第8話 この気持ちはなんだろう
ーー今、なんて……。
クフリートとて、こんこ様がいつか住処に戻らなければならないことくらい分かっていた。
しかし、その『いつ』なのか、クフリートは全く知らなかった。
ーーいや、読んだことはあるはず。それに、憶えている。
こんこ様に関する本は、幼い頃に何度か読んだことがある。
最初こそ憧れていたが、いつしか現実ばかり見るようになったせいで読まなくなってしまった。
ーーあぁ、でもいいじゃん、別に。
こんこ様がいなくなった所でなんだと言うのだ。
大体、こんこ様は何をやりたいのかよく分からないし、粉雪のせいで床は汚れるし、家族には迷惑をかけるし、勝手にベッドに潜ってくるし、うるさいし……。
目が覚めて勝手にいなくなっても、別に悲しくならない。むしろせいせいする。
ーーそれに、こんこ様は……おとぎ、話……。
「……リート! クフリート! クフリート!」
「……え?」
考え事に夢中になっていたからだろうか。急に無言になったクフリートの顔を、ナナは心配そうに覗き込む。
「あ、うん。……なに?」
「それはこっちのセリフですよ。あんなに楽しそうな顔をしていたのに、急に静かになったらこんこ様も心配してしまいますよ?」
こんこ様を見ると、粉雪で遊ぶのをやめて、きょとんと首を傾げてクフリートを見ていた。
「…………」
ーーこの吹雪が終わったら、か。
「また静かに……もしかして体調が悪いですか? すみません、気づいていなくて……」
「こん……」
「あ、ううん。別に。身体は平気だよ」
「…………」
ナナは疑わしげに目尻を下げた。
「こう見えて、私は立派な治癒術師です。確かに二年前から始めましたが、沢山の患者と関わってきました。なので、私の目は誤魔化せません。話してください」
「…………」
そう言われても、隣にはこんこ様がいる。そもそも、クフリート自身も、何に悩んでいるのかよく分からないのだ。
ーーこの空っぽな気持ち……なんだろう。
こんこ様はいなくなる。
こんこ様は何も言わずに帰る。
クフリートがこんこ様だと信じていなくても、いなくなる。
……あの絵本のように、会えなくなる。
「……ナナ」
「……はい、なんでしょうか」
「リューノモと、母さんと、ナナと話がしたい」
「……こんこ様はいいんですか?」
クフリートはぎこちなく頷いた。
ナナは「そうですか……」とボソリと言うと、魔法の杖を持って、こんこ様に向けた。
「ちょっと待って。何するの?」
「安心してください。お昼寝タイム、というやつですよ」
「…………」
ナナは片目を閉じた。
「私も言い伝えの伝説の方に杖を向けるのはちょっぴり嫌ですよ。……でも、私、患者第一なので」
ナナは杖から滴をこんこ様の頭に落とす。
こんこ様は目を細めたかと思うと、すぐに寝てしまった。
その寝顔はとても可愛くて、ついつい撫でてしまいたくなるが、生憎クフリートはそんな気分じゃない。
「では、ご家族を呼んできますから、クフリートは大人しくしていてくださいね」
「……うん」
ナナは薄く微笑むと、魔法使いの帽子をギュッと握って、部屋から出て行った。
その瞳が意味深に細めていることなど、クフリートは知る由もない。
「……んで、話ってなんだ。お兄ちゃん、拳なら誰にも負けないぞ」
「喧嘩でもしたいんですか……」
「あら〜クフリート、恋でもしちゃったのかしら〜。……ナナちゃんに」
「「ないない絶対にない」」
クフリートとナナは、いやいや……と片手を振って全力で否定した。
リューノモはクフリートの隣で眠るこんこ様を珍しそうに見た。
「こんこ様は寝てるのか……こりゃあ静かにしないとな」
口は少し悪いが、気遣いができるリューノモを、クフリートはとても尊敬している。
病が治って、元気になったらリューノモのように気遣い上手になるのが、クフリートの目標である。
それはさておき、クフリートはベッドから起き上がると、窓の外を見てから、こんこ様を見た。
「……さっき、ナナ言ってたよね。こんこ様は、吹雪が終わる前に帰らないといけないって」
「き、聞いていたんですね。その様子だと、クフリートはこんこ様についてあまり知らないんですか?」
「知らないんじゃなくて忘れだけ」
どっちも同じだろ、と心の中でツッコミを入れつつ、ナナの言葉を待った。
ナナは魔法使いの帽子を膝に置いて、ぱっぱと払う。
