人が暮らしているのだろう?
そんな疑問がひしひしと浮かんできたからか、クフリートの足は止まらなかった。
「……びょうきがなんだ。ぼくは、そとにでたいんだ。そとにでて、ゆめを……ゆめを、かなえるんだ!」
クフリートは毎日毎日夢を見ていた。妄想が現実になると、信じて疑わなかった。
でも、毎日毎日その夢に、妄想に裏切られる。
そんな中、クフリートは絵本を読んでいた。
その絵本は『こんこ様』と言うシンプルなタイトルだった。
その絵本を見たクフリートは、こんこ様に会ってみたかったのだ。
ーーこんこさま……おにーちゃんもだいすきなこんこさま。……ぼく、このモンスターさんにあいたいな。おともだちになりたいな。
こんこ様は言い伝えだ。もしかしたらおとぎ話なのかもしれない。
けれど、この胸の高鳴りを抑えられなかった。
クフリートは外に出て、こんこ様と友だちになりたかったのだ。
……でも、それももう今となっては夢物語だ
小石に躓いて転倒し、足をくじいてしまった。
例えいつもより体調が良くても、歩くことすら苦戦するクフリートにとって、雪山は危険だった。
ふと、後ろを見ると、そこには村の家々が見える。
助けを呼べば、きっとすぐに駆けつけてくれる。
……でも、クフリートは諦めきれなかった。
ここまで来て引き返す。それは、妄想は、夢は、現実にならないと決めつけているようなものだった。
何より、クフリートはこんこ様に会いたかった。
友だちは無理でも、せめてその姿を見たかった。
「こん、こ……さま」
寒さは感じないはずなのに、口は思うように動かない。
どれだけ足掻いても、足は動きやしない。
「ぼく、は……こんこ……さまと、おとも、だちに……」
何故なのだろう。何故、クフリートの見たい物は叶えられないのだろう。
妄想くらい、見たっていいじゃないか。
夢くらい、叶えてもいいじゃないか。
「あぅ……こんこ、さま」
「こん!」
「…………え?」
今、声が聞こえた。こんこん、こんこんと、可愛らしい声がした。
「……だから、なん、だよ……」
どうせこんこ様ではない。叶えられないのなら、現実ばかり見ればいいじゃないか。
「こん! こんこん!」
ふと、森の方へ視線を向ければ、そこには一匹の真っ白な狐がいた。
その姿に、クフリートは目を丸くした。
こんこ様の体毛は白く、体長は小柄。大人になってもほぼ背丈は変わらないという。
瞳の色はそれぞれで、中には時間によって変わる面白いこんこ様もいると言う。
「こん、こさま、なの?」
白狐ーーこんこ様は懸命に走ると、クフリートを覗き込んだ。
「あおい、ひとみ……」
こんこ様はクフリートの頬をぺろぺろと舐めた。
くすぐったいような、気持ちいいような、変な感覚だ。
「もし……もしこんこさま、なら……ぼくのおねがい、きいてくれる?」
「こん!」
「……ぼくは、きみと……きみとおとも、だちになりたいんだ」
その後、こんこ様がどう答えたのか、クフリートは憶えていない。
ただ、これだけは憶えていた。
こんこ様は言い伝えだ。この国を救った偉大なモンスターだ。
そのためかある本には、敬意を払うためにも、もしもこんこ様に会ったとしても触れてはいけないと書かれていた。
意味はよく分からないが、要するにこんこ様には触れるな、ということだろう。
けれど、クフリートはこんこ様に触れてみたかった。
ーーだれかにふれてもらえないって、とてもかなしいことだから……。
「こん?」
クフリートはこんこ様を細い腕で優しく抱きしめる。
その時、こんこ様は一体何を思ったのだろう。
クフリートは意識が途絶える前に、そんなことを思ったのだった。
ーーほんと、なんで忘れてたのかな。
いくら具合が悪かったとは言え、こんなにも大切なことを忘れていたなんて、とクフリートは呆れた。
「また静かに……クフリート、本当に大丈夫ですか?」
「あ、うん。……僕なりに答えは出たから」
「そ、そうか?」
いまいち分かっていないリューノモを置いて、クフリートはナナに言った。
「ナナ、もう一度こんこ様を起こすことって出来る?」
「えぇ、すぐに起きると思いますよ」
ナナがそう言った直後、こんこ様はゆっくりと起き上がって、大きな欠伸を漏らした。
その青い瞳は、間違いなく、あの時に会ったこんこ様と同じだった。
クフリートはベッドから出て、枕にちょこんと座るこんこ様に、目線を合わせるように床に床に座った。
ーー僕は、あの時の記憶を忘れてて……。だから、現実しか見なくなって。
きっかけはきっとこんこ様と出会ったあの日だった。
クフリートが目を覚ますと、そこが自分の部屋だったから、ただの夢だと勘違いしたのだ。
本当は、こんこ様がわざわざ家まで運んでくれたのだが、今よりもっと幼い頃のクフリートには、そんな考えなどなかった。
「こんこ様、あの日は助けてくれてありがとう。おかげで僕は、こうして生きてる」
「……こん!」
こんこ様は、あの日のことを憶えているのだろうか。
いや、憶えていなかったら、そもそもクフリートの所に来なかっただろう。
「僕、こんこ様に会いたかった。友だちになりたかった。吹雪がなくなったら帰るって聞いて、その……とても悲しかった」
憧れのこんこ様に会えたのに、今もこんこ様を知ることができていない。
妄想が現実になったのに、未だに少しだけ信じていない。
……このままの気持ちで別れるのは嫌だ。
クフリートは両手を広げると、頬を薄く染めて、こんこ様を見た。
「おいで、こんこ様」
「こん? ……こん!」
こんこ様はナナをチラチラ見てから、深く頷くと、クフリートの胸に飛び込んでくる。
クフリートは優しく抱きしめると、こんこ様のふさふさな身体を撫でた。
雪のようにふわふわしていて、でも、冷たいとは感じない。
それは、クフリートがヒトの体温を感じないのもあるかもしれないが、不思議と温かいんだろうな、と思ってしまう。
「温もりはわかんない。でも、きっと君は温かいんだろうね」
「こん!」
「君がいつか帰るまで、僕と仲良くしてほしいんだけど……駄目かな?」
こんこ様はクフリートの胸から飛び出して、頭に飛び乗る。
それが答えなのだと、クフリートは察した。
「短い間だけど……その、よろしくね」
「こん! こん!」
吹雪は時に短く、時に長い。
いつものクフリートなら、窓の外が見えないからと、さっさと終わってほしいと思うのだが、今はどうやら違うようである。
こんこ様はクフリートの頭から飛び降りて、枕の上へちょこんと立つ。
そして、思いっきり息を吸うと、天井に吐き出した。
いっしゅん何をしているのだろうと首を傾げていたクフリートたちだったが……。
「な、なんだこれ……」
「あら、雪じゃない」
「……えぇ、そうですね」
雪はゆっくり、ゆっくりと落ちていき、床に消えていく。
しかし、何故か床は濡れていたり、積もっていたりしなかった。
「これも、こんこ様の力なんだね」
「こん!」
こんこ様は嬉しそうに鳴くと、もう一度、息を吐き出した。
「今日は……とてもいい日になりそうだよ、こんこ様」
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