「こんこ様は、標高が非常に高い地域にいて、群れで暮らしています。しかし、吹雪の時期だけ、単体で行動するんです」
「どうして?」
「はしゃいでいるからです」
「……?」
答えになっていない答えに、クフリートとリューノモは首を傾げた。
……何故あれだけこんこ様に憧れを持っているリューノモが分からないのか不思議である。
「こんこ様の主食は雪です。基本的に地面に落ちた雪は汚いからという理由で食べず、雪が降るのを待つんですね。それで雪が降ると……」
「久しぶりの食べ物だから、ついついはしゃいじまうってわけか」
「食べ盛りなリューノモと同じね〜」
「俺で例えるのやめてくんない?」
クフリートははしゃいでいるこんこ様を想像し……。
ーーかわいい……じゃなかった。続き聞かないと。
ナナは魔法使いの帽子を被ってから、話を続ける。
「その興奮状態が長く続いてしまうと、こんこ様は我を忘れて山から降りていってしまうんです。……こんこ様なんて称えられていますけど、案外ドジなんですね」
「あらあらかわいいわね〜。若い頃の私だわ〜」
「…………」
……何故だろう、急に部屋が寒くなった気がする。杞憂だといいのだが。
「教えてくれてありがと……」
「ありがとうはもう少しあとにしておきましょう」
「え?」
「だって、まだ話は終わっていないんですよね?」
「……うん」
クフリートは目線を下に向ける。
別にナナたちが怖いわけではない。どう話せばいいのか分からなくて、上手く伝えられるか不安だからだ。
きっと話せば、この空っぽの正体も掴めるかもしれないから。
クフリートは前を向いて、ゆっくり話し始める。
「僕ね、こんこ様がいつか僕の前からいなくなるって聞いた時、よく分からない気持ちになったんだ」
「…………」
「こんこ様はいない。こんこ様は、現実にいたらいけない存在で、おとぎ話なんだ。……こんこ様がいなくなることで、それが証明できる。だから、とっても嬉しい、なんて」
……でも、そうは思えなかった。
「僕は、今もこんこ様がいるって信じてないのに、こんこ様が帰ることに喜べなくて。迷惑かけられてるのに、まだよく分かんないのに、こんこ様がいなくなるって思うと、胸が空っぽになっちゃって」
相手を信じていないのに、あまり知らないのに、どうしてこんなにも泣きたくなるのだろうか。
クフリートが泣く時は、病が深刻になった時か、現実から目を背けたくなった時だけだ。
ーーこの涙は、多分そういうのじゃない。
だから、今にも溢れ出そうなこの涙の正体が知りたいのだ。
リューノモはクフリートに、大きな手で頭を優しく撫でた。
ナナとクラルは、互いに目を合わせるとふふっと笑った。
「なんで笑うの? 僕は真面目に……」
「ごめんね〜。別に悪気はなくて」
「私もです。ただ……」
「本当にわかんないのか? 本当に?」
信じられないような者を見るかのような目で見てくるリューノモに、クフリートはこくこくと頷いた。
リューノモは「マジかぁ……」と呟き、ボサボサになるまで頭をかいた。
「クフリート、こんこ様と仲良くなりたいんじゃねえのか?」
「え……?」
確かに、こんこ様を知るのも悪くないとは思ったが、別に仲良くなりたいとは思っていない……はず。
「で、でも、僕、こんこ様のこと信じてないよ? 言い伝えのモンスターだって……」
「こんこ様って言ってるのに、ですか?」
「言ってな……あれ?」
クフリートは自分が言っていたことを思い出してみる。
ーーえっと、えーっと……ん? んん?
「い、言ってる……信じてないのに……」
「じゃあなんで白狐って呼ばなくなったんだよ。前は言ってただろ?」
「………………あ」
気の抜けた声に、リューノモたちは肩をだらーんと落とした。
……何故、こうも頑なに気づかなかったのだろうか。
単にドジだからか? それとも病で疲れていたからか?
いや、おそらく違うだろう。
ーー僕は……信じられなかったんだ。妄想が現実になるのが怖くて、ドキドキして、見て見ぬふりをしていたんだ。
クフリートは、気持ちよさそうに眠るこんこ様を見て、そして、外の吹雪の音を聞いて……ふと思い出した。
ーーあぁ、なんで忘れてたのかな。僕は……僕は……。
「この子と……こんこ様と友だちになりたかったんだ」
読んでくださりありがとうございます! 今日の17時頃にも投稿予定ですのでよろしくお願いします